四十七話 下馬評と密会と


 勇者部が初めて挑んだ地下世界のクエストは、結果として失敗に終わった。


 ジェーンをイクストゥーラの下に預けて以後も、勇者部は調査を続けた。

 最終的に最低拘束期間である一週間の調査を終えた後に報告書をまとめ、魔法協会エッタ支部ギルドへ提出した。


 もちろん報酬はゼロである。


 調査の間にも、シトラスは毎日のようにお忍びでジェーンに会いに足を運んでいた。


 なぜお忍びかと言うと、リオン曰く、

「兄者にばれると面倒臭いことになる」

 とのことであった。


 エッタにおける権力者の一人であるリオンと肩を並べる兄者、ことオルド。

 オルドは双子の弟であるリオン評によると、地下世界で最も厳格な者、であった。


 言葉が分からないジェーンに対して、リオンが教育を買って出た。

 シトラスも短期間とは言え、預けた身としての責任を感じて、一緒に勉強を教える日もあった。


 勇者部の理解とリオンの手引きもあり、クエスト四日目以降は、イクストゥーラとジェーンとご飯を食べたり、勉強したり、お昼寝したりと、クエストをそっちのけで日中をシトラスは神殿宮で過ごすのであった。


 一週間という期間は、川の流れのように、振り返る間もなくするりと流れた。


 勇者部が地上に帰ることを、ジェーンが正しく理解しているのか曖昧だが、彼女に別れを告げて、シトラスは地下世界を後にした。



 一週間ぶりのカーヴェア学園は、終わったばかりの対抗魔戦の話題で持ち切りであった。


 勇者部の予想通り、ベルガモットとヴェレイラのコンビの優勝。

 これで彼女たちのコンビは前人未踏の、そして不朽不滅の五連覇という偉業達成である。


 学園新聞部もこれを大々的に取り上げていた。

 学園新聞からその戦いぶりを勇者部は知ることができた。


 その内容には乾いた笑みしか出てこなかった。


 その新聞後記には、『翌月に迫る魔闘会を見逃すな!』という煽り文句と共に、予想や展望が期待値込みで書かれてあった。

 そこには、次の魔闘会が過去最高の来賓客数を誇るであろうことにも触れられておいた。

 学生新聞は参加を志す者たちの闘志をいっそう駆り立てた。


 学園新聞を広げながら、ミュールがシトラスに問いかける。

「なーんか。俺たちかなりヘイトを買いそうじゃないか?」


 今回の学園新聞には、出場者予想コラムまで掲載されていた。

 順当に総合成績、魔法倶楽部の実力を加味して、選出される名前に上がる勇者部の所属メンバーは、ヴェレイラぐらいなものである。


 しかし、ヴェレイラも勇者部としては全く知られていない。

 いまだに多くの生徒は、彼女が東のイストに所属していると思っている。

 特に今回の対抗魔戦に、彼女は東のイストの大幹部であるベルガモットと出場したのでなおさらである。


 シトラスは、自身のベッドの上に腰かけるメアリーの髪を梳いていた。

「そう? なんで?」


 他人の評価を気にしないシトラスは、ミュールが読み聞かせした新聞部の内容にも、薄い反応しか示さなかった。

 彼にとって、外野からの評価というものは大事ではない。

 こういう所で、やはりシトラスも上級臣民であった。

 真の意味で、市井の人々の気持ちは分からないのである。


 メアリーは気持ち良さそうに目を細めて、その身をシトラスに預けていた。


「いや、こんだけ新聞部が煽り散らかすと、やっぱ政治的な駆け引きで手に入れた出場権は、少し後ろめたいというか何というか……」


 この日のミュールの憂いは、的中することとなる。



 光陰矢の如し。

 シトラスが地下世界のクエストを終えて、学園生活に復帰してから、早くもひと月が流れた。


 冬が去り、春の木漏れ日を浴びて、サクラの蕾が実を結び始める季節。


 この一ヶ月の間に魔闘会への出場者が正式に告知され、三十二名の選ばれた出場者たちは、その牙に最後の磨きをかけていた。

 例年に盛れず、今年も最上級生が魔闘会に掛ける思いは一入ひとしおである。


 迎えた魔闘会当日、曇天の魔法闘技場。


