五十五話 戦火と戦果と


 自国へ侵攻を果たしたチーブス王国へ、国を挙げた大規模な反攻作戦を始めたポトム王国。

 シトラスたちが配置された北東方面軍は、マグヌス川を渡河後に奇襲に会い被害を受けるも、以後は目立った損害もなく、早々に占領された王国北東部を奪還。


 奪還した領土にはシトラスたちの故郷――ロックアイス領も含まれていた。


 北東方面軍は、壊滅的被害を受けたロックアイス領を接収。

 急ピッチで軍を再編成すると、年明けには純粋戦力だけでも三万の軍勢をもってチーブス王国への逆侵攻を開始した。


 チーブス王国への領土を侵犯した北東方面軍は、最短距離で敵王都へ向かうのではなく、平坦確保ならびに挟撃を避けるため、まずは北上し、最も国境に近い都市セイカの攻略を画策。


 目立った抵抗もなく、都市を攻略圏内へと収めた。


 この段階になって、北東方面軍はチーブス王国の軍勢と会敵した。

 三万の軍勢に対して、敵戦力はおよそ二万。

 北東方面軍は遠征軍であり、輜重兵の護衛に兵を割くことを考慮すると均衡状態に近い戦力。


 双方が、早期決着を望んだ結果、お互いにその戦力を認めてからわずか数時間後には、平原で相まみえることになった。


 その戦場で、シトラスたち士官候補生は輜重兵の護衛部隊として後方待機を命じられた。

 シトラスは魔眼――魔力視の魔眼を通じて、戦場でぶつかり合う魔力の波動を彼は感じ取っていた。


 命と魔力、誇りと尊厳。


 お互いに一歩も譲らず、それらが激しくぶつかりあっては散って逝く。


 開戦以来、戦士を奮い立たせる雄叫びは止むことを知らない。


 一つが消えても、あらたな一つが生まれる。

 無常の摂理。

 誰も止まらない。

 誰にも止められない。


 怒号の合間を縫って聞こえてくる破壊音に、戦場を照らす様々な光。

 地面を抉る音、空気を裂く音、燃え上がる音、水しぶきを上げる音、耳をつんざくような破裂音。

 巻き上がる地面、吹き飛んでいく物、燃え上がる赤、赤を塗り潰す滴、目もくらむような光。


 魔法の残滓が、時折後方部隊のシトラスたちの前まで流れてくる。

 生み出された時のその威力は、如何ほどのものであったのだろうか。


 燃やす命、燃やされる命。


 その戦場において――


「シト……?」


 ――シトラスは泣いていた。






 開戦してからどれぐらいの時間が流れたのだろうか。

 いや、まだそれほど流れてはいないのかもしれない。


 緊張と興奮は人の感覚を惑わせる。


「おいシト、本当に大丈夫か?」


 馬に跨りながら、ミュールが隣のシトラスへと心配そうに声を掛ける。


「うん。大丈夫だよ……なんだろうね。ぼくにもよくわからないや」


 人並みならぬ馬並み外れた馬体を持つウオックに跨ったシトラスは、袖を使って頬を伝う雫を拭う。


 敵部隊と熾烈な戦闘を繰り広げる本体の後方で、輜重部隊を囲うように展開する護衛部隊。

 その先頭で戦況を魔眼を通じて眺めていたシトラスは、突如として湧き上がった涙が零れ落ちることを止める術を知らなかった。


 馬上の主人を気遣うかのように、心配そうにウオックが首を捻って、小さく鳴き声を上げた。

 ウオックの上、シトラスの後ろに座るメアリーが、一層その身を寄せる。

 ウオックの隣、徒歩のブルーもその耳をペタンと前に倒して、馬上のシトラスを見上げている。


 シトラスは、安心させるようにウオックの頸を撫でながら、ミュールへと言葉を返した。


 言葉交わすことで、その意識が現実に返ってきたのか、気がつけばその涙もいつの間にか止まっていた。

 ただ、充血した眼だけが、その涙が嘘ではなかったことを物語っていた。


「俺たちが優勢みたいだな」

 

