六十話 ギフテットと裁判と
戦争が始まって初めての春。
村に留まったシトラスの下へ訪れたのは、何も春だけではなかった。
かつて村に圧政を引き、抗議に訪れたシトラスたちを暴力で従えようとしたアーゼー・クレモ中尉。
シトラスたちに敗北した後、彼は配下の分隊を引き連れて村を去っていた。
しかし、村の収穫の時期になって、どういう訳か今度は中隊長となって村へ戻って来たかと思うと、シトラスとミュールを拘束。
拘束された牢屋で、再びアーゼーへ反旗を翻そうとしていた二人であったが、そのさなかに村へと戦争中のチーブス王国軍が襲来。
辛くもその場は脱し、陽が落ちるのを待って村へ忍び込んだ三人。
まずは拘束された駐屯部隊の仲間を開放。
その後、解放した仲間の先導の下、村の脱出のために馬の確保に向かう。
しかし、案内された先ではチーブス王国の軍勢が待ち構えていた。
シトラスたちが拘束から開放した駐屯部隊は、既にポトム王国を裏切っていたのだ。
シトラスたちを待ち構えていた敵の司令官は、マグヌス川渡河後の奇襲に続き、先の戦いでポトム王国の輜重部隊に奇襲を成功させたジンジャー。
絶体絶命の状況。
その中で、文字通り降って下りてきた助けは、今まで姿を見せていなかったメアリーであった。
彼女の助けを得て、シトラスたちの決死の脱出戦が始まろうとしていた。
ミュールが隣に立つブルーとシトラスに耳打ちする。
「俺が合図したら走るぞ」
二人の反応を待たずにミュールが今度はメアリーに向かって、
「メアリーッ! あいつだッ! あの金髪が大将だッ!」
ジンジャーの方を指差して見せると、捕食者の瞳がギロリと獲物を捕らえる。
指名されたジンジャーは、ひくりとその頬を引きつらせた。
「ははは、私は美味しくありませんよー、と……」
一粒の珠が、額から顎へとつたった。
走り出すミュール。
「シト、ブルーこっちだッ!」
「逃してはなりませんッ! 予定通り彼らの――っくッ!」
悠長に言葉を続けることはでききない。
この場におけるジョーカー。
メアリーがジンジャー目掛けて動きだしたからだ。
ここでジンジャーが矢面に立ったことが裏目に出た。
「か、閣下をお守りしろッ!」
兵士たちがジンジャーを助けるために動きだした。
周囲に控えていた兵士たちも武器を手に、メアリーを殺しにかかるが、
「――ははっ、ここにもとんだ化け物がいましたか」
乾いた短い笑い声がジンジャーの口から漏れる。
ジンジャーの視線の先で紙切れのように、メアリーは一太刀で鎧ごと真っ二つに切り裂いてその足を進める。
ただ返り血でその身を染める、少女の皮を被った悪鬼羅刹がそこにはいた。
魔法も剣も、数の暴力も彼女の前には意味をなさなかった。
それでも、
「畳みかけるのですッ! この世に無敵などありはしませんッ! 距離を取って――」
間に立った兵士を、纏めて撫で切りにする。
ジンジャーはついに彼女の射程圏に自身が入ったことを知覚し、自嘲した。
――距離を取る? ハッ、どうやって?
