七十九話 ハーゲンと流浪の民と


 シトラスがハーゲンに派遣されてから一ヶ月。

 あれから毎日、何かしらの争いがあった。

 ハーゲンで血が流れない日はなかった。


 隣国ラピス帝国、武装した流浪の民、人をも糧にする魔物たち。

 都市に住む者同士で刃傷沙汰に及ぶことも珍しくなかった。


 シトラスにあてがわれた家。

 分厚い石と土で作られた天然材料の室内は、ヒンヤリとして気持ちがいい。


 シトラスとミュールは、土で作られた机に向かい合って座っていた。


 シトラスが、

「この都市ってなんで滅んでないんだろうね」

 そう呟く。


 机を挟んで対面に座るミュールが、左手の拇指を立て、

「そうだなぁ。西部の中でも孤立していて、一番近くの都市がラピス帝国」

 

 北と南を岩の山脈に囲まれたハーゲン。

 ハーゲンは、ポトム王国からラピス帝国へせり出す場所に位置していた。


 ハーゲンはいわば、ラピス帝国に打ち込まれた楔。

 ハーゲンがあるからこそ、ラピス帝国は容易にポトム王国へ攻め入れない。


 裏を返せば、ハーゲンを失うことは西部一帯を危険に晒すことになる

 

 ラピス帝国からすれば、喉に刺さった小魚の骨が如く鬱陶しくて仕方がない。

 帝国はポトム王国とは表向きは友好関係を結んでいる。

 その裏では毎年のように、ハーゲン奪取に軍を差し向けていた。

 シトラスたちが遭遇したのは、その本の前哨戦である。


 次に食指を立て、

「――天候は年中で最悪で、季節は乾季と雨季の二つ。乾季は灼熱の気温で、雨期は町を呑み込み程の洪害が多発」


 年の半分が酷暑で、残りの半分が都市を呑み込むほどの雨季。

 まともな食料が育たぬ過酷な西の土地。

 それゆえに魔物すら日常食として根付いていた。


 次に中指を立て、 

「――要の物資の流通は輸入頼み」


 一次産業のないハーゲンでは、生活物資のほとんどを輸入で賄っていた。

 つまり、都市には自前の資源がないのである。


 続けざまに薬指を立て、

「――娯楽と呼べるものも異性だけ」


 唯一誇れるのが、この都市の建築職人たちの魔法技術。

 その技術は王国でも抜きんでていた。


 なにせ毎日のようにどこかで家が壊されるのだ。

 主に土魔法と水魔法を駆使して作られる建築技術は真似できない。


 何を隠そう今シトラスがいる家もその一つである。

 ハーゲンに赴任して早々に巻き込まれた争いで破壊された家。

 その家の跡地にシトラスの住居はたったの一日で建てられた。


 最後とばかりに小指を立て、

「――代官も寄り付かず、都市は最強の戦士が支配する。最強の戦士と言えば響きはいいが、ようするに狂暴な都市で一番狂暴なやつがボスってわけだ」


 この都市では、力が全てを解決する。

 初代代官は優秀な人物で政治的に統治していた。

 二十年前の初代の死後に状況は一変。

 

