第十五話

(ここは……どこ?)


 自分の部屋のベッドで寝ていた筈の香奈はいつの間にか見知らぬ場所にいた、モヤモヤとした黒い空間だ、香菜は行く先もわからずその空間を歩き続ける、まるで見えない床があるように。


「……あ!」


 しばらくその空間を歩いていると、遠くに一つの扉を見つけた、香奈は扉を目指して歩みを早め、やがて扉の前までたどり着く。


「……」


 香奈はやや不安な表情をしながら恐る恐るドアノブを掴み、回す。


 香菜が扉を開くと、そこは真っ白い広大なドーム状の建物の中だった、白い床と壁と天井、照明の少ない暗い空間だが、1点だけ複数の照明に照らされている場所があった、香奈はその場所に近付く。


「人形……?」


 その照明に照らされていたのは香奈と同じくらいの女の子のマネキン人形だった、人形は9体、様々な可愛らしい衣装、可愛らしい笑顔とポーズで展示されている、香奈はその中の一体に近付き、触れようとする。


『……ケテ……』


「……!?」


 その時、人形から微かな声が聞こえた、香奈は驚き、後ずさる。


『タス……ケテ……』


 香奈が驚いていると、笑顔の筈の人形からは助けを求める悲痛な声が微かに聞こえており、良く見ると人形はピクピクと微かに震えているようにも見える。


『ダシ……テ……』


『モトヘ……モド……シテ……』


『オウチへ……カエ……シテ……』


 よく周りを見ていると、他の人形たち同じように微かだが悲痛な声を上げ、ピクピクと小さく震えていた。


「何……これ……何なの……」


 香奈の表情に恐怖の色が現れる、その時、何者かが香奈の背後にそーっと近付いて来た。


「よ・う・こ・そ♪」


「!?」


 突然香奈の耳元で誰かが囁いた、驚き飛び退いた香奈の目の前にいたのは、白衣を着た真っ白い髪の生えてない顔、そしてまるで穴が空いているように目全体が真っ黒に染まった不気味な男だった。


「僕の世界へ♪」


 不気味な笑顔を浮かべる白い男。


「あなた……誰……?」


「僕はこの世界の主。」


 怖がっている様子の香奈の問いに対し、男はこの世界の主を名乗る。


「あの人形は……何なの……?」


 先ほどの人形を指さす香奈、それに対し男はニヤーっと笑みを強める。


「あれは僕のコレクション♪」


 男の答えに対し、香奈はその表情に宿る恐怖がより一層強くなった。


「コレク……ション……?」


「そう、あの子達はここでずーっと歳も取らず、人形として僕に愛され続けるんだ。」


 香奈は完全に怯え切った表情になる。


「そして……君も今日から加わるんだよ♪」


 それを聞いた香奈は走って逃げ出す、入って来た扉に向かって必死で走る。


「……!?」


 しかし、目の前まで来たその瞬間、そのドアは消えた。


「そんな……どうして……!?」


 香菜は何もない壁を叩く、しかし、その壁に変化は無い。


「ここは僕の空間、つまり全ては僕の思うがままなのさ。」


 そう言ってにこやかに笑う男はいつの間にか香菜の後ろに迫っていた、香奈は恐怖に怯え、震えながら座り込む。


「いや……やめて……」


 男はしゃがみ、不思議そうな表情で香奈の顔を覗き込む。


「どうして嫌なの? ずっと可愛いまま生きていられるんだよ? 歳も取らないんだよ?」


「イヤ……人形になるなんて……イヤ……」


 今にも泣き出しそうな表情で必死に首を横に振る香奈、そんな香奈に対し、男はやや不機嫌そうな表情になって立ち上がる。


「しょうがないなぁ……」


 男は指をパチンと鳴らす、すると、香菜の周囲に迷路のような壁が現れ、男の姿も見えなくなった。


「なに……何なの……」


 香菜は周りの変化に戸惑い、辺りを見回す、そして、先程の男の声が迷路に響いた。


『今からこの迷路で鬼ごっこをしよう、僕に捕まらず、出口までたどり着ければ君の勝ちだ、さあ、スタート♪』


 男の言葉と同時に香奈は走り出す、出口を求めて必死で迷路を走る、そして、香奈が二手に分かれた道に差し掛かったその時だった。


『右よ。』


「え?」


 突然男の声とは明らかに違う女性の声が香奈の脳内に響く、香奈は戸惑ったが、声を信じて右へ進む。


「ハァ……ハァ……」


『左よ』


 声に従って左へ走る香奈、迷路から出る為必死で走り続ける。


(助けて……誰か!)



