六十五話 浅層と中層と


 チーブス王国北西部の都市セイカ。


 復興で活気立つこの街で、シトラスは新しくできた仲間と、冒険迷宮ダンジョンに足を踏み入れていた。


 シトラスが初めて冒険迷宮ダンジョンに足を踏み入れてから、早くも三ヶ月が経とうとしていた。

 この頃になると、シトラスの持ち前の明るさと年齢の近さから、四人は最初の出会いが嘘のように仲良くなっていた。


 この日も冒険迷宮に繰り出し、浅層下部に到達した四人。


 大きな牙を持つ蝙蝠に近しい姿をしたモンスターの大群を相手取っていた。


 ウィップが前衛となってその大部分を受け持っているが、

「ちッ! 数匹そっちに行ったッ!」


 この程度のモンスターに遅れは取らないが、物理的に迂回したモンスターがウィップの務める前衛をすり抜ける。


 カスタネアが呼応するように元気な声を上げる。

「任せてッ!」


 彼女は両手の拇指と示指でそれぞれ銃を形作ると、

「 <火銃ヒート・ガン>ッ!」

 銃身を形作る食指の先に、団子ほどの大きなの火の玉が生成される。


 彼女の指先から勢いよく射出された火の玉は、次々と燃やし落とす。


 本能からか、火にくるまれて地面に落ちたモンスターたちが、地面の土でその火を消そうと身を擦りつけるが、その火は一向に収まる気配を見せない。


 それを見て満足そうに微笑むカスタネアは、

「残念ね。私の火は特別製なのよ」


 そうこうしているうちに、さらに冒険迷宮の奥から蝙蝠に近しい姿をしたモンスターが、猪に近しい姿をしたモンスターと群れをなして現れた。

「次から次へと面倒だな」

 ウィップが心底面倒さそうにそう言葉を漏らす。


 そこへ、

「さがれ、下郎ども」

「ウィップッ! ネアッ! おっきいの行くよッ!」

 後衛から声が飛ぶ。


 二人は声に反応すると、すぐに射線確認のために視線で後衛に視線を向けた。


 <滅>


 闇夜を彷彿させる魔力の束が、冒険迷宮の通路を駆け抜ける。

「うおおおおお……!!」

「どひゃあああ……!!」


 当たれば消失という凶悪極まりない後衛からの支援攻撃を、転がりこんで二人は回避する。


 顔に土を土埃をつけた二人が、這いつくばっていた地面から勢いよく起き上がる。

「モンスターじゃなくて、姫の攻撃で死ぬわッ!」

「姫ぇー! 下郎はひどいんよー!」


 チーブス王国で最高戦力の一つ、護国騎士団に若年ながら務める二人は、冒険迷宮の浅層で後れを取ることはまずない。

 近接格闘も得意とするウィップにいたっては、魔法抜きでも浅層のモンスターには遅れは取らないであろう。


 前衛と中衛からの不満そうな声に

「うるさいのぅ……」

 しかし、シーヤの口元もよく見ると綻んでいた。


 それは彼女なりの冗談であったのかもしれない。

 それにしても、かなり笑えない類の冗談あったが、彼女なりに二人がシトラスの呼び声に反応したことを確認した上で、その魔力をぶっ放していた。

 それが? と思うかもしれないが、それが彼女にとっての気づかいであった。


 ウィップが顔に付いた土埃を袖で拭いながら、

「しかし、あれだな。こういう怪物行進モンスター・パレードで、姫の攻撃は魔石もろとも消し飛ばしてしまうから少し勿体ない気もするな」

 シーヤの魔力が駆け抜けた先に視線を送る。


 同じく顔の汚れを拭い、懐から取り出した手鏡で顔を確認するカスタネアが、

「あら、そう? まぁ確かにそうかもしれないわね。浅層ならまだいいけど、中層以降になるとなおさらね。でも、私たちは四人の少数パーティーだから、それも仕方ないんじゃない?」

