手のつながり
1年間のリハビリを経て私はようやく社会復帰を果たした。
後遺症と言ってよい怠さとしんどさは私から気力を奪っていったのだけれど、持ち前の明るさと陽介の励ましと手助けのおかげもあると思う。
快方祝いに2人で旅行を計画して旅に出た。もちろん、くーちゃんも一緒に連れて行き、久しぶりに水族館のジュゴンにも会いに行った。ゆったりと泳ぐ姿はあの時と変わりなく、私たちを覚えていてくれたのだろうか、手を繋いで水槽の前に立つ私達の元に近寄ってきてつぶらな瞳でこちらを見つめて、まるでよく来たねと言ってくれているようだった。
水族館でギリギリまて過ごした私たちは夕焼けに染まる紅色美しい空を見上げたりしながら、ホテルまでの道をゆっくりと歩いていた。見晴らしの良いあたりに差し掛かると陽介が足を止めた。
「なに?どうしたの」
何時になく真剣な顔をした陽介を見て私は何事かと訝しむ、今日の旅行でそれほど問題になるようなこともしていないはずだ。
「いや、言ってなかったなと思って、ここなら丁度いいかな」
「なにを?」
夕日が海上を照らして輝きを増すと、そらの夕焼けも色濃くなり、まるで絵画のワンシーンのような素敵な調和を漂わせ、思わずスマホを向けるとシャッターを切った。
「あ、すごい綺麗!」
「本当だ・・・」
隣に立った陽介の手を取り繋ぎながらその景色を眺めていると不意に唇を奪われてから陽介が恥ずかしそうに言う。
「結婚してください」
「うん。いいよ」
そっけなくそう言った私は可愛げのない女だ。
幸せの坩堝でぐちゃぐちゃになりながらも可愛らしく「はい…」と言っていたらと今は悔いているけれど、同居していた時間が長すぎて、なにより自分の実家で同居であったから、感覚が麻痺していたのだと思う。陽介はその答えに笑いながら、それでも一言、「嫁さんはやっぱり絹子しかないな」と嬉しいことを言ってくれた。
ゆっくりと夕焼けの素晴らしい景色を眺めて、夜の帳が下りる頃に私達はホテルへと帰り着いた。リハビリを頑張った私への労いのフルコースの料理を舌鼓を打ちながら堪能した。温泉に使って部屋に戻ると、2年近く我慢してくれた陽介を受け入れて、あまり良い表現てはないけど、2年の月日を取り戻すかのように互いを愛し合ってぐちゃぐちゃになりながら私達はようやく普通の夫婦としての第一歩を歩み出したのだった。
あれから2年が過ぎたある夏の日。
私達は総合病院の産婦人科から帰宅する最中だった。互いに子供を望んでいたのだけど、私達は互いにその機能が正常ではないことを検査によって知らされた。現実はなんと無慈悲なんだろうと、医師から告げられる言葉を頭が真っ白な状態で聞いていた。
「お2人ともの卵子、精子ともの状況を考えますと、受精の確率はかなり低いと言わざるを得ません…」
無慈悲とも言えるその一言は、私たち夫婦をどん底へと突き落とすには充分すぎた。それは神様から、貴方達2人の遺伝子は残す必要がないと断言をされたようにも思えてしまう。帰りの車内は無言となり、私達は魂が抜けた抜け殻となってその日を過ごした。
翌日、夫婦で話し合った結果は妊活の放棄だ。医師からは限りなく難しい数値だが、可能性はあると色々な手法を勧められた、けれど自費診療の金額に悩んだためだ、欲しいのは間違いない、けれど、できた後、も大切なのだ。数多くのことを天秤に掛けて、時折、喧嘩腰になりながらも、思いをぶつけ、結論が導き出された。でも、やはり気持ちの整理はつきはしない。不意に思い出しては落ち込み、生理が来るたびに自分自身を呪った。陽介に抱かれた時などは涙が流れて来て、私を優しく抱きしめてくれながら陽介の目からも涙が溢れていた。
正直に白状するなら、幼子を抱く夫婦や母親を見かけたるたびに、羨望と少なからずの呪いを抱いていた。
数ヶ月して季節が変わる頃、私達は陽介の両親に呼ばれて、久しぶりに陽介の実家を訪れた。戸建ての住宅が並ぶ通りを歩いていくと、薔薇の花に囲まれた素敵な平屋建ての家が見えてくる。某日曜家庭アニメの家と似た趣があって、小学から中学まで彼の仲の良かった友人や私は「サザエハウス」と揶揄って呼んでいた。
引き戸を開けると早々に陽介は義父に連れて行かれ、私は義母に誘われて庭の管理の手伝いをすることとなった。出来始めた薔薇の蕾を選んで摘花していく作業を義母に教わりながら進めていく。
「絹ちゃん、少しだけ教えて欲しいの」
花鋏をカラフルな軍手をして持ちながら、素敵なツナギ姿の義母が開いた手を腰に当ててこちらに話しかけてきた。その仕草に思わず見惚れてしまう。スタイル抜群で気品のある義母はどんな仕草も優美に見せてしまう。たまに私の母と義母、私で出かけたりすると、母はそのままだけれど、義母と私は姉妹に見られるほどだ。
「なんでも聞いてください」
「なら、遠慮なく言うわ、絹ちゃん、子供は諦めてしまった?」
義母は意地悪く聞いているのではない、常に大切なことは直球で聞いてくるのだ。良い癖であり、悪い癖だと義父と陽介がよく言っていた。
「諦めきれませんが…でも、できないものは…」
「諦めてはいないのね?」
被せるように言った義母が微笑んだ。
「絹ちゃんは、子供に血のつながりを求めるのかしら?」
「血のつながり?」
「そうよ。絹ちゃんの両親と同じように、私達と陽介と同じように、血のつながりが家族と考える?」
「考えたこともありませんでした…。でも、血のつながりがあるからは家族というのも否定はしませんけど…。でも、なくても家族は作れると思います」
