五十一話 脱走と愛馬と


 カーヴェア学園から脱走から翌日。

 シトラスたちは、太陽が頭上に上り切る前に、学園から最寄りの東の村に辿りつくことができた。


 シトラスとメアリーが馬に跨り、その隣をブルーが歩いて村へと入る。


 昨夜シトラスの身に着ける宝玉を狙い、彼を襲った二人の男たち。

 その凶行は、間一髪でメアリーとブルーによって防がれていた。


 昨晩は彼らの身を縛って転がしていたが、早朝に野営地を立つ頃に、その縛りは解いて、三人は彼らより一足先に野営地を後にした。

 ただし、彼らが連れていた二頭の馬の内の一頭は、シトラスの命を狙った対価として貰い受けた。

 残してきた馬と共に、今頃彼らもまたこの村に向かっていることだろう。


 村の中央へと伸びる道を通りながら、三人は休憩するために、まずは水飲み場を探す。

 彼らのみならず、馬も少し休める必要があった。


 通りを歩く三人に、擦れ違う村人たちは畏敬の視線を送る。


 やがて、村の中央に差し掛かると、豊かな白髭を蓄えた白髪の老人が三人の前に進み出た。

「わ、私がこの村の村長です。た、立場のある御方とお見受けします。ほ、本日は村へ何の御用でございましょうか」

 シトラスたちの機嫌を窺うように、ただでさえ折れ曲がったその背中が、更に小さく丸まっていた。


 シトラスが下馬すると、

「ぼくたちの水と食料。それにこの子の餌を貰えないかな?」


 すると、畏まって更に頭を下げた村長は、周囲で様子を窺っていた村人たちに声をかけた。

 声を掛けられた村人たちは大慌てで、それぞれ言われて役目を全うするために、その場から散っていく。


 シトラスは無意識であったが、上級臣民のお願いは命令である。

 ポトム王国で生きる以上、下級臣民以下の者が、彼らの依頼を否と言うことは許されない。


 村長を名乗った白髪の老人の案内で、彼の家に足を運ぶ三人。

 村長宅というのは、村の建屋の中で最も立派なことが多い。

 それは部外者の応接室も兼ねていた。

 

 出された水と食事を頂いた後に、シトラスが村長へ東の戦況について尋ねる。


 彼は知っている限りの情報を教えてくれた。


 曰く、これまで長年に渡りチーブス王国との攻防を、万事滞りなく対処できていたフィンランディア家であったが、今回の件では初動が遅れ、これまでにないほどチーブス王国軍のポトム王国内への進行を許し、その結果、ポトム王国東部は大混乱の真っ只中にあることのこと。

