五十四話 侵攻と会敵と


 ポトム王国東部が、隣国チーブス王国の侵攻を受けて三ヶ月が経つ頃。

 この頃には、侵攻を許した東部一帯を完全に取り戻しつつあったポトム王国。


 シトラス属する北東方面軍は、初手こそ奇襲を受けて被害を被ったものの、以後は快進撃を続け、接収したロックアイス領を中心に、瞬く間に近隣地域の覇権を取り戻した。


 北東方面軍の活躍を受け、軍部首脳陣はチーブス王国への侵攻を決意。

 年明けに敵領内へ向けて電撃戦を繰り出すことを決めた。


 ロックアイス領内に新しく設営された食堂。

 

 その一角のテーブルにシトラスは座っていた。

 目の前には綺麗に平らげられた空き皿たち。


 シトラスの正面に座るミュールが机に置かれた薬缶の取ってを持った。

 三つの湯呑に白湯を注ぐと、湯飲みには白い湯気が立ち上がる。


 シトラスは自身の湯飲みにふぅー、ふぅーと息を吹きかけた後に、口をつけると、ほぅ、と小さく息を吐いた。

 白湯で温められた、その吐息も白く色づいていた。


 食堂内に用意された時計を見ると、午後の訓練までは今しばらく時間があった。


 シトラスは、

「なんか忙しくない?」

 主語のない言葉を投げかけた。


 シトラスが言及したのは、遠征の準備に慌ただしいロックアイス領の現状に留まらない。


 領内は鉄を打つ音、器材を組む音など喧騒で賑わっている。

 そのすべてが軍人もしくは軍関係者たちである。

 食堂から見える通りを歩く者たちも、帯剣している者がほとんどである。


 ぼんやりと視線を屋外へ向ける二人。

 隣に座るメアリーは、シトラスにもたれ掛かって目を瞑っていた。


「確かにな……。何も冬に遠征しなくてもいいだろうに。各地から人や資材がバンバンきて、それらを四六時中働かせているおかげで、ロックアイスもすっかり要塞都市だが、俺らが来てまだ一ヶ月そこいらだぜ?」


 北東方面軍の接収を受けたロックアイス領は、ポトム王国の支援を受けて、この一ヶ月で目覚ましく復旧を遂げた。

 軍事要塞として生まれ変わった領地は、軍の建屋と訓練設備、資材加工場が数多作られ、付随してそこでの労働に従事する者のために飲食店も作られた。

 また、シトラスたち未成年の候補生には知らされていないが、一部の区画には軍管轄の夜の店までできており、町の規模や生産性は、以前のそれを既に凌駕していた。


「何か理由があるのかもね」

「理由は理由でも、政治的な理由は勘弁して欲しいけどな」

 シトラスの発言に対して、ミュールは眉間に皺を寄せた。


「政治的な理由?」

「あぁ、そりゃ大人の事情って奴だよ。軍だって組織だ。人が集まる限りそこには派閥が生まれるもんだろ。四門然り、北東方面軍と他の方面軍然り、もちろん北東方面軍の中にだって派閥の一つや二つあるもんだ」


 シトラスは少し考える素振りを見せた後で、隣を歩くミュールに笑顔を見せる。

「そうなんだ。じゃあ、みんなで協力すれば早くこの戦争も終わらせられるね」


 嫌味でもなく、それが本心であった。


「……みんなが、派閥の長がシトみたいな優しい世界を持っていればな」

 呑気な発音に少し呆れた様子のミュールであったが、真剣な表情を浮かべて言葉を続ける。

「組織の中の派閥って言うのは、言わばライバルなんだ。組織の地位には限りがあって、その地位に座るために鎬を削っているようなもんだ。相手より目立ったこと、功績を残せないとその派閥は次第に求心力を失い、やがては没落する。だから、時に派閥は発言権を得るため多少無茶をすることもあるのさ」


 ミュールの発言に理解できないとばかりに今度はシトラスが眉根を顰めた。

「味方なのに変なの……」


 このあたりの感性が、シトラスを学園における派閥の一角――イスト派閥を抜けさせることになったのだ。


「確かに変かもしれないな。いつだって割を喰うのは俺らみたいな下っ端だ」

 ミュールはただその肩を竦めてみせた。

 


