第4話 囚人 / 研究室

 ◆黒の牢獄◆


≪ヴァリアー≫基地の別館。黒く塗りつぶされたその建物は、≪黒の牢獄≫と呼ばれている。

 その呼び名の通り、犯罪者や“危険種”の魔人を留置しておく場所である。

 外では照りつける日差しも、その一片すら内部へ差し込むことを許されない。


「オイ……看守。水をよこせ」


 その牢獄の中で、ぶっきらぼうな少年の声が響いた。


 黒。その少年を色で表すならば、他にはないだろう。


 腰まで届くかという長い髪。簡素な囚人服を着せられ、手錠を掛けられていても尚、その瞳は野性味のある輝きを失っていない。

 彼の為の小さな部屋には、薄汚いベッドしかない。そのベッドに腰掛け、俯くようにしながら、少年は通りかかった看守に声をかけたのだ。


 少年との間には強固な格子があるにも関わらず、看守は震えあがった。


「みっ……水だと? そんなもの、食事の時間まで我慢しろっ! 偉そうな口を利きやがって……!」


 看守の声が上ずっているのを感じ取ったか、少年はヒヒッ、と嗤った。


「待てねェんだよ……本当は血が恋しくて恋しくて堪んねェワケ。解る? にーちゃん」


 少年は立ちあがる。

 看守は得体のしれない気を感じ、無意識の内に後ずさっていた。


「解るワケねェよなァ……だってアンタ人間だもん。そりゃそうだ……」


 そして彼の部屋と通路を隔てる格子に近づき、それを握る。


「――もう一度言うぞ。水をよこせ。さもないとここをブチ壊してお前を食い殺す」

「ひ、ひィィッ!!」


 最早鉄格子が両者の間に存在する事などで、看守は感情を落ち着かせることはできなかった。

 一目散に走り、少年の頼みを実行に移すことでしか、心の均衡を保つことができない。


 この少年には、力がある。

 相手の心を掌握する力が。

 人間による拘束など取り払って、≪ヴァリアー≫を破壊する力が。

 何人たりとも、逆らわせない力が。


「――何事ですか?」


 その男が華麗に参上したのは、そんな時だった。

 看守がポカンと口を開けた。


「はっ……副局長様!?」


 驚きと安心の入り混じった表情の看守に「お勤めご苦労さま。少しの間、席を外してもらえますか」と声を掛け下がらせると、褐色がかった肌色の青年――≪ヴァリアー≫の副局長は……少年の牢獄へと近づいてくる。


「オイ、水は――」そう文句を言おうとした少年に、副局長は当然といった調子で水を差しだす。


 いや、正確には……透明なコップに何らかの液体が入っているだけだ。


「欲しかったのではないのですか?」


 丁寧な言葉使いで要望に答える青年に、少年は警戒しつつも、最終的にはそれを受け取った。


(ちっ……水が欲しいって言った瞬間にそれを持って現れるとか……どういうからくりだ?)


「……何のつもりだ」


 副局長はそれには答えず、「第一印象には気を使う方なんですよ。これから長い付き合いになりますしね」と言った。


(どっかから見られてたってことかよ)


 少年はしばらく水(恐らく)の入ったコップを目の前で揺らしていたが、やがて怪訝な顔で質問を再開する。


「おい、オマエ……副局長とか言ったな。長い付き合いってなんだ?」

「ええ、私が貴方を監視することになったという話ですよ」


 副局長はゆったりとした動作で木製の椅子に腰を下ろした。非常に優雅な、嫌みの無い動作だった。看守が暇潰し用に持ってきていた本をチラリと一瞥して首をかしげると、その象牙色の髪がふわりと揺れた。


「お偉いさんがわざわざ? ご苦労なこった」

「貴方のような強力なゲストに釣り合える人材が、うちにはあまりいないので……」

「そりゃあ正当な評価をどーも。自分達こそが万物の霊長だと信じ切ってる自己陶酔バァーカどものお山の副大将のワリには、わきまえてるじゃねェか」


 少年は挑発としか思えない言葉を長々と吐いたが(これで途中で噛んだら威厳も何もなくなってしまう)、副局長は目を閉じて無反応だった。


(まさか、寝たのか。……この短時間で?)