 二代目から四代目はあっという間に戦争で殺され、五代目は洪害に巻き込まれ死亡。六代目は赴任途中に殺された。

 統治者として得る利益が少なすぎる割りに、その危険度は最上位。

 戦うことが好きな西部貴族でもさすがに七代目は嫌がった。


 これに頭を痛めたのはポトム王国である。

 国益の観点ではハーゲンを失う訳にはいかない。


 そこで長年ハーゲンを根城にしていた剛勇の勇者に白羽の矢が立ったのである。


 しかし、勇者は勇者であって、統治者ではない。

 ハーゲンは今や無法地帯と化していた。


 ミュールは立てた五本を見つめると、

「土地に食料に寝床に異性に暴力。争う理由はあるんだけどな――」


 またどこかで争いが始まったようだ。

 家が微かに揺れ、パラパラと土が舞い落ちた。


 ミュールは背もたれに持たれて天井を見上げた。


 シトラスがその言葉の続きを引き取る。

「――争いそれを止める法がない」


 知れば知るほど、西の国境都市ハーゲンは歪な都市であった。


 ◆


 戦士たちに交じって、シトラスも戦場へと出る。


 この日はハーゲンの周囲に住まう流浪の民との戦闘。

 北の禿げた山脈に流浪の民の拠点を見つけたとの報告があった。


 それを駆逐するためにこの日、朝焼けを前に戦士たちは武器を手にとった。


 彼らもハーゲンの民の同じく魔物を食する。

 ときに、ハーゲンへの輸送する物資を襲うことだってある。


 限られた資源パイを奪い合う存在なのだ。


 戦闘員に非戦闘員の区別なくハーゲンの戦士たちが次々にその首を刎ねていく。


 シトラスも陰鬱な気持ちで従軍する。

 自由行動の認められている勇者には、従軍しないという選択はできる。


 それでも、ハーゲンを取り巻く戦争は止められない。

 それならその手で一人でも悲劇から守ってあげたい。


 いつしかそう思うようになった。


 一方的な殺戮の戦場から少し離れた場所。

 シトラスは魔力視の魔眼に従い、人が集まっていた洞穴に足を踏み入れた。


 洞穴は入り口に反して中は広く、若い女性と子供たちがいた。

 立ちふさがるのは気の強い碧眼を輝かせる女性。その手には剣。


「ま、待って、ぼくは――」

「私たちはお前たちを許さない!」

 

 紺青色の髪を振り乱し、鬼気迫る勢いで剣を振るう女性。

 女性の剣は型を為しており、その体は強化魔法の魔力を纏っていた。


 勇者となる前のシトラスなら苦戦したかもしれない。

 そう思わせる実力者だった。


 しかし、彼女がいま向き合っているのは勇者となったシトラス。


 何合か打ち合った後に、彼女の剣はシトラスの剣によって弾かれた。

 彼女の得物が壁へと突き刺さる。


 シトラスが打ち破った女性が、 

「くっ、殺せ……」

 碧眼から放つ視線だけで人を殺すように睨めつける。


 しかし、すぐにはっとした表情を浮かべると、

「どうか娘だけは……」

 後ろに視線を送る。


 釣られて視線を送ると、その先には娘だろうか。

 女性に抱きかかえながら、涙目で震える十代半ばの少女の姿。

 目の前の彼女と同じ紺青色の髪に碧眼。全体的に幼さの残る顔立ちだが、顔つきは似ていた。


 少女は自分たちのために戦った女性に手を伸ばしていた。

 魔力視の魔眼を通して視る二人の魔力もまたよく似ていた。

 母娘か姉妹からはわからないが、血縁者であることは疑いようがなかった。


 シトラスはギリと歯を食いしばる。


 そこに洞窟の外から二つの影。

「さすが希望の勇者さまッ! お目が早いッ! でもその人数一人でお相手するのは大変では? オレたちが手伝いますよ。なぁ相棒?」

「ふひひひひ。若い女がいっぱい若い女がいっぱい、ふひひひひ」


 それは下卑た視線を浮かべた二人の戦士たちであった。

 二人の手にした剣と服がいまだ乾かぬ赤に染まっていた。


 それを見ていっそう震えだす女性たち。


 後から現れた二人が、左右からシトラスを追い抜く。

 目の前で気丈にも睨めつける女性の胸元に二人の手が伸びる。


 その手が触れる直前に、ぎゅっと目を瞑る彼女を見て――


 渾身の裏拳が左右同時に炸裂する。

「ぶべらっ!?」

「ぶひぃ!?」

 

