11
「すみません」
逸見の前なので、瑠唯はすぐさま留守番メッセージに切り替えようとした。
「どうぞどうぞ。僕は飲んでるだけなので」
麦焼酎が口に合ったらしく、逸見は上機嫌だった。好意に甘えていいか一瞬逡巡したものの、思い切って礼を言った。
「ありがとうございます。ちょっと失礼します」
今後も何日か、逸見に島内を案内することになる。その間じゅう、電話を取るべきでないという慣行ができてしまうより、適度に本来業務を優先したほうが良いだろう。それに今なら、資料館のスタッフが逸見と一緒にいる。
急ぎ足で資料館から駐車場へ出た。ディスプレイには未登録の番号が表示されていたので、宿泊客か、予約済みの誰かからの電話かもしれない。
何度見ても巨大な焼酎の貯蔵タンクの脇で、電話に出る。金属の巨塔を間近で見上げると、覆いかぶさられるような錯覚に襲われた。
「はい。ゲストハウス青嵐です」
勢いよく名乗ると、戸惑うような沈黙がしばし流れた。初めて電話をかけてきた誰かが、何を言おうかと躊躇う時の間だと思った。
「瑠唯?」
違った。電話口の声には聞き覚えがある。学生時代の友人の、
「紗英――久しぶりだね、元気にしてた?」
言いながら相手の用件に察しがついて、ばつの悪い思いに駆られる。ゆうべ彼女からメッセージが来ていたのに、返信していなかった。
「元気だよ。瑠唯は?」
「私も元気、ありがとう。昨日のメッセージ、返事してなくてごめん」
共通の友人が、十一月に結婚式を挙げることになっていた。日程が連休の最中だったため、瑠唯は職業柄参加できないと欠席の連絡をしている。しかしその前週に、彼女の独身最後のパーティーを開くという知らせを紗英が寄越したのだ。
「全然。こちらこそ、忙しいところごめん」
紗英の口調が明るいことに、少しだけ慰められる。この手の誘いを断るときの罪悪感を、少しだけ薄れさせてくれる。
駐車場に車の入ってくる物音がして、瑠唯は自分の車に身を寄せた。紗英の声を聞き取ろうと、スマートフォンを耳に押し付ける。
「バチェロレッテパーティー、やっぱり来るの難しいかな? 大型連休はまだしも、普通の週末なら大丈夫かなと思って、連絡しちゃった。主役の舞も瑠唯に会いたがってたし」
言葉を選んで、招待の意を伝えてくれる紗英に心が痛んだ。連絡しづらい思いはありつつも、舞と、そして瑠唯のために連絡してくれた。
「ありがとう。でもごめんね、私は――」
背後で車のドアが閉まる音がして、何気なくそちらを見やった瑠唯は、一瞬言葉に詰まった。降りてきたのは朔だった。
ここは彼の職場なのだから、出くわしても不思議なことはない。なのに、気後れする電話の最中に不意打ちで姿を目にして、思わず絶句した。
「もしもし?」
「――やっぱり行けないや。私以外にスタッフもいないし」
続けつつ、朔に背を向けて車の前に回り込んだ。そっか、と紗英が残念そうに呟く。
「宿泊業ならそりゃ、難しいよね。わかってはいたんだけど、みんな会いたがってたからダメもとで連絡しちゃった。ごめんね」
「ううん。お気遣い、ありがとう」
「東京に来る予定はないの?」
「今のところ、ないかな」
人を雇えるような収益が安定して出るまでは、ひとりで切り盛りする状態が続く。そのあいだ、泊まりで壱岐を離れることは考えにくい。
「でも、ご両親は東京にいるんだよね」
「そうだけど、ときどき親のほうがこっちに来るから。ずっと会えないわけじゃないんだ」
事実だった。そのことで瑠唯は、東京に戻らない理由を確保できている。
できることなら、戻りたくないのだ。東京には思い出がありすぎる。どこへ行っても、何かしら思い出してしまう。作ったときには幸せだったのに、今は辛すぎる思い出が。
「瑠唯に会うには、やっぱり私たちが泊まりに行くしかないね」
