五十九話 暗雲と脱獄と
北東方面軍から駐屯部隊として派遣されていた小隊。
小隊を構成する四つの部隊のうち三つの部隊が村を去った。
シトラスの要請を受けて一つの部隊が村に留まった。
中隊長であった大尉の胸中はどうあれ、特例としてシトラスは引き続き村への駐屯を認められると共に、隊長代理という地位を授かることになった。
これは実権は何もないに等しいただの駐屯のための大義名分であった。
ことここに至り、シトラスは村の大人たちを集めて、村の状況を説明した。
資源が底を突きそうなこと。
駐屯部隊の大多数が村を去ったこと。
しかし、シトラスたちは最後まで村の復興に手を貸すこと。
村人の反応は、不安と困惑、そして疑心であった。
村人の中には恨めしそうな視線を隠さない者もいた。
まず、はじめに納屋に押し込めていた村人たちに家を返した。
次に、村人たちと交流の場を設けた。
第四分隊の副官の助言により、円座となって上下の区分なく意見交換をする形を取ったが、これがうまく機能した。
シトラスは毎日のように村人たちの話に耳を傾けた。
幸い、村を去った小隊たちが、この時期の農業の土台となる工程のほとんどを終わらせていたので、村に残った部隊には時間があった。
ブルーが分隊から森に詳しい数人を借り受け、少しでも食料の足しにする為、森へ入り、森の恵みを探す。
メアリーは村の外部の哨戒。
アーゼー・クレモ中尉に不覚をとって以来、シトラスの傍にいる時間が減り、剣を振る時間が増えた。
放っておけば、休憩を取りつつも、一昼夜振り続けるほどである。
時折、彼女は村の田畑を荒らしにくる害獣たちを、一刀で切り伏せていた。
害獣と呼ばれていた森の獣たちも彼女の前では、貴重な飯の糧に変わっていた。
シトラスが代理隊長となって一ヶ月もすると、ひもじい食事状況には変わりはないが、少しづつ村の元気も戻り始めていた。
◇
村は春を迎えた。
「豊作じゃあ! 豊作じゃあ!」
村の老人たちが曲がった腰を伸ばして喜んでいる。
別の畑でも女性たちが喜色を浮かべて、
「こっちもよッ! いつもよりずっと多いわッ! それに野菜が大きいッ!」
その声は、村のあちこちから、それも日を追うごとに数が多くなった。
この日も、村の入口付近に植えていた野菜が収穫を迎えていた。
作業にあたっていた女性が、一抱えの野菜を抱え、村へ戻ろうとした矢先。
「よかったッ! これで子供たちに食べさせてあげられるッ! シトラスさまにも教えてあげないと――キャッ!?」
足元に飛来してきたのは弓矢であった。
慌てて別の女性が
「だ、大丈夫ッ!?」
駆け寄って、彼女の無事を確認すると、矢の飛んできた方角に視線を送る。
そこにいたのは、
「アーゼーの旦那。ちょうどいいタイミングだったみたいですぜ。あいつらあんなに食料を持ってやがる」
五十人ほどの武装した集団であった。
どこか見覚えのある顔がちらほらといる。
村人たちにとっては見たくもない顔ぶれであった。
駆け寄った女性が腰を抜かして倒れ込む。
「そうだな。だが、もう俺のものだ」
一団はさも当たり前のように悠々と村へ入ると、そのまま村の中心部へ。
村長の家の前の広場に辿り着いた。
第四分隊の人間が抗議しようとするも、アーゼーの率いる部隊の者に数人がかりで次々と抑えつけられる。
家の前の騒ぎに気がついたシトラスが、村長の家から出てくる。
「何の騒ぎ? ――お前はッ!? 何しにきたッ!?」
「何しにきたか、だと?
