閑話 レスタ


 俺には幼馴染エヴァがいる。

 

 ポトム王国の柱である四門の一角、北部のアブーガヴェル家の家臣団に名を連ねる家の嫡子として、俺はこの世に生まれてきた。

 三年先にご生誕されていたアブーガヴェル家の嫡子――サウザ様に仕えるべく、俺は、俺たちは物心つく頃には、既に研鑽を始めていた。


 物心ついた時に、既に俺の隣には彼女がいた。


「いくぞエヴァッ!」

「まってよーレスター!」


 幼馴染の彼女は俺と違って男ではなく、俺と違って体を動かすのも好きじゃない。

 いつも日陰で本を読んでいるような奴である。


 彼女は体を動かすのが好きな彼女の兄貴とはまるで正反対。


 彼女の兄貴は、文武両道で俺の憧れの人である。

 ある日、その彼女の兄貴が、妹をよろしく頼む、と俺に言ってきた。

 憧れの人からの頼みである。


 彼女は俺の妹分エヴァであった。


「行くぞエヴァッ!」

「ちょっと、待ってよレスタッ!」


 俺と彼女は年齢が同じで、親の爵位が近いということもあって、ずっと一緒に育ってきた。

 昔は彼女は体を動かすのが苦手で、なよなよしてた彼女も、俺のおかげで周囲に舐められないくらいの剣術を身に着けることができた。

 我ながらいい仕事をしたと思う。


 カーヴェア学園に入るまで俺の妹分のことを、北部貴族のお茶会では地味だの、陰気臭いだの陰口を叩く奴らがいた。

 北部の貴族は、アニマの森に近いからか何なのか、じっとりねちねちとした者が多い。

 そうした家に生まれた子も、故に自然とそう育つ。


「大丈夫かエヴァ?」

「あいつらしつこいのよ」


 サウザ様の一歳年下で、俺たちの一歳年上のハリスコスとロスアルトスは、北部にいた時はよく彼女にちょっかいを掛けていた。

 その度に俺が追い払ってやったものだ。

 二人は幼少期から実力は周囲から頭一つ抜けていたものの、それを笠に着た陰険な奴らで、人間的にはあまり好きじゃない。


 幼少期のこととは言え、彼らの振る舞いがヴェレイラ様の離反を招いたことは、北部における公然の秘密であった。


 サウザ様は、さすがと言うべきか、常に威風堂々としていた。

 陰湿な行為や陰口を好まなかった。


 いささか口下手なので、覇気のある外見と佇まいで誤解されがちだが、その実かなりお優しい人である。

 彼女がいじめられている時にも、よく助け舟を出していたものだ。


 カーヴェア学園に入学する頃には、彼女も成長期を迎え、妹分という感じではなくなった。


 彼女は俺の腐れ縁エヴァであった。


「行くぞエヴァ」

「わかっているわレスタ」


 カーヴェア学園の入学式。

 大講堂の扉を前に深呼吸して、後ろを振り返って視線を送る。

 振り返った先でエヴァが頷いた。


 入学式では、シトラス、ミュール、メアリーの東の三人組と知り合った。

 それ以降はエヴァを除くと、彼らと過ごす時間が一番多いかもしれない。


 学園の入学式で、たまたま俺の後ろに座ったことから知り合ったシトラスと、彼の幼馴染の男女。

 シトラスは、純粋で眩しいくらい真っ直ぐな奴だ。

 ミュールは少し斜に構えたとこがあるが、面倒見のいい奴。

 メアリーは、彼女はめちゃくちゃ可愛いけど、それ以上におっかない奴。


 シトラスとは握手を交わした時にこう、ビビッときたので北の魔法俱楽部に誘おうとしたけど、断られてしまった。

 エヴァには考えなしと怒られてしまったが。


「こういうのは直感だよ直感!」

「はぁ、あんたは昔から考えなしなんだから……」


 シトラスは、シトは気さくで信じられないくらい甘い――優しい奴だ。


