七十四話 智勇の勇者と南の地と


 行く先々で魔物を倒し、勇者は人々から称賛を受ける。


『ありがとうございやす勇者様ッ!』

『勇者様、助けてくれてありがとうッ!』

『ありがとうございますッ! ありがとうございますッ!』

『勇者様ばんざーーいッ!!』

 

 シトラスが智勇の勇者様の下で、ポトム王国内の魔物退治に乗り出して三ヶ月の時が流れた。

 既に季節はすっかり冬に染まっていた。

 木々は衣を脱ぎ、人は纏う。


 シトラスたちは四門の南――アップルトン家が治める南の領地へと向かう馬車のキャビンにいた。 

 シトラスとミュールが横に並んで座り、その対面に智勇の勇者が座っている。


 馬車をひく二頭の馬の内、一頭は一際大きな黒馬――ウオックである。

 なんと彼女は自力でチーブスからポトム王国の首都キーフまで帰ってきていたのだ。

 さすがの彼女も長旅に疲れ果てた様子を見せていたが、恐るべき帰巣本能と体力である。


 シトラスが勇者としての地上で出てきてから、その生活のそのほとんどをウオックの引くキャビンで過ごしていた。

 なお、勇者の馬だけあって、もう一頭の体格も中々のものである。


 貴族御用達の馬車の中は、空調を最適に保つ高価な魔具のおかげで快適である。

 厚手のローブもその室内では無用の長物と化し、今は各自の脇に置かれていた。


 キャビンには酒や軽食まで常備されていた。

 車輪にはサスペンションもついており、走行中のキャビンへの衝撃はないに等しい。

 最高級のふかふかのソファはベッドソファであり、夜には寝具の役割を果たす。

 三人が川の字になって寝るのだ。


 立ち寄った町々で依頼をこなし、時にウオック以外の馬を変えながら南を目指していた。


 シトラスはキャビンの車窓から外の景色を眺めていた。


「あ、雪だ」


 その視線の先では、粉雪がハラハラと舞い降り始めた。

 うつらうつらと舟を漕いでいたミュールが、シトラスの言葉に反応する。

 シトラスが覗く車窓の反対側の車窓から、曇天の空を見上げる。


「シトちんとミュールちんは南に行くのは初めて?」

「うん。だからちょっとワクワクしてる」


 智勇の勇者は、 

「そんなにいいものでもないけどね、南は」

 南の地へ期待の笑顔を浮かべるシトラスに苦笑いを零す。


「何かあるんですか?」

 ミュールの問いに智勇の勇者は、

「まず何といっても寒いのよ。夏はまだいいけど、今の時期のような年の瀬に行くような場所じゃないわ。依頼じゃなきゃ絶っーー体に冬に南になんて来ないわ」


 眉間に皺を寄せて、いっーと歯を見せて不満を零した。


 ミュールがそんな智勇の勇者に、

「今回はどんな依頼だっけ?」


「魔物の討伐以来ね。それが複数」

「冬は魔物も大人しくなると思ってけど違うの?」

 シトラスの問い掛けに智勇の勇者は、

「そうね。基本的にその認識で合っているわ。特に魔獣に関してはほとんど冬眠しているわ。冬に活動する魔物は大きく二種類。これわかる?」


 その問いに二人は見上げた後に首を振る。


 智勇の勇者は、対面に座る二人に向けて左手を持ち上げた。


 持ち上げた左手の食指を立てると、

「一つは気温の影響を受けない魔物。寄生型であったり、その環境に適応することで生き残ってきた魔物たち」


 宿主に依存する魔物には、気温の影響を受けないものも珍しくない。


 長い間同じ地域で生息し続けた魔物が、環境に最適化する話もよくある話である。

 人も魔物も同じように環境に適応できたものだけが、種として生を繋ぐことができた。


 続いて中指を立てると、

「もう一つが、|狂化≪バーサーカ≫した魔物。こいつらは空腹や、住処を追われた、突然変異などで冬にも活動するようになった個体」


 左手を下ろすとため息を吐いて、

「後者の相手はタガが外れているのが多いから、ちょっと骨が折れるのよね」


「……前者であることを祈るばかりですね」

 苦笑いを零すミュールに智勇の勇者は、

「残念だけど後者よ。王国に七人しかいない勇者が出るってことはそういうことだから」


 智勇の勇者は、そう言って窓の外へと視線を向けた。

 

