七十六話 凶刃と決意と


 ポトム王国南部に位置する大都市ガヤ。

 そこから南。フロス公国との国境沿いの砦。

 国境近辺で発生していた魔物による被害。


 その魔物の討伐が智勇の勇者とシトラスに与えられた任務。


 砦へと訪れたシトラスたちの目に飛び込んできたのは、二体の魔物による砦の襲撃。

 竜種の末席に名を連ねる飛竜ワイバーン暴食土虫サンドワーム


 智勇の勇者とシトラス、それにミュールは二手に分かれて、魔物の討伐に成功した。

 しかし、砦が受けた被害も大きかった。


 ◆


 砦を襲撃した魔物を対峙してから数日の時が流れた。

 シトラスたちは、砦の復興の手伝いに駆り出されていた。


「ありがとうございます勇者様ッ!」


 たった数日で、勇者は砦の人気者になった。

 誰もシトラスたちを若者と侮る者はいない。

 誰もがシトラスたちに感謝と笑みを送った。


 女性の兵士にいたっては、シトラスを見かける度に黄色い声を送るほどだ。

 提供された宿舎には連日差し入れが届いていた。


 遺体の供養、瓦礫の除去に天幕や壁の補修。加えて、本来の砦の役目である周囲の警戒。

 砦の駐屯兵たちのやることは山ほどあった。


 太陽が頭上に上る頃。

 新しい天幕の設置の手伝いを終えたシトラスは、勇者へと提供された豪華な天幕へと帰ってきた。


 天幕の入口の布をくぐると、智勇の勇者とミュールは既に戻っていた。


 豪華な椅子にだらしなく腰かけていた智勇の勇者は、

「お帰りシトちん。かくかくしかじかというわけで、私たちもしばらくこの砦に滞在することになったわ」

 小声でミュールが、

「いや雑ぅ」

 ツッコミを入れる。


 智勇の勇者を見るとシトラスの顔が強張る。

 ここ数日、智勇の勇者の顔をまともに見られないでいた。


「どうしたんだ? ……シト?」

 ミュールの疑問を他でもない本人が、

「私が亜人デミを殺したことを根に持ってるのよ。シトちんは」

 笑って話す。


 亜人――それは人族以外を括った総称。

 ポトム王国は人族が治める国。

 亜人の社会的地位は、人族とのそれと開きがあった。


「シトちんが主義者だとは思わなかったなー。マユちんも事前に言ってくれればいいのに」


 智勇の勇者は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

 主義者、という言葉には亜人の肩を持つ者を揶揄する意味があった。


 シトラスは嫌悪の既に感情を隠しきれていなかった。


 ミュールが天幕内の険悪な雰囲気を取り繕うように、

「勇者様も理由があってのことでしょう?」

 

「もちろんだよ! だって――」


 智勇の勇者はわらった。 


「――あいつらキモイじゃん」


 ミュールは二の句が継げなかった。

 完全に二人の関係のフォローに失敗した。

 掘り下げたら飛んでもない爆弾が出てきた。盛大に爆発した。


 酸素を求めるように口をパクパクさせると、シトラスの方を見る。

 視線の先で拳を固く握りしめた。


 それに気がついた智勇の勇者は、

「あ。もしかしてシトちん怒った? 怒ったんだ?」

 わかった上で火に薪をくべる。

 

 食いしばった歯が音を鳴らす。

 それが答えであった。


 智勇の勇者は小馬鹿にするように声を出して笑う。


 一通り意地の悪さを見せたあとで、その表情から感情が抜け落ちる。

 面のような生気の感じられない無表情。


「少し早いけどいいこと教えてあげるよシトちん。勇者はね――勇者っていうだけで殺しが正当化されるの」


 こらえきれずにシトラスが吠える。

「それのどこがいいことなんだッ!」 


 それを手で制する智勇の勇者は、

「まぁ、待ってよシトちん。まずは私の話を聞いて?

