三章 勇者編

七十三話 夢と現実と


 肌寒い日が増えてきた季節。

 ローブを身に纏う人の姿も随分と増えてきた。

 太陽がその姿を隠している間は、涼しいというより寒いという表現が相応しい。


 太陽がその全貌を地平線から見せ始めた頃。


 金橙色の髪と瞳をもつ青年――シトラス・ロックアイスは王城にいた。

 学園城と王城――双子城を繋ぐ連絡橋の先。

 王城へとその足踏み入れていた。


 その隣には、金髪琥珀瞳の幼馴染であり従者でもある――ミュール・チャンの姿もある。

 ツンツンとした金髪が落ち着きなそうにソワソワと動いている。

 隣に立つシトラスと比べても、その瞬きの回数が多い。


 王城に足を踏み入れた二人に駆け寄ってくる一つの影。


「やっほー。君が勇者の新顔だね!」


 ニコニコとしている妙齢美女が歩み寄りながら声をかけた。

 肩の辺りで外に跳ねている銀髪。

 その前髪は目元にかかっており、その下には力強く輝く碧色の瞳。

 身長は女性にしては長身で、シトラスとさほど変わりはない。


 返事も待たずに美女はミュールへと視線を移すと、

「それで君が特例の従者くんだね!」


 うんうん、と一人で喋って一人で頷く美女。


 次にカッと目を見開いたかと思うと、

「ワタシは勇者二位の"魔勇"の勇者、マユちー、って呼んで!」


 魔勇の勇者の勢いに押されながら、二人は挨拶を返す。

 ミュールはその勢いにタジタジである。


 シトラスは学園を卒業すると、願い叶ってポトム王国の勇者へと抜擢された。

 学園の寮でその辞令を受け取った時は、嬉しさのあまり一人で踊り出したほどであった。


 勇者になることが小さい頃からの夢。

 今その一歩を踏み出したのだ。


 魔勇の勇者はジッと、シトラスは見つめる。


「ところで君にはなりたい勇者はあるかい?」

「ぼくは人を助ける勇者になりたい!」


 その問いに間髪入れずに答える。

 

 首を縦に数度振りながら、

「いいねいいね! それじゃあ、どうやって人を助けたい?」

「どうやって……?」


 シトラスはミュールと顔を見合わせる。


「そうだよ! もっと言うとね――君にとって勇者ってなに?」


 魔勇の勇者は困惑するシトラスを見て、

「ふふッ。いいねいいね! 悩め悩め若人よ! 今すぐにとは言わないよ! 決まったら教えてね! それより今から他の勇者と顔合わせをするんだけどね! 勇者同士が顔を合わせる機会というのは実はあんまりないことなんだよ! 六位の"智勇"が勇者となって以来じゃないかな!」


 ついてきて、と言うと返事も待たずに歩き出す。

 二人は慌ててその背中を追った。


 魔勇の勇者は言動から豪快さと快活さに満ちていた。

 