 魔闘会三連覇中で、今年が最終学年であるベルガモットの伝説を一目見ようと、王国中の上級臣民が応募したとも言われる来賓席。


 一般の観客席とは一線を画した上階に位置する来賓席。

 その規模は、昨年に続き、急ピッチで拡張されていた。


 来賓席には来年以上に人が詰めかけていた。

 誰もが隣に座る他の来賓客と、これから始まる魔闘会について談笑を繰り広げていた。


 今年の来賓席は、下級臣民の年収とも噂されるほどの高値がついていた。

 それを惜しげもなく払う王国きっての富裕層たち。

 彼らは、上級臣民の中でも上澄みである。


 その富裕層の中で、少し居心地が悪そうに座る一人の男。


 来賓席最前列の角席。

 誰もが羨む席の一角に座るのは――キノット・ロックアイス。

 話題のベルガモットの父親であり、シトラスの父親でもある。

 ベルガモットの偉業を賞して、来賓席をネクタルより無償で提供され、来賓客として初めてこの場に参加していた。


 上級臣民としての地位をギリギリ有する程度の力しか有しない彼にとって、周囲の高位貴族へは声を掛けるのも畏れ多かった。


 その隣には、ベルガモットとシトラスの母親であるダンシィの姿もある。

 こういうときの女性の適応能力は逞しい。

 緊張に固まる旦那を横に、彼女は隣に座る学園長のネクタルと談笑していた。

 時折、周囲の来賓客を会話に巻き込み、彼女はこの場を大いに楽しんでいた。


 魔闘会運営を務める教員の一人が、準備が整ったことをネクタルに耳打ちすると、

「――じゃあ、はじめようか」


 そう小さく呟いて、ネクタルは腰を上げた。

 跳ねるように椅子から降りて、地に足をつける。


 童の容姿を持つネクタルは、座席から降りても、その高さはそう変わらない。


 しかし、それを侮る者などいない。

 王国中の才能が集まるカーヴェア学園。

 王族や上級臣民も在籍する学園を長年に渡り統べてきた実力は伊達ではない。

 年齢不詳の大魔法使い、ネクタル。


 ネクタルは一度振り返って、来賓席に座る面々を見渡す。

 そのほとんどの者が、これから始まる催しに対する期待を隠せないでいた。


 それに満足そうに頷く。

 再び正面に向き直ったかと思うと、その姿が忽然と消えた。


『もしかしたら……。今日この日は伝説になるのかもしれない。もしかしたら、今日この日から伝説が始まるのかも知れない』


 キノットが階下の闘技ステージを見下ろすと、いつの間にかステージ中央にはネクタルの姿。


 拡声魔法で、今やその声は闘技場中に響いていた。


 幼い声音は変わらないが、いつもよりしっとりとしたトーンでネクタルが開会宣言を行う。


『それをみんなで見届けようじゃないか。カーヴェア学園学園長ネクタルが、魔闘会の開催をここに宣言する』


 観客席の生徒たちから爆ぜるような歓声と、どこからか音楽が流れてきた音楽が闘技場を満たす。


 キノットが、このどこか懐かしいお祭り騒ぎで感傷に浸っていると、

「――久しぶりでしょ?」

 姿を消した時同様に、いつの間にか来賓席に戻ってきたネクタルに声を掛けられる。


「は、はい」

「そんなに硬くならないで。緊張されるとネクちゃん悲しい、しくしく」

「そうよあなた。あの子たちの晴れ姿を楽しみましょう」


 隣に座るダンシィに覗き込むように声を掛けられてキノットは、それもそうか、と気を取り直して、再び階下を見下ろす。


 今回の実況と解説の紹介を終えて、これから一回戦を飾る生徒が、闘技ステージへと入場してくるところであった。

 観客席の生徒たちがそれぞれ応援する生徒に熱い声援を送っているのが、階上からは良く見える。 


 今年の一回戦の出場者選手の一人は、ヴェレイラ。


 彼女は危なげなく相手を鎮めると、歓声に包まれながら、闘技場ステージを後にした。


「レイラも大きくなったな……――精神的に」

 キノットが階下の彼女の背を見送りながら、そっと言葉を紡いだ。


 成熟したその体は、実力面以外でも観客席の視線を惹きつけていた。

 