 勇者の殺しの正当化はね――勇者たちの間にも存在するの」


 二人の間でミュールが息を呑んだ。


 智勇の勇者は椅子から立ち上がった。

 笑みを浮かべて出入口の方へ、シトラスへと足をゆっくりと進める。


「どうしても止めたいならシトちん。その方法は一つ――私を殺すこと。

 これも知ってる? 表向きに知られていない話だけど、勇者の死因は"黒薔薇公"を除けば、身内での殺し合いがほとんどなの」


 勇者の血塗られて歴史である。

 魔物だけでなく、敵兵士だけでなく、身内の血にも染まっていた。


 シトラスの肩にポンと優しく手を置くと、

「それができないのであれば、それはただの弱者の泣き言よ――弱者に世界は守れない」

 耳元に顔を寄せてそう囁いた。


 シトラスには返す答えがなかった。 


 目を開くシトラスを置き去りに、智勇の勇者は天幕を後にした。


 入れ替わるように、天幕へ二つの影が入ってきた。


「ブルー! エステル! どうして?」


 ブルーはすっとシトラスの懐に潜り込むと喉を鳴らす。

 エステルは軽く手を上げて、挨拶を交わした。


「砦の補充兵が来るまでの穴埋めだよ。聞いてないのか?」


 ミュールがそれに答える。

「俺が代わりに補充兵がくる話は聞いていたよ。ただまさかエステルが来るとはな」

「手が空いていたらからな。魔法騎士団はもともと南部への対抗戦力して派遣されているんだ」

「いや、でもまさか、次期当主が直々に最前線なんて……」

「次期当主だから、かもしれない。それより魔物の討伐おめでとう。狂化していた個体だったと聞く。十分な功績だと思うが……あまり嬉しそうじゃないな」


 基本的に魔物討伐は組織だって行われる。

 狂化した個体であればなおさらである。

 誇って然るべき勲功にも、それを為したシトラスの顔は暗い。


 ミュールは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべ、シトラスと智勇の勇者の軋轢を説明した。


 説明を聞き終えたエステルがポツリと、

「"異形狩りデミ・ハンター"」


 ミュールは、

「え?」

 聞き覚えのない名前に目を丸くした。


「それが智勇の勇者が、智勇の勇者になる前の二つ名だよ。徹底した人族主義者を掲げ、戦場では亜人ばかりを殺して名を馳せた怪物」

 ここで声を潜めたエステルは、

「――ここだけの話、父上も私も彼女には早く南から出て行ってもらいたい。さっきの話だが、私がここに派遣されたもう一つ理由が彼女だよ。行動の自由が保障されている勇者でも次期当主の私であれば、行動に多少の制限をつけることぐらいはできる」


 なるほど、とミュールは頷いた。


 シトラスは心配そうに

「ブルーは絶対に彼女に近づかないでね」

 ブルーの琥珀色の髪を撫でながらそう言うと、

「うん」

 ブルーは喉を鳴らしてそれに答えた。


 ふっと弛緩した空気が天幕の中に流れたのも束の間。

 金板を叩く音が砦中に木霊した。


 頭上から降り注ぐそうに聞こえてくる騒がしい音。

 それはどこか緊急さを感じさせる。

 音に呼応するように、天幕の外が瞬く間に騒がしくなる。


 シトラスが天幕の上を見上げると、

「これは何の音?」


 エステルがその問いに答える。

「これは敵襲を知らせる音だ。音の方角から察するに南のようだ」


「つまり……フロス公国が攻めてきたってことか」

 ミュールがの言葉に頷くと、

「まず間違いないだろう。私たちが今日ここに来たのは間が良かったのか、悪かったのか」 

「四門の南のお手並み拝見だな」

 ミュールがそう軽口を叩いて笑った。


 エステルはそれに軽く目を瞑っておどけるように肩を竦めた。


「ブルー。私たちは他の魔法騎士団員とガヤからの補充兵の指揮に戻るぞ」

「じゃあ、シトまた」


 そう言って二人は足早に天幕を後にした。


「ぼくたちも行こう」


 そう言って天幕を出た二人。


 復旧も半ばに、慌ただしく兵士たちが動いているのが見えた。


 敵襲を知らせる金板の音は止んでいた。

 代わりに、砦の壁越しに軍太鼓の音が響いてくるのがわかった。


 次の戦いがすぐそこまで迫っていた。

 

