3

「あれ、ソフィアかな」


 港の敷地を歩き回りながら、瑠唯は小さなターミナルビルの中に人影をみとめた。遠目だが、金髪で軽装の姿はソフィアにしか見えない。外から建物内をじろじろ見るのも何なので通りすぎたが、観光している様子に見えないのが気になった。ビル内のソファに座って、ただぼうっとしているだけのようだ。


 何日もずっと、島の海ぎわを歩き続けているのだろうか。何のために? 観光目的で島に来たという話も、今や信じられなくなっている。だが、瑠唯になにかと話しかけてくれるマリアと違い、ソフィアはゲストハウスに戻るなり大部屋に引っこんでしまうので、なにも事情を訊き出せないままだ。


 そして芦辺港でも、でうすは禍つ物の気配を嗅ぎつけられなかった。


「むこうは俺の出方を知っていて、巧妙に身を隠しているのかもしれん」


 車のルーフからあたりを見回したでうすが、渋い顔をした。


「でうすが壱岐にいるのを知ってるってこと?」


 港近くの大型小売店に立ち寄った瑠唯は、駐車場で尋ねた。まだ朝なので、買い物客の姿は少ない。ジェットフォイルの船着場や、小さなターミナルビルにも人気はない。船が発着する時刻以外は静まり返った、のどかな場所だ。ゆるやかに吹き寄せる風には、潮の香りがまじる。


「うむ。なぜばれたのか」


 厳めしい顔をしたでうすの脇で、瑠唯は肩をすくめた。


「そもそも神は、どうやったら存在を知られるの」

「そりゃ、相手と会った時だ」

「他には?」

「俺の痕跡を探り当てた時だが。いったい俺の痕跡をどう嗅ぎ当てたというのか」


 でうすは立ち上がり、前肢を伸ばしてあくびをした。


「だが、向こうの痕跡がこうも見つからないとなると、相手に姿を隠されたとしか思えん」

「相手を探し当てられないと、どうなるの?」

「言ったろう、島に災いが降りかかる。まあ、いざ災厄が起こる時になれば、あれは否が応でも姿を現す。そのときには探り当てることもできるのだが」

「できれば早くに探し当てて、どうにかしたいってこと?」


 うむ、とでうすは頷く。


「しかし、こう完璧に隠れられたのでは、車で探しに行っても見つからんだろうな」


 尻尾を揺らめかせるでうすを、瑠唯はしばし注視した。


「禍つ物って、どんな姿をしてるの?」

「やけにやる気があるな。そんなに俺がふがいないか」


 顔を顰めたでうすに、一言で答えを返すのは難しかった。


 壱岐に自分がいるのは、ただ東京から逃げてきただけかもしれない。もしその考えを振り払うことができるとしたら、島での仕事や暮らしに徹底的に向き合うことによってだと思う。


