幕間 リゼ


「ふふふ、彼、欲しくなってきちゃった……」

 薄暗い影の中で、妖艶に微笑む美女。

 

 カーヴェア学園では、数少ない選ばれし者だけが許されている個室。


 その一室のベッドの上に、彼女はいた。


 十代とは思えない妖艶な容姿の持ち主の美女。

 やや黄色がかった銀髪に少したれ目がちな碧眼。

 口元の黒子が艶めかしい。

 豊かな胸部、くびれた腰つき、

 形の整った小ぶりな臀部。

 そのすべてが男を虜にしてやまないであろう。


 ベッドから降りた彼女は、一糸纏わぬ生まれたままの姿。

 惜しげもなく、その美しくも艶めかしい裸体を晒していた。


 ベッドから降りた彼女は、そのままの姿でバルコニーから出る。


 室外へ出た彼女に纏うのは、冬の冷たさがまだ残る、朝の新鮮な空気。

 彼女は両手を広げて、その澄んだ空気を肺に入れる。

 彼女の呼吸に合わせて、その豊満な胸が存在を主張するかのように上下した。


 気持ち良さそうに目を細めた彼女は、そのまま柵に両肘を置いてもたれ掛かった。


 彼女に与えられた一室は、学園の中庭に面していた。


 一室のバルコニーは、理論上は階下の中庭が一望できる場所にあった。

 しかし、実際には、中庭に等間隔に植えられた巨大樹たちの影響で、冬以外は視界がその木々の葉に覆われる。

 今は、冬の寒さのやわらぎを感じた階下の木々たちは、その花先に薄桃色の花を飾りつけていた。

 もう半月もしないうちに花は満開を迎え、視界は薄桃色に埋め尽くされることだろう。


 新入生だろうか。

 柵に肘をついてもたれ掛かる彼女の眼下。

 木刀を奮っている一人の男子生徒の姿が、木々の隙間から、彼女の目に飛び込んできた。

 獣人の中でもひときわ大きく長い耳をもつ彼は、兎人族だろうか。


 人族は、校庭で自主練習に励む生徒が多いが、亜人の生徒は、中庭で励むことが多かった。とは言え、そもそも学園の亜人の絶対数はそう多くはないので、その数は知れていたが。


