四十六話 名付けと預けと


 地下都市エッタにある魔法協会支部から、大々的な依頼として発せられた、新種の魔物の調査というクエスト。


 カーヴェア学園の対抗魔戦と重なる日程で行われたクエスト。

 勇者部にとっては初クエストということもあって、対抗魔戦に出場するヴェレイラ以外の、シトラス、ミュール、メアリー、ブルー、エイト、ハロルシアンの六人はクエストに参加していた。


 二日間の調査で、調査対象の魔物が人の形を取っている仮説を立てた勇者部。


 しかし、目撃情報と被害情報が確認できた範囲内で、まだいずれの情報も出ていない地域にあたりを付け、調査に乗り出した三日目。


 その地域には、有事に備えて簡易的な砦が存在していた。

 砦には地下都市から兵士が派遣されていた。


 勇者部が砦の兵士へ聞き込みに向かおうとした矢先。

 砦が何者かに襲撃を受けて炎上。


 勇者部が救助に駆け付けた先では、先に聞き込みに訪れていた冒険者もろとも、砦の兵士は皆殺しの憂き目にあっていた。


 火の手のあがる砦で、情報収集に努めるが、突風に煽られ火の手がその勢いを増すと。


 これを避けるために勇者部は砦の裏手に避難した。


 砦の裏手で今後の方針を話し合う一行。


 その話し合いを遮るように、砦のすぐ裏の森で魔物の争う声と飛び立つ音が響いた。


 勇者部が急ぎ発信源へ向かうと、そこにいたのは一人の年端もいかない少女。


 シトラスが謎の少女を宥めすかし、身寄りのない彼女を都市部に連れて帰ることに決めた。

 しかし、彼女には都市部を出入りする際に必要となる認識票を持っていなかった。


 頭を悩ませる勇者部一行であったが、そこでハロルシアンが一計を案じて――。



 時刻は夕暮れ時と呼ぶにはまだ少し早い時間。


 勇者部は、都市内部の宿の一室に無事帰ってきていた。

 宿で借りている男子三人の部屋には、クエストに参加した勇者部六人と、新たに小さな一人の姿があった。


「――にしても、こんなにうまく検問を騙せるとはな。逆に不安になるぜ」

 チラリと、部屋の入口の壁に立つハロルシアンに視線を送るエイトだが、

「とっておきだからね~」

 それをハロルシアンはニコニコと笑って受け流した。

 相変わらず彼女のその瞳は、その長い前髪に隠れて真意を読み取らせない。


 ハロルシアンの秘策という、シトラスたちの知る魔法とはまた違った魔法のような技で、無事に検問を突破することができた。

 その秘策は、最上級生ということもあって、シトラスたち三年生より魔法について造詣の深いエイトですら、理解が及ばない現象であった。


「とりあえず、俺が砦の件を報告に行こう。エイトとハロルシアンは一緒に来てもらってもいいか? 俺だけだとちょっと分からないことが出てくるかもしれないから」

 

