第十七話

「揚羽ちゃん、退院おめでとう!」


 朝の登校時、退院した揚羽に駆け寄る香菜。


「ありがとう、香菜ちゃん。」


 揚羽は微笑みながら礼を言う。


「真也くん、おはよう。」


 揚羽は香菜と一緒にいた真也にも声をかける。


「おう、おはよう、退院できて良かったな。」


 真也は揚羽に向かって軽く微笑む。


「行こう、揚羽ちゃん。」


 揚羽と香菜は仲良く手を繋いで学校へと向かう。


「おはよう、真也くん。」


 麗華が真也に駆け寄り、笑顔で挨拶をする。


「おう、おはよう。」


 真也はやや上機嫌な声で挨拶を返す。



 その後、学校に到着しそれぞれのクラスに向かった4人、真也と麗華のクラスはHRを終え、1時限目の授業を始めていた、眼鏡をかけた50代程の男性教師が教壇に立っている。


「それじゃあ早速だが、この前の抜き打ちテストの答案を返していくとしよう。」


 教師は鞄から答案の束を取り出す。


「しかし残念ながら、普段から真面目に勉強している生徒は……少ないようだな。」


 ため息交じりにジトっとした目で教室を見回す教師、それに対し大半の生徒達はそれぞれ笑ったり目を逸らしたり口笛を吹いたりして誤魔化そうとしている。


「はあ……だがそんな中、高得点を取った生徒もいるぞ、まあトップ3はいつもの面子だがな。」


 そう言うと教師は1枚の答案を手に取る。


「第3位、天宮寺麗華、92点!」


 名前を呼ばれ、席を立って教壇に向かう麗華、周りの生徒が拍手をする。


「良くやったな!」


「ありがとうございます。」


 賞賛の言葉と共に笑顔で答案を渡す教師、麗華はお礼を言いながら頭を下げて答案を受け取ると、嬉しそうな小走りで席に戻る。


「第2位は……高原瑞樹たかはらみずき! 98点!」


 教師の発表に対し、一人の生徒がビクッと反応する、眼鏡をかけた長髪の真面目そうな女の子だ、しかし、その女の子の表情はまるで何かを恐れているように強張っていた。


「おーい、瑞樹?」


 隣の席の男子生徒が訝し気に声を掛け、瑞樹はハッと我に返る。


「どうした? 来なさい。」


「あ……はい。」


 教師に呼ばれ、慌てて立ち上がり、教壇に向かう瑞樹。


「今回も頑張ったな。」


 賞賛の言葉と共に笑顔で瑞樹の頭を撫でる教師。


「……ありがとう……ございます。」


 褒められた瑞樹は少しだけ安心したような顔になり、自分の席に戻ろうと歩き出す、そんな瑞樹を教師は気にかけているような顔で見ていたが、気持ちを切り替えるように咳払いをし、次の答案を手に取る。