 ――シトラスの勇者の在り方せいぎは黙っていることができなかった。


「――行ってッ」

「……え?」


 呆気にとられる少女に、

「はやくッ! みんなを早く出してッ。ここはもうダメだッ!」


 慌てて女性は洞窟の奥で縮こまっていた仲間を奮い立たせて誘導する。

「お母様も一緒なのッ!」


 愚図る少女を先に逃がすように周囲の女性に頼む。

 その後も紺青色の彼女はテキパキと避難指示を出し続けた。


 そして、彼女が洞窟に残った最後の一人となった。


 シトラスは彼女の手を引いて、洞窟の外へと連れ出した。


「あなたも早く」

「ありがとう。本当にありがとう勇者さま――これでハーゲンの未来はまた繋がった」

 涙ぐむ女性はそう言ってシトラスの手を両手で握りしめた。

 ありったけの感謝を込めるように。

 男性より暖かい女性の体温にシトラスの手が熱を持つ。


「それはどういう……?」

「それは――」

 

 耳元を風が通り過ぎた。


「――えっ?」


 通り過ぎた風は質量を伴っていた。

 ――剣だ。

 投げつけられた剣がシトラスの耳元を通り過ぎたのだ。

 握りしめられた手から熱が消えた。


 剣が熱を奪った。

 視線の先で、彼女は岩肌に縫い付けられて止まっていた。

 剣がその胸元に深々と突き立っていた。

 

 即死であった。


 それを脳が理解するのに時間がかかった。

 それを理解したとき、シトラスの顔には怒りの表情が浮かんだ。


 振り返った視線の先。

 かつては山であった大岩の上。

 そこに立っていたのは剛勇の勇者であった。


 見上げた先の存在に、口の中からギリリと音が鳴った。


 そのとき、洞窟の中から二人の男が出てきた。

 二人とも顔が腫れ上がっている。


「いててて……勇者このやろお! ――って剛勇の勇者さまッ! この新入りの勇者が狩りの邪魔をッ!」


 洞窟の前に立っていたシトラスの存在に気がつくといきり立つ。

 しかし、その後ろの剛勇の勇者の姿を見つけると、身を正した。


 剛勇の勇者は目を細めると、岩肌に突き刺さった彼女を顎でしゃくる。


「中にいたのは彼女だけか?」

「いえ、十人くらい女子どもがいやしたッ!」


 その報告に剛勇の勇者が嗤った。


「見つけ出して――殺せ」


 剛勇の勇者の命令に反応して、二人の戦士が駆け出す。


 それは止めようとするシトラスだが、

「希望。お主は何をしている」


 剛勇の勇者が襲い掛かった。


 鍔迫り合いする剣。

「智勇から我々ゆうしゃの作法は聞いておるか?」

「……殺しの正当化のこと?」


「ほほっ、聞いておったか。……なるほど、お主が智勇を殺したのか」

 髪と同じ赤褐色の瞳が心の内を見抜くように細まる。


 それに動揺したシトラスは、その動揺が剣に伝わる。


 それを見逃す剛勇の勇者ではない。

「若いのう」


 押し切って、追撃とばかりにその腹に前蹴りをお見舞いする。

 強化魔法を使っていなかったら、その腹はぶちまけられていたことだろう。


 それはそれほど重みと鋭さのある一撃だった。


 うめき声と共に弾き飛ばされたシトラスは、岩肌に縫い付けられた女性の隣の壁に叩き付けられた。

 その衝撃で岩肌にはひびが入る。

 

 衝撃に咽ながらもシトラスは立ち上がる。

「……ずるいや。剛勇っていう名前の割に揺さぶるをかけるなんて」 


「言ったであろう。戦場では勝者こそが絶対である、と」


 ここで初めてシトラスから攻勢に出る。

 剛勇の勇者はそれをすべて正面から受け取める。


 傍目には二人の剣筋を視認することすら難しい攻防。

 何合切り結んでいるのかは誰にもわからない。

 

 どちらからともなく、示し合わせたかのように距離を取った。 


 気づけば山に響く殺戮の音は止んでいた。

 すべてが終わったらしい。


 世間話でもするかのような気軽さで、

「お主、もしや気づいておらんか? 誓約魔法による強化バフに」

 剛勇の勇者が尋ねると、

「なんのこと?」

 

 これも気を緩めさせる作戦かもしれない。

 そう考えたシトラスは、構えた剣を緩めることなく尋ね返す。

 