 その肩を小さく竦めた。


 シトラスが恐る恐る切り出す。

「ぼくは今日も何もしていない気がするんだけど……」


 前衛と中衛を務める二人はそんなシトラスに笑みを浮かべると、

「シトはいいんだ。姫の傍にいてくれるだけで。それに掛け声には助けられたから」

「そうよ。気にしないで。ただ、万が一後ろからモンスターが来た時は姫をお願いね」


 シーヤもウンウンと頷きながら、

「こいつらもこう言っておる。そちは気にせず、ただわらわの傍におればいい」


 前衛をウィップ、中衛をカスタネア、後衛をシーヤとおまけでシトラス。

 シトラスの役割は専らシーヤの話相手であったり、パーティーの会話の緩衝材であった。

 戦闘では、シーヤが魔法をぶっ放す前に二人に警告するばかり。


「う、うーん。皆がそう言うなら……」

「それより、シトッ! この前にお前が助言をくれた新技の練習に付き合ってくれよ」

「ウィップの新技って、あれ? あの雷の鞭みたいなやつ?」


 魔法の天才を自他共に認めるウィップは、つい先月から新たな魔法の技の修得に励んでいた。

 

 □ □ □


 それはある日の冒険迷宮に繰り出したときのことだ。

 浅層の休憩中に見つけた身の丈の二倍を超える大石に、暇つぶしに雷光剣を打ち込むウィップ。


 どれだけの年月、どれだけの魔素を吸い込んだのだろう。

 その大石はウィップの剣戟で削れはすれど、貫くには至らない。


 いつしかムキになっていた。

 それを少し離れたところで、呆れた様子で見守るカスタネアと無関心なシーヤ。

 

 ウィップが苛立ちに歯を鳴らしたときであった。

『ウィップの雷光剣ってカッコいいよね』

 シトラスが歩み寄ってきた。


『ふん。わかってるじゃないか』

『ちなみにその雷は剣以外もできるの?』

『……当たり前だ。俺を誰だと思っている?』

 そう言って短剣、長剣や斧、槍の形を実演してみせるウィップだが、

『鞭は?』

『……鞭? そんな児戯じみた武器』

 鼻で笑うウィップを前に、シトラスは、

『この前たまたま広場で見たんだけど、大道芸人が鞭でこんなに分厚い木を切ってたんだよ。すごかった。ウィップなら雷の魔法でもっとすごいことができるんじゃないかな、って思って』

 両手を使って、その大道芸人がどれだけ分厚い木を切っていたのかを伝える。


 シトラスの言葉に、ハっと何かに気がついた様子のウィップは、

『……なるほど、遠心力か。確かにこの大きさ。突きや切断に固執する必要がどこにある……?』

 一人ぶつぶつと呟き始めた。

『――なるほど、鍵は柔軟性、しなやかさ。雷光剣との両立も不可能ではない。これをものにできれば、中距離線における有効な攻撃になりうる』


 刃のない柄と持ち手だけの剣を静かに振り回す。

 それは自身のイメージと体の動きを一致させるように、ゆっくりと、丁寧に。

 その中で、納得がいかないと動きを止めて、その素振りをまた一からやり直す。


 やり直すことなく素振りを一通り繰り返した後、

『シトラス。少し離れておけ』


 シトラスが距離を取ったことを確認すると、次は握りしめた剣に魔力を通す。

 <|雷光剣(サンダーセイバー》>

 ウィップの得意とする魔法であった。


 次の瞬間、それは形を変えて糸のように垂れ下がる。


 そして、さきほどの素振りを再び繰り返す。

 しかし、素振りの途中で途切れたり、逆に今度は糸状から雷光剣の状態のときのように固くなる。

『何がいけない……?』


 首を振って、素振りの動作を再度確かめる。

 そして、再び糸を作って素振りを行うが、またしてもうまくいかない。


『鞭の形が違うんじゃない?』

『……なに?』

『大道芸人の鞭の先端には何か紐みたいなものが付いていたよ』

『ッ! クラッカーかッ!』


 そう言うと、今度は垂らした雷の糸の先に、もう一段細い雷の糸がぶら下がる。

 クラッカーとは鞭の鞭の先端を軽くし、素早く動かす役割を果たす。


 魔法とはイメージの世界である。

 クラッカーのついていない魔法イメージを、ついている想像イメージで動かそうとすると当然そこには齟齬が起きる。


 それでは魔法はうまく機能しない。


 重ねて言う、魔法とはイメージの世界である。 

 反対に、魔法とイメージが一致したとき、魔法は現実を越えた事象をもたらす。


 そして――。

『きゃああああッ!!』

 

