四十八話 国防諜と餞別と


 ベルガモットの魔闘会四連覇、という偉業達成で魔闘会は幕を閉じた。


 ベルガモットとヴェレイラの最強で最恐の幼馴染同士の決勝戦。

 それはステージを半壊させた上に、観客席の保護を目的に張られた魔法障壁を何度も破壊した。


 それは運営委員の教師による修復が間に合わないほど激しいものであった。


 例年であれば、試合が中断され、運営委員による選考投票が行われるほどの暴力であった。


 しかし、ベルガモットの四連覇を見届けようと例年以上の貴賓客の手前、なにより学園長であるネクタルの厳命で試合は続行された。


 ネクタルからそう告げられた際、運営委員の教師たちの表情は絶望に染まっていた。


 歯を食いしばった運営委員が、必死の思いで四方から何度も魔法障壁を張り直しながら続行された決勝戦。


 その甲斐もあって、見届けた貴賓含む観客からは大好評であった。

 万雷の拍手で終えた魔闘会。


 運営委員の教師は疲労困憊で、中には主審を務めるアペルの試合終了の合図で座り込む者もいたほどである。


 貴賓席から変わり果てた闘技場を見下ろすネクタルは、その小さな口から閉会の言葉と労いの言葉を闘技場に届けた。


 その横にはシトラス。招待客である彼の母、ダンシィに連れられて貴賓席に足を運んだ彼は、同じく招待客である父キノットの席に腰を下ろしていた。

 そのキノットはと言うと、一回戦の途中で離席したまま、大会中に貴賓席に戻って来ることはなかった。


 シトラスの座る席まで戻ってくると、

「勇者部のみんなもよく頑張ったね」

 と、ねぎらいの言葉を送った。


 勇者部では、ヴェレイラが準優勝。

 メアリーとミュールがベスト八。

 ハロルシアンとエイトがベスト十六の健闘を見せていた。


 今期出場した三年生の中で最高順位を獲得したメアリーとミュール。

 他のベスト八の生徒は、全て七席であったことから彼らの傑出度が伺える。


 中でもメアリーは、二試合目で七席のカミノを破っての準々決勝進出である。

 カミノは今年から七席に名を連ねていた北の名門の出の生徒である。

 今期の魔闘会で、ベルガモットとヴェレイラの次に会場を沸かした人物の名をあげるとするならば、それは彼女であろう。


 シトラスこそ初戦敗退、そしてブーイングを浴びる一幕があったものの、勇者部の名前はこの大会を通して広く知れ渡ることになった。



 閉会後、母であるダンシィと、貴賓客が帰り支度を整えている時間となって、やっとキノットが貴賓席へと戻ってきた。

 