 肯定の意を示した二人と共に、ミュールは部屋を後にした。


 件の少女は疲れていたのか、シトラスに抱きかかえられるようにして、今はその膝の上に座って眠っている。

 おさまりが悪いのか、はたまた夢を見ているのか。

 時折身じろぎをして、その態勢を変えるが、彼女の頭はずっと彼の胸元に預けられていた。


 静寂と共に時間が流れていく。


 時折、遠くから聞こえてくる鳥類の鳴き声と、部屋の前の廊下を歩く足音だけが微かに室内に響く。


 しばらくして、

「……ちょっと、出かけてくる」

 と言う言葉と共に、ブルーが部屋を後にする。


 部屋にはシトラスと膝の上の少女、そしてメアリーが残った。


 その後も、特にこれと言って何か起きるわけでもなく、時間が流れていく。


「その子、どうするの」


 おもむろにメアリーが口を開いた。


 まどろんでいたシトラスの意識が、質問の答えと共に現実へ帰ってくる。

「んー。帰るべきところがあれば、無事に帰してあげないとね」


 シトラスの返答に少し悩んだ素振りを見せたメアリーが再度問いかける。

「……なければ?」


「どうしようか?」

 シトラスが困り顔を浮かべていると、話の当事者の手によってギュッと彼の袖が掴まれた。


 優しく微笑み、その頭をゆっくりと撫でながら、

「おはよう。よく眠れた?」

 と尋ねると、膝の上の少女は、再びシトラスの胸に顔を埋めた。


「甘えん坊さんだね。ねぇ、君の名前は?」


 シトラスが問いかけると、彼女は声に反応を見せたものの、その顔をただ見上げるばかりある。


 質問が聞き取れなかったのかと、シトラスがもう一度、ゆっくりと尋ねる。

「君のお名前を教えてくれる?」


 しかし、彼女はうー、と意味のない言葉を吐くだけである。

 再びシトラスの胸元に顔を埋めた。


「ぼくたちもこのぐらいの年頃の時って、こんな感じだったのかな?」

「私はもうちょっと喋れた」


 少しドヤ顔を見せるメアリー。

 彼女は本質的に負けず嫌いであった。


 シトラスは視線を落とすと、

「ぼくはシトラス。シ・ト・ラ・ス」

「し、ら、と、す?」

 少女はその首を傾げた。


「うーん、惜しい。シ・ト・ラ・ス」

「しと、らす?」

 再びたどたどしく言葉を返す。


「そうそう。えらいえらい」

 頭を撫でながら褒めると、

「しとらす、しとらす! シトラス!」

 少女は嬉しそうに、キャッキャとその名前を繰り返す。


 今度は隣に座るメアリーを示して、

「彼女はメアリー」

「めーいー?」


 メアリーがぶっきらぼうに口を挟む。

「メアリーよ」

「めーりー?」

「うーん、惜しい。メ・ア・リー」

「まありー、めありー! メアリー!」

 再び少女は嬉しそうに、キャッキャと彼女の名前を繰り返した。


「そうそう上手上手。君の名前は?」

 

 首を傾げる少女に、シトラスが自身を指さして、

「シトラス」

「シトラスッ!」

 可愛らしく、膝の上で元気に復唱する少女。


 次いで、シトラスはメアリーを指さして、

「メアリー」

「メアリーッ!」

 うんうん、と頭を撫でてあげると、少女は気持ち良さそうに目を細めた。


 最後に、シトラスは掌全体で少女を指さすと、

「君は?」

 首を傾げてみせた。 


 少女も自分を指さして、首を傾げて見せる。


「名前がないとちょっと不便だよね。どうしようか――」

 とシトラスが顎に手を当てて悩んでいると、

「じゃ~んッ! ただいま~!」

 勢いよく扉が開いた。


 ニコニコと笑みを浮かべた少女が入って来た。

 魔法協会支部に報告に行ったハロルシアンたちが帰ってきたのだ。


 シトラスは、ハロルシアンが口にした擬音から閃いた。


「――ジャンはちょっと男の子っぽいから、ジョアンナ、なんてどうだろう? ショートネームはジェーン。ね、君はこの名前をどう思う?」

 膝の上の少女に問いかけると、

「じぇー、ん? じぇーん、ジェーン。ジェーンッ!」


 彼女は、自身を指さして喜んだ様子を見せる。


「じゃあ、君は本名がわかるまでジェーンだね。改めてよろしくねジェーン」

「ジェーンッ! ジェーンッ!」


 楽しそうにキャッキャとしているジェーンとシトラスを見て、

「何事だ?」

 今しがた部屋に入って来たエイトが声を掛けた。


「彼女の名前を決めたんだよ。もちろん彼女の本名が分かるまでだけど。自分の名前がわからないみたいだったから……。エイトたちは何かわかった?」


 シトラスの問い掛けに、ミュールが横から口を挟む。

「シトが彼女の名前を決めた意味はあったみたいだな」

 

