四十五話 仮説と検証と


 魔法協会からのクエストとして請け負った『新種の魔法生物の調査』。

 

 初日の調査を終えて、夕暮れと共に宿へと帰ってきた勇者部。

 宿には男子部屋と女子部屋で二部屋取っていた。


 それも今はシトラスの立てた仮説について話し合うために、一同は男子部屋に集まっていた。


 男性陣は各々のベッドに腰かけている。

 メアリーとブルーは、シトラスを挟むようにして彼のベッドに腰かけていた。

 唯一ハロルシアンだけが、入口の扉の横に寄りかかるようにに立っている。


 シトラスの仮説とは、魔物が人の容姿を持っている、ということであった。


 そのシトラスの仮説に対して、互いに意見を述べ合う。

「――仮説が正しかった場合、とんでもないことになりそうだ」

「あぁ、最悪、戦争が起きる。いや、戦争じゃないな、起きるのは虐殺だ」

 ミュールの意見にエイトが深刻な表情で頷く。


 シトラスが疑問の表情を浮かべ、

「えっと、それはなんで?」

 二人に尋ねる。


 シトラスの質問に答える前にミュールとエイトは、チラリとシトラスの横に腰かけているブルーへ、遠慮がちに視線を送った。


 するとその視線に気がついた本人が、

「いい。私のことは気にしなくて」

 と言うので、エイトが口を開く。

「俺たち人族以外の種族が、ポトム王国内では差別されている光景を、シトラスも見聞きしたことがあると思う――」


 シトラスは頷く。


 それを確認して、エイトは言葉を続ける。

「――それでも昔は、具体的には王国が建国して間もない頃は、差別はもっと直接的で酷かったんだ。当時、獣人族を含む亜人種が王国の人間になんて呼ばれていたか知っているか? "人と同じ姿をした魔物"だ――」


 シトラスは息を呑む。


「――あぁ、酷い話だろう。その後、魔法協会が公式に、亜人種と魔物が別種であることを公表するまで、その迫害と差別は続いた。その公表までに一体どれほどの血と涙が、大地を濡らしたことか……。つまり、シトの仮説が正しかった場合、亜人種に対して、再び迫害と差別が始まる可能性を秘めているんだ」


 シトラスの隣に座るブルーがぎゅっと服の袖を掴む。

 すぐにそれに気がついたシトラスは、彼女を安心させるように、右手で彼女の左手を包み込む。


 ミュールがブルーの様子に、一度黙り込んだ後に、再度その口を開く

「……状況を整理しよう。今回の任務、新種の魔物の調査。この任務の調査対象が、人族の姿をしている可能性がある。そして、その対象は人に混ざりたがっている。この仮説が正しいとして、一番最悪なパターンは、シトの仮説が正しくて、かつ、第一発見者が亜人排斥派、純人族派に見つかること」


「だけど、どうする? 魔物が見つかるのも時間の問題じゃないか? なにせエッタで活動する冒険者がこぞって参加しているんだぞ。彼らも馬鹿じゃない。特にこと依頼に関しては本業の連中だ」


 エイトの疑問はもっともである。

 

 ミュールもそのことは理解しており、

「誰よりも先に見つけて始末する、しか。……ただこれはあくまで、シトの仮説が正しかったら、の話だ。もちろん、というかシトの仮説が間違っている可能性の方が高いわけで、これまでの話が全部俺たちの杞憂かもしれないぜ? ははは……」

 最後は場を和ませようと茶化すミュールだが、その笑い声は乾いていた。


 まだまだ不明瞭点が多いことにもかかわらず、他の面々も『人の姿をした魔物という』仮説が、不思議と腑に落ちていた。



 翌日の朝。


 シトラスたちは、都市の検問箇所に訪れていた。


 都市の外延部は、都市の内外隔てるように壁に囲われている。

 都市の建築物は壁の直前まで建物が広がっていた。

 壁の高さが建築物とそう変わりはない。

 都市内部から外部へ向かう際は、突然目の前に壁が現れたように感じる。


 都市の中心部から続く通りの先。

 都市内外を繋ぐ城門には、検問所が待ち構えている。


 そこには、長物を手に持った守衛が二名、道を挟むようにして立っていた。

 その奥には詰所と、そこに詰めている他の守衛たちの姿が目に入る。

 守衛たちはみな、フルプレートアーマーに身を包んでいた。


 勇者部が守衛に近づくと、一人の守衛が機械的に口を開く。

「認識票の提示をお願いします」

 