 その俺の見立てが間違っていなかったということは、学園の授業が始まって、すぐに人伝に知ることになった。


 シトのクラスではシトが亜人を表立って庇い、そのクラスでは亜人に対して、表立ったそういった・・・・・行為は行われなくなったそうだ。

 裏でこそこそ続けた奴もいたそうだが、シトに従うメアリーが一度ボコボコにしてから、スパリと行われなくなったそうだ。


 俺にその気はないが、彼らの気持ちは分かる。

 俺だって彼女は怖い。


 エヴァが、メアリーに物怖じしないで話しかけている。

 あの俺の後ろを歩いていた彼女が、俺が気後れするくらいの人物に、遠慮することなく話しかけるのは、彼女の成長か。


「メアリーが怖くないのか?」

「メアリー? ううん、彼女、可愛いわよ?」


 女は何を考えているかわからない。


 入学して間もなく行われた新入戦では、俺とエヴァは本選に出場して、二人ともベスト八に名を連ねることができた。


 いい線まで勝ち上がったのだが、俺たちはそれぞれ、四門の次期当主と噂されるエステルとボルスと対戦し、準決勝に駒を進めることはできなかった。

 エヴァが対戦したエステルは嫌になるぐらいイケメンな奴だった。

 試合前後に言葉を交わす二人を見ていると、妙に胸がむかむかした。


 ちなみに、なぜか予選を突破したはずのメアリーが、本選当日に姿を見せずに棄権することになった。

 もしも彼女が予定通り出場していたら、同じブロックの俺はベスト八まで残れなかっただろう。


 実際に、彼女は年明けに行われた四大行事――対抗魔戦にシトと出場して、暴れ散らかしていた。

 その前の試合で、コンビを組んで敗退していた俺とエヴァは、観客席から友人二人を応援していたが、さすがに、最後のメアリーの暴走には俺はドン引きしていた。


 まるで獣である。それもとびきり血に飢えた。


 教師陣からの物理的な制裁で負傷したメアリーは、予選は突破したものの本選には出場できなかった。

 その彼らの見舞いにエヴァと訪れたが、当の二人が、本選に出場できないことを全く気にしていないのが印象的であった。


 いつかは俺たちも、いや、俺が彼女を晴れ舞台のステージへと連れていく、と医務室でシトに宣言したら、その後ろで、再び獣の表情を浮かべたメアリーに、俺のオティンティンがヒュンとなった。


 観客席から見てた時以上の迫力である。

 そんな俺をエヴァがお腹を抱えて笑っていたが、そこは別に笑うところじゃないだろう……。

 

 翌月に行われた四大行事――魔闘会では、俺とエヴァは主家筋のサウザ様と友人のシトの応援。


 サウザ様は圧巻であった。

 決勝まで難なく勝ち上がり、決勝戦もシトの姉に負けてしまったものの、判定負けであり、実力では全く劣っていなかった。


 決勝戦が終わる頃にはステージが完全に変わり果てた姿になった。

 観客席を守る魔力障壁を、教師陣が試合中に張り直さなければならないほどの、激しい試合であった。


 シトは……まぁ、うん……。

 一年生で推薦を勝ち取って、出場するだけでも凄いことだから……。


 魔闘会の翌月に待ち受ける四大行事の一つ――魔法試験。


 エヴァのおかげで、なんとか落第と追試は免れることができた。

 さすが本の虫なだけある。

 彼女は俺の頭脳である。

 冗談交じりで、試験後にそう彼女に伝えたら、俺の方を見ずに、肘で脇腹をこずかれた。

 そのとき、彼女が正面を向いていたのと、ちょうど風が彼女の髪をさらったので、どういう表情だったのかは分からなかった。


 最後の四大行事、舞踏祭ではエヴァを誘おうと思ったけど、いざ誘おうと思うと、どうにも照れくさくて、俺が行動に起こせないでいると、彼女の兄貴がエヴァを誘っているのを見かけた。

