幕間 キノット
「私は転生者である」
不意に呟いてみた言葉。
ロックアイスの御屋敷の書斎。
そこには私ことキノットと、私の妻ダンシィが、膝ほどの高さしかないローテーブルを挟んで座っていた。
傍には給仕として、我が領内の生き字引、頼れるおじいちゃんことセバスが控えている。
過去には"俺"なんて言葉を使っていた。
それがロックアイスの当主の地位を襲名してからは、"私"という言葉を使うことを求められ、今ではすっかりと染まってしまった。
口に出した言葉が、書斎の空気を震わせた。
書斎には時計が時間を刻む音だけが響いている。
ローテーブルを挟んで目の前に座る、愛しの妙齢の美女――というと実年齢的には薹が立っている気もするが――が紅茶のカップを片手に、探るようなジト目を送ってきた。
まるで、また何か言ってるわ、とでも言わんばかりの表情だ。
「また何か言ってるわね」
訂正、言わんばかりでではなく、実際に言ってきた。
呆れたように小さくため息を吐いて、彼女は手にしたカップの紅茶を上品に啜った。
そんな彼女との付き合いも、かれこれ二十年来になる。
カーヴェア学園の出会いから始まった二人の仲は、学園生活を通して順調に育み、幸運にも同じ所属となった卒業後の軍役を通じて、ついに思いを添い遂げることができた。
出会った当初からやや老成したきらいがあった彼女と、前世らしき記憶をもった私はウマがあった。
学園に入学した時点で、精神年齢が既に四十歳を超えていた私としては、感情のままに生きる他の十代前半の子どもと過ごすのはなかなか辛いものがあった。
同級生が進級を重ねて精神が落ち着くまで、彼女以外になかなか友達ができなかったことも、今となってはいい思い出だ。
私は異世界転生者である。
いつからか私には、いわゆる"前世"と呼ばれる記憶があった。
この世界でロックアイス家の次男として生を受けていたことに気がついた。
生まれたときからそうだったわけではない――というか生まれた時から前世の知識もっている、っていったいソイツの脳はどうなってるんだ?
前世ではそういう設定の娯楽が流行っていた気がするが、それももはや忘却の彼方。
物心つくと共に前世の記憶というものを、少しづつ思い出していったのだ。
朧げな前世の記憶のよると、私が生きていたのは、魔法の"魔"の字もない科学が支配する世界。
そこで平凡な家系に生まれ、平凡に過ごし、三十歳そこらまで生きた記憶があった。
もしくは、それこそが胡蝶の夢か。
いずれにせよ、その記憶がこの世界で、特に何か直接的な手助けになったかとういうと、正直そんなことはない。
むしろ、前世の価値観、倫理観を持った私は良く言うと"優しい"。
率直に言うと"甘い"ようで、特に学園卒業後の軍役ではよく叱責されてきた。
ただ、そのおかげで、目の前に座る愛しの女性の心を射止められたのだから、文句はない。
彼女に言わせると、それこそが私の魅力なんだそうだ。
そんなかけがえのない彼女との間には、二粒の愛の証を設けることができた。
軍役では彼女に助けられっ放しであった私も、今や二児のパパである。
上の子、ベルガモットは、私の遺伝子がものすごくがんばり、彼女の素晴らしい遺伝子と化学反応を起こした結果、信じられないくらい才能の溢れる子が生まれてきた。
その子の才能は、親の自分の視点からでもちょっと怖いくらい傑出していた。一を知り十を知って、百を生み出す天才。頭が上がらないどころの騒ぎではない。
学園の入学を前にして、既に達観している彼女と話すときは、どこか仙人と話しているような気分であった。
積み重ねてきた精神年齢だけで言うと、七十歳に届こうかという私をもってしてそれである。
学園では彼女はいったいどんな扱いを受けているのかは、少し気になるところである。
下の子、シトラスは、二歳年上のベルガモットと比較すると普通の子。
ただ周囲の人を惹きつける不思議な魅力を持つ子ではあった。
特に我が家に関わる女性陣は、軒並み彼に甘い。
才能あふれる姉に対して、この子は良くも悪くも私に似ている気がする。
平々凡々。
そして、素直なこの子は、この世界では少しずれている私の倫理観や、価値観、と言った世界観をしっかりと受け継いでいた。