 詰所の横には机と、その上には立方体の魔法具が置いてあった。

 そこにはさらに別の守衛が、魔法具を守るようにして二名立っていた。


 都市を出入りする際には、毎回この魔法具に認識票を翳す必要があった。


 それぞれ認識票を取り出しながら、机の設置された魔法具に向かう。


 守衛に見守られながら、順番に魔法具に認識票を翳していく。


 全員が翳し終えると、守衛の一人が口を開く。

「それでは、お気をつけて」


 こちらも先の守衛同様に、感情の籠らない機械的な声音であった。


 ここでミュールが口を開く。

「ちょっと、聞きたいことがあるんですが」


 初めて機械的ではない感情の籠った声を返す守衛。

「……何ですか?」

 それは、あからさまに質問を面倒に思う声音であった。


 ミュールはそれを黙殺する。

 勇者部にそれを気にするものなどいない。

 若干エイトが居心地悪そうなぐらいである。


「この半年で都市の外から返ってきた人の中に、認識票をなくした人っていましたか」

「……少々お待ちください」


 そう告げると、一人の衛兵が詰所に足を運び、別の守衛と一緒に戻ってきた。

「私はこの検問所の責任者です。貴方たちの質問は、この半年で都市外部で認識票をなくした人がいたか、ですよね? その答えは、おりません」

 ミュールとエイトはその回答にホッと胸を撫で下ろす。


 勇者部は話し合いの結果、シトラスの予想が正しければ、認識票をもたない人が外部から検問所に訪れているに違いない、という仮説を立てていた。


 その人物こそ件の魔物の可能性が高い、という寸法であった。

 

 ミュールは続けて、

「ありがとうございます。ちなみに、もし外部で認識票を無くした場合はどうなるんですか? 再発行しようにも、魔法協会は都市内部にあるじゃないですか?」


「その場合は仲間の方を代理に立て、その方に魔法協会に行って手続きを進めてもらう必要があります」


 ミュールがはたと何かに気がつく。

「……もし、ソロパーティーだった場合は?」


 少し逡巡する素振りを見せた後に、責任者の守衛は口を開く。

「……それが冒険の自己責任というものです」

 直接的な回答ではないものの、その言葉から全てを察する。


 ミュールは尋ねたいことを尋ね終えたので、その肩の力を抜いた。


 責任者の者も、その空気を察して、

「質問は以上ですか?」

「はい。これで――」


 シトラスがミュールの発言を遮った。


「この半年で、他人の認識票を持って帰ってきた人がいるんじゃないかな?」


 突飛なその発想に、エイトが思わず小さく鼻で笑い、

「おい、お前またそんな――」

「驚きました。どこでそれを?」

 その声音は、シトラスに対して称賛すら含んでいた。


 ミュールとブルー、ハロルシアンは驚きに目を丸くした。

 エイトにいたっては、その口が大きく開ていていた。


 発言したシトラス本人と、話を聞いていないメアリーだけがいつも通りの様子であった。



 この日も乗合馬車を利用して移動する勇者部。

 

 幌馬車には勇者部の他に二人、冒険者と思しき人物が隅に座っている。


 幌馬車の中で膝を立てて座るミュールが顔だけ上げると、シトラスの座る方へ振り返った。

「なんかこう、複雑な気持ちだよ」


 エイトが背中の幌に持たれ掛かりながら、隣に座るミュールに視線を送る。

「そうだな。シトラスの仮説が当たって嬉しい気持ちと、当たってしまったかという悲しい気持ち。それでもまだ仮説の域だ。次の予想はなんだシトラス?」


 ミュールと対面に座るシトラス。その両脇にブルーとメアリーが寄りかかるように座っている。

 

「そうだね……。地図を貸して。――うん。ここと、こことそこと…」

 