 彼女が彼をしばらく見ていると、その気配を感じ取ったのか、素振りを止めて落ち着かない様子で、周囲をキョロキョロと見渡す男子生徒。

 ほどなくして、視線を上げた彼は、視線の差出人の彼女に気がついた。


 そして、彼女を視界に収めると、彼の動きが固まる。


 なぜなら、現在進行系で自分を見つめているのが、全裸の美女であったからだ。

 微笑みながら、自分に向かって手を振る美女に固まる男子生徒。

 木々と柵のおかげで、肝心の部分は彼から見えてはいなかったが、本能のなす業か。

 男子生徒は、木々と柵の奥を見んとして目を凝らし、さらには強化魔法を使って、凝視していた。


 中庭に植えられた木々。

 彼女の部屋に届こうかという高さのその木々から、一つの影が彼女の下へ飛び上がってきた。

 その影は、彼女の頭を超えて、彼女の後ろに控えるように着地した。


「……お戯れもほどほどにしてはいかがです」

「あら、貴女……。まだ学園にいたの?」


 悪戯っぽく笑って、顔だけ振り返った。


 振り返った視線の先にはいたのは、大きな布地を巻いて首から顔を覆い隠し、わずかに目元だけが露出している女生徒――猫人族のライラであった。

 その褐色の肌と銀色の瞳は伏せられている。

 光沢のある黒髪が、顔を覆う布地からわずかに漏れて、垂れ下がっていた。


 魔法俱楽部に所属できるほどの実力を持つ亜人の多くが、王都キーフ出身の生徒が多く集う魔法俱楽部、セントラルに所属している。

 そして、彼らは、セントラルの幹部たちの護衛兼侍従として、学園生活を過ごす。


 無所属の亜人よりマシと言われることもあれば、無所属の方がマシと言われることも多く。

 彼らの学生生活は、完全にセントラルの幹部の人間性に依存していた。


 今年度で学園を卒業したライラも、その例に盛れず、在学時代は護衛兼侍従として身を粉にして働いていた。


 彼女が主に護衛していた者こそが、この妖艶なる美女――リゼ・シャンゼ。


 彼女はセントラルで一・二を争う変わり者である。

 それと同時にセントラルらしからぬ思考の寛容性と、柔軟性を持ち合わせていた。

 ライラに対しても、人種で差別をせず、むしろ、他の部員から差別された時は、その部員をリゼ手ずからぶちのめすほど、愛着を抱いていた。


 ライラは旧五年生。先月あった終業式で、既に学生を卒業した身であった。

 しかし、彼女に自由はなく、軍役が決まるまでは引き続き、護衛の任についているのである。


「それより貴女。いいところに来てくれたわ。私、また欲しい人ができちゃった」


 くるりと体ごと振り返ったリゼは、柵に両肘を乗せて、今度は策に対して、後ろ向きにもたれ掛かった。


 階下の兎人族の男子生徒は、視線の先の新たな官能を前に、前かがみの姿勢を取った。その目はもはや、歳不相応に血走った目つきであった。


 リゼの言葉は会話の合図。


 ライラは顔を上げて、彼女に言葉を返す。

「また、ですか……? もう何人も交際されていたと思いますが、前回の虎人族の男子生徒は?」

「悪くなかったわ。体力もあったし。激しかったわ。……でも技術テクがね。女はツけばいいってもんじゃないのよ。……貴女もそう思うでしょう?」

 言葉の前半はウットリと、後半は期待外れであった、と言わんばかりの表情を浮かべる美女。


 彼女に意見を求められたライラではあったが、

「……ノーコメントです」

 顔を伏せたまま、言及を避ける。


「あら、つれないわね。貴女も経験あるでしょう。……経験あるでしょう?」

「……」


 布地から僅かに覗くライラの顔が赤くなる。

 動揺から思わず体が動いてしまった。


 それを見逃す相手ではなく、

「あらッ! なんて勿体ない。貴女は可愛いのに……。前から言っているでしょう。そんな野暮ったい布は取ってしまいなさいと。まだ差別が怖い? 安心して、貴女は私が嫌いかもしれないけど、私は貴女が好きなの。あなたが望むならずっと守ってあげるわ。……それとも私と、スる?」


 冗談とも本気ともとれる眼差し。


「……お戯れを」

「かれこれ四年の付き合いになるのに、相変わらずつれないわね。でも、私は貴女のそういうとこも好きよ。もし――もし、貴方が欲しい殿方がいるなら私に教えて頂戴。私のわがままに四年間付き合ってくれたご褒美に、その殿方を差し上げるわ」


 そこに相手おとこの意思は介在しない。

 彼女の二つ名は"魔性の女ファム・ファタル"。


「それで、また貴女に協力して欲しいのよ」


 魔性の二つ名を持つ彼女は、自然に、されど妖艶に笑った。


「今回はちょっと趣を変えていこうと思うの。ほら、今までは熟れた果実や、熟れ始めた今が旬な甘い果実ばかり摘まんでいたでしょう? 今回はそれとは違うの。まだ固くて甘酸っぱいの」