 兄弟姉妹がいる家なら、おかしくない話である。

 ちょうど同じ北の地方出身の女子から声を掛けられていたので、俺はその子と舞踏祭に出ることにした。


 当日、俺に背を向けて歩く背中。

 無意識にその背中に伸ばした手を俺は握りしめていた。


 一番いて欲しくない背中が前にいた。


 二年生となった俺たち。一年間共に過ごした彼女との関係も少し変わった。

 俺たちは入学以前の北の地で過ごした時以上に、いつも一緒にいた。

 彼女と一緒にいると居心地がよかった。


 彼女は俺の親友エヴァであった。


「行くぞ、ってエヴァ?」

「何しているの。早く行くわよレスタ」


 二年生になった俺たちが選んだ専攻課程は、魔法力学科。

 担当はシェリル女史だ。

 魔法力学科は魔法の発展には欠かせない内容を授業で扱う。

 上級臣民で人気の専攻課程の一つである。

 ときどき、理論が難しいときがあるが、その度にエヴァに聞くと、彼女が分かりやすく説明してくれるので助かっている。


 シトの勇者科は担当の教師が、勇者科の閉講を望んでいるとかいう訳の分からないことになっているらしい。

 本人たちに聞くところによると最終兵器あねきを使って何とかなった、とのこと。その交渉カードは強すぎるってばよ。


 俺とエヴァは当初の予定通り、北の魔法倶楽部ノースに入部することになった。


 シトたちとは俱楽部も専攻課程が違うので、一年生の時と比べて、日中に出会うことは少なくなったが、寝室が一緒なので、変わらず言葉は毎日交わしている。


 エヴァの方も、メアリーとは毎日話す仲ではあるらしい。

 あんまり似ていない二人なので少し意外な組み合わせではあった。

 穏健派で理性派のエヴァ。対して、武闘派で本能派のメアリー。

 不思議なものである。


「あー、くそ……」

「勝ちたかったわね……」


 二度目となる対抗魔戦は、今年もエヴァと組んで出場した。

 残念ながら、暗闇君あんどうくんとかいう人造精霊魔法の攻撃を、防ぎきることができなかった。


 友人のシトたちは突破できたのを見て、嬉しいやら悔しいやら心中は複雑であった。


 予選突破したのみならず、本選の初戦も突破したシトに陰口を叩く奴がいた。

 予選は彼の姉貴に、本選はコンビを組んだメアリーのおかげで本人は何もしていないと。

 "七光"と揶揄する者まで現れ始めたが、そいつらは何もわかっちゃいない。

 助けられるのもその人の能力、資質であると。


 対抗魔戦の翌月に開かれる魔闘会は、昨年と同じく主家筋のサウザ様と友人のシトの応援。


 応援していたサウザ様は、残念ながら有終の美こそ飾ることができなかったが、それでもやはり圧巻のパフォーマンスであった。

 決勝まで難なく勝ち上がり、決勝戦は前年に続き、シトの姉貴と激しい戦闘を繰り広げた。

 最終的に、場外決着で敗北してしまったが、今年もド迫力の決勝戦であった。


 エヴァの兄貴に聞くと、サウザ様は学園でシトの姉貴に唯一黒星を付けた存在で、逆もまた然りらしい。


 ところで、シトは二年連続となる魔法生物学のアイリーン先生からの推薦。

 羨ましい……。あの先生は色っぽいんだよなぁ。