 それは言外に収穫がなかったことを意味していた。

 シトラスは思わず苦笑いを零す。


 シトラスが今しがた決めた彼女の名前を、支部から帰ってきた面々に紹介する。

「この子の名前はジェーン――」

「ジェーンッ!」

 名前に反応して、ジェーンが勢いよくその右手を上げた。


 そして、それに連動した彼女の後頭部。

 その後頭部に危うく顎を打ち抜かれそうになり、シトラスは咄嗟に上半身だけを器用に後ろへスウェーすることで、これを回避した。


 それを見ていたエイトとミュールから笑みが零れる。


「ジェーンは、どうやらまだ言葉がわからないみたいなんだ」

「それは、はぁ……。今から話すことには都合がいいかもしれない。少なくとも俺たちにとっては」


 どうやら彼らが仕入れてきた情報は、少なくともジェーンにとって都合のいい情報ではないようであった。


「あの砦を治めていた士官の名前だが、ハンス・ドゥ。二十年以上勤務していたらしいベテランで、砦の半壊していた部屋の持ち主は彼だったみたいだ。協会の受付嬢や、詰所の兵士たちに聞いて、この短時間でハンスについてちょっと調べてみたが、女関係では割とクソな男っていうのがわかったぜ」


 エイトの説明を肯定して、ミュールが説明を引き継いだ。

「あぁ、毎年のように認知外の子どもをこさえていたらしい。関係を持った女性が子どもを持ったらその時点で、ポイッ、だそうだ。……これまでハンスと関係を持った連中の中に調教士テイマー召喚士サモナーの素質持ちがいたとして、さらには一連の騒動がそいつらの復讐劇だったとしても、俺は驚かねーよ」


「女の敵だね~」

 ハロルシアンの笑みも、普段とは違い、冷ややかなものであった。

 

 ハンスを茶化していたミュールであったが、表情を改めてシトラスに問う。

「……シト、真面目な話。この子をどうする気だ? 俺たちはずっとここには留まれねぇ。今回のクエストの最低拘束期間である一週間が終われば、成果ゼロでも報告書をまとめて学園に戻る。そうだろ?」

「……うん。でもッ! でも、この子を一人残して帰るなんて、ぼくにはできない……」


 シトラスは沈痛な面持ちで顔を落とす。


 膝の上のジェーンは、痛ましげな表情を浮かべるシトラスを心配して、励ますように彼の頬をペチペチと叩く。


「地下都市に友達でもいればな……。そいつに預けて安心して戻れるんだが……。俺たち学園の生徒は地下世界ここには依頼で来るぐらいだからな。依頼人はいても友達はいない、よな」