「第1位、祭堂真也! 100点満点!」


 名前を呼ばれ席を立つ真也、真也と瑞樹がすれ違ったその時、瑞樹は僅かに真也を睨んでいた、しかし真也は気付いていない様子だ。


「今回もトップ! 流石だな。」


「どうも。」


 先程の2人と同じように笑顔で賞賛する教師、しかし真也は眉一つ動かさずに受け取る。


「相変わらずストイックな奴だな、もっと喜んでも良いんだぞ。」


 笑いながら言う教師だが、真也は無表情のまま席へ戻る。


「高得点を取ったのは先程の三人だけじゃないぞ、みんなも見習うように。」



 その日の下校時刻、生徒たちはいっせいに帰宅、校門から大勢の生徒達が出てくる、その中には瑞樹の姿もあった。


「……!」


 瑞樹は下校の途中、多くの荷物をえっちらおっちらと運ぶ老婆を見かけた、瑞樹はしばらく悩んだ様子だが、意を決したように老婆に駆け寄る。


「お婆さん、手伝いましょうか?」


「あら……悪いわねお嬢ちゃん。」


 老婆から買い物袋3つを受け取る瑞樹だが、その袋はかなり重いようだった。


「大丈夫……? 無理しないで良いのよ。」


「大丈夫……です。」


 なんとか持ち上げる瑞樹だが、瑞樹の力では持つので精一杯のようだった。


「私も手伝うよ。」


「麗華ちゃん。」


 麗華が瑞樹の後ろから声をかけて来た、麗華は瑞樹から買い物袋を2つ受け取る、しかし、2つでもかなり重いようだ。


「んっ……!」


 麗華が重そうに袋を運んでいると、横から手が伸びて買い物袋を1つ取られる。


「真也くん。」


「手伝うよ。」


「……!」


 買い物袋を取ったのは真也だった、麗華は嬉しそうな顔になり、瑞樹は真也の意外な行動に驚いている様子だった、真也はもう一つ大きめの袋を老婆から受け取る。


「あら、ありがとう坊や。」


 その後、4人は老婆の家に到着、玄関に荷物を置いていた。


「ありがとうみんな、ここまで運んでくれて。」


「……いえ……。」


「困ったときはお互い様です。」


 お礼を言う老婆に対し、やや気恥ずかしそうな返事をする瑞樹と、礼儀正しいお辞儀をする麗華、対して真也は軽いお辞儀だけ返して買い物袋を置く。


「よかったら、お礼にお菓子でもどうかしら?」


 笑顔で提案する老婆。


「……ごめんなさい、これ以上遅くなるとお母さんに叱られるから……」


 瑞樹は俯きながら小さな声で断る。


「私も、そろそろ帰らないといけませんので……」


 麗華も申し訳ないという表情で頭を下げる。


「あらそうなの、坊やは?」


「……俺一人残ってもしょうがねえしな、パス。」


 変わらず素っ気ない態度のまま断る真也。


「……そう、残念だわ。」


 老婆はシュンとした表情になる。


「じゃあ、帰ろうか。」


「……うん……」


「おう。」


「みんな、今日は本当にありがとうね。」


 麗華の言葉に頷く真也と瑞樹、それぞれの帰路に着く三人を老婆はお礼を言いながら見送る。


「……じゃあ私、こっちだから……」


「うん、また明日ね瑞樹ちゃん。」


 途中で別れる瑞樹、麗華は微笑みを浮かべながら、真也は無表情のまま手を振って見送る。


「……」


 自分の家に向かって歩く瑞樹、しかし、その表情は家に近付く事に暗くなっていった、やがて瑞樹は自分の家に到着、恐る恐るドアノブに手をかけ、扉を開く。


「……た……ただいま……」


 ただいまを言う瑞樹だが、その声はまるで怯えているような震え声だった。


「瑞樹。」


 瑞樹の前に母親と思わしき30代の女性が歩いてくる、しかしその女性は腕を組み、険しい表情をしていた。


「来なさい。」


 言われた通り、母に着いて行く瑞樹、二人は居間のテーブルに向かい合って座る。


「今日、テストの答案返されたんでしょ、見せなさい。」


 答案を見せるよう促す母、しかしその声色はまるで命令するように圧を含んでいた、瑞樹は僅かに震えながら答案を取り出し、母に見せる。


「……また100点取れなかったの?」


 答案を見た母親は眉間にしわを寄せ、瑞樹を睨む、瑞樹はビクッと震える。


「きちんと勉強しているのなら100点取れる筈でしょう? なんで取れないの?」


 母親の言葉の圧が強まる。


「それに言ったわよね? 学校が終わったら真っすぐ帰ってくるようにって。」


「……それは……!」


「言い訳するんじゃないわよ!!」


 老婆の手助けをしていた事を説明しようとする瑞樹だが、母親は大きな音を立ててテーブルを叩き、大声を出す、瑞樹は再びビクッと怯み、今にも泣きそうな表情になる。


「そんなんだからパン屋の息子なんかに負けるのよ。」


 パン屋の息子とは恐らく真也の事だろう、どうやら瑞樹の母は真也の事をあまり良く思っていないようだ。


「あの時みたいな思いを、またお母さんにさせたいの?」


 母親はかつて学校で起こった出来事を持ち出す、それは、過去に真也のクラスで実施された授業参観での出来事であった。



「いやー、お宅の息子さん大活躍でしたなぁ。」


「運動神経抜群、さらに頭脳も明晰とは……」


 授業参観に来ていた真也の父は他の保護者達に囲まれていた、その日真也は体育の授業のサッカーで小学生離れした運動神経を見せ大活躍、さらに算数の授業でも難易度の高い問題を簡単に解き、保護者達の度肝を抜いたのだ。