兵士の群れを裂いて声が聞こえた。
「メアリー行くよッ!」
メアリーはその声に反応する。
目の前にせまった大将首を惜しむことなく捨て去り、群がった兵士たちを足蹴にして後ろへと下がっていった。
ジンジャーは無意識に止まっていた息を吐きだす。
その額にはびっしりと汗が浮かび上がっていた。
周囲とは違った軍服を着込み、金の短髪を駆り込んだ強面の男が、
「閣下、ご無事ですかッ!?」
ジンジャーの顔を覗き込む。
心配そうに声を掛ける側近たちに、手を上げて、無事であることを知らせると、
「それより彼らは?」
「すみません。包囲網が綻んだうちに……」
「いえ、これは調子に乗って表に立ち、貴方達に心配をかけた私の失態です。持ち場を離れた者も不問としてください。心配をおかけしました」
短髪の男が差し出した手拭いで、額の汗を拭いながら状況を確認する。
「追手は差し向けております。ですが……」
「あの少女は常人の手に負える者ではありません。ギフテットワンかそれに匹敵する者でないと」
ギフテットワン。
ギフテット、使い手、能力者とも呼ばれる彼ら。
それは魔法とは異なる超常の力を操る者たち。
その力の発現や実態の多くは謎に包まれている。
その人数は魔法使いよりもさらに希少な存在であり、その存在が認知されれば、たちまち国家が保護の名の下に、その者を囲い込むほどである。
「それでは彼女を使いますか? ポトムの軍隊を壊滅に追いやった彼女のあの力なら――」
「それも悪くはありませんが、やめておきましょう。その矛先がどちらに向くかわかりません。それに、彼女の力は乱戦には不向きです。何かあって陛下から不興を買う危険を冒す必要もありません――」
ジンジャーはここで一度言葉を切った。
顎に人差し指をあてると、
「――ですが、このまま見送るのも癪に障りますね。……後詰めとして、
「勿体なきお言葉。命令しかと承りました」
男はその頭を恭しく下げた。
◆
村を離れる二頭の馬。
シトラス、メアリーとミュール、ブルーの二組に別れて、森の一本道の上で馬を駆る。
馬も人も白い息を吐き、その肌には汗の珠が浮かんでいた。
ミュールが叫ぶように、
「追手はッ!?」
ちらりと後ろを振り返ったシトラス笑顔で、
「めっちゃ来てるッ!!」
少し距離を置いて、騎馬隊ともいえる数の追手が迫っていた。
「まぁ、逃がしてはくれないよ、くそッ。頑張ってくれよ
二人が鞍上とは言え、腰に差した剣以外は装備らしい装備もない子ども。
重量という点では、逃げるシトラスたちに分があった。
同じ軍馬であっても、鎧を着こみ、武器を握りしめる大人の重量はそれだけ重みがあった。
逃げ続けるシトラスたち。
いつの間にか追いかけてくる後続の騎馬隊が見えなくなっていた。
「やったね。撒いたみたいだ。諦めたのかな?」
「……変だな」
道は概ね一本道。
シトラスたちは馬の手綱を緩め、馬に息をつがせる。
地鳴りのような馬群の足音も、今は全く聞こえなかった。
「何があったのかわからないが、今のうちに少し休憩しよう。馬たちも疲れて今日はこれ以上走れないだろう。ここからは歩きだ。幸い、崖にかかった大吊り橋まであと少し。あの橋を無事に渡り切れれば、まだやりようはある」
気は進まないため言葉にはしなかったが、橋を落として追手を防ぐという方法である。
シトラスもブルーもそれはわかっていた。
シトラスたちは一息つくと馬を引いて歩き出す。
ブルーが先行して歩き、メアリーが殿を務め、前後の警戒を行っている。
「ウオック、大丈夫かな?」
馬と共に歩きながらシトラスが心配そうに口を開くと、
「どこの国も馬、特に軍馬は貴重な戦力だ。あの兵器みたいなデカさの馬ならチーブスの連中も無碍には扱わないさ」
ミュールが笑って肩を竦めると、釣られてシトラスにも笑顔が伝播する。
追手の姿もないまま、ついに森の終わりが見えてきた。
「拍子抜けだな」
森を抜けると、崖にかかる大吊橋が見えてきた。
その周囲には人影もない。
先頭を歩いていたブルーが、とてとてと歩調を落として二人に合流する。
目の前の光景にホッと息を吐いたミュールであったが、
「――そうでもない」
ブルーの耳がピンと上に立っていた。
カタカタと路傍の小石が音を立てている。
森の一本道から地鳴りが聞こえてくる。
振り返り目を凝らすと、馬群により舞い上げられた砂塵が薄っすらと見える。
シトラスが叫ぶ。
「走れッ!」
魔法で強化した体で走り出す。
十分な休養を取れていない分、魔力のキレは悪い。
だが、今は力の限り走るしかない。
馬を置き去りにして、駆ける四人。
ブルー、メアリー、ミュール、シトラスと縦になった。
橋に差し掛かるところで、追手の馬群も森を抜けた。
先頭のブルーが、橋に足をかけた。
このまま三人も続けば、この場を切り抜けられる。
吊橋を渡り切れなくても。橋のロープを切れば追手は渡ってはこられない。
続いてメアリー、ミュールも橋に辿り着いた。
シトラスもあと少しである。
「まてッ!