 また、その隙をついてチーブス王国は、まずはポトム王国北東部に向けて兵を動かしているとも。


 ポトム王国北東部には、シトラスの生まれた家、ロックアイス領がある。

 シトラスは机の下で、無意識にその拳を握りしめた。


 その手には汗が滲んでいた。


 最後に、皮革にたっぷり入った水と携行食を受け取ると、村長に礼を述べ、三人は馬と共に村を後にした。



 太陽が頭上に差し掛かった頃。


 ロックアイス領を目指すシトラスは、馬に跨り、舗装されていない砂利道の上を進んでいた。

 メアリーは彼に身を寄せて、その後ろの馬上で眠っている。


 ブルーは馬の隣を歩いていた。

 最初は、順番に馬に跨ることを提案したシトラスであったが、ブルーがその提案を断っていた。

 自分で走る方が楽であるとのこと。

 馬の並足は、通常の人間の歩く速度よりかなり速いが、彼女はそれに難なくついてきており、息を切らす様子もない。

 むしろ、馬に跨る二人を先導する形で先を歩いている。


 制服の下からのぞく上機嫌に揺れる尻尾が可愛らしい。


 しかし、その尻尾の動きがピタリと止まる。

 加えて、頭頂部の種族を特徴する耳がピンと上に張り、しきりに左右に回転する。


 少し歩調を緩めたブルーは、馬に跨るシトラスに身を寄せると、

「後ろから誰か向かってくる。追手かも」


 ブルーの言葉に、彼女の尻尾の動きに頬を緩めていたシトラスは、その表情を引き締める。

 これはわかっていたこと。

 避けられないことであった。


 一抹の望みを込めて、

「逃げられそう?」

 と尋ねるシトラスに、

「……無理」

 と短く言葉を返すブルー。


「ヤるしかないわね」

 いつの間にか目を覚ましていたメアリーが、馬上から身を翻して、大地へと降り立った。


 さっきまで眠っていたとは思えないほどに、彼女の眼は爛々と輝いている。


 シトラスも馬を返して、追手の迫る方角へと向き直る。

 馬上のシトラスを護るように、ブルーとメアリーが一歩前に出る。


 それから、すぐに追手はその姿を見せた。


 黒の馬に跨り、駆けてくる五人。

 お互いの顔が見える位置に来ると、五人は手綱を引き、立ち止まってシトラスたちと対峙する。


 五人の中から一人の男が、彼の跨るひと際立派な馬と共に、前に出てきた。

 申し訳程度の黒髪しか残されていない寂しい頭。

 垂れ目気味な細めの碧眼を持った中年の男。

 その顔には深く皺が刻まれているが、優しそうな面持ちである。


 前に出てきた馬上の男は、

「シトラスくん、だね? おじさんは王国警邏隊の隊長を務める者です。我々がここまで来た理由は――わかっているよね? おじさんとしては、できることなら、荒事は避けたい。どうかおじさんたちと学園に戻ってくれないか?」