紗英はそう言ってくれるものの、じっさい来ることが難しいのを瑠唯は知っていた。移動時間を考えれば、東京から普通の週末に往復できる距離ではない。大型連休に来るしかないが、長い休みが取れるなら海外に行きたいという友人ばかりだ。
「いつでも来てね。待ってるから」
「ずっと帰ってこないの?」
念を押すように、紗英は尋ねた。瑠唯が東京に来ない理由を、わかったうえでの問いだった。紗英も他の友人も、誰もがあのことを知っている。でも、誰もわかってはくれない。
「スタッフを雇う余裕が出るまでは、無理かなあ。いつそんな時が来るかは、まだわからないし」
「人が雇えたら、本当に来てくれる?」
もう来ないつもりなのではないか、と紗英は暗に訊いていた。瑠唯はずっと現実から逃げて、島に閉じこもっているつもりではないか、と。
「もちろん、行くよ――それができればね。ひとりで全部切り回すって、意外と大変なんだよ」
意に反して、後半は少し棘のある口調になった。胸にじわりと苦いものがこみ上げる。本当は、こんなことを言いたいわけではない。自営業であることを盾に、東京へ行かないことを正当化するのは卑怯だ。
「そうだよね――ごめん、無理言って」
「ううん、こっちこそ、せっかく誘ってくれたのに」
紗英が引き下がってくれたことに安堵する。後味は良くないが、何とか追及は躱せた。
「壱岐に行くめどが立ったら、連絡するよ」
「ありがとう。行けなくてごめんけど、おめでとうって舞に伝えてね」
電話を切ると、深いため息をついた。昨日、メッセージをとっとと返信しておけばよかった、と思う。当たり障りのない文面を練っているうちに、追撃が来てしまった。紗英からしたら、瑠唯が気を悪くしていないか、気になったのかもしれない。紗英はいつも、瑠唯の内面に寄り添おうとしてくれたから。
でもこの件に関しては、瑠唯のほうが紗英を立ち入らせることを拒んでいる。彼女に対してすら全部は打ち明けていなかった。言ったところで理解してもらえるとは思えなかったからだ。
「瑠唯」
背後から声をかけられ、息が止まりそうになった。振り返ると、朔がいた。
「何」
不意打ちされ、思わずつっけんどんな語調になる。わずかにたじろぎつつも、朔は淡々と口を開いた。
「大丈夫? ――いや、人手足りないって言いよったけん」
「普段は足りてるよ。簡単に島を離れられないって言っても、東京の友達がなかなか分かってくれなくて」
知らず知らずのうちに、言い訳するような、それでいて詰め寄るような口調になった。何もやましいことはないのに。
「ならいいけど。ずっと一人でやるの、大変そうだから」
控えめに心配する様子の語調は、瑠唯にはかえって居心地が悪かった。立ち入ってほしくないことなのは間違いないが、相手の善意を拒むかたちになるのは気が引ける。焦りのにじむ言葉が口を突いた。
「自分で決めたことだから、大丈夫だよ」
間髪入れず答えたのが、けんか腰に聞こえたかもしれない。朔はしかし、動揺した様子はなかった。
「でも瑠唯、ずっと東京やったから、友達はみんな向こうやろ。どうしても行きたかったら、誰か臨時で雇っても良いと思うけど」
「そうだけど」
口ごもった自分に気づき、いよいよ言い訳している気分になる。
「良く知らない人に任せられる気がしなくて」
「知ってる奴だったら、どうなん」
静かに尋ねられて、言葉に詰まる。壱岐で瑠唯が多少なりとも知っていて、青嵐を任せられそうな人と言ったら、奈津と朔しかいない。
二人が信頼できないわけではないが、朔には言えない――東京に戻りたくないなんて。もう、気軽に話せる幼馴染ではなくなったのだから。今目の前にいるのは、自立した大人の男性で、瑠唯が並んで立てる自信のない相手だ。
沈黙がいよいよ気まずくなった時、場違いなほどのどかな声が割って入った。
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