父親である私の世界観と、母親であるダンシィの過保護を足し合わせてできたその性格は、悪意を知らない無垢なる善性。
幼少期に読んだ勇者に憧れる無邪気な少年である。
机の上に広げられているのは、その子どもたちを預けているカーヴェア学園からの手紙。
学園から年明けと年度末に、学園に子どもを預けている家に手紙がしたためられる。
年明けの手紙には、これから始まる学園の四大行事のスケジュールと進路の連絡報告。
年度末の手紙には、これまでの学園生活の成績と進路の結果報告。
今回の手紙は後者。
ベルガモットが四年生を、シトラスが無事に二年生を終えたことを知らせる手紙を前に、二人して百面相を浮かべながら目を通していた。
セバス宛てにミュールの手紙もある。
元孤児であるミュールは、ポトム王国の準男爵位をもつロックアイスの執事長セバス・チャンの養子として、学園に入学していた。
そのためセバス宛てに手紙が届いたのだ。
セバスはその封を開けることなく、主君である私に差し出していた。
「ベルはこれで学園の総合成績三年連続一位、魔闘会三連覇、対抗魔戦にいたっては入学以来四連覇か。ほんと凄いなぁ、あまりにも凄すぎて語彙が出てこないよ」
ベルの成績が羅列された書類に目を通すが、もはや感嘆しか出てこない。
私の彼女を褒める語彙力は二年生で対抗魔戦二連覇、魔闘会初優勝を飾ったときに尽きてしまった。
「そんなことより、見てッ! シトの成績。今年は昨年に引き続き対抗魔戦に出て、一回戦突破したって。きゃーーッ! それに魔闘会にも出たんだってッ! あの子がんばったのねッ!」
ダンシィは相変わらず、ベルのことは放任主義でシトにかかりきりだ。
その点で、ほんとベルとシトの仲が良くてよかった。
一歩間違えばお家騒動案件である。
「……そうだね。どれどれ……。あぁ、魔闘会は一回戦から北のアブーガヴェルの御曹司に当たっちゃったのか、それは運がなかったね。あれ? ……でもそうすると、シトの進路に問題があるんじゃないかな。前回の手紙に専攻課程に専攻条件が書かれていたよね。なんだったかな……。えっと――」
新年の手紙でシトラスの専攻課程には、翌年度も継続して受講するためには達成しなければならない条件を出されていたことが脳裏をよぎった。
脳裏をよぎったのはいいが、その内容までは思い出せない。
セバスにその手紙を持ってきてもらおうとして、指示するために手を動かそうしたが、
「――対抗魔戦と魔闘会で、勇者科に所属している生徒の一回戦の突破、よね」
それより先に彼女が答えた。
シトに関することについては、さすがの記憶力である。
「そうそう。君はシトに関することはホントによく覚えてるな」
「あなたが覚えなさすぎなのよ」
つんとした態度を見せるダンシィ。
いつまでも、私の嫁はかっこかわいいなぁ……。
二人が同封されていた魔闘会のトーナメント表を開くと、一回戦第十六試合のシトラス対アブーガヴェルの対戦表で二回戦へ繋がる線が太く強調されて描かれていたのは、残念ながらシトラスではなかった。
「あの子、この結果に泣いてないかしら。大丈夫かしら……。あぁ、こういう時にあの子の傍にいられない自分がもどかしいわ」
豊かな自身の胸の中心部に手をあてて、目を伏せながらシトラスに思いを馳せるダンシィ。
そんな彼女に私は、
「落ち着いて。あの子にはベルとレイラがいるよ。それにこういう時の支えにミュールをシトと一緒に学園に送り込んだんだ。きっと大丈夫さ」
というか、あの子はあの子でずぶいところがあるから、案外ケロッとしてるかもしれない。
「そう……そうよね……。でも、あと少なくても三年は、あの子に会えないなんて……」
そんな彼女に朗報がある。
「……それなんだけど、来年会えるかもしれないよ?」
「……どういこと?」
伏せた目をあげて私を見つめるダンシィに、手紙に同封されていた書類を差し出し、
「ほら、これ見て。ここ――」
私の指さした先には、学園長であるネクタルとポトム王国の王室の連名で、ベルガモットの生家を学園に招待する旨の内容が記載されていた。
