二章四節 戦火編

四十九話 手紙と開戦と




 ――ライラが死んだ。


 赤黒い染みのついた乾いた手紙。

 その知らせと共にそれだけが、シトラスの下へと届けられた。


 手紙に微かに残る彼女の魔力オーラ

 それが他でもない彼女のものだと、無情にも彼の魔眼がそう告げていた。



 四年生となったシトラス・ロックアイス。

 その知らせを受け取ったのは、新学期が始まった翌月のことだった。


 この日は勇者部の活動を早めに切り上げていた。

 寮の談話室で過ごす気の置けない友人たちとまったりとした時間。


 そのサラサラとした金橙色の髪が揺れ、同じく金橙の瞳が弓を描く。


 シトラスが昨年創部した勇者部。

 七人いた部員のうち、五年生であった三人が昨年度をもって学園を卒業していた。


 残った部員はシトラス、ミュール、メアリー、ブルーの四年生四人である。

 四年生ともなると、顔つきや体つきはすっかりと大人のそれに変わりつつあった。

 ただ、肌の張りや、笑った時の愛嬌が、まだ彼らが十代だということを教えてくれる。


 シトラスとミュールとメアリー、昨年からミュールと交際を始めたオーロラ、そしてエヴァの五人が輪になって話に花を咲かせていた。


「――なんだよシト、それ。メアリーもなんか言ってくれよ」

 シトラスの隣に座る、金髪琥珀瞳で少しツンツンとした硬い髪質の短髪の少年――ミュール・チャン。

 スラム育ちのシトラスの幼馴染である。

 他の貴族にはない彼のワイルドさは、一部の貴族子女の間でひそかな人気を博している。


「知らない」

 ミュールと反対側の隣に座っているのが、同じくシトラスの幼馴染である赤髪赤瞳の美少女――メアリー・シュウ。

 彼女の散髪は、ずぶの素人であるシトラスが行っていた。

 鎖骨のあたりまで長さのあるそのミディアムヘアーには全体にムラがあるが、奇跡的に彼女の健康的な美しさを演出していた。


「残念だったわね、ミュール。ほら、私が慰めてあげるわ、よしよし」

 ミュールの隣に座るのが、紺髪碧眼のお嬢様然とした雰囲気を持つ美少女――オーロラ・ツァリーヌ。

 彼女もまたシトラスたち同様に東部の貴族を出自に持つ。

 結ばずに腰まで伸ばしたその髪は、この場で誰よりも長い。

 ミュールとは昨年度の舞踏祭から正式に交際関係の仲であった。


「もー、二人はまだまだ熱いんだから。――ま、まあ、私とレスタも負けてないけど。な、なんて言ってみたりして……」

 最後に、メアリーの隣に座るのは、自身の発言に顔を赤らめつつある黄緑色の髪と瞳をもつ美少女――エヴァ。

 結び目の上に作った穴に毛束を通すトプシーテールという髪型で長さは、メアリー以上オーロラ未満である。

 この場では、彼女は唯一北の貴族の出自。


 シトラスたち東部の四人と、エヴァと今ここにはいない彼女の幼馴染のレスタを合わせた北部の二人は、出自の垣根を越えた友誼を結んでいた。


 オーロラとミュールの関係と同じく、昨年度の舞踏祭から、エヴァとレスタの二人は正式に交際を始めていた。


 自爆したエヴァを、メアリーを除く他の三人が弄り、エヴァはますます顔を赤らめることになった。

 彼らは輪になって、他愛ない話しで盛り上がっていた。

 ただの身内ノリの話である。


 ――その矢先の出来事である。


 所属するノース魔法俱楽部に立ち寄ると言っていたレスタが、談話室へと帰ってきた。


 レスタが戻ってきたことに、いち早く気がついたエヴァの顔に喜色が宿る。


 しかし、その顔が直ぐに怪訝なものへと変わった。

「レスタ……?」


 レスタの様子は尋常ではなかった。


 エヴァのそれより色味の濃い緑髪に、彼女と似た色の黄緑眼を持つレスタ。