 戦場に視線を戻したミュールがそう呟いた。


 北東方面軍が、当初は互角であったものの、時間と共に敵を圧倒しつあった。

 じわりじわりと、軍全体が敵軍へ向けて押し上がっているのが後方からも分かった。


 やがて、敵左翼が崩壊した知らせが声高に響くと、勢いを経た北東方面軍は地鳴りを持って進軍する。


 こうなってしまえば、素人目にも戦況は決したも同然であった。


 逃走を開始するチーブス王国軍兵士。

 その数は一人が二人に、二人が四人へ。総崩れとなるのにそう時間はかからなかった。


 本体の前進に合わせて、輜重隊ならびにその護衛部隊にも前進の指示が下る。


 かっぽかっぽ、と歩を進めるウオックに跨り、シトラスは先ほどまで軍の本部があった場所に立った。

 平原は緩い傾斜になっていた。

 今シトラスは立っている場所から平原の中央に駆けて、なだらかな下りの曲線を描き、そこから敵本陣がある場所に駆けて同じように上りの緩い傾斜となっていた。


 司令部が本部を置いただけあって、その場所からは戦況と戦果が良く見えた。

 大地に刻まれた魔法の跡々。

 その上に横たわる無数の骸たち。

 武器を始めとする打ち捨てられた物資。


 ミュールが強張った表情で、

「俺たちの大勝だな」

 言葉を漏らす。


 しかし、シトラスは目の前の戦場に違和感を覚えていた。

「……でも、なんか変な気もするね」


 ミュールはシトラスの言葉に怪訝な表情を浮かべる。

 彼が何を言っているのか、何を指しているのかが理解できなかった。

 二人の間に立つブルーに視線を送るも、彼女も同じ心境の様でフルフルと首を横に振った。


「変って何が?」

「馬が少ない気がするんだよね」


 シトラスの言葉に馬上で首を傾げるミュールは、

「馬ぁ? ……そりゃ馬の方が逃げるのが早いんだから、死体だって残らないだろ」

「ううん。そうじゃなくて、元々の数。何て言うのかな。――あっ、ちょうど今こっちに向かってきているのッ! マグヌス川を渡った時の敵はそれぐらいいた気がしたんだ」


 シトラスの言葉に引っ掛かりを覚えた。

 ウオックの隣に立っていたブルーも何かに気がついたようで、二人の馬の前へと踏み出し、目を瞑り耳を澄ませる。


「……おい、待てシト。こっちに向かってきているって言ったな?」

「え? うん」

 どこか呑気な様子のシトラスに対して、ミュールは真剣な表情を浮かべている。

「どっちからだ」


 耳を澄ませていたブルーが、あっ、という表情を浮かべる。


 同じタイミングでシトラスは馬上から、側面の方角を指差した。

「ほら、あっちだよ。何か魔法を使っているのかな? ここからじゃちょっと姿が見えないけど――」

 そのシトラスの言葉を聞き終えることなく、ミュールは馬体を翻し、

「――敵襲だぁぁああ!!」


 味方の完勝に、どこか弛緩して肩の力を抜いていた護衛部隊。

 一兵士、それも士官候補生が何を言っているんだとばかりに、怪訝な表情を浮かべる味方の兵士たち。

 新兵の世迷言と、中にはあからさまに馬鹿にした表情を浮かべる者もいた。


 それでもミュールは唾を飛ばして叫ぶ。

「あっちの方角から騎馬隊ッ! なんでかわからないけど、姿が視えないんだッ!」


 ――しかし、近くにいた者たちは困惑するばかりで、誰もまともに取り合おうとはしなかった。

「姿が視えない、って。じゃあ、なんでお前にわかるんだよ」

 むしろせせら笑う声まで聞こえてきた。

 それに同調して起こる笑い声。


「クソどもがッ! どうするどうするッ。兵站がやられれば北東方面軍はお終いだ。まずその前に、このままじゃ俺たちは全滅だぞ……くそっ、こうなりゃイチかバチかだッ……。黙って死ぬなんて、死なせるなんて俺はごめんだッ。シトッ! どっちだッ!? 俺の魔法で敵の化けの皮剥がしてやるッ!」