「な、なにを――」
「――俺が今日からここの駐屯部隊の隊長だ」
騒ぎを聞きつけた第四分隊長が、副官や残った部下たちと共に広場へ駆け付けた。
「クレモ中尉ッ!? これはいったい何の騒ぎですかッ!? それにその軍隊はッ!?」
「ちょうどよかった、少尉。命令だ。――候補生たちを捕縛しろ」
アーゼーは顎でしゃくって指図をする。
「な、なぜですかッ!?」
分隊長は状況が呑み込めず困惑する。
その反応にピクリと不快そうに眉を顰めたアーゼーは、
「……少尉。少し見ない間に随分と偉くなったじゃないか? えぇ?」
「い、いえ、そ、そんなことは……あ、ありません……」
肩を竦めて、アーゼーの視線から逃げるように俯く。
「もう一度だけ言う。この命に逆らえば第四分隊は全員除隊処分とする。俺の言っている意味、わかるよな? いいか? 候補生たちを、一人残らず、捕縛しろ」
逡巡する分隊長であったが、やがて下唇を嚙み締め、
「……すまん」
シトラスの下まで歩み寄ると、その手首を握って身動きが取れないように拘束した。
ニヤニヤと事のなりゆきを見守るアーゼーの率いる小隊。
アーゼーは拘束されて地面に膝をつくシトラスの下まで馬で歩み寄る。
そして、シトラスの眼前で下馬をすると、
「うぐッ!!」
拘束されているシトラスの顔面を横殴りに、殴り飛ばした。
無防備に殴られたシトラスは、まともに抵抗もできず、地面に倒れ込む。
殴った右手の拳をさすりながら、
「学生が粋がるからこうなるんだ。こいつは持ってきた牢にぶち込んでおけ。村には後三人いる。そいつらも同罪だ。第一分隊は捕まえて来い。逆らうなら殺して構わん。第二分隊は収穫だ。村の収穫物を集めて来い」
◆
アーゼー率いる小隊が、村の奥に作った急ごしらえの天幕。
天幕の中には、見るからに頑丈な鉄の牢屋が一つ。
そこにシトラスは監禁されていた。
「大人しくしていろッ!」
二人の兵士に連れられて、シトラスの牢に投げ込まれるようにして入ってきたのは、
「ミュールッ!」
喜色を浮かべるシトラスに、
「いてて。おうシト、やっぱこうなってたか」
首をさすりながら言葉を返した。
ミュールを牢へ投入れた兵士たちは、施錠すると足早に天幕を後にした。
天幕の牢屋に残された二人の首には、赤のチョーカーが巻き付けられてた。
チョーカーには文字や紋様がびっしりと書かれていた。
それが単なる飾りでないことは明白であった。
ミュールは自身の両手を見つめ、
「
「そうなんだよ。しかもこれ、見た目に反して頑丈なんだよね。全く切れないし」
シトラスが自身の首のチョーカーを摘まんでみせた。
「それにしてもクレモの野郎……。村がこれから、ってときに。それもわかって来たんだろうが嫌味な奴だ。……どうする? 何とかしてもう一度本国の姉貴に文を送るか?」
大尉たち小隊が村を去る際、シトラスは第四分隊に村に留まる対価として、ベルガモットの庇護を約束し、その旨の手紙を送っていた。
その手紙に対する返事はまだ届いておらず、差し出した手紙が届いているのかもわからない状況であった。
それでも、やってみる価値はあった。
彼女にはそれだけの力があった。
「そうだね。でも、ぼくたちのことより、まず村人を助けないと」
「それについては手を打っておいた。元々輸送する予定だった資源と、村に備蓄する予定だった資源。それとは別に、非常用の資源を別の場所に隠してある。それは俺とブルー、それに村長しか知らない。だから、すぐにどうこうはならないだろう」
予定していた非常とは随分と違う状況だが、備えあれば患いなしであった。
ミュールの言葉に胸に手を当ててホッと息を吐いたシトラスは、
「良かった。メアリーとブルーは?」
「ブルーには、俺たちを脱走させる準備を頼んでいる」
