第5話 電話ボックス / 囚人2
レイスとリバイアが≪ヴァリアー≫の外に出ると、外は真っ暗だった。
「時間の感覚が狂っちゃうよね、ずっと地下にいると」
レイスがのんびりと言った。それに無言で首肯するリバイア。無言なのは、緊張しているからだろう。
なにせこれから二人が向かうのは、脱獄知らずの牢獄、≪黒の牢獄≫なのだ。
地上部分は三階までに留まる、広さ的にも“学校”のような≪ヴァリアー≫基地を出ると、右手に見えるはず……なのだが、≪黒の牢獄≫の名の通り、夜の闇の中ではその巨大なはずの建物もよく見えない。
中には必要最低限の物資や電力しかないはずであり、当然限られた照明の明かりもわずかしか漏れてこない。
二人は目が慣れてくるに従い姿を現した“黒の牢獄”に向かって歩く。百メートルほど先だろうか。遠くに見える≪黒の牢獄≫。
しかし、そこにある入口は偽物である。
捕らえられた魔人を救おうと、仲間の魔人が≪ヴァリアー≫に侵入しようとする事案は多い。
言わば撒き餌である。これ見よがしに用意された≪黒の牢獄≫の入り口に近づいたものは即、中の魔人の脱獄を手助けしようとしている咎で捕まる仕組みなのだ。
実際の入口は≪ヴァリアー≫出口からわずか二十メートル。≪ヴァリアー≫という建物自体の外周を周り、電話ボックスに入るのだ。
それを予め聞いていた二人は、躊躇いなく電話ボックスに入る。
「僕、この電話ボックス入るの初めてだよ。」とはレイスの弁。
「私もです」とリバイア。
「ずっと、なんでこんなとこにあるんだろうって思ってた」
「レイスさんに不思議に思われるようじゃいつかばれちゃいますね、きっと」
「ひどくないかな……」
二人で入るには、電話ボックスは少し狭かった。
「そんな所だけ普通の電話ボックスにしなくてもいいのにね」
レイスは呆れたように言いながら受話器を手に取る。
「むしろ二人で入ってるこの状況が一番不自然ですよ」
リバイアは嘆息した。
「まるで恋人同士みたいだね」
「恋人同士って電話ボックスに一緒に入るんですか?」
「いや……ごめん、分からない」
レイスは受話器を手に、首をひねる。
「んー……」
「どうしたんですか、レイスさん? せまいならもっとくっついていいですよ」
「遠慮しておくよ」
いやね、とレイスは言う。
「こういうのって、受話器を取ったら向こうの人と自動的に通話繋がるとかじゃないのかな?」
「適当にボタン連打してみますか?」
「それしかないならやってみようか」
実際は二人が電話ボックスに入った時点で、それを監視カメラで確認した職員が手続きをしているのだが……。
しばらく二人で自由に電話ボックスを遊び倒していると、突然レイスの視界が真っ暗になった。
「きゃあ!?」
自分だけではないのか。リバイアの悲鳴を聴いてそう思いながら、レイスは状況を把握する。電話ボックス内の電気が突如として消えたらしい。
そして独特の重力感から、今自分がいるのはエレベーターなのだと認識する。
「この電話ボックス自体がエレベーター……?」恐らく間違いないだろう。
あまり好きではない感覚と共に落ちて行くレイスは、この先の出会いを予想していた。
そもそも、何故自分が≪黒の牢獄≫に呼ばれたのか。彼は既に薄々以上に気が付いていた。
そして、夢物語のような出来事を思い出し、自分の右腕を見る。
そこには何の
――僕は、確かに吸血鬼に噛まれた筈なんだ。この右手を。
――最近、ティス先生によく個人面談に呼ばれるのも、それが関係しているんだ。吸血鬼に噛まれた僕が、生きていること自体がまずおかしい。いや、生きてるのはいいことなんだけど。
果たしてあれは夢だったのか、それとも現実のものか。
レイスは、そう、この後の再開を予感していた……。
◆黒の牢獄◆
「……そういえば、貴方の名前をまだ訊いていませんでしたね」
――いちいちうるせェ奴だ。
少年はそう思い、舌打ちした。というより、極力喋りたくないのだろう。彼にとっては水を頼むことすら屈辱的なのだ。
臆病な看守を脅して水を用意させるのは構わないようだが、組織の幹部にそれを望むのも恐らく不可能だろう。正直、この相手がどれほどの実力を秘めているのか分からない。
――まァ、俺より強いワケはねェけどな。
よほど自分に自信があるのだろう(牢屋に閉じ込められた)少年は鋭い目つきをやめない。さすがにこれが生まれつきの目つきだとしたら可哀そうなレベルである。
「まだ教えてくれませんか……もう三日目ですよ?」
そう、少年が“黒の牢獄”に捕らわれて、既に三日が経過しようとしていた。
その間に人間側が得られた彼の情報は、何もない。
「だんまりですか……」
仕方が無いか、と副局長は呟いた。
「あなたと一緒に捕えたもう一人――、」
「――あいつには手を出すな」
少年が即答していた。今までのだんまり期間は、眠かったわけでも喋れなかったわけでもないことが証明された。それとも、たった今の副局長の台詞で意識が一瞬にして覚醒したのだろうか。
「もう手を出してんだったら、絶対ェに……殺してやる」
副局長は少年の食いつきに笑むこともなく、感情の起伏を感じさせないまま、淡々と答える。
