六十四話 冒険迷宮と探索者と
チーブス王国の北西部の一大都市セイカ。
王国の北部と西部を繋ぐ要所として、王国建国以来栄えてきた町。
シトラスの故郷である隣国ポトム王国の北東方面軍の攻勢を受けて、一度は攻め落とされるも、ジンジャーにより
その町で、シトラスの新しい仲間との同居生活が始まった。
同居するのは、組み合わせがどこか奇妙な四人組。
ポトム王国の貴族で捕虜となったシトラス。
チーブス王国の姫君であるシーヤ。
チーブス王国の最高戦力一角である護国騎士団のウィップとカスタネア。
護国騎士団の二人は、彼女の護衛兼使用人として派遣されていた。
同居生活初日は、カスタネアの提案で買い物と食事で交流を深めた四人は、その翌日、セイカにある魔法協会支部に訪れていた。
支部はシトラスたちの住む屋敷より一回り大きいが、
「ここ? 思ったより小さいね?」
シトラスの唯一知る魔法協会は、ポトム王国の王都キーフの地下都市に位置する魔法協会支部。
王都に展開するような支部と比べるとその大きさは半分にも満たない。
「王都にある支部と比べると小さいかもしれないが、これでも大きいほうだぞ」
そう言ってウィップが、その白色が入り混じった黄色の髪を揺らしながら、先陣を切って魔法協会の敷居をまたぐ。
町の復興で忙しいのか、支部の内部は人の気配がまばらで全体的に閑散としていた。
受付にも職員が立っておらず、カウンターに四人が着くと、ウィップが設置されていた呼び鈴を鳴らした。
ややあって、奥からどしどしと言う足音と共に巨漢の男が出てくると、
「――お待たせしました。今日は何の用で」
もたれ掛かるようにカウンターに片手を置くと、ぶっきらぼうにそう言い放った。
ウィップは淡々と用件を告げる。
「
男はボリボリと頭を掻くと、
「あー、予約は? いま受付嬢が出払っていてな。予約でないなら出直してくれるか?」
その表情には面倒くさいという感情がアリアリと浮かんでいた。
「我々は
「はぁ、復興作業でクッソ忙しいときに――ッ!?」
聞こえるような男の悪態に、ウィップはカウンターについた男の手を払い、態勢を崩した男の頭をカウンターに押さえつける。
乱暴な音が室内に響き渡った。
ウィップが押さえつける手の下で男が呻く。
「ふざけやがってッ、このッ、うッ――」
しかし、顔を真っ赤にして両手まで使うが、その拘束から逃れることはできない。
それを冷めた目で見下ろす。
「俺たちには今すぐその汚い口ごと、お前の頭をクチャっと潰すことが許されている」
カウンターの騒ぎを聞きつけた協会内部にいた者たちが、
「おいおい、兄ちゃんたちやり過ぎじゃないのか」
「貴族の坊ちゃんかなんだか知らないが、ここにはここのやり方ってもんが――」
後ろから割って入って来ようとするが、
「――私たちは護国騎士団だけど、それでも?」
ピンク色のボリューミーな髪を持つ少女、カスタネアは愛嬌を振りまきながら、懐から護国騎士団の徽章を取り出すと、野次馬たちはそれ以上言葉を続けることができなかった。
「護国騎士団ッ!? なんで王国の最高戦力がここにッ!?」
押さえつける手の下で興奮した様子の男にウィップは、
「なんでって、敵国に占領された哀れな領地を取り戻すために決まっているだろ? それが取り戻してみたらどうだ。まるで唾を吐くような行為ときたもんだ」
空いているで自身の額を抑えると、演技がかった仕草を見せつけた。
横目でそれを見ていた押さえつけられた男の顔色が真っ青なものに変わる。
「い、いやッ。ち、違うんですッ!? お、俺は、し、知らなくてッ!?」
慌てふためく男に、
「知らないことは罪だと……。そう教わらなかったか?」
言い聞かせるようにゆっくりとそう言った。
「ゆ、許してください。すぐに、すぐに言われた通りにしますからああッ!!」
涙と鼻水を流して許しを請う男に、
「じゃあ、さっさとやれ。――お前たちも何を見ているんだ。散れ」
ウィップが振り返って睨みを利かせると、集まっていた野次馬がそそくさと立ち去っていく。
野次馬が散り、ウィップの手助けを得て、シーヤが認識票の作成の手続きを進める。
