閑話 エヴァ


 私には幼馴染レスタがいる。

 

 ポトム王国の柱である四門の一角、北部のアブーガヴェル家の家臣団に名を連ねる家の長女として、私はこの世に生まれてきた。

 三年先にご生誕されていたアブーガヴェル家の嫡子――サウザ様に仕えるべく、私は、私たちは物心つく頃には、既に研鑽を始めていた。


 そして、物心ついた時に、既に私の隣には彼がいた。


「いくぞエヴァッ!」

「まってよーレスター!」


 幼馴染の彼は私と違って女ではなく、私と違って頭を動かすのも好きじゃない。

 いつも日向で剣を振るっているような奴である。


 私の兄上は体を動かすのが好きな人だったので、私の兄上と彼はすぐに仲良くなった。


 私の兄上は、文武両道で私の憧れの人である。ある日、

 その兄が、彼をよろしく頼む、と私に言ってきた。

 憧れの兄上からの頼みである。


 彼は私の弟分レスタであった。


「行くぞエヴァッ!」

「ちょっと、待ってよレスタッ!」


 私と彼は年齢が同じで、親の爵位が近いということもあって、ずっと一緒に育ってきた。

 昔は彼は頭を動かすのが苦手で、ポヤポヤしてた彼も、私のおかげで、周囲に舐められないくらいの座学を身に着けることができた。

 我ながらいい仕事をしたと思う。


 カーヴェア学園に入るまで私の弟分のことを、北部貴族のお茶会では煩いだの、頭が悪いだの陰口を叩く奴らがいた。

 北部の貴族は、アニマの森に近いからか何なのか、じっとりねちねちとした者が多い。

 そうした家に生まれた子も、故に自然とそう育つ。


「大丈夫かエヴァ?」

「あいつらしつこいのよ」


 サウザ様の一歳年下で、私たちの一歳年上のハリスコスとロスアルトスは、北部にいた時はよく私にちょっかいを掛けていた。

 そして、その度に彼を盾に追い払ってやったものだ。

 二人は幼少期から実力は周囲から頭一つ抜けていたものの、それを笠に着た陰険な奴らで、人間的にはあまり好きじゃない。

 特に女性の扱いってものが分かっていなかった。


 幼少期のこととは言え、彼らの振る舞いがヴェレイラ様の離反を招いたことは、北部における公然の秘密であった。


 サウザ様は、さすがと言うべきか、常に威風堂々としていた。

 陰湿な行為や陰口を好まなかった。


 いささか口下手なので、覇気のある外見と佇まいで誤解されがちだが、その実かなりお優しい人である。

 彼女がいじめられている時に、よく助け舟を出していたのを覚えている。

 もしかしたらサウザ様は……これは私の邪推かもしれない。


 カーヴェア学園に入学する頃には、レスタも成長期を迎え、弟分という感じではなくなった。


 彼は私の腐れ縁レスタであった。


「行くぞエヴァ」

「わかっているわレスタ」


 カーヴェア学園の入学式。

 大講堂の扉を前に彼が深呼吸して、振り返って私に視線を送ってきたので、それに頷いた。

 私以上に緊張していたレスタを見ていると、私の緊張はいつの間にか解れていた。


 入学式では、シトラス、ミュール、メアリーの東の三人組とオーロラと知り合った。

 その日以降はレスタを除くと彼らと過ごす時間が一番多かったかもしれない。


 学園の入学式で、たまたまレスタの後ろに座ったことから知り合ったシトラスと、彼の幼馴染の男女。

 シトラスは、純粋で眩しいくらい真っ直ぐな子。

 ミュールは少し斜に構えたとこがあるが、面倒見のいい子。

 メアリーは、彼女は女の私から見てもめちゃくちゃ可愛い子。


 レスタが知り合って間もないシトラスを、北の魔法俱楽部に誘おうとしたのには驚いた。

 最近はマシになったと思っていたのに、やっぱり考えなしな所があるんだから。


「こういうのは直感だよ直感!」

「はぁ、あんたは昔から考えなしなんだから……」


 でも、同性のレスタが出会って直ぐに惚れこむくらい、シトは気さくで信じられないくらい優しい子だった。


 レスタも同意見で、その私たちの見立てが間違っていなかったということは、学園の授業が始まって、すぐに人伝に知ることになった。


 シトのクラスではシトが獣人を主立って庇い、そのクラスでは獣人に対して、表立ったそういった・・・・・行為は行われなくなったそう。

 これはとても珍しいことだと思う。