 友達、その言葉がシトラスの記憶を刺激した。


 はっと何かを思い出した様子のシトラスは、

「……待って。もしかしたら、いけるかもしれない」


 目を細めて訝しむミュール。

「どういうことだ?」


 普段シトラスと行動を共にするミュールであったが、地下世界にシトラスが知人友人を持っているいるという情報を、彼は持ち合わせていなかった。


「知り合いが一人いるんだ。一緒に一夜を過ごした」


 字面以外の他意はない。


 ただ結果として意味深な言い方になったシトラスに、ミュールは激しくむせる。

 慌てた様子を見せるミュールに、シトラスは小さく首を傾げる。


 ジェーンを安心させるように、彼女の顔の輪郭に優しく手をあてがう。


「彼女がぼくの願いを聞いてくれるかわからないけど、やってみる価値はあるかもしれない」


 シトラスの膝の上でジェーンはくすぐったそうにその目を細める。


 希望を抱き始めたシトラスに、

「……大丈夫か? 身寄りのない、ましてや、言葉も覚束ない見ず知らずの少女だぞ?」

 エイトが現実的な言葉で水を差した。


「エイトは、そう言って誰かを助けることを諦めるの? 助けられるかもしれないのに、助けられないかもしれないからって理由で?」


 真顔で眼を見つめてくるシトラスに、うぐっ、とエイトは返す言葉に詰まる。


 仮にも勇者部として、今の発言はいただけなかった。

 そして、エイトはそれを自覚するだけの良識と判断能力は有していた。


 ミュールが、シトラスとエイトの間に流れる気まずい沈黙を断ち切る。

「――なら話が早い。何はともあれ、その人の下へ行ってみようか。ただ、子どもってばれると面倒になるんだっけか?」


 ミュールがハロルシアンに問いかける。

 彼女は壁にもたれ掛かりながら、肯定の意を示した。


「……今度その理由も教えてくれよな。どうする直ぐに行くか? ただもうすぐ日没であることを考えると、時間がかなり微妙だな」


 窓の外から見える空は黄昏色に染まっている。

 日没以後の外出が禁じられている地下都市で、今から外出するのは得策とは言えなかった。


「明日の朝に行こう。色々あってみんな今日は疲れただろうし」

 とシトラスが言うと、

「そうだな。先方にとってもきっとその方がいいだろう」

 ミュールがそれに追従した。


 シトラスが苦笑いを零しながら、

「結局、レイラの対抗魔戦の試合には間に合わなかったね」

 と言うと、ミュールが肩を竦めて、

「今はきっとお前の姉貴と一緒に優勝している頃だろう。帰った時にでも褒めてやれば、それで満足するだろう」


 ミュールを含めたこの部屋にいる人にとって、ベルガモットとヴェレイラのコンビの対抗魔戦の優勝は既定路線であった。


 そう言わしめるほど、彼女たちは他の生徒とは隔絶した力を有していた。



 翌日の朝。

 身綺麗にしたジェーンを引き連れて、勇者部は宿を出た。


 その行き先はシトラスしか知らない。


 シトラスはジェーンの手を引いて、集団の先頭を歩いている。

 シトラスのローブを深く被ったジェーンは、散歩が楽しいのか、彼と繋いだ手を小さく振っている。


 その二人のすぐ後ろに、メアリーとブルーが続いている。


「こっちだよ」

 時折、はぐれないようにシトラスが振り返って案内しつつ、その足を進める。


 足を進めるにつれて、徐々に増していく人混み具合。

 

「いったい誰なんだ? どこに向かっているんだ?」

 不安げに言葉を漏らしたエイトに、

「さぁ?」

 とミュールは肩を竦めて見せる。


 長い付き合いではあるが、この幼馴染のことは制御不能であり、いつも彼の想像を超えてくる。

 こういう場合は、あるがままを受け入れるしかない、というのが長い付き合いで得た教訓であった。


 二人の後ろ、最後尾を一人で歩くハロルシアンは、いつも通りのニコニコした笑みを浮かべて、後に続いている。


 しばらく歩いた勇者部は、やがて都市の一角を占める宮殿にたどり着いた。


 それは地下都市唯一の宮殿。

 人はここは神殿宮と呼ぶ。

 いささか呼称が紛らわしいが、ここは神殿ではなく宮殿である。


 石材を積み上げて作り上げられた、見上げる程に巨大な宮殿。

 等間隔で並んだ石柱は、見る者に秩序と歴史を感じさせる。


 緻密な模様の描かれた石造りの巨大な門。

 宮殿の敷地への入口である門を躊躇いもなく跨ぐシトラス。


 門番を務める衛士たちから険しい視線が送られてくる。

 その鋭い視線にもどこ吹く風である。


 シトラスの後ろに続く者たちは、周囲に多かれ少なかれ警戒した様子を見せる。

 明らかに歓迎されている雰囲気ではなかった。


 勇者部とジェーンがそのまま歩みを進めると、最後尾を歩くハロルシアンの後ろに、衛士が距離を保って追従する。


 門の先に広がっている広間を抜け、そのまま宮殿の階段を上る。


 そのまま、宮殿内部へ足を踏み入れようとするシトラスであったが、それを宮殿の入口に待機していた衛士に止められた。


 曰く、許可なき者の宮殿内部への進入は認められていない。


 瞬く間に、長物を持った十人以上の衛士に取り囲まれた。


 衛士を務めるだけあって、勇者部を取り囲む一人一人が、人並み以上の戦闘能力を有している。


 それを感じ取った面々の頬には、雫の珠が伝う。


 取り囲んだ輪の中から、一人の衛士がシトラスの前に進み出てきた。

 敵意こそ見せていないが、その重心は低く、いつで抜刀ができる姿勢であった。


「お連れの者のフードを、取っていただいてもよろしいでしょうか?」


 季節が冬とは言え、顔が隠れるほどフードを深く着込んだジェーンに、不信感を覚えた衛士の代表がシトラスにそう告げた。


 言葉こそ疑問形ではあったが、実質命令に等しい言葉の圧があった。


 その問いに対して、一瞬逡巡する素振りを見せた後に、シトラスは手を握るジェーンを見る。

 その後、振り返って背後のハロルシアンを見た。


 彼女は視線の意図をすぐさま理解して、無言でフルフルと首を左右に振った。

 