 普段はシトラスの次に周囲に悪戯を仕掛けることが多く、無邪気に輝くその瞳が、この日はどこか昏かった。


 もつれる足取り、荒い息。


 そして、エヴァの次に彼の異常に気がついたのは、シトラスであった。

 彼の持つ魔力視の魔眼は、万物に宿る魔力を見通す。

 生物に宿る魔力は、宿主の感情を色濃く反映する。


 その魔眼の前に生半可なポーカーフェイスは通用しない。


 その眼がシトラスに伝えていた。

 レスタの魔力から伝わるのは、恐怖、驚嘆、悲哀。


 千鳥足のようにフラフラと、レスタは近づいてくる。

 途中で、他の生徒にぶつかろうがおかまいなしである。


 どこかおかしいレスタの様子。

 和やかなシトラスたちの輪の雰囲気は瞬く間に霧散した。


 レスタが物理的に輪に入ってくる頃には、友人たちの輪の誰もが固唾を飲んでいた。


 彼がこうなるまでに、何か尋常ではないことが起きたのだと――。


 レスタの尋常ではない様子に気を取られている友人たちを尻目に、シトラスは彼の手が何かを握りしめていることに気がついた。


 レスタは震える手で、シトラスに赤黒く乾燥したナニカが付いたそれを差し出す。


 それは錆びた鉄のような匂いで、独特な不快さを伴っていた。


 シトラスは怪訝な表情でそれを受け取る。

 赤黒く乾燥した何かがパラパラと床を汚す。


 エヴァが体をずらして場所を作る。

 レスタはそこに力なく尻持ちを着くように座り込んだ。

 彼女は、レスタの背中に手を当てて、その顔を心配そうに覗き込み、小声で言葉を掛けている。


 レスタの様子も気になるが、シトラスに手渡したものも気になる。


 シトラスの隣に座るミュールが、眉を顰めてシトラスに尋ねる。

「なんだ、それ?」


 シトラスは、無言で受け取ったそれを広げて視線を落とした。


 それはどうやら手紙のようであった。

 半分近くを赤黒いナニカで染められたそれ。


 シトラスの視線が何度も左右に動く。


 途中で何かに気がついたようで、その眼が大きく開く。

「なんだ? なんて書いてあるんだ?」


 しかし、ミュールの質問に答えることなく、シトラスは必死に手紙を読み解き進める。

 そして、最後の署名の欄までその視線が辿り着くと――


「噓だッ!!」


 ――シトラスは険しい表情を浮かべて立ち上がった。


 既に、赤黒い手紙を染め上げているその正体に、気がついていた。

 手紙全体に微かに宿る、見覚えのある魔力にも。


「おいおい、なんだなんだ。おいシト、どうしたって言うんだッ!?」

 ミュールが制止するように声を上げるも、やはり今のシトラスの耳には届かない。


 その隣で、オーロラも心配そうに眉を寄せている。


「レスタッ!!」

 滅多に声を荒げることのない、シトラスの険しい声。


 険しい声と共に、睨めつけるように彼の鋭い視線がレスタへと注がれる。

 入学以来の付き合いである友人たちであっても、温厚なシトラスの激昂は今までにないことであった。


 それにいち早く気がついたエヴァが、レスタの後ろから彼を庇う様に身を乗り出す。

「ちょ、ちょっと、レスタが何をしたって言うのよッ!! ――レスタ?」


 しかし、彼女を押しとどめたのは、他でもないレスタ本人であった。


 右手を上げることで、背後の彼女の動きを制止した。

 それを見て、少し驚いた表情を見せたものの、本人からの制止ということもあって、エヴァは大人しく席に座り込んだ。


 友人たちに注目される中、沈痛な面持ちを浮かべたレスタは、

「東の国境付近で、"黒豹パンサー"が……ライラが――死んだ」


 呻くように吐き出された彼の言葉に、友人一同は目を見開いた。

 