 エヴァにそう言うと不機嫌な顔をされた。

 あの生活感の漂う色気は、学生には出せないんだよ。

 ただ、あの先生も学園最年少で教師を務める英才なだけあって、どこか浮世離れしている。

 俺たちが話しかけても、こっちの話を聞いているのか、聞いていないのか分からない反応を見せることがある。


 魔闘大会の翌月の魔法試験は、今年もエヴァのおかげでどうにか突破できた。

 俺のために、いつのまにか要点をまとめたノートを作ってくれていたみたいだ。

 要領のいい奴だ。持つべきものは友である。


 寮の談話室で思わず彼女を抱きしめてしまったが、彼女の体は俺が思っていた以上に柔らかった。

 少し気まずくなって、すぐに離れると、エヴァは何も言わずにそのまま自室に去っていた。


 驚かせてしまったかもしれない。

 俯いたその顔は髪に隠れて、表情まではわからなかった。


 その翌日、彼女と出会ったときにそのことを謝罪したら、あっけらかんとしていたので、俺の気にしすぎだったのかもしれない。


 二度目の舞踏祭。エヴァはまた兄貴と行くらしい。

 そう本人から聞かされたので、俺は諦めて、去年踊った女生徒と参加することにした。 


 兄貴と踊っているエヴァは、綺麗だった。

 そう、綺麗だと思ったんだ。


 だけど、午後のフリーの時間は、付き合いで家同士が知り合いの女子生徒と終わった。

 今年も彼女の手を握ることなく舞踏祭が終わってしまった。


 学園長の閉会の言葉に、肩を落とす俺に対して、彼女の兄貴が意味深に肩を叩いて、すれ違って行った。


 俺は振り返って、彼女を見つめる。

 一瞬目が合った気がしたが、直ぐに逸らされた。


 サウザ様の卒業を盛大に祝ってお見送りした俺たちは、三年生になった。

 上級生の仲間入りである。


 最近なんだかエヴァのことは気になるが、この感情にまだ名前を付けてあげることができていなかった。

 だけど、サウザ様が卒業したノースを、盛り立てていかなければならない立場である。浮ついた感情にかまけてはいられない。


 シトは、あろうことか俱楽部の部長と対立し、そのまま俱楽部を退部。

 そして、そのまま新しい俱楽部"勇者部"を立ち上げたというのだから、驚きである。

 亜人に対する差別が許せないそうだ。

 これには俺たちも婉曲的に加担している側なので、何も言うことができない。


 ポトム王国がそういう国なのだ。


 シトの博愛精神は一個人としては素晴らしい。

 ただ王国貴族としては複雑なところである。

 幸い、家は彼の姉が継ぐので、表立って大きな問題にはならないであろうが。


 主義者とも言われる博愛思想を持つ者は、少数だが王国にも確かに存在する。

 だが、彼らは揃って異端の目で見られ、その能力に関係なく、閑職に追いやられている。


 最終的に勇者部の部員はシトら三人に同学年で親交のあるブルーが加入したという。

 ここまではわかる。

 それに加えて、ヴェレイラ様とハロルシアンが加わったのは驚きである。

 あと一人のエイトは平民の星、とか言われていたが、これも売名行為だろうか。


 よくわからない面子だ。

 俺とエヴァは揃って首を傾けた。

 