「脱走? でもそんなことしたら問題にならない?」
心配そうな顔を見せるシトラス。
ミュールはそれを肯定する。
「なるかもしれない。だが、クレモは見せしめでお前を殺す気だ。ったく、仮にも上級臣民のくせにまだシトの姉貴を知らない、ってボンボン育ちが過ぎるだろ」
言葉の最後はもはや怒りを通り越して呆れていた。
「そう……なんだ……。それでメアリーは?」
「あいつは知らん」
メアリーはミュールの管轄外である。
しばらくすると、天幕の外が騒がしくなる。
「噂をすれば影か。ブルーが動きだしたみたいだな」
「……それにしては騒ぎが大きくない?」
微かに金属がぶつかり合う音や、重い破裂音まで天幕内部まで響く。
「確かに、妙だな? 数的に不利だから、事は荒立てないようにと念を押していたんだがな」
ミュールが首を傾げていると、ブルーが天幕の入口に飛び込んできた。
「――いたッ。シト、それにミュールも」
すぐに二人の入る牢に駆け寄ると、手にした鍵束から鍵を順に手に取り、開錠を試す。
手持ち無沙汰なミュールが茶化すように声を掛ける。
「助かった。それにしても何をしたんだ? 外は凄い騒ぎじゃないか?」
開錠を試しつつも、声を荒げる。
「私じゃないッ」
どこか焦っているブルーの横顔。
普段は飄々としている彼女にしては珍しい。
頭上の猫耳も何かを気にするように、クルクルと忙しなく動いている。
「お前じゃない、って……? それじゃあ何で外は騒いでいるんだ?」
「敵が攻めてきたッ。数えきれないッ。早く逃げないとッ」
「敵って……?」
ブルーが入ってた天幕の入口から、シトラスたちの纏う軍服とは異なる軍服を纏った兵士。
「こっちにもいたぞッ!!」
天幕に入ってきた兵士が纏っている軍服は、戦時中のチーブス王国のものであった。
それを視界に収めると、ミュールの表情が一気に引き攣る。
すぐに状況を理解したようだ。
「拘束具が簡易的な奴で助かった。ブルー、鍵はもういいッ!。それよりお前の爪で俺たちのこれを切ってくれッ!」
ミュールはシトラスの腕を掴んで、ギリギリまで二人の首を鉄格子に寄せる。
最初に天幕に入ってきた兵士の声に反応して、続々と兵士が天幕に入ってくる。
「動くなッ! 既にこの村はチーブス王国の占領下であるッ! 逆らうなら容赦はしないッ!」
ブルーは鍵束を落とすと、鋭くとがったその爪で器用に、首に巻き付けられた拘束具だけを切り裂く。
獣人族の、特に猫人族の爪は、真剣にも匹敵する鋭さがあった。
剣を手に二人のいる牢に駆け寄るチーブス王国の兵士たち。
「ブルーさがれッ! シトッ! 行くぞッ! いち、にの――」
隣に立つミュールの声に、シトラスが首を縦に振る。
「うぉぉぉおおお――うわあああぁぁぁ!!」
轟音とともに、二人を閉じ込めていた鉄格子はひしゃげ、天幕を突き破って吹き飛んでいった。
押しかけてきたチーブス王国の兵士たちを盛大に巻き込んで。
「やったね! ありがとうブルー」
牢から解放されたシトラスに、ブルーが歩み寄る。
頭上の耳を器用にぺたんとさせた彼女の頭を、よしよしと撫でる。
「やってる場合かッ」
吹き飛ばした鉄格子が作った天幕の穴から外にでる三人。
「うわぁぁぁあああ!!」
「殺せええぇぇッ! 村の仇だッ!」
天幕の外に広がる光景は、凄惨であった。
逃げ惑うポトム王国を追いかけまわしているチーブス王国の兵士たち。
「いったい敵は何人いるんだ……。中隊、いや、大隊。下手をすれば連隊規模だぞ」
驚きのあまり、ミュールは立ちすくむ。
「ミュールッ! 行こうッ! ブルー、案内を頼める?」
山菜取りのために、ブルーは数えきれないほど村の周囲の森へ足を踏み入れていた。