 その答えは剛勇の勇者をいたく満足させたらしい。


 初めて笑顔らしい笑顔を見せ、

「なるほど……安心した。お主は絶対ワシには勝てん」

 

 虚をついてシトラスの懐に潜り込むと、

「――そうとわかればお主になんぞ構ってはいられん」

 回し蹴りを放つ。


 ギフトで優に常人を上回る膂力が、魔法で強化された一撃。

 その蹴りは今度はシトラスの体を山肌でなく、荒野側の崖下へと蹴り飛ばした。


 宙に飛ばされたシトラスの視線の先、剛勇の勇者は少女たちの逃げて方角へ走り出すのが見えた。

 自由落下で落ちていくその体。


 強化した体で死ぬことはないだろう。

 ただ麓まで落ちてしまったが最後、人族のシトラスには剛勇の勇者の後を追う手立てがない。


「ちくしょう……」


 その言葉を残して、シトラスの体は山の奈落に飲み込まれていくのであった。



 山の中腹。

 石と砂利で埋め尽くされた場所。


 砂と砂利にまみれたシトラスは起き上がった。

 ここまで落ちてくるまでに岩盤や山の斜面に打ちつけたため、着ていた服はボロボロである。

 魔法で強化した体だけはかろうじて無事であった。


 おもむろに立ち上がると歩き出す。


 魔法で守った体に痛みはない。


 しかし、その心までは魔法では守れなかった。


 頭を過るのは女性の笑顔。

『ありがとう。本当にありがとう勇者さま』


 愛する者を思って流して涙は美しかった。

 あの手のぬくもりは紛れもない本物であった。


 それを消したのは剛勇の勇者の言葉。

『ワシの勇者の在り方せいぎはな――人を殺すことじゃ』


 ――人に仇なす者はどっちだ?

 

 魔勇の勇者からの問いかけ、

『それじゃあ、その『人』って言うのは誰だい?』


 ――勇者とは誰にとって勇者なの?



 日没を過ぎた頃にシトラスはハーゲンへとたどり着いた。

 街灯などなく、月の光と家の穴から漏れだす光が都市を照らす。


 一人帰路につくシトラス。


 都市は静かなものである。 

 夜に営業している店などなく、どこから家から漏れだす笑い声がときおり、微かに聞こえてくる。


 シトラスが家に帰ると、どたどたと家の奥から掛けてくる足音。

「シトッ! 心配したんだぞ」

「ごめん、ミュール」

「無事でよかった……」


 ミュールが覗き込むように、

「――後ろの彼女は?」

 シトラスの後ろを覗き見た。


 シトラスがその視線に釣られて後ろを振り返ると、

「後ろの彼女? 君は……!?」


 そこにいたのは紺青色の髪の少女が目を伏せて佇んでいた。

 その紫色を帯びた暗い上品な青色が夜に馴染んでいた。

 

 彼女の魔力を見てすぐにわかった。

 彼女が洞窟の中で震えていた少女であることに。


 シトラスは言葉に詰まる。

 生きていたことを喜ぶべきか、彼女の母親の死を悼むべきか。


 咄嗟に出てきた言葉は、

「どうして、ここに?」

 彼女がここにきた理由を尋ねる事であった。


 縋るような目つきでシトラスを見つめ、

「あなたなら私たちを助けてくれるんじゃないかと思ってきたの」

「私たち・・?」


 シトラスの言葉に反応するように、ずらっと彼女の後ろから出てくる子どもたち。


 ぎょっとするミュールは、

「どっか湧いてでてきた」

 言葉を漏らした。 


 シトラスが、

「とりあえず中に」

 少女たちを家の中に招き入れる。


 少女たちは十人ほどの人数であった。

 そこに大人らしい大人はいなかった。


「君たちは――」

「私たちはハーゲンの民なの」


 シトラスの言葉に被さるように少女が代表して口を開いた。


「ハーゲンの民? 何を言っているんだ?」

「元々ハーゲンには私たちの御先祖様が住んでいたの!」


 興奮気味に声を張り上げる少女に、ミュールが声量を落とすように口に指をあてた。

 土づくりの家には窓がない。

 誰が聞いてるともわからないのだ。


「ごめんなさいなの……」

 しゅんと肩を落とした少女は、話を続ける。


 この都市の歴史にまつわる話を。


「ハーゲンには私たちの御先祖様がもともと住んでいたの――


 魔人大戦より前、ハーゲンは王国にも帝国にも属さない独立した都市だったの。

 中立都市として両国と貿易を行い、食料こそ乏しかったけど豊かな村だったの。

 争わないのがハーゲンの誇りだったって。

  