馬群の先頭を駆ける男の声に、シトラスは思わず走りを止め、振り返る。
立ち止まったシトラスを見て、鞍上でニタっと笑うのは見覚えのある顔。
シトラスの顔が驚愕に染まる。
「どう……して……?」
揺れる吊橋の上、後ろで足を止めたシトラスに気がつき、ミュールが振り返って叫ぶ。
「おいッ、馬鹿シトッ!? 死にたいのかッ!?」
声が届く距離まで近づいたとは言え、追手とシトラスには十分な距離があった。
立ち止まりでもしない限り埋まらない差が。
ミュールの叱咤で我を取り戻したシトラスが、再び前を向き足を進める。
「ごめん、すぐ行くッ!」
「ったく……」
魔力の切れた体を動かし、やっとの思いで辿り着いた橋に右足を踏み入れた。
先を走っていた三人は吊橋の中ほどで、シトラスを待っていた。
しかし、次の言葉でシトラスは左足を踏み入れさせることはできなかった
「こいつがどうなってもいいのかッ!?」
チーブス王国の追手の馬群の先頭に立つのは、ポトム王国で上級臣民の地位を持ち、北東方面軍所属であるはずのアーゼー・クレモ中尉。
彼が馬上の左手に掲げたのは、一人の子供。
それは、アーゼーの滞在する家で戦った時に、勇気を振り絞ってシトラスたちを助けた子供であった。
叫ぶアーゼー、そして足を止めたシトラスを交互に見たミュールは、
「おい、あのバカッ!?」
慌てて橋を戻るように駆け出すと、残りの二人もそれに続く。
しかし、追手の馬群から放たれた魔法の雨が、大吊橋を破壊する方がわずかに早かった。音を立てて崩壊する橋。
シトラスは目の前に降り注いだ魔法の余波から両腕で顔を庇う。
再び腕を下した時に、そこには既に橋はかかっていなかった。
「みんなッ!!」
崩れ落ちた橋のギリギリに立つと、崖下を見つめる。
「そ、そんな……」
遥か遠くに思える崖下に流れる川。落ちたら無事では済まない。
「――い」
「え?」
幼馴染のその声は真下ではなく、対岸から聞こえてきた。
シトラスが顔を上げると、
「おーーい!!」
そこには垂れ下がった橋のロープを握りしめて、対岸の崖下にぶら下がっている三人の姿。
「みんなッ!」
シトラスは仲間の無事に拳を握りしめて喜ぶ。
そこに影が差す。
「別れの挨拶は済ませたか?」
アーゼーであった。
「あなたは国を裏切ったのか?」
「ほざけガキが、殺すぞ」
睨み合う視線。
退路を断たれたシトラスだけでなく、アーゼーの表情にも余裕はなかった。
対岸の崖下から仲間の声が飛んでいるが、目の前の相手に集中するシトラスの耳には入らない。
「その子を離せ」
「欲しけりゃくれてやる」
そう言うと、アーゼーは手にsた子供をまるで物を扱うかのように放り投げる。
衝撃を少しでも殺すために、シトラスは体を折って子供を受け止める。
「大丈夫?」
「うわあああああん」
アーゼーから解放されてほっとしたのか、堰を切ったように泣き始める子供。
「候補生一人の首を持ってこい、とのことだ。そうすれば、チーブスで貴族の地位を保証してくれるんだとよ。そういうことで、あの日の続きをしようか
「……いいよ。でもこの子は関係ない。――そこのおじさんッ! この子の面倒見てくれない?」
シトラスはそう言って、自身を囲む馬群から一人の男を指差して指名した。
「……俺か? ……まぁ、いいだろう。ほら、坊主? 嬢ちゃん? こっちにおいで」
男は馬から下馬すると、膝を折って子供を招く。
それを忌々しそうに見つめるアーゼーは、馬から降りると、腰の得物を抜く。
「死ね」