彼女の先導で、三人は迂回して村の入口を目指す。
鬱蒼と生い茂った茂みの間から遠目に見える村。
小さく声を漏らすミュール。
「俺の
ウオックの陰に隠れていたが、彼も密かに自身の馬に名前をつけていた。
先頭を歩くブルーは振り返りもせずに、
「……ださ」
と言葉を漏らした声は風下にいたミュールに、ばっちりと聞こえていた。
「なんだとこの野郎」
「野郎じゃない」
「……なんだとこの雌猫」
「こらこら喧嘩しない」
シトラスの仲裁に二人とも正面を向いたまま、ふんと顔を逸らした。
それからも歩き続ける三人は、ほどなくして村の正面に辿り着いた。
「どうする。戻るか? それとも、このまま村から出るか?」
ミュールがシトラスに声を潜めて尋ねる。
この中で最も五感に優れたブルーは、周囲の警戒にあたっている。
「戻ろう。村を出るにしても馬が必要だ。本隊に合流するにしても、王国に戻るにしても何の用意もなく歩ける距離じゃない。それにメアリーがまだ村にいるかもしれない」
「よしッ。待ってろよ雷丸」
シトラスの言葉に喜色を浮かべて、ミュールは両の拳を体の前でぶつける。
メアリーの心配は微塵もしていなかった。
「できれば、第四分隊のみんなも逃がしてあげたいんだけど……」
「シト、それはお人好しすぎないか? 牢に向かう途中で聞いたぞ。分隊長に捕まったんだろ?」
シトラスの提案にミュールは不満げな声をもらす。
「それはそうだけど、その時の顔……辛そうだった。それにこれまで村の復興に協力してくれたんだ。それは彼ら抜きじゃできなかった。そうでしょう?」
「それはそうだけどよ……はぁ、俺はお前に従うよ」
頭をガシガシと掻くミュールに、
「ありがとう」
シトラスは笑顔を返した。
ふぅ、と息を吐いたミュールは空を見上げ、
「勝負は明日の早朝だ。装備もなしに夜に馬は動かせない……。それにしても、今日は一度に色んな事が起きて、目が回りそうだ」
見上げた空はオレンジ色から青に染まろうとしていた。
三人は村から離れたところで木と落ち葉と土を使って即席のテントを作る。
ブルーがどこからか持ってきた天幕の布にくるまり、身を寄せ合って眠りについた。
その翌日の早朝。
夜が明け始めるのを見計らい、動き始めた三人。
まずは囚われている駐屯部隊の確認。
シトラスの魔力視の魔眼で見覚えのある魔力を辿る。
メアリーは元より、顔を合わせる機会が多かった第四分隊長と、副官の魔力の波長を覚えていた。
「あそこだ」
シトラスが指さしたのは村で一番大きな納屋。
それは皮肉にもポトム王国の駐屯部隊が当初、村人たちを押し込めていた場所であった。
「見張りは二人だけか。それなら何とかなりそうだな」
物陰に隠れて移動した三人は、ミュールの言葉通り、あっという間に見張りの兵士たちの無力化に成功する。
室内に忍び込むと、そこには捉えられた駐屯部隊の兵士たちの姿。
納屋に縛られていた駐屯部隊の隊員は手と足を縄で縛られていた。
その首には、シトラスたちがつけられていたものと同じく、魔法を封じる拘束具。
隊員たちは身動きの取れない状態で地面に這いつくばっていた。
シトラスとミュールがそれを順に解いていく。
ブルーは入口で屋外の様子を警戒している。
「あ、ありがとうございます」
分隊長は小さな声で頭を下げる。
後ろめたいのか、その瞳はシトラスを見られないでいた。
代わりに一歩前に出てきたのが、彼の副官であった。
「助けていただきありがとうございます。ここからは何か案がおありでしょうか?」
「馬を確保しようかと思います」
シトラスの言葉に満足そうに頷く副官。