 魔人大戦の際に、ポトム王国が共闘を持ちかけてきたの。

 それは魔人を排除する代わりに、駐屯を認めて欲しいというものだったの。

 魔人の脅威に晒されていた都市の長がこれを引き受けたの。

 都市長と使者の男は仲睦まじい兄弟だったからなの。


 この話を引き受けたのがきっとすべての間違いだったの。


 ポトム王国は屈強な戦士たちを連れてきたの。

 確かに彼らのおかげで魔人がハーゲンに足を踏み入れることはなかったの。

 ただ彼らは魔人大戦の後も、ハーゲンに我が物顔で居座ったの。

 それから間もなくして彼らはハーゲンの代官を、統治者を名乗るようになったの。 


 私たちは耐えたの。ずーっと耐えてきたの。

 だって、争わないことがハーゲンの誇りだったから。


 でも、王国はそうじゃなかったの。

 年々とハーゲンの民への弾圧は激しさを増したの。


 圧政に耐えかねたハーゲンの民が二代目の代官を弑してしまったの。

 それで、ジュネヴァシュタインとハーゲンの民で戦争が始まったの。

 

 ――戦争の結果、私たちはすべてを失い、流浪の民と呼ばれるようになったの」


 話し終えた少女は目に涙をこらえエッヘンと胸を張った。

 彼女は、否彼女たちはその歴史に誇りを持っていた。


 シトラスとミュールは言葉が出なかった。

 彼女のいうことが事実とするならば、敵と称して殺していた相手こそがこの都市の民であったのだ。


 ミュールが慎重に尋ねる。

「……その話が本当だと言う証拠が、何かあるのか?」


 語られた話をおいそれと信じることはできなかった。

 彼女もシトラスやミュールと同じか、それ以下の年頃の少女。


 少女は胸元からを竜をかたどった印章を取り出すと、

「私は初代ジュネヴァシュタイン卿、ヘーガー・ジュネヴァシュタインの兄ハーゲン・ジュネヴァシュタインが孫娘――ジュニパー・ハーゲンなの」


 ミュールがぽかんと大口を開けて、

「ジュネヴァ、シュタイン?」


 エッヘンと胸を張るジュニパーは、

「はいなの。都市と私の家名は偉大な祖父の名前から頂いているの。もし私をお疑っているのであれば、この印章を魔法協会なり商会なりに提示すればわかるの」


 ハーゲン・ジュネヴァシュタイン。

 彼こそがポトム王国が代官を置く前にハーゲンを治めていた長。

 都市がその名を冠するほどである。さぞ都市に影響力のある人物であったのだろう。

 そうでなくても四門の一角、ジュネヴァシュタインの初代の兄である。

 ポトム王国西部への影響力も計り知れない。


 ジュネヴァシュタインを名乗らないこと。

 それは彼女はポトム王国に属さない心の表れなのだろう。


「なんでジュネヴァシュタインに頼らないんだ? 話が本当ならジェニパーは本家の兄筋なんだろ?」

「――どうやってなの? 訓練された早馬でも三日かかる次の町までどうやって行けと言うの? 私に死ねと言っているの?」

 ジュニパーはミュールをキッと睨みつける。


 ハーゲンは女子供が気軽に移動できる環境ではない。

 乾季は灼熱が、雨期は洪水が襲い掛かる。

 誰にも予測できない。誰にもコントロールできない。


 居心地が悪そうに頬を掻きながらミュールは、

「いやいや、そうは言ってないけど馬を奪うとか?」

 苦し紛れにそう言い逃れようとするが、

「重ねて問うの――どうやってなの? 私が頼んだら頂けるの? わかったの――じゃあ馬と護衛と食料を用意して欲しいの。よろしくお願いしますなの」

 にっこりと微笑むがその目は笑っていない。

「なんかごめん……」

 今度はミュールが謝罪をする番であった。


