七十七話 誓いと襲名と


 フロス公国を強襲を凌いだ日から、南部は晴れの日が続いていた。

 外気温は肌寒いが、陽の光が雪原を眩しく照らしている。

 

 砦と南部最大の都市ガヤの間は荒野が続いているため、見晴らしがいい。

 その任を果たした勇者一行は、他の駐屯兵に先駆けて輝く白い海を渡っていた。


 耀く城の荒野は一見平たく見えるが、過去の大戦の爪痕で凹凸が激しい。

 雪で覆われているから、そう見えるだけで闇雲に進むと危険である。

 

 馬車はゆっくり、ときおりジグザクと道を変えてガヤへの帰還を目指す。


 ブルーの遺体は砦に置いてきた。

 エステルが丁重に遺族の下へ届ける約束を交わしていた。


 馬車のキャビンの中。

 シトラスはミュールと並んで、対面の智勇の勇者を見つめていた。


 あぐらをかいて頬杖をついていて智勇の勇者が、

「――ダメだよ。シトちん。ミュールちん」

 対面の二人に微笑んだ。


 目を見開くミュールに、言葉を重ねる。

「あー、もう。……ここのところ殺気が駄々洩れだよ? 意思を持って個人を殺すことは初めてなのかな?」

「わかって、いたんですか?」


 ミュールが苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。


「もちのろん。私は智勇の名を冠する勇者だよ? 砦でケモノを殺してから良い眼をするようになったからさ。ちょっと期待していたんだけど……。がっかりさせないでよ」

 はぁ、とこれ見よがしにため息を吐いた。


 ミュールが、

「余裕なんですね」

 と言うと肩を竦めて、

「実際余裕だからね」


 気負うことなくそう言い放った智勇の勇者は、どこまでも自然体である。


「どうする? 私はいつでもいいけど? 助っ人を呼んでもいいよ?」

 どこまでも二人を見下す智勇の勇者に、

「――じゃあ、今からやろう」

 シトラスがそう答えた。


 その目は据わっていた。


「いい目つきだねシトちん。私はミュールちんの方がそっちかな、って思ったけどさすがに勇者に選ばれるだけあるね」


「ぼくがあなたの正義を否定する」

「正義なんてないよ。ただケモノと共生なんて吐き気がする」


 智勇の勇者が頭の後ろの小窓を叩く。

 それを合図に馬車が止まった。


 シトラスが先に立ち上がり、扉を開けると馬車を降りる。

 智勇の勇者がそれに続き、最後にミュールも降りた。


 シトラスとミュールが横に並ぶ。

 シトラスは"王道の剣"をその鞘から抜き放った。


 ミュールは全身に魔力をみなぎらせ、

 <|雷獣の四肢《ライガー>

 その四肢が雷を帯び、放電し始める。


 智勇の勇者はそれを見て口笛を吹いた。


「かっこいいじゃん。ミュールちん。でも私の武器も負けてないよ?」


 懐から移動式魔法陣スクロールを取り出すと、

「<召喚サモン>」


 魔法陣から呼び出されたのは、禍々しい大鎌。

 それを智勇の勇者が手に取ると、刃の部分が不気味に血のように赤く光りを帯びる。


「"死の大鎌デスサイズ"。これが私の武器。命を刈り取るみたいでカッコいいでしょ?」


 それに何も応えない。

 二人は強化魔法を使い、左右に分かれて智勇の勇者に肉薄する。

 