それを視界に収めつつ、手持ち無沙汰なシトラスが先ほどの光景を思い出して口を開く。
「ウィップってもしかして凄いの?」
シトラスが同じく、隣で手持ち無沙汰なカスタネアに尋ねると、
「シトラスは知らなくても無理ないわ。護国騎士団はチーブス王国で、軍隊じゃ解決できない紛争や揉め事を解決する、めちゃくちゃ凄い人たちの集まりなの!」
カスタネアは鼻高々に説明する。
それに所属する私って……! という感情が透けて見える。
「誰でもなれるわけじゃないの。選ばれた者がその門を叩くことを許されて、その中から選抜された精鋭中の精鋭。それが私たちッ!」
胸を張ってドヤ顔を決めるカスタネアに、
「前にも言ったが、その馬鹿っぽい説明はいい加減やめろ」
彼女の熱弁にウィップが振り返って、呆れた視線と共に水を差す。
「なによウィップ。いいじゃない。ほんとのことでしょ?」
カスタネアがむくれて言い返すと、ウィップは肩を竦めるだけで、それ以上は何も言わず、シーヤの認識票作成の手続きに戻った。
「なんだかぼくたちの国の勇者みたいだね」
シトラスの言葉に、ウィップもピクリと反応し、カスタネアが小さく息を呑む。
「……そう、ね。シトラス……その名前はこの国では出さない方がいいかもしれないわ」
言葉を選ぶように彼女がシトラスにそう告げた。
「え?」
目を丸くするシトラスに、
「貴方の国にとっての勇者が、他の国にとっての勇者とは限らないの。シトラスに言うのは気が引けるけど、チーブスとポトムは戦争中だから特に。――私たちの国にとってその名前は今も昔も忌むべき名前なのよ」
言いずらそうに、されどはっきりとそう言った。
シトラスは少し考える素振りを見せたが、すぐに笑みを浮かべると、
「そう、なんだ。ありがとう。教えてくれて」
シトラスの反応に胸を撫で下ろすカスタネアは、
「ううん。いいのよ。――あら、認識票はできた?」
ウィップとシーヤがカウンターから歩み寄ってくる。
彼女の首元には、認識票を通して紐が微かに見え隠れしている。
どうやら無事に終わったようだ。
「あぁ、じゃあ行こうか。
ウィップがそう言って三人を追い越すと、その足を魔法協会支部の外へと向けるのであった。
◆
町の中心部からやや外れた区画。
その中に見るからに頑丈で武骨で、周囲の建物よりひと際大きな建築物。
それが冒険迷宮の入り口であった。
「この建物が冒険迷宮?」
「いや、この建物は入り口だ。この中に冒険迷宮の入口がある」
その建物に相応しい重厚な扉は常時開け放たれていた。
開け放たれた扉を挟むように、チーブス王国の兵士が建物の内外に二人ずつ立っている。
その開け放たれた扉をくぐった時、シトラスは冒険迷宮の入り口が何かを理解した。
視界に飛び込んできたのは、ぽっかりと空いた大穴であった。
穴は垂直にではなく、ゆるやかな傾斜になっていた。
大穴の中にも明かりが見えるものの、先は薄暗く見通すことができない。
その大穴には物々しい恰好をした者たちが、今この時にも大穴から出入りするのが良く見えた。
大穴から出てきた者の中には、笑っている者もいれば、泣いている者もいる。
大穴へ入る者の中には、勇む者もいれば、怖がるものもいる。
ただ、それぞれが己の目的のために、そこへ足を踏み入れていた。
大穴を見つめ、足を止めたシトラスへウィップが、
「ブルったか?」
口角を持ち上げてそう言うと、
「武者震いだよ」
シトラスも負けじとその口角を持ち上げてみせた。
男子二人の後ろで女子二人も口を開く。
「おっ。二人とも男の子してるねー。姫は大丈夫そう、って私より強い姫に聞くのは変な話か」
「うむ。苦しゅうない」
冒険迷宮に挑むスタイルは人それぞれである。
ガチガチに装備を固めていく者もいれば、得物一つで挑む者もいる。
数日間にわたって冒険迷宮に籠る者もいれば、その日で冒険を切り上げる者もいる。
この日のシトラスたちは後者であった。
大口を広げて来る者を呑み込む冒険迷宮に、足を踏み入れる四人。
特にこれといって何か装備を持っている訳ではない。
ただ、ウィップの左手には、刃のない剣が握られていた。
先頭に立って歩みを進めがらウィップが口を開く。