 ◇


 智勇の勇者と合流したシトラスは砦の壁の上にいた。


 空を見上げると太陽が傾き始めている。

 

 視線を下ろすと南から向かってくる軍勢が見えてきた。

 目算で五千以上一万未満と言ったところだろうか。

 波打って迫る大軍を、頭上から一望するとその数には迫力があった。


 迫り来る軍勢の中には、空を舞う一団の姿も見えた。

 空を駆る生物に騎乗するもの。その体に翼を有すもの。


「籠城、ですか?」

 ミュールが尋ねると、

「そう、だね。本来なら打って出たいんだけど」

 智勇の勇者は珍しく歯切れが悪い。


 攻撃三倍の法則という考え方がある。

 一般的な戦闘において有効な攻撃を行うためには、相手の三倍の兵力が必要となるというものだ。

 裏を返せば、三倍未満の兵力あるいは防御側が対策を講じれば、攻撃を防ぐことができる。


「兵力は純戦闘員で約二千。ただ多少なりとも南以外の城壁にも割かないといけないからね。いいとこ千五百。それに南の亜人デミたちが厄介なのは、空戦を仕掛けてくるって言う点だね」


「どうしますか?」

「そうだね。遠距離攻撃がないから下で待機。私とミュールちんとで空の奴らを迎え撃つよ、ってことで、はいこれ」


 懐から四本の試験管を取り出すと、それぞれ二本づつ二人に差し出した。

 半透明の青色の液体と赤色の入った試験管。


 シトラスは受け取ったそれを見て、

「なにこれ?」


 智勇の勇者はそれぞれを掲げてみせ、

「青いのが魔力強壮剤。魔法を使い始める前に飲んで。魔力消費が抑えられるし、回復も早くなる。

 赤いのが魔力増強剤。魔力枯渇を感じたら飲んで。魔力がぐっと回復するから」


 それを聞いたミュールが興奮気味に、

「いいこと尽くめじゃないですか。この戦いが終わったら俺も買おうかな」


 もちろんデメリットも存在する。

 強壮剤や増強剤の類は基本的に力の前借りである。

 薬の効能が切れたとき、その効き目に比例した反動が使用者の身に降りかかる。

 また、一度の過剰摂取は心身ともに有害で、時にそれそのものが死につながる。


 ――という話をして尻込みされても困るので、智勇の勇者は目と口を糸にして、この場は無言を貫くいた。


 三人が話している間にも、軍太鼓の音が近づいてくる。

 空を駆る敵の容姿も強化魔法抜きで視認できるほどだ。


「おっと、早速出番だな。じゃあシト。気をつけて」


 シトラスが階下へ向かうのを見送ると、ミュールは試験管の蓋を口で開け、中の液体を一気に煽った。


「おえッ。まっず……」

 えづくミュールをクスクス笑い、

「学園を出たばかりのお子様にはまだ早かったかな?」


 その隣で智勇の勇者も同じように青の液体を一気に煽る。


「おえッ。まずぅ……」


 智勇の勇者も盛大にえづいた。

 孔雀色の瞳は涙目になっていた。


 ミュールが呆れたように、

「ここにもお子様ぁ……」


 智勇の勇者は口から少し漏れた強壮剤をぬぐい、

「行くよ。ミュールちん!」

 何事もなかったかのように敵を指さした。


 空を駆る敵の速度は地上のそれよりもずっと速い。

 戦端が開かれたのは対空戦であった。


 銃の斉射で敵を撃ち落とす駐屯兵たち。

 それを搔い潜った敵兵を、射手の護衛に配置された歩兵の穂先が襲う。


 魔力のありふれた世界でさえ、戦争においては一般的に物理攻撃が効率的である。

 魔法や術者の練度、精神状態に大きく左右されるからである。

 ほかにも、詠唱を中断されると効果を発揮せず、対策も取りやすい。

 