 粉雪は音もなくシンシンと降り注いでいる。

 外の景色は時間と共に白へと覆われていくのであった。


 ◆


 南北に通る森の一本道を抜けると雪国であった。

 地面も輝いていた。城の検問所に馬車が止まった。


 馬車の頭上では太陽が雪の白さを際立てている。 

 シトラスたちはついにアップルトン家のお膝元の都市へと辿り着いた。 

 都市の名はガラ。

 

 検問を抜けた先は、都会が待ち構えていた。

 白い地面を雑踏が繰り返し踏み固めていく。


 東の四門――フィンランディア家が治める中心都市ポランドにも匹敵する大都市であった。

 都市は見上げるほど大きな城壁に囲われていた。パラパラと雪が微かに落ちた。

 城壁の上で哨戒の任についている者たちが、豆粒のように微かに小さく見える。


 都市はポランドより一層軍事都市の側面が強く感じられた。


 |常足≪なみあし≫まで馬の歩調を落として、街の中心部へと向かう。


 ポランドが城壁の外へ外へと都市を拡張し続けてることに対して、ガラはそのすべてが都市の中で収まっていた。


 横ではなく縦へ。


 ガラの建築物は縦に縦にと拡張されていた。

 中には上下の建屋であからさまに色や、材料が違うものもある。


 街の通りを歩く人の人口密度は、シトラスが今まで見た中では一番であった。


 中心部にはひと際立派な屋敷。

 その高さは、ガラ一番を誇っていた。

 屋敷の天守からは、街を一望できる。


 屋敷の門をくぐり、ウオックたちを預けると屋敷の主へと挨拶に伺う。


 屋敷の応接室。

 シトラスたちは当代のアップルトン公爵と相対した。

 ソファに座って公爵と向き合う三人。


「遠路はるばるよく来れくれましたね勇者」


 当代のアップルトン公爵は温和の人であった。

 その整った顔立ちは、シトラスと同い年の公爵の息子――エステルにしっかりと受け継がれていた。


 エステルは整った顔立ちに、四門という家柄、学園行事で入賞するだけの成績が相まって、在学時代はファンクラブができる程の人気者だった。

 シトラスは新入戦、対抗魔戦でエステルとしのぎを削ったが、そのすべてで後れを取っていた。

 それはいまだ味の残る苦い思い出である。


 公爵自ら智勇の勇者に魔物討伐の依頼に関する情報を共有する。

 シトラスとミュールは、智勇の勇者の後ろで口を挟まずに二人の話に耳を傾ける。


 小難しい話だ。

 ときおり、机の上に用意されていたお茶で喉を潤しながら、話は続けられた。


 話が一通り話が終わったところで、公爵はふとシトラスにその視線を向けた。


「――そう言えば君は、シトラス、と言ったかな?」

 シトラスが肯定の意を返すと公爵は続けて、

「君は愚息と同じ世代だと聞いている。会っていくかい? 今なら屋敷の裏庭で妻が剣の稽古をつけているはずだから」


 公爵の誘いに言葉を返したのは、智勇の勇者であった。


「それはいいですね。シトちん、後のことはいいから今から会ってきなよ」

「では、屋敷の者に案内させましょう」


 とんとん拍子に話が進む。

 特に親しくもない間柄であるが、こうなってはその誘いを断る理由もない。


 シトラスは抜群の愛想笑いを浮かべて、首を縦に一度だけ動かした。






 シトラスとミュールは執事に案内されて、屋敷の裏庭へとその足を運ぶ。


 足を進めていると何かがぶつかり合う音と、ときおり派手な破壊音が聞こえてきた。

 その音は裏庭に近づくにつれて、大きくなる。


 どうやら裏庭で模擬戦の最中のようだ。


 二人が足を踏み入れた裏庭は混沌が広がっていた。


 元は丁寧に手入れされていたであろう花壇はぐちゃぐちゃであった。

 花壇自体が損傷している箇所もあった。

 地面のいたるところは陥没しており、整備されていたであろう芝生が見る影もない。

 それはまるで怪獣が暴れたあとのようである。


 花壇の一部ではチリチリと火が燃え広がっているのが見えた。


 その先で二人の人物が木剣を持って対峙していた。

 茶髪に赤眼のエステル。もうひとりは背の高いの妙齢の女性。

 公爵の話からするに公爵夫人であろう。

 彼女は自らの手で我が子をしごきあげていた。


 エステルの視線が、裏庭に足を踏み入れたシトラスへと動いた。