 一方その頃、真也は自分の部屋のベッドで寝静まっていた。


「……ん?」


 しかし、寝ていた筈の真也が目を開けると、そこにはモヤモヤとした青い空間が広がっていた。


(ここは……どこだ……)


 真也は周りの様子を不思議に感じているようだった。


(俺は確か……自分の部屋で寝てた筈……夢……か……?)


 辺りを見回す真也、その時、真也は何かに気付いたように目の前を見る。


「なんだ……?」


 突然真也の目の前に青い光が現れ、その光は人型に変わって行く、その人型は髪の長い少女のようだった。


(……!? この感じは……)


 真也にはその人影から発せられる存在感に覚えがあった、病院で見かけた青い着物の少女だ。


「俺をここに呼んだのは、お前なのか?」


 真也の問いに、少女は何も答えない、しかし、その様子は真也に何かを伝えているようだった。


「……それは本当か!?」


 真也の顔が驚愕と焦りに染まる、さらに少女は真也を案内するように空間を移動し、真也も少女について行く、そして少女は真也の周りを飛び回る、まるで真也に何かを説明しているかのような様子だった。


「……成程な……」


 真也がそう呟いた瞬間、真也の身体が光に包まれた。



 その頃、香奈は男から逃れる為、未だに迷路の中を走り回っていた。


「ハァ……ハァ……」


『左。』


『そのまま真っすぐ。』


 相も変わらず脳内に響く女性の声、香奈は声に従い、必死で迷路を走り続ける。


「……!」


 走っていると、後ろから足音が聞こえる、振り向くと、遠くに男の姿が見えた、香奈は足を速め必死で走る。


「……あっ!」


 突き当りの道を右に見ると、その先に出口を見つけた、香奈の表情に笑顔が戻り、必死で走る、しかし、男の足音も段々近づいて来ていた。


「ハァ……! ハァ……!」


 男の足音が近づく中、香奈は必死で走り続ける。


「……!」


 男の足音がすぐそこまで迫って来た時、香奈は出口のドアを開き、潜った。


「ハァ……ハァ……」


 膝に手をつき息を切らす香奈、安心した様子で顔を上げる。


「え……?」


 しかし、そこは元の白いドームの中だった。


「おめでとう、君の勝ちだ。」


 いつの間にか香奈の背後に来ていた男、振り向く香奈の表情は再び恐怖に染まっていた。


「勝った君は……僕の取って置きの衣装で飾ってあげるよ! 僕のお嫁さんとして!」


 そう言う男は、どこからか花嫁衣裳のようなドレスを取り出し、不気味な満面の笑顔を浮かべる。


「嫌よ、そんなの……話が違うじゃない!」


「僕……君が勝ったら出してあげるなんて一言でも言ったっけ?」


 しれっと答える男に対し、香奈は逃げようと走り出す、しかし、その直後男に腕を掴まれる。


「放して……!! 放して……!!」


 離れようともがく香奈、男は香奈を地面に投げる。


「キャッ……!」


 うつ伏せに転ぶ香奈、男はその上に覆いかぶさる。


「なんで誰も解ってくれないのかなぁ……僕の言ってる事を……」


 男は不機嫌そうな表情で話す。


「君達は今のままが一番良いのに……大人になるなんて駄目な事なのに……」


 男は左手で香奈の両手を押さえ、自身の右手に目を向ける、その右手には気味の悪い粘液のような物体が纏わりついていた。


「だけど大丈夫……君も……あの子達も……いずれわかってくれるよ……」


 男は粘液の纏わりついた右手で香奈の顔に触れようとする。


「嫌……イヤ……助けて……」


 香奈は恐怖が極限に達した表情で目を瞑り、顔を逸らして助けを願う。


(助けて……お兄ちゃん……!)