シトラスもそれに呼応するように腰の得物を抜いた
「死んでなんかやらない」
二人の得物が激しい音を立てて交差した。
◆
「――それでシトラスくんを捕まえて来てくれたんだね。ありがとう」
シトラスが駐屯していた村に設置されたチーブス王国の天幕の中。
ふかふかのソファに座るジンジャーの前に、一人の男が頭を垂れていた。
「いえ、あの小物は殺そうとしておりましたが、可能であれば捕縛せよ、という閣下のご命令でございましたので。……彼をどうされるおつもりですか?」
報告を終えると、顔を上げてジンジャーを見つめる男。
男は、シトラスがアーゼーと刃を交える前に、子供の身柄の保証を頼まれていた人物であった。
「気になる?」
声の主の言葉に、壁に同化するように立っていた金の短髪を刈り込んだ強面の男が、その目を細める。
ジンジャーの言葉に、慌てて再び頭を下げる男は、
「申し訳ございません。余計な口を挟みました」
ジンジャーは顔の前で手を振ると、
「別に怒ってないよ。それにしても、彼、どうしようか。彼のせいで一度は死にそうになったけど、一度は助けられたんだよね。うーん困った困った。困った私は、彼の行いに彼の天命を委ねようと思う」
「――と仰いますと?」
朗らかに笑うジンジャーは、
「被害者裁判を行おう。実はもう村人たちには声を掛けているんだ。君も見ていくといい」
男はその言葉に思わず息を呑んだ。
◇
被害者裁判。
それは被害者が加害者に裁きの内容を決める裁判。
裁判とは言うが、この裁判に限っては国の法ではなく、被害者こそが法である。
被害者の下した結果が如何に理不尽であれ、被告人はそれを呑まなければならず、裁判結果の不履行は死罪である。
チーブス王国では、死刑を越える死刑とも言われていた。
後ろ手に縄で縛られたシトラスは、村長の家の前に引き摺り出された。
二人の兵士に乱暴に両脇を抱えられ、広間に来ると膝の裏を蹴られて、無理やり膝をつかされる。
「うッ……」
下半身に襤褸の囚人服を纏い、上半身を剥かれ、ただ乱暴に巻かれた包帯だけが、傷口を覆っているのが見える。
包帯からは血が滲み、赤黒く変色していた。
広間に設置された被害者裁判の舞台。
左右に設置された階段状の座席には村人が座り、その座席には等間隔で小石まで用意されていた。
被告人として引き摺り出されたシトラスの正面には、ジンジャーとその側近たち。
ジンジャーは一段高いところに座って、周囲を見下ろしている。
その口元には笑みが浮かんでいた。
舞台の周囲はチーブス王国の部隊が、これから行われる裁判を邪魔させないように展開している。
「本来は村の祭司が裁判の進行役なんだけど、彼らが殺してしまったようだから、私がやるよ」
ジンジャーは『殺してしまった』と言ったところで胸に手を当て、さも祭司の死に胸が痛い、という芝居を見せる。
この場で、誰よりもノリノリであった。
「被告人は、平穏に暮らしていた村の平和を乱し、村の貴重な資源を奪うに留まらず、不正を正そうとした祭司まで手にかけた。村が被った痛みは如何ほどのものか……。私には想像もつかない」
劇場俳優のように身振り手振りで言葉を吐く。
男か女かわからない中性的な容姿ではあるが、その容姿の美しさは変わらなかった。
芝居がかった仕草もさまになる。
「そこで! 私は彼の処遇については、村の皆さまに一任しようと思います。お手元の石を投げてもよし、他に罰を味わせたいなら、それもよし。ご自由に仰ってください。私どもが誓って、彼に反抗はさせません。復讐の心配もありません! どなたかご意見はありますか?」