 シトラスは父であるキノットに別れを告げると、魔法闘技場を後にした。


 勇者部の仲間たちと合流すべく、シトラスは闘技場から校内の部室を目指す。


 その途中で、中庭に面する通路を横切ると、そこには懐かしい顔があった。


 すらっとした長い手足。肌の露出が目元以外一切ない服装。

 大きな銀色の瞳を除いて顔全体が大きなスカーフで隠されている。

 そのスカーフの内側には、わずかに褐色の肌と光沢のある黒髪がのぞいていた。


 彼女を包むのは、国防色とも言われる緑色がかった茶褐色の軍服。

 軍服に身を包んでいながら、それでいて女性とわかる体の凹凸。

 男性にはない腰のくびれと、胸部と臀部のシルエットが彼女の性別を主張していた。


 シトラスは、彼女に気づくや否や、

「ライラッ!」

 歓喜の声を上げると、そのまま彼女に駆け寄った。


 飛びついてきたシトラスを受け止めると、その勢いのまま、ライラはその場で回転する。

 その表情の全貌は見えないが、その目が嬉しそうに弓を描いた。


 魔力視の魔眼を持つシトラスには、それが揺らぎとなってしっかりと見えていた。

 物理的にその表情が読み取りにくい彼女と、彼の持つ魔眼は非常に相性が良かった。

 魔力は感情に大きく左右されるからである。


 やがて回転が止まり、地に足を下ろしたシトラスがライラ見つめ、

「どうしてここに?」


 この一年でシトラスの背はぐっと伸びていた。

 頭一つ分ほどあった彼女との身長差も、今やほとんどない。


「貴賓の護衛だよ。今はたまたま休憩中だ。懐かしくなってな」


 嘘である。


 彼女は、同じく貴賓席の警護にあたっている同僚に手を回し、シトラスが離席したら連絡をよこす様に手配していた。


 閉会後にシトラスが離席したという情報を得て、先回りするように中庭に訪れていたのである。


「シトは大会お疲れさま」

「ありがとう。一年ぶり、かな?」

 と小首を傾げながら尋ねると、

「七か月と十五日ぶりだな」

 なんてことはないように間髪入れず補足する。


「まだ一年たってないんだね。一緒にいたのがずっとずっと前のことに感じられるよ」

 それを聞いて、スカーフの下で悪戯な笑みを浮かべたライラは、

「なんだ? 寂しかったのか?」

 とシトラスのことを茶化すも、

「うん。寂しかったよ。ライラは?」


 それを躊躇うことなく肯定するものだから、聞いた本人が逆に照れてしまう。

「……ん、んん、あたしもちょっとは……」

 直接告げるのは照れ臭いのか、視線を前に向け、スカーフに覆われた鼻の頭を掻く。


 ライラの反応に苦笑いを浮かべて、

「ちょっとかー……」

 少し寂しそうに呟いたシトラス。


 それを見たライラは、半ばやけっぱちになって声を張る。

「う、うそだよ、うそッ! あたしもすげー寂しかったよッ!」


 ちなみに、シトラスは魔力視の魔眼で、ライラの感情をバッチリ読み取ることができていたので、ブラフであった。


 そうとは知らず、ライラはその思いを吐露させられた。

 その表情は、そうとわかるくらいには朱に染まっていた。






 二人は会えなかった時間を埋めるように、中庭に設置されたベンチに座り込んで話し込んだ。

「――おっと、名残惜しいけど、そろそろ現場に戻らないと」


 しかし、ライラの身は既に学生ではない。

 その時間は有限なものであった。

 ましてや、今は公務の一環で訪れているのでなおさらであった。


「えー、もう?」

 ライラは名残惜しそうにするシトラスを抱き寄せると、その耳に口を寄せ、

「あたしももっとシトといたいんだけどな。これ以上はさすがにまずい。最後に三つ、シトに伝えておきたいことがある」


 それまでとは打って変わって真剣な声音。

 

「なに?」

 耳元で囁かれたライラの真剣な声音に、シトラスの表情も引き締まる。


「まず、東の国境が相当きな臭い。ご家族も既に知ってるかもしれないが、念を押しておいてくれ。……正直な話、いつ戦火の幕が切って落とされても不思議じゃない」


 コクリと真剣な表情で頷くシトラスを見て、話を続ける。

「次に、シトの父君が国防諜に目を付けられている。あたしは詳細は知らないけど、父君に今やっている何かを今すぐ辞めるように言ってくれ」


 シトラスは『国防諜』という単語に耳馴染みがなく、それについて尋ねると、

「この国の防諜、国の秘密を守ることに特化した軍隊みたいなものだ。アイツらの情報を元に勇者が派遣されるんだ。アイツらの前に上級臣民の地位なんてものはあってないようなものだ」

 