 よくわからないと言えば、シトの勇者科に代わる専攻課程。


 昨年度で閉講になった勇者科に所属していたシトたち。

 今年から代わりの専攻課程を選ぶとのことで、俺たちのいる魔法力学科に誘ったが、彼らは歩兵科に行くことにしたようだ。


 歩兵科なんて、いっちゃあなんだが、専攻課程で一番格下である。

 下級臣民の出身で成績の振るわない奴らの辿り着くところである。

 上級臣民で所属するのは、学園長いの歴史でも初めてじゃないだろうか。

 シトらしいっちゃ、シトらしいが。


 勇者部の活動を優先して、シトたちは対抗魔戦に出場することはなかった。

 俺とエヴァがついに予選を突破して、本選に駒を進めることができた瞬間を、シトたちにも見て欲しかったけど、仕方がない。

 俺たちは本選でも初戦を突破することでき、三年目で大きな躍進となった。


 しかし、二回戦ではヴェレイラ様とシトの姉の最強コンビに軽く捻られた。


 その際に、前年にミュールが言っていたことがわかった。


 これは勝てる気がしない。


 俺たちの見せ場はあったが、俺たちが作ったわけじゃない。

 ただ見せ場を頂いただけである。

 ヴェレイラ様たちは、そのまま勝ち進んで優勝。

 大会五連覇は、ちょっとわけがわからない。


 魔闘会は残念ながら、教師からの出場推薦が確保できず、観客席からの応援となった。


 過去一番とも言われる来賓者数。

 シトたち勇者部は、実績もなしに全員が本選出場者に選ばれたことで、学園内では不満の声があがっていた。


 本人たちに聞いたところ、学園長との取引の結果らしいが、学園では大層なヒール役になっていた。

 正直、この件に関しては俺も少し思う所があった。

 だが、コネや交渉も実力の内である。


 シト以外の勇者部は全員一回戦を勝ち抜いたどころか、ミュールとメアリーにいたってはベスト八である。

 メアリーは七席のカミノを倒した上での、その成績。

 文句の付けようがなかった。

 この大会で、四連覇を果たしたベルガモット以外に、勇者部の名が広く知られることになった。

 だけど、来年こそは俺が、俺たちが……。


 三回目となる魔法試験は、今回もエヴァのお世話になった。


 彼女はなんであんなにも要領がいいんだろう。

 同じ授業を受けているはずなのに、授業への理解度が俺とは段違いである。

 他の学生と比べても、彼女の座学は頭一つ抜けている。

 頭が上がらない。本人にそう言うと、貸しだからね、と彼女は誇らしげに鼻を鳴らしていた。

 

 そして、三度目の正直となる舞踏祭。

 彼女の兄貴は卒業して、学園にはもういない。

 彼女はその頭一つ抜けた座学と、俺には一歩劣るが実技も優れているので、北部出身の学生の中では人気になりつつあった。


 昨年までは、兄貴という防波堤もいたが、今はいない。

 寮にいる時も、男子生徒から呼び出されているとは聞いていた。

 その度に俺の心はざわめいていた。



 放課後に、いつも通り他愛もない軽口を叩き合う俺たち。

 椅子に座りながら、今日の授業の話を振り返っていた。

 授業が終わって間もなく、教室にはまばらに人影がある。


 両腕を枕にしながら、隣の席に座るエヴァと話していると、教室の外にこちらを窺う男子生徒の姿が見えた。

 名前までは思い出せないが、その容姿に見覚えがある。北部の生徒に違いない。


 もじもじとする仕草から伝わるのは、不安。

 俺は、彼が誰かを翌月の舞踏祭に誘おうとしているのだとわかった。

 そして、その誰かをも。


「エヴァ、お前にお客さんみたいだぞ?」

 俺が茶化しながら、隣に座る彼女に言葉をかけると、

「――もう。私もこう見えて人気なんだからね? うかうかしてたら取られちゃうぞ?」

 なんて寂しそうに笑って、定位置の俺の隣の席から立ち上がるエヴァ。


 不意に、寮の寝室で以前にミュールと交わした会話が脳裏をよぎった。

『うっせぇ。お前こそ。エヴァとはどうなんだよ、エヴァとは』

 ミュールとオーロラの関係を弄ったことへの反撃に対して、赤面したミュールが俺に言い返した言葉。

 これには俺が赤面する番であった。

『ばっ、お、俺とエヴァは、まだそんなんじゃ――』

『まだ、ってことはこれから変わるんだよな』

 鬼の首を取ったように、にやにやとした顔を浮かべるミュールに、俺はハっと口を押えて自身の失言を悟った一幕。


 この直後に入ってきたエヴァにはドキリとさせられたものの、幸い聞かれていなかったみたいだ。

 その後は、シトラスの機転により有耶無耶になってホッとしたものだ。


 しかし、今は違う。

 このまま放っておいたら、いずれは彼女を取られてしまう。

 そう考えたら居ても立っても居られなかった。


 俺は俺に問いかける。

 

 一体いつまで『まだ』なんだ? 

 一体その時は『いつ』なんだ?


 エヴァの寂しそうな笑顔を見た俺は、俺から離れるように、一歩を踏み出した彼女の腕を、思わず握りしめていた。


 俺から離れていかないように。離れられないように。

 

「レスタ?」

 突然の俺の行動に、訝しむ彼女の声。 


 だが、その声を聞いても、この後俺はどうしていいのかわからなかった。


 ただ、握りしめたその手に力が籠る。


 そんな俺を優しく見つめるエヴァは、

「……痛いよレスタ」

 腕を掴む俺の手に、彼女は優しくその手を重ねた。


 俺は自分がわからなかった。


 俺はエヴァにどうして欲しいんだ?

 俺はエヴァとどうなりたいんだ?


