七十二話 卒業と表彰と


 夕日が空を焦がしている。

 山に隠れたその姿は半分も見えない。

 東では焦がされた空を鎮めるように、青の色が広がりつつある。


 裏魔闘会は、オニキスの優勝で幕を閉じた。

 メアリーの暴走により一波乱こそあったものの、イベント事態は成功と呼べるだろう。


 校庭に設けられた仮設闘技場。


 会場を後にする生徒たちも満足気であった。

 その顔には笑みが浮かんでいる。

 どの試合が良かっただの。どの魔法が良かっただの。

 自分も今度こそはと。

 

 仮設闘技場には、今や来賓客だけが残っていた。

 学園長のネクタルの姿は既にない。

 魔法闘技場で行われている魔闘会の挨拶のために、既に仮設闘技場を後にしていた。


「メアリー、か……いいの彼女を放っておいて?」

 そう口を開いたのは、バレンシアであった。


 挑発するようにヴェレイラに視線を送る。


「今はいい。シトがそれを望まない」

 探るように半目を作ったバレンシアは、

「今は、ねぇ……。少し心配だなぁ。これ以上傷をつけられたくはないのだけれど」

「なら、お前がやってみるといい。できるものならな」

 その口ぶりが、お前にはできない、と言いたげであた。

「……私は君から消してもいいんだよ? 青二才」

 それを鼻で笑うヴェレイラは、

「やってみるといい。骨董品が」


 火花を散らす二人。

 来賓席の気温がぐっと下がった気がした。

  