 彼女が学園生徒のみならず、幅広い世代と関係を持っていることは、ライラも周知の事実である。


 小さくため息を吐いたライラは、

「つまりは、年下……。アブーガヴェルですか? アップルトンですか?」

「やーねぇ。さすがの私でも四門の直系は避けるわよ。遊びにならないでしょう?」

 まるで遊びでなければいいと、遊びでなければ、自分が四大貴族の嫡子が相手を務めるのに不足はない、と言わんばかりの彼女の態度である。


 しかし、彼女にはそれが許される。


「……」

 ライラもそのことをよく知っていたので、ただ沈黙を保つ。


「ベルガモット」

 リゼの口から発せられた名前に、ドクンと彼女の心臓が脈を打った。


「私はついこの間まで知らなかったけど――」

 ドクンドクンと心臓の鼓動が早くなる。

 無意識に唾を飲み込んだ。


「――彼女に弟くんがいたのよね」

 五月蠅いくらいに心臓が暴れている。

 やめてくれ。外れてくれ。彼女は強くそう願った。


「ね? 信じられる? ベルも七席のよしみで教えてくれもいいじゃない。そうは思わない?」


 ――思わない。


 もちろん口には出さないが。


「――それでね、次はシトラスくん。彼を食べようと思うのよ」

「ッ……!!」

 布地の中で表情が引き攣るライラ。


 驚きを声に漏らすまいと、下唇を噛み締める。


 リゼはライラをよそに話を進めるが、

「それでね。よくよく思い出してみたら、彼って貴女とよく中庭で――」

「お、恐れ多くも……」

 ライラが非礼を承知で、その言葉を遮った。 


 ライラの非礼にも笑顔を崩さないリゼ。

「――ん? 何だって?」

「お、恐れ多くも、い、今ここで、さ、先の褒美聞き届けて、い、頂けないでしょうか?」

「あっ、誰か思いついたの? 聞かせて聞かせて?」

 一つ大きく深呼吸を吸ったライラは、勇気を振り絞って、目の前の主人の顔を見つめた。

「し、シトラス・ロックアイスを所望したく」


 ライラの言葉に、リゼの浮かべた笑顔が固まる。

 それを見て、やってしまったか、とライラの表情が硬くなる。


「本気、よね? ……あー、うん。そっかー。そうだよね。なるほどね、うんうん」

 と思いきや、独り言と共にリゼは百面相を始める。

 この時ばかりはそれまでの大人びた表情ではなく、年相応の少女の顔つきであった。


 そして、彼女が出した答えは、

「ダーメ――」


 絶望の表情を浮かべるライラ。 


「――って言ったらどうする? あ、ごめんごめん! そんな泣きそうな顔しないでッ。ちょっとだけ意地悪してみたくなっただけだから。もちろんいいわよ」


 ライラはほっと肩を下ろした。

 

 しかし、リゼの言葉はそれで終わりではなかった。

「――ただし、一つだけ条件があるわ」


 リゼの付け加えた言葉に、ライラは再び表情を固くする。


 どんな無理難題が出されるのかと不安に思う彼女に、リゼは優しく微笑む。

「そんなに緊張しないで。もう意地悪はしないわ。――ただ、彼とこの一ヶ月で関係を持つこと」


 ね、簡単でしょう、と微笑むリゼだが、それは彼女リゼの話。


「そ、そんな――」

 狼狽えたライラが口を開く。

 今度はリゼが遮る番であった。

「――私はね。本気の人が好き。本気で生きて、本気で笑って、本気で泣く。本気で何かに取り組む人。そういう人を見ていると、私はその人を応援したくなるの――でも逆にね。本気って言葉に甘えて、何もしない惰弱だじゃくな人が嫌い。もしもそんなカスが私の目の前にいたら、プチっと踏みつぶしてしまうかもしれないわ」