 ミュールから投げ渡された地下都市外部の概略地図。

 発見情報のあった場所には×印が記されている。


 シトラスはその印を発見順に指でなぞる。


 両脇から顔を寄せて覗き込む両脇の少女。

 ハロルシアンが、ミュールの横から這うように移動すると、ニコニコと反対側から地図を覗き込む。


「うーん。規則性がないねー」

 シトラスが首を捻ると、左右の二人も同じ方向に捻る。


 上から覗き込むハロルシアンも

「ないね~」

 と首を傾げた。


 シトラスが顎に手を当てて、

「……相手は飛行能力があるかもしれないね。短期間で、ここまで不規則、かつ広範囲に移動していると」

「飛行能力あるって、これで魔物が人型なら、翼人種との火種になりそうな……」

 エイトは不安げに呟く。


「ありきたりではあるけど、目撃情報のあった範囲内で、まだ発生していない場所はどうだ? 他のクエスト参加者も当然いるだろうけど」

「ミュールの言うとおり、今はそうするしかないな」


 乗合馬車に揺られること数時間。


 勇者部は目星をつけていた場所近くので馬車を降りた。


 同じ考えにいたる者は多かれ少なかれいたようで、既にクエスト参加者と思しき人影がチラホラと見える。

 彼らは概ね二名から五人で徒党を組んで参加していた。

 遠目には学園の生徒と思しきローブ姿の一団も見える。


「俺が事前に得た情報だと、この辺りには小さな砦があるみたいだぜ。何か話が聞けるかもしれない」

「そうだね。話を聞きに行ってみようか」


 勇者部が砦が近くに来た時、何かが道の脇の茂みから音が聞こえきた。

 そして、その音は徐々に近づいてくる。


 立ち止まって身構えると、茂みを見つめる。


 茂みをかき分けて現れたのは――。


「なんだ坊主たち。また会ったな。俺たちの尻でも追いかけているのか?」

 初日にクエストを調査した場所で出会った四人の男たちであった。


 ははは、と先頭で笑う大斧を背負う男。

 彼も決して悪い人間ではないのだろうが、品性に欠けていた。


 後ろにいる男の仲間たちも同様である。

 長剣、弓、短剣とそれぞれの獲物を携えた彼らは、勇者部の女性陣を穴が開くほど見つめている。


 タイプの異なる目麗しい美少女であるハロルシアン、メアリー、ブルーに無遠慮に視線を寄越す。

 白髪琥珀瞳の不思議系美少女、ハロルシアン。

 赤髪赤瞳の(黙っていれば)人形系美少女、メアリー。

 琥珀髪柑橘瞳のクール系美少女、ブルー。


 三人が三人整った顔立ちをしていた。

 彼女たちのスタイルの良さはローブ越しにも伝わってくる。

 女性陣のローブを盛り上げる二つ隆起には、男たちの下卑た視線が一度は止まる。


 タイプの異なる彼女たちであるが、男たちの視線への反応もばらばらであった。


 それをニコニコと受け止めるハロルシアン。

 全く気にもめないメアリー。

 不快そうに眉を寄せて、体を男たちから背けるブルー。


 慌ててミュールが前に出ると、

「お、俺たちは先に向こうに行こうぜッ!」

 シトラスを引き連れて、彼らとは反対方向に歩き始める。


 ミュールと女性陣がそれに続いた。


 砦を通りすぎて、ブラブラと歩く。

 

 シトラスとミュールが先頭を歩く。

 行く宛てはなかった。歩みと共に、次第に遠のいていく砦。


 エイトが後ろから声を投げかける。

「この後、どうする?」


「少し時間を潰してから砦に戻ろう。そんなに大きな砦じゃないんだ。すぐに奴らも出ていくさ」

 ミュールの言葉に、この辺りでいいかな、とシトラスは道の脇にあった大きな石に腰かける。


 他の面々もその周囲に思い思いに腰かける。

 腰かけた大石はひんやりとした冷たく、シトラスは一度背筋を震わせた。


 メアリーとブルーはシトラスの両脇に座って身を寄せる。

 当初は嫉妬を抱いていたエイトも、今や見慣れた光景に何の感情も浮かんでこない。

 慣れとは怖いものだ。


 大石に持たれかかるように、地面に座ったミュールが、

「シトの仮説が正しいとして、人の姿をした魔物ってどんなんだろうな?」

 と口を開くと、シトラスに背中を合わせるように座ったハロルシアンが、

「話は通じるのかな~?」

 指を唇に当てると、思案顔を浮かべた。


 シトラスが足をブラブラと揺らしながら、口を開く。

「翼人種を魔物と間違えた可能性はないかな?」


「お前、間違っても他でそんなこと言うなよ。喧嘩になる」

 ミュールの正面であぐらをかいて座るエイトが、シトラスを見上げて釘を刺す。


 エイトが言葉を続ける。

「目撃情報と被害報告を見るとその線はなさそうだな。メリットがあまりにもなさすぎる。都市部の城壁の破壊、都市外部の牧場の破壊と飼育されて家畜の強奪。調教士テイマー召喚士サモナーの可能性は否定できないけど」