 防諜に限らず、内外の間諜を担う国防諜は、まさしく国家の耳であった。


 組織の長は代々王族が務める。

 その号令の下で内外に張り巡らされた情報網を使い、国防の任を果たしている。


 勇者が動く前触れとしても知られており、国防諜にクロと判断されれば、それが例え上級臣民であろうと、勇者によって切り捨てられることとなる。


 そのような危険な存在に目を付けられているというキノット。


 国防諜の対象を漏らすことは秘密漏洩である。

 軍が知れば処罰の対象であるにもかかわらず、ライラはリスクを負ってでも、これをシトラスに知らせた。


 二人は揃って、再度闘技場へと足を運ぶ。


 キノットとダンシィが闘技場から姿を見せたのは、ちょうど二人が闘技場に入ろうとした時であった。


 ちょうどよいタイミングで見かけた両親に、

「父上ッ! 母上ッ!」


 その声にいち早く反応したのは、ダンシィ。

 歩きながら、何かキノットと話し込んでいた彼女であったが、愛子の声に会話を止め、すぐにその顔を向けた。


「じゃあ、シト。あたしはこれで」

「うん。――あっ、待って。そういえば、後の一つって何だったの? 最初に伝えたいことが三つあるって言ってたよね?」

 眉を顰めて他にも、何か重大な話があったんじゃないか、とシトラスは身構える。


 しかし、おどけるように肩を竦めてみせるライラは、 

「うん? あぁ――。次の手紙、待ってるぜ」


 ライラにとっては、それは言葉にして伝えたい大切なことであった。


 シトラスは感極まって、布越しにライラに素早く接吻をすると、

「ありがとう!」

 とライラに手を振りながら、固まる両親の下へと駆け出していった。


 特にダンシィは、シトラスの直前の行動をその目にして、目を剥いて固まっていた。


 視界で小さくなるその体。

 ただ、優れた聴覚だけが、遠くなるその愛おしい歩幅の音を脳へと届ける。


 その場に残されたのは、ライラは呆然と立ち尽くす。

 なぞるように口元の布地に指を当てがうと、ほんのり湿った自身の口元の布地が、今起きたことが夢ではないことを教えてくれた。



 闘技場から王城へ向かう道。

 シトラスは、ライラから得た話を両親に伝えるべく、学園城と王城を繋ぐ連絡橋までの道に同伴していた。


 シトラスの話に、両親は真剣な面持ちでこれに耳を傾けた。

「――そうか。ありがとう。そのお友達にはよろしく言っておいてくれ」

「そうね。お友達・・・には感謝しないといけないわね」


 ダンシィの『お友達』という言葉には、心なしか棘があった。

 隣を歩くキノットはこれに気がついたが、触らぬ神に祟りなし、とばかりに言及することはなかった。


「それにあなた。シトのお友達の言う国防諜の件って……」

「あぁ……。わかっているよ。あの件だね。でも、一体どうやって? 私と先生を除けば、君とセバスしか知りえない情報のハズだ」


 もたらされた情報に顎へ手をあてて、キノットは考える。


「こちら側ではないのじゃないかしら? いくら国防諜と言えど、わざわざ辺境にある私たちの領地に来るとは考えづらいわ」

「――となると先生側にスパイがいるのか。私から後で先生にも、念を押しておくよ。シト、そのお友達の名前はなんて言うんだったっけ?」

「ライラだよ。猫人族の子の」

「ありがとう。もちろんあの件は、ほとぼりが冷めるまでは中止するよ」

 キノットの言葉に、ダンシィは胸を撫で下ろした。


「チーブスの件は閣下もご存知だろうと思うけど、確固たる筋からの話、ということで話を通しておくよ」

 誇らしげに口を開くダンシィは、

「シト、少し前から貴方のお父様はフィンラディア閣下からの覚えがいいのよ」


 辺境の一男爵に過ぎないロックアイスであったが、望めばフィンラディア公爵への謁見を叶えられるぐらいに、東の一帯では近年名を高めつつあった。


「これも全てベル……とシトのおかげだよ」

 隣から無言の物凄い圧力を感じて、キノットは言葉を付け足す。

 その額に浮かぶ一粒の雫の珠。


 昨年の総合成績三連覇、対抗魔戦四連覇の偉業は、双子城以外にも、彼女のその名を知らしめるのに十分な偉業であった。


 入学時は、フィンラディア公爵嫡子であるアンリエッタの名ばかりが知られていたが、今やベルガモットの名は、彼女以上に有名であった。

 次の東を背負って立つ者は誰かと聞けば、誰もが彼女の名を答えるだろう。


 付け足されたキノットの言葉に、表情を一変させて、うんうんと頷いているダンシィ。


「知らせてくれてありがとうねシト。領地のことは心配しないで、シトは残り少なくなってきた学園生活を楽しんでね。――ただ、彼女パートナーは私が認めた人しか許さないからね」