 香奈が真也の姿を思い浮かべたその時、ドームにドガンと巨大な何かがぶつかる様な音が響いた、その轟音に香奈と男は驚き、男は辺りを見回す。


「何……何だ……!」


 男が戸惑っていると、再び轟音が響いた、二人が音のした方に目を向けると、ドームの天井に大きな罅が入っていた、さらに轟音が響き、罅も広がる。


「そんな……ありえない……」


 今まで決して起こりえなかった現象に対し、男の表情が恐怖に染まる、そして、轟音と共に罅は大きく広がっていく。


「僕の空間に……干渉するなんて……そんな事……できる筈が……!」


 やがて、巨大な腕が天井を貫いた、崩れた天井の一部が轟音を立てて床に落下する、そしてその腕は天井の1部を剥がし、力ずくで穴を広げていく。


「……!!」


 男の表情が驚愕に染まる、崩れた天井の穴から、巨大な影がこちらを睨みつけて来たのだ、その影は更に穴を広げると、その穴から飛び降りた、途轍もない地響きを立て、獣のような趾行性の巨大な足が着地する。


「……」


「……」


 二人は驚愕に満ちた表情で影を見上げる、暗い空間なのでよくわからないが、巨大な翼を伴う全体的なシルエットは西洋の竜のそれであった、竜は二人に目を向けると、巨大な右手を伸ばす。


「な……何を……放せ!!」


 竜は右手で男をつまみ上げると、まるでゴミを捨てるように放り投げた。


「ゲブェ!!」


 投げられた男は潰されたような悲鳴と共にバウンド、そして仰向けの状態で動かなくなる、気絶したようだ。


「……」


 香奈が唖然とした表情で気絶した男を見つめていると、竜は左手を香奈に向かって伸ばす。


「え……ちょ……!」


 戸惑う香奈、しかし竜は男をつまんだ時とは違い、優しく香奈を掬い上げる。


「はわわわ……!」


 香奈は落とされまいと巨大な左手の中指にしがみ付く、そして、竜は穴に向けて飛び立とうと翼を翻す。


「……! 待って!」


 その時、香奈は突然飛び立とうとする竜を呼び止めた、竜は香奈に目を向ける。


「あそこに……!」


 香奈が遠くを指さし、竜もその方向に目を向ける、その先にあるのは、展示されている女の子の人形達だった、竜は地響きを立てて人形に近付くと、人形を1体手に取り、その人形を見つめる。


『……ケテ……タス……ケテ……』


 微かな声で助けを求める女の子の声、竜もその声を聞いている様子だった。


「……」


 声を聞いた竜は、突然人形を先程自分が入って来た巨大な穴に向かって投げる。


「ええっ!?」


 竜の行動に驚く香奈、竜は他の人形も次々と穴に向かって投げていく。


「ちょ……ちょっと! もう少し優しく……!」


 雑な扱いに対して焦る香奈だが、竜は構わず投げ続ける、やがて9体全ての人形を投げ終えると、竜は辺りを見回す、そして気絶している男に近付き、右手で鷲掴みにする。


『……起きろ……』


 竜がそう呟くと、竜の右手に電流が走る。


「アギャギャギャギャギャギャ!!!!」


 男は電流の痺れで目を覚ました、電流の凄まじい勢いに、香奈も思わず目を背ける。


「な……なんだ……一体何が……!」


『お前に聞きたい事がある……』


 無理やり目を覚まされた男は混乱している様子だった、しかし、竜はそんな事に構わず男に問いかける。


「何なんだ……お前は一体……」


『答えろ……でないと……』


 竜がそう言うと、再び右手に猛烈な電気が走る。


「ビギャギャギャ……!!! わ……わかった……!! 答える……!! 答えるから……!!」


 右手の電流がおさまった。


『お前が捕らえた人間は……ここにいた奴で全部か……?』 


 竜の問いに対し、男は必死で首を縦に振る。


『お前のその力……どうやって手に入れた?』


「……わ……わからない……」


 次の問いに答える男、しかし、竜はその答えを信じられないのか、再び電流が走った。


「ギャーーー!! ほ……本当なんだ! 知らないんだよーー!!」


 男は電流に痺れながら必死で叫ぶ、再び電流が収まった。


「死刑になって……死んだ筈だったんだけど……気が付いたらこの世界にいて……どこからか声が聞こえたんだ、この力と、この世界を与えるって……だから、この力がどこから来たのか……僕も知らないんだ……」