 空気を切り裂く音と、カスタネアの悲鳴が冒険迷宮に木霊した。


『あっぶないじゃないのウィップッ!!』

 珍しく本気で怒っているカスタネアであったが、

『……できた』

 大石に横一線の深い切り込みを入れたウィップは、目の前の結果に震えており、彼女の声は耳に入らない。


 加減のできないその一撃は、座って休憩していたカスタネアの頭上の大気を切り裂いたのだ。


 彼女の声を無視して、ウィップはシトラスの手を両手で握る。

『シトラス……いや、シト。礼を言う。この瞬間にも俺の魔法は飛躍的に進化したッ』


 真っ直ぐに目を見つめて礼を述べる。

 これまでのぶっきらぼうな態度が噓のようであった。

 それがシトラスの助言が、どれほどウィップにとって大きな影響を与えたのかを如実に物語っていた。


 その言葉は嬉しいが、その背後から鬼の表情を浮かべて大股で迫る少女を見て、シトラスの視線が泳ぐ。

『……うん。でもその前に謝った方が』

『うん……?』


 ウィップの背後に立つのは少女の姿をした怒れる鬼。

 この後、ウィップはカスタネアの気が済むまでボコボコにされるのであった。


 □ □ □


「そうだ。あれを実践でも使えるように落とし込んでいきたい」


 声を弾ませるウィップは<雷鞭>と名付けたその技を手にして以来、その技の修練に多くの時間を費やしてきた。


「ふーん。ね、姫。私たちは街角に先週新しくできた甘味処いかない? 東の国のさっぱりとした甘味なんだけど、これがまた美味しいって評判なのッ!」


 カスタネアは流行に敏感で、冒険迷宮に潜らない日は、シーヤを街中のあちこちに引っ張りまわしていた。

 今では二人はまるで姉と妹のような距離感であった。


「じゃあ、シトは浅層の広場での雷鞭の鍛錬に付き合ってくれ」

「何言ってるのよ。姫が甘味処に行くんだから、御守役のシトも一緒に決まってるじゃない」


 二人の視線の間に火花が飛ぶ。


「なんだとッ!?」

「なによッ!?」

 顔をとっつき合わせて睨み合う二人。


「……二人とも喧嘩はダメだよ。シーヤはどうしたい?」

「そうじゃのう、東方の甘味か……悪くないのう」


 シーヤもうら若き乙女。

 カスタネアほどではないにせよ、彼女に感化された今では、甘いものは好物と呼べるまでになっていた。


 シーヤの意思決定が最終決定。


 勝ち誇るカスタネアに、

「はい、決まり~」

「ぐぬぬぬ~」

 ウィップは恨めしそうな視線を送る。


「シトッ、甘味処が終わったら、なッ!?」

「うんうん」

 顔を赤くするウィップに、シトラスは頷きを返すのであった。


 気を取り直して、ウィップ先頭を歩みを再開する一行であったが、

「この冒険迷宮の浅層はここまでのようだな」

 

