三十五話 一回戦と魔力抵抗と


 対抗魔戦から一ヶ月。


 冬の刺すような寒さも和らいできたこの季節。

 この季節はカーヴェア学園では一年で一番盛り上がる季節でもある。

 

 学園を語るにおいて欠かせない四大行事の花形――魔闘会の存在である。


 個人の魔法の技量を競うこの学校行事は、選ばれた三十二名によるトーナメント戦。


 出場するだけでも名誉あることで、初戦を突破するだけでも、その後の人生の箔ともなる名誉ある試合。

 多くの在校生がこの頂きを目指し、日夜勉学に励んできた。


 対抗魔戦に出場しない猛者はいても、魔闘会に出場しない猛者はいないとも噂される一大イベント。


 対抗魔戦同様に、魔闘会には来賓が訪れる。

 王国の要人のみが招待される貴賓席。

 席に限りがあるその貴賓席は、学園の事前審査の段階でその応募者が殺到する。

 応募者が袖の裏を通すことで学園の財政を潤してきた。






 魔法闘技場の吹き抜けた天井から覗く空模様は、昨年に引き続き空は雲一つない快晴。

 空から満員の闘技場に吹き抜ける朝の風は冷たいが、魔闘会の熱に沸く生徒にとっては、熱冷ましには丁度いい。


 拡張魔法を通して精一杯空気を吸い込む音が闘技場に響く。

『すぅぅぅぅ………――』


 この音が宴の始まりの合図であることを理解している上級生たちは、その顔に喜色を隠せない。


 そして響き渡る魔法によって拡声された御馴染みの男子生徒の声。

『――紳士淑女の皆様ぁぁ、お待たせしましたぁぁ! 今年もやってきましたッ! 年に一度のぉぉ……魔闘会の時間だぁぁああ! 騒げぇぇぇぇええええ!!』


 場内が揺れるほどの大歓声。

 魔法闘技場には興奮と熱狂が渦巻いていた。


『今年度の実況は昨年度に引き続き、私マイクが! そしてぇぇ、今年度の解説には、魔法協会エッタ支部長を務めるヤッファ老師さまだぁぁぁぁ!!』


 闘技場内の貴賓席の横の区画には実況席が設けられていた。

 そこに二人の男性が座っていた。


 学園行事では御馴染みとなりつつある茶髪アフロの髪型で、学生服を着崩した男性生徒マイク。

 その隣にはローブを身に纏った老人。

 顔に深く刻まれた皺。

 髭こそないが伸び茂った眉毛。

 そして曲がった背筋。


 魔力に比例して、老化を抑える世界。

 魔法協会支部を務める人物が老境と言うのは、彼の実年齢が如何に高いかを物語っていた。


 色素が薄くなって元の色が分からない白髪の老人は、ほっほっほっ、と独特な笑い声をあげながら、城内に鷹揚に手を振った。


 昨年度の魔闘会で解説を務めた、王国騎士団副団長のジークフリートには及ばないものの、闘技場内には解説を務める著名人の紹介に歓声が上がった。


風の王シルフィードの大会三連覇の偉業を見届けようと、貴賓席のご賓客も過去最多を記録! 果たして、期待に通り彼女が連覇を果たすのかッ!? それともダークホースが待ったをかけるのかッ!? 早速一回戦を始めていくぜーー。戦士ファイターかもんッ!!』


 どこからともなく重低音を効かせた迫力のある音楽が、闘技場に響き渡る。

 観客席の生徒たちも歓声を持って、音楽と共に入場してくる出場選手を歓迎する。


 闘技場の一角から入場するのは、くすんだ金橙の髪に一房の赤を持つ美女。

 彼女の浅葱色の怜悧な瞳は、落ち着き払って堂々としたものである。


『すべては三年前から始まった。新入生にして準優勝の快挙に始まり、一昨年のサウザ様との死闘の果ての同時優勝。昨年、ついにあのサウザ様を判定勝ちで破り、大会二連覇。その存在はもはや学園の生きる伝説ッ! もちろん本年度の優勝候補筆頭!  人呼んで東の傑物――二つ名を風の女王シルフィード。ベルガモットォォォォ、ロォォックゥゥアイィィスゥゥゥゥ!!』