 俺の中で、言葉と気持ちが混ざり合う。

 心臓が早鐘を打っている。

 俺の中で響くその音は、目の前に彼女に届いているのではないか。


 彼女なら、俺の今のこの気持ちも、わかっているのではないか。


「気持ちは言葉にしてくれなきゃわかんないよ」

 エヴァは俺の瞳を見つめてそう言った。


 ――そうか。そうだよな。


 一つ生唾を飲み込んだ。

 俺は伏せていた瞳を上げ、彼女の瞳を見上げた。

 そして、俺は初めて気がついた。


 見つめ返したその瞳。彼女の瞳が揺れていたことに。

 彼女もまた不安なのだ。


 その瞬間、全身を脈打つ鼓動とは裏腹に、俺の気持ちはスッと静まった。


 そして、俺は――。



 翌月の舞踏祭。


 俺は、例年にないほど早起きをして、身支度を整える。

 今年は、この日は、自分で何度も鏡を見る。

 服に汚れはないか、髪型は変ではないか。


 同じ心境であったミュールと、互いに励まし合う。

 彼は前々から噂されていたオーロラと踊るらしい。


 普段はどこか斜に構えたミュールも、思い人の前では型無しだ。

 いや、それは俺も――いや、皆がそうなのかもしれない。

 好かれたいと思う誰かがいる限り。


 皆、会いたい人がいる。

 皆、待っている人がいる。

 会いたい人がいるのなら、それを待っている人がいる。


 俺はようやくそれに気がつくことができた。

 俺にとっての会いたい人に。

 初めて出会ってから随分と時間は経ってしまったけど、俺にとって彼女がそうであったのだ。

 

「――時間だな」

 ミュールが渇いた声で、俺に声を掛けた。


 その隣には、自然体のシト。

 いつも通りニコニコとしている。


「おいシト、何がおかしいんだ」

 俺がそう尋ねるとシトは、

「ううん。おかしいんじゃない。嬉しいんだ」

「嬉しい? 何が? 舞踏祭がか?」

「……二人の魔力オーラがね、漲っている、って言うのかな? こう元気とやる気に満ちているんだ」

 両手を広げて、シトは心底楽しそうに笑う。


 魔力視の魔眼を持つ彼には、魔力を通して俺たちの感情が丸見えのようだ。


「ばか、何だ元気とやる気て」

 と否定するミュールだが、シトの言葉は的を得ているのか、その声は言い訳をするようで、まるで覇気はない。

 その気持ちが今の俺にはわかる。


 シトとミュールは中庭へ。俺は大講堂へ。

 互いの健闘を祈り、一人大講堂へ足を進める。


 この日のために椅子と机が撤去され、教員の手によって装飾が施された大講堂は、ダンス会場としては申し分ない。


 開け放たれた大講堂には、既にたくさんの生徒の姿があった。

 この部屋にいるのは、学園の生徒の中でも上級臣民の家の者たちである。

 誰もかれもが鮮やかに着飾っている。

 待ち人を待つ者。既に身を寄せて仲睦まじい様子を見せる者。


 ダンスを誘い、それを受けいれることは、少なからず相手を想っている証左。


 自由恋愛が推奨されている王国では、学園時代の縁で、卒業後に婚約、結婚まで至ることは珍しくない。

 むしろ、自由恋愛から結婚に至るケースは学園経由が古来からの王道であった。


 俺は、相手を探して広い部屋を見渡す。


 不思議なことに、俺にとって彼女は直ぐに見つけることできた。

 壁の華となっている彼女は、不安そうに、この日のために巻いた髪の毛先をいじっていた。


 それが妙に可愛らしく、頬が緩む。


 やがてどこからか柔らかな音楽が流れてくる。

 私語を話していた者は、その口を閉ざす。

 相手の手を取って、部屋の中央へ。


 音楽に合わせて、相手と共に自由にその体を揺らす。


 俺は少し歩調を上げて、彼女の下へ。


 何度も鏡の前で確かめたにも関わらず、再度襟を正し、

「……待たせたなエヴァ」

 少し上擦った声で俺がそう告げると、


「遅いわよ馬鹿レスタ」

 何て言いつつも、とびっきりの笑顔で俺を受け入れてくれる。


 彼女は俺の――。



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