幕間 ウィップ


 夜を照らす、燃え盛る森。


 チーブス王国によるポトム王国侵攻戦。

 北部の町――グラキエースへ向かう途中での哨戒部隊との遭遇戦。


 その中で相対した、名も知らぬ獣人族の女戦士。


 全身を布地で覆い隠した戦士は強かった。

 間違いなく今まで戦った中で一番の戦士。

 カスタネアの援護がなければどうなっていたかわからない。


 威力偵察中にであったポトムの哨戒部隊。

 事前にスパイから哨戒ルート、人数、装備の情報を受け取っていた。

 彼らはかっこうの獲物であった――


 ――獲物になるはずであった。


 戦士はその身一つで、文字通り命をかけて仲間の哨戒班を逃した。


 亜人種に対する差別の根強いポトム王国。

 亜人種は国に対する忠誠心など皆無で、追いつめられるとすぐに逃げる。

 そうタカをくくっていた。


 それがどうだ。


 そう油断した者から、その骸を晒すことになった。


 戦士は逃げ込んだ森で、孤軍ながら大いに戦った。

 高低左右を駆使した素早い立体的な戦闘は俺たちを覆いに苦しめた。


 最終的にカスタネアの魔法で森を焼き払い、疲労で動きの鈍った戦士を俺の魔法が切り裂いた。


 燃え盛る森の中。


 木にもたれ掛かる戦士。

 胸を貫いた。その命はもう長くない。


 戦士の作る血だまりは時間と共に広がっていく。


 俺も戦士の端くれ。

 命を賭けて仲間を逃がしたこの戦士には、敬意を払うべきだと感じた。


「はぁはぁ……。お前の仲間は逃げたよ。敵ながら見事だ」


 これでポトムもチーブスの侵攻にようやく気がつくことだろう。


「お前、最後に言い残すことは、あるか?」


 ハラリと顔に巻いていた戦士のかんばせが露わになった。

 押さえつけられていた黒髪が戦士の顔に落ちてくる。


 その戦士は若かった。俺と同じか、少し上か。

 いずれにせよそう大差ないだろう。


 それでこの実力、やはり世界は広い。


 俺は戦士の言葉を待つ。


 出血と疲労により、その意識は混濁しているようであった。

 戦士の銀色の瞳が映すのは今か、過去か。


 口から赤い線を引きながら、おもむろに戦士は口を開く。

「あぁ……こん、なことに、なるなら……やっ、ぱり、抱いとく、べきだった、ぜ」


 彼女の頬からつたう一筋の涙。


 それは涙であった。

 

 恐怖でも、悲しみでも、痛みでも、興奮でもない。

 それはおよそ戦士が戦場で流す涙ではなかった。


 血の気泡が口から滴り落ちる。

 最後の力を振り絞るように、もう一度だけ小さく口を開いた。


 ノイズが走る。

「―――――」


 最期になって何が言いたいのか。

 その言葉はひどく耳障りだった。


 ノイズを切り捨てるように、手にした<雷光剣>を横に振るった。


 その涙がなんだったのか、俺にはわからなかった。



 俺は政略結婚の末に貧乏男爵の子に生まれた。

 生まれた俺は両親と会うことは限られた時間しかなかった。


「お前が俺の母上じゃないのか?」

 当時は乳をくれる乳母が母親だとさえ本気で思っていた。


 両親は不仲であった。

 誰がどうみても不仲であった。

 俺はさながら二人の不仲の象徴だったのかもしれない。


 今となってはわからない。

 母親はいつの間にか消えていた。


「父上、母上は?」

「……お前の母はもういない」


 その後、父親は違う女性と結婚したらしい。

 俺は新しい母を見るより前に、王都にある他家へと奉公にだされた。

 母だと思っていた乳母は見送りに来てはくれなかった。


「好きにするといい」

 

 奉公先では寝食の世話はしてくれる。

 ただ、それだけだった。


 奉公らしい奉公も何一つ言われなかった。

 俺も奉公先に何か言うことはなかった。


 俺はただ、そこで息をしているだけで。


 誰も俺を見ない。

 誰も俺は見ない。


 俺には何もなかった――ただ魔法の才能を除いて。


 幽鬼の如く、無為に時間を過ごす中。

 俺は奉公先の書斎で一冊の本にであった。

 あとで聞いた話では商人の忘れ物であったらしい。


 それは魔法に関する書物であった。

 