 公爵夫人はその一瞬の隙を見逃さなかった。

 一気呵成に攻め立てる。


「ほらほらほらほらッ!」


 笑顔で地下強く振る木剣。

 強化された木剣同士がぶつかり合うたびに、周囲に破裂音を響かせる。


 防御一辺倒だったエステルの木剣が突如として燃え上がる。


「あっ……」


 公爵夫人の手にしていた木剣が、炎を纏った木剣にその根元から断たれた。


 木剣の剣身が地面に落ちたのが終了の合図だったようだ。

 裏庭に張り詰めていた緊迫していた空気が弛緩するのがわかった。


 公爵夫人が顔を赤く染め、

「強化魔法以外はなしと言ったろう!」

 エステルに歩み寄った。


 公爵夫人は女性では長身の類。

 並ぶと二人の身長差はほとんどない。


 母親の講義をを涼しい顔で受けながすエステルは、

「すみません。まさか母上ともあろう方が、我が子が客人に気を取られた隙をつくとは思わず、つい」


 エステルが嫌味で応酬すると、公爵夫人は子どものようにその場で地団駄を踏み始める。


「ずるいずるいッ! もう一回もう一回ッ!」

「母上はいい加減その負けず嫌いを何とかした方がよろしいかと……」


 愚図る母親に呆れた視線を送った後、それを無視してシトラスたちの下へと歩み寄る。


 同性から見て整った顔立ちに端正な笑みを浮かべて、

「シトラス・ロックアイス。それにミュール・チャンだね。我が領地へようこ――」

「――やだやだッ! エステルが私のこと無視するッ!」

 

 どの角度から見てもイケメンのアルカイックスマイルがピシリと氷つく。


 ギギギ、と振り返ると、

「……母上。客人の前です」

「あー! そんなこというー! |公爵≪パパ≫に言いつけるからね! エステルがお腹を痛めて生んだ|母上≪ママ≫を虐めるって!」


 エステルは眉間を摘まんで大きくため息を吐いた。


 それを見て、シトラスは思わず吹き出した。


「……見苦しいところをお見せした。もう知っているかもしれないが、あれが私の母上だ」


 あぁ見えて昔はその腕一本で騎士候まで上り詰めた方なんだがな、と続けた言葉の先では、公爵夫人はついに白々しいウソ泣きまで始めていた。


 執事も見慣れた光景なのか、公爵夫人より未だ火がくすぶる花壇の鎮火を優先していた。


「ううん。違うんだ。ぼくが笑ったのは、エステルってもっと取っつきにくいイメージがあったから……」

「学生時代は気も張っていたからな。もし何か失礼なことをしていたのなら、この場を借りて謝罪しよう」


 立場がある者は、そう簡単には人前では謝罪できない。


「いや、そんな謝罪なんて……謝罪、なん、て……」


 今も脳裏に残っているかつてエステルから投げかけられた言葉。


「『神童の弟と言うから期待していたが、弟は弟に過ぎない』だったかな。あれには傷ついたなぁ……」

 わざとらしくチラチラと伺うシトラスに、

「うっ……過去の私はそんなことを?」

 エステルは|狼狽≪うろた≫える。


 追撃するようにミュールが思い出したかのように口を開き、

「あれか新入戦か。シトが泣いたところを初めて見たけど、そんなこと言われたのか……引くわー」

 本気で軽蔑した視線を投げかける。


 エステルはさらに狼狽えた。


 いつの間にしれっと輪に加わっていた公爵夫人も、

「えー。エステル。同級生にそんなこと言ったの? ママも引くわー」

「母上は黙っていて下さい」


 打って変わって冷めた目で返すエステル。

 し、しどい……よよよと泣き崩れるふりをする公爵夫人。


 泣き真似をする公爵夫人を無視してエステルは居住まいを正すと、

「その件に関しては本当にすまない」

 深々とその腰を折った。


 それは|潔≪いさぎよ≫い謝罪だった。


「うんいいよ。もう許した! あー! 良かった。ずっとモヤモヤしてたんだ! ほら、学生時代はぼくたちあんまり話す機会なかったでしょ?」


 シトラスが破顔して謝罪を受け入れた。


 エステルは、ほっと小さく息を吐いた頭を上げると、

「それもそうだな。何せ君は"|風の女王≪シルフィード≫”の弟で、"赤毛の狂犬"がずっと傍にいたからな。話そうにも話せなかった。狂犬は今は西部のジュネヴァシュタインに派遣されているんだったか」