 メアリーが制裁を喰らわしたということも、関係あるのだと思うけれども。


 メアリーと言えば、私がメアリーに物怖じしないで話していると、レスタが彼女に露骨にビビっていたのが可愛かった。


 最初は彼女に鼻の下を伸ばしていたと言うのに。


「メアリーが怖くないのか?」

「メアリー? ううん、彼女、可愛いわよ?」


 彼は女の子をまだまだわかっていない。


 入学して間もなく行われた新入戦では、私とレスタは本選に出場して、二人ともベスト八に名を連ねることができた。


 いい線まで勝ち上がったのだけれど、私たちはそれぞれ、四門の次期当主と噂されるエステル様とボルス様と対戦し、準決勝に駒を進めることはできなかった。

 私が対戦したエステル様は、絵になるぐらいイケメンな人でびっくりした。


 ちなみに、なぜか予選を突破したはずのメアリーが、本選当日に姿を見せずに棄権することになっていた。

 もしも彼女が予定通り出場していたら、同じブロックのレスタは、さすがにベスト八まで残れなかったかもしれない。


 実際に、彼女は年明けに行われた四大行事――対抗魔戦にシトと出場して、暴れ散らかしていた。

 その前の試合で、コンビを組んで敗退していた私とレスタは、観客席から友人二人を応援していたけど、さすがに最後のメアリーの暴走には隣に座るレスタがドン引きしていた。

 その気持ちもわからなくはないけど、私は彼女の気持ちもわかる気がする。

 彼女はきっとシトに対して、本気なのだ、きっと。


 教師陣からの物理的な制裁で負傷したメアリーは、予選は突破したものの本選には出場できなかった。

 その彼らの見舞いにレスタと訪れたけど、メアリーはやはりシトと一緒にいるだけで幸せそうであった。


 その幸せな空気の中でレスタが生意気にも、俺が私を晴れ舞台のステージへと連れていく、と医務室でシトに宣言するものだから、その後ろで再び獣の表情を浮かべたメアリーに、彼が縮みあがっていたのは、お腹を抱えるくらい面白かった。


 翌月に行われた四大行事――魔闘会では、私とレスタは主家筋のサウザ様と友人のシトの応援。


 サウザ様は圧巻であった。

 決勝まで難なく勝ち上がり、決勝戦もシトの姉君に負けてしまったものの、判定負けであり、実力では全く劣っていなかった。


 決勝戦が終わる頃にはステージが完全に変わり果てた姿になった。

 観客席を守る魔力障壁を、教師陣が試合中に張り直さなければならないほどの、激しい試合であった。


 シトは、負けてしまったけど大きな怪我がなくて良かった。

 四大行事では大怪我をする人も珍しくないから、それだけが心配だった。


 魔闘会の翌月に待ち受ける四大行事の一つ、魔法試験。


 これは私にとっては大した問題ではなかった。

 ただ、レスタに恥をかいて欲しくないから、彼が剣を振っている間に、私は何時間も、何日も時間を使って、自分のノートを更に嚙み砕いて纏めたノートを作った。


 これで落ちたら承知しないんだから……。


 彼は、私の努力を『私が本の虫だから』の一言で片づけた時はどうしてやろうかと思ったけど、その後に『エヴァは俺の頭脳だな』って言うもんだから、怒るに怒れなかった。


 ただ、ちょっと悔しかったから、彼の脇腹を小突いてやった。

 きっと私の顔は緩んでいただろう。

 そのだらしないその顔は彼には見せられなかった。


 最後の四大行事、舞踏祭ではレスタが誘ってくるものと思ったけど、全然誘ってこなかった。

 そうこうしている内に、兄上が私に声を掛けてきた。

 兄弟姉妹がいる家なら、おかしくない話である。


 ただ、それでも私は、レスタが声を掛けてくると信じていたので、その返答を濁していた。


 そんな私を、ただ兄は温かい目で見守ってくれた。


 しかし、あろうことか私の目の前で、レスタが他の女子生徒と舞踏祭に行く約束を交わしてしまった。


 私はそれがなんだか無性に悲しくて、悔しくて。


 私がこみ上げてきた感情に袖を濡らしていると、兄上が現れて慰めてくれた。

「欲しいものがあるなら、言って欲しい言葉があるなら、それを相手に伝えなくちゃいけないよ」


 ただ、こうも言ってくれた。

「――精一杯着飾って、相手にいったい誰を逃したかを教えてあげよう。後悔させてやるんだ」


 悪戯っぽくウィンクする兄上に、私は力強く頷いた。

 