 最後は目が据わっていたダンシィに、

「……最低限、避妊だけはしてね。やればできるから」

 目頭を押さえて小さく息を漏らした。


 その発言にダンシィは驚愕の表情を浮かべる。

「ひ、避妊なんてッ! そんなのシトにはまだ早いわッ!」

「……だそうだ」

 キノットは呆れたように大きく息を吐いた。



 それから三ヵ月の月日が流れた。

 幸いなことに、この間に懸念されていた東の国境で戦火の火蓋が切られることなかった。


 キノットも国防諜に何かされることはなく、もたらされた情報とは裏腹に、ロックアイス領では平穏な時間が流れていた。


 勇者部の方も、魔闘会で名声を高め、相変わらずシトラスをやっかむ声をあったものの、表立ってそれを口にするものは無く、静かなものであった。


 勇者部の名が広がると共に、ヴェレイラとハロルシアンの移籍も次第に認知されていき、四門、中央、新聞部に次ぐ七つ目の新勢力として認識されつつあった。


 魔闘会の翌月に待ち構える四大行事の一角――魔法試験。


 生徒にとっては、一年間の座学の集大成である。

 多くの生徒が大図書館や食堂で、その知識に追い込みをかける。

 一部の生徒は、ノイローゼになり医務室に駆け込むほどであった。

 また、別の一部の生徒は、試験の手ごたえから、試験後に早くも補修を悟り、真っ白に燃え尽きた者の姿も見受けられた。


 魔法試験の翌月には、一年で最後の四大行事である舞踏祭。

 無事に魔法試験を乗り切った生徒たちは、異性との一大行事にロマンスに今年も心を震わせた。


 今年も多くの者が勇気を振り絞る。

 その勇気に報われたものと、残念ながら報われなかったものがいた。


 シトラスの身近なところでも、思いを通じ合うことができた者たちがいた。


 そして、その翌月。

 最上級生にとっては、学園生活最後となる最後の一ヶ月。


 魔法試験の成績発表と、終業式。


 成績発表では快哉を上げる者と、悲鳴を上げる者。

 この二つに別れる学園の初夏の風物詩。


 シトラスは、メアリーと共に、今年もギリギリ低空飛行でなんとか補修は免れることができた。


 今年も無事、シトラスは快哉を上げることができたのであった。

「落第回避ぃぃぃいいいーーッ!!」


 成績表を受理したその日は、授業を終え、寮の談話室に戻ってくると、シトラスは小躍りしながら、メアリーとハイタッチを交わす一幕があった。


 ミュールは学年が上がるごとに、座学の成績も向上し、今や補修とは無縁となりつつあった。

 シトラスが、年々難しくなる座学で、低空飛行を保てているのは、彼を始めとする周囲の献身的なサポートによるところが大きい。


 それを見た一部の人間は、"七光ななひかり"と彼を嘲笑した。


 しかし、人を頼ることができること。

 人から助けて貰えること。

 それも目には見えない立派な能力である。


 人に助けたい、この人と一緒にいたいと思わせること。


 ――人はそれを人徳と呼ぶ。



 すっかり暖かくなった季節。

 温かいを通り越して、暑いと感じる日も増えてきたこの季節。

 