 ミュールが馬に取り付けられた鞍の上に器用に立ちあがると、シトラスがすかさず

「あっちッ!」

 と一点を指差した。


 ミュールは、その方向に右手を翳し、左手でその手首を固定する。


 魔眼を通じてシトラスには、ミュールの右の掌に黄色の魔力が集まるのが視えた。


「メアリーッ! ブルーッ! 何があってもシトを護れッ!」

「……余計なお世話」

 シトラスの背中から顔を離して呟くメアリーと、ウオックの前で無言で頷くブルー。


 魔力を右手に集めながら、目を凝らす。

 彼我の実力差がわからない以上、この一回に今のすべての力を込める。


 すぐに掌が熱を持つのを自覚した。

「……どこだどこだ」


 シトラスが指さした方向を見つめ、僅かな違和感も見過ごすまいと視線を素早く動かす。


 失敗は許されない。一つ生唾を飲み込んだ。


 そのとき、平原に一陣の風が吹いた。


 思わず、顔を覆いたくなるような強風。

 馬上に立ち上がったミュールへ後方から茶化す護衛部隊からもその強風に声が上がる。


 目を凝らした視線の先、ふと違和感を感じた。

「ミュールッ!!」

「俺にも視えたッ!!」


 まるで風にはためく窓掛けのように、視線の先で、平原の一部が不自然に歪曲したのだ。


 その違和感へ向けて―― 

「うらあああぁぁぁ!!」


 ――ミュールは、右手に溜めていた魔法を開放した。


「<雷掌サンダーショック>ッ!!」


 雷が大気を切り裂き、雷鳴が耳朶を打つ。


 瞬く間に、空気を切り裂く光の刃が目標へと届くその刹那――

「あら、ばれてしまいましたか」

 ――迫り来る集団が突如として姿を現したかと思うと、先頭を駆ける一頭が、迫る雷を手にした剣で切り裂いて見せた。


 渾身の一撃をいともたやすく止められたことに衝撃を受ける。

「なッ!?」


 魔法で全力を使い切ったミュールは、驚きと共に馬の背に落ちるように座り込む。


 姿を認識してようやく事の重大さに気がついた護衛部隊、

「敵襲ッーー!!」

 誰かが叫ぶように声を上げた。


 馬上の敵の姿が、その顔が肉眼で認識できるほどに接近を許した護衛部隊、そして護衛部隊に囲まれるように位置する輜重部隊。


 あと少し接近を許していれば、成す術もなく蹂躙されていたに違いない。

 しかし、そこは腐っても護衛部隊。

 左翼からの敵襲の知らせと共に、すぐさま輜重兵を護るように全部隊が再展開する。


 これで最悪は免れることができた。


 護衛部隊の誰かが頭上に、敵襲を知らせる魔法を打ち上げた。

 これで距離が開いた味方前衛部隊が戻ってくるのも時間の問題である。


 後は――。

「前衛部隊が戻ってくるまで凌げるかだな」

 くたくたになったミュールが、隣のシトラスへそう告げる。


 左翼だった場所を中心に他の部隊が展開したこともあり、自軍へ入るように馬を下げるミュールとシトラスたちは、再展開後は奇襲を仕掛けた敵に対して右翼にはいる形になった。


 護衛部隊から敵騎兵へ魔法の雨が降り注ぐ。

 しかし、敵の騎兵もさるもので、降り注ぐ攻撃にその速度を落とさず、脱落者を出しながらも護衛部隊の先方と交錯した。


 吹き飛ぶ人馬は果たしてどちらの陣営か。


 次々と護衛部隊の中央部へ突撃する敵騎兵。

 その勢いはとどまることを知らない。

 シトラスたちが戦況を把握するよりも早く、中央のに展開した護衛部隊の壁は打ち破られた。


 一度壊された壁は脆く、傷口を広げるように次々と敵の騎兵が塊となってそれに続く。


「うそだろッ!? ――って、おいッ! シトッ!!」

 ミュールの静止を振り切り、シトラスは手綱を取ると、ウオックの首を返してその腹を蹴った。


 馬上の主人の意図を忠実に聞き取ったウオックは、瞬く間に加速。

 慌てて伸ばしたミュールの手が届かぬ位置へ馬上の主人を連れて行ったかと思うと、景色を置き去りにする勢いをもって、敵騎兵の先頭へ向けて駆け出した。


 中央の護衛部隊を突破した騎兵に、次々と蹂躙される輜重部隊。


 集団の先頭を走る騎兵へ、ウオックの巨躯を活かしたぶちかまし。

 今まさに刃を振り下ろそうとしていた騎手の凶刃は寸でのところで止まり、迫り来るウオックの存在に気がつくと、馬上から飛び降りるように転がり落ちた。


 シトラスが馬上から落ちた騎手へと視線を送る。

 視線の先には蜂蜜のような光沢のある金髪に、血色のよい肌艶をもつ中性的な姿。男とも女ともとれる容姿の持ち主。

「あたたたた……」

 どこか兵士らしからぬ優雅な仕草で頭をさすっている。


 後から駆け付けたチーブス王国の騎兵が「閣下ッ!」と叫び、落馬した騎兵に駆け寄ろうとするが、それに対してウオックが大きく嘶くと、彼らの跨る馬がウオックに怯えて近づくことができない。


 戸惑う鞍上の騎士たち。


 地面へと落ちた騎兵は、心配する味方へ手を上げて静止すると、ゆっくりと立ち上がった。

「これは二度目の誤算ですかね」


 ぱっぱっと軽装備の鎧についた土埃を払う。

 それはまるで、家の庭で遊んでいるぐらいの気軽さであった。

 敵部隊の生命線、輜重部隊へ奇襲を仕掛けている最中とは思えない所作であった。


「……おや、その立派な黒馬は噂の? 警邏部隊隊長の馬と聞き及んでいましたが、何ゆえ? あなたは彼の縁者か何かでしょうか? いや、それを今さら聞いても仕方ありませんね。はー、やれやれ……。できることであれば、ここで決着をつけたかったのですが……。致し方ありませんね」