「拷問はもちろん、お話すらしていませんよ……君と一緒に捕えた彼女ですが、いまだに目を覚ましていないそうです」副局長は傍らの机にある携帯端末を見ながら言った。
携帯端末は沈黙している。定期的に光ってもいない。新しい情報はない。
「医療班が治療にあたっているそうですが、どうにもやっかいな問題がありまして」
ちらりと、牢屋の中に投げかけた視線は、少年の情を揺さぶろうとしているのか、副局長が決してただの優男では無いことを示していた。むしろ、人間としては腹黒い部類に入るかもしれない。
末恐ろしい奴だ。……そう思いながらも、少年もこの話題には喰いつく。喰いつかざるを得ない。
「……栄養、か」
「そうです。吸血鬼の治療、といっても、彼ら彼女らには元々驚異的な自然治癒力が備わっているはずです。ですよね? しかし彼女にはそれがない。恐らく、エネルギーとなる食物がないからだと私たちは推測しました」
ふぅ、とため息をつき、副局長はまた携帯端末に目をやる。
「人間の血液を用意しようと思ったんですが、なにぶんこの組織には吸血鬼のために自らの血を差し出す人がいなくてですね」
少年が立ちあがって、檻の鉄柵を握る。少年が本気を出せば、たやすく破れる程度の強度であるはずだ。
「俺に血をよこせと?」
血走った眼で睨みつけられてなお、余裕の笑みは揺らがない。
「お察しの通り、そうです。貴方の血をいただけないでしょうか?」
「さっさとしろ」
そう言って少年は腕を突きだす。余程“彼女”のことが大切なのか。副局長はそんな少年の姿に今度こそ笑みを浮かべると、手を二回叩いた。
「入ってください」
使用人を呼ぶかのような動作に、現れたのは灰色の救命士制服(何故に灰色なのか)の女。
「は~い、お呼びですかぁ?」
現れた女は、妙にねちっこい喋り方をした。外見年齢は二十歳前後だろうか。すばしっこそうな印象。悪戯好きそうな顔をしている。
とりあえずナースっぽくはないが、悲しいかなそうだと言わざるを得ない状況だ。その手には空の輸血用パックが握られていて、そこから伸びたコードが長すぎて床に垂れている。付きそうだ。
それが床に触れたらアウトだ。衛生的に。そうなれば彼女はナース失格だが、決してそれを地面には触れさせないだろう。プロならば。……プロなのだろうか? なんだか心配になってくる。
――こいつに針を刺されるのか……。この灰色ナースもどきに? というか灰色の奴に碌な思い出がねェ。……いや。
少年は何かを決意した顔だ。俯いた顔は人間達からは見えないが。
「お願いします」副局長がナースに言った。
「はぁい。新鮮な血を届けなければいけませんしぃ、エレベーター他二つは故障中ですよねぇ。上に上げとくよう要請しといてもらっていいですかぁ」
「……構いませんよ」
「ありがとうございまぁす。では」
その瞬間、ナースの目が猟奇的な光を帯びた。が、二人は少年の眼光も鋭くなったことに気付かなかった。
「痛くしますねぇ」
その手が閃き、少年の腕に音を立てて突き刺さる、
刹那。
檻が爆ぜた。
「さがってください」
副局長はそう、冷静すぎるほど冷静にナースに言った。
「はぁ……い……」
恐らく、いや確実に、少年が檻をぶち破ったのだろう。それは力量(というより倫理観)が心配されるナースに刺され掻きまわされる恐怖故か、それとも単純に人間を殺す機会を得た吸血鬼としての本能か。
副局長は傾いてきた鉄柵の残骸からナースを庇った姿勢のまま、壁際に立てかけていた得物を右手で素早く回収し、上を見た。
そこには、少年が天井にぶら下がっている光景があった。
「これは……盲点でした」
少年は何もない天井に貼りつく能力を持っている訳ではない。天井にある通気口、その隙間を塞ぐための鉄格子を掴んでいたのだ。
「グガアアアアアアアアアア!!」
大声を張り上げると力のリミッターが少し外れるという。少年はそれを体現するかのように、鉄格子を壊すと、驚異的な腕力を披露しつつ隙間に身を滑り込ませていた。
「
声に少しの呆れを滲ませる副局長。
とりあえず、ナースに危害が加えられなくてよかった。しかし副局長とは大局を見なくてはいけない身の上。それで安堵している暇は無い。
「こちら副局長アドラス。魔人七が脱走。通気口より外を目指すものと思われる……いや――、」
――そういえば聴かれていましたね……まさか……? いや……。
ナースを横目に、副局長は呟いた。
「――変更です。恐らく魔人七はここより地下の階を目指し、同胞である吸血鬼を取り戻すつもりです」
勿論、とアドラスは続ける。
「部隊は私が指揮します」
「はわわわ、わぁ」
ナースが驚くのも当然、≪ヴァリアー≫副局長アドラスと言えば、魔王軍の一個師団を一人で壊滅させたという伝説を持つ武人。彼がその力を大衆に晒すのは、数年ぶりだった。
「恐れることはありません」
――そう言って、アドラスは傍らの壁にあった警報ベルに左手を打ちつけた。
「負けることも、ありえませんよ」
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