 それにすぐに夢中になった。

 幸いにして、俺には才能があった。


 奉公先の貴族はそれを知るとすぐに掌を返した。

 俺は奉公先に願って、王都にある魔法の私塾を叩いた。


 俺はすぐに一番になった。


 俺の実力がわかるとすり寄ってくる奴は大勢いた。

 友達など恋人など、弱い奴はすぐに群れたがる。


「愛なんてくだらない」


 先生はそんな俺を見て悲しそうに笑った。


 王国軍に入隊できる年齢になると、俺は軍に入った。

 そこでも俺はすぐに頭角を現した。

 

 物足りなかった。満たされなかった。

 敵も味方も程度の低い者ばかりであった。


 入隊して数年たったある日の事。

 初めて敗北を知った。


 相手は護国騎士団の総隊長。

 この時の俺はおごっていた。自信の才能に。


「君の魔法には想いが足りない。

 魔法を学びたければ、人を学ばなければならない」


 何を言っているのかはわからなかった。


 ただ強く願った。強くなるために。

 ――この人の者で学びたい。


 俺はその場で総隊長への弟子入りを直談判した。

 その才能と熱意を見出され、見習いということで護国騎士団への入団を許可された。


 そこで火属性の魔法と得意とする年上の少女――カスタネアと出会った。

「私はカスタネア。あなたの噂は聞いているわ。超絶空気の読めない天才児だって!」


 軽いノリの彼女に振り回されることが多かったが、不思議と悪い気はしなかった。

 彼女とはよく雑用や鍛錬を共に過ごした。


 火属性の魔法による中長距離攻撃を得意とするカスタネアと、雷属性の魔法による近距離攻撃を得意とする俺は相性がよかった。


 護国騎士団で見習いとして経験を積んで数年が経った頃、隣国であるポトム王国との戦争が始まるという話を聞いた。


 それからほどなくして、俺たちは前線指揮官としての従軍を命じられた。

 そこで活躍をすれば、正式に騎士団へと入団を認めるという。

 聞くとカスタネアも同じ条件を提示されたようだ。

 

 俺は――俺たちは張り切った。

 