 実力差がない限りは、物理を魔法で防ぐことより、魔法で物理を防ぐことのほうが難しいのだ。


 ミュールは飛竜のときとは異なり、雷魔法の威力を抑えて速度で精度に力を込める。

 かすれば麻痺して動けなくなる。

 自由落下で命が失われるには十分な高さに敵はいた。


 正面から迫る空の騎兵を雷魔法で撃ち落としたとき、ミュールを影が覆った。

 見上げた先には、駐屯兵の弾幕を抜けて上空から砦を通り過ぎようとする敵の姿。


 それに気づき焦るミュールの視界。

 赤い雫が列となって空へと舞い上がった。

 弾丸のような速度をもって。


 智勇の勇者は、

「はい。ざんねーん」


 その全てが瞬く間に地へ落ちていく。


 ミュールが眉を顰め、

「死体の血、ですか……」

「戦争だからね。勝たなきゃ意味ないでしょ」

 智勇の勇者はピシャリとそう言い切った。


 敵味方の区別なく砦の壁の上の死体の血を操り、頭上へと射出したのだ。

 血液も液体であり、液体の操作は水魔法の得意とするところである。


 その後も頭上の通過を許すことなく、駐屯兵と共に城壁の上を守り切る。


 空に浮かぶ敵が数え消えるほど数を減らしたとき、地上の敵が砦の門へと接触した。


 大型の魔人族が破城筒で扉の破壊を試みる。

 それを黙って見ている駐屯兵ではなく、門付近の敵兵へ攻撃を集中する。

 気が逸れた隙をついて、空を駆る騎兵が駐屯兵を襲い、それを守る戦いも生まれる。


 太陽が地平線へ姿を隠し始める中、戦場は激しさを増していた。


 拮抗状態が続く。

 それはつまり城門は破られていないということである。


 ミュールは、また一人敵兵を地面へ落とすと、このまま凌げそうかと思った。


 ――それを嘲笑あざわらうように背後から・・・・敵の歓声が上がった。


「は?」


 振り返って砦の内部を見下ろす。

 視線の先、暴食土中サンドワームが開けた大穴から、魔人族たちが続々と這い出ていた。


 魔人族たちは正門を守る駐屯兵の背後を襲った。


 最後の一体を地面に落とした智勇の勇者は、

「空は陽動でこれが本命か」

 そう言った鼻頭を掻いた。


 ミュールが慌てて、

「シトッ!」

 シトラスを探す。


 下は既に混戦となっていた。

 止めどなく穴から出てくる魔人族の兵士。


 智勇の勇者は眼下で始まった混戦を目に、

「ちっ、仕方ないなぁ」

 舌打ちすると、瀕死の状態で倒れていた敵の翼人種の魔人の下へと歩み寄る。


 深々と追い打ちするように剣を突き刺すと、魔人の女性の絶叫が響き渡った。

 それを見ていたミュールが眉を顰めていると、智勇の勇者は膝を折り、魔人の血を啜った。


 智勇の勇者の手から腕にかけてが、血を啜った魔人と同様の翼に変わる。

 ミュールがその変化に目を見張っていると、

「これが私のギフト<オマエのものはワタシのもの>。取り込んだ体液から相手の能力を使うことができるんだよ」


 そう言って何度か翼をはためかせると、膝を折った。


「みんな――死ネ」


 勢い良く飛び上がった智勇の勇者は、生き残っていた空の敵を駆逐していく。

 城壁には血の雨が降った。


 ミュールや他の将兵も魔法や銃で援護するが、それが必要なのかも怪しいほど圧倒的な強さ。

 みるみるうちにその数を減らした魔人たちも、ついには恐れをなして逃げ出そうとするが、智勇の勇者はその多くを殺し尽くした。


 再び城壁に降り立つ頃には、その体は返り血で赤に染まっていた。

「空戦はやっぱり慣れないね」


 その体が徐々に元の彼女の体に戻る。

 元の人の体を確かめるように何度かその肩を回し、手を開閉させた。


 智勇の勇者は懐から赤の試験管を取り出し、その中身を煽ると、

「行くよッ」

 そう言って砦の城壁から飛び降りた。


「あぁ、くそッ!」

 ミュールも遅れて、強化した体で階段へ走る。


 ミュールが辿り着いたとき、駐屯兵は劣勢ではあったが踏みとどまっていた。

 先に飛び降りた智勇の勇者が大立ち回りしていた。


 加えて、

「狼狽えるなッ! 隊伍を組み、門を守れ! 左翼は勇者たちに任せろ。お前たちは右の側面に回れッ!」


 エステルが指揮を執っていた。

 その立ち振る舞いを堂に入ったものである。

 上に立つ者がどっしりと構えているだけで、下の者の働きは変わる。


「さすがだな」

 