「そうね、彼女の母のタヒチにも見せてあげたいわね」

「学園を卒業したら、軍役の前に領地に帰る機会があるからね。きっと彼女も驚くだろうね。あの人見知りだった子がここまで大きくなるなんて……――精神的に」

 再び付け足す言葉。

 それを聞いて、隣の席に座るネクタルとダンシィは、口を抑えてクスクス笑う。


 次々と進む試合。


 歓声と熱気が闘技場を包む。

 本気になるのは何も選手だけではない。


 本気で応援する観客もいる。


 家族、恋人、友人。自分にとって本気で大切な人が、本気で向き合っている大舞台。

 普段の優雅さに唾を飛ばし、立ち上がって叫ぶ。


 耀き続けろステイ・ゴールド


 勝敗者ともに送られる拍手。


 しかし、シトラスの名前が実況に呼ばれた時、場内の空気がこれまでとは変わる。


 最初に起きたのはざわめき。

 次いで、野次。


 セントラルの生徒を発端とした野次は、実績不足にも関わらず、晴れ舞台に立ったことに対する抗議であった。


 事実、シトラス個人にはこれまでに目立った成績はなかった。

 唯一、昨年度の対抗魔戦でメアリーとコンビを組んで、本選一回戦を突破したことが名誉ではあるが、それも、実質メアリーの力によることが多い。


 学園新聞部も正式に出場者が発表してから、学園新聞の続報を発行した際に、シトラスについては、その専攻に疑問を呈する記事を書いていた。


 そして、それを境にある噂が学園で流れ始めたのだ

 特に三年生に進級してからは、勇者部を創設し、課外活動に専念していたため、その噂に拍車をかけた。


 その噂とは、姉の威光で出場しているということ。


 シトラスが友人と共にイストを退部して、魔法俱楽部を作り上げたことに対して、報復どころか彼らに味方するように他の俱楽部を牽制するイストの姿は、異質であった。

 事実、この件に関しては、完全に実質的に部を牛耳るベルガモットの私情であった。


 今回の出場は、勇者部の課外活動を発端とする政治的な結果である。

 しかし、当事者たち以外にそれを知る由はない。


 噂と事実が交錯した結果、勇者部は彼らの知らぬうちに学園内で顰蹙を買うことになった。

 ここにミュールの嫌な予感は的中した。


 次第に、その野次は真綿に落とされた血のように、次第に闘技場に大きく広がっていく。


 事情を知らない来賓客たちは、観客席の反応に対して顔を見合わせた。

 来賓席では母であるダンシィのみが、今にも立ち上がりそうな勢いで、階下のシトラスに対して、興奮気味に手を振っていた。


 シトラスもダンシィの存在に気がついたようで、ステージ上から来賓席を見上げると、手を振ってこれに応えた。


 そして、肝心のシトラスの試合結果はと言うと、敗北の二文字。


 シトラスの初戦の対戦相手は、今年度から七席に名を連ねているマリアチ・ロスアルトス。

 昨年度の対抗魔戦で、ミュールとブルーのコンビに惜敗を喫した北の一門の一角である。


 その胸に光るのは、学園で七名にのみ許された赤の輝石。


 主人足るサウザ卒業後も研鑽を怠らず、彼は相棒であるカミノ・ハリスコスと共に、今年度から七席の名に連ねていた。

 七席に名を連ね、自信と責任を背負い、心身ともに漲った彼らもまた、間違いなく昨年度より強くなっていた。


 相手が七席とは言えど、敗北は敗北。


 観客席は勝者に対して、これまでの試合のように暖かい拍手を送った。

 それと同時に、敗者のシトラスに対しては、これまでになかった侮蔑や嘲りの視線や言葉を送る者がいた。


 来賓席の手前、度を過ぎた非難には運営委員の教師たちが注意勧告、時には制裁を行うも、その数が追い付かないほどであった。


「――私、シトのところに行ってくるッ!」

 という言葉を残して、引き留める間もなくダンシィは来賓席を後にした。


「……やれやれ。すみません学園長」

「いやいや、謝らないといけないのはこちらの方だよ。招待しておきながら、我が子が衆目でブーイングに晒されるなんて。ぼくからも先生たちに教育についてきつく・・・言っておくよ」