 彼女の笑みに凄みが増す。


 ライラとリゼの付き合いは、四年にもなる。

 カルバドスなど他のセントラルの護衛に駆り出されることもあったが、それでも彼女での大半の時間は、彼女の護衛兼侍従として傍に仕えてきた。


 だからこそ、ライラにはわかる。


 例え四年の付き合いがあり、馴染みがあろうがリゼは、やるときは躊躇いなく踏み潰すということが。


 ライラはやるしかなくなった。


 ライラが腹を括り、肯定の言葉を返す。

 すると、凄みのある表情に打って変わる。

 再び優し気な笑みを浮かべたリゼは、親身になってライラの作戦を考え始める。


 名残惜しそうな視線を送る兎人族の視線を背後に室内に戻る。


 二人はクイーンサイズのベッドに腰かけて、肩を寄せ合った。

 容姿は違えど、その関係は主従と言うより、仲の良い姉妹と言った方が近い距離感である。


「既成事実作っちゃえばいいじゃない?」

 と事も無げにリゼが言えば、ライラは、

「あ、あたしは思いを重ねることに、い、意味があると思います」

 と褐色の顔を赤く染めて、精一杯答える。


「はあー……。これだから未通女おぼこは……。いい? 男なんて裸の女の前にはイチコロなのよ。男の鍛え上げられた体は、陽のあるうちに輝くわ。だけどね、夜の褥で輝くのは、女の磨き上げられた体なのよ」


 ベッドの上でしなを作ったリゼは、そのまま自身の脇腹を撫で上げる。

 たったそれだけの行為であるが、同性であるライラが唾を飲み込むほど蠱惑的なものであった


 リゼの眼は真剣であった。

 彼女は本気で女を磨き、それを武器に学園の頂点の一角まで上り詰めた女傑。

 男女の仲においては、有無を言わせない説得力があった。


 第一ライラには、その時間がなかった。


 二ヶ月もしないうちに、彼女の軍役の配属先が正式に決まるだろう。

 カーヴェア学園の卒業生の多くは、見識を広めるという名目で、数年は各地をたらい回しにされるのが通例である。

 つまり、それまでに明確に仲を深めなければ、次にいつ会えるのかは誰にもわからない。


 それゆえの、制限時間の一ヶ月である。


 押し黙るライラに、リゼは、

「貴女、脱ぎなさい」

「えっ!?」

 唐突な命令に自身の身を掻き抱くようにして、隣に座るリゼから体を背ける。


「いいから脱ぎなさい。貴女あまりお洋服持っていないでしょう? 多少お直しが必要かもしれないけど、私のお洋服から好きなもの持っていきなさい。――いや、違うわね。貴女、今日から軍役の配属が決まるまでここで寝泊まりしなさい」