 年が明けた。


 シトラスにとっては、人生で最も味気のない年明けで迎えた新年。

 悲しみの傷が癒えなくても、時は刻まれる。


 北東方面軍は昨年末に周知していた予定通り、チーブス王国への侵攻に出た。

 純粋戦力で三個師団、延べ三万とも言われる大軍勢である。


 シトラスたちが出立前の食堂で耳にした噂では、東部中部でも同様に隣国チーブスへ向けた侵攻作戦が取られているという話である。


 カーヴェア学園から軍に従事している士官候補生たちの仕事は、小隊または中隊の指揮官の補佐。いわば雑用である。

 軍事経験もない子女、しかし、学園に入るだけの才能もしくは地位のある者たち。

 おいそれと前線に配置することなどできないし、彼らも望んではいない。

 人手不足と言えど、それで前線に配置した結果、何か起こっては物理的に責任者の首が飛ぶ。


 彼らは王国内のエリート。

 読み書きができ、魔法も使える。

 指揮官の補佐にはうってつけであった。


 シトラスはミュール、メアリーと共にとある中隊の補佐役につくことになった。

 割り当てられた部隊へ挨拶へ窺った三人。


 出迎えた中隊幹部へ、

「よろしくお願いします」

 シトラスがにこやかに挨拶を告げると、およそ好意的な反応で迎え入れられた。


 特にメアリーの可憐な容姿には、喉を鳴らす者もいたほどであった。


 それをミュールは冷めた目で見ていた。

 知らないって罪だな、と内心では思いながら。


「君たちには都度、議事録の作成。伝令。会議の準備を中心に作業してもらうことになる。これまでの訓練で聞いているだろうが、改めて告げると、社会的には君たちの方が立場が上かも知れないが、軍隊では上官の立場が上だ」


 シトラスたちが真剣な表情で頷くのを見て、上官たちは頬を緩める。

 そうは言ったものの、貴族社会。

 本気で社会的立場を振りかざされば、上官たちにとっては辛いものがある。


 ポトム王国の中隊長は、叩き上げの限界値とも言われており、通常は下級臣民以下の者たちで構成されている。

 そのため、学園卒業後の軍役では、上級臣民が踏み台としてその任に着く際は、担当となった上官たちは内心いつもハラハラしている。


 シトラスの上官たちも、この場で数少ない上級臣民のシトラスの従順な反応に、表情以上に安堵していた。


 上官たちの中から一人の男が、シトラスの前に進み出てくる。

 シトラスにとってどこか見覚えのある顔であった。

 それまで気だるそうに隣に立っていたメアリーの瞳が大きく開く。


 男はそのまま、シトラスの前に立つと、

「――そう言うことだぞ。色男ロメオ気取り」

 と言ってシトラスの額を指で弾いた。


 あうっ、とシトラスは上体を逸らす。


 それを視界に収めた瞬間に、メアリーが素晴らしい反射で殴りかかる。

 それを彼女の隣に立っていたミュールが、これまた素晴らしい反射で止めてみせる。


 メアリーはミュールに握られた右手を見て、それから右に立つ彼を見た。


 ――邪魔するなら、お前からだ。


 瞳孔の開いた目がそう言っていた。


 メアリーとミュールが刹那の攻防を繰り広げていると、

「中尉ッ!」

 上官の一人が男を声を上げて、非難する。


 当の男は呑気ににやにやと笑いながら、そのまま天幕から出て行った。

 他の上官たちは、それを苦虫を嚙み潰したような表情で見送る。


 天幕がおり、男の足音が聞こえなくなると、上官の一人が申し訳なさそうに口を開いた。

「……大変申し訳ございません。彼はアーゼー・クレモ中尉です。その――」

「――お立場が上ということですよね」

 ミュールは言い淀む上官の言葉を引き継いだ。


 上官が軍服から取り出した手拭いで、じんわりと浮かび上がってきた額の汗を拭うと、

「理解が早くてなにより。彼の実家が、その、太くて……つまりは、面目ない」


 ミュールは逆ににこやかに、

「いえいえ、お立場は理解しています。ですが、その様子ですと彼はこの部隊に長いのですか? そこまで実家が太ければ、年数に比例して佐官でもおかしくないと思いますが」


 さも不思議だとばかりに尋ねるミュールに、上官は苦味ばしった顔で、

「彼がそれを望んでいるです」

 