 ずんずんと歩く彼女は、やがてある一室で足を止める。

 そのドアをノックもなしに豪快に開け放った。


「やっほー! みんな、おひさー! 揃ってるー?」


 手を振りながら入室するそのあとに続く。


 室内には四人の人影があった。


 引き締まった体躯をもつ顔に深い皺と傷が刻まれた壮年の男。

 小柄でシトラスとそう変わらない若々しさをもつ女。

 椅子の上で膝を立てて座っているオドオドした男。

 背筋をピンと伸ばし、目を瞑っているモノクルをかけた男。


 赤みを帯びた橙色――赤褐色の髪と瞳をもつ壮年の男が口を開く。

 顔にくっきりと刻まれた深い皺に、複数の刀傷と思しき傷痕。

 それが男の経歴を雄弁に物語っていた。


「一位がまたおらぬ」

「まだ任務で忙しいのかもね! それよりも――」


 じゃじゃーん、と言ってシトラスたちを紹介するようにその両手をひらひらと動かした。


「ゴウくん、それにみんな! 彼が待ちに待った七人目! 最後の勇者くんだよ!」

「やっとボクチンの後輩にもできた」

「そだねー! チユちゃんの初めての、そして最後の後輩になるね!」

「それはわからないよマユちゃん。他のセンパイ方がいつまで、そこに座っていられるかわからないもんね」


 手を口元にあてて笑う小柄な女性に、壮年の男が青筋を立てる。


 魔勇の勇者に『チユちゃん』と呼ばれた女性。

 その外見の年齢のほどは、今年学園を卒業したシトラスたちとそう変わらないように見えた。

 ほんのり緑をおびた冴えた青色――孔雀色の髪と瞳。

 その瞳がからかうように細められる。


「小童が喧嘩を売っておるのか?」

「えー、買ってくれるのー?」


 部屋に流れ始めた剣吞な空気を払拭するように、パンパンと手を叩く。


「殺し合いならよそでやってねー! まずは自己紹介! 改めて、ワタシが勇者二位"魔勇"で――」


 壮年の男が一瞥した後に目を瞑って、

「ワシが勇者三位"剛勇"」


「ゴウくんとケンくんの間にいるのが、勇者四位"沈勇"のチンくん」


 魔勇の勇者に紹介されたのは、モノクルをかけた二十代後半の容姿の男。

 干した青草のような少し暗い青緑色――蒼色の髪。

 シトラスたちが入室してから閉じられていた瞼が一度だけ持ち上がる。

 髪と同じ蒼食の瞳が、シトラスの金橙色と交差すると、その瞳は再び閉じられた。


 小柄な女性が身を乗り出すように、

「ボクチンが勇者六位"智勇"。ほら、ケンちんも挨拶して!」

「オイラは勇者五位"剣勇"、なんだな」


 智勇の勇者に後押され、剣勇の勇者も名乗りを上げる。

 年のほどは智勇の勇者より上で、沈勇の勇者よりは下ぐらいだろうか。

 赤身の鮮やかな黄色――ターメリック色の髪と瞳。

 椅子に膝を立てて座っている剣勇の勇者。

 丸まった背中はどこか自信がなさげなで、覇気が感じられない。


「勇者一位のゼッちんは任務で不参加だけど、この六人と君を含めた七人がポトム王国における最高戦力――勇者なんだよ!」


「ぼくはシトラス。こっちの彼が幼馴染のミュール。みんなよろしくねッ!」


 智勇の勇者だけが、よろしくー、と言葉を返した。

「君の勇者の号はおいおい決めるとしよう! まずは恒例通りは各勇者に一年づつ預けるから、そこで勇者について学ぶといい!」


 そう言うと魔勇の勇者は説明を続ける。


「驚いた? 今や勇者も分業制なんだよ。

 ワタシこと"魔勇"が魔法及び支援担当。

 ゴウくんこと"剛勇"が戦争担当。

 チンくんこと"沈勇"が治安担当。

 ケンくんこと"剣勇"が諜報担当。

 チユちゃんこと"智勇"が魔物担当。

 基本的に分業制で、規模が大きくなれば担当の勇者の依頼で仕事を負担することになるんだよ」


 "黒薔薇公"絡みは別だけどね、とウィンクをする。


 南の隣国――魔人の国フロス公国。

 国を治める三人いる公主の一人、"黒薔薇公"。

 かつて、大陸統一にあと一歩まで近づいたフロス公国の立役者。長寿な魔人の中でも飛びぬけて長寿な"黒薔薇公"は、不老不死とまで噂されていた。

 大陸最強の一角、その抑止が王国の勇者に期待される役割でもあった。


「君にはまず、チユちゃんのところから始めてもらおうかな。年も近いし、そこで勇者についてしっかり学ぶといいよ。そこで|やりたいこと≪・・・・・・≫が決まったら教えてね」