 十七歳を迎えたベルガモット。

 メリハリのついた理想的なプロポーション。

 目の肥えた貴賓席からもその美しさに感嘆の声が漏れる。

 観客席の生徒たちは言わずもがなである。


『今年は一回戦から激熱だぜッ! 三連覇を誇る風の女王の初戦の相手は、これがなんと"風の女王"と同じく学園最高の七席の一席ッ! 三年連続の出場となる西の傑物! 五年年となった彼にとってはこれが最後の魔闘会。最後に伝説を打ち破り、自身が伝説となるか!? "竜殺しドラゴン・スレイヤー"バスタァァァァーー・スリングゥゥゥゥ!!』


 ベルガモットの反対側の角から入場するのは、大きく逞しい体をもち、赤みがかった白髪と色素の薄い赤眼の美青年。

 彼の剥き出しになったその腕は、はちきれんばかりの太さを誇っていた。


 バスターの手には、その身の丈の半分以上ある長さの両手持ちの大剣。

 それに対するベルガモットは無手。


 二人は中央で互いに歩み寄ると、アペルの指示の下で礼。

 そして、再び距離を取って向かい合う。


 開始宣言の前に、アペルは改めて大会の規則を二人に伝える。


『今、アペル先生からのルールの伝達が終わったようです。誰が予想できただろうか。初戦から学園における猛者同士のぶつかり合い。いま両者向かい合って――始まりましたッ!』


 シトラスたちを含め、魔闘会に出場する選手は観客席からではなく、闘技場内部の控室から、ステージ上の戦いを魔法具を介して、それを見つめていた。


 初戦から二つ名同士の試合に、観客は大盛り上がりを見せていた。


 先月行われた対抗魔戦で、ヴェレイラと共に前人未到の大会四連覇を果たしたベルガモットだが、そこでは苦戦らしい苦戦を見せることなく、圧倒的な勝利を飾っていた。

 そのため、観客の多くは、対戦相手がどこまで彼女に喰い下がることができるかに焦点をあてていた。


 昨年の魔闘会同様に、ベルガモットは早々に、彼女の得意とする風魔法<宙の磔刑>を使用して勝負を終わらせにかかるが、バスターはこれを魔力抵抗レジスト


 バスターはその巨躯と、手にした大刀からは想像もつかない速度でベルガモットに肉薄すると、近接戦を仕掛ける。

 

 それをベルガモットが宙に浮かぶことで回避する。


 会場には爆発的な歓声が沸いた。


 ベルガモットがしばしば使うこの舞宙術は、王国内では他に使い手のいない極めて高度な魔法である。

 大陸の歴史上で見ても、その使い手は極めて少数であった。


 そもそも、魔法による三次元的な移動は、身体における前後左右あらゆるバランスを調整する必要がある。

 操作を誤れば命の危険に直結するため、極めて危険。

 実際にこれまでに少なくない人数が挑み、その命を散らしてきた。


 バスターは宙に距離をとったベルガモットに向かって、大剣を振りかざす。

 剣を振り下ろす動作の中で大剣は炎を纏い、大剣が纏った炎は斬撃と共に宙を駆ける。


 ベルガモットの身の丈ほどの、空飛ぶ炎の斬撃。


 慌てることなく斬撃に手を翳すと、迫り来る炎の斬撃は彼女に達することなく、しぼんで消えていく。


 ベルガモットはそのまま、その手を地上のバスターに向けて翳す。


 バスターはすぐに何かに気がついたようで、その巨躯に似合わぬ俊敏さで、その場から離れる。

 その直後に、直前まで立っていた場所が半球体の形に抉られた。


 目まぐるしく変わる攻防に、観客席は大盛り上がりである。


 その後も、一進一退の攻防が続く。


 しかし、宙へ浮かぶベルガモットに対して、バスターは決め手に欠いた。

 やがてベルガモットによる宙からの遠距離攻撃の弾幕に、バスターは防御一辺倒になる。

 有効打を喰らいはしなかったものの、最終的にはその質量の前に、遂にはステージ上から押し出され、バスターは初戦敗退となった。


 初戦敗退ではあったが、バスターの空飛ぶ斬撃に対して、宙に浮かぶベルガモットがあわや、という場面もあったので、観客席は試合が終わってなお、その興奮が冷めやらなかった。