 そこに更に火薬が投下される。


「二人ともわらわが今すぐ消し飛ばしてやろうか?」

「姫ぇ……」

 カスタネアが泣きそうな声で、後ろからシーアに縋りついた。


 彼女も護国騎士団へ名を連ねる優秀な戦士。

 その実力故に、この来賓席の異常性は理解していた。

 この場で何か・・あった時に、自身が役に立たないことも。


「調子に乗るなよ? 私は従者のように甘くはないぞ姫サマ」

「そうだね。卵の殻がお尻についている内は、大人しくしておくといいよ姫サマ」


 二人の魔力が膨れ上がった。


 それが奔流となってシーヤに押し寄せる。

 濡れ烏色の髪が、風が吹いてもいないのに後ろに勢いよく流れる。


 負けじとシーヤの体から溢れ出す魔力。


 シーヤの後ろに立つウィップの前髪が吹きあがる。

「もういやだ……」


 本音がその口から零れ落ちた。

 戦いは望むところである。だが、これは違う。


 ヴェレイラとイクストゥーラは三つ巴の争いには無言を貫いていた。


 ヴェレイラは、ジェーンをあやすことに夢中であった。

 彼女の母性が輝いていた。


 ヴェレイラの腿の上に座るジェーンは、今やその胸を枕に眠っていた。

 すぅすぅと小さく音を立てる可愛らしい寝息に、ヴェレイラの頬が緩む。


 イクストゥーラは、剣呑な雰囲気にも身じろぎせず一つしない。

 来賓席に用意された椅子に座ったときから、彼女は何も変わらない。

 ただ、規則正しく小さく上下し続けるその胸の隆起。


 仮設闘技場がすっぽりと日陰に覆われる。


 荒れ狂う竜巻のように、三つ巴でぶつかる魔力の渦。

 それが急に霧散する。


 カスタネアはほっと胸をなでおろす。

 その隣でウィップが、何が起こったのか三人を見渡す。


 三人とも振り返って、無言で来賓席の出入口を見つめていた。

 イクストゥーラも、席に座ってから初めて反応を見せた。


 ヴェレイラは、優しい手つきでジェーンを撫でながら首だけ振り返る。

 今の今まで眠っていたジェーンが、温かい大きな手の下でぱちりとその目を開けた。


 その答えは小走りはやってきた。

「みんなー! 今日はありがとう!」


 数分前が嘘のように相好を崩す三人。


 ジェーンが、ヴェレイラの膝の上から飛び降りて駆け出した。

「シトーーッ!」


 駆けよってきたジェーンを抱きしめて、シトラスはその場で一回転する。

 その胸の中で甘える彼女に、三人はムッと面白くなさそうな表情を浮かべた。


 ジェーンをあやしながら、

「シーヤはいつまでポトムこっちにいるの?」

 と口を開けば、

「わらわ? ……そうじゃなぁ。学園とやらに興味が湧いた」


 ウィップは嫌な予感がした。

「姫……?」


 その予感はすぐに的中した。


 立ち上がって振り返ったシーヤは、

「わらわもお主の学園に通うことにしよう」

 形の良いその胸を張った。


「え!? ほんと!?」

 喜色を浮かべるシトラスに、

「姫ぇ!?」

 驚色を浮かべるカスタネア。


 それは良かった、とシトラスが笑顔を浮かべる。

 その反応にシーヤも満足顔を浮かべる。


 チーブス王国にとって、護衛として派遣されている二人にとってはもちろん良くない。

 二人は素早くアイコンタクトを取る。

 ――やばい。ネア。なんとかしろ。

 ――むり。ウィップの方こそなんとかして。


 答えはでなかった。

 それこそが答えだったのかもしれない。


 二人は空を見上げて、天に強く願った。

 ――頼む。姫の願いを聞き届けないでくれ。



「――ということで、わらわはシーヤ。短い間だがよろしく頼もう」

 

 窓から朝陽が差し込む歩兵科の教室。

 朝の授業を前に、シーヤは教壇に立っていた。

 歩兵科を専攻する生徒を前に胸を張る。

 その後ろに控えるのは、ウィップとカスタネア。


 天がウィップとカスタネアの願いを聞き届けることはなかった。


「えー、シーヤ姫はチーブス王国との友好の橋掛けとして、卒業までの三ヶ月。みなさんと共に歩兵科で共に学ぶことになりました。ポトム王国の臣民として、恥じない立ち振る舞いをお願いします……本当にお願いします」

 

 教壇に立つ教師の顔色は良くない。

 下級臣民を対象とする授業で、彼女に何を教えるのか。

 授業を専攻する生徒もシトラスを除けば、その生まれが貴族でないものばかりである。

 彼らがシーヤと問題を起こせば、それ国際問題である。

 その際は、担当教師の責任も免れない。


「俺はウィップ。姫の護衛だ。短い間だが世話になる」

「私はカスタネア。彼と同じく姫の護衛よ。よろしくね!」


 不愛想なウィップと、愛嬌を振りまくカスタネア。

 カスタネアが最後にウィンクすると、教室の男子生徒は盛り上がりを見せる。


「ありがとうございます。それでは三人は――」

 教壇から空いている席を探す教師を無視して、シーヤは歩き出す。


 その足は、シトラスの座る席の隣で止まった。


「――退け、下郎。そこはわらわの席じゃ」

 シトラスの両隣に座るブルーとメアリーを見下す。


 黒の瞳と、柑橘色、赤の瞳が交差する。


 机の下でメアリーの手がピクリと動いた。

 椅子の下でブルーの尻尾がパタパタと動いた。


 教室で誰かが息を呑んだ。


 立ち上がったシトラスは、

「おいでシーヤ」

 手を差し伸べる。


 シーヤはその手を取り、勝ち誇った顔を浮かべた。

 彼が選ぶのは、やはり自分なのだと。


 そして――


 シトラスの後ろの席では、ミュールが目を見開いていた。

「おまえ……」


 ――歩兵科の教室にブルー、シーヤ、メアリーの並びの地獄の座席が完成した。


 当の本人のシトラスはその一列後ろの席に座った。


 ――ちがう。そうじゃない。

 クラスメートは、肩を震わせる三人の並びを見てそう思った。



 魔闘会の翌月に控える魔法試験。

 今年は戦争の影響を考慮して、生徒に大幅な救済措置が取られていた。

 特に従軍した上級生には進級、卒業が確約されていた。


 この救済措置に、シトラスとレスタは寮で歓喜の舞を見せた。

 二人は魔法試験では、毎年のように低空飛行を披露していた。


 そのさらに翌月、舞踏祭。

 シトラスたち最上級生にとっては、卒業式を除くと最後の学園行事である。


 ポトム国王の体調が一時悪化したこともあり、開催が危ぶまれた。

 しかし、持ち直した国王の一言で、舞踏祭の開催は決定した。


 チーブス王国の姫――シーヤの存在もあり、国のテコ入れもあったこの年の舞踏祭。

 それは例年以上に豪勢なものであった。

 王国中の著名な音楽家や、芸術家が集められた舞踏祭に、生徒は大盛り上がり。


 シトラスは、午前はメアリーと、午後からはブルーと踊った。

 最後の自由時間は、ポトム王国の接待が終わったシーヤと音楽に身を預ける。

 