 見た目通りの物腰柔らかな対応で、シトラスたちに投降を促す。


 想定していたよりずっと優しい対応に、シトラスが返す言葉に逡巡していると、

「隊長ッ! 甘すぎですよッ! あいつらは脱走者、早いとこ捕まえましょうッ!」

「うるさいわね。新入り。隊長が喋っている途中でしょ?」

「なッ!? 貴様ッ、誰に向かって――」


 何故か、警邏隊長の後ろで勝手に揉め始める警邏部隊。

 背後の部下の騒ぎを察知し、文字通り、目頭を押さえる警邏隊長。


 最初に騒ぎ立てた警邏部隊の中でひと際若い男が、周囲の制止を押し切って魔法を行使する。

「喰らえッ! <魔力弾ブレット>」


 周囲の邪魔されないように、素早さを重視した魔法攻撃。

 圧縮した魔力を放出するそれは、主に相手の魔法詠唱を中断させる妨害魔法にも使われるほど、速射性に優れていた。


 あっという間に警邏隊長を追い越し、シトラスの顔へと迫る魔力弾。


 メアリーが、さっとそれを木刀で払い落とすと、犬歯を剥き出しにして、馬上の警邏隊長へと飛び掛かった。


 それを見た警邏部隊も慌てて馬を前に進めると、なし崩し的にシトラスたちと警邏部隊の戦いの火蓋が、切って落とされることになった。


 下馬したシトラスが一人、ブルーが一人、そしてメアリーは三人を相手取る。


 苦戦するシトラス、互角に張り合うブルー。

 メアリーはと言うと、数的不利、経験的不利をものともせず、相手にした警邏部隊を圧倒した。


 接近戦を仕掛けるメアリーに、警邏部隊は壁のように体の前に張った防御魔法を駆使して、これを防ぐ。

 彼女の剣が防御魔法と拮抗して動きが止まった隙に、挟撃するように残りの二人が魔法攻撃で彼女を襲撃する。


 寸でのところで、メアリーは後ろに飛び下がり、これを回避した。


 事前にメアリーを意識した立ち回り。

 初動の流れで作戦の有効性を確認した三人は、適度にお互いの距離を保ちつつ、誰かが攻撃されれば他の二人で挟撃をする、という流れを繰り返す。


 しかし、何度目かの攻防を経た後に、事態は大きく変わる。


 これまでの作戦通り、迫り来るメアリーに対して、防御魔法を展開する隊員であったが、

「隊長ッ!? 防御魔法で彼女の攻撃を防げませんッ!」

 焦る隊員の悲鳴が木霊する。


 メアリーは、熱したナイフでバターを切るかのように防御魔法を切り裂く。


 彼らも警邏部隊の精鋭。

 予想外の事態に慌てながらも、後退しつつ、再度防御魔法を張り直す。


 しかし、それは時間稼ぎにすらならなかった。


 頼みとしていた防御魔法が破られ、一人また一人と沈められていく。

 剣を得手とする警邏隊長だけが、辛うじて食い下がる。


 しかし、何度目の彼女との攻防の最中、ついに防ぎきれず、腹部に鋭い回し蹴りを貰う。


 勢いを殺すように、後ろに跳び上がり、蹴りの勢いを殺した警邏隊長であったが、

「くっ……!? 彼女の力は想像以上だ。――いや、忘れていたな。これでこそ七席だったな……」

 膝をついて、苦悶の表情と共に言葉を漏らす。


 膝を着く警邏隊長の下へ、シトラスの相手をしていた女性隊員が、慌てて駆け寄って来る。

「隊長ッ!」


 膝を着く警邏隊長を庇う様に、女性隊員がメアリーに果敢に剣を向ける。

 しかし、その瞳には浮かぶ動揺は隠せていなかった。


 メアリーは、女性隊員には目もくれず、その後ろで立ち上がろうとする警邏隊長に視線を送ると、

「どうする? まだやれる?」

 余裕の表情である。


 素早くと周囲を見渡す警邏隊長。

 メアリーの剣により未だ倒れ伏す二人と、視界の奥でブルーに対して、防戦一方となっている事の発端を作った男性隊員。

 目の前に立つ女性隊員こそ、目立った外傷や疲労は見えないが、それでも、目の前の怪物とは役者が違う。


 瞬時に状況は理解した隊長は、ふっと表情を緩めると、

「……ふぅ。今日はこの辺にしてきましょう」

 立ち上がることなく、尻もちをつくのであった。


 いまだ警戒の色を見せる女性隊員の前にもかかわらず、メアリーは腰に木刀を差した。


「すみません副隊長。奥で戦っている彼を止めてきてもらえますか?」

 尻もちを着いたままの姿勢で、警邏隊長がそう言うと、副隊長と呼ばれた女性隊員は、剣を収めて、少し離れたところで戦っているブルーと部下の下へと、小走りで駆け出した。