 魔勇の勇者は、智勇の勇者の方へ向き直って、

「それじゃあチユちゃんよろしくね」

「……シトちんはいいんだけど、その後ろのも?」

「うん。国王陛下がね。彼と一緒に、って」


 勇者は一人で始めるのが通例であった。

 勇者パーティーを集めるのはいい。

 だが、その始まりはいつも一人であった。


 智勇の勇者が不満そうに唇を尖らせると、

「えー、コブ付き?」


 それに同調するように、

「最近の若者は情けない」

 剛勇の勇者も下を向いて、頭を左右に振った。


 二人のその反応に、魔勇の勇者の纏う空気が変わった。



「――国王陛下の采配に文句があるの?」



 一気に冷えた室内の空気にミュールが唾を飲み込んだ。


 智勇の勇者は詰まらなそうに顔を背け、

「そうじゃないけど……わかったわよ。連れていくわよ。はい。シトちんに、ミュールちん? だっけ行くわよ」

「素直でよろしい」


 その反応に覇気を消して、にっこりと笑った。


「あっ。最後に一つ! ここのところ少し羽目を外し過ぎてるみたいだからほどほどに! 王宮から抗議が年々増えてるぞ! 特にチユちゃん、ってもう……」


 智勇の勇者はシトラスとミュールの手を引いて、脱兎の如く部屋から逃げ出した。






「逃げてよかったの?」

「いいのいいの。マユ|姉≪ねぇ≫の説教は長いのよ」


 智勇の勇者を先頭に、王城の廊下を歩く三人。


「姉? 姉妹なの?」

「ううん。赤の他人。ほら、勇者に女は二人しかいなくて。年も上だから。知ってる? あぁ見えてマユ姉は勇者の中で年齢も歴も最年長なのよ」

「えっ? あの剛勇の勇者よりも?」

「うん。マユ姉あぁ見えて百を優に超えてるから。歴については、今いる勇者メンバーの歴史って、一位と二位以外は実はそう深くないのよ。確かにゴウちんが次に最年長だけど歴は二十年ぐらいってマユ姉に聞いてるわ」


 二十年。それは長い様で短い時間である。

 高い魔力は老化を遅らせる。

 人族でも百歳を超えてなお若々しい者も、上級臣民の中では珍しくない。


「一位の人は?」

「ボクチンも良く知らないんだ。また会ったこともない。ただ勇者の中の勇者って呼ばれてることしか」

「会ったことないの?」

「うん。ボクチンはシトちんたちと五つしか変わらないからね。それに意外かも知れないけど、勇者同士って顔を合わせることは少ないんだよ。ケンちん以外と会うのはこれでまだ二回目だからね、ボクチンも」


 その割にはかなり喧嘩腰の発言もあったような、というツッコミの言葉をミュールは飲み込んだ。

 沈黙は金である。


 代わりに窺うように、

「発言いいですか?」


 恐る恐るなミュールに智勇は苦笑いを零して、

「いいよいいよ。堅苦しいのは。さっきはごめん、食って掛かって。もう気にしてないから」


 ほっと小さく息を吐いたミュールは、

「ありがとうございます。俺たちはこれから何をするんでしょうか?」


 顔だけ振り返ると智勇の勇者は笑った。


「狩りだよ――狩り」





 智勇の勇者に連れられてきたのは地下世界。

 地下に広がる空と陽がある世界。


 王都キーフと地下都市エッタはクレータと呼ばれる穴で繋がっている。

 エッタはポトム王国領の地下世界では唯一と言っていい都市。


 地下世界も地上世界と同じように人々の営みが広がっている。

 食べて、祈り、働き、眠る。

 この世の不変の真理である。


 三人はエッタにある魔法協会の支部に足を運ぶ。


 朝の協会の中はこれから依頼に挑もうとする冒険者たちで賑わっていた。

 一階の一面を占める見上げるほど大きな掲示板。

 そこにはと狭しと依頼が張られていた。


 掲示板の依頼書は次から次へと取られていく。

 その傍らでは職員が新しい依頼をてきぱきを留めていた。


 それを横目に三人はカウンターへ向かうと、さっと列が割れる。

 その眼には驚きと怯えの感情が浮かんでいた。


 智勇の勇者は気にすることなく、ドカッとカウンターに肘を置いて微笑んだ。


「前からなんか変わったことある?」

「これは智勇の勇者様。畜産の牧場近くで大型の鳥竜種の存在が確認できました。変異種のようで既に下級冒険者だけでなく、中級冒険者の方々も何名か命を落とされました。こちらをお願いしてもよろしいでしょうか」


 そう言って受付職員の男性は、カウンターの下から一枚の依頼書を取り出した。

 取り出した依頼書をスッと滑らして智勇の勇者へと渡す。


 一瞥だけくれると、再び職員を見つめ、

「えぇ、いいわよ」

 

