14
祖父の葬儀に島を訪れた時、迎えに来てくれたのは朔だった。奈津や、瑠唯の父母は弔問客の対応で手が離せず、喪服を着た彼が郷ノ浦のフェリーターミナルで待っていた。
人より頑健な彼が喪服姿でいるのは目立った。装いを見て、きっと奈津の関係者だとは思いつつも、一見して朔だとわからず、瑠唯はおそるおそる近づいた。声をかければ届きそうな距離に近づいた時、スマートフォンを見ていた朔が顔を上げた。同じく喪服姿の瑠唯をみとめて、一瞬動きを止めた。
「朔ちゃん」
反射的に口にしたものの、逞しい青年の呼び名としては、不釣り合いな響きだった。
「――久しぶり」
朔はぶっきらぼうに言って、スマートフォンをしまった。
「残念だったね。じいちゃんのこと」
「――うん」
「みんな集まってるから、行こう」
朔に促されて、ターミナルビルから駐車場へと向かう。お悔やみを言われても、まだ祖父の死に実感が湧かなかった。
彼は気を遣ってか、運転するあいだ何も言わなかった。葬儀の段取りについて一言二言、人づてに聞いたことを教えてくれたが、それだけだった。
鯨幕の張られた斎場に着いてようやく、自分は弔事のためにここへ来たのだと認識できた。それも、自分自身の近しい人のために。忙しく立ち働く母や叔父の姿を見ると、ようやく祖父の死が現実として認識されてきた。
叔父は進学のために福岡へ出て、そのまま九州本土で結婚した。彼に家業を継いでほしかった祖父とは、長く折り合いが悪かった。母と会ったり、祖母と電話することはあっても、祖父に会いに帰ってくることはなかった。
その叔父を初めて壱岐で見るのが、祖父の葬儀になるとは。そう思うと、ことの重大さがじわじわと胸に染み渡っていく。子どもがなかった叔父夫婦には、祖父との関係を修復するきっかけもついぞ訪れなかった。
だから祖父は、瑠唯に民宿を継がせるなどと言ったのかもしれない。唯一の孫だった瑠唯に、惜しみなく心も手間も割いてくれたのが、祖父という人だった。駐車場から、朔に連れられて控え室に向かいながら、ふとそう思った。
「着いたのね。――朔ちゃん、ありがとう」
控え室のそばにいた母に声をかけられて、我に返った。脇にいた朔が、母に小さく会釈した。
「いえ。うちのばあちゃん、まだいますか?」
「二階でおばあちゃんについててくれてるわ。瑠唯も一緒に行って、挨拶してきなさい」
言われるがままに階上へ向かった瑠唯は、祭壇の前の遺族席に座る祖母を目にした。居並ぶ弔問客の後ろ姿ごしに、黒留袖をまとい、髪を一つにまとめた奈津が、喪主の席について背筋を伸ばしている。
装いにも髪型にも、乱れたところはなかった。ただ目だけがうっすらと赤く充血している。すべて隙なく身だしなみを整えた奈津の、唯一普段と違う点がそれだと知って、瑠唯は胸を衝かれた。他のことは気丈に、普段以上に支度することができても、泣きはらした目だけは隠せなかったのだ。
瑠唯の姿を奈津より先に見つけたのは、叔父だった。彼が立ち上がると、奈津もその視線を追って瑠唯をみとめた。二人に会釈してから、瑠唯は口を開いた。
「おばあちゃん」
「遠くから、ありがとうね」
言った奈津は、目に泣いた痕跡があるだけでなく、力を失ってやつれていた。祖母がどれだけ祖父と仲が良かったか、今更ながらに瑠唯は思い起こした。祖父は豪放磊落で、よく飲むし、時々は打つ人だったけど、とにかく奈津が好きだった。
何となく祖父のほうが奈津を好きなのだと思っていたけれど、実態は奈津も同じくらい、彼が好きだったのだ。きっと。
一瞬、言葉を失った瑠唯だったが、気を取り直して言った。
「気を付けて、無理しないでね。叔父さんも来てくれたし、お母さんもいるから」
奈津は力なく頷いただけだった。叔父に目線で促されて、瑠唯は朔とともに弔問客の席に着いた。やがて母もやってきて、叔父たちの隣に座った。
疲れた様子ながら、奈津は葬儀の間も毅然としていた。棺のふたを閉じる前に、皆で花を入れるときだけ、寂しそうな声が胸を締めつけた。
「ごめんけど、少しだけ待っとってね」
まるで祖父がそこにいるように、奈津は遺体に話しかけた。祖父の友人たちは、年齢相応に別れが迫っていることを、覚悟していたと思う。だから落ち着いた面持ちの人も多かったけれど、奈津の気持ちを慮ってか、みな悄然としていた。
遺体が荼毘に付され、精進落としを済ませたとき、これで終わったのだ、という実感が不意にこみ上げてきた。会葬者や親戚一同が話をしている中、急に目頭が熱くなって、瑠唯は混乱した。