 エイトの話を聞いて、ミュールが首を傾げた。

「魔物が人の姿を持っているとして何が目的なんだろうな?」


 魔物が人間を襲う理由は、そう多くない。

 一番多い理由は、たまたま近くにいた人間を捕食対象として襲うケース。

 次に多い理由は、人間が所持してる道具、特に魔石を対象として襲うケース。

 この二つのケースが、魔物による人的被害の上位八割を占めている。


 極まれに、人間を好んで捕食するケースがある。

 このケースは極めて稀である。

 加えて、事実認定された魔物は、魔法協会から高額の懸賞金と共にクエストが掛けられるため、瞬く間に駆逐されてきた。


 シトラスが空を見上げて、ポツリと呟いた。

「襲っているんじゃないのかもね」


「……どういうことだ? 人を襲っているんじゃなかったらなんだ? 落としものでも探しに来たのか?」


 ミュールはそれを茶化すように笑う。

 自分でも面白くないとわかっていながら軽口を叩いた。


「それはわからないけど……」


 その後も、とりとめもなく意見を出し合う。

 話はやがて、地下都市の食事の話や、在学中にやっておきたいことなど、たわいない雑談へと移る。


 寒空の下で、温かい笑い声が辺りに響く。


 空の光を分厚い雲が覆い隠す。

 世界がどんよりとした薄暗いものに変わった。

 吹き抜けた一陣の風が一層冷たく感じる。


 見上げると、頭上の空の雲は厚く広く繋がっていた。

 当分は曇天が続きそうな空模様である。


 地面にあぐらをかくミュールが、体を一度震わせた。

「――っと、ちょっと曇ってきたな。昼とは言え、この時期の曇り空は冷えるな」


 エイトは座っていた地面から腰を上げ、体をほぐしながら、

「そうだな。少し冷えてきたな。なぁ、そろそろ砦へ行ってみないか? あれからだいぶ時間は過ぎたから、もうあいつらも出て行った頃だろう」


「ハロはいても気にしないけどね~」


 あははは、とシトラスの背中越しにハロルシアンが笑いかける。

 その肝っ玉にミュールとエイトが渇いた笑い声を返した。


 シトラスと女性陣も腰かけていた大石から降りる。

 各々固まっていた体をほぐす。


 そして、シトラスが先頭となって一歩踏み出したそのとき――



 ――轟音が辺りを支配した。



 大気を揺らしたかのように響き渡る破壊音。

 遅れて正面からやってきた突風に、シトラスは思わず手で顔を覆い隠した。


 体を打つような勢いのる風は、シトラス、そして彼の背後の勇者部の面々の間を吹き抜けていく。


 木々が大いに騒めく。

 小動物たちが逃げ惑う音が、そこかしこから聞こえてくる。


 シトラスが顔を覆っていた手をゆっくりと解いた。


 進行方向へ指を差して振り返った。

「砦からだッ!」

 

 シトラスが一点を指差す。

 その先は砦があった方角。

 