 上官の表情と言葉に何かを悟ったミュールは、何も言わずただ大きく数度頷いた。


 シトラスは、

「……どういうこと?」

 ミュールにそっと耳打ちする。


「つまり、今の地位が奴にとってちょうどいいから、そこにいつまでも居座っているってことだ。役職と責任は比例するからな。今の地位――新人を虐めて、かつ同僚には何も言われない現状が心地いいんだろう」


 声を抑えないミュールのせせら笑う品評に対して、上官にあたる中尉を『奴』と吐き捨てたことに対して、それを咎める者はいなかった。


「それにしても、あんな奴――失礼、中尉とはどこで知り合ったんだ?」

 上官の前であることを思い出して、ミュールは言葉を取り繕う。


「マグヌス川の船上で声をかけられて……彼はメアリーに気があるみたいなんだよね」

 シトラスの発言に、ミュールは顎に手を当てて考える素振りを見せると、

「メアリーに? ……うーん、放っておいてもいいけど、メアリーに上官を殺させるのはなぁ……。メアリー我慢できそうか?」

「――殺ス」

 喰い気味の反応であった。


 その目が据わっている。


「んー、これはだめそうだ。――すみません。シトラスとメアリーを中尉とは別の部隊配置にしていただけますか?」

 ミュールが軽く手を上げて、目の前の上官にお伺いを立てると、

「それが賢明のようだ。私からもいい機会だから一つ聞きたい。――事前に通達を受けてはいたが、シトラス君とメアリー君は、同時に運用する必要があるというのは本当かね?」


 学園長ならびに警邏隊長の連名で、メアリーの配置に関しては一筆が添えられてあった。

 通常、王族に見られる措置が、彼女に適応されていることに上官たちは関心あるようだ。


 シトラスに宥められて、落ち着きを取り戻したメアリーを横目に見つつ、

「はい。仮に彼女を平和的に御せるのなら話は別ですけど」


 この中隊で一番階級の高い上官は、

「大層な暴れん坊とは聞いている。しかし、組織において常に固定ユニットを組まなければならないというのは不便極まりない。私の隣に立つこの軍曹は催眠魔法を得意とする兵士だ。もし、彼が彼女を制御できるとすれば、どうだろう?」


 そう言うと、上官は後ろに控えていた男を指さす。

 軍曹と紹介された男が一歩前に踏み出す。


 シトラスの魔眼は、彼の内包する魔力が一角であることがわかった。

 胸を張ったその姿勢から自信のほどもうかがえる。


「試してみますか? いつでもいいですよ」

 メアリーに許可を取るでもなくそう言葉を返す。


 上官は、

「それを君が言うのかね?」

 ミュールが即答で代弁したことに目を丸くした。


 当のメアリー本人は、先ほどとは打って変わってぼけーっと虚空を見つめている。

 自身の話だというのに微塵も興味がなさげな様子である。


「はい。ただし最初に断っておきますが、彼女は敵と認めた者に容赦はしません。そして、彼女に許可なく魔法を掛けることは、彼女に敵と認められる行為に他なりません」


 ミュールの説明に、うーむ、と唸る上官であったが、当の軍曹本人が、

「私も現場で鳴らしている身です。学園の金の卵とは言え、卒業前の生徒にこうまで言われて引き下がれません」

 

 自信ありげな軍曹の言葉を聞いて、上官が頷きを返す。

 それを合図に軍曹は腰を落とし、右手を開いてメアリーに向ける。

 左手で右手の手首を固定するように握りしめた。


 軍曹は最終確認とばかりに、

「いいんだな?」

「いつでも」

 それにミュールは小首を傾け、何てことないように言葉を返す。


 シトラスが空気を読んで、メアリーから少し距離を取ると、軍曹に視線を向ける。

 魔力視の魔眼には、軍曹の右手に彼の全身の魔力が集まるのが視えた。


 そして、肉眼では不可視の魔法それが宙を飛んでメアリーに直撃する。

 