同級生には再婚して家族になった友人もいる。旦那さんが連れ子を甘やかして困ると友人がぼやいていたのを思い出した。
「もしよ、貴方達が互いに考えるのなら、子育てをしたいと人の人生の大切な時間の責任を背負える覚悟があるのなら、里親を考えてみたらどうかしら?」
「里親・・・」
「そうよ、施設などで暮らしている子供を育てるの、養子縁組を前提にすることもできる。でも、生半可な覚悟がなければ出来ないことよ。それでも、子育てをしたいと言うのなら、私たちも絹ちゃんの両親も最大限手伝うわ。ゆっくり考えてみてね」
そう言って義母は私をそっと抱きしめてくる。
「たくさん苦しんだことは陽介からいろいろ話を聞いたから知っているわ。1つだけ言えることがあるの。それはね、絹ちゃんのせいじゃないということよ。人はそれぞれ千差万別だからいいところも悪いところもあるからね。それに絹ちゃんが最高の女性であることは間違いないのよ。だって、あの子が一筋に思い続けた大切な女の子なんだもの。だから、いろいろな選択肢を選んで悔いのないように過ごすのが一番なのよ」
優しく背中を撫でられて優しい匂いに包まれる。苦しみから諦めに至り投げやりとまではいなかくとも、固めて封じていた気持ちがどろりと溶けた。
「陽介と・・・話してみます」
「うん、そうしなさい。それに絹ちゃんには沢山の味方がいるから大丈夫よ、バカ息子が余分なこと言ったらいつでも言ってきなさい」
「それは・・・」
「あら、今はまだよね、でも、いずれそんな時が来るわ、その時は、馬鹿な男を酒の肴に飲みましょうね」
「は・・はい」
義母はそう言って抱きしめ手を解くと素敵な笑みを見せて庭の手入れへと戻ったのだった。
数か月、私は陽介と里親について調べて話し合いを重ねた。そして子供を迎え入れるという覚悟を固めていく、児童相談所に定期的に伺っては、忙しい担当者に申し訳なかったけれど質問をしていく、最初は興味本位くらいの感じと思われたのか簡単な対応だった担当者も、やがて本気度が伝わってくれたのか、問題点などを根気よく相談していった。
双方の両親にその覚悟を伝えたとき、纏められた資料を読んだ母親は一言だけこういった。
「理想通りにならないことを常に覚えておきなさい。厳しい言い方だけれどあながち間違ってもないのよ」
双方の両親の協力も夫婦の協力も得られることが決まる。その旨を児童相談所の担当者へ伝えると、面接へと進み、制度からどうして里親募集したか、それ以外の事柄を事細かに聞かれていく。それが第一関門、続いて大切な研修が何日間か続く、研修の中には実地研修といって児童福祉施設への研修も行われる。そしてすべての研修を終えると家庭訪問、その結果を基にして申請書類を提出し児童福祉審議会の里親認定部会の審査にかけられて可否が出されるのだ。審議では有識者による審議で私達が里親に適格であるか、家庭状況はどうであるか、などが詳しく審査されていく。
私はこの研修を通じて育むという有難さの1つを味わった気がした。お腹で育むのではないけれど、全身で感じてまだ見ぬ子を育むための勉強の時間、そして色々な方々の手助けを頂き子育てとは成り立っていくことも真摯に学んだ。この研修の似たような研修が普通の夫婦でも行われていけばいいのにとも思えたほどだ。やがて数か月を経て児童相談所から連絡が入り私達は里親として認定され登録されたのだった。
しばらくして児童相談所から一本の着信が入った。担当者からは年少さんの男の子の里親相談の連絡で、陽介と話し合い、両親とも話し合い、そして受け入れたいことを伝えると陽介と日程を合わせて児童相談所へと出向いた。
その子の家庭状況など、養育状況などが詳しく説明されていく、話を持ち帰ると陽介と私はひたすらに話し合った。
そして私達は決断した。
施設面談で出会った坊主頭の男の子、凛々しい顔つきでしっかりしていると言った印象を抱くが、先入観は持ってはいけない。
「こんにちは、浩平君」
私はその場にしゃがみこんで少し距離を取って話しかけた。
「こんにちは・・・」
この挨拶がすべてのスタートとなり、数か月の面談やお泊りを経て私達は家族として互いに初めての生活を進めていく。いろいろとあったことは間違いない、良いことから、悪いことまで、本当に色々だ。苦労と素直に言えることもあったけれど、浩平君、いや、浩平の幼いながらの協力もあってようやくあの日を迎えるまでに至った。
ー市立栄小学校入学式ー
ピカピカのランドセルを背負った浩平が看板の前で元気よくニコニコと嬉しそうに笑っている。私達は最初、耐えていたけど、帰りに看板前で写真を撮るときなると、私の顔は感涙の涙で化粧がぐちゃぐちゃになってしまった。陽介も涙を堪えながら嬉しそうに笑っていた。
「行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃい、気を付けてね」
「は~い、あ、ママ、タッチ!」
玄関で見送りながら私達は手の平を互いに合わせてハイタッチをする。関係が落ち着いてきてから、出かける度、何かある度にハイタッチをする。私からではなく浩平から来るまで待ってきたら優しくハイタッチをする。
家族全員も一緒。
手のつながりを大切にしながら我が家は今日も日々を暮らしていく。
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