「今日のところは様子見だ。姫もシトラスも初めてだからな。二人に冒険迷宮について、簡単に説明しながら浅層を周ろうと思う」
「よろしくッ!」
シトラスの元気のよい返事が、大穴に木霊した。
四人が足を踏み入れた先、冒険迷宮の浅層と呼ばれる比較的浅い階層には、一定間隔で松明が設置されていた。
とある魔法植物から加工されて作られるこれらの松明は、一日中にわたって迷宮内部を明るく照らしだしている。
ウィップの声が大穴の通路に小さく木霊する。
「冒険迷宮は簡単に言うと、地下世界のなりそこないと言われている」
「なりそこない?」
ウィップの後ろを歩くシトラスが、首を傾げていると、
「あぁ、そうだ。俺たちの住むこの世界の下には、そのほとんどが密林の大自然に覆われた地下世界と呼ばれる世界が広がっている――」
シトラスにも地下世界については、心当たりがあった。
ポトム王国の首都キーフ。シトラスの通うカーヴェア学園と王城の二つで構成されるポトム王国の心臓部。
その地下には世界が広がっていることに。
シトラスの魔力視の魔眼の鑑定に、勇者部の課外活動。
それぞれ三年生、四年生の時に足を運んでいた。
ウィップの言うとおり、確かに地下世界のほとんどは密林に覆われていた。
シトラスの知る限りでは、都市と言える場所は、キーフから降りて最初に着くエッタだけである。
「――そして、地上と地下世界の間には、クレータと呼ばれる大穴が五つあると言われている。だが時折、地上では地下世界に至らない大穴が発見されることがある。どこに繋がっているかわからない穴道。そして、それが――」
「――
シトラスの呟きに、ウィップが大きく頷くと、
「そういう言うことだ。そして、その冒険迷宮は
ここで四人の最後尾を歩いていたカスタネアが口を挟む。
「すごいのは魔素が影響を与えたのは、生き物だけじゃないのッ! 鉱物や植物にも大きく影響しているのッ! だから、冒険迷宮でとれる鉱石や植物は、地上では高く売れるのよッ!」
その目が金銭に輝いていたのは何も気のせいではないだろう。
美容とおしゃれにはお金がかかるものだ。
カスタネアは護国騎士団から与えらる給料のほとんどを家族への仕送りと、自分磨きに費やしていた。
ウィップは、一度だけ最後尾を振り返って呆れた表情を浮かべたものの、再び正面を見つめ話を続けた。
「魔素は深層に近づけば近づくほど濃くなる。だが、その反面で、そこに生息する生態系の力もまた強くなる――それは信じられないくらいに。冒険迷宮ではある一定の階層から、植物だって意思を持ち動き始める世界だ」
シトラスは脳裏に植物が喋り出して、自分と挨拶を交わしている光景を想像した。それは中々にシュールな光景であった。
ウィップの声が弾む。
「――一つおもしろいのが、後天的に冒険迷宮にもたらされた物であっても、それが魔素の影響を受けるということだ」
「どういうこと?」
シトラスが再度首を傾げると、左手に持った柄と持ち手しかない剣をかがげて見せ、
「何の変哲もないなまくら刀を深層に数年放置すれば、稀代の名剣になる可能性があるという話だ」
ここまで冒険迷宮の説明を聞いて、シトラスはある考えに至った。
「――それじゃあ人は?」
ウィップがその足を止めた。
「いいところを突くなシトラス。それはこれから俺が言いたかったことだ。人も魔素を取り込めば強くなる。だが――」
ウィップは振り返ってシトラスを見つめると、
「――取り込み過ぎた魔素は体を内側から破壊する」
ここで最後尾を歩いていたカスタネアから再び声が飛ぶ。
「ねぇ、シトラスには大好物の料理はある?」
シトラスはその質問に対して、
「あるよ! バーラの手料理!」
白みがかった琥珀色の髪を持つ、とある侍従の姿を思い浮かべながらそう答えた。
カスタネアはシトラスの答えに優しく微笑みを浮かべると、
「じゃあ、想像してみて? それを休憩なしで一日中食べている姿を」
シトラスは素直に想像してみた。
朝起きてから寝るまで、休まずに彼女の食事を食べ続ける自分を。
しかし、その想像は続けることは難しかった。
「そんなに食べたらいくら好きでもお腹が裂けちゃうよ」
シトラスが苦笑いを零してそう答えると、