 にやりと笑う軍曹。


 ――と、次の瞬間。


「催眠魔法程度で彼女を御せるなら、俺も学園の先生たちも苦労しないぜ」


 メアリーが爆発的な速さで軍曹に詰め寄った。

 予備動作なしで静から動へ。


 その勢いのままに軍曹の懐に飛び込んだかろ思うと、キレのある後ろ回し蹴りをその胴へと叩き込んだ。


 悲鳴さえ置き去りにして、軍曹は天幕を突き破ってその姿が見えなくなった。


 メアリーはなおも血走った目で軍曹が飛んで行った方角を見据え、追撃のためにその踵を浮かす。


 目の前の結果に満面の笑みを浮かべたミュールは、

「ご理解していただけました?」

「――わかったッ! わかったからッ!」

 目の前の惨状に上官の悲鳴が悲鳴の声を上げる。


 シト頼めるか? と問われたシトラスは一言、

「メアリー」


 その一言で彼女は今にも飛び出そうと持ち上げていた踵を、再び地に下ろし、

「おいで?」

 という一言で、シトラスの下へと駆け寄ってきた。


 シトラスは乱れた髪を手櫛で梳いてあげる。


 天幕の外が騒がしくなる。

 戦時中に味方陣営で、味方が水平方向に吹き飛んできたのだ。

 騒がしくもなる。

 それを察した何人かの上官が慌てて、外野への説明と事態の収拾に天幕から出て行った。


 額に手を当てる上官に対して、ミュールは意地の悪い笑みを浮かべていた。

 それを見たシトラスは、メアリー越しに、ミュールへと少し呆れた表情を浮かべるのであった。



 メアリーのパフォーマンスが功を制したのか、ミュールの希望が叶い、クレモ中尉は初日以降これといった接触もなく一週間の時が流れた。


 その間に、北東方面軍はチーブス王国の領地へ足を踏み入れ、現在進行形で東進中であった。


 斥候同士の会敵があったという知らせが幾度も届けられているものの、それ以外ではまだ軍事的接触はない。


 曇天の下、東へ東へと行進を続ける北東方面軍。

 シトラスとミュールは共に轡を並べていた。


 ウオックに跨るシトラスと、軍から支給された馬に跨るミュール。

 ウオックの後ろ背にはまどろむメアリーの姿もある。


 吹き抜けた冷たい冬風に、シトラスは馬上でブルりと体を震わせる。

 軍服に厚手のローブを着こみ、支給品の防寒具に身を包んでも寒いものは寒い。

 誰もかれもの鼻頭が赤く色づいていた。

 メアリーがシトラスにその身をより一層寄せる。


 ミュールは、

「不気味だな」

 と言葉を漏らした。


 それは果たした曇天に対してか、敵地にもかかわらずこれと言って未だ敵の姿が視えないことか。


 北東方面軍は、地理的にはチーブス王国の首都へ、最短距離を目指せる位置にいた。

 しかし、そこは縦に長い国土を持つチーブス王国。

 北東方面軍の三万という軍勢は大群ではあるが、地理的不利な点や、補給面を考えると無策に東進するのは愚策。

 軍幹部は挟撃される危険性を考慮し、東進とはいうものの実態は北進であった。


 その途中で、東側にマグヌス川が再び視界に収めつつも進軍を進める軍は、やがて切り立った峡谷に遭遇する。

 崖の下にはマグヌス川から分岐した川が勢いよく流れている。


 高さのある谷を繋ぐのは木とロープで作られた橋。

 人の腕ほどの厚みのあるロープに、人の胴体ほどの厚みのある橋の踏み木で作られた吊り橋は、優に馬車が二台は横並びに通れるほどの広さを誇っていた。


 橋を前に小休憩を取る北東方面軍。

 大勢への奇襲には打ってつけの状況であることは、方面軍の幹部たちも理解していた。

 より一層周囲の敵影を警戒している。


 休憩後に最初に斥候、次いで少数精鋭部隊が先行して渡り奇襲を警戒。

 その後に、方面軍が部隊ごとに吊り橋を渡る。


 部隊の仲間と共に、吊り橋を揺らしながら渡るシトラスは、

「いま敵に狙われたらおしまいだね。でも、なんで魔法で橋をかけないの? これだけ人がいたら土魔法が得意な人は絶対いると思うんだけど、ほら魔闘会でよくアペル先生が土魔法で橋をかけたみたいに」