 でうすの予言通り、壱岐が禍つ物に翻弄されるのだとしたら、どうにか防ぎたかった。今の自分にとって、ここが唯一の居場所なのだから。


「まあ、いろいろ。壱岐に災難が起こったら、他人事じゃないから」


 ふむ、とでうすは鼻を鳴らした。


「禍つ物の正体はわかっているが、本来の姿のままやってくるのではない。他の生きものに姿を変えて訪れる」

「たとえば、どんな?」

「あれは何にでもなれる。鶏にしか宿れない、南蛮の物の怪とは違う」


 ガロのことだとわかって、ああ、と瑠唯は声を出した。


「何度でも訊くけど、禍つ物はガロじゃないの?」

「違う」


 間髪入れずにでうすは否定した。


「お前は、人ならざるものが縄張りを守ると言っても信じないが、違うものは違う。切支丹の国の魔物が、ここで悪さをすることはない」


 ふーん、と瑠唯は気のない返事をした。じっさいガロは、先ほど瑠唯に幻覚を見せたというのに。


「まあ、よい。今までどおり、車で出るときには必ず俺を載せていけ。あの小刀と一緒にな」


 でうすが言っているのは、祖父の形見の魔切のことだ。今は瑠唯のボディバッグの中に入っている。


「いいけど、なんの役に立つの?」

「お前の氏神の助けが、得やすくなる。たぶんな」


 ふーん、とふたたび呟いて瑠唯は腕時計を見た。


「そろそろ戻るね。また午後に出かけよう」


 うむ、と答えてでうすは、瑠唯が開けた扉から車に乗り込んだ。


「禍つ物が暴れると、壱岐に何が起こるの?」


 エンジンを起動しながら、何度目かに尋ねる。いつもと同じ答えが、でうすから返ってきた。


「言えん」





 朝の接近があってから、逸見の前でどんな顔をしたものか、瑠唯は考えあぐねていた。なんだかんだ、日々の雑談を共有する相手となっているでうすにも、さすがに話せない。


 ところが、いざ駐車場に現れた逸見は、いつも通りあっけらかんと柔和に振る舞っていた。いささか拍子抜けしつつも、瑠唯は深く安堵した。彼としても、朝寝ぼけていただけかもしれない。


 瑠唯も素知らぬ顔で、月読神社までの道中、社の由緒を語った。


「祭神の月読命は、イザナギとイザナミの子のなかでも、三貴神と言われる三柱の神のひとりなんです。アマテラスと、スサノオと、ツクヨミです」


 晴れた空が、フロントガラス越しにも今日はとりわけ高く見えた。日中はまだ残暑が厳しいものの、季節は着実に秋に近づいている。


「昔は月を読んで暦を作っていたのと、潮の満ち干を月が司っているために、人々の信仰の対象になったらしいです。航海の安全を祈ることも多いみたいですね。壱岐にあるのは全国の月読神社の総本社です」

「日本でいちばん古いってことですか?」


 はい、と瑠唯はブレーキを踏みつつ答えた。道路わきの斜面の前に、駐車スペースが設けられている。道路の際には鳥居があって、斜面のうえの社へと続く石段が伸びていた。


「月読神社についてのもっとも古い記述は、四八七年のこととして書かれたものです」

「一五〇〇年以上前ってことですか。それは凄いな」

「本当に」


 言いながら瑠唯は、鳥居の近くに駐車した。停まっている車は瑠唯のものだけだ。でうすを解放して車を降り、鳥居の先を見上げてみても、他の観光客の姿はない。昨日のうちに電話し、御朱印を頼んでおいたのだが、これなら何の問題もなく受け取れそうだ。


 電話を取ったのは、朔の兄の斎だった。たぶん今日も社務所にいるだろう。逸見とともに石段をのぼっていくと、しかし、待っていたのは装束姿の朔だった。


 石段をのぼり切って社に辿りつき、呼吸を整えていた瑠唯は、彼の姿が目に入るなり呆気にとられた。ずいぶん間抜けな表情になっていたと思う。目があった朔は気まずく感じたのか、きわめてよそよそしく言った。


「――どうも」


 斜面の中ほどに、小さな社殿を戴くだけの簡素な境内だ。あたりは杉林に取り囲まれ、森閑と静まり返っている。その静寂のなかに、行き場のない朔の言葉が漂った。


 ほぼ同時に石段をのぼりきった逸見は、瑠唯を置いて意気揚々と拝殿に向かった。瑠唯は彼を一瞥してから、朔に歩み寄った。


「何でそんなに、よそよそしいの」


 直截的に訊いてみると、朔もまた、躊躇いつつ露骨な物言いをした。


「きのう瑠唯を詰めたけえ、気まずい」


 苦笑したいような、呆れたいような、不思議な気分だった。大柄で寡黙な朔が、瑠唯を困らせたと恐縮しているのが、奇妙に思える。


「詰められたなんて、思ってないよ」

「でも、ごめん」


 わずかに伏せた目が申し訳なさそうで、瑠唯はつられて居た堪れなくなった。


「私こそ、過剰反応してごめん」

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