 副隊長の制止を受けて、渋々戦いを止めたひと際若い男の隊員。

 副隊長と若い隊員は、倒れた二人の仲間をそれぞれ介抱する。


「おじさんたちも任務なんでね。倒れた彼らの体力が回復したら、また君たちを追いかけるよ。それまでは自由にするといい」

 負けたとは思えないほど清々しい表情の警邏隊長は、立ち上がるとシトラスにそう告げた。


 シトラスは警邏隊長の言葉に頷くと、

「ところで、ぼくたちの馬は逃げちゃったから、君たちの一頭を借りるね」

 ここ.,,,,,,,,,,まで乗ってきた馬は、戦闘に驚いて、いつの間にか逃げてしまっていた。


 戦場において勝者は、敗者の全てを委ねられる。


 警邏隊長もこれには何も言わない。ただ、

「私たちの馬は、魔法生物と交配して生まれた軍用馬よッ! 誰にでも乗れるわけじゃないわッ!」

 副隊長が負け惜しみのように吠える。


 副隊長がそう言うだけあって、警邏部隊の馬はシトラスたちと警邏部隊の戦闘を見ても、逃げることがないほどに落ち着いていた。

 その体付きはここまで乗ってきた商人の馬よりも筋肉質である。


 ゆっくりと馬群に歩み寄るシトラスに、鼻息荒く警戒した様子を見せる警邏部隊の馬たち。


 シトラスはそれを気にも留めず、

「君に決めた」


 その視線の先には、黒の額に流れる稲妻の白い流星をもつ、ひと際大きな黒馬。


 ひと際逞しい、馬格がある一頭に手を伸ばした。

 その大きな黒馬は嘶き、伸ばしたその手を噛もうとするが、シトラスはそれをいなして、鼻梁を優しく撫でる。

「よしよしよし」


 馬が頭を振って、抵抗素振りを見せるも、笑顔で優しく何度も撫で上げる。

「よーしよしよし」


 すると、次第に馬は大人しくなっていく。


 周囲でそれを目の当たりにした警邏部隊は、驚きの表情を隠せないでいた。


 彼女は、その気性の荒さから警邏部隊では有名であった。

 度胸試しに彼女への乗馬が、時折行われる程である。


 人呼んで、漆黒の帝王。


 驚く警邏部隊の中でも、その馬の持ち主であった警邏隊長の開いた口が塞がらない。

 彼女の気性の荒さは、彼が一番よく知っていた。


 これまで乗り主以外の接触を許さず、それどころか、いまだに隙あらば乗り主すら振り落とそうとするじゃじゃ馬である。

 本来であれば、早々に処分されてもおかしくない彼女であったが、警邏部隊の管理する厩舎のボス馬であり、戦場におけるこれまで多大な功績から、これまで屠殺されなかった。


 シトラスは鐙に足を掛け、馬の背に跨る。

 彼女は少し身を捩る素振りを見せたものの、馬上を振り落とすことはなかった。


「メアリー、ブルー行くよ」

 警邏部隊を牽制していた二人に馬上から声を掛けると、二人は踵を翻して馬上のシトラスの下へ。


 メアリーが、軽快な身のこなしで飛び上がり、シトラスの後ろに跨った。

 彼女は不機嫌そうに首を振りながら、お尻を持ち上げメアリーを落としにかかるが、シトラスがその首筋を撫でてそれを宥めると、不満そうな鼻息を漏らしながら大人しくなった。


 これからよろしくね、と馬上からシトラスの胴ほどの太さをもつ首筋をぽんぽんと叩くと、嬉しそうに彼女は駆け出した。


 馬に跨る二人と並走する一人。


 警邏部隊は、黙ってこれを見送ることしかできなかった。



 大柄の黒馬の背に跨り、野を掛ける二人と追走する一人。

 軍用馬というだけあって、手に入れた馬には段違いのスピードとスタミナであった。


 シトラスが脚で軽く合図を送ってやれば、まるで飛ぶように雄大に大地を駆ける黒馬は、あっという間にブルーを置き去りにする。

 その速さは、魔力で強化した体でも、追いつけないほどである。


 それは景色さえ置き去りにする速度。


 シトラスが、馬上からそれを褒めると、これぐらい朝飯前だとばかりに鼻を鳴らす。


「そう言えば、あの人たちにこの子の名前を聞くの忘れてた……。黒馬、黒馬って言うのもちょっと、うーん、そうだなぁ……。ウオック、って言うのはどうかな」

 そう言って優しく馬の首筋を撫でる。


 黒馬は、シトラスを見上げるように首を動かした。

 そして、再び正面を向いたかと思うと、首を上下に大きく動かした。


 首筋を優しくぽんぽんと叩き、

「よかった。改めてよろしくねウオック」

 と言うと、ウオックは足を止めて、嬉しそうに大きく嘶くのであった。

 