 差し出された依頼書を雑に丸めると懐にしまった。


 智勇の勇者が顎で後ろのシトラスたちを示すと、

「彼らは新しい勇者。シトちんとその付き人のミュール。覚えておいてね」


 承知しました、と職員はカウンター越しに恭しく頭を下げる。


 名前が呼ばれたので、智勇の勇者の後ろから頭を下げる二人。

 職員は二人と視線が合うと二ッコリと微笑んだ。


「かしこまりました。新しい勇者と言うと七人目の?」

「そうなるわね。なによ? 魔法協会の職員ともあろうものが迷信を信じているの? ぶっ飛ばすわよ?」

「め、滅相もございませんッ」


 ならいいわ、と依頼書を手にその身を翻す。

 大股で魔法協会を後にするその背中をシトラスとミュールの二人が追いかけた。


「迷信ってなんのこと?」

「ん? あぁ、七人の勇者が揃う時は王国に禍が訪れるって言う迷信よ」

「これまでに揃ったことってないんですか?」

「記録の限りでは一回だけみたいよ。それが二十年前」


 勇者の初代とは、フロス公国の攻勢によるポトム王国の滅亡を阻止するため、三人の公主への奇襲を企て、内二名を討ち取ることに成功した"勇者王"。


 王位即位後ほどなくして、勇者特権を含む勇者に関する法律を制定。

 それに対する反乱を、武力で排除。以降は王家直属の私兵として勇者を抱えるようになった。


 "勇者王"が定めた定数は七人。


 長い王国の歴史でその人数に達したことはただの一度しかなかった。

 それが二十年前の話。それも内紛ですぐに瓦解。

 正式に七人で行動することはなかった。


 この勇者の歴史を指して一部の間では、勇者の呪いとまで言われていた。

 

 歩きながら勇者の歴史を話す三人。


 先頭を歩く智勇の勇者はとある商館の前まで来るとその足を止めた。

「ここでいいか……」


 訝しむ二人を尻目に、その足を商館へと向ける。


 商館の門を抜けると、視線が三人に集まる。

 商館にはどことなくピリッとした空気が流れていた。

 三人に集まるその視線はどこか鋭い。

 