 ネクタルは困り顔で隣に座るキノットへと謝罪をする。

 きつく、という彼の言葉を耳にした何人かはその身を小さく震わした。


 普段怒らない者を怒らせてはならないのは世の常である。


「あ、ははは。ありがとうございます……私は、ちょっと妻を探してきます」

 乾いた笑い声の後にそう言うと、キノットも席を立ちあがる。


「案内をつけようか?」

 というネクタルの提案に対して、キノットは顔の前で手を振ると、

「大丈夫ですよ。母校なんで」

「……そう、わかった。気をつけてね・・・・・・


 ネクタルの言葉に、キノットは不可解そうに眉を一瞬だけ寄せた。


 ネクタルは次の出場者に視線を移していた。

 キノットも追及することなく、一例をした後に、来賓席を後にするのであった。



 魔法闘技場を後にしたキノットは、学園校舎の一角にある大図書館の前にいた。


 窓に視線を送ると、今も試合に盛り上がっているであろう闘技場が視界に入る。


 ダンシィを探すというのは方便であった。

 キノットは魔闘会が始まってから、来賓席から怪しまれずに席を外す機会を伺っていたのだ。


 一つ深呼吸を置くと、開け放たれた大図書館の扉をくぐる。


 学園における四大行事で、最も注目度の高い魔闘会。

 娯楽に飢えた学園の生徒たちが、そのイベントを見逃すはずもない。

 大図書館には一人として生徒の姿はなかった。


 普段は館内中央で眼を光らせている司書の姿すらなかった。


 館内に足を踏み入れると、蔵書の独特な匂いが嗅覚を刺激する。

 聴覚は無音に支配され、無音が嗅覚をくすぐるその匂いを際立たせる。


 館内を歩きながら目を閉じ、どこか懐かしくも感じる館内の匂いを感じていると、

「――よく来ましたね」


 少し嗄れた声が館内に静かに響いた。


 定期的に通信魔法具を通じて聞いていた声。

 しかし、実際に肉声で聞くのはいつぶりのことだろうか。

 キノットの顔に喜色が宿る。


 キノットの視線の先には、椅子に腰かけてたまま、視線を送る一人の男性の姿。

 歩行杖を地面に立てて、両手でその持ち手を握っている。

 中年を越え、初老に差し掛かったほどの容姿。

 その色味の暗い赤紫髪の艶は失われて久しく、老人特有の白髪が目立っていた。

 ただその碧眼を細めて、キノットの来訪を歓迎していた。


 一礼してキノットは、

「ご無沙汰しておりますジキル先生。お加減は大丈夫ですか? お声がだいぶ、その……」

 言いずらそうに男性の声に言及すると、

「ご心配ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ。ちょうどご連絡を頂いたあたりに患った風邪が、これがどうにも質の悪いものだったみたいで、いやはや、研究にかまけて体調管理を怠ったら、この様ですよ」


 ジキルは一つ咳を入れる。

 一言断った後に、懐から取り出したスキットをあおり、その口元を拭った。


 それを見ていたキノットが心配そうに、

「先生ももういい年なのでご自愛下さい」

 と言うと、ジキルはニヤリと笑い、

「なに……。まだまだ若い者には負けませんよ。貴方も体調には気をつけて、と貴方には素敵な奥方がいらっしゃいましたね。とびきり気立ての良い。いらぬお世話でしたか」


 茶目っ気を利かして、ウィンクする好々爺は椅子から立ち上がると、

「ここは秘め事を話すのには向いてはいませんね。魔闘会中とは言え、いつ人が来るやもしれませんので……昔の伝手を使って、空き教室を借りることできましたので、そちらを使いましょうか」