 その傍らには、普段の様子が嘘のように仲睦まじいレスタとエヴァ。

 普段通りの仲睦まじさのミュールとオーロラの姿もあった。


 最後の自由時間には、ウィップとカスタネアもおずおずと踊っていた。

 とことんぎこちないステップを踏むウィップを、笑ってリードするカスタネア。


 こうしてシトラスたちにとって最後となる舞踏祭も、ここに幕を閉じたのであった。



 夏がすぐそこまで迎えにきた季節。

 これが学園最後の日。

 

 カーヴェア学園の大講堂では、一年を締めくくる終業式。

 シトラスたちにとっての卒業式が執り行われていた。


「あっという間だったね」

「あぁ」


 シトラスの言葉に、隣に座るミュールがしみじみと頷き返す。

 反対側にはメアリーの姿もある。

 少し離れたところには、ブルーの姿も確認できた。


 来賓扱いのシーヤたちには、特別に別席が設けられていた。


 式が終われば、もう学生ではいられない。

 モラトリアムの締めくくり。


 卒業生たちは、これから七年の軍役につく。


「シトは配属先決まったのか?」

「それがまだなんだよね」


 余韻に浸る時間ぐらいはありそうである。


 惜別から、式典の最中に既に涙を流している生徒もいた。

 それをいつも見守る側であったが、五年目の今年はその当事者であった。


 壇上で、小さな学園長――ネクタルが祝辞を述べている。


 魔法で拡声された声変わり前の中性な声が堂内に響く。

 

 それが終われば、卒業生たちにとって最後の表彰式である。

 それは学園の総合成績十名が発表される場所。


 先日、卒業式に先だって行われた成績発表。

 最終的な専攻課程の成績を受け取った生徒たち。

 五年間の集大成である。

 快哉を上げたものもいれば、涙を呑んだものいる。

 

 絶対的な評価基準に基づいて評価されるのが専攻課程すれば、他の生徒たちとの相対的な評価に基づいて評価されるのが総合成績。


 卒業生がそこに込める思いは一入ひとしおである。


「誰が表彰されるかな?」

「メアリーは間違いないだろ。あいつにとっては学園が加点方式でつくづくよかったよ」

 減点方式なら放校もありえた。

「あとはオニキスもだね」

「あれだけお膳立てして、十傑に漏れたらパンチしてやろうぜ」

 なんて言って笑う二人。


 式典は総合成績の表彰式へと進む。


『いやー緊張するね。実は僕もこの紙を見るまでは十傑が誰なのか知らないんだよ』

 朗らかに笑うネクタル、手にした紙を掲げて見せた。


 それを壇上の机の上に置くと、大講堂に座る生徒を一望する。


『準備はいい?』

 笑ってそう言うネクタルに、少なくない生徒が首を縦に振って答えた。


 壇上に立つ学園長のネクタルにより、今年度の成績上位十名を十位から順に読み上げていく。


『それじゃあ、いくよ。第十位! 五年生……ブルー・ショット!』


 最初にその名を呼ばれたのはブルーであった。

 友人の表彰に、二人は割れんばかりの大きな拍手を送った。


 その視線の先で、ブルーは立ち上がると壇上に一礼。

 そして、少し固まった後に、シトラスの座る方へ振り返ると一礼して、席に座った

 それは彼女のなりの感謝であった。


 九位から六位の生徒は、シトラスの馴染みのない生徒であった。

 