 二年生となった私たち。一年間共に過ごした彼との関係も少し変わった。

 私たちは入学以前の北の地で過ごした時以上に、いつも一緒にいた。

 彼と一緒にいると居心地がよかった。


 彼は私の親友レスタであった。


「行くぞ、ってエヴァ?」

「何しているの。早く行くわよレスタ」


 二年生になった私たちが選んだ専攻課程は、魔法力学科。

 担当はシェリル女史。

 魔法力学科は魔法の働く力や、魔法における魔力や魔素との相互作用の考察、解析を対象とする学問で、上級臣民で人気の専攻課程の一つである。

 私は、授業で難しい内容に出くわすといつも、理解できていないであろうレスタにどうやって教えてあげようかということを、考えるようになっていた


 メアリーの所属する勇者科は担当の教師が癖があるみたいだけど、シトの姉君の力を借りて何とかしたらしい。さすが七席である。


 私とレスタは当初の予定通り、北の魔法倶楽部ノースに入部することになった。


 メアリーたちとは俱楽部も専攻課程が違うので、一年生の時と比べて、日中に出会うことは少なくなったが、寝室が一緒なので、変わらず言葉は毎日交わしている。

 レスタの方も、シトたちとは毎日話す仲ではあるらしい。


 そう言えば、レスタは、私とメアリーが仲がいいのを不思議そうにしていた。

 彼女は可愛らしいし、言葉数は多い方ではないが、話しかけたら返事は返してくれる。

 シト絡みになると、その言葉数が増えるのは微笑ましい。


「あー、くそ……」

「勝ちたかったわね……」


 二度目となる対抗魔戦は、今年もレスタと組んで出場した。

 残念ながら暗闇君あんどうくんとかいう人造精霊魔法の攻撃を防ぎきることができなかった。


 私たちはダメだったけど、友人のメアリーたちは突破できたのは嬉しかった。


 シトを、姉君に守られて一回戦を突破したことや、前々からメアリーに助けられて好成績を残してきたことから、"七光"なんて揶揄する人がいたけれど、それなら自分を女に助けたいと思わせればいいのだ。

 まぁ、そんなこと言う女々しい男が、シトに成り代わることはないだろうけど。


 魔闘会は、昨年と同じく主家筋のサウザ様と友人のシトの応援。


 応援していたサウザ様は、残念ながら有終の美こそ飾ることができなかったけれど、それでもやはり圧巻のパフォーマンスであった。

 決勝まで難なく勝ち上がり、決勝戦は前年に続き、シトの姉君と激しい戦闘を繰り広げた。

 最終的に、場外決着で敗北してしまったけれど、今年もド迫力の決勝戦であった。


 兄上に聞くと、サウザ様は学園でシトの姉君に唯一黒星を付けた存在で、逆もまた然りらしい。


 ところで、シトはアイリーン先生からの推薦にレスタが鼻の下を伸ばしていた。

 ムカつく……。

 あのずぼらな先生のどこがいいのか聞いたら『生活感の漂う色気』とか。


 カーッ、これだから男はッ!

 兄上もそう思うでしょッ! 兄上?

 なんで遠くを見ているの? ねぇ、兄上……?


 魔法試験は、今年もどうにかレスタを突破させることができた。

 ただ、その件で、昨年より感極まったレスタに寮の談話室で抱きしめられてしまった。

 彼の体は私が思っていた以上にごつごつとして硬かった。

 私が硬直していると、彼はすぐに離れてしまった。

 私は顔の筋肉が緩むのを我慢できなかったので、何も言わずにそのまま自室に去っていた。

 驚かせてしまったかもしれない。


 その翌日、彼と出会ったときにそのことを謝罪してきたので、悟られまいと、あっけらかんとしていた態度を取ることにした。

 露骨過ぎたかと、少し冷や冷やしたが、馬鹿レスタはただホッと胸を撫で下ろしていた。ばか。


 二度目の舞踏祭。

 今年も中々誘ってこないレスタに対して、私は誰も誘って来なかったら兄上と行くことになる、ということを仄めかした。

 そうすれば、レスタを私を誘いやすいだろうと。


 しかし、何を思ったのか、レスタはさっさと諦めて、またしても去年踊った女生徒と参加することにしたらしい。


 はぁーー? ないわー……。


 今年もバッチバチで化粧して、着飾った私。

 その背中には闘志の炎が燃えていた。


 実際、自分で言うのもなんだけど、大講堂でそこそこ男性の目を惹きつけることはできたと思う。


 勇気を出して、胸元や背中が大きく開いたドレスを着た甲斐があった。

 胸も盛ってやった。


 お前ら大きいのが好きなんだろ!?