「寝てはいませんよ。ただ、これからしばらくの間あなたを監視し続けるという職務内容を思えば、あまり最初から体力を消耗するのもどうかと思いますので」


 まるで心を読んだかのように副局長が言った。


「一体どれくらいの間監視してるつもりだよ」

「分かりません。一週間程度だと予想してはいますが」


しれっと苦行の予定を答える副局長。


「一週間? ……一週間後には何がどーなってるってんだよ……」


 副局長はフッと笑うと、左手の中指でメガネの位置を直しながら、


「そうですね。……貴方は、私たちの仲間になっているでしょう」


 笑顔で言った。その仕草は少し嫌味だったかもしれない。


「なめてんの……けほっ」


 食ってかかろうとした少年だが、喉が痛いほどに乾いていて、せき込む。


(気に食わねぇが、こいつは……)


 少しだけ、コップの液体に口を付けてみる。少年にはただの水にしか思えなかった。だが、それが本当に水だったとしても、気づきにくい何かが混ぜられている可能性はある。

 いっそ賭ける気持ちでそれを流しこむと、喉が癒された気がした……が、少年にとっては所詮気休めだ。そもそも、吸血鬼が水を口にすることは殆どないのだ。血液交換で事足りるのだから。


「本当にただの水でしょう? 少しは信用していただけると助かります」


(こいつは馬鹿だ。それもどうしようもない程の。本気で俺と分かりあえると思っていやがる)


 だからこそ、助かる。もしかしたらそれほど苦労せずに脱出できるかもしれない。少年はそう考えて、心の中でくくっと笑った。


(こいつを喰うのが楽しみだ。その絶望に歪んだ表情が恋しい)



 ◆研究室◆



 見た目二十代後半の女性。襟元までしっかりと閉めた研究服のスタイルは、色気も何もあったものではない。薄く横に長い縁なしのメガネは、理知的というよりは加虐趣味を連想させる。

 その銀髪の女性がずっと自分のターンで話し続けるのはいつものことだった。


「そもそも、君達は電気というものを理解しているのか?」


(してません……)


 リバイアはそう思ったが、口に出す気にはなれなかった。言ったところでこの女史は論じることをやめはしないだろうから。


 彼女にとって、電気は携帯端末や電球を初めとした便利な道具を動かす、日常生活に欠かせないもの……という認識しかない。あとビリビリする。


 人間と生活するようになって、電気の便利さは解ったが。

 勿論、危険性も。


「そういえば、リバイアの魔法もなんとなく電気っぽいよな? とにかくでかいエネルギーを感じるけど」


 ダクトはティスにも普通に話しかける。きっと会話をするのが好きなんだろうな、とリバイアは思っている。


(わたしからするとサイエンティストって怖いだけなんだけど……同じ人間からすると、そうでもないのかな?)


 ダクトの場合は恐らく、サイエンティストのマッドな側面を知らないだけである。所詮は物資の運搬を手伝わされている程度の関わり。魔物研究班が行っている“実験パート”を見れば、彼女らに苦手意識を持つ魔人が多いことにも頷けるだろう。


「そうだな……確かに電気っぽくは見える。だが性質は似ても似つかないとしか言いようがない。地面に吸収されて消える訳でもないしな。まぁそこら辺は、もっとリバイアを調べれば分かってくるだろう……」


 リバイアを調べる、というフレーズにどういう意味が含まれているのか。それを理解する彼女は痛みの予感に小さく震えた。


「それよりも、ダクト。話を逸らした罰だ……ちょっとこっちの部屋に来い。スタンガンを用いて、電気についてレクチャーしてやる」

「えっ、いや、ちょまっ……た、レイスリバ――」


(やっぱり怖い)