 "黒豹パンサー"ことライラ。

 猫人族で、シトラスたちの三歳年上の女性。

 肌の露出が目元以外一切ない、ミステリアスな雰囲気漂う彼女。

 その中身は黒髪銀眼で褐色の肌をもつ美少女であり、美女である。


 カーヴェア学園では、著しく低い亜人種と出自の中で、高い知名度を誇っていた彼女。


 特筆すべきは、彼女のその実力。

 カーヴェア学園在籍時の最終成績は、最上位の赤色に次ぐ、橙色。


 学園のブローチの輝石の色は灰色から始まり、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤と成績に比例して昇格していく。

 色が上がるにつれて、色を昇格させることは難しくなる。


 中でも最上位を示す赤色にいたっては、学年全体で上限数が七と決まっていた。

 彼らは七席と呼ばれて、学園から様々な特権を与えられていた。


 特に彼女を際立たせたのは、四大行事のうち、最も輝石の色を稼げると言われる対抗魔戦、魔闘会に一度も出場することなく、橙色に上り詰めたことである。

 亜人種を軽視する者でも、彼女が人族であれば間違いなく、七席に名を連ねたであろうその実力は誰も軽視する事はできない。


 ライラとシトラスは種族や学年、派閥を越えた友情を結んでいた。


 二人は彼女の卒業後も文通を続ける程であった。

 この場に居合わせたシトラスの友人一同は、それほど彼女と親しい訳ではない。

 しかし、その実力は聞き及んでいた。

 シトラスが彼女と親しいことも周知の事実であった。

 

 その友人の突然の訃報。


「うそ……だよ、ね……」

 魔眼を通して見えるレスタの魔力から、彼が嘘をついていないことを理解した、理解できてしまったシトラスは、座っていた席へと力なく座り込む。


 呆然とするシトラスを、ミュールとメアリーが立ち上がって左右から抱きしめる。

 打ちひしがれる親友に対して、それ以外にできることが思いつかなかった。




 放心状態となったシトラスを、レスタとミュールが寮の寝室へ運び込んだ後、シトラスと彼に付き添ったメアリー以外の面々で、談話室で話を続ける。


 レスタが憔悴した表情で、おもむろに口を開く。

「これは、隠していてもすぐに分かるから言うけど……戦争が始まった」


 息を呑む一同。

 もたらされた情報に、エヴァとオーロラは口に手を当てて、目を見開いていた。


「恐らく数日中に、学園中の知るところになると思う。俺は、今日実家の情報網から速達が届いてそれを知った。四門とセントラルの耳聡い者は知っている者もいると思う」

 真剣な表情のレスタからもたらされた情報に、オーロラが声を震わせる。

「私たち、どうなるの?」


 不安な様子を色濃く見せる彼女の横で、エヴァが一つ唾を飲み込み、その視線を落とした。

「……わからないわ。ただ、最悪の場合、徴兵もあり得るかも。特に私たち上級生は」

「そんなッ!?」

 エヴァがそう言うと、気立ての優しいオーロラは動転した様子で、ワッと隣に座るミュールの胸に飛び込んだ。


 ミュールは胸に抱きとめたオーロラを抱きしめ、その頭を優しく撫でながら、

「……東、ってどこだか聞いているか?」

 真剣な表情でレスタに尋ねる。


「いや、そこまではまだ……。越境してきたチーブス王国の威力偵察と、ポトム王国の哨戒班とが会敵して、それで……」

 その先は目を伏せて言葉を濁す。


「……そうか。俺はちょっと、これから東の塔に行ってくる。情報、ありがとう」 

 ミュールはそう言うと、オーロラの背中をポンポンと叩いてから、立ち上がった。

 