 ウオックに跨り、大地を駆けること数日。

 道中見かけた村で時折休憩を取りつつ、ロックアイス領を目指す三人と一頭。


 馬に跨り、手綱を握るシトラス。

 シトラスの後ろでは、メアリーが彼に身を預けてメアリーが安らかに寝息を立てている。

 ブルーは小走りでウオックに並走する。


 空を見上げると、太陽はまだ頭上に登り切っておらず、西の空にはぼんやりと薄い雲が広がっている。 


 三人は王国東部に流れる大河――マグナム川に辿り着いた。

 この川を越えれば、四門の一角、東を統べるフィンラディア公爵の支配領域に入る。


 しかし、マグナムは南北に渡って王国を縦断する大河。

 シトラスたちの立つ岸から、対岸は見えもしない。


 目を凝らすと、水上には船影がわずかに見える。


 シトラスは、

「改めてマグナム川はやっぱり大きいなぁ」

 感嘆の声を漏らすはシトラス。


 シトラスにとっては、マグナム川を見るのは、ロックアイス領から学園へ入学した際に通って以来である。


 この規模の川になると橋もあろうはずがなく、船舶が必要となる。

 三人と一頭を対岸に運ぶ船を探すために、川上へと足を向ける一行。


 しばらく、ウオックに跨り、川沿いを歩いていると一つの町が見えてきた。

 遠目にも、村の岸に何艘もの船が出入りするのが見える。


 町の周囲に広がる畑。

 あぜ道を通り、町に入る三人。


 馬持ちと言うだけで注目される中、ウオックの馬格は素人目にも立派。

 これまでも立ち寄った村々で注目を浴びてきた。


 町の見張りの任についていた村人も、これはさぞ立派なご貴族様であろう、と思い、シトラスたちが町へ入ることを引きとめることはなく、むしろ、その背筋を正し、頭を下げてこれを見送った。

 ウオックの後ろを歩くブルーが、傍目には貴族に使える小間使いに見えたことも、この思いに拍車を掛けた。

 あながち、すべてが間違いというわけでもないが。


 何はともあれ、パカパカとその蹄を響かせながら、村人に道を尋ねつつ、船乗り場へと辿り着いた三人。


 ちょうど近くで船の手入れをしていた男に近づき、声を掛ける。


「対岸へ渡りたいんだけど、船を出してくれない?」

 とシトラスが告げると、ちょび髭の中年男が、

「全員ですか? その亜人とそちらの大きな馬も?」

 と腰を折って、満面の笑みで応じる。


 シトラスがそれに頷くと、ちょび髭男はシトラスとウオックを嘗め回すように見た。

「そうですね……。三人でございますよね。ご存じのとおり、ただいま東部は戦争地帯で大変危険な状態でございます。さらには、そちらのお馬さまの体格は、他の駄馬とは異なり、立派な体格をお持ちで。となると、金貨四枚、いやオマケして三枚というところが妥当な範囲ですね」


 その目が強欲に光っている。


「ごめん。今お金持ってないや」

 とシトラスが眉をㇵの字にしてそう言うと、

「でしたら、何か金銭に変えられそうなモノをお持ちではないでしょうか? 本来はこうしたことはしないのですが、貴方はお立場ある家の方とお見受けします」

 ちょび髭は、ウオックに近づき、内緒話をするように口に手を当てると、馬上のシトラスに耳打ちした。


「立場? ぼくはシトラス。シトラス・ロックアイス」

 シトラスが出自を述べると、これ見よがしに上体を仰け反らせたちょび髭男は、

「なんとッ!? 東のロックアイスの縁者様でしたかッ! これは失礼しました。今回は特別に、そう特別にッ! 現物で船の手配をいたします。何かお持ちではないですか?」

 さぁさぁ、とちょび髭男は目を金に輝かせる。


 そうとは知らずに、シトラスは頭を捻らせると、首から掛けた例のネックレスを服の下から取り出す。


 あざやかな黄橙色ネックレス。

 そして、それに繋がれているのは、緑色透明に輝く宝玉ペリドットの埋め込まれたオーブの装飾品。


 それを見たちょび髭は、呼吸を忘れて息を呑んだ。

 