「もう、せっかちなんだから」


 智勇の勇者は頬を膨らませた。





 その戦いの結論は、完敗――手も足も出なかった。

 それぞれ手足を折られて、なお喰い下がっても一撃も入れることはできなかった。


 一撃どころか、その顔の笑みを剥がすことすらできなかった。


 最後は手加減された上で、意識を奪われた。

 殺す気で挑んだ二人に対して、それほどまでに力量差があった。


 気を失った二人に応急処置を施し、馬車へ放り込むとガヤの町まで連れて帰った。

 二人は完全に遊ばれていたのだ。 


 シトラスが目を覚ましたのは、ガヤの屋敷の医務室であった。


 ぼやけた視界の中で、

「――ここ、は……?」

 知らない天井に向かって手を伸ばす。


 途中で体に走った痛みに、意識が覚醒する。


「そうだッ。智勇の勇者ッ! ッ!」


 勢いよく体を起こすと、全身の痛みがさらに増す。


「はぁ、起きましたか」


 耳に聞こえてきたのは懐かしい声だった。

 懐かしいという言葉を使うには、それほど時間が経っていないのかもしれない。


 シトラスがベッドの脇に目を向けた。

 そこに座っていたのは、

「アドニス先生?」


 薄くなった赤茶色の髪をもつ一人の中肉中背の男性。

 重たい瞼の下の黄色の瞳が優しくシトラスを見つめていた。


「どうして、ここに?」

「はぁ、ちょっとした野暮用です。……見たところお二人は智勇の勇者に戦いを挑んだようですね?」


「どうしてわかったんですか?」

「首ですよ」

 

 その答えにシトラスは首を傾げた

 アドニスは、ベッドの横の机に用意されていた手鏡を手渡した。


 シトラスが手鏡を見ると、その首に一筋の赤の線が引かれていた。

 魔法を使えば、擦り傷の類はすぐに治る。

 つまり、そこは意図的に治療されていなかった。


「はぁ、それが智勇の勇者の悪癖です。彼女は負けた亜人の首を刎ねるを好む一方で、人族は殺さずに首の半周にかけて線を入れるのです。さながら首を刎ねることができたぞ、という意思表示でしょうか」


 ギリっと歯を食いしばる。

 握った拳で布団に皺ができた。


 シトラスの隣、アドニスの後ろのベッドでは、ミュールが眠りについていた。

 その首元を見ると、やはり赤い線が引かれていた。


「はぁ、何を考えているかわかりませんが、彼女に挑むのは止めて方がいいでしょう。次は殺されるないともかぎりません」


 シトラスは顔を伏せると、

「……ブルーがね。死んだんだ」


 唐突に思える話に少し怪訝な表情を浮かべた後に、

「はぁ、魔獣とフロス公国の強襲を立て続けに受けたそうですね。残念です……」


 アドニスはその死を悼むかのように目を瞑った。


「殺されたんだよ……智勇の勇者に。ぼくの目の前で。戦いが終わった後にッ!!」

 感情が高ぶるのを抑えることができない。

 悲痛な叫びであった。


 アドニスの重たい瞼が持ち上がる。

 彼にとってブルーは、南の砦で亡くなったということしか知らなかったようだ。


 シトラスの慟哭に合点したように、

「はぁ、なるほど……だから、ですか。彼女の勇気のあり方――彼女の正義はこれまでに多くの国民の命を救ってきました。シトラス、きっとあなたもそれを見て来たでしょう。称えられる勇者の姿を」

「……それを正義だというのなら――ぼくの正義は彼女の正義を許せないんだ」


「……はぁ、シトラスの正義とは?」

「人に仇なすものを倒す」

「はぁ、難儀な正義です。シトラスのことです。その人というのは人族だけではないのでしょう」


「はぁ、傲慢ですね……。その正義を険しいですよ。今までにない責め苦を味あうことでしょう。真の意味で・・・・・勇者として、踏み出していない今ならまだ引き返せます」

「……それはいったい?」

「勇者は個人個人が一軍に匹敵する戦闘力を持ちます。いくら大国のポトム王国と言えど、そんな人の規格を外れた人間が早々生まれるわけはありません――」


 区切ったアドニスにシトラスが唾を飲み込む。


「――作られるのですよ。勇者という存在は。人為的に」


「それはどういう――」

 シトラスの言葉を遮って話を続ける。

「はぁ、誓約魔法。こちらを覚えていますか?」

「天に誓う魔法、だったっけ? たしか二年生のときの対抗魔戦で学園長が使ってた」


 シトラスにとって苦い思い出のある魔法である。

 目がしばらく使えなくなるほどに、その魔力量に魔力視の魔眼が焼かれたのである。


 シトラスの答えにゆっくりと頷くと、

「はぁ、その通りです。誓約魔法は対価を捧げることで、その対価に応じた力を手に入れることができます。勇者たちはそれぞれ誓約魔法を立てて、天から力を借りているのです」