 再び正面を見据えたシトラスが、

「それは……できません」

 と言うと、衛士は躊躇うことなく腰の得物を抜剣した。


 それを合図に、周囲の衛士も手にした長物の矛先を、一斉に取り囲んだ勇者部へ向けた。


 応戦するように、それぞれの獲物を手にする勇者部。


 衛士と学生。


 手にしたものが片や鉄、片や木刀という状況。

 そして、人数差が二倍。地の利はなし。

 事実だけを並べると、戦端が開かれようとしている相手との差は絶望的である。


「もう一度言います。フードを取って下さい」

「……それはできません」


 ふぅと息を吐く衛士の代表は、一度その碧眼を閉じる。


 そして、再び開いた時には、その瞳には殺意が宿っていた。

「貴方はもしかしてまだ、自分が死なないとでも思っていませんか? 私たちには、命に代えてもこの宮殿を守る義務があります。貴方たちが学園の生徒であり、例え高貴なる血筋を持っていようが、それは私たちには関係がありません」


 シトラスは、

「……それでも、できません」

 庇う様に隣に立つジェーンを抱き寄せる。


「残念です」


 シトラスが瞬きをした――その次の瞬間に衛士の代表は、シトラスの懐にまで踏み込んでいた。


 虚をついた縮地。


 左に持った剣を自身の右肩上部に振り上げて、シトラスの左肩から右腰骨あたりまで斜めに向かって振り下ろ――


「――何をしている」


 ――されることはなかった。

 シトラスが袖を通すローブを裂き、薄皮一枚を切ったところで、その切っ先は止まっていた。


 次の瞬間には、抜刀していた衛士の代表含め、勇者部を取り囲んでいた衛士が一斉に、膝をついて顔を伏せていた。


 ブルーの耳がピンと上へ張り、尻尾が太く膨らんでみせる。

 唾を飲み込んだのはエイトかミュールか、はたまた両者か。

 ハロルシアンの顔の笑みも消し飛んでいた。


 勇者部は声が聞こえてきた宮殿内部へと視線を送る。

 視線の先、宮殿の内部は陰となっており、外部からの視認性は悪かった。


 メアリーの敵意は、最高潮に達していた。


 ただ、一人分の足音だけが聞こえてくる。


 地下世界を照らす陽が、その声の持ち主の姿を照らし出した。


 現れたのは、褐色の肌をもった外見年齢が二十代半ばの青年。

 左腕全体に刺青、左側頭部を極端に刈り上げた黒髪。

 やや左寄りに結われたおさげ。

 身に纏った麻の一枚布で作られた衣服、キトンは右肩のみ留められており、その特徴的な青年の体の左側をいっそう強調していた。


「リオン?」

 その姿を視認すると、ポツリとシトラスがその名を零した。


 すると彼のすぐ目の前で膝をついていた衛士の代表が、その身を跳ね上げさせた。

 今度こそシトラスを切り捨てようと剣を振るう。


「よせ」


 しかし、今度もその剣を振り下ろすことは叶わなかった。

 彼の必死の形相に反して、その剣は見えない力に引っ張られるかのように、振り上げた態勢で止まっていた。


 リオンの静止の言葉に、すぐさま地に膝をつき、再度頭を垂れる。

「はッ!」


 眼下のシトラスを、勇者部を品定めするようにリオンが、

「昨年ぶりかの。夏季休暇以外では訪れぬように言ったはずだが……その人数。さてはクエストだな。……なるほどなるほど。して今回は何用でここに訪れた?」

 と顎をさすりながら尋ねると、これにシトラスが、

「イクストゥーラに会いたくてッ!」

 と答えた。


「ほぅ……。彼女に……」

 目を細めるリオン。


 剣呑な光が一瞬その目に宿る。


 しかし、すぐにその光が消えると、

「いいだろう。我が特別に案内するとしよう。――お前たちは職務に戻れ」


 衛士たちにとっては、不可解なやり取りであったが、リオンの言うことは絶対である。


 疑問を挟むことなく忠実に職務を実行する彼らは、衛士であると共に優秀な兵士であった。



 勇者部が案内されたのは、宮殿内部の一室。

 