「そうなの。魔素だってそう。無理に詰め込んだら私たちの体は壊れてしまうの。そうでなくても精神や肉体に異変をきたすわ」
カスタネアも笑ってそう言葉を返した。
シトラスとこれまでの話を聞いていたシーヤは、説明が腑に落ちたようで頷きを返す。
四人が足を止めていると、後ろから足早に迫る四人の人影、
「どいてくれッ……フーッ……フーッ……」
濃密な獣の臭いがした。
フルフェイスマスクを被っているため、その容貌はわからない。
松明の火により照らされ、マスクの下から見えたその瞳は血走っていた。
四人はその者たちに対して、何も言わずただ道を譲った。
道を譲った四人を大股で追い抜いていく彼らは、シトラスが今まで見てきた冒険者たちとは、雰囲気が違った。
彼らの身に着けている装備はどれも使い込まれていた。
王国の兵士たちとは方向性が違うが、彼らのもつ雰囲気もまた歴戦の戦士であった。
そんな彼らのもつ魔力も、ウィップには及ばないまでも、カスタネアに匹敵しようかというほどの魔力量があった。
そして、何より彼らの魔力は荒々しかった。
「彼らは?」
その背中が見えなくなる頃、シトラスがおもむろに口を開いた。
ウィップも彼らの背中を見送り、
「……
呟くようにそう声を漏らした。
あっという間に先を歩く四人の背中は、冒険迷宮の闇に呑まれて見なくなった。
「冒険迷宮専門か。すごいね」
シトラスの称賛の声に複雑な表情を浮かべたウィップは、
「すごい……か……。彼らはもう探索者としか生きていけないんだ」
その声はどこか苦しそうであった。
「どういうこと?」
理解が追いつかないシトラスが、隣に立つシーヤと顔を見合わせる。
もちろん彼女にもわかるはずなどなかった。
このシトラスの疑問に答えたのはカスタネアであった。
「彼らは恒常的に魔素を取り込み過ぎたの。さっき話した、魔素を取り込み過ぎると危ない、っていう話は比較的最近になって魔法協会が公表した話なの――」
魔法協会がそれを発表するまでは、冒険迷宮は入れば入るだけ強くなれる上に、お金も稼げるということで、魔法協会の管理下の冒険迷宮はどこも連日大賑わいであった。
その陰で冒険者の不審死――引退した冒険者の衰弱死――を魔法協会が長年研究した結果、彼らの死因は魔素中毒であるということ、そしてその原因が冒険迷宮であるということが、近年になってようやく判明したのだ。
「――それを知らず、お金や夢のために、冒険迷宮に潜り続けた彼らは、お酒や薬物と一緒で、その身体が魔素に依存してしまっているの。他の依存との唯一の違いは、魔素を取り込むことを止めると、彼らは衰弱死してしまうということ」
今では冒険迷宮は副業としていまだ一定の人気を誇っているものの、専業とするものがごく少数を残すのみになった。
なにせ魔素中毒は個人差もあり、どの程度魔素を摂取すれば、また、いつ発症するかもわからず、さりとて一度発症すると現代の医療、魔法では治癒不可能。
条件さえ揃えば、死者でさえ呼び戻せる世界においても、魔素中毒は不治の病の一つに数えられていた。
「それじゃあ……」
シトラスは言葉と共に息を呑む。
「……もう彼らは、死ぬまで冒険迷宮に潜り続けるしか生きる術がないの」
シトラスが呑みこんだ言葉を、カスタネアは言語化して吐き出した。
さらに、付け加えるようにウィップは、
「ただ迷宮も永遠にそこにあるとは限らないからな。数十年の間に起きる地殻変動の影響を大きく受ける迷宮は、その影響で深層や中層への道が無くなる話は珍しくない。魔素中毒までなった者は、浅層程度の魔素じゃどうにもならない」
と言うと、続けてカスタネアが言いづらそうに、
「……そうなった場合、彼らにできることは魔素が抜け切る前に、他の冒険迷宮へ移るのか――」
ウィップが最後の言葉を引き取った。
「――冒険迷宮と共に朽ちるか、だ」
自由には責任が伴うものだ。
世間がうらやむほどの富と名声を手にした彼らに待ち受けていたのは、終わりのない冒険という名の
彼らは探し続けている。
その終わらない
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