「――えっと、ベルガモットの偉業達成、彼女自身による偉業更新を期待して、来年度の対抗魔戦と魔闘会への貴賓席への招待。え!? これって!?」
「そう僕たち来年学園に行けるんだッ! しかも見てここ。学園間の移動と滞在に関する費用はすべて王家持ち、だって。零細貴族にはありがたい話だよ」
個人的に別件で、学園卒業以来となる王都には訪れたかったので、まさに渡りに船であった。
小さくガッツポーズをした俺を見つめるダンシィ。
「……あなた、まだこっそり
彼女には何もかもお見通しなようだ。
彼女の言うアレとは、私の密かな趣味。
この世界の歴史の探求である。
特に前世の記憶の一つの弊害は、好奇心である。
結局、異世界転生したところで、知識や技術といった類のものを、新たな生でほとんど失ってしまった。
しかし、価値観、倫理観といった観念的な思想は、新たな生を得ても失うことはなかった。
前世の影響もあって、一度目の生で培われた世界観と異なる事実を目の当たりにすると、好奇心を抑えられない性分であった。
二度目の生で、最も好奇心をくすぐられたのは、魔法でもなければ魔法具でもない。
それは歴史であった。
もちろん魔法や魔法具も大変魅力的ではある。
しかし、原理がよくわからない以上、知識を得て"そういうもの"と認識して終わりだ。
しかし、歴史は違う。
歴史は現在に至るまでの過程、変化の跡。事実の集合体である。
それはただそこにあって、それを見る者に様々な事実を伝える。
この世界には謎が多い。
きっかけは、学生時代。
二年生を無事に終えて、迎えた夏季休暇中。
自領に帰ることもできず、さりとて王城の地下に行くこともせず、暇にあかして大図書館で本の虫となっていた時。
私はある違和感を覚えたのである。
それはこの国、ポトム王国の歴史。
この国の歴史については、学園の魔法史の授業で取り扱っているが、その歴史はポトム王国の建国後から始まっている。
では、その前は?
そして、その先を調べ始めると、その疑問は解決するどころか、次々と新たな疑問が浮かび上がってきた。
この世界の始まりは?
語られる神とは何か?
人はどこから来たのか?
亜人はどこから来たのか?
科学は誰が生み出したのか?
この世界の果てには何があるのか?
私のこれらの好奇心に対して、学園の魔法史は何も教えてくれない。
それどころか、授業中に質問した私に対して、当時魔法史を務めていた先生はこう言った。
『仮にそこに秘密があって、知らされていないと言う事は、それを私たちは知らなくて良いという事です』
続けて声を潜めて、こうも言葉を続けた。
『……王国では、魔法史に記載してある以上の歴史の詮索は、禁則事項です』
訳がわからなかった。
それから、暇を見つけては王国一とも呼ばれる大図書館に引き籠って、歴史を探し始めた。
しかし、王国一とも言われる大図書の膨大な蔵書をもってしても、歴史書は極めて少なかった。
謎は深まるばかりであった。
それでも何か手がかりはないかと、疑問を持ち始めてから卒業するまでの三年間。
来る日も来る日も大図書館に足を運んでいた。
しかし、ついに卒業を迎えるその日まで、何も手掛かりを得ることはできなかった。
学園最終日。
卒業式を終え、これから五年ぶりにロックアイス領へと帰る、という日の前日ことである。
悪足搔きとばかりに、私は最後にもう一度大図書館に訪れた。
卒業式のその日に、大図書館に訪れる物好きは、私以外いないのだろう。
館内には誰もいなかった。
普段館内の中央で、生徒に睨みを利かしている司書の姿も見当たらない。
利用する生徒がいないので、、館内の巡回にでも回ってるのだろう。
静まり返った館内を歩き、最後にもう一度だけ手掛かりとなる本を探そうと意気込んでいると。
館内に一人の男が入ってきた。
その彼こそが、三年前に私に警告を与えた件の魔法史の先生であった。
『貴方も物好きですね。私の警告を無視して、最後の最後まで歴史を探すなんて――』
先生は苦笑いを浮かべながらも言葉を続けた。
『――それで、お目当てのものは見つかりましたか?』
私も苦笑いを浮かべて、いいえ、と首を振って応えた。
先生が静かに口を開く。
『そうでしょう。大図書館の歴史書は私が全て回収しましたから』