 名案とばかりに、手を打つリゼに、

「えぇッ!?」

 ライラは立場を忘れて素っ頓狂な声を上げた。


「貴女は私が傍にいることを認めたのよ。もっと誇りなさい。さ、脱いで脱いで。……それとも。私に脱がされたいの?」


 リゼの流し目で、それまでぐずっていたのが噓のように、ライラは瞬く間に生まれたままの姿になった。



「ぼくに手紙?」


 寮の談話室。


 シトラスが、ミュール、メアリー、レスタ、エヴァと輪になって、他愛のない話をしてまったりとしていたところに、一人の女子生徒が現れた。


 その女子生徒はシトラスに封筒に入った手紙を渡した。


「はい。確かに届けましたからね。絶対、絶ッー対に読んでくださいね! それじゃあ自分はこれでッ! ……手紙を渡すだけで大銀貨一枚。お貴族様はやっぱりすごいなぁ」


 昨年入学した新入生だろうか。胸のブローチは、混じり気の無い鈍い灰色である。

 なにより、彼女の言動には、二年生のシトラスたちと比べても、初々しさがあった。

 少女は手紙をシトラスへ手渡すと、手紙を読むことを強く念押しして、談話室を去って行った。


 メアリーを除くシトラスの友人たちが、降って湧いた話題に興味津々な様子を見せる。


「なんだシト? 学園内でわざわざ手紙なんて? いったい誰からだ?」

 ミュールの問いかけに、封筒の表裏を確認にした後、中の手紙を取り出して、目を通す。

「えっと……。ライラからだね。えーと、その内容は――ふむふむ」

 シトラスの視線が左から右、上から下を何度もなぞる。


 頷くばかりで何も答えないシトラスにミュールがもう一度口を開く。

「なんて書いてあるんだよシト。俺たちにも教えろよ」

 と尋ねながら手紙を覗こうとしたミュールに、

「だーめ」

 と言って手紙を彼から遠ざける。


「おいシト、水くせぇな。いいじゃねぇか」

 つれない態度のシトラスに、今度はレスタが口を開くが、

「人に言いふらしてく欲しくない、って書いてあるんだよ」


 シトラスの回答につまらなそうな表情を浮かべるミュール。

 話を聞いていたエヴァが、ライラって誰だっけ? と尋ねる。

 ミュールが、猫人族で今年卒業した先輩でシトの友達、と答えた。


 エヴァも彼女とは、昨年の夏季休暇中に一応の面識があるが、その存在をすっかり忘れていた。


 ミュールの答えを聞いて何か心当たりがある様子のレスタだが、

「ちょっとまて……。ライラ、猫人族、今年で卒業……。ってあれか!? お前が言ってる奴って"黒豹パンサー"じゃねぇかッ!」


 レスタの言葉に、今度はミュールが尋ねる番であった。

「そう言えば去年の夏季休暇に地下都市でライラにあった時、レスタはライラのこと知ってるみたいだったよな。そんなに有名人なのか?」


 ミュールの反応に、ふぅー、とレスタは大きくため息を吐いた。


「……ミュール。お前も案外抜けてるな。この学園での二つ名持ちは全員やべーんだって。"黒豹パンサー"は、亜人の中で最も七席に近かった先輩だ。最終的な輝石の色は橙だが、武闘派なのにもかかわらず、学園行事で一番稼げる対抗魔戦と魔闘会に、五年間一度も出場せずに橙って、けっこう意味わからないことやってるからな」

「へー、ライラってそんなに凄かったんだ」

 手紙を読む手を止めて、レスタの話を聞いていたシトラスは、感嘆の声を漏らした。


 ニヤニヤと茶化すように笑みを浮かべたエヴァ。

「なになにシト。そのって"黒豹"からのラブレター?」


 手紙をもう一度舐めるように目を通すシトラス。

「……そうなるの、かな?」


 エヴァの茶化していた顔、一瞬で真面目な顔に変わる。

「シトってほんとモテるわよね……」


 手紙を読みながらエヴァの言葉に、そうかなぁ、と生返事を返すシトラス。

 レスタはシトラスの近くにいる女性陣を思い浮かべて、羨ましいぞ、とシトラスに肘うちをするポーズをする。


 ベルガモット、ヴェレイラ、メアリー、ブルー、そして、件のライラ。

 普段その容姿が謎に包まれているライラを除いても、揃いも揃って美女、美少女である。


 ミュールは、レスタの反応を見て微妙な顔をしていた。

 彼は学生陣に加えて、師匠であるバーバラ、そして御用商人のバレンシアを思い浮かべていた。

 二人も抜群の美女である。

 貴人には美人が多い社会において、なんら遜色ないどころか、その中でも美人である。


 そのような美人どころにモテるのは、男として嬉しい。

 そして同時に思う。モテるのは確かに羨ましいが、個々の癖があまりにも強い、と。


 ミュールが羨むべきか葛藤していると、エヴァが爆弾を投下した。

「――誰かと付き合ったりしないの?」

 