ジンジャーはウキウキであった。
過去に被害者裁判に参加した経験から、そろそろ何か始まると考えていた。
体中の骨という骨を折るのか、短剣で滅多刺しにするのか、
両手足を切り落として、残りの人生を不具として生き地獄を味合わせるのか。
時に村人は兵士よりも残虐になる。
「さぁさぁ? 遠慮はいりませんよ?」
しかし、左右に分かれて座る村人は困惑の様子を見せるばかりで、ジンジャーが期待していた
反応がどうにも薄い。
――仕方ない
小さく息を吐くと、眼下の側近たちに合図を送る。
すると、どこからかシトラスに向けて石が飛来し、その背中に直撃する。
「ぐッ……」
ジンジャーは知っていた。こういう状況では、誰かが一石を投じると、堰を切ったように村人が後に続くことを。
そういう光景を今まで何度も見てきた。
――さぁ、始まるぞ。
しかし、ジンジャーの興奮とは裏腹に、舞台の中央に転がる石が二つになることはなかった。
むしろ、
――怒っている? 何に? これは今までにない反応だなぁ。
反応の薄い聴衆の感情に訴え出るジンジャーは、
「ど、どうされたのですか? 復讐なら心配いりません! 祭司さまの仇ですよッ!?」
すると腰の曲がった一人の老人が歩み出る。
――キタッ。
老人はシトラスの前で跪くと、ジンジャーを見上げ、床に着くほど頭を下げた。
「閣下へ老体が伏して申し上げます」
初めて声を上げた村人に笑顔を見せ、ジンジャーは気分よく何度も頷く。
「うんうん! 顔を上げてッ! 何でも言うといい! 私がその願い叶えてあげようッ!」
しかし、その笑顔は次の言葉で凍りつくことになる。
老人は上半身を起こすと、
「この若者を開放してはいただけないでしょうか?」
「は?」
漏れ出た声はこれまでの演技掛かったものとは違い、どこまでも無機質な素の声であった。
「確かにワシらの生活を壊した奴らは憎い。でもその中で、この若者は最初から最後までワシらの味方でいてくれたんです。閣下もご存じでしょう。この村の今年の収穫量を……」
「あ、あぁ。報告には聞いている。この過酷な環境の中で例年の二倍近い収穫量だそうだな。見上げたものだ。それが? それがこの若者となんの関係が?」
「彼が命令して兵士に手伝わせてくれたんです。そして、彼は誰よりも働いておりました。一度
――なんだそれ? つまらないな。
「……それが村の気持ちですか? 他の者はそれでいいのですか? 貴方達が彼を裁くことができる場はこれが最後かもしれませんよ?」
しかし、村人は声を上げない。そして、何もしない。
それこそがこの場の答えであった。
◆
夜の村を歩く二つの影。
ジンジャーとその側近。
二人の周囲にはほどよい明るさの光源が数体、ふよふよと浮かんでおり、彼らの視界を確保していた。
「――被害者裁判がこんな結果に終わるなんて。予想外でしたよ。思えば彼と会う時は、決まって予想外なことが起こりますね。これで三度目です」
「いかがいたしましょうか。殺しますか?」
息を吐くようにシトラスの殺害を提案する金の短髪男。
彼の名は――ジャン
。ジンジャーの側近衆の中でも最側近の一人であった。
側近の男の提案に小さく唸るジンジャーは
「うーん、今さら殺すのはさすがにカッコ悪くないですか? 『彼の行いに彼の天命をかけようと思う』キリッて言った手前」
ふざけるジンジャーにも真剣な表情で言葉を返すジャンは、