 続く第五位は、

『第五位! 四年生……オニキス・ドゥ!』


 盛大な拍手を送る。

 立ち上がったオニキスは四方に頭を下げた。

 その後、シトラスに向かって頭をもう一度下げた。


「そうこなくちゃね」

「これで裏魔闘会を開いた会があったもんだ」


 次第に拍手が鳴り止み、次の表彰に移る。


『第四位! 五年生……シトラス、ロック、アイス……?』

 手元の紙を読み上げたネクタルであったが、その声は困惑を隠せないでいた。 

 

 伝播するようにもざわめきが生まれた。

 特に最上級生は困惑を隠せない。


 周囲の視線が一斉に集まる。


「なん、で……?」

 シトラス本人が一番困惑を隠せなかった。


『……シトラス・ロックアイス。立ってもらえる?』


 壇上のネクタルに促されて、混乱する頭で立ち上がる。


 拍手は――上がらなかった。


 隣に座るミュールがシトラスを複雑な表情で見つめる。

 彼は知っていた。シトラスが表彰に足る成績ではないことを。


 シトラスは学園で起こした事件の数々で有名人であった。

 幸か不幸か、その実績が十傑に及ばないことも知られていた。


 立ち上がったシトラスへ、

「インチキだッ!」

 在校生の誰かがそう叫んだ。


 不正か。卑怯者。

 狡い。なんであいつばかり。


 最上級生を中心に不満の声があがる。


 シトラスは冷や水を浴びせられた気分であった。

 自分がこの表彰にふさわしくないことも知っていた。

 その胸の輝石は今も黄色に輝いている。


 突如、声が止んだ。


 周囲を見渡す。

 不満の声を上げていた生徒は、口をパクパクとさせている。

 不満がなくなったわけではなく、大講堂から音がなくなっていた。

 入学式でもみた光景であった。


『静粛に』

 ネクタルの声だけが響く。


 笑みのなくなったその表情。

『表彰者には惜しみない拍手を――いいね?』

 そこには有無を言わせない威圧感があった。


 ネクタルが指を鳴らす。

 大講堂に音が戻る。


 何もなかったのように笑顔で、その名を再び読み上げる。

『第四位! 五年生……シトラス・ロックアイス!』


 今度は会場中から拍手があがった。寒々しい拍手が。

 シトラスは一礼だけすると素早く、席に座った。


 心配そうな表情を浮かべたミュールは、口を開く。

 しかし、何も言わずにその口を閉じた。


『第三位! 五年生……ボルス・ジュネヴァシュタイン!』

 

 打って変わって大講堂は歓声や拍手が沸き起こる。

 温かい声援の中、立ち上がったのは筋肉隆々の青髪碧眼の偉丈夫であった。

 四門の西、ジュネヴァシュタイン家の嫡子。

 四方に礼をすると厳かに座り直す。


『第二位! 五年生……エステル・アップルトン!』


 その名前が読み上げられると、一段と黄色い声援があがった。

 立ち上がったのは茶髪赤眼の美少年であった。

 四門の南、ジュネヴァシュタイン家の嫡子。

 四方に礼をすると軽やかに座り直す。

 女生徒から送られる拍手は、なかなか鳴り止まなかった。


 ここで生徒たちは思った。

 入学時から好成績を残し続けている四門の二人が、二位と三位に終わったぞと。

 中でも今年の魔闘会は、二人の痛み分けの同時優勝であった。


 満を持して読み上げられる最後の名前。


 それは――

『第一位! 五年生……メアリー・シュウッ!!』

 ――メアリーであった。


 戸惑いの拍手がまばらに上がった。

 それに追従するかのように機械的な拍手が上がる。

 だがどれも力なかった。


 隣に座るシトラスに促されて、メアリーはようやく立ち上がる。

 入学以来、一貫して学園の位置づけに興味などなかった。


 頭を下げずに、ただ壇上のネクタルを睨めつける。

 裏魔闘会で土をつけた、ネクタルを忘れてはいなかった。


 ただ、強さだけを求めていた。

 斬りたいものを斬る強さを。


 困惑でざわめきが生まれる中、シトラスたちはカーヴェア学園を卒業した。


 