 スパイからの情報で、国境を切り崩す。

 軍首脳陣はスパイからの条件であるグラキエース攻略に舵を取った。


 哀れにも味方に裏切られたポトムの隙をつく。

 グラキエースまで数日というところで、件の戦士の所属する哨戒班と遭遇した。


 威力偵察の部隊に甚大な被害を及ぼした戦士以外に、敵らしい敵はなかった。


 その後、攻め入ったポトム北部のグラキエースでは、孤軍奮闘する領主夫人を

「――ごふッ」

 死闘の末に制した。


 彼女は強かった。

 魔法の実力では圧倒しているはず、仕留めきれない。

 目には見えない強さがあった。


 俺が領主夫人を抑えている間に、カスタネアが領主の首をその手で刎ねた。

 カスタネアがその首を屋敷から持って帰ると、それを見た領主夫人に致命的な隙ができた。


 その隙を見逃さなかった。

 彼女の胸元を<雷光剣>で貫く。


 領主夫人は貫かれてなお、首だけとなった領主に手を差し伸べ――こと切れた。


 返り血で染まったカスタネアの顔色はあまり優れなかった。

 グラキエース領主は最期まで「まだ死ねない」と喚いていたらしい。


 二人の首は今回の侵攻で軍首脳陣から最優先事項であった。

 この勲功をもって俺たちは正式に護国騎士団へと入団した。


 そんな俺たちに充てられた最初の任務は、チーブスの姫の王都への輸送警護であった。


 チーブス王国の長子にして”暴虐姫タイラント・プリンセス”。

 破壊を司る悪魔とも言われ、王国民でその名を知らない者はいなかった。


 姫は王の手で長い間、辺境の地に幽閉されていた。 

 彼女が、逆侵攻してきたポトムへの切り札として軍へと招集されたのだ。


 その力は圧倒的だった。


 姫の前に人の命は塵芥も同然だった。

 万余の軍勢で籠城するポトム王国北東方面軍を、たった一人で壊滅させてしまった。


 その姫の護衛という。


 護衛の必要性を感じないが、政治的なしがらみだそうだ。

 御守役がまだ生きていれば引き継ぎ、いなければそのまま御守役の任につけと言う。 


 姫のいる天幕へ迎う途中、

「捕虜が御守役になって一ヶ月か。生きていると思うか?」

「賭けるー? じゃあ私は死んでる方ね!」

「……賭けにならなそうだな」


 このとき賭けに乗っておけばよかったのも後の祭り。


「姫様……と御守役の捕虜。まだ生きていたのか……」

「えぇ!? それってすごーいッ!!」


 その後、姫とひと悶着あったが、団長と捕虜の男――シトラスのおかげで、事態は収まった。


 驚いたことに姫がシトラスの言うことを聞いたのだ。

 これに護国騎士団は驚きと共に脅威を覚えた。


 仮に姫がほだされでもして、チーブス王国に牙を向いたら厄災どころの騒ぎではない。


 それを憂慮する王国中枢部によって、新たに任務が書き換えられた。

 ――姫と同居して、その秘密を握れ。



 こうして姫と敵の捕虜シトラスとの奇妙な同棲生活が始まった。


『うん。よろしくねウィップ、ネア。――やったねシーヤ。お友達が増えてこれから楽しくなるね!』


 捕虜の男は何も知らずにそう言って笑っていた。

 こちらにその気はないというのに。


 同じく派遣されたカスタネアは任務を知ってか知らずか、相変わらず能天気であった。

 もとより、才能があっただけで、争いを好まない彼女。

 戦争よりは向いているのかもしれない。


 姫はやはり気難しかった。

 特に最初の印象が悪かったのか、なかなかその心を許してはくれなかった。

 カスタネアとはすぐに仲良くなったのだが。


『――魔法を学びたければ、人を学ばなければならない』

 総隊長の言葉を実践するいい機会であった。


 しかし、一週間……。二週間……。

 一ヶ月が経っても俺と姫の距離感は変わらなかった。


 その一方で、カスタネアはシトラスとも良好な関係を築いていた。

 俺は直接的に任務に関係のないシトラスとは距離を置いていた。


 このままでは任務に支障が出る。

 俺には気難しい人の気持ちなどわからなかった。


 俺は悩んだ。悩みに悩んだ。さらに一週間は悩んだ。

 そして、初めて他人カスタネアにに相談することに決めた。


 思い切って相談したところ、

「ウィップって私以外に友達いるの?」


 それが答えだった。


 このときになって気がついた。

 姫には少なくとも、シトラスとカスタネアという友達がいることに。

 そして俺には、カスタネアしかいないことに。


 ――気難しいのは俺の方だった。



 俺は自分の過ちを受け入れた。

 他人を少しづつ受け入れるように努力し始めた。


 捕虜の男と侮っていたシトラスも――シトも話せばわかる奴だった。 

『ウィップの雷光剣ってカッコいいよね』


 魔法で何を為すのか。

 何を守りたいのか。


『君の魔法には想いが足りない。

 魔法を学びたければ、人を学ばなければならない』


 あの時の言葉の意味が少しわかった気がした。


 どこまでも強くて寂しがりなシーヤ姫。

 軽いノリに反して、暗い過去をもつカスタネア。