 目を伏せてそれに応えるレスタ。

「……いや、礼には及ばないぜ」


 エヴァが、レスタとミュールに交互に視線を送った。

 そして、席を移動して、これからを思いさめざめと泣くオーロラを抱きしめた。


 より情報を得るために談話室を後にしたミュール。


 部屋の外は、薄暗くヒンヤリと冷たい。

 一枚上着を羽織ってくるべきだったかと、ミュールは一度立ち止まり身震いする。

 しかし、その足が寮の室内に引き返すことはなく、東の塔へ向けて、足早にその場を後にするのであった。



 数日後には、ポトム王国と隣国――チーブス王国の開戦は全校生徒の知るところとなった。


 開戦の知らせの後も、学園での授業は常と変わらず続けられた。


 しかし、学園長のネクタルから拡声魔法を通じて、学園中に届けられたその戦火の知らせは、生徒を浮足立たせるには十分であった。

 生徒たちは授業に身が入らないでいた。

 特に直接的に影響のある、ポトム王国東部の出身の者にその傾向が強く見られた。


 普段であれば、それを厳しく見咎める教師陣も、この時ばかりは理解を示し、授業の進行を遅らせる処置を取っていた。

 家のために、故郷のために、王国で勉学に励む生徒たち。

 しかし、今その基盤となる家や、故郷が戦火によって失われようとしている。

 ましてや、多感な十代という年頃、心が揺らぎもする。


 シトラスのベッドの脇に腰かけ、ミュールは言葉を掛ける。

「シト、その大丈夫か……?」


 その視線の先には、ベッドにすっぽりと潜り込んだシトラスの姿。

 シトラスは、知らせを受け取ったあの日以来、授業を休んで寝室で寝込んでいた。


 メアリーがミュールと反対側に腰かけている。

 彼女もシトラスに合わせて、ここ数日の授業は全て欠席していた。


 ミュールは、小さく息を吐くと、授業に出席するべく寝室を後にした。

 彼だけがシトラスの分も授業についていくべく出席している状況であった。


 ミュールとレスタを通して、シトラスへもたらされた続報。

 しかし、皮肉なことに、故郷を同じくする東のミュールからもたらされる情報より、北のレスタからもたらされる情報の方が多く、その精度も高かった。


 これは、シトラスと東の魔法俱楽部――イストの確執に起因していた。


 シトラスの姉であり、覇者としてイストに君臨したベルガモットは、昨年度をもって学園を卒業。

 その後を継を次いだ者は、シトラスやミュールのことを快く思っていなかった。


 なぜなら、シトラスは、かつてイストに所属していながら、昨年度、部長を務めていたアンリエッタと衝突。

 退部するのみならず、新しく魔法俱楽部を創部してしまった。

 そして、ミュールとメアリーがこれに伴いイストを脱退。


 この一連の流れにイスト内部では当然難色を示す声も上がったが、愛弟を思うベルガモットの鶴の一声で収まった経緯があった。

 それは彼女が在籍している時は問題がなかった。

 それほどまでに、彼女には実力とカリスマ性があったからである。


 それも今や過去の話。


 一部のイストの生徒から、ミュールはこっそりと情報を集める。

 その行動には制限がある上に、重要な内容は幹部以上しか知りえない。

 もたらされる情報には憶測や伝聞が混ざっており、内容が二転三転することもあった。


 その中には、シトラスの生家であるロックアイス領が、戦火に晒されているというものまであった。

 

 そうした状況で、シトラスがじっとしているだろうか――


「メアリー、いる?」

「うん」


 ――否である。

 