「じゃあ、かつて勇者だったって言う先生も?」

「はぁ、残念ながら契約魔法でその詳細は話せませんが、そういうことになりますね」


 アドニスの言葉に、シトラスは自身の掌を見つめると、

「……ぼくも誓約魔法を使えば」

 開いた手を握りしめた。


「はぁ、本当にわかっていますか? 誓約魔法は生涯破ることが許されません。破れば死よりも怖ろしい罰が待ち受けているのですよ? 歴史に名を残す英雄たちでこの誓いのために命を落とした方も少なくありません」


 これは脅しではなく、教え子を心配しているのだと言う。

 その瞳は真にシトラスの身を憂いていた。

 

 それでも決意は変わらない。

「それで、ぼくの正義が叶うのなら……」

「はぁ……とは言え、願えば誰でも天と契約できるほど簡単な魔法ではありません。これはポトム王国の王家に伝わる秘術なのです。それゆえに勇者はポトム王国にしかいないのです」


 言われて見れば納得の話である。

 そうでなければ超人的な力を持つ人間で世界中は溢れているに違いない。


 その情報にシトラスがため息を吐く番であった。


「なんだそれじゃあ……」

 肩を落として落胆するシトラスに、

「……申し遅れましたが、私の野暮用というのはですね。シトラス――貴方に誓約魔法を届けることなのですよ」


 そう言って懐から取り出した一枚の移動式魔法陣と小刀。

 魔法陣を広げると、シトラスの魔眼が疼く。

 魔法を発動していないのにも関わらず、魔力が漏れ出していた。


「元勇者だけあって内情も知っていて、契約魔法で行動を操ることができる。腕もそれなりに立つ。それが私が選ばれた理由でしょう」


 掠れた声が隣のベッドから聞こえる。

「先、生。俺も、できますか……?」

 

 いつの間にかミュールが目を覚ましていた。


「はぁ、どこから聞いていたのですか?」

「誓約魔法の、下りから……」


 アドニスは首を横に振り、

「はぁ、誓約魔法は勇者にだけ用意されております。ミュール。貴方はあくまで勇者の従者に過ぎません」

 アドニスの言葉に、

「そっ、か……」

 残念そうに息を吐いた。


「はぁ、ここに血とありったけの魔力を込めて下さい。後は陣が導いてくれるでしょう。最後にもう一度だけ言います――引き返すなら今です」

「そうだ、ぜ。シト。姉貴が、俺が、メアリーがいる。他にも、レイラだって……。本当に、命を賭ける必要が、あるのか?」


 ミュールの言葉に瞳が揺らぐ。

 ――なんでそこまでするのか?

 恵まれた環境を知る者にそう問われていた。


 シトラスは目を瞑ると、これまでの想いを馳せる。


 いつだって周囲に――世界かぞくに助けてもらってきた。

 優しく、温かい。そんな世界が好きだ。

 しかし、学園の先輩でシトラスの故郷を守るために戦死したライラ。

 王国内の謀略により、敵国に攻められ命を落とした両親。失われた故郷。

 そして今回。正義という名の理不尽で命を奪われたブルー。


 ここで見て見ぬふりをするのは簡単だ。

 そうすれば、昔から憧れていた勇者という立場に立っているのだ。

 危険を冒す必要なんてないのかもしれない。


 しかし、欲しかったのは立場なのか?

 果たして、勇者という立場が欲しくて勇者になったのか――違う!


 ――絵物語となってさえぼくを助けるような勇者になりたい!