 男は恐怖に塗れた、まるで許しを請うような表情で必死に話し続ける。


「頼む……信じてくれ……」


 変わらず睨みつける竜だが、男の言葉を信じたのか右手を放した。


「ギャッ!!」


 高所で解放された男はうつ伏せに落下、竜は巨大な両翼を広げて飛び立ち、自身が空けた穴からドームの外に出た。


「……ハァァ……」


 許されたと思ったのか、男は安堵の溜息をつく。


「……!?」


 しかし、突如男は強い視線を感じ、穴の向こうに目を向ける、すると、穴の向こうでは先程の竜が再びこちらを睨みつけていた。


「な……何で……」


 男はその顔を再び恐怖に染めて後ずさる、そして、竜が息を大きく吸い込むと、その口内に膨大な炎が溜まり始めた。


「……!!」


 その光景を恐怖の表情で見ていた男はある事に気付いた。


(あ……ああ……!!!)


 そう、竜は話せば見逃す等一言も言ってはいないのだ、その事に気付いた男は、先程香奈が出て来た扉から迷路に逃げ込もうとする。


『消えろ……』


 その言葉と同時に、竜の口からドーム全体を焼き尽くさんばかりの膨大な炎が放たれた。


「ヒ……ヒィィィ!!」


 男は迷路に逃げ込む、しかし、ドーム全体を覆い尽くした炎も迷路に流れ込む。


「ハァ……ハァ……!!」


 男は必死で炎から逃れる為迷路を走るが、その先は行き止まりであった。


「そ……そんな……助けて……!!」


 男は必死で壁を叩いたり擦ったりするが、壁には何の変化も無い、やがて男は炎がすぐそこまで迫っている事に気が付く、男にとってその炎は、まるで巨大な龍が自分を飲み込もうとしているかのように見えた。


「来るな……来るな……!!」


 男は恐怖に顔を歪め、手足を振り回し無様に涙を流す、しかしそれで止まるわけもなく、炎は男を飲み込んだ。


「ギャアアアアアーーーー!!!!」


 炎の熱に男は悲鳴を上げる。


(熱い……!! 熱い熱い熱い熱いいい!!)


 男は炎の中でもがく、炎は男を焼き続ける。


(熱い……熱……あつい……いたい……あれ? ここは……どこ……ぼクハ……ダレ……?)


 龍の炎は男の魂を焼いていく、男は感覚を失い、記憶を焼かれ、最早自分の事さえわからなくなっていく。


(……? ……? ……)


 感情も心も魂も、炎に焼かれ失った男は、そのまま消滅していった。



 やがて、この世界の主が消滅した事を確認したのか、竜は炎を吐くのを止めた、しかし、既に吐かれた炎は収まらず夢の世界を焼き続ける。


「……」


 その凄まじい光景に思わず息を呑む香菜、恐る恐る竜に目を向ける。


「……!」


 先程は暗くてよく見えなかった竜の姿が、今は炎に照らされよく見える、白銀の体に黄金の角と鬣を携えた美麗な竜だ、香菜を見つめているその目は爬虫類のような細長い瞳孔の赤い瞳だが、優しさを感じるその目に香菜は確かな覚えがあった。


「お兄……ちゃん……?」


 香菜は思い出した、上級生の女子グループに虐められてた自分を助ける為女子に暴力を振るい、親と教師から頭ごなしに叱られた時も、母親と喧嘩して川原でいじけている自分の側に来た時も、真也は一言も話さず自分の頭を撫でてくれた、その時の真也と目の前の竜は同じ目をしていたのだ。


「……あっ」


 香菜と竜は人形にされていた女の子達が淡く光っている事に気付いた、やがて人形達は淡い光となり、何処かへと飛び去って行く、それと同時に辺りに眩い光が差し込み、2人は目を背ける。


「……!」


 そんな中、竜だけは眩い光の中で手を振る髪の長い少女に気付いていた。



 香菜は目を覚ました、見回すとそこは確かに自室のベッドだった、次に香菜は夢じゃない事を確かめたいのか、右の頬を自分で抓る。


「……」


 痛みで頬を擦り、夢じゃない事を確認した香菜はベッドから降り、ドアを開けて何処かへ歩く。



 翌朝、寝ている真也を起こそうと母が真也の部屋に入り、ベッドを覗き込む。


「あらあら♪」


 微笑む母の眼の前には、仲良さそうに寄り添って眠る兄妹の姿があった。


「起きなさい二人共、遅刻するわよ。」

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