 リバイアにとっては幸いなことに、研究所のチーフ……ティスはダクトを引っ張って別室に消えた。ドアの遮音性が高いため、ダクトが助けを求める声は途中でかき消えた。代わりの犠牲が出たのは悲しむべき事かもしれないが、少女が救われたので喜ぶべきだろう。


「あっ」

「どうしました? レイスさん」


 突然驚いたように声を上げたレイスに、リバイアが問いかける。


「いや……これ……」


 そう言ってレイスが示すのは、ダンボール。

 テープを剥がして、中身を出していたのだろう。


「あー……」


 リバイアは納得した……レイスの憂いの理由に。

 蓋を開けてみると、そこにはプチプチくん――リバイアはそう認識した――と、それに包まれていたはずの、透明なガラス筒のようなものが数本入っていた。

 だが、その梱包材の切れ目というか隙間から零れ落ちたのか、二本ほどが砕けて割れている。梱包材にきちんと包まれていないのも問題だが、彼ら二人の運び方も気になるところだ。

 砕けた筒からは水色の液体がこぼれて、照明の光を受けてうっすらと光っている。


(こういう光る水って、だいたい数十分で光を失うはず……)


 そう考えたリバイアは、恐らくこれはついさっき割れたものなのだろうと推測した。

 これを運んできた二人はどちらもこの部屋にはいないし、謝るべき相手――リバイア達に無論非は無い――もいない。今頃別室で熱弁しているであろう頃合いだ。


 こういう時に取るべき行動は……。


「レイスさん、巻き込まれる前に逃げません?」

「そうしようか」


 レイスは即答した。彼も、あまりこの場所が好きではないのかもしれない。


(そうだったらうれしいな)


 ウィーン。


 レイスとリバイアは自動ドアを通り抜けて廊下に出る。


 お互いに示し合わせた訳ではないが、恐らく向かう先は一つ上の階にある、二人の部署の部屋で間違いない。≪ヴァリアー≫内部では魔人隔離ゾーンとして名高い場所である。


 勿論表向きは「これからは人間と魔人、手を取り合って生きて行こうぜ」系の明るいキャッチコピーの部署だが、では差別が無いのかと問われれば否である。いや、直接害をなす、なされることはまずないのだが。


 どちらかというと、魔人側が買い物一つにあたっても売り子に怖がられてしまう、というのが現状だ。人間と魔人の歩み寄りは一朝一夕にはいかないらしい。


「レイス殿! ああ、これはリバイア様もいらっしゃいましたか!」


 そんな二人に息を荒げながら迫ってきたのは、中年の看守だった。

 二人の元までやってくると、疲弊しきった様子で壁に手をついた。


「えっと……僕たち、何か悪いことしました?」


 とレイスが(勿論彼なりのユーモアなのだろうが)問うと、看守はとんでもない! と姿勢を正して頭を下げた。


(レイスさん、怖がらせちゃってます……)


 リバイアの目線を受け、人間と接する時はやっぱり、まだまだふざけちゃ駄目なんだ。とにかく真面目に付き合っていかないと……いつどこで綻びが生まれるか分からないんだから。そう反省したレイスは真面目な顔を作り、返答する。


「何かあったんですか?」

「副局長様がお呼びです! 至急、≪黒の牢獄≫に来るようにと!」


(……やっぱり僕、鎖に繋がれるんじゃないのー!?)


 レイスは心中でのみ叫んだが、額に嫌な汗が滲むことは抑えられなかった。


 ――人と接するときは真面目に、誠実で居続けなければならない。


 ……そして、人間と接する時はまだ、こちらの弱みを見せすぎる訳にもいかない。

 少し怖がられているくらいの方が丁度いいのだと、レイスは心のどこかで解っていた。

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