 窓はなく、部屋の隅に設置された魔法具と部屋の中央に位置する暖炉が、部屋を温かく照らし出している。


 石造りの宮殿内部は、年中を通して寒冷な気温である。


 しかし、個別の部屋で見ると、常にそうとも限らない。

 分厚い石造りの構造は、ひとたび室内を温めると、その分厚さゆえに熱を逃しづらい。

 一般的に木材の二倍とも言われる石の蓄熱能力が、温められた室内の保温に貢献していた。


 パチパチと薪の中の空気の爆ぜる音と共に、室内を温める暖炉。


 勇者部が座る机の上には、人数分の陶器の小さなカップ。

 そして、湯気の立つティーポットとミルク、砂糖の入った器。


「これ美味しいね」

「ねー」


 シトラスとジェーンが美味しそうに喉を潤す。

 他の面々は警戒した様子で、それに手を付けようとはしなかった。


 リオンは、勇者部を部屋へと覇案内すると、一度姿を消した。


 しばらくしてリオンは一人の少女を伴って再び姿を現した。

 メアリー以上に何を考えているかわからない美少女――イクストゥーラ。


 シトラスが宮殿まで足を運んだ目的の尋ね人であった。


 彼女はリオンと同じ褐色の肌。

 切れ長の緋色の瞳。

 地面に届きそうなほど長い暗い赤紫ボルドーの髪。

 見る者にどこか神秘性を感じさせる美しさの持ち主。

 この日は、前回の黒と異なり、白のワンピースだけを身に纏った軽装。

 他に何も身に纏っておらず、その足は前回出会ったとき同様に素足であった。


 シトラスは、昨年度お忍びでライラとエッタに訪れた際に、この浮世離れした美しさを持つ彼女との縁を紡いでいた。


「我は兄者の足止めに行く。一時は稼いで見せるが……。そうだな。この砂時計が下に落ちるまでには、お主たちは神殿宮を後にするとよい。……言っておくが、兄者は我ほど寛容であることを期待できないぞ?」


 リオンは机の上に小さな砂時計を置く。

 脅し文句と共に、にやりと悪戯な笑みを浮かべて、部屋を後にした。


 上座に座るイクストゥーラは、シトラスの顔を無言で見つめるだけで、部屋に入って以来その口は一向に開く様子がない。


「ええっと、久しぶりだね。イクス、元気にしてた?」


 シトラスの言葉に、無表情のままコクリと頷く。


「単刀直入に言ってお願いがあるんだけど、彼女を預かってくれない?」

 そう言って、優しい手つきでジェーンの纏うローブのフードを下ろした。


 フードの下から現れたのは、黒と見紛う深紅の髪と瞳の少女――ジェーン。


 ジェーンの容姿が晒されると、イクストゥーラは初めて反応らしい反応を見せる。

 彼女は座っていた席を降りて、ペタペタとジェーンの下へと歩み寄ったのである。


 それを黙って見守る。


 シトラスの隣に座るジェーンへと、ゆっくりと差し出された小さな手。

 自身の顔や髪を撫でるその手付きに、ジェーンはくすぐったような様子を見せる。


 ほっと胸を撫で下ろす。

 これを見る限り、二人の相性は、少なくとも悪くはなさそうである。


「どう? ぼくのお願い聞いてくれる?」


 固唾を飲んで見守る。


 一秒が、一分も一時間にも感じられる。


 緊張から誰かが唾を飲み込んだ。

 それは、誰かではなく、自分だったのかもしれない。それすらもわからない。


 ややあって、イクストゥーラはゆっくりと、だが、確かにその小さな頭を上下に一度、動かしたのであった。


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