 シトラスは、目を見開いて、食い入るようにネックレスを見るちょび髭男に、

「どう?」

 と尋ねると、慌てて咳払いした後に、

「ま、まぁ。わ、悪くないですね。ね、念のために先に本物か確認しても……?」


 震える声で馬上のシトラスの胸元に手を伸ばすが、

「わッ! なに、何をするんだッ!? このバカ馬がッ!」

 ウオックが不快そうに差し出された手を噛む素振りを見せたため、慌てて体ごと後ろに下がる。

 しかし、動転したため、足をもつれさせた男は、盛大に尻もちを着くこととなった。


 周囲にいた村人や商人たちからは、その醜態を笑われる始末。

 ちょび髭男は、顔を真っ赤に染め上げると、それまでの腰の低さが嘘のように、唾をまき散らして、ウオックに罵声を浴びせる。


 しかし、馬上のシトラスが、それを不快そうに見つめているのに気がつくと、我を取り戻した様子で立ち上がり、媚びへつらった笑みを再度浮かべた。

「さ、さぁ……! ネックレスとその宝玉をよく見せてッ!」


 魔力視の魔眼を通じて、シトラスには、目の前の男が宝玉目当てで、先日自分を襲ってきた男たちと同じに見えていた。


 こうした人物に身を委ねていいのか。

 しかし、他にあてはあるのか、と自問自答する。


 シトラスが逡巡していると、

「おい。お前! そんなあくどい奴の話を聞く必要はないぞッ!」

 いつの間にかウオックを挟んで、ちょび髭男の反対側に立っていた一人の少年が声を掛けてきた。


 赤毛染みた茶髪に薄い黄色の瞳。

 シトラスたちと同じぐらいの年頃。

 少年から青年に差し掛かろうという年頃である。


 少年のこの言葉に、たまらずちょび髭男が回り込んで文句を言おうとしたが、

「いったいどこの誰だッ! 人様の商売を邪魔する奴は――あ、あぁ、コメルシャンテ商会のギルビーズさんじゃないですか。これは、これは……。あー、えー、今回も東部への援助物資ですか。へへへ……」

 相手の顔を見た瞬間に、あっという間にその語気が弱まる。


 心底軽蔑した視線で、

「お前のような小悪党のことだ。相場を知らない子女に吹っ掛けていたのだろう。今の世情、東の国難を利用する卑しい奴め」

 と吐き捨てると、ちょび髭男は自覚があったのか、顔に汗を浮かべて縮こまった。


 次に馬上のシトラスを見上げると、

「初対面で失礼だが、そのネックレスと宝玉は人目に出さない方がいい。商人や金勘定に携わる者の目に毒だ」

 シトラスは、素直に頷いてこれに従くと、宝玉を懐にいそいそと仕舞い込んだ。


 それを見て満足そうに頷く少年は、

「俺はギルビーズ。コメルシャンテ商会の商人だ」

「ぼくはシトラス、後ろの彼女がメアリー。隣の彼女がブルー。そして、この子がウオック」

 シトラスの自己紹介にギルビーズは少し、驚いた様子。


 シトラスがその反応に怪訝な視線を送ると、

「……失礼。貴人が獣人を対等に紹介するのが少し珍しくて、すまない。気にしないでくれ――ところで、この隣国との戦争で危ない時期に対岸に渡りたいのか?」

「うん。ぼくの家があるんだ。ロックアイスって言うんだけど」

「……ッ! 驚いた……。ロックアイスの縁者か。俺も駆けだしの頃に、一時期ロックアイスへは出入りしていたんだ。……これも何かの縁だ。よかったら俺たちの商会の船に乗っていくか?」


 喜色を浮かべた後、今も身を小さくして所在なさげなちょび髭男に視線を送り

「えッ!? いいの? でもぼくたちお金ないよ?」

 と言うと、声を出して盛大にからからと笑い出すギルビーズ。


 目尻に浮かんだ雫を指で拭うと、

「すまない。馬鹿にした訳じゃないんだ。やっぱりお前は貴人だな。コメルシャンテ商会は、そんなことでセコセコ掠めたりはしないさ。むしろ、昔の恩返しをさせてくれ」


 ウィンクと共に、ただ俺たちに礼儀作法は期待しないくれよ、という言葉を添えて。


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