 ミュールが周囲を見渡すと、慌てて視線を送っていた商人たちはその目を逸らした。


 商館から一人の男が歩み寄ってきた。


「これはこれは……智勇の勇者様じゃありませんか。本日はどういった御用件でしょうか?」

「馬が欲しいわ。三頭。いますぐに」

「……承知しました」


 唇を湿らせ、視線を一度泳がせたあとに|丁稚≪でっち≫を呼び寄せる。

 三人の目の前で馬を手配について話し合う商人と丁稚。


「あの、俺たち持ち合わせがないんですが。その、大丈夫ですか?」

「ふっ。お金って。そんなものは必要ないわ。私たちが望むものを差し出すのは王国民の義務よ」


 シトラスとミュールはおぼろげながらに理解した。

 送られてくる視線の棘の正体に。


 商人にとって、馬という生き物は移動手段という面以外にも大きな意味がある。

 『馬を持って一人前』

 そう言われるほど商人の中では、馬持ちはステータスであった。

 何年も何年も汗水流して、下積みを得てようやく手に入れる|夢≪ウマ≫。


 それを、無償でかっさらう存在が面白いわけはない。


 ややあって丁稚が三頭の馬を連れてくる。


 頭を下げて礼を言うシトラスとミュールに対し、いち早く馬上に身を翻した智勇の勇者は、周囲を睥睨するだけですぐに馬の首を入口に返した。






 馬を駆り、エッタを出てから随分と経った。

 地下世界の頭上に輝く陽は頭上に位置していた。


 振り返っても街はもう見えない。

 街を離れるにつれて、自然は深くなる。


 その九割が未開拓地域とも言われる地下世界。

 |鬱蒼≪うっそう≫と生い茂る森を切り裂くのように走る三頭の馬。


 どれくらい走っただろうか。

 速足の馬の息が上がり始めている。


 森を抜けた先には、赤い屋根が特徴的な施設が遠目に見えた。

 その周囲には柵と、動物たち。


 あれが依頼のあった畜産の建屋で間違いないだろう。

 お尻が痛くなり始めていたミュールの心が少し軽くなった。


 見る見る近づく建屋。

 順に馬の歩行を緩める三頭。


 先頭を走っていた智勇の勇者が馬上から首を真横に動かした。

 その視線の先は、先の見えない生い茂った大自然。


 遅れてシトラスとミュールも視線を送る。


 あっ。


 その声を漏らしたのはシトラスかミュールか。


 視線の先。

 森の隙間から地を這うようにして、奇怪な八足歩行の魔物が姿を現した。


 全体的に平べったい体。

 大きな口。顔を横断するような大きな口。

 目は顔の側面についていた。ぎょろぎょろと得物を探して目玉が動き回っている。


「いくわよ」


 馬を飛び降りた智勇の勇者は、魔法で体を強化して駆け出した。

 軍用ではない馬は、戦闘では足手纏いである。


 慌てて二人も馬から降りると、強化魔法でそれに続く。


 歩調を緩めた智勇の勇者は、

「シトちんとミュールちんは援護。主攻は私」


 それだけ言うと再び二人を突き放すように駆け出した。

 あっという間にその背中は点へと変わる。


 その早さにミュールは思わず、

「はえぇ~」

 感嘆の声を漏らす。


 魔物が上体を起こした。

 八足ある足の前の四足が、腕のようにしなり智勇の勇者を押しつぶさんとする。


 その一撃一撃が地面を抉るほどの破壊力。

 そこから生み出される衝撃に、二人は思わず顔を覆って立ち止まる。

 衝撃波が二人の頬を撫でた。


 再び見上げた先では、智勇の勇者は舞いのような華麗さをもってそのすべてを躱している。

 

 ミュールはごくりと唾を飲み込んだ。

 

 その隣に立つシトラスの額にも汗の珠が浮かんでいた。

「命がけ、だね……」


 当たれば即死。

 カーヴェア学園との行事と違い、生命を担保してくれるブローチはない。

 怪我した際に治療してくれる先生もいない。

 

 視線の先では、反攻に転じた智勇の勇者が魔物に傷を作っていく。

 痛みからか、怒りからか魔物が吠える。


 <|獣の咆哮≪ハウル≫>


 魔法を使うのは何も人だけではない。

 人族には人族の、亜人には亜人の魔法があるように、魔物も魔法を使う。

 |魔≪・≫法生|物≪・≫なのだ。そこに使えない理由がない。

 魔法生物の中でも人に害を与えるものを魔物と呼び、他とは区分してきた。


 魔力を乗せた魔物の咆哮に空気が震える。

 

 二人は見上げるほどの巨躯を誇る魔物の前に立ち止まっていた。


 あと数歩踏み出せば、魔物の攻撃の射程圏。

 智勇の勇者と死闘を繰り広げている目の前の魔物は、側面についた目が時折二人の方に動いている。


 当の二人も無意識的に気がついていた。

 そのほんの数歩先に死線があるということに。


 戦闘の最中、魔物から目を逸らさずに智勇の勇者が叫ぶ。

「どうするシトちん! 引き返すなら今の内だよッ!」


 その口は笑っていた。戦場に酔っていた。

 勇者になる者にまともな人間などいない。


 ふとシトラスは隣を見る。

「……ミュール、震えているの?」


 小刻みにその手が震えているのがわかった。


 人とは不思議な生き物である。


 自分より緊張している人がいる。

 その事実だけでこんなにも緊張がほぐれるのだから。


「ばかいえ、武者震いだよ。シトは?」

「ぼく……? そうだね、やっぱり死ぬのは怖いよ。今にも口から何か出てそうだ」

「じゃあやめとくか? ご丁寧にも智勇の勇者は俺たちに考える時間をくれているみたいだぜ」

「ううん、必要ないよ。ぼくの答えは決まっている」


 気がつけば二人とも体の震えは止まっていた。


「ぼくは進むよ」


「その心は?」


 シトラスは胸を張って笑顔で答える。


「――ぼくは勇者だからね」


 そう言ってその死線へと足を踏み入れた。

 