「それがいいでしょう。確かに隊長代理たちは精鋭とは言え三人。こうして先に味方を救出するのは賢明な判断です。幸い、我々は敵兵に比べて、この村では一日の長があります。裏を回って馬を取り戻し、村をでましょう。相手は約千名、それに比べて我々はわずかに三十名前後。相手が油断しきっている今が好機です」
声を潜めながら、淡々と状況を述べる副官に、シトラスは頷きを返す。
「はい。ところでメアリーを見ていませんか?」
「シュウ候補生ですか? すみません。いきなり敵が押し寄せてきたものですから、私は把握しておりません。むしろ。私からお尋ねしたいくらいです」
「そうですか……。ありがとうございます。大丈夫です。彼女は強いので」
「シト、こっちは捕らえられていた人の拘束解除できたぞ」
拘束から解放された人が、他の拘束されている仲間を解放することで、拘束解除はあっという間に終わった。
「この人数が全員で動くとさすがに気づかれてしまいますので、二手に別れましょう。隊長、半数をお任せてしてもよろしいでしょうか?」
「え? あ、あぁ、もちろんだとも……」
副官から振られた言葉に、分隊長は慌てて頭を何度も振る。
どちらが隊長で副官なのかわかったものではない。
「隊長代理は私とご一緒でもよろしいでしょうか?」
伺うような口調で尋ねる副官に二人は、軽く握りしめた左手の親指を上に立てることで、その答えを返した。
二人の反応に満足そうに胸を撫で下ろした副官は、納屋の入口で顔をのぞかせて周囲を警戒しているブルーとは反対側に立ち、周囲の様子を探ると、
「行きましょう」
先陣を切ってその一歩を踏み出した。
◇
副官の先導の下、息を潜めて早朝の村を忍び歩く一同。
チーブス王国の兵士はまた寝ているのか、見回りの少数の兵士以外は屋外に見当たらない。
「分隊長の方も大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。あの人もあぁ見えてやる時はやる人ですから」
別れた別働隊を心配するシトラスを励ます副官。
その言葉には確かな信頼関係があった。
シトラスは副官の瞳をまっすぐ見つめる。
「副官さんって、分隊長の恋人?」
副官は少しの沈黙の後に、ふっと笑うと、
「……隊長は既にご結婚なされていますよ」
それを後ろで聞いていたミュールが呆れた表情で窘める。
「シト、お前もう少し緊張感もてよ」
「ごめんごめん」
笑って謝るシトラスに、副官も気にした様子はなく、その足を進めた。
その後も、村を巡回する兵士に見つかることなく、村の入口まで歩を進めることができた。
「この先です」
副官の言うとおり、身を潜めていた建物から先の景色を窺う。
視線の先には、無数の馬が軒先に繋がれているのが見えた。
その中に自身の愛馬を見つけたミュールは、
「雷丸ーーッ」
器用にも声を潜めて喜びの声を上げながら、愛馬の下へと小走りで駆けつけようとするが、
「だめッ」
ブルーがギュッとその腕を強くつかんで引き留めた。
ミュールがブリキ人形のように、ギギギとぎこちなく体を捻る。
振り返ったミュールの視線は険しく、
「――何のつもりだ?」
その声には怒りが込められていた。
「お前、俺たちを騙していたのか?」
ミュールのその問いに答えるように、周囲の建物や物陰から次々と武装した兵士が姿を現した。
ブルーが握りしめていたミュールの腕を離すと、身を屈めて周囲を警戒する。
その答えは陰からやってきた。
「――あまり彼女を責めないであげてください」
声に反応するように、第四分隊の副官は後ろの陰へと下がる。
松明の明かりとは違う。魔法による光源。
数多の光を連れてやってきたのは、蜂蜜のような光沢のある金髪に琥珀色のアーモンド形の瞳。
中性的な容姿を持つその人物は――
「ジンジャー」
先の戦で、北東方面軍の輜重兵に奇襲を仕掛け、戦後の軍の兵站を脅かすことになった軍隊の指揮を執っていた切れ者であった。