「閣下はキリッとまでは仰ってなかったと思いますが。それに聞いていたのは我々だけです。誰が閣下を責められましょうか」
ジンジャーは立ち止まると、振り返りジャンの顔に向けて指を振って見せた。
「ちっちっちっ、いるじゃないか他にも」
「それは一体……?」
そして、頭上に輝く星々が浮かぶ空を指差した。
男が指に釣られて、空を見上げるのを見ると、
「天だよ」
決まった、とドヤ顔をする。
しかし、ジャンの反応は薄かった。
「はぁ。閣下がそう仰るのであれば……」
またなんか言っているぞ、とその顔に書いてあった。
「たまに貴方たちってとんでもなく失礼な視線を私に送りますよね? 私も傷つくんですよ?」
「またまた御冗談を」
それこそ冗談、とばかりにジャンがふっと微笑む。
「ふぅ……まぁいいです。そう言えば姫の御守役が今はいないんでしたっけ?」
「はい。先日また例の癇癪を起された際に……まさか?」
ジンジャーの顔に悪い笑顔が浮かぶ。
「うん。ちょうどいいじゃないか。なくなっても困らない人材です。仮にそれで姫に何かあれば、それは戦争の大義名分になります」
ジャンの視線はそのあくどい顔に釘付けになる。
「閣下は怖いお人ですね」
そう言われると、その笑顔がぱっといつもの柔らかな笑顔に切り替わる。
「まぁ、シトラスくんに姫をどうこうできるとは思っていませんけどね。ポトムの残党を討伐するまで、この地域にはもう少し留まる予定です。それに、誰かさんが大吊橋を落としてしまったから、それの修理もしないといけません」
ジンジャーが前を向いて再びその足を進めると、
「お供します」
目の前の影に従うように、ジャンも再びその足を前に進めるのであった。
◇
ひと際大きな天幕。
豪華絢爛な調度品で覆われた部屋。
部屋の中央に設置された大きなベッド。
大人が四人は寝られる広さのベッド上に座り込んでいるのは一人の少女。
身の丈を越える美しい濡れ鴉の黒髪は、布団の上に束となって広がっている。
黒髪の一部がベッドから垂れ下がり、床についている様は、山に流れる川の流れを彷彿させる。
天幕の外から、女中が少女を呼ぶ声が聞こえた。
気だるげにベッドの上から、入口を見向きもせずに声だけ返す少女は、
「……誰じゃ」
少女の声に、天幕の外に立つ女中が言葉を返す。
「姫様。次の御守役をお連れいたしました」
「わらわに守は必要ない。……どうせすぐいなくなる」
しかし、女中は断られることを事前にわかっていたかのように、淡々と言葉を返す。
「ジンジャー閣下からのご命令ですので」
「……好きにせい」
このやり取りも少女と女中たちの間では、いつからか恒例となったやり取りであった。
女中は天幕の入口の裾をずらした。
自身は天幕の中に入ることなく、少女の顔すら見ることなく、連れてきた者だけを天幕の中に入れる。
「それでは私はこれで……」
天幕の外から声をかけると、足早に天幕から離れていく足音。
女中に連れられて入ってきた者は男であった。
まだ若い。しかし少女よりは年上の。
少年と青年の狭間に立つ。青年に差し掛かった少年。
下人が着る簡素な服を纏う少年。
天幕を沈黙が支配した。
分厚い天幕には、虫の音一つ聞こえない。
それは少女のほんの気まぐれであった。
「そち……名は?」
金橙色の髪の下、髪と同色の瞳が彼女の黒曜石のような瞳と交差した。
「ぼくの名は――」
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