 ミュールはその答えに一度目を見開く。

 次いで、太陽を見たように目を細めた。


「よしきたッ。援護は任せろッ!」


 両の拳を突き合わせて気合を入れる。


 二人の足の向く先。

 智勇の勇者が、軽い身のこなしで宙を舞うように二人のところまで後退してきた。


 見上げる程の魔物を一人で相手取ったというのに傷一つ、汚れ一つない。


 横目で探るようにシトラスを見つめ、

「シトちんの答えは出た?」


 智勇の勇者の言葉に、魔勇の勇者の言葉が重なった。

『――それじゃあ、どうやって人を助けたい?』


 シトラスは一度口もとを緩め、再び引き締める。


 智勇の勇者を力強く見つめ返し、

「うん。進むよ。ここで被害を止めないとまた犠牲者が出る。ぼくは――」


 魔物が再び咆哮を上げて、シトラスたちのいる方角へ方向転換する。

 ストレスが溜まっているのか、地団駄を踏む魔物の足により重苦しい音と共に土煙が上がる。


「――人に仇なすものを倒す勇者になるよ」


 智勇の勇者は一瞬だけその目を優しく細めた。

 何かを思い出すように、何かを慈しむように。


 くすくすと笑う。

「ふふッ。シトちんも大きく出たねぇ――じゃあ、その今日がその一歩だね」


 そう言うと、懐から一枚の|移動式魔法陣≪スクロール≫を取り出した。


 <|召喚≪サモン≫>


 魔力を注がれた魔法陣から一振りの剣が出てくる。


 それは惚れ惚れとする輝きを持つ剣であった。

 飾り一つない簡素な、王道の形の両刃の剣。

 どこにでもある形。どこにもない輝き。


「魔力を流してみて」


 差し出された剣を受け取ると、言葉のままに魔力を流す。


 剣が体の一部になる。腕と手の延長線上に剣がある。

 例え目を瞑っても剣先の長さがわかる感覚。まさしく剣と一体になった。


「”王道の剣”。とても素直な剣。素直すぎる剣。勇者祝いにシトちんにあげる」

「えっ? いいの?」

「いいのいいの。それより、魔物さんが怒っているみたいだね」


 踏み固めた地面を蹴って怒り狂った魔物が迫る。


「いくよッ!」


 智勇の勇者は駆け出した。

 シトラスもその後に続く。


 四足の腕が二人を襲う。


 シトラスは初撃を何とか躱す。

 その間にも智勇の勇者が腕代わりに振り回す四足のうち、一足を切り落とした。


 緑色の液体と共に、魔物の悲鳴が漏れる。


 シトラスも痛みに悶える魔物の隙をつき、一足を切り落とす。

 返り血で服が緑に染まった。


 ますます暴れ出す魔物は、懐に入った二人を押しつぶさんと起こした上半身を伏せようとする。

「まずッ!」


 シトラスの額に汗がつたったのとほぼ同時に、魔物の上半身を雷が穿った。

 空気を切り裂く音が周囲に響いた。

 

 ミュールの雷魔法の援護である。


 倒そうとした上半身を反り返らせた魔物の姿。

 着弾箇所は焦げており、感電しているようでその体はびくびくと動くだけ。


 隙だらけであった。


 振り返ると、ミュールが雷魔法を放った体勢のまま固まってた。

 シトラスの視線に気がつくと、唇だけを動かした。


『やっ ち ま え』


 強化魔法で地面を強く蹴って飛び上がる。

 固まっている魔物の足を足場に更に上へ。


「うぉぉぉおおお!!」


 光のない魔物の瞳の下。

 顔を横断する大きな口の下。


 ぶよぶよとした首元に渾身の力と魔力を込めた一撃が入った。


 強化された剣の刃は、抵抗も感じさせず振り切られる。

 噴水のように緑の血が吹き上がると、その下に虹を作った。


「やった、うぁぁぁあああ!?」


 後先を考えない一撃に、体勢を崩しながら自由落下する。

 残り少ない魔力を全身に流し衝撃に備える。


 その心配はいらなかった。

 智勇の勇者が、俵抱きするようにシトラスを抱え上げたからだ。


 ミュールがその光景に胸をなでおろした。


 シトラスが無事に地面に降り立つと同時に、首から上をなくした魔物の上体は力なく地面へと横たわるのであった。



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