 ジキルがローブの左側を広げると、その内側には鍵がぶら下がっていた。


 それを見て、目を見張ってキノットが讃する。

「さすがジキル先生。だてに半世紀近く、学園の教職を務めてたただけありますね」


「ふふふ、ありがとうございます。ですが、私はもう"先生"ではありませんよ」

「そうでした。通信でも何回も言われてましたね。ですが、教え子にとって先生は"先生"なのですよ」


 二人は他愛ない会話をしながら、大図書館を後にする。


 目的の部屋に向かって歩みを進める二人。


 その途中の廊下で、正面からいささか薄くなった赤茶色の髪の中肉中背の中年男性とすれ違う。


 キノットは、その黄色の瞳が、すれ違う自分たちを捉えた気がした。

 会釈してすれ違った後に、その男性を振り返る。

 そのくたびれた背中はやや猫背気味で、覇気に欠けていた。


 ジキルが、キノットを呼ぶ声に気を取り直し、再びその足を目的の教室へと進める。


 すれ違った男性が見えなくなると、廊下には彼ら以外に人っ子一人いなかった。


「――それより良かったのですか? 娘さんの試合をご覧にならなくて?」

「決勝戦は見ようと思います。まだ一回戦が始まったばかりですので、決勝戦までは当分時間がありますから大丈夫ですよ」


 ジキルはキノットの反応に目を細めると、

「娘さんを信頼しておられるのですね」

 小さく何度も首を縦に動かす。


 キノットは隣で頷くジキルに、

「信頼、というか……。ベルが……あの子が負ける姿が、想像つかないんですよね……って、すみません。これは身内贔屓が過ぎました」


 後頭部を掻くキノットに、鷹揚に微笑むジキルは、

「いえいえ、構いませんよ」


「弟の方は一回戦で負けてしまったことは残念ですが――」

「息子さんがいらっしゃったのですか?」

 ジキルは少し驚いた様子を見せる。


「あれ? ジキル先生にはお伝えしたことありませんでしたか?」


 何かを思い出すように首を傾げるジキルであったが、思い当たる節がないようで、小さく首を振ると、苦笑いを零す。

「……たぶん、初耳だと思います。なにせ、私たちが口を開けば、やれ歴史や文献だ、という話ばかりでしたから」

 これにはキノットも苦笑いを浮かべ、

「確かにそうでしたね。……そう考えると、私はあまりいい父親ではないのかもしれません。ですが、我が家では、彼女が私の分まで子どもを愛してくれていますよ」

 と笑うと、満足そうに隣のジキルも笑みを零すのであった。


 そうこうしているうちに、目的の教室までたどり着いた二人。

 二人が大図書館を出てから、覇気のない中年男性とすれ違った他は、誰に会うことも、見かけることもなかった。


 ジキルが教室の鍵を開け、部屋に入ると部屋の内鍵を閉める。


「念のため――」

 と言い、ジキルが手にした歩行杖を、入口に向かって右手で振るう。

 呪文を唱えると、杖の先からほのかな光が出る。


 光はそのまま教室の扉の一面へぶつかると、吸い込まれていった。


「盗聴防止ですね。確かに、万が一にでも誰かに聞かれたら、事ですもんね」

 というキノットの言葉に、ジキルは唸り声と共に大きく頷いた。


 そして、振り返ると、

「さて、話を始めましょうか。あの本について――いや、この国の歴史について――」


 これまでとは違ったジキルの真剣な眼差しに、キノットも神妙な面持ちで頷き返すのであった。



 キノットが学園の一室で秘め事を進めている間にも、魔闘会は進む。


 一試合は平均すると、十五分前後である。


 一年間の集大成を見せるには、あまりにも短い十五分。

 その限られた時間で、死力を尽くす出場者たち。

 そして、それを出場者に勝るとも劣らない熱量で支える仲間たち。


 勇者部以前よりその名前が知られていた、ヴェレイラとハロルシアンを除き、勇者部は一回戦から観客たちのブーイングを浴びることになった。


 ヴェレイラとハロルシアンは古巣の東と中央の関係者から、暖かい声援をもらっていた。

 そのため、学園事情に精通していない来賓客で、二人が魔法俱楽部を移籍したことを知らない者も多くいた。


 一回戦の結果としては、シトラスを除き、全員が初戦を突破。

 ヴェレイラとハロルシアン以外の勇者部の選手の出場時には、実況から勇者部について触れられることも多々あった。

 そのため、勇者部への認知度は一回戦が終わる頃には瞬く間に広がった。


 勇者部の部長シトラスはと言うと、控え室で彼を案じる仲間の心配をよそに、元気に来賓席にいた。

 救護室に駆けつけたダンシィが、治療の終わったシトラスを来賓席まで連れてきたのだ。


 ちょうどキノットが離席していたこともあって、彼の座っていた席に、ネクタルとダンシィの間の席に腰かけると、

「やぁ、シトラス。勇者部の承認以来だね。調子はどう?」


 来賓席に一生徒が来たというにも関わらず、ネクタルは動じない。

 その視線は横目でチラリと一度動いた後に、再度階下の試合に視線を戻る。


 万が一に備えて、来賓席の警護に当たっている運営委員の教師たちが、シトラスに注意を促そうとした矢先に、学園長であるネクタルがその存在を認めたため、教師たちは何とも言えない表情を浮かべながら、それぞれの持ち場に戻っていた。


「負けちゃったけど、後悔はないよ。今年も楽しかったよ」


 その言葉にネクタルは、

「そうかい。それは良かった」

 視線は階下の試合を眺めつつも、その顔には温かい笑みが浮かぶ。


 童の容姿を持つ彼だが、その顔は間違いなく教え子に対する教職のそれであった。


 シトラスが笑みを浮かべるネクタルに

「学園長は?」

 と聞き返すと、少し驚いた様子を見せるネクタルは、

「僕? 僕の調子は最高だよ。毎年この日は楽しみなんだ」


 ひときわ大きな歓声が闘技場に上がった。


 試合が決着を迎えたようだ。

 ステージ上の二人の出場者が、一人に変わった。


 魔闘会一回戦、第十六試合の勝者は――


「さすがだね。君の姉君は」


 ――ベルガモット・ロックアイス。


 不世出が怪物がそこにはいた。


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