化粧室に行って、ひとしきり涙を流してみたが、動揺は収まらなかった。目は葬儀の時の奈津と同じく赤くなっている。逡巡しながらも廊下へ出たとき、通りがかった朔にばったり出くわした。
「瑠唯――」
様子がおかしいことに気づいた朔が、呟いた。その刹那、なぜかまた涙が溢れだして止まらなかった。朔はかすかに目を瞠ったが、すぐに瑠唯の肩に手を添えると、背後の出入り口を通って駐車場へ連れて行った。誰もいなかった。
「戻れんよね?」
人前に出られる状態でないのを、彼はすぐに察してくれたらしい。瑠唯が頷くと彼は、車のキーを渡して言った。
「中で待っとって」
火葬場のなかへ入っていった朔は、ほどなくして戻ってきた。入り口付近の柱の陰で待っていた瑠唯を見ると、彼は呟くように言った。
「先、帰っていいって。家まで送る」
瑠唯は呆気に取られたが、やがて朔を追いながら尋ねた。
「でも」
「もう終わったから、いいんよ」
確かに葬儀も火葬も終わった。食事も済んだから、あとは解散するだけだ。
「具合悪いみたいだって、おばさんに言っといた――乗って」
反駁する理由をすっかり排除され、瑠唯は促されるまま助手席に乗り込んだ。シートに座ると同時に、朔が扉を閉めた。
発進してから家に着くまで、数分もなかった。朔は家の前に車を停めたまま、瑠唯の涙が落ち着くまでただ待っていた。
「我慢してた?」
はらはらと涙を流し続ける瑠唯に、しばらく黙っていた朔がぽつりと尋ねた。瑠唯はゆっくりとかぶりを振った。
「ううん。来るまで、あんまり実感が湧かなくて。おばあちゃんの様子見て、ああ本当に亡くなっちゃったんだ、と思ったけど」
「あの二人、仲良かったけえな」
目許を拭いながら、瑠唯はうなずいた。
「なのに、あとは帰るだけなんだって思ったら急に。本当にお別れなんだって思って」
朔に考えを語っていると、涙は自然となりを潜めた。
隣の運転席で朔は、キーを掌中で弄びながら、見るともなく前を見ていた。
「今更泣くくらいなら、もっと島に来てればよかった」
「東京の仕事、忙しいんやろ。仕方ない」
確かに忙しかった。でもこうなってみると、何かできたことがあったのではないか、と思ってしまう。
「じいちゃん自慢しとったよ。瑠唯は東京で頑張っとるって」
淡々とした朔の声は、過剰に励ますふうでも、ありもしないことを言う様子でもなかった。それが妙に瑠唯を落ち着かせた。
「知らなかった」
「でも心配しとった。賢い子だけど、泣き虫だからって」
あまりに今の状況に符合しすぎていて、瑠唯は思わず苦笑した。朔が口の端に微笑を浮かべたのを見て、なぜかさらにほっとする。
「あと、民宿継がせるって断言しとったけど」
「昔からときどき、その話してたんだよ。覚えててくれたんだ」
瑠唯はフロントガラス越しに、細い私道をはさんで家の向かいにある民宿を見やった。改装を終えたばかりの建物が、傾きかけた秋の日を浴びている。
「継がんの?」
朔がこちらを向いた。
「まだ就職して二年だからなあ。もう少し何か身についてからの方が、いい気がする」
添乗の現場から離れ、企画部門に配属されたのはつい先日のことだ。土日に規則的に休みが取れる部署で、かつ着任したばかりで担務が少なかったから、忌引きで休みが取れた。
いつか壱岐で宿泊業を営むというのは、瑠唯のなかでは現実的な夢だった。でも、これほど早くにその選択がやってくるとは思っていなかった。戸惑いがあるし、開業できるだけの経験を積んだとはまだ思えない。
「奈津ばあちゃんひとりじゃ、継ぎ切らんかも」
「そうだね。相談しないと」
言葉を濁した瑠唯から、朔が目を逸らした。残念そうな面持ちで、鼻の横をかいた。小さな頃からの癖だ。何か残念なことや、諦めきれないことがあると、頬をかいていた。
車内には沈黙が降りたけれど、気まずさはなかった。むしろ、大勢が集まっていた空間を離れ、ほっとできる静けさがあった。祖父母の家の脇にいるからということもあるが、隣にいるのが朔だからでもある。
幼少の頃に快活だった朔は、年を経るにつれ寡黙になっていった。でも彼は心を閉ざしたのではなくて、むしろ人の言葉を受け止めるために沈黙を用意してくれているのかもしれない。
何年かぶりに会ったと思えないほど、朔とのあいだの静けさは瑠唯に安堵を与えてくれた。心の不穏な蠢動が、少しずつ落ち着いていく。誰かと話をするより、朔と沈黙を分かち合うことで気持ちが静まった。奇妙ではあったが、ともすると厳めしく見える彼の横顔が、その日はひどく優しく映ったのだった。
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