 首を傾けたり、手や指先を使って感情を表現する様は、その者の感情の豊かさを物語っていた。

 声を聞いても、男性とも女性ともとれる声音である。


 やがて相手は、馬上のシトラスへにっこり微笑むと

「私たちは帰ります。奇襲を見破った少年と、貴方に脱帽です。お名前を窺っても?」

「……シトラス」

 馬上から警戒しながらも名前を告げると、その音を舌で転がすように反芻はんすうする。

「シトラス……。いいお名前ですね。私の名はジンジャー。できれば次は平和な時代にお会いできるといいですね」


 ジンジャーはトコトコとウオックに跨るシトラスへ背を向けて歩き出すと、

「よっと」

 ちょうど放馬していた空馬を器用に捕まえ、再び馬上にその身を戻した。


 それは流れるような身のこなしであった。


 ジンジャーと名乗った者は、輜重隊の横を掠めるように通り抜け、護衛部隊を蹴散らすと、配下の騎兵を引き連れて、颯爽とポトム王国の陣営から去っていった。


 入れ替わるように前衛から駆け戻ってくる味方騎兵の姿。

 まんまと北東方面軍は出し抜かれた形となった。

 味方騎兵は一部の部隊を先行させて戻ってきたようで、その姿が小さくなっていく敵騎兵の追撃には至らない。


 シトラスは地平線に消えていく騎兵に視線を送り続けた。

 脳裏にジンジャーを名乗った者を思いながら。



 東北方面軍は一大会戦を見事に勝利し、その勢いのままにチーブス王国北西部の有力都市セイカを陥落させることにした。 


 しかし、その実チーブス王国の騎兵による奇襲によって被った輜重隊の被害を少なくなく、兵站に問題を抱えることになった。


 万を越える軍勢を維持するのは、並大抵のことではない。


 軍は占領した都市セイカから食料の摘発を試みるも、そのほとんどが落城の前に持ち出されていた。

 チーブス王国は会戦の裏で、最低限の資源を残して、他は住民と共に避難させていたのだ。


 北東方面軍は王都と中央方面軍へと状況を知らせる早馬を飛ばし、進軍を停止。

 兵站を確保するべく、占領した地へと腰を下ろすこととなった。


 手始めに部隊を分けて、近隣の村落へと進行。

 支配者が変わったことを周知するとともに、資源の徴収に身を乗り出した。


 占領した都市の資源は既に持ち去られていたが、この地域に根を張る各村落にはこの冬を乗り切るための資源が蓄えられている。

 そこに北東方面軍は目をつけたのだ。


 その部隊の一つにシトラスたちの姿もあった。


 部隊長を務める者の駆る馬より見事な馬体をもつウオックは、遠目からでもそれとわかる。

 馬上には手綱を握るシトラスと、その後ろで彼にもたれ掛かっているメアリー。

 一馬身遅れて隣を駆けるのはミュール。

 今回はミュールの駆る馬の後ろにブルーの姿があった。

 器用にも彼女は馬上で後ろ向きに座っていた。


 一団は北東方面軍が進軍してきた道を遡るように進む。

 都市を占領後に手に入れた地図によると、北東方面軍が進軍の際に見落とした村落があったのだ。

 橋を渡った東に位置する村であるが、自然と共生する村のため、斥候も見落としていたようである。

 しかし、手に入れた情報からその村の生産量は見落とすことはできず、踵を返す形で北東方面軍は一団を差し向けていた。


 列をなして黙々と進行する一団は、森に囲まれた道を抜け、大吊橋の前まで辿り着いた。


「こっちだッ!」

 先導する隊長の下、東へと馬を返すと、獣道を見つけその道へ勇み飛び込む。それに続く隊員たち。

 

 シトラスもそれに続くが、その表情は曇っていた。

 握る手綱にもそれが伝わったのか、ウオックも速度を落として隊列のほぼ最後尾を駆けていた。


 すぐ後ろを走っていたミュールが速度を上げて、 

「どうしたんだシト?」

 とシトラスの顔を見て尋ねると、

「これから平和を乱すと思うとちょっとね」


 村にとっては方面軍がどういう名目を取り繕おうが、その実は略奪である。


 ミュールが正面を見て、

「それが戦争だろ。気にしすぎるなよ」

 感情を押し殺すように言葉を吐く。


 しかし――。

「それを武器を持ってロックアイスに押し寄せてきた人たちにも言える?」


 シトラスの言葉には顔を顰めて返す言葉もなかった。


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