「そうそう。メアリーは王国魔法騎士団っていうところに配属されたみたいだよ、ってエステルもだっけ?」


 王国魔法騎士団は、勇者と王国軍と並ぶ三大軍事組織の一角。

 魔闘会や対抗魔戦の実況で、毎年のように団員が学園にその姿を見せていた。


「あぁ。七席に名を連ねる者は特に理由がない限りは、魔法騎士団へと入団することになるな。まだお会いしたことはないが君の姉上も在籍しているはずだ」

「そっか。メアリーもがんばったからね。元気にしているといいけど」


 "赤毛の狂犬"の二つ名を持つメアリーは、シトラスとミュールの幼馴染。

 剣士として凄まじい才能をもった彼女は、最終学年でカーヴェア学園の最上位成績者の称号である"七席"の地位に至った。


「……俺は元気過ぎやしないかということが心配だけどな」

 ボソッとミュールは毒を吐く。


 メアリーは二つの名が表す通り、学園では問題児としても有名であった。


「傍にいたと言えば、君がよく行動を共にしていた猫人族の彼女――ブルー・ショットには会ったか?」

「えっ? ブルーは今ガラにいるの!?」


 ブルーとは、学園に入学以来懇意にしており対抗魔戦、魔闘会、勇者科、勇者部などで共に学びあった仲。

 種族の垣根を越えて、友人と呼んで憚らない存在である。


「あぁ、私と共に騎士団から南部へと派遣されていて、この屋敷に滞在している。今から呼び寄せよう」

「あ、それなら任せて?」

 

 そう言って音を立てて大きく息を吸う。


 エステルは怪訝な顔を浮かべる。

 任せるって何を? と言おうとした矢先。


 その口を開くより先に、

「ブルゥゥゥウウウーーッッ!!」


 シトラスが空に向かって叫んだ。


 その隣でミュールが呆れたように、

「もう俺は驚かないよ」


 叫び声の余韻が空気に溶け込む頃、軽快な足音が聞こえてくる。

 音は軽く、一歩の滞空時間が長い。

 ぐんぐんと近づいてくる音。


「シトッ!」


 銃口から放たれた弾丸のように飛び込んできたのは、琥珀色の髪と柑橘色の瞳を持つ美女。

 その頭上には、種族の特徴を表す三角耳。

 お尻の尻尾がピンと立っている。立てた尻尾の先が小刻みに震えている。


 飛び込んだ勢いを殺すように、ぐりんと空中で一回転。

 

 手を広げて待つシトラスの胸へと飛び込んだ。

 自身の匂いをつけるかのように、ぐりぐりと胸元に顔を擦りつける。


「……驚いた。私と南部に派遣されて二ヵ月になるが、彼女の笑顔を見るのはこれが初めてかもしれない」

「大丈夫。慣れるよ」


 ミュールがどこか達観した顔でそう言った。


「彼と彼女は……そう言う関係なのか?」

 エステルは遠慮がちに尋ねると、

「……俺も怖くて聞けてはいないけど違う、はず」

 ミュールは少し自信なさげにそう言葉を返した。

 

 二人の視線の先では、抱き合って再会を喜ぶシトラスとブルーの姿。


 エステルがポツリと呟く。

「いずれにせよ。意外だな」

「意外って何が?」


「猫人族の姫君と仲のいい君が、智勇の勇者と行動を共にしていることがだよ」


「……え?」

 シトラスとミュールの声が重なった。


 ブルーを抱きしめながら、シトラスの顔もエステルを見つめていた。


 エステルは声のトーンを抑えると、

「……その様子だとまだ知らないのか? 智勇の勇者は――」

「――ちょ、ちょっと待て! エステル。ブルーのことを何て言った?」

 それを遮ったミュールに、シトラスも、

「聞き間違えかな? ブルーのことを猫人族の姫って言った気がしたんだけど」

 目を丸くしていた。


 二人の反応に、エステルはきょとんとした表情を浮かべ、

「……言ってなかったのか?」


 視線をシトラスの胸元へと向ける。


 ブルーはシトラスの胸元から顔を離すと、

「必要ない」

 すまし顔でそう言い放った。


 少し呆れた様子のエステルは、

「ポトム王国で家名がある亜人も珍しいだろうに」

 シトラスとミュールに視線を送った。


「そうなの?」

「言われてみればそれもそうだ」


 ミュールはなんで気がつかなかった、と言わんばかりに自分の額に手を当てた。


「猫人族の有力氏族の一つ、ショット家の姫君だ。人族にはピンとこないかもしれないが、彼女が獣人族に与える影響力は少なくない」

 