 冒険迷宮の浅層は、明確な深さの決まりがあるわけではない。

 その深さ、長さは冒険迷宮によりマチマチである。 


 しかし、魔法協会によって管理された冒険迷宮では、浅層の終わりは明白であった。


 シトラスがウィップの隣に立って先を見ると、

「松明が、ない……」


 冒険迷宮の闇が、手ぐすねを引いて四人を待ち構えていた。

 暗闇に流れる空気はひどく冷たい。

 それはまるで闇に待ち受ける死神がいざなっているようだ。


 魔法協会が浅層に一定間間隔で設置した特殊な魔法植物を材料に作られる松明。 

 設置以降も、協会関係者が冒険迷宮の管理の一環として、数日に一度、その管理補充を行っている。


 その松明の設置された範囲を、魔法協会では浅層と定めている。


 分岐もそう多くはない一本道。

 あらかた開拓し尽くされたその階層。

 内部に漂う魔素も冒険迷宮外と大きな差はない。

 そのため、冒険迷宮へ潜る者の即死につながる危険なモンスターも生まれにくい。


 言わば、初心者の階層。


 しかし、中層からは分岐も複雑になり、魔素も一気に濃くなる。

 魔素中毒にかかり始めるのもこの階層からだ。


 魔素に比例する生息するモンスターたちの強さ。

 命の危険度は浅層とは比べ物にならないほどに跳ね上がる。

 道を照らす光源も、利用者自身で準備をしなければならない。

 安易に足を踏み入れたが最後、命取りになりかねない。


 それでも足を踏み入れる者が未だに後を絶たないのは、夢か野望か。


「どうする? 行くか? 引き返す――」

「――行くッ!」


 被せて答えたシトラスに、にやりと笑みを零したウィップは、

「シトならそう言うとおもったぜ」


 <照雷ライト


 ウィップがそう唱えると、その体から立ちどころに光の玉が七つ現れた。


「直視するなよ。目に悪いぞ」

 そう言うが早いか、その玉は四方に素早く飛んでいくと、前後上下左右の視界を明るく照らしだした。


「じゃあ、私も」


 <篝火トーチ


 カスタネアがそう唱えると、彼女の手に温かい炎が生まれた。

 その明かりはふわりと浮かび上がると、四人の足元を優しく照らし出す。


 再び隊列を組んで、中層に足を踏み入れる四人。


 ときどき、中層以下の階層からの帰還者とすれ違うが、みな一様にその顔には疲労の表情を浮かべていた。

 中にはパーティーの仲間に担がれている者の姿もあった。


「浅層と中層は別世界だ。浅層のモンスターは地上の生物の原形を留めているのがほとんどだったが――」

 ウィップがそう話している時に現れたのは、腐臭を漂わせる醜悪な骨の塊であった。骨の奥に浮かぶ二つの赤い瞳。


 それを一瞬にして、雷鞭で切り裂くと、ガラガラと音を立てて骨の塊は崩れ落ちた。


「――中層からは、原形を留めない、もしくは大きく超える本物のモンスターたちが出てくる」

 ウィップの説明の間にも、最後尾を歩くカスタネアの後ろから身の丈を大きく超える芋虫が地面を突き破って現れた。

 瞳はなく、その体の先端にギザギザとした口が層をなして、獲物を求めていた。


 カスタネアは、それを一瞬にして火だるまにすると、その巨大な虫は奇怪な悲鳴を上げながらのたうち回り、すぐに動かなくなった。


 パラパラと小さな石が頭上から落ちてくる。

 四人が見上げると、遠くに見える天上に亀裂が入っていた。


 少し焦った様子を見せるカスタネアは

「ウィップッ!」

「ちょうど良かった」


 次の瞬間、亀裂を突き破って、人の身を大きく超えた赤黒い蠍が群れをなして現れた。

 亀裂から四方に別れて四人の下へと迫る蠍の群れ。


 目を回して叫ぶカスタネアは、

「きゃああぁぁーー、きもいいぃぃーー!!」


 彼女は昆虫が大の苦手であった。


「まかせろッ!」

 ウィップが雷鞭を振るうが、予備動作なしで振るわれた攻撃では、切り裂くには至らない。

 その結果に、忌々しそうに舌打ちをする。


 流動的な戦いに置いて、雷鞭はまだまだ発展途上であった。


 後ろからシトラスの声が飛ぶ。

「ウィップッ! 力んで魔力を流し過ぎてるよッ!」


 ウィップが振り返ると、シトラスと目が合う。

 不思議な男であった。どこか人の心を揺さぶる。

 おそらく何かしらの魔眼を持っている。

 ウィップは口には出さないが、当たりをつけていた。


 その隣に立つシーヤはどこまでも落ち着いていた。

 彼女が感情を大きく動かしたのは、サイカの城外で初顔合わせで戦闘となった際に、護国騎士団の団長がウィップとカスタネアの援護に割って入ったときくらいであった。

 彼女は感情を見せないわけではないが、いつも淡白な反応である。


 ついでに、その後ろで眼を回しながら、<火銃>と<火球>を乱射するカスタネアの姿も目に入った。

 しかし、ウィップはこれを見なかったことにした。


 一度大きく深呼吸をする。


 雷鞭を再び出現させると、それを頭上に掲げて回し始める。

 徐々に、されど確かに、速く、強くなる掲げた力。

 すぐにそれは目で追うのが困難な速度に至る。


 頭上から小さな静電気が飛び散っては、ひんやりとした中層の空気に吸い込まれていく。


 シトラスだけが気がついた。

「ッ! 伏せてッ!!」

 隣に立つシーヤを抱えて、後ろで魔法を乱射してカスタネアの下へ駆け寄ると、そのまま彼女を押し倒す。


 その際に、意識を取り戻したカスタネアが、

「え!? ちょっ、そんな。私たちそんな関係じゃ、ここで?」

 何やらゴニョニョ言っていったが、すぐにその目が覚めることになる。


 宙に残された彼女のボリューミーなピンク色の髪の一部が、すっぱりと切り裂かれることによって。

 

