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「立派な博物館ですね。見ごたえがありました」
一支国博物館に感心しきりの逸見は、帰りの車中で感想を熱弁してくれた。車を降り、でうすが家へ駆けて行ったあと、ゲストハウスへ戻っても彼は語り続けた。
「地元に、古代出雲歴史博物館ってのがあるんですけど。結構迫力あって、そこがいちばんだと思ってたんですよね。でも、ここも凄いな」
そういえば彼は、出雲が地元だと言っていた。玄関の扉を閉め、靴を脱ぎながら瑠唯は尋ねた。
「新しいお仕事が始まる前に、ご実家に帰ったりはするんですか?」
「東京からここへ来る途中に、寄ってきました」
先にエントランスに上がっていた逸見は、にこやかに答えた。満面の笑顔を向けられると、初対面でどきりとしたときの感覚が蘇った。柔和で穏やかだが、なよなよした印象はなく、それが妙に瑠唯を安心させる。
「で、壱岐に来たんです。このあとは、九州一円を旅行する予定で」
逸見の出発が近づいていることに気づき、ふいに瑠唯は寂しさを覚えた。毎日何時間かを一緒に過ごしているうちに、彼と話すことが当たり前になってきていたからだ。こうして和やかな会話を楽しめるのも、あと数日だった。
「そうだったんですか。出雲へはすでに帰省されてたんですね」
「家族や親戚一同に、ちょっと顔みせる程度ですけど」
一瞬言葉を切った逸見は、少し躊躇ってから言った。
「いつか瑠唯さんにも、出雲に来てもらえたらいいんだけど。でも忙しそうだから」
遠慮がちに言われて瑠唯は、壱岐を離れられないことを初めて残念に思った。友人の誘いは億劫なのに、逸見の誘いには嬉しくなる自分に苦笑する。
「そうですね。機会があったら」
「瑠唯」
曖昧に返したとき、頭上の吹き抜けからマリアの声が降ってきた。毎日精力的に島内を散策しているマリアは、朝から夕方まで外出し、夕方以降はフリースペースか部屋で執筆をしていた。最初はドミトリールームに泊まっていたが、ゆっくり書く時間が欲しいと言って、今は個室に移っている。おかげで売上は上がり、瑠唯はますます彼女が好きになった。
「どうしたの?」
部屋に戻る逸見を見送りつつ、瑠唯は階段をおりてきたマリアに向き直った。彼女とは、敬語抜きで話すことがすっかり定着していた。
「ちょっと訊いていい? この人が書いた他の本、あるかなと思って」
マリアが差しだしたのは、風土記と日本神話の関係について綴られた本だった。開業するとき、大量買いした古本の一冊だ。壱岐に直接まつわるものでなくても、日本神話や古代史に関する本をいろいろ買いこんだことを思い出す。
「ちょっと待ってね」
瑠唯が本を受け取り、フリースペースへ向かおうとすると、マリアが言った。
「そこの本棚にある本は見てみたんだけど、なかったんだ」
「本はあの棚にあるのが全部だから、他にはないなあ――お役に立てなくてごめん」
申し訳ない気持ちで言うと、マリアは朗らかに笑って首を振った。
「そっか、わかった。どうもありがとう」
「何か調べもの?」
「ってわけでもないんだけど。この本が面白かったから、同じ人の他の本が見てみたくなっただけ」
「へえ」
マリアの探求心に感銘を受けながら、瑠唯は本を棚に戻した。風土記と神話に関する本と言うなら、瑠唯こそ読んでおくべきなのだろう――たぶん。その種の知見があれば、でうすの正体に見当をつけることもできたはずだ。
「でも、ヨーロッパに帰ったら絶対手に入らないからなあ。福岡の大きい本屋さんで探してみようかな」
福岡市内へ日帰りで出かけることは、早朝の船に乗ればできないことではない。島内のあらかたの場所を回り尽くしたマリアは、数日したら福岡へ行ってみようかと、そういえば言っていた。
「それがいいかも。おすすめの本屋さん、教えるよ」
市役所近辺にある、福岡県最大の書店の所在地をマリアに伝えた。ビルが丸ごと一棟書店になっているので、彼女の目当てのものも見つかるかもしれない。
明るく礼を言ってから、マリアは思い出したように言った。
「そう言えば瑠唯、あの男の人と仲良いね」
逸見のことを言っているのだと気づき、瑠唯は苦笑した。
「そう見えるかもしれないけど、普通のお客さんだよ。マリアほどじゃないけど、長く泊まってて。でも車を借りてないの」
「車がないの? どうやって観光してるの? あの子みたいに徒歩?」
瑠唯は毎日のようにガイドツアーを催行し、彼の観光に随行している顛末を説明した。マリアは驚いて聞いていた。
「東京とか大阪みたいな、大都会から来たってこと? だから、田舎じゃ車が要るってわからなかったのかな」
瑠唯は曖昧に肩をすくめた。出雲出身なら車生活には慣れていそうなものだが、その憶測をマリアに話すのも躊躇われ、瑠唯は簡単に言った。
「バスで回るつもりだったみたい」
じっさい彼は、午前中はバスで行ける場所を探索し、ときどき出かけている。マリアはそれにも驚いた様子だった。
「生まれも育ちも都会なの?」
「違うみたいだけど」
曖昧に言うと、ふうん、とマリアは不可思議そうに呟いた。
「でも、瑠唯のガイドで観光が楽しめてるなら、それが良いかもね。詳しい説明も聞けるわけだし、効率よく回れる」
「そう思ってもらえてたらいいけど」
言ったとき、誰かが外のインターホンを押した。チェックイン予定のゲストが到着したようだ。
「ありがとう。助かった」
マリアが礼をして、階上の部屋へと戻っていった。瑠唯はすぐさま玄関を開け、新たなゲストを迎え入れようとした。だが、思いもよらない相手を目にして棒立ちになる。
目を血走らせた若い男が、そこに立っていた。着ているシャツにはしわが寄り、顔にはどこか疲れた雰囲気が漂っている。やや長い黒髪も寝起きのままのようだ。全体的に整っていない身だしなみが、取り乱した印象を作っていた。
「えっと……ご予約のお客様でしょうか」
人は驚くと、いつも繰り返している言葉しか出てこなくなるのだろうか。少なくとも、今の瑠唯はそうだった。
「前に電話した者だけど、ここにフランス人の女が泊まってるだろう」
言われてみれば、男の声は先日の不穏な電話と似ている。切羽詰まった様子は電話のとき以上だったが。
相手の剣幕にたじろぎながらも、表情に出さないようにして瑠唯は答えた。
「以前も申し上げましたが、そういったお話はできません」
「いるんだろう! 他のホテルや旅館で張ってても見当たらなかった。いるとしたら、ここしかないんだよ」
島内の宿泊施設をしらみつぶしに当たったということか。その執念にぞっとする。肝を冷やしながらも、ゲストを危険に晒すわけにはいかないと、瑠唯は口を開いた。
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