 ミュールは散々シトラスが彼女を振り回してきた学生時代を思い出した。

「……這いつくばった方がいいか?」

「いい。別に」


 シトラスを介して始まった二人の仲。

 それでもなんだかんだ学生時代の対抗魔戦で、毎年のようにタッグを組んで好成績を収めるだけ息は合っていた。

 ブルーにとってミュールは、シトラスの次に親しいと呼べる人族である。


「はえー。ブルーはお姫様なんだ」

「気にしないで。猫人族は氏族がいっぱい。その中の一つ」

 そう言って再びその胸に顔を埋めた。


「おーーい。シトちーん」


 屋敷から手を振ってゆっくりと歩いてくる人影。

 それは智勇の勇者であった。


 どうやら公爵との話が終わって二人を迎えにきたようだ。


「久しぶりだね。エスちん」

「お久しぶりです。智勇の勇者様」

「エスちんは特別に、チユ、って呼んでもいいんだぞ?」


 エステルは智勇の勇者の流し目を笑って受け流した。

 二人の反応を見るにこのやり取りは恒例のようだ。

 

 頬を膨らませた智勇の勇者は、エステルからシトラスへと向き直る。

「もう。相変わらずつれないんだから。じゃあ、シトちん、ミュールちん。依頼に行く――」


 智勇の勇者の孔雀色の瞳が、シトラスの胸元で顔を埋めているブルーを捉えた。


 ――よ。


 智勇の勇者の言葉が止まった。


 冬の寒さが厳しさを増した気がした。

 天候は変わらないのに、空気が一気に冷たくなる。

 真冬に何も纏わずに、屋外に放り出されたかのように空気がピリピリと肌を刺す感覚。


 ブルーが勢いよく身を翻すと、それまでの上機嫌さが噓のように臨戦態勢を取った。


 背筋を走った突然の悪寒に、ミュールは困惑していた。

 何度も彼女とタッグを組んだミュールは、それが彼女が本気で戦うときの構えだということにいち早く気がついた。


 冷めきった瞳でブルーを捉えた智勇の勇者は、

「|それ≪・・≫は……?」

 誰ともなしに尋ねた。


 ブルーは鼻に皺をよせ、嫌悪感を剥き出しにして智勇の勇者を睨みつけている。


 シトラスは普段通りの様子で、

「彼女はブルー。ぼくたちの学生時代の友達なんだ」


 続けてブルーに顔を向けると、

「ブルー。この人が今のぼくの上司の智勇の勇者だよ」


 笑顔で交互に二人を紹介した。


 智勇の勇者は能面のような無表情で、

「友、ダチ……?」

 口元にだけ張り付けた笑顔が浮かんでいた。


 エステルが脇から、

「加えて、彼女は魔法騎士団に所属しています。今は私と共にフロス公国への警戒の任についてます」


 一瞬の沈黙後に、固まった空気が弾けて消えた。


「……なーんだ! 先にそれを言ってよー! シトちん、エスちん!」


 智勇の勇者はニコニコとした笑みを浮かべていた。


「シトちん、ミュールちん。私たちはこれから依頼に向かうわよ。じゃあエスちん、またね」

 そう言うが早いが踵を返し、屋敷へと歩き出した。


 智勇の勇者の豹変に胸を撫で下ろしたミュールは、

「なんだったんだ……」


 ブルーは牙を向いて小さく唸っていた。 

 小さくなる背中をいまだに目で追っている。


「行こうミュール。じゃあ、エステル、ブルーまたね。ぼくたちは当分はこの街に滞在する予定だから、ご飯でも行こう」

「あぁ、君も気をつけて」


 ブルーの頭を一撫ですると、シトラスは智勇の勇者を追って歩き出した。


 ミュールもその後に続こうしたところに、後ろから声がかかる。

「気をつけろ」


 エステルのそれはひどく短い警告であった。


 ミュールは、

「それは何に……?」

 眉に皺を寄せて振り返った。


 エステルはただ、

「まともな人間に勇者は務まらない」

 漠然とした言葉を返すだけであった。


 それで話は終わりだとばかりに、それ以上その口を開けることはなかった。


 ミュールはこれ以上何も聞けないと悟り、その肩を竦めた。


 先の方ではミュールを呼ぶ声が聞こえた。

 シトラスへ「今行く!」と言葉を返すと、小走りで駆け出した。


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