道理でいくら探しても見つからないわけである。
先にそれを見つけて隠した人がいたのだから。
しかし、理解できない。
『先生が……? なぜ?』
私の問いに先生は目を細めて、
『それは貴方のような好奇心旺盛な生徒が、禁忌の一端に触れることを防ぐためです。以前にもお伝えしましたが、歴史の探求は国の禁則事項です。学園を卒業して、それが明るみに出れば、貴族とは言え、無事には済まないでしょう。事実、それが噂された人々が毎年のように
真剣な表情の先生から語られたのは、この国に根付く闇の一端。
『――ですが、先生! 俺は――私は知りたいのです! ただ真実を!』
私の熱意が通じたのか、ふっ、とその表情を和らげた先生は、
『ふふっ、真実……ですか。いいでしょう。であれば、私の研究に手を貸しませんか?』
と私に手を差し伸べた。
『先生の、研究?』
聞くと、先生は学園の教師として働く傍ら、大図書館から回収した歴史書を読み解き、新たな歴史書を編纂しているのだとか。
元々は王国の禁則事項を遵守するために、大図書館にある歴史書をコツコツと回収していたらしい。
しかし、その途中で、興味本位に一冊の歴史書を読んでしまったことを発端に、真実の歴史に取り憑かれたようだ。
木乃伊取りが木乃伊になるとは、まさにこのことである。
当時の私は、先生の行っている真の歴史書の編纂作業に心を惹かれて、これを快諾した。
その後、先生の書斎に案内されて、保管されていた歴史書を読んだとき、私は飛び上がらんばかりに喜んだものだ。
そんな私に先生は微笑みながら、されど真剣な眼差しでこう言った。
『――いいですか? 私たちの研究は決して誰にも明かしてはいけません。ご家族であっても。どんなに愛した人であっても』
その後、大枚をはたいて購入した遠距離通信の魔法具を通じて、今に至るまで先生とは連絡を取り合ってきた。
軍役から屋敷に戻るや否や、セバスに命じて、本格的に作業を進めるための秘密の書斎まで設けた。
そこには先生から借り受けた僅かばかりの歴史書や、通信用の魔法具を設置し、夜中にこっそりと研究を進めてきた。
屋敷でこの事実を知っているのは、ダンシィとセバス。
ロックアイスの屋敷でことを運ぶのに、セバスの助力は不可欠。
本人の理解の下、誓約魔法でもってこの件に関して、その口は封じてある。
対して、ダンシィが知ることになったきっかけは、私の不注意であった。
セバスに命じた秘密の書斎ができる前に、私はどうしても我慢できなくて、夜中に書斎で研究を進めていたら、いつの間にか寝落ちしてしまった。
朝目覚めたとき、既に彼女の手には私の研究成果が握りしめられていた。
青ざめた表情で口をパクパクさせる私に対して、彼女はただ、
『気をつけて』
と何とでも取れる曖昧な言葉と共に、研究成果を私に手渡して、その場を後にした。
以来は、同じ失敗を起こすことなく、我が子にも秘密裏に研究を進めてきた。
そして、最近になってついに大きな発見があった。
先月、我が家の御用商人であるバレンシアから買い取った一冊の書物。
そこには王国の歴史について、目を疑うような情報が記載されていた。
魔法具を通じて、先生にその話をお伝えすると、是非に手ずから目を通したいということであった。
私としても、書物について先生と私見を交え、議論したいところであった。
それ以来その機会を伺っていた。
その最中にあって、学園からのこの申し出は渡りに船であった。
ついでに、シトラスの担任を務めるアドニス先生にもお会いしようと思う。
私たちの世代の勇者科の生徒にとって、勇者アドニスとは憧れの存在であった。
優しく強くカッコイイ。
まさにザ・勇者という感じの人であった。
シトが生まれる少し前、彼が勇者を引退したと聞いたときはショックであった。
それと同時に、時代の移ろいを感じたものだ。
アドニス先生との間に直接的な面識はない。
こちらが一方的に見知っているだけだ。
はきはきとした姿は、男も惚れるイケメンだったことは今も覚えている。
往年の憧れに、菓子折りをもって挨拶へ行くのも悪くない。
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