 学園の始業を告げる鐘が寝室まで響いてくると、シトラスは自身を覆っていた布団を跳ね除けた。


 シトラスは、既に着替えて、制服を着こんでいた。

 布団から飛び降りると、素早く靴を履き、つま先で床を叩く。


「ぼくはこれから、家に帰る。ライラの身に何が起きたのか、ぼくの目で見届けたい。学園から出ることは規則で禁じられているけど、ぼくは行く。メアリーは?」

「――私も行く」

 間髪入れずに、メアリーがそう答えると、シトラスの横に並んだ。


 隣を見て顔を見合わせる二人。


 昔はメアリーの方が高かった背丈も、いつしかシトラスの方が頭半分ほど背が高くなっていた。

 顔を見合わせてくしゃりと笑った二人は、小走りで寮を駆け出していくのであった。


 口にすることは容易くても、実際に学園を出ることは容易ではない。


 入学式で、魔法位階二階を有する黒髪黒眼の教師――スタンレーが新入生に説明したように、学園における七大規則である。

 この規則を破ったものには、退学を含めて厳格な処分が下される。


 二年生の時に、シトラスはこの規則の一つ破っていた。

 その時は、抜け道に詳しいライラの先導のおかげで、その存在を明るみに出ることはなかった。


 校舎を抜け、学園にやってきた時に通った正門へ向けて足を進める二人。

 見上げる程高い城門は固く閉ざされており、一部の隙も無い。


 校舎から正門までの道には、見上げるほど大きな巨木が、道を挟むように等間隔に植えられていた。

 その木々の後ろには、ちょっとした家ほどの大きさの花壇と、馬小屋、それにシトラスがまだ中を覗いたことがない建屋が広がっている。

 