 話題を逸らすようミュールが、

「他のハーゲンの民は? 大人たちは?」

 尋ねると、少女たちの雰囲気がどんよりとしたものになる。

「大人たちは今日の攻撃で私たちを逃がすために……」

「ごめん、本当にごめん……」


 椅子の上で小さくなったミュールを見ながら、シトラスが、

「ねぇ、ジュニパー。君はぼくに何をして欲しいの?」

「私はハーゲンから戦争をなくしたいの……! 私の、私たちの祖先が愛したハーゲンを取り戻したいの……! そのためなら、この命だって――」

 ジュニパーの唇をシトラスの食指が塞いだ。


「死んだら終わりだよ。だから――生きて」

 その目は寂しそうに笑っていた。


 その瞳にはライラやブルー、両親の死の影があった。


「だけど、シトどうすんだ。ハーゲンを取り戻すなんて」

「たぶんだけど、取り戻すことはそんなに難しいことじゃないかもしれない」

 もちろんジュニパーが正当な後継者であるならだけど、と付け足す。


 ジュニパーが興奮気味に身を乗り出して、

「天に誓ってなのッ!」


 シトラスが優しい笑みを浮かべながら、指で口元に×印をつくる。

 それを見たジュニパーが慌てて自身の口を抑えた。


「印章は魔力の波長で使用者を判別する。だけど、印章は個人じゃなくて家に与えられるよね? ぼくは昔、父上から印章を借りて姉上のプレゼントを買ったことがある。つまり、印章は家族では使えるんだ」

「なるほど、印章のからくりを使えば、血族の証明は難しくなさそうだな」

「うん。問題があるとすれば、二つ。

 ジュネヴァシュタイン家が直系ではないジュニパーを受け入れてくれるか。

 受け入れてくれるにしてもそれまでジュニパーを守り切れるか」


「今ならジュネヴァシュタインのお膝元の都市シュリヒテにはエステルがいる。勇者の面子と彼の仲介があればボルスに顔を繋ぐのはそこまで難しい話じゃない。そこでジェニパーとの交渉の席を設けられれば、そこからはジェニパー次第」

 シトラスの視線にジェニパーは、

「任せて欲しいの」

 エッヘンと胸を張った。


 ただこの都市においては後者の問題が難関であった。


 ミュールが口を開く。

「守るって何から?」

「この都市にいる血に飢えた戦士たちから」


 剛勇の勇者が治める今のハーゲン。

 彼がジェニパーを殺せと命じれば、百戦錬磨の戦士たちが一斉にその牙を剥くのは想像に難くない。


「都市の戦士たちからジェニパーを守る。もしくは剛勇の勇者を倒して、シトがこの都市を治めるかだな」

「……そうしたいのは山々だけど、このままだとぼくは剛勇の勇者には勝てない気がする」


 負けるとは言わない。

 それでも、勝てると言い切ることはできなかった。


「少なくとも剛勇の勇者には<無双の怪力>のギフトがあるから、力比べじゃ勝てないよな。ただでさえ力自慢なのにそれが誓約魔法によって強化されているとか悪夢だな」


 ミュールの言葉に、シトラスは顎に手をあてて考え込む。


「……そう言えば、剛勇の勇者は『誓約魔法による強化バフ』がどうのこうのって言っていたんだ。何か聞いたことある?」


 それが勝機の欠片になるかもしれない、と。


 ミュールは一瞬考えるように眉を顰めた後に、

「……誓約魔法の強化バフ? すまん。聞いたこと――」

「――あるの。私、誓約魔法の強化バフについて知っているの……!」


 時に答えというものは思いもよらない所からやってくる。


 最後の欠片ピースがここに揃った。


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