 再び瞳を開けた時、そこに揺らぎはなかった。

「例えその結果に勇者と呼ばれなくなる結末が待っていてもぼくは進むよ」


 シトラスの答えに瞠目したアドニスは、

「はぁ、なら私が言うことはもうありません。安心して下さい、シトラス。誓約魔法が如何なる結果に終わろうとも――貴方は既に勇者です」


「俺もあの世の果てまで付き合うぜ。例え死より怖ろしい罰とやらがあったとしても――お前は一人じゃない」


 目頭が熱くなる。

 熱を閉じ込めるように瞬きを繰り返しても、その熱は収まらない。

 それどころか、その熱は雫となって頬を伝う。


 この感情を何と呼べばいいのだろう。


「ありがとう」


 胸に溢れる想いを伝えるのに、それ以外の言葉を知らなかった。


「おいおい、まだ何もなしてないだろうシト。泣くなよ」

 茶化したてるミュールに、袖でその熱を拭う。


 アドニスはただ黙って優しくシトラスを見守っていた。


 シトラスは移動式魔法陣と小刀を受け取ると、左の母指の腹を小刀で切る。

 血がみるみるうちに溢れ出す。


 「じゃあ――いくよ」


 魔法陣の空欄に母指を押しあてる。

 今できるありったけの魔力を流し込む。

 これまでの思いの丈を全てこめるように全力で。

 

 魔法陣が輝きだす。

 鈍く、そして徐々にその輝きは増していく。

 それはもう何も見なくなるくらい鮮やかな虹色に。


 耳を塞ぎたくなるような甲高い不思議な音が反響した気がした。











 どこかで一滴。

 雫の落ちる音が聞こえた気がした。


 いつの間にか周囲は色を失い、世界は形を失った。

 世界に上もなく下もなく、右もなければ左もない。


 自分の姿さえわからない。

 自分は何者であって。

 自分はどこにいるのか。


 それすらも曖昧な世界。


 目の前のただあるのは|光。


 ――光があった。


 闇の存在を許さない穢れのない光。


 突き抜ける天のように、どこまでも限りのない。


 開闢の光。

 がコチラを見ている。


 何故かはわからないがそう感じた。


 光に近づく、光が近づく。


 世界が色づく。色づいていく世界に声が響く。


 誰の声かはわからない。

 どこから響いてくるのかもわからない。

 

 《汝、何を望む》


 これは契約だ。無意識に感じた。

 ――優しい世界を。


 《汝、何を為す》


 試されている。自然とそう悟った。

 ――人に仇なすものを倒す者となる。


 《汝、その対価に何を捧げる》


 どれくらいの対価が必要か。本能が知っていた。

 ――ぼくのすべてを。


 立て続けに声が響く。

 《汝との契約はここに結ばれた。汝がその渇望に従う限り我は力を与えよう》

 《汝がその渇望が止まるとき、汝からそのすべてを奪いとろう。未来永劫その魂までも》

 《汝は汝がまま、汝の渇望に従い、足搔くが良い》


 声が反響して止まる。


 《汝、忘れるな。我は汝をいつでもいつまでも見ているぞ》











 意識が覚めた。

 そうと気がついた時には、シトラスはベッドの上に横たわっていた。

 その手には光を失った誓約魔法の書かれた魔法陣。


 魔法陣につけた血の跡は消えていた。


 ただ母子に残る傷の痛みと、シーツに残った赤の軌跡がそれが夢ではないと教えてくれた。

 耳にかすかに音の余韻を感じた。


 魔力枯渇の寸前に感じるような、意識がぼっーとするような感覚に襲われた。


「ぼくはいったいどれくらい固まっていたの?」

 シトラスの問い掛けに、

「固まって、って……。いま魔法陣に、魔力を流したばかり、だろ……。なんだ。不発か?」

 万全じゃない状態にもかかわらず、ミュールが茶化す。


 アドニスが硬い表情で、

「はぁ、無事に終わったようですね」

 その顔には嬉しさと悲しさが入り混じっていた。


 教え子が無事に契約を終えたこと。

 教え子が苦難の旅路を選んだこと。


「はぁ、正式に勇者となった証にこれを」

 そう言って懐から小さな木箱を取り出した。


 木箱の中にはネックレス。

 円の中に六芒星が浮かぶデザインである。


 不思議な光を放つ工芸品。

 その光にはどこか見覚えがあった。


「これは魔法金属?」

「はぁ、その通りです。それは勇者の印章になります。肌身離さず携帯していてください」

 