 その一言は、この場の空気を凍りつかせるには十分の威力を持っていた。



 手紙に書いてあった指定の日。


 エヴァの監修の下で、いつもより身なりを整えたシトラスは、中庭に足を運んでいた。


 離れたところに彼を見守る四つの陰。

 それは友人たちによる完全に野次馬であった。


 渡り廊下で団子になって、中庭へ顔だけ覗かせる四人。


 ミュールがシトラスの様子を伺いながら

「ほんとにデートだと思うか?」

 と尋ねると、

「女の子が男の子を誘う。それはもうデートよッ」

 とエヴァが押し殺した声で熱弁する。


 エヴァの発言を受けたレスタが、嬉しそうに口を開く。

「えッ? じゃあ、お前がこの前俺をランチに誘ったのって――」

「――ごめん。あの日お財布がどうしても見つからなくて」

 食い気味に言葉を被せてきたエヴァに、

「泣いていい?」

 レスタは憮然とした表情を浮かべた。


 ミュールがポンとその肩に手を置き、

「……まあレスタ、それだけ気が置けないって話でもあるからさ」

 と慰めていると、

「――きた」

 メアリーがポツリと呟いた。


 それを合図に三人は口を噤み、再びシトラスに注目する。


 エヴァが囁くように尋ねる。

「"黒豹"ってどんな人なのかしら……。名前と実績は有名だけど、彼女はあまり人前に出てこないから。レスタは何か知ってる?」

「……いや、俺も知らない。布地で顔を隠している褐色肌の黒豹族ってことぐらいだ」


「ッ……!」

 北の二人がデートとあって、ライラの素顔が見れるんじゃないのかと、少し本筋とずれたところでワクワクし始めていると、メアリーが急に臨戦態勢を取った。


「――人様の恋路の出刃亀でばがめとは感心しないわね」


 通路の奥から響く、艶やかな大人びた女性の声。


 ミュールが声が聞こえてきた方角に視線を向け、

「……誰だ?」

 探るように言い放つ。


 メアリーは、既に腰を落としていて、さながら獣人族のように牙をむいている。

 彼女のその様子に、ただならぬ雰囲気を感じるエヴァとレスタ。


 カツカツ、と床を鳴らす子気味良い音と共に、校舎からその姿を見せたのは、

「"魔性の女ファム・ファタル"リゼ・シャンゼッ!」

 エヴァが小さな悲鳴を上げた。


 しかし、彼女はシトラスのデートを邪魔しまいと、咄嗟に口に己の手を当てて、その声を抑えた。


「いい子ね。ほら、貴方達も人様の逢瀬の邪魔をしないの」

 諭すように優しく微笑むリゼに、レスタが冷や汗をかく。

「なんで、あんたみたいな大物が……」


「貴方のお友達の相手が、私の好きな人だからよ。好きになった人には、幸せになってもらいたいじゃないの。貴方達は違うの?」


 リゼの一挙手一投足に目を光らせながら、ミュールが言葉を返す。

「……幸せになってもらいたいさ。だから、こうして見守ってるのさ」

「ふーん。見守ってる、ね。……でも、ダメよ。私の好きな人は耳が良いの。貴方達の存在は、きっと邪魔になるわ――」

「シャアアアアッッッ!!」

「――なにこの子?」


 更に一歩踏み出したリゼに、メアリーが飛び掛かった。

 しかし、リゼはそれを事も無げに対処するリゼ。


 メアリーの腕を取った彼女は、そのままその力を利用して、メアリーを後方へと投げ飛ばした。


 そして、そのまま足を進めると、ついには三人の前に立つ。

 彼女から漂う薔薇の匂いが、彼らの鼻孔を擽る。

 上品でいて、どこか甘い香り。


「貴方達。私のお願い、聞いてくれるわよ、ね?」

 

 リゼの言葉に、三人はその視線をとろんとさせ、ゆっくりと頷いた。

 メアリーだけは彼女の後方で、唸るようにリゼの様子を窺っている。


 出刃亀を瞬く間に制したリゼは、首を動かして中庭の様子を窺う。

 ちょうど二人が、リゼの部屋に向けて、中庭から出ていくところであった。


 その優れた知覚能力で気がついたのか、チラリと視線だけ振り返ったライラに、リゼは心の声援を込めて、大きなウィンクを返すのであった。


 その後、中庭を後にした二人がどうなったのか。


 それは今は二人だけの秘密――。


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