 しかし、ダンスが終わる頃には、その情熱の炎も冷めており、自身の恰好に無性に恥ずかしさを覚えていた。

 ダンスが終わって、最後にレスタと目が合った時なんて顔から火が吹くかと思った。


 サウザ様の卒業を盛大に祝ってお見送りした私たちは、三年生になった。

 上級生の仲間入りである。


 最近なんだかレスタのことは気になるし、これまで以上にレスタともっと話していたい。

 だけど、レスタはサウザ様卒業後のノースを盛り立てていくことに張り切っており、その気持ちにいらぬ水を差したくはなかった。


 そんな中でシトが、あろうことか俱楽部の部長と対立し、そのまま俱楽部を退部。

 そそのまま新しい俱楽部"勇者部"を立ち上げたというのだから、驚きである。

 亜人に対する差別が許せないそう。

 私は倶楽部に所属しているので表立って何か言う事はできないけど、内心では拍手を送っていた。


 ポトム王国がそういう国なのだ。


 北部の領地は、霊験あらたかな"アニマの森"に隣接するため、森林部で人より優れた能力を発揮する傾向にある亜人種の扱いは比較的マシである。

 だけど、あくまで比較的、である。

 亜人種は良くて兵士、もしくは下賤な職業に従事する者として、著しくその権利を低かった。

 私の家は特に国境に面する領地を持つので彼らの有益性、能力の高さは常々評価していた。


 勇者部に、親交のあるヴェレイラ様が所属することはわからなくはないけど、中央のハロルシアンが所属するのは全く訳がわからなかった。

 彼女は"王の道化師"の二つ名を持つ、名うての生徒。

 七席である私の兄も、随分と彼女を警戒していた。


 よくわからない面子だ。

 私とレスタは揃って首を傾けた。

 

 そう言えば、シトが勇者科に代わる専攻課程に歩兵科を選んだ理由について、レスタが首を傾げていたけど、たぶんシトには特権意識というものがないんだと思う。

 亜人を積極的に擁護したり、下級臣民と積極的に交流しているのはそういう理由。

 歴史や伝統を気にしないシトは、実に貴族らしくない貴族である。


 レスタから聞く限り、シトとミュールは勇者部の活動と専攻課程で忙しいようだけれど、メアリーはケロッとしており、変わらず言葉を交わしている。

 メアリーが時々、我を見失うことがある、と言っていたことが妙に私の記憶に残っている。


 勇者部の活動を優先して、メアリーは対抗魔戦に出場することはなかった。

 私とレスタがついに予選を突破して、本選に駒を進めることができた瞬間を、メアリーにも見て欲しかったけど、仕方がない。

 本選でも初戦を突破することでき、三年目で大きな躍進となった。


 しかし、二回戦ではヴェレイラ様とシトの姉君の最強コンビに捻られた。


 その際に、前年にミュールが言っていたことがわかった。

 これは勝てる気がしない。


 私たちの見せ場はあったけれど、それは私たちが作ったわけじゃない。

 ただあの人たちから頂いただけ。

 ヴェレイラ様たちは、そのまま勝ち進んで優勝。

 文句なしである。私も盛大な拍手でこれを祝った。


 魔闘会は残念ながら、教師からの出場推薦が確保できず、観客席からの応援となった。


 過去一番とも言われる来賓者数。

 メアリーたち勇者部は、実績もなしに全員が本選出場者に選ばれたことで、学園内では不満の声があがっていたけど、私は、彼女たちがそれを実力で黙らせることを期待していた。