 ありがとう、と言いシトラスはネックレスを首から掛けた。

 勇者の印章と冒険者の認識票が首元でぶつかり、音を奏でた。


 ミュールが怪訝な表情で、

「天と契約するのって、どんな気分、なんだ?」

「悪くない気分だよ。ただちょっと気になったのが、誓約魔法の光と音をどこかで見たことがある気がするんだ」

「俺には、何にも見ないし、聞こえなかった、ぜ? うッ……」

 会話が体に響いたのか、ミュールが顔を顰める。


「ミュールはまずはしっかり休んでよ。続きはまた回復してから話そう」

「あぁ、悪い……もう少し、休ませて、もらう、ぜ……」

 瞳を閉じたミュールの呼吸が直ぐに浅いものへと変わる。


 ミュールが静かになったのを見計らって、

「……はぁ、分かり切った質問かもしれませんが、まずこれからどうするのですか?」

 アドニスが尋ねた。 

 既にシトラスの体が回復していることを見抜いていた。


 シトラスは目を瞑り。大きく深呼吸をした。

 

「智勇の勇者を――殺すよ」


「はぁ、名実ともに勇者となった貴方に、もう私には何かを言う資格も権利もありません。ただ武運を祈ります」

「ありがとうございます。それだけで十分です。ただ、ミュールのことだけお願いできますか?」


 アドニスはそれに大きく頷くのであった。


 □ □ □


 あるところに女の子がいた。

 

 両親に愛されて少女はすくすくと育った。


 物心ついた時――奴らは現れた。

 これからは彼らが少女を引き取って育てると言う。


 父親は泣いた。母親も泣いた。

 少女だけはその意味を分からないでいた。


 ただ、悲嘆にくれる両親を見て、少女も悲しくなった。


 引き取られた先では、年頃の少年少女で満ちていた。

 皆同じように家族の下から引き取られたそうだ。

 彼らと共に文武に渡り高度な教育を受けることができた。

 家では味わったことのない贅沢に囲まれた生活。

 

 家を恋しく思い涙していた者も、一人また一人と家のことを話すことはなくなった。

 与えられた何不自由ない生活。

 彼らは自由恋愛も認められていた。

 

 少女もまた幸せだった。

 少女はその幸せを両親にも分けたいと願った。

 少女は両親を愛していたのである。


 ある日、少女は恵まれた生活を抜け出した。

 両親にもこの幸せをおすそ分けしようと。


 施設で教わった教育の一つの魔法。

 とりわけ素質のあった少女は、故郷の田舎へとたどり着いた。


 別れた時より少し頬のこけた両親。

 しかし、彼女を見るとその顔に見る見る生気が戻る。


 両親の間で、少女は笑う。

 その日は夜更かしをして、これまでの話を両親へと語った。

 施設の暮らし。そこでの勉強。知り合った同世代の子供。経験したこと。

 話の脈絡もなく、ただただ話したいことを心のままに話す。

 両脇の両親はそれを笑顔で暖かく見守り、時に相槌を打つ。


 両親の笑顔に、少女は幸せのおすそ分けができたと嬉しくなる。


 ――しかし、幸せは続かなかった。


 少女が実家に帰った翌日。

 両親は殺された。

 少女の目の前で殺された。

 