 ミュールが感心しつつ、再び左翼に目を向けると、

「ハハハ、ケモノの分際で、キモイんだよおおお!!」

 逝った目つきで大暴れである。


 その傍にはシトラスとブルーの姿もあった。


「ブルーッ!」

「うんッ!」


 こちらは智勇の勇者と異なり、二人で互いを補うように敵を倒していた。

 友人の無事な姿に胸をなでおろす。


 止めは魔法であった。


 <火球ファイヤーボール> 


 エステルの指揮の下で、火属性の魔法を使えるものが魔法を打ち込む。

 大穴へと吸い込まれる魔法。

 おぞましい絶叫が穴から漏れだし、這い出てくる敵兵が止む。


 浮足立ったところへ勇者たちが猛威を振るう。


 やがて魔人族たちは散り散りになっていく。

 未だに火の手の及んでいない穴を探しては飛び込んでいく。


 その後を追うように火球が穴に吸い込まれると壮絶な絶叫が響いた。


 エステルが、

「油断するなッ! かならず隊伍を組んで挑めッ! 敵の潜った穴があれば、潜らず魔法士を呼べッ! 治療ができる魔法士は治療の優先。他は穴の埋めることを優先ッ! 異常があれば躊躇ず知らせよっ!」

 てきぱきと指示を出し続ける。

 その働きぶりはとても今年学園を卒業した者とは思えないほどである。


 日没を迎える頃には趨勢すうせいは決した。

 砦の中で動くのは、ポトム王国の兵士だけ。


 砦の外に押し寄せたフロス公国の兵士は城門を破ることができず、内部の奇襲が失敗に終わったことを悟ったのか、緩やかに後退していく。


 曇天の空の下、それを目の当たりにした砦の上部に立つ駐屯兵が勝ち鬨を上げる。

 それはまたたく間に砦中に伝播した。


 




 砦は立て続けの襲撃を退けることができた。

 駐屯兵たちは上官の指示の下で忙しなく動いている。


 シトラスは魔獣討伐の実績を買われて、万が一に備えて砦内の巡回警備中。


 太陽が沈み切ったが、まだ空に明るさの残る薄明はくめいの刻。


 ブルーが歩いているのが目に入った。

 その嗅覚を活かして、隠れた魔人族がいないか探しているようだ。


 この砦の中には一人、魔人族より魔人族の匂いを漂わせている者がいた。

 だからそこに辿り着くのは必然だったのかもしれない。

 

 ブルーが、智勇の勇者の下へと辿り着いた。

 智勇の勇者は何をするでもなく、廃墟となった天幕の間に立ち尽くしていた。


 何人の魔人族を斬ったのだろう。

 智勇の勇者は、魔人族の返り血に染まっていた。

 その左手に持った剣が不気味に光っている。

 

 ただその眼が、手を伸ばせば届く距離へと近づいたブルーを捉えた。

 ブルーは辿り着いた先にた存在に、不快そうに背を背けた。


 シトラスのふわりと鼻に冷たい半透明の白色が乗った。

 空を見上げると粉雪が降り始めた。


 シトラスが視線を逸らした時であった。


「んー……やっぱりキモイよ」


 智勇の勇者はそう言うと、ブルーの背中に剣を突き刺した。

 抵抗らしい抵抗もなく、剣は彼女の体を貫いた。


 ブルーは何が起きたのか信じられずに、ただ胸から突き出した切っ先を見つめた。

 彼女の大きな柑橘色の瞳が、一段と大きく見惹かれた。

 ついで、口から出た赤の塊が地面を濡らした。


 周囲はその突然の凶行に気がついた者から時間が止まる。

 時間差で氷結の魔法をかけられたかのように。


 ただその中で動くのは智勇の勇者。

「ばっちぃな。もうこれいらないや」

 