 彼女たちは私の期待を裏切らなかった。

 シト以外の勇者部は全員一回戦を勝ち抜いたどころか、ミュールとメアリーにいたってはベストエイトである。

 メアリーは七席のカミノを倒した上での、その成績。

 本当は喜んだらダメなんだけど、友人のメアリーが同郷の先輩であるカミノを倒した時には、思わず拳を握ってしまった。

 この結果、この大会で、七席を倒したメアリーの名と共に、勇者部の名が広く知られることになった。


 来年こそは私が、私たちが……。


 三回目となる魔法試験は、今回もレスタの試験勉強に付きっきり。


 節々の受け答えから『彼女はなんであんなにも要領がいいんだろう』なんて思っていそうだが、予習復習を欠かさずやっているからである。

 レスタが剣の鍛錬を欠かさないのと一緒である。


 学びに近道なんてものはない。

 みんな頭のどこかでは、きっとそれをわかっているのだ。

 ただ、それを実行に移さないだけで。

 まぁ、そのおかげで、彼が私に頭が上がらないので、それはそれでいい。


 私は『貸しだからね』と、これまで積み上げてきた私を誇るように、鼻を鳴らしていた。

 

 そして、三度目の正直となる舞踏祭。

 私の兄上は卒業して、学園にはもういない。

 私は自分で言うのもアレだけど、その頭一つ抜けた座学と、レスタには一歩劣るが、実技も平均より優れているので、北部出身の学生の中では人気になりつつあった。


 昨年までは、兄上という防波堤もいたが、今はいない。


 寮にいる時も、男子生徒から度々呼び出され、舞踏祭の誘いを受けていた。

 私はその度に言葉を濁して断っていた。だって私は――。



 放課後に、いつも通り他愛もない軽口を叩き合う私たち。

 椅子に座りながら、今日の授業の話を振り返っていた。

 授業が終わって間もなく、教室にはまばらに人影がある。


 私が、今日の授業のノートの内容を整理しているのを、両腕を枕にして机に伏せているレスタが見つめている。


 そういうところだぞ。


 でも、それがレスタらしくて、頬が緩む。胸が暖かくなる。

 兄上が卒業式に言っていたけど、私はレスタを甘やかし過ぎているのかもしれない。


 本日のノートの整理が終わり、鞄にノートやペンを仕舞う。


 ふとレスタが首を上げて、私の後ろに視線を送るのがわかった。

 そして、

「エヴァ、お前にお客さんみたいだぞ?」

 なんて茶化しながら、私に声を掛けてくる。


 とたんに温かさは去り、代わりに私の胸は張り裂けそうなほど切なくなる。


 私は私に問う。


 彼は焦らないのだろうか?

 ――私が彼の下から離れてしまうかもしれないのに。


 なぜ焦らないのだろうか?

 ――彼にとって私はどうでもいいの……?


 私が誰かに取られてもいいのだろうか?

 ――私はいったいあなたのなに?


 でも、それを表情に見せるのは悔しくて。レスタのくせに。


 私は精一杯の笑顔を浮かべて、立ち上がる。

「――もう。私もこう見えて人気なんだからね? うかうかしてたら取られちゃうぞ?」


 立ち上がって、踵を返す。

 唇を噛み締めて。


 でも、下は見ない。

 私は安い女じゃない。

 後悔させてやるんだから。


 不意に、寮の寝室で偶然にも聞いてしまった、ミュールとレスタの会話が脳裏をよぎった。

『――うっせぇ。お前こそ。エヴァとはどうなんだよ、エヴァとは』


 魔法俱楽部のために、ううん、それは言い訳。

 認めたくないけど私がレスタと話したくて、それを盾に彼らの寝室に訪れた時の事。

 これから声を掛けて、部屋に踏み入れようとした矢先の出来事であった。


『ばっ、お、俺とエヴァは、まだそんなんじゃ――』

『まだ、ってことはこれから変わるんだよな』

 慌てふためく彼の声音が、耳朶を通って心を揺さぶる。


 表情まではわからない。

 でも、確かに『まだ』って……。


 息を呑んだ私の肩に、後ろに立っていたオーロラが優しくその手を乗せた。

 振り返って彼女の顔を見ると無言で微笑み、私の聞き間違えじゃないことを教えてくれた。


 そのあと、聞かなかったフリをするために、言葉がきつくなってしまったのは許してほしい。

 そうでもしないと、頬が緩んでしまいそうだったんだから。


 どうせなら、教えて欲しかった。

 安心させてほしかった。


 一体いつまで『まだ』なの?

 一体その時は『いつ』なの?