 歩きながら、シトラスは城門へと目を凝らす。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、

「こっち」

 後ろから突然ダウナーな声が聞こえてきた。


 驚いて飛び上がったシトラスが振り返ると、そこには馴染みのある顔があった。


 猫人族の美少女――ブルー・ショット。

 くりくりとした大きな柑橘の瞳。

 琥珀髪の上部に生える種族を表す特徴的な猫耳は、何かを探る様に絶え間なくぴくぴくと動いている。


 彼女はシトラスの勇者部同期の最後の一人。

 一方的にシトラスが彼女に構い倒すことで始まった彼女との付き合いも、今年で四年目に突入していた。

 今では出会った当初の態度が嘘のように、シトラスと気の置けない関係を気づいていた。


 驚くシトラスに対して、隣に立つメアリーはその存在に気がついていたようで、振り返って視線を寄越すだけであった。


「ブルーッ!? どうしてここに……?」

「シトの足音が聞こえたから。お城の外に行きたい? それなら正門の横に人が通れる道がある」


 そう言って、ブルーは袖を摘まんで引っ張る。


「ただ見張りがいる。だから静かに」

 表情を動かさず、人差し指を口元にあてるブルーの様子はどこかシュールで、シトラスの顔に温かい笑みが浮かぶ。


 メアリーが、基本的に生気のない表情を浮かべているのに対して、ブルーは、そもそも表情の起伏に乏しかった。

 メアリーは、こと荒事や血生臭いことになると、一変して表情が豊かになるのに対して、ブルーは常に淡々としていることが多かった。


 コクリと頷き、シトラスとメアリーは彼女の後に続く。


 彼女の案内の先、城門の横には、確かに城外と城内を繋ぐ通路があった。

 彼女が事前に伝えたように、守衛と思しき兵士たちの姿も。


 家ほどの大きさの花壇に隠れて、通路の入口を窺う三人。


 守衛の数は、シトラスたちから見える範囲でも二人。

 しかし、欠伸をした守衛が、振り返って彼らの後方に声を掛けている様子から察するに、最低でも三人はいそうである。


「どうしよう?」

 シトラスが両隣の二人に意見を求める。


 今隠れている物陰から出ると、城外へと続く通路まで遮蔽物はない。

 いくら気の抜けた守衛であっても彼らの存在に気がつくだろう。


「私が気を引く……後はメアリー、できる?」

 ブルーが緊張した面持ちで、シトラス越しにメアリーに尋ねると、

「――誰に物を言っているのよ?」

 彼女の顔すら見返さずに、メアリーは不遜な態度でそう返す。


 制服の下からのぞく、ブルーの尻尾がピーンと張る。


 しかし、彼女は何も言わずに一つ頷くと、シトラスが声を掛ける間もなく、消えるようにふっとシトラスたちから離れていった。


 彼女が何をするのかと、引き続き通路の前から、守衛の様子を窺っていると、

『おい、なんだあれ? ケット・シー? いや、猫又か?』

『誰かの使い魔か? なんでこんなところに……?』


 通路の守衛たちの様子が騒がしくなる。

 通路の左右に立っていた二人に加えて、通路の奥からもう一人の守衛まで通路から出てきた。

『なんだ、どうかしたのか?』


 シトラスがそっーと顔を覗かせる。

 三人の守衛の体はシトラスたちのいる反対側を向いていた。

 首の角度から、その視線が下を向いているのが分かった。


 彼らの先を見ると、彼らの体の隙間から、かすかに見えるのは小さな動物の姿。


 それは、美しい青の毛並みと、頭上に生えた凛々しい三角耳、琥珀色に輝く大きな瞳をもつ猫。

 その青灰色の美しい毛並みは、その体が動くたびに光の加減でグラデーションを描き、より一層その美しさを際立たせている。


 その猫が覆っている魔力オーラが、シトラスにその正体を教えている。


『それにしても見ろよ、この子』

『あぁ、なんてかわいいんだ……』

『犬派の俺だけど、この子の魅力に今すぐにでも鞍替えしてしまいそうだぜ』


 その小さな顔に切れ上がった口元は、まるで微笑んでいるようにも見え、瞬く間に守衛たちの心を虜にした。


 その場で、ごろんと横たわると捩るように体を反転させて、猫は守衛を見つめる。

 見る者に媚びをうるようなその可愛いらしい仕草に、その正体を知るシトラスは、彼女の普段とのギャップから笑みを浮かべる。


 そんな愛らしい小動物の存在に、守衛の三人は完全に油断しきっていた。


 その好機を見逃すメアリーでなく、

「――いってくるわ」

 という言葉と共にシトラスを木陰に置き去りにする。


 メアリーは強化した体で物陰から飛び出した。


 意識が猫に逸れていた三人に肉薄すると、手にした木刀で瞬く間に彼らを昏倒させる。

 この四年間、特に昨年度から、王都地下の課外活動で磨きをかけたその剣技は、無駄がない。

 真剣であれば、その命はなかっただろう。


 三人目にいたって、ようやく迫り来るメアリーを認識するも、あっ、という表情こそ浮かべど、その音が口から漏れるより早く、彼の意識は闇へと落ちた。


 手ごたえのなさに、メアリーは詰まらなさそうな表情を浮かべている。


 シトラスは、ゆっくりと猫の下まで歩み寄ると、猫も歩み寄ってくる。

 その姿を人に戻しながら。


 しかし――


「あれ? 服は?」


 ――再び人の形に戻った彼女は素っ裸であった。


「私の変身術、まだ完璧じゃない」


 聞くと、ブルーは身に纏っている服ごと変身することができないそうで、服は木陰に隠してきたと言う。


 くちゅん、と可愛らしくくしゃみを漏らした彼女に、シトラスは自身の制服の上着を掛けながら、

「ありがとうブルー。気を逸らしてくれて」


 シトラスがブルーに笑顔で礼を述べると、メアリーがずいッとその身を寄せる。


「もちろんメアリーも」

 シトラスは手慣れた様子で、散らばっていた彼女の髪を何度も撫でつける。

 昔から、人の寝癖や髪型を手櫛で整えことができることが、密かな彼の特技であった。


 メアリーはそれを気持ちよさそうに目を細めて受け入れる。


 手を伸ばせばシトラスに届く距離まで近づいたブルーは、メアリーに遠慮がちに、しかし、明確にその頭をシトラスへとずいッと寄せる。


 守衛三人を伸してしまうような少女たちが、甘えてくる様子が面白くて、シトラスは二人は微笑みながら、彼女の頭にも手を伸ばすのであった。



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