 シトラスの脳裏をよぎったのは、魔闘大会で主審を務めたアベルがリングと観客席に、土魔法で橋をかけていた光景であった。


「シトの言うこともわからなくもないが、しないんじゃなくて、できないんだよ。向こうの崖まで距離があるから、例え土魔法で橋を作っても、これだけの人数が通れるだけの耐久性を持った橋を造るのは難しいだろう。仮に熟練の魔法使いが集まって土魔法では橋を造ったとすると、俺たちの今立っている場所の土が脆くなるからな」

「そう言えば授業でも言っていたね。魔法は無から有を生み出すものではない、って」

 納得した様子のシトラスに、そうそう、とミュールは頷いた。


 北東方面軍の心配は杞憂に終わり、殿を務めた部隊まで橋を渡り終えた。


「拍子抜けだな。俺が敵ならここで叩くと思ったんだが」

「でも、戦わずに済むならいいことじゃない?」

「ちがいない」

 そう言って笑い合う二人は再び馬に跨る。


 全軍が橋を渡り終えた北東方面軍の先には、橋を越えた先には森林が広がっていた。


 その自然を切り開くように北へと伸びる道へ踏み出す。


 森林を歩くことしばらく。

 左右を生い茂った木々に包まれた道を抜けると、再度小休憩を取る北東方面軍。


 どうやら斥候が、侵攻方向にチーブス王国配下の複数の村々を発見したということであった。

 また、その村々への分岐路の前に、敵国の軍勢の姿も確認できたといこと。


 斥候からもたらされたその数は約二万。


 北東方面軍は三万であり数字上は有利。

 しかし、北東方面軍は遠征軍であり、兵糧や軍事物資を運ぶ輜重兵への護衛に兵を割かなければならないので、状況は予断を許さない。


 マグヌス川渡河後に奇襲による会敵こそあったものの、正面から軍と軍がぶつかる大規模開戦は、シトラスを始めとする新兵には初めてとなる経験。

 

 握りしめた手に汗が滲み、唾が口内に湧き上がる。


 いつ開戦するのかということであったが、軍幹部は即時開戦を選択。

 曇天の昼過ぎ。

 雲で見えないが太陽は頭上に輝いている時間。

 それを考慮すると日没まではまだ十分に時間があり、土地勘のない地での夜襲を恐れた選択であった。


 軍を左右に展開しつつ、進軍。

 一刻もしないうちに、敵の軍勢が視界に収まる。

 

 輜重隊は護衛部隊と共に後方へ待機。

 シトラスたちはこの護衛部隊として、展開された軍勢から少し離れた後方から視界に収めていた。


 魔力視の魔眼を通じて、自軍に漲る魔力を感じ取る。

 そして、離れた距離に位置する敵軍からも、遠目ながらに魔力が立ち込めるのが視える。


 不気味なほどに静かけさ。

 冷たい冬の風が耳を撫でる。

 誰かが冬の冷気に鼻を啜れば、それが密室で奏でる管楽器のようにひどく大きな音に聞こえた。


 ぶるるる、とウオックが小さく口を鳴らした。


 始まりは誰であったのだろう。何であったのだろう。


 軍の後方に位置するシトラスからはわからない。

 ただ、立ち込めた魔力が動くのが視えた。

 それが合図であったかのように感じた。

 次に、眼前の兵士たちは前へ前へと順に駆け出して行った。

 雄叫びと共に。地面を揺るがすような足音と共に。


 今ここに彼らの戦争が始まったのである。


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