 未練がましい思いにけじめをつけるように、私は彼から離れるように、一歩を踏み出す。


 しかし、二歩目は出なかった。出せなかった。


 ――彼が私の腕を握りしめていたから。


 平静を装っているが、私の声はきっと上擦っている。

「レスタ?」


 レスタは視線を上げず、私を見ていない。

 ただ、その瞳の動きが、私に彼が言葉を探していることを教えてくれた。


 握りしめたその手に力が籠る。


 視線の素早い動きに反して、その口は重く。

「……痛いよレスタ」

 腕を掴む彼の手に、私は自身の手を重ねた。


 ふと兄上の言葉が脳裏をよぎる。

『欲しいものがあるなら、言って欲しい言葉があるなら、それを相手に伝えなくちゃいけないよ』


 まだ私に視線を合わせてくれない彼。

 私はこれ以上声が上擦らないように、一つ唾を飲み込んだ。


 そして、震える口で言葉を吐く。


「気持ちは言葉にしてくれなきゃわかんないよ」


 はっとレスタが私を見上げる。


 ようやくこっちを見てくれた。

 やっと気がついた?

 私もめちゃくちゃ緊張しているんだよ。


 どこか不安そうだ彼の顔が引き締まった。

 いつもそうしていればカッコイイのに。

 でも、言わない。教えて上げない。

 だって、これは私だけが、知っていればいいの。


 そして、私は――。



 翌月の舞踏祭。


 私は、例年にないほど早起きをして、身支度を整える。

 今年は、この日は、自分で何度も鏡を見る。

 服に汚れはないか、髪型は変ではないか。


 それと同時に、メアリーの身支度も手伝ってあげる。

 彼女は地が良いので、ちょっと着飾るだけでも、美人度が増す。

 私は誰かさんのおかげで、人の世話を焼くのには慣れているし、いつの間にかそれが癖みたいなっていた。

 今の彼女を見て"狂犬"だなんて言う者はいないだろう。


 あぁ、早く会いたい。

 いつも会っているのに、そう思わずにはいられない。


 これが恋なんだろうか? 恋なんだろうな。

 私はこの穴に落ちてしまったのかもしれない。

 でも、それでもいいと思える人なのだ。

 

 数年前の私は驚くだろう。

 数年後の私は笑うかもしれない。


 私にとって特別な人。


 私はようやくそれに気がつくことができた。

 私にとってずっと一緒にいたい人に。


 初めて出会ってから随分と時間は経ってしまったけど、私にとって彼がそうであったのだ。

 

「――時間だわ」

 私が渇いた声で、メアリーに声を掛けた。


「エヴァ、あなた今日はステキね。輝いているわ」

「あら、メアリー。貴女も言うようになったじゃない」


 人並外れた洞察力を持つ彼女には、私の感情が手に取る様にわかるかもしれない。

 それほど、私は私が浮ついていることを自覚していた。


 メアリーは中庭へ。私は大講堂へ。

 互いの健闘を祈り、大講堂へ足を進める。


 この日のために椅子と机が撤去され、教員の手によって装飾が施された大講堂は、ダンス会場としては申し分ない。


 開け放たれた大講堂には、まばらにの生徒の姿があった。

 この部屋にいるのは、学園の生徒の中でも上級臣民の家の者たちである。

 誰もかれもが鮮やかに着飾っている。

 待ち人を待つ者。既に身を寄せて仲睦まじい様子を見せる者。


 ダンスを誘い、それを受けいれることは、少なからず相手を想っている証左。


 自由恋愛が推奨されている王国では、学園時代の縁で、卒業後に婚約、結婚まで至ることは珍しくない。

 むしろ、自由恋愛から結婚に至るケースは学園経由が古来からの王道であった。


 私は、相手を探して広い部屋を見渡す。

 どうやら、まだ相手は来ていないようだ。


 壁の花になって、待ち人を待つ。


 時間と共に、室内に増えていく笑顔。

 幸せそうである。

 私もあんな顔をするのだろうか。

 できるだろうか。

 ちょっとした不安に襲われていると。


 やがてどこからか柔らかな音楽が流れてきた。


 私語を話していた者は、その口を閉ざす。

 相手の手を取って、部屋の中央へ。


 音楽に合わせて、相手と共に自由にその体を揺らし始める。


 まだかまだかと私の心がソワソワし始める頃に、真っ直ぐに私の下へ向かってくる一人の姿。


 私はすぐにわかった。

 でもすぐに反応するのは癪なので、気づかないフリをする。


 彼は私の前まで来ると、その襟を正し、

「……待たせたなエヴァ」

 聞きたかったその声を聞かせてくれた。


「遅いわよ馬鹿レスタ」

 なんて言いつつも、とびっきりの笑顔で彼を受け入れてあげる。


 彼は私の――。



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