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 逸見は参拝を終えると、斎の詰めている社務所の方へと向かった。芳名帳や、御守りを売っている一角だ。ここは社殿も境内もこぢんまりしているから、すぐ戻ってくるだろう。


「瑠唯が大変そうだから、心配やった」


 朴訥な呟きが本心からのものだと、瑠唯は知っている。なのに、なぜきのうはあれほど混乱したのだろう。朔に、瑠唯を責める意図などきっとない。電話で紗瑛にいろいろと訊かれた動揺が、自分の中で尾を引いていたのだ。だから落ち着いた反応ができなかった。


「ありがとう。でも、ゲストハウスやるのは自分で始めたことだから、本当に平気なの」


 今度は焦りや当惑なしに伝えることができた。他人からは逃げと見えるようなきっかけでも、瑠唯が自分でやりたくて始めたことなのは事実だ。今のところ大きな問題もなく、自分自身を養える程度には事業が回っている。だから、仕事にまい進するのは前向きなことのはずだ。


 しかし、朔は歯切れ悪く言った。


「それもあるけど、それだけやなくて」


 一瞬瑠唯から目を逸らす。視線だけ動かして、何かを探すようにあたりを見回した。


「なに?」


 ゲストハウス云々ではなく、やはり瑠唯が東京に帰りたくないことを指摘するつもりだろうか。きのうよりは落ち着いていても、もし追及されたらうまく答えられるか、確信はない。


「訊きたいのは、その」


 言い淀んだ朔が落ち着かなさそうで、瑠唯まで胸の奥が波立った。


「うん」

「――あの猫、喋りよらん?」


 思ってもない指摘に、瑠唯は絶句して朔を見つめた。理解が追いつかない。


「瑠唯、話しかけとったよね」


 図星をつかれた驚きで瑠唯が固まっているのを、朔は敏感に察知したらしい。


「ええと」

「こないだ、物干し場にいたとき」


 状況まで言い当てられて、ますます言葉に詰まった。ひとりごとと装ってごまかしたつもりが、話すところを見られていた。


 でも今まで、瑠唯以外の人間は、でうすの言葉に反応したことがない。だから、自分だけに声が聞こえるものと思っていたのだが。


「朔ちゃんって、もともとそういうことがわかる人なの?」


 神社の息子だから、怪しげな存在の声も聞こえるのだろうか。その理屈でいうと、無数の社がある壱岐では、かなりの数の人間がでうすの声を聞けることになるが。


「霊感とか? そんなんない」

「じゃあ、どうして?」

「わからん。瑠唯は?」

「今までこんなこと、なかったよ」


 首をひねった朔の前で、瑠唯もまったく同じことをしたい気持ちだった。


「あれ、良くないものなん?」

「悪いことはないと思う。たぶん」


 でうすは自身を神だと主張しているが、瑠唯に真偽を確かめるすべはない。一応、彼の言うことを信じているわけだけれど。


「なら、いいけど。座敷童みたいなもん?」

「違うみたい。神だって言ってる」


 かすかに目を瞠った朔は、一拍置いてから妙に納得したような顔をした。


「だから名前がでうす?」

「そう」


 答えながら思わず、苦笑が漏れた。朔の目許にも、おかしそうな色が浮かんだ。


「瑠唯さん」


 御朱印帳を手に逸見が戻ってきた。彼を振り返って尋ねる。


「あ、もう良いですか」

「ええ。博物館行きましょう」


 はい、と頷いてから瑠唯は、朔に声をかけた。


「じゃあ、また」


 頷いた朔に見送られ、瑠唯は逸見とともに石段をくだった。月読神社からはすぐ戻ってくることを伝えていたので、でうすは遠くへ行かず車の脇で待っていた。一支国博物館に着いて逸見を見学へ送り出すと、瑠唯は駐車場ででうすに言った。


「朔ちゃん、でうすが喋れるって気づいてた」

「誰だ、そいつは」

「何日か前に来てたでしょ。月読さんの」

「ああ」


 でうすは大して驚いた様子もなかった。


「驚かないの? 今まで、私だけに声が聞こえるんだと思ってた」

「そういうこともあろう。お前の氏神か誰かが、言葉が通じたほうが良いと判断した相手なのかもしれん」

「氏神様が、私にでうすの声が聞こえるようにしたの?」

「たぶんな。詳しくはわからんが。他の物の力も借りているし」


 やはりでうすは、曖昧な答えしか返さない。ことの全容は、いつになったら明らかになるのだろう。彼ですら全部は把握していないようなのに、本当に壱岐を守るという務めが果たせるのだろうか。


「他って? 何に助けられてるの」

「俺にもわからん。ただ、声が聞こえるだけでは、お前やそやつと話はできないのだ。あの鶏を見れば、わかるだろう」


 ガロのことを言っているらしい。確かに最初、ガロとは言葉が通じなかった。声は聞こえたものの、向こうはポルトガル語を、こちらは日本語を話していたから。スペイン語で会話を始めるまで、意思の疎通はできなかった。


「でも、でうすは日本語がわかるでしょ」

「高天原の言葉と、お前たちの中つ国の言葉は、ほとんど別物だ。俺たちは、二千年前から変わらない言葉を使っている」

「はあ」

「そのあたりは氏神が助けているのだ。ただ氏神も、南蛮の言葉はわからんからな」


 よくわからないが、人ではないものの声が聞こえるのと、でうすと言葉が通じるのとは、別の働きらしい。そして、でうすの言葉は氏神が翻訳してくれている。さすがにガロの話すポルトガル語はわからないので、瑠唯のほうがスペイン語で話すことになったが。


 ふと、朔にもガロの声は聞こえるだろうか、と思った。

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