 獣人族の男たちであった。

 手に狂気を携えて奴らはやってきた。


 許しを請う両親。泣き叫ぶ少女を前に獣人は慈悲を見せなかった

 父親は嬲り者にされ、母親は凌辱された。


 獣たちの凶行が少女に及ぶ直前、助けが訪れた。

 それは剣を携えた一人の男であった。


 驚くケモノたちを、手にした剣で次々と屠っていく。

 まるで目で追えない太刀筋。

 一人のケモノの手放した剣が少女の足元へと転がり落ちる。


 助けにきた男は勇者を名乗った。


 獣たちが男に向かって何かを叫んでいる。

 ケモノの声は人族には届かない。


 最後の一人になったケモノは、窓から逃げ出そうとした。

 その間に少女は立っていた――その手に復讐の刃を携えて。


 その首を刎ねることは簡単なことだった。

 最初からこうするべきだったのだ。


 その後、勇者に連れられ施設に戻た少女は誓った。

 ――ケモノを駆逐すると。


 殺さなければならない、一匹残らず。

 幸せが逃げてしまうから。


 □ □ □


 白い息が風に乗って夜明け前の雪原に溶け込む。


「――とまぁよくある一つの悲劇だよ。……きっとその少女はね。どうしても赦せなかったんだ……。幸せを奪ったケモノたちが」


 智勇の勇者の声だけが静かに響いている。

 周囲は恐いくらいの静寂であった。


 シトラスと智勇の勇者は、向かい合って立っていた。

 交差するように立つ二人の距離は、互いの息がかかるほどに近い。

 口が開く度に頬がその温度を感じる。


 二人のいる場所は、ガヤの都市の外部。

 偵察と称して都市から離れた二人。


 夜明け前の雪原。


「もう止まれないんだ。それが酷く間違っていたとしても」


 雪原は踏み荒らされていた。

 えぐり取られたような大地の真新しい傷跡。

 その傷痕が大地の色を教えてくれた。


 智勇の勇者は笑う。

「シトちん――私は一足先に降りるよ」

 ――この終わりのない殺しの回廊から。


 それは憑き物の落ちたような穏やかな表情であった。


 赤い血の塊が二人の間に落ちた。

 勢いよく出されたそれは、シトラスの頬や服にかかる。

 

 智勇の勇者の体は震えていた。

 震える右手を差し出す。


 その腕は獣人族のように白い柔らかな体毛で覆われていた。

 腕だけでなく、肌の見える範囲は顔を除きその白に覆われていた。

 それはギフトの力の影響だった。


 彼女のギフトは<アナタのものはワタシのもの>。

 取り込んだ体液から相手の能力、性質を任意で再現するというもの。


 しかし、その白が抜け落ちていく。

 もうこれ以上彼女にその力は必要ではなかった。


 智勇の勇者の左腕は肘から先がなかった。


 その左手は二人の立つ場所から少し離れたところにあった。

 突き刺さる"死の巨釜"を今だに握りしめている。

 ただ肘と、彼女と繋がっていなかった。

 

 右手がシトラスの頬に触れる。

 それが智勇の勇者の最期であった。


 右手が力なく落ちる。

 既に孔雀の色に生の光はなかった。


 その胸に突き刺した"王道の剣"を抜く。

 胸から剣を抜いた反動で、智勇の勇者は前のめりに崩れ落ちた。


 鼻に感じる冷たい結晶。

 空を見上げると、雪が再び降り始めていた。

 

 そう時間もかからないうちに、白が智勇の勇者を覆い隠すことだろう。

 借りものの白ではなく、本当の白によって。

 そこには何もなかったかのように真っ白に。


 ◇


 夜明けと共にガヤへと戻った。

 ガヤの城門をくぐったシトラスを出迎えたのはアドニスであった。


 二人は並んで領主の館へと向かう。


 大通りをまっすぐに歩く。

 炊事の煙があちらこちらで上がっている。

 左右に広がる建屋から人々の営みが聞こえ始める。


「はぁ、おめでとうございます、というべきなんでしょうが。顔色が優れませんね。仇は取れたのでしょう」

「……うん。復讐っていうはもっとスッキリするものだと思ってた」

「はぁ、つまり違うと?」

「わからないんだ。彼女のやったことは赦せない。でも、彼女が為したことで大勢救われた人もいるわけで――ぼくはいったい何に勝ったのだろう」


 独白と言えるシトラスの言葉に、アドニスはただその黄色の瞳を伏せた。


 しばらく黙って歩く二人。


 領主の屋敷が見えてきた時、隣を歩くアドニスは不意にその足を止めた。

 怪訝に思ったシトラスも足を止めて振り返る。


 視線先でアドニスはその目を閉じていた。


「……アドニス先生?」


 その声に応じるようにアドニスはおもむろにその瞳を開けた。


「はぁ、マーテル陛下よりお言葉を預かっております――『シトラス・ロックアイス。天と契約したあかつきには、お前はその名を捨て、以降は”希望の勇者”と名乗るとよい』」


 それは王家から正式に勇者として公認されたということを意味した。


 希望の勇者は、

「――それが陛下の御命令なら」

 そう言ってマーテルの言葉を代弁するアドニスへと跪いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る