 そう言って剣を手放すと、散歩をするかの足取りでその場から離れる。


 ブルーは膝をついて倒れる。


 その衝撃がシトラスの時間を動かす。

 一目散にブルーへと駆け寄る。


 智勇の勇者は既に興味をなくしたように、シトラスとすれ違うようにその場を後にする。

 ブルーはうつ伏せに倒れて一切動かない。


 言いたいことはあるが、今は構っている場合ではなかった。


 シトラスは膝をつくと、剣を一息に抜く。

 赤い命がどっと溢れ出して、シトラスを染める。


 倒れ伏したブルーを起こし、

「ブルーッ!」

 抱き上げて、その名を呼ぶ。

 

 その柑橘色の瞳に既に光はなかった。


 シトラスは治癒魔法が使えない。

 それを呆然と見ることしかできなかったミュールも然り。


 ぼくの大切な人を――


「誰かッ。誰かッ!!」


 ――助けてッ!!


 シトラスの悲痛な叫びに、衛生兵を呼べ、と外野から声が上がった。

 次第に状況を察した外野の声が大きくなる。


 ややあって駆け付けた衛生兵に、シトラスは冷たくなったブルーを見せる。

 縋るように。祈るように。


 兵士はその姿に息を呑むが、それでも脈を図った。

 そして、申し訳なさそうなにその首を横へ振った。

 分かり切ったことであった。

 致命傷である。そこに既に生気はなかった。


 シトラスの魔眼がそれを教えていた。

 彼女の体が魔力を生み出すことを止めてしまったことを。


 ブルーが死んだ。

 こんなにもあっけなく。

 

 一緒にいたのに言葉を交わす時間さえ許されずに。

 

 沈痛な表情を浮かべる人混みから、騒ぎを聞きつけたエステルが飛び出てきた。

 その視線の先に移るのは、冷たくなったブルーに熱を与えるように強く抱きしめるシトラス。


 肩を震わせるシトラスに声をかけようとするが、ミュールがそれを止める。

 エステルの肩を持つと首を振り、その場を離れるように手で合図を送る。


 外野も一人また一人と、空気を読んでその場から立ち去る。


 雪がその強さを増した。

 やがて足音一つ聞こえなくなった空間で、ただすすり泣く音だけが小さく響く。


『シト』

『シト?』

『シトッ!』


 脳裏に浮かぶのは彼女との思い出。

 入学した最初のクラス。授業に、中央派閥との私闘。対抗魔戦。魔闘会。舞踏祭。

 勇者科、勇者部とずっと一緒にいた友人。種族を越えて初めてできた友人。


 ブルーはシトラスの世界の一部であった。

 その彼女の命せかいがこんなにも無慈悲に奪われた。


 なぜ彼女は死ななければならなかった――?


 智勇の勇者の言葉が脳裏をよぎる。

『――弱者に世界は守れない』



 ――そうだ。ぼくが弱かったからだ。



 頭を巡る感情と理性。

 体を巡る鼓動の情熱。


 熱を持ち始めたのは体だけではなかった。

 その頭と胸の奥から抑えきれない熱が溢れ出す。

 それはドロドロとした燃え滾った溶岩のように。


 思考が激情の渦に飲み込まれる。

 その渦に溺れないように、唇を強く噛み締めた。

 鉄の味が口に広がった。


 シトラスは考えた。

 ――自分は何がしたいのか。


 シトラスは考えた。

 ――自分は何をするべきか。



 シトラスは決めた。



 いつしかシトラスには雪が積もっていた。

 膝をついて抱きしめたブルーがもう動くことはない。


 その背後へと近づく足音。

 ザクザクと真新しい白の絨毯に足跡を刻む。


 エステルに話を終えたミュールが戻ってきたのだ。


 シトラスがおもむろに顔を上げた。

 頭に積もっていた雪が、後ろへと流れ落ちた。


「ねぇ、ミュール」

 長年連れ添った幼馴染の名を呼ぶ。

「……なんだ」


 これは宣言。


「ぼくは――勇者を殺すよ」


 それがシトラスの出した答えだった。

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