 耳に届くのは、鳥竜のような、されど彼らより重く力強い雄叫び。

 遠目にも膨大な魔力が収縮していく光景が、シトラスの目には映っていた。



 勇者部が駆け付けた先には、凄惨な光景が広がっていた。


 砦であったであろう瓦礫の山。

 炭化して煤けている木々。

 溶けて変形している鉄材。

 そして、飛び散っている人であった欠片・・


 砦には火の粉が舞っていた。 


 勇者部が足を踏み入れた砦内部の敷地には、ゴムを焼いたような、得も言われぬ臭いが立ち込めていた。


 ミュールが不快そうに眉根を寄せた。

 いつも笑顔を絶やさないハロルシアンも、この時ばかりはさすがに笑ってはいなかった。

 嗅覚が人より鋭敏なブルーにいたっては、涙目で鼻を抑えている。


「これはむごい……」

「生存者を探そう」


 手分けをして、生存者を見つけるために瓦礫をかき分ける。


 手分けして、慎重にことを進める。


 時折、耐久に限界が訪れた建築物や、資材が音を立てて崩壊する。


「シトの魔力視の魔眼で、生存者の魔力とか見えないのか?」

「……無理みたい。魔力の残滓が強くて、全然見分けがつかない」


 しばらく探していた勇者部だが、残念ながら生存者を見つけることはできなかった。


 火の手が回っていないものの、半壊していた士官の部屋を見つけた。

 何か手掛かりがないかと室内を物色する。

 感覚の優れたメアリーとブルーは部屋の扉の前で、いまだいるかもしれない襲撃者を警戒している。


「部屋を見る限り、魔物は急に現れたみたいだな。見ろ。報告書が今日の日付だ。どうやらこの部屋の持ち主がこれを書いている途中だったみたいだな。よほど慌てたのかインクが零れてる」

 

 ミュールがインクに濡れた報告書を捲ると、一枚の精巧な絵が出てきた。


 <念写>という脳内の映像を現実に転写する魔法で描かれた絵。


 その現実と見紛う精巧な絵には、青空の下の二人の親子と思しき姿。

 軍服ではなく、私服で笑顔を見せる壮年の男。

 その横には、柄の中で隣に立っている壮年の男とおそろいの服を着た、身の丈が半分ほどの子ども。


 絵の半分が零れたインクに浸食されていた。

 二人の顔は黒く塗りつぶされていて、その顔は窺い知れない。


 ミュールの手が、念写で描かれた絵を優しくなぞる。

「この部屋の士官とその子供、だろうか」

「たぶんそうだろう」


 ミュールとエイトは痛ましそうに顔を顰める。


 見張りを務めるブルーの声が、扉越しに聞こえる。

「シト。風のせいで火の手が強くなってきた。直ぐにでもこっちに来るかも」


 扉の近くにいたハロルシアンとシトラスが、彼女の声に反応する。

「報告書だけでも持って帰ろ~」

「そうだね。ミュール、エイト行こう。その報告書だけ持ってきてね」


 ミュールとエイトは顔を見上げせて頷く。

 ミュールが報告書を引っ掴み、二人して駆け出した。


 次第に強くなる火の手から逃れるために、砦の裏側に移動した。

 現場に残る熱と、死臭から離れたところで、この後の行動について相談する。


 ここで意見が二つに分かれて、話が紛糾した。


 第一発見者という優位性を活かして、ミュールは他のクエスト参加者に先んじて調査を優先しよう主張する。

 対して、エイトは周囲に凄惨な現場を作り出した魔物がいる可能性を考慮すると、ここは魔法協会に報告して、優位性は失うかもしれないが、撤退して身の安全性を優先すべきと主張する。


 ミュールに賛同するのは、ハロルシアン。

 エイトに賛同するのはブルー。


 メアリーは無反応である。


 最初は冷静に意見を述べていた両者だが、全く譲らない相手に次第にヒートアップしていく。


 シトラスはそれにぼんやりと耳を傾ける。


 魔力視の魔眼で何か見つけることはできないかと、目を凝らしてあたりに漂う魔力の残滓を見つめていた。


 砦をひとしきり見渡すと、今度は振り返って砦の裏手を見渡す。

 砦の裏手には、密林が広がっている。


 そして、固まった。


「ねぇ」

「――! ――!」

 ミュールとエイトは、話し合いに没頭している。

 