 昼下がりの午後。 


 卒業式を終えたシトラスは王城へと足を運んでいた。

 何はともあれ表彰されたからには、王城で王の謁見しなければならない。


 その傍には、ブルーとメアリーの姿もある。

 表彰者以外の姿はない。

 ミュールも今頃は学園の寮で首を長くして待っていることだろう。


 名誉と共に王と対談する場所。

 なぜ表彰されたからわからないシトラスは、戸惑いの中にいた。


 十人の選ばれた生徒たちは四列になって、国王が座る席に向かって立っていた。

 先頭に、メアリー。

 その後ろに、エルスとボルス。

 さらにその後ろに、シトラスとオニキスともう一人の生徒。

 最後尾に、ブルー含む四人の生徒。


 大丈夫? とブルーが後ろから肩に顎を乗せて、ピトリと寄り添う。

 ありがとう、と言うとその頭を一撫でしてあげる。


 近衛兵の声が高らかに響いた。

「国王陛下のおなーーりーー!!」


 九人・・の生徒が一斉に膝をつく。


 膝をついたシトラスが顔を下げたまま、

「メアリー、はうす」


 その声に反応して、先頭で立ち尽くしていたメアリーも緩慢な動作で膝をついた。


 のっしのっしと歩く足音が近づいてくる。


 足音は、空の王座の前で止まった。

 次にどしんという重く響く音。

 十傑の生徒たちが頭を下げる王座に座ったようだ。


「表をあげぃ」

 その声がどこか聞き覚えがあった。


 声の主を思い出すより早く、その姿が視界に入る。

 それは、チーブスから帰還したときにあったポトム国王における権力者の一人、王弟――マーテル。


 顔をあげた十傑の生徒も動揺を隠せなかった。

 王座に座る王弟。

 これだけで、雲行きが随分と怪しいものになる。


 マーテルは玉座から十傑を見下ろしていた。

 玉座の肘置きに左肘をたて、頬杖をついている。


 オニキスが口を開いた。

「こ、国王陛下は?」

「――陛下の午前で許可なく口を開くとは、なんたる無礼かッ!」

 マーテルの背後に控えていた近衛兵から叱責が飛ぶ。


 それを手を上げて諫めるマーテルは、

「よいよい。下賤な亜人に人の道理を求める方が酷というものよ、ええ?」

 それは寛容ではなく、嘲りであった。


 エステルが静かに口を開く。

「――発言よろしいでしょうか?」

 透き通った声でそう尋ねると、

「アップルトンの倅のエステルじゃな、ええ? かまわん申せ」

 マーテルは打って変わって笑顔を見せた。


「ありがとうございます。私は混乱の最中にあります。マーテル様が正式に王位を継承されたということでよろしいでしょうか?」

「そうじゃ。おいたわしいことに兄王様は今朝がた身罷られてしもうた。毎年この表彰式を兄王様は心待ちにしておった。儂は喪に服す前にこの場を兄王様へのささやかな手向けとしたい」


 そう言ったマーテルは、頬杖を解く。

 左手でその目元を隠すようにその顔を覆った。


 ――白々しいことを。


 十傑に選ばれる生徒は、その言葉に騙されるほど愚かではない。

 それと同時に、それを口に出すほど愚かでもない。


「左様でございましたか。そうとは知らず無礼な発言。お許しください」

「よいよい。エステル・アップルトンには新たな時代の礎として、一層期待しておるぞ。儂の治世でその力、存分に振るってくれるな?」

「……もったいないお言葉です」


 エステルは再び深々と頭を下げた。


「次に、ボルス・ジュネヴァシュタインか。お前にも事前に知らせることがやれんですまんかったな。兄王様は事あるごとにお前を褒めておったわ。無論儂もな。その力、これからも王家の、儂のために振るってくれるな?」

「……力の限りを尽くします」


 ボルスもエステル同様に、再び深々と頭を下げた。


 王による表彰では、代々上位三名が王から直接お言葉を頂くのが、習わしであった。

 本来であれメアリーが、それに該当する。

 しかし、誰にとっても碌なことにならないのは目に見えていた。


「本来であればメアリーに言葉をかけるべきなのじゃがな。うむ。シトラス・ロックアイス。お主に栄えある王からの言葉を与えよう。以前あった儂の言葉に奮起して、本当に表彰式にたどり着くとは、あっぱれな奴じゃ――」