 カーヴェア学園の大講堂では、一年を締めくくる終業式が行われていた。

 終業式後は、カーヴェア学園は二ヵ月間の夏季休暇に入る。

 生徒の大多数の心は、成績発表を乗り越えてから、一足先に夏休みに入っていた。


 しかし、卒業生と彼らに近しいものにとっては、別れの季節でもある。

 惜別から、式典の最中に、既に涙を流している生徒もいた。


 学生という身分。

 五年という限られた時間で得られた、かけがえのない友。


 カーヴェア学園の生徒は卒業後、軍役に進む。

 その後は、それぞれの家業を継ぐ。

 家業を継げない者は、一旗揚げるか、騎士として兄弟姉妹、もしくは他領に仕える道を選ぶ。

 そのまま、軍に残る人間も少なくはない。


 しかし、いずれにせよ。

 友と気軽に語らう時間は、もう戻ってはこない。


 泣いている者だけが知っていた。


 シンデレラに掛けられた魔法は溶けたのだ。


 いつからか、隣にいるのが当たり前で。

 励まし合い、笑い合い、競い合い、時には争い合い。

 悲しみは半分に。喜びは二倍に。


 式典は表彰式へと進む。


 壇上に立つ学園長のネクタルが、魔法によって拡声された声で、今年度の成績上位十名を十位から順に読み上げていく。


 例年に違わず、名前が呼ばれる度に、当該生徒が立ち上がる。

 その度に大講堂は歓声や拍手が沸き起こった。


 今年卒業する世代は、近年稀にみる粒ぞろいで、”黄金の世代”とも謳われるほどであった。


 ベルガモット、ヴェレイラ、リゼ、ドージュ、アンリエッタ、マリアチ、カミノと七席全員が同世代であり、他にもハロルシアンなど実力者が控えている。

 エイトもまた、碌に後ろ盾を持たないながらに、輝石の色を黄色まで進めたことから、市井の星、などと呼ばれて評価されていた。


 そして、その"黄金の世代"の最終学年の総合成績はと言うと、

『第一位! 五年生……ベルガモット・ロックアイスッ!!』


 大講堂は、万雷の拍手に包まれた。


 出身も派閥も関係ない。

 文句の出ようがない選出であった。


 ヴェレイラを除けば、実力面で彼女に唯一伍することのでき、家格では彼女に勝る、四門のサウザが昨年度で卒業したことにより、不満の声が上がりようもなかった。


 ただただ、彼女の偉業を称える生徒、そして教師一同。


 拍手と歓声、そして指笛が飛び交う。


 長年学園で教鞭をとる教師たちにとっても偉業の数々である。 


 対抗魔戦五連覇。

 同時優勝を含む魔闘会四連覇。

 そして、総合成績四連覇。


 他にも細々とした彼女の伝説を上げると、枚挙にいとまがない。


 当の本人は、例年と変わらず、は表情を崩さない。

 ただ壇上、そして周囲に一礼するだけであった。


 それが終わると、彼女はスッと腰を下ろす。


 四連覇という偉業であっても、彼女にとっては『同大会で四回連続優勝』。

 それ以上の意味はなかった。


 ちなみにベルガモットの偉業の陰で、ヴェレイラも総合成績二位に名を連ねており、今年で入学から五年連続で総合成績表彰者ということになる。


 これも例年であれば、十分に偉業と言えるのだが、同じく五年連続かつ、内容でヴェレイラを上回るベルガモットの影響で、それほど注目を浴びることはなかった。


 前年卒業したサウザも、これに該当したことから、学園はこの偉業について、少し麻痺していた。

 後世で、ベルガモットの学生時代の成績を調べる者がいれば、合わせてその相棒の少女の凄さが認知されることになるだろう。


 割れんばかりの拍手の中で表彰式が、終業式が、そして、終業式が終わった。


 式典が終わると、シトラスはミュールとメアリーと共に中庭に足を運んでいた。

 式典が終わった瞬間から夏季休暇である。


 その足取りは軽い。


 シトラスたちが中庭に来てしばらくすると、二つの影が訪れた。

「シト、大事ないか?」

「お待たせシト」


 ベルガモットとヴェレイラである。

 二人はこの後、王城で国王に謁見して、そのまま王家主催のパーティに参加する予定となっていた。


 挨拶を交わした後で、シトラスが総合成績を褒めると、それに喜色の表情を浮かべる二人。

 ベルガモットにいたっては、大講堂で表彰された時には見せなかった感情である。 


 しかし、話題が卒業に移ると、

「これでまたしばらくシトと会えなくなる。寂しくなるな……」

「卒業すると、部活動も参加できなくなるからね。私も寂しい……」


 卒業後は、軍役が義務付けられている王国。


 正式に軍役の赴任地が決まるまでは、卒業生は学園城に留まるか、自領に戻るかに別れる。

 多くの生徒は、五年ぶりとなる自領を選ぶことが多い。

 五年にも及ぶ積もる話を、家族と分かち合うのである。


「ぼくも寂しくなるよ、姉上、レイラ……。今年の夏季休暇は二人のための時間を作るね」

「――約束だぞ?」

 キラリと光るベルガモットの視線。


 盛大な別れを演出しているベルガモットであるが、ヴェレイラは知っていた。

 ベルガモットは、二年後にシトラスが軍役に着く際は、何が何でも彼を彼女の配属先に誘致するであろうことを。

 身内同士で配属先が重複することは珍しくない話である。

 特に力のある者には、常に選択する権利が与えられていた。


「私もね」


 ベルガモットは知っていた。

 ヴェレイラが、二年後に控えるシトラス配属先誘致プランの最大の障害になるであろうことを。

 身内同士の配属先が重複することは珍しくないが、希望したにも拘わらず、重複しないことも珍しくないことを。

 彼女もまた、力ある者であるということを。


「――そうだシト。これをお前に上げるよ」

 そう言ってベルガモットが懐から取り出したものは、細工のついたネックレス。


 そのネックレスはあざやかな黄橙色。

 そしてネックレスには繋がれているのは、緑色透明に輝く宝玉ペリドットの埋め込まれたオーブの装飾品。


 緻密で精巧に作られた細工は、触ると簡単に壊れてしまいが、その見た目に反して、特殊な製法でつくられたそれはかなりの耐久性を誇る。


 両手で受け取ったそれを持ち上げて眺めると、

「……きれい」

 と言葉を漏らす。


 喜ぶシトラスの様子に、ベルガモットは満足そうに頷く。


 しかし、ここに若干一名。

 ベルガモットがシトラスへ渡した品の、その価値を理解できた者がいた。


「……そ、それって」

 ミュールは震える指で、シトラスの手にしたそれを指さす。


 ベルガモットは何て事はないとばかりに、

「魔闘会連覇の褒章に、国王陛下から頂いたオリハルコン製の一品だ。私には不要だ。何かの足しにするといい」

 そう言って、鼻を鳴らして挑発するようにヴェレイラに視線を向ける。


 一品は一品でも売れば、どんなに安く見積もっても、王都に豪邸が立つほどの逸品である。

 シトラスが無邪気に眺める手にしたそれは、平均的な下級臣民の家庭であれば、それを売ったお金で、一生働かずに苦も無く人生を終えられる程の価値があった。


 ぐぬぬぬ、と悔しそうな表情を見せるヴェレイラ。

 ふふーん、と勝ち誇った表情を見せるベルガモット。


 静かに火花を散らす二人の背後で、ミュールが自身の肩を抱いて震えていた。


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