「あれ程の男の子を育てるなんて、失礼ですがお父様、職業は……」


「い……いやぁ……私は全く平凡なしがないパン屋でして……鳶が鷹を生んだとはこの事でしょうなハハハ……」


 注目されてる父は引きつった愛想笑いを浮かべていた、大勢の人間に注目される事に慣れていないようだ。


「またご謙遜を、聞けば真也くんはテストもオール満点だそうではないですか、どのようにすればあのような子供を育てられるのですか?」


「いえ、ですから……」


「カンニングですわ。」


 保護者達が談笑している中に突然響く声、その場にいた全員が声の方向に目を向けると、そこにいたのは瑞樹の母親だった。


「皆さん、騙されてはいけませんよ、あの子はテストの度にカンニングをしているのです。」


 瑞樹の母は得意気な表情で話を続ける、真也の父の表情が若干険しくなった。


「そうでなければ、医者の子供である私の娘がパン屋の息子なんかに負ける筈がありませんもの、ましてやあんな頭の悪そうな子供がそんな成績をとるなんてありえない事です。」


「息子を侮辱するのか!?」


「あんた、いくらなんでも失礼……!」


 真也を侮辱され怒る父とその場にいた中の男性一人が瑞樹の母を非難しようと口を開いたその時、突然子供が一人割り込んで来た。


「真也……?」


 割り込んで来たのは真也本人であった、真也は右手に持っていたテストの答案を保護者の一人の男性に見せる。


「おじさん、このテストの中から問題を出してくれよ。」


「え……?」


「カンニングじゃないって事を照明すりゃいいんだろ?」


 瑞樹の母の顔を見て言う真也、その顔は無表情だったが、どこか余裕が含まれていた。


 その後、真也は答案の中からランダムに問題を出されたが、ものの見事に全て正解、保護者達は呆気に取られていた。


「……で?」


 真也は瑞樹の母の方に向き直り、近付く。


「何か言う事はあるか……?」


 腰に手を当て、僅かに目を細めた表情で瑞樹の母を睨む真也、そんな真也に対し怒りを覚えたのか、瑞樹の母の顔が赤く染まる。


「……見ましたか皆さん! この生意気な態度! 教育がなってない証拠ですわ! 今の問題だって、きっとグルになって……」


 ヒステリックに叫ぶ瑞樹の母、その肩を一人の男性が叩く。


「その辺にしときな……見てみろよ、周りのみんなを。」


 瑞樹の母が周りを見回すと、そこにいた生徒も保護者も憐れみと非難の入り混じった表情で瑞樹の母を見ていた。



「生まれて初めてよ……あんな恥をかかされたのは……」


 授業参観で受けた屈辱を思い出し、怒りに震える瑞樹の母、対して瑞樹はその時クラスメイトがヒソヒソと話していた事を思い出す。


『あれって瑞樹の母ちゃんだろ……』


『うーわヤバ……』


『モンペって言うんでしょああいうの……』


 その時、瑞樹のクラスメイトも瑞樹の母の言動に嫌悪感を覚えており、瑞樹もそんなクラスメイトの話を聞いて恥ずかしくなっていたのだ。


「来なさい。」


 瑞樹の母は瑞樹の手を取り立ち上がると、一つの部屋に向かう。


「良い? トイレとお風呂以外はここから出ちゃ駄目よ。」


 その部屋は机と小さな本棚があるだけの部屋だった、その本棚も多数の教科書や参考書があれど漫画や絵本などは見当たらなかった、母が部屋を出たあと、瑞樹は机に向かい椅子に座る。


「ウ……ウ……ヒック……ヒック……」


 瑞樹はそのまま机に突っ伏して泣き出した、そんな瑞樹の背後に突然どす黒い影が現れる。


『……ケッケッケッケ……』


 瑞樹の背後に現れた影は、気味の悪い小さな笑い声を上げていた。

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