 シトラスは今度はエイトの袖を引いた。

「ねぇってば」

「――あぁ悪い、どうしたシトラス?」

 振り返ったエイトに、

「何か見えない? 聞こえない?」

 と尋ねるが、

「……何かって何が? 俺には何も――」

 事情が呑み込めず、怪訝な顔を浮かべる。


 次にシトラスが尋ねたのは、人族より優れた感覚を有する

「ブルーッ!」

「――うん。聞こえてる。あっち」


 名前を呼ばれた意図を汲み取り、ブルーが密林の一角を指さす――と同時に巨木の倒れる音と、地を揺るがすような生き物の雄叫びが、周囲に響き渡る。


 その声は空気を震わせた。

 勇者部一行は咄嗟に頭を覆う。


 謎の咆哮からいち早く立ち直ったシトラスが、真っ先に密林へと駆け出した。

 それにメアリーとブルーが続く。

 一拍遅れて、他の三人も彼らに追従した。


 草根をかき分けて、恐る恐る声の発信源に近づく。


 木々に身を隠し、顔だけを覗かせた先には、薙ぎ払われた木々の跡。

 へし折られた木々や、なぎ倒された木々が視界の先に広がっていた。


 目を凝らして様子を窺う。


 その視界の片隅に、小さな一つの影。


 それは、蹲る一人の子供の姿であった。

 黒と見まがう深紅の髪が見える。


 ブルーが口を開く。

「子ども? どうして?」

「絵に映っていた士官の子どもじゃないか? 砦の人が子どもだけでも逃がしたんじゃないか……。かわいそうに……」

 士官室で見つけた<念写>された絵を思い出してエイトは顔を顰めた。


 話し声に反応してか、視線の先の少女も木陰に隠れた勇者部の存在に気がついた様子である。


 勇者部の視線の先で、彼女の髪と同じ深紅の色の瞳が示すは、警戒の二文字。


 シトラスは振り返り、彼女を驚かせないように、他の勇者部にこの場で待つようにお願いすると、ゆっくりと彼女に近づいた。


 その服が汚れるのも構わずに地面に膝をつく。


 膝立ちの状態となって彼女と視線を合わせて、安心させるように微笑む。

 視線の先の少女の警戒の色が薄れるのがわかった。


 そのまま、膝立ちの状態でゆっくりとさらに距離を詰める。


 同じ視線で微笑みながらゆっくりと近づくと、彼女をゆっくりと優しく抱きしめた。


 安心させるように、その頭を優しく何度も撫でる。

「大丈夫。大丈夫、ぼくたちは君の味方だよ」


 彼女の頭を離すし、懐からハンカチを取り出すと、優しく顔の汚れを拭ってあげる。

「よしよし、いい子いい子」


 彼女はシトラスにされるがままである。

 しかし、その顔に嫌悪や負の感情は一切見えない。

 むしろ、他の勇者部視点では、すでにもう彼女は懐いているようにすら見えていた。


 この時点で、待っていた勇者部の面々もゆっくりと二人の下に近づく。

 やはり、彼女を驚かせないように、ゆっくりとした足取りで、大きな音を立てないように。ブルーにいたっては、完全なスニーキングであった。


 少女は近づいてくる勇者部に、少し警戒の色を見せた。

 不安げにシトラスの顔を見る。


 シトラスがそれを安心させるように優しく微笑みかける。

 彼女はシトラスの首元に顔を埋めた。


「どうするんだ。その子?」

 とエイトが問うと、

「もちろん連れて帰るよ」

 と即答で返すシトラス。


 しかし、彼女を連れて帰ることには、当然問題があった。


「……彼女には認識票がない。彼女をどうやって地下都市エッタに入れる気だ? 俺たちに彼女を隠して運ぶ手立てなんてないぞ? 箱か袋にも詰めるか?」

 おどけて茶化すミュールに、

「いや、意味ないだろ。検問所で荷物は全て確認される」

 エイトがにべもなく言い放つ。


 それならばと、ミュールが再び、

「素直にクエストの重要参考人なんてどうだ? 俺たちが砦で彼女の家族が被害にあったことを証明することで、彼女の認識票がない理由にもなる。これなら正当な理由になるだろう」


 ニコニコと笑いながら、しかし、その目が笑っていないハロルシアンが、

「いや~、そっちの方向は諦めた方がいいよ~。詳しくは省くけど~。地下都市には、基本的に子供がいないから~。事態がかなりややこしいことになるよ~」


 彼女の言うことに思い当たる節があるシトラス。

「確かに言われてみると、初めて地下都市に来た時から、学生以外の子どもを見たことないかも……」

 ブルーも彼の隣で首を振る。

「同意」

 

 シトラスが悩ましそうに尋ねる。

「じゃあ、やっぱり隠密だね。うーん。なんかない?」


 ミュールとエイト、ブルーが首を捻る。

 メアリーはそもそも話を聞いていない。


 ただ一人ハロルシアンが、

「みんなが協力してくれたら~、一人くらいならなんとかできるかもしれないよ~」

 いつも通りの掴みどころのない笑みを浮かべて、そう言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る