 人を引き寄せる不思議な魅力をもつシトラス。


 半年の生活を通じて、俺たちは友になった。


 ――俺は友を守りたいと強く願うようになった。


 総隊長への定例報告。

 報告は遠距離通信を可能とする魔法具で音声を通じて行われる。


 俺が通信の中で総隊長へ心境の変化を告げると、

『ようやく君は愛を知ったのですね』

 魔法具越しの声が柔らかくなった。


「あ、愛? いや、俺はそう言うつもりじゃ。そもそもシトラスは男です」

『ウィップ。愛はね。何も恋仲には限られないんだよ。君が感じているその感情も間違いなく愛だよ――それは友愛』

「友、愛……」


 その言葉はストンと腑に落ちた。


 俺はあの三人を友だと思っている。慈しんでいる。

 これが愛ではないのであれば、なんなのだろうか。


 言葉を噛み締めていると、総隊長が優しく笑った気がした。


『あぁ、おめでとう。……愛を知った者は強いよ。次に手合わせする時が楽しみだね』


 それから俺の魔法は変わった。


 天才であっても与えられる時間は等しく平等である。

 新たな自分に必要な魔法を磨くことにした。


 思えば、<雷光剣>のような一対一の近距離攻撃魔法しか学んでこなかった。

 自分一人の力だけを頼りにしていたからだ。


 友と触れ合うことで、助けたい、力になりたい、と考えるようになっていった。


 そんな中でシトラスの力を借りて手にした新魔法<雷鞭>。

 近中距離に柔軟に適応できるこの技は、まさに最適であった。


 攻守に応用が利き、友を助けることもできる。


 半年にも及ぶ四人の奇妙な同棲生活は、楽しかった。

 友と過ごす時間はこんなにも楽しかったのか。


 ――ともを学ぶことで強くなれるのなら、俺はどこまでも強くなれる。

 俺は本気でそう思った。


 しかし、始まりが問然であれば、終わりも突然であった。


 突如四人が暮らす屋敷へと現れたのは、チーブス王国で最も勢いのある人物――ジンジャー閣下。

 国王陛下と王妃様からの信頼の厚い人物。

 対ポトム王国の戦争の最高責任者。


 前日に使者が来たかと思えば、その翌日には当の本人が来た。

 閣下は謎の多い人物だ。

 王国内にはシンパも多い。

 子飼いの食客たちは強者ばかり。


 そんな閣下から、居間で紅茶を啜りながら告げられた事実。

「シトラスくんのご領地は我々の手で滅亡しました。領地の名はロックアイス、我々にとってはグラキエース、と言ったわかりやすいかもしれませんね――詳しくは、私よりもそこにいるお二人の方がよくご存じかもしれません」


 閣下から伝えられた言葉を聞いたあと、俺は何も考えられなかった。


 グラ、キエース――否、ロックアイス。

 そして、シトラス・ロックアイス。


 領主の名を頂くシトは、つまりはそう言う訳で。


「なに、それ……。二人が、殺したの……? ぼくの家を、故郷を……父上と母上と?」


 隣のネアは顔面蒼白であった。

 鏡を見なくてもわかる。俺もきっとそうなのだろう。


 目の前で友人が打ちのめされている。

 何かを言わなければならない。

 

 どの口で言葉をかけるというのだ――打ちのめした当人が。


 シトはまるで別人のような無機質な声で、

「ぼく、行くよ」

 それはいつもの温かい声とは違った。


 無音が部屋を支配した。

 俺は何も考えられなかった。考えたくなかった。


 だからだろう。

 姫の凶行への初動に遅れたのは。


 姫が暴走してその力をシトに向けた。

 あの姫が、あれだけシトに懐いていた、慕っていた姫がその力を翳す。


 それだけは、見たくなかった。

 それだけは、許されなかった。


 シトの故郷を滅ぼしたという自責の念に駆られていた上に、姫の突然の凶行。


 あまりの衝撃に思考が硬直する。


 姫の手に、光が収束する。

 全てを滅する破壊の光が。


 その凶行は間一髪で閣下の魔法具によって防がれた。

 最悪の事態は免れたのだ。


 しかし――


「シトッ!」

 

 ――糸の切れた人形のように座っていた椅子から崩れ落ちる。

 それを俺は素早く移動して受け止めた。


 それを目を見開き、隣で青褪めた表情でシトを見つめるネアに

「大丈夫だ。気を失っているだけだ」


 外傷はない。


 それだけショックだったのだろう。

 俺もそのショックを与えた一人だ。


 俺は、俺たちは友を裏切ってしまった。


 閣下の言葉が事実であるとするならば、俺は友から全てを奪ってしまった。

 家族、故郷、友人そのすべてを。


 俺は友から奪ったもので、この場所に立っていた。

 

 ――友を守りたい?

 友の守りたいものが奪った俺がそれを言うのか。


 甦るのはいつか記憶。


 戦士だった彼女の最期の言葉。

『あいしてる』

 そこにもうノイズはなかった。


 それを知ったところで、どうすればいいか俺にはわからなかった。


 瞳から一筋の線が流れ落ちた。

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