第一章 猫深し

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 壱岐は神のしまだ。


 古くは古事記にもその記述がある。イザナギとイザナミの産んだ洲のひとつが壱岐で、産まれたばかりの洲が生きて海を漂っていたため、壱岐と名がついた。


 周りに八つの柱をもうけ、動かないよう繋ぎとめられたという壱岐には、おびただしい数の神社がある。神社庁に登録されているものだけで百五十社、小さなほこらまで加えればその数は千を超える。


 だから、壱岐に神秘的な力が満ちているとしても、多少は納得できる。だが神が猫に宿って現れるというのは、完全に瑠唯の想定を超えていた。


 おまけにその猫はまんまと祖母の家に住みつき、ぬくぬく暮らし始めた。実害はないが、しょっちゅう喋りかけてくるので、家にいるにもかかわらず心が休まらない。ゲストハウスで仕事をしていても、お構いなしについてくる。今日などは、宿泊客を郷ノ浦港へ迎えに行く車に、知らぬ間に乗り込んでいた。


 郷ノ浦のフェリーターミナルに降り立ったのは、二十代半ばの外国人女性だった。予約名はソフィア・バルニエとなっている。フランス語の苗字のようだが、もしかしたらフランス系なだけでアメリカ人やオーストラリア人かもしれない。柔らかそうな金髪の巻き毛をなびかせ、灰色がかった青い目を陽光に細める姿は、儚げながら美しく絵になっていた。


「こんにちは。ゲストハウス青嵐の藤原です」


 挨拶しながら、彼女の小さなバックパックに目が行く。ゆうべオンラインで入った予約では六泊の予定とあったが、どう見ても一、二泊の荷物に見えた。


「こんにちは。よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。車、あちらに停めてありますので」


 はにかみがちに流暢な日本語で返してくれた彼女を、駐車場へ案内する。現住所欄も福岡市内になっていたので、日本在住歴が長いのだろう。だから旅慣れていて、荷物が少ないのだろうか。


 博多港への乗客がフェリーに乗り込むのを横目に、瑠唯は島内観光の予定について訊いた。


「どこに行くか決めてます?」

「はっきり決めてないんですけど、神社巡りしたいなって」


 曖昧な口調でソフィアは答えた。瑠唯は内心首を傾げる。島内を巡るには車が必須なのだが、こうして送迎を頼んだということは、まだ車を借りていない。島に来る前に予約をしていれば、港でレンタカーを受け取れるはずなのだが。

 瑠唯はひとまず相手の状況を確かめてみることにした。


「良いですね。神社なら、回り切れないほどたくさんありますから。――レンタカーは借りました?」


 念のため訊いてみると、ソフィアは躊躇うような様子を見せた。


「えっと……歩いて回ろうと思ってるんです」


 送迎を頼んだのはそういうわけだったらしい。徒歩で島内観光するというゲストに初めて会ったので、驚きが顔に出たかもしれない。六泊もするのだから、ゆっくり歩いて回る時間はあるだろうけれど、この島は存外広い。徒歩で観光するのは簡単ではない。


 本人がそうしたいのなら止めるいわれはないが、念のため瑠唯は言った。


「わかりました。もし途中でレンタカー借りたくなったら教えてください。お店紹介しますし、車でお送りしますから」

「ありがとうございます。でも、たぶん大丈夫」


 恐縮したようすで彼女は言った。うなずきながら瑠唯が後部座席のドアを開けると、ソフィアが途端に呆気にとられた。


「あ――」


 シートの足元に釘付けになる彼女の視線を追うと、憎々しいほど悠然と寝そべる猫の姿があった。思わず殴ってやろうかと考えたが、ゲストの前で動物虐待は、経営者としても人としても問題があった。慌てて弁明する。


「すみません! 知らない間に乗り込んでたみたいで」

「いえ」


 驚く彼女に頭をさげつつ、白い体を掴んで助手席へ移動させた。にゃーにゃーと抗議の声が上がるが、構っていられない。シートに目をやり、体毛がついていないことを確認して安堵する。最近では車もゲストハウスも、猫の毛が落ちていないか、目を光らせる癖がついていた。


「か、かわいいですね」


 取ってつけたようなお世辞を言ってくれたソフィアに、貼りついたような笑みを返した。


「ありがとうございます。猫アレルギー、お持ちじゃないですか? 大丈夫ですか?」

「いえ、全然」

「良かった。ささ、どうぞ」


 彼女が後部座席に乗り込んでから、瑠唯も運転席に着いた。気を取り直して、観光地や目ぼしい神社を口頭で紹介する。その間にも、眠そうにまばたきする猫をちらちらと見やった。青嵐についたらただじゃおかない、と思いながら。

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