 何を言っているんだこの人は、シトラスは本気でそう思った。

 なぜ自分がここにいるか、自分ですら理解できていないというのに。


「――お主の姉もよくよく。この場に訪れていた者よ。儂もこの場で会ってみたかったものよ。あれほどの力。惜しいことをした。しかし、弟。お主にはお主にしか出来ぬことがあるというものよ。お主は儂の手足となって王国のために働いてくれるな?」 

 要領をえない言葉であった。

 ただ、王国のためという言葉尻を捉えて、

「承知しました」

 深くは考えずに、頷いて言葉を返した――それがどういう結果をもたらすかも知らずに。


 それは一瞬の出来事であった。


 マーテルの座る玉座を中心に、室内が眩く虹色に輝いた。

 耳を塞ぎたくなるような甲高い不思議な音が反響した。


 眩い光に思わず目を瞑ると、耳には甲高い音の余韻だけが残った。


「――ス……ラス」

 誰かの呼ぶ声におもむろに目を開く。

 思考が霧がかったように感じる。


 世界が揺れているようだ。

 その揺れが次第異激しくなる。


 揺れが収まった。


 次はフニフニとした気持ちの良い感触が両頬を包んだ。

 そこで、シトラスの意識は目覚めた。


 いつのまにかブルーが正面に回っていた。

「シト、大丈夫?」


 フニフニしたのはブルーの掌の肉球であった。

 彼女の両手がシトラスの両頬を包み込んでいた。


「え、あ、うん。ありがとう。あっ。すみません」

 慌てて玉座のマーテルへと膝をつく。

 ブルーもそれに従った。


「よいよい。疲れたのであろう。しっかりと休めシトラス。お主には期待しておるぞ」

 そう言って、マーテルは満足げに笑った。



 謁見後は立食パーティーがあった。

 王城から学園城への帰る頃にはすっかり日没を迎えていた。

 

 明るい青空の下。

 学園城へ向けて双子城の連絡橋を渡るシトラス。

 左右にはメアリーとブルーの姿。


 三人に追いすがる一人の影。

「おーい。シトラス」

 立ち止まって振り返る。

「オニキスじゃないか。どうかしたの?」

「いや。改めてお礼がしたくて。卒業したら次にいつ会えるかわからないだろ?」

「律儀だね」

「律儀にもなるさ。シトラスのおかげで母の治療資金の工面がついた。貴方はボクたち母子おやこの恩人だ」

「ううん。オニキス。それは君ががんばったからだよ。ぼくは本当に大したことは何にもしてないよ。それにね。ぼくは人を助ける勇者になりたいんだ」

 真っ直ぐにオニキスの瞳を見つめてそう言った。


 それは社会では鼻で笑われるような純白な願い。


 五年間で多くの事を知った。

 敗北を知った。自分の弱さに打ちのめされた。

 挫折を知った。夢を叶える壁を越えられなかった。

 世界を知った。見えている世界が全てではなかった。

 戦争を知った。愛する者を失う辛さに涙した。

 葛藤を知った。やり場のない思いを抱いた。

 それでも変わらない願い。


 ――ぼくはそれでも、勇者になりたいひとをたすけたい


 オニキスの白と黒の虹彩が見開かれた。


「……貴方の心は本当に綺麗ですね」

「もしかして、口説いてる?」

「ふふ、どうでしょうか」

 オニキスは両手を後ろで組むと、腰を折って柔らかく笑った。


 シトラスの両脇からの視線を感じ、もちろん冗談ですよと言葉を付け加える。


「でも気を付けてください――綺麗なものほど汚したくなるのが人の性、綺麗なものほど濁りやすいのが世の常です」


 その目はどこまでも真剣な表情であった。

 橋の天井でちょうど体の左半分が陰に包まれるオニキス。

 シトラスからは、そんなオニキスが光の加減でどこか浮世離れして見えた。


「そうだね。そうなのかもしれない。それでもぼくは人を助けるよ」


 そう言って笑うシトラス。

 その笑顔はどこまでも綺麗で――。


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