「へ?」

 シトラスに抱きしめられように仰向けに倒れ込んだカスタネア。


 目を丸くした彼女の視線の先で、女性の第二の命とも言える髪が、彼女が毎朝毎晩丹念に溶かし、油を塗って大切に育ててきた体の一部が、真っ二つに分かれていく。


 シトラスを押し退けて、慌てて起き上がった彼女の視界。


 四人を取り囲む軍隊蠍の群れの動きが止まっていた。

 まるで世界が息を止めたように。


 そして、彼らの体がずれていく。


 遅れて噴き出す青い血潮。


 その中心には白色が入り混じった黄色の髪の少年。

 護国騎士団へ入団以来の顔馴染みで、年下の癖に彼女より出世が速く、小生意気な魔法の天才。


 カスタネアは地面をえぐりとって、その拳を握りしめた。


 ウィップは、晴れ晴れとして顔で彼女たちのいる方角へ振り返った。

 ゆっくりとシトラスたちの下へと歩み寄る。

 そして、身を屈めると、一番最初に目が合った彼女へと手を差し出した。


 カスタネアがその手を見つめた後に、ウィップの顔を見上げる。


 ウィップは、

「どうした?」

 澄み切った顔でそう言った。


 ウィップへと震える手を差し出すが、その手を握りしめる直前で躊躇う。

 そんなカスタネアを見て、ふっと笑うウィップに――


「この大ボケがぁぁーー!!」

「ぶべらッ!」


 ――カスタネアは特大のアッパーカットをお見舞いした。


「なにが、ふっ、よッ! かっこつけてッ! それよりどーしてくれんのよッ!? 私の髪ッ!?」


 鼻血を流しながら吹き飛び、ウィップは倒れ込む。

「え? あ?」

 冒険迷宮の天井を見上げる彼の頭は、現実に追いついていなかった。


 そんなウィップに大股で歩み寄り、その胸倉を泣きながら掴みあげると、激情に任せてそのまま往復ビンタをかます。

「このッ! このッ! このッ!」

「待って待って、死んじゃう! ウィップが死んじゃう!」

 慌てて駆け寄ったシトラスが、背後から彼女を羽交い締めして制止を試みるが、強化魔法まで使った彼女の体はびくともしない。


 それだけ彼女は怒り狂っていた。


『うわッ! なんだこれッ!?』

 シトラスたちの進行方向の先、軍隊蠍の群れの死骸の奥から冒険者の声が響いた。

 どうやら中層以下の冒険を終えて、地上を目指す冒険者の一団のようだ。


 姿は見えないがガヤガヤとした人の声が、シトラスの耳に聞こえてくる。

骨人スケルトン暴食土虫サンドワーム、それに軍隊蠍の群れッ!? とんだ怪物行進モンスター・パレードじゃないか』

『おい見ろよ。どれも一撃じゃないか』

『すごいな。誰の仕業だ?』


 シトラスは声の聞こえた方角に叫ぶ。

「誰かぁーー!! ネアを止めてーー!!」


 シトラスの悲鳴を聞きつけて、同業者の危機! とばかりに血相を変え、軍隊蠍の死骸を跳び越えた冒険者の一団が目にした光景。


 不自然に短くなったピンク色の髪の可愛らしい少女が泣きながら、白色が入り混じった黄髪の少年に馬乗りに乗りながら、その胸ぐらを掴んで往復ビンタをかましている。

 そんな少女を一生懸命羽交い締めする金橙髪の少年に、その後ろで興味無さそうに立ち尽くす濡れ羽色の美しい少女


 それは痴情の縺れとしかいいようのない光景であった。

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