胸に手を当てて、大仰に一礼をとったジンジャーは、
「おや、私の名を覚えていてくださったのですね。そういう貴方はシトラスくん、でしたね。平和な時代に再開できなかったことを残念に思います」
「なんでここに?」
芝居がかった演技で手を上に翳し、
「なんで、ってこの村が私たちの村だからです」
ぐっと翳した手を握りしめる。劇場の花形のような所作であった。
「おい、男女ッ! こんなところで油を売っていていいのかッ!? 大隊だか連隊だが知らないが、この人数。北東方面軍に隠し通せるとでも? すぐに本軍が駆けつけ――」
「――ませんよ?」
ミュールの切った啖呵に、ジンジャーは言葉を被せた。
教科書の本を読みあげるように淡々と無機質な声で。
それはこれほどまでの演技がかった声音とは正反対の声音であった。
「何?」
「だって、あなたたちの本隊は既に潰してきましたから」
ジンジャーの言葉に目を剥くミュールは、
「何を、言って……?」
その話はにわかには信じがたい話であった。
「文字通りです。北東方面軍? でしたっけ? 都市セイカに留まっていたポトム王国の軍隊は壊滅させました。今は掃討戦の最中ですよ」
ミュールの視線が左右に激しく動く、
「壊、滅……? 掃討、戦……? な、何を言って……?」
その脳裏はフル回転していた。
嘘であれば、それを言う理由は?
真実であればどう立振る舞うのが最善か?
動揺するミュールを尻目にジンジャーは、再び演技がかった仕草で、
「この村で最後なのです。卑しくも統治という名の略奪に精を出すポトムの生き残りは。――それにしても驚きました。こんな子供が指揮を執っていただなんて。ですが、好き放題やってくれたみたいですね。村の痛み、その身に刻んでもらわなければ、犠牲になった者たちが報われません」
ミュールは思考を止め、ただ無言でその腰を落とした。
シトラスも、ミュールとブルーの隣に立って、ジンジャーを見つめる。
「抵抗しないで下さい。今従えば、命だけは助けてあげられるかもしれません」
さも心を痛めている仕草をとりながら、その手を三人へと差し伸べる。
シトラスはそんなジンジャーを見て、
「ジンジャー。あなたはきっと嘘つきだね」
ジンジャーはシトラスの言葉にふっと笑うと左手を掲げた。
三人を囲む周囲から殺気と魔力がほとばしる。
「……子供を手にかけることになるとは残念でッ――!?」
しかし、その手が振り下ろされることはなかった。
ジンジャーがその場から素早く後退した。
つい直前まで立っていた場所が、轟音と共に砕かれた。
頭上からジンジャーに奇襲を仕掛けたその人物は、舞い上がる砂塵の中、ゆっくりと立ち上がった。
「ちっ、外した……」
砂塵の中から現れたのは――
「メアリーッ!!」
シトラスの弾んだ声が闇に響いた。
次の瞬間、四方から火弾がメアリーに降り注ぐ。
しかし、彼女はそれをあろうことか、手にした剣で切って捨てる。
ジンジャーの口から引き攣った声が漏れる、
「おやおや、彼女は何ですか。魔法を切った? 魔法って物理で切れるものなんでしたっけ?」
いつの間にかその額に浮かぶ珠の汗。
赤髪赤眼の美少女。その目つきには剣呑な光。
その手にはその容姿に似つかわしくない無骨な長剣。
肩甲骨にかかるほどの長さの髪は、乱れに乱れていた。
その怪しい赤の瞳に見つめられたジンジャーは、得体の知れない少女の存在に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
その反応は演技ではなかった。
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