 続く第二試合目、三試合は初戦ほど見せ場はなく、こちらも順当に上級生が勝ち上がった。


 そして、第四試合目。勇者科に所属する生徒の初戦。


 勇者科存続に向けた初陣を切るのは――。

『――次々行くぜぇ! 続く第四試合、本試合の出場者は数々の珍事件を巻き起こしている暴れん坊。二年生にして、魔闘会に先駆けて学園の生徒を対象にアンケートを取った『学園で戦いたいたくないランキング』で、な、なんと一位ッ! これはなんとあの"風の女王"の上を行く数字だッ! 二年生にして既に"狂犬"の二つ名が定着しつつある彼女、メアリィィィ・シュゥゥゥウッ!!』


 相変わらず何を考えているかわからない表情で、メアリーはステージに立つ。


 続いて実況のマイクは、対戦相手の紹介に移る。

『対するは昨年から台頭し、二年連続となる出場権を勝ち取った西の俊英。五年生となって最後の魔闘会ッ! 果たした爪痕を残すことができるのかッ! シャラットォォォォ、アスカロォォォォンンンン!!!!』


 彼女の正面には、主審のアペルを挟むようにして立つ茶髪茶眼の好青年――シャラット。


 メアリーは既に木刀を右手に持ち、その切っ先は地面についている。

 対するシャラットはすぐに切り結ぶつもりはないのだろう。彼の有する木刀は腰に携えてままであった。


 個人成績でも優れ、三年生ながら学園で武闘派で鳴らしているタンタ。

 その彼を、魔法協会から正式に三位階と認められた一流の付加魔法使いであるアカシアに支援バフを掛けられた状態で、正面から打ち破った彼女と、正面から切り結びたい生徒はあまり多くはない。


 痛みと引き換えにベルガモットやヴェレイラを倒せば、名誉が手に入る。

 しかし、痛みと引き換えにメアリーを倒したとしても、痛みしか残らない。


 主審を務めるアペルの開始宣言で、シャラットすぐに後ろに飛び退く。

 昨年度の魔闘会でベルガモットと対峙したとき同様に、距離を取って戦うようだ。


 だが、相手はメアリー。

 そうは問屋が卸さない。


 後ろに飛び退くシャラット以上の速度で、メアリーが肉薄する。


 ――え?

 

 シャラットも強化魔法を行使しているが、それ以上にメアリーが早い。


 瞬く間に鼻と鼻が触れ合いそうなほど、シャラットに詰め寄ったメアリーは、なおも後ろに下がろうとするシャラットの右足を彼女の左足で踏み抜き、逃げ場を奪う。


 そして、恐怖に引き攣った顔のシャラット目掛けて、右手にもった木刀を渾身の力で振り下ろした。






 凄惨な舞台となったステージ上を、最低限まで教師陣が整えるのを待つ。


『――えーーっ。大変ショッキングな光景でしたけども、学園の先生方のご協力もあり、辛うじてシャラット選手は一命を取り留めを取り留めたようです。はい』

『ほっほっほっ』

『老師も少しは試合の解説をお願いします』


 闘技場のステージには真新しい血の痕跡が残っているなか、大会は続く。


『第五試合。これは珍しい……。今大会唯一の亜人の出場選手。ブルー・ショット。輝石の色が黄色にも達していないので推薦枠だと思いますが、これは非常に珍しい光景ですね』

『ほっほっほっ』


 猫人族のブルーが入場すると、それまでの選手入場時の応援が嘘のように、生徒たちは観客席からブルーを見下ろすばかりで、声援を飛ばすことはしない。

 それどころか、誰かがブーイングを始めるとそれが瞬く間に広がり、観客席はブルーに対する悪意で覆われた。


 こういう状況になると、いつも矢面に立ってもブルーを庇うシトラスは、闘技場内の控室にいた。


 闘技場の様子を、音声と共に映し出す魔法具の画面を通じて見ていたシトラスは、ブーイングが始まるや否や控室を飛び出そうとしたが、シトラスを抱えながら一緒に画面を見ていたヴェレイラによって、優しく取り押さえられた。


 不正を防ぐため、出場選手は試合を除き、大会中は控室を出ることを許されていない。

 ネクタルの定めたこの規定を破れば、その選手の出場権は取り消され、不戦敗となる。

 

 なお、勝ち上がった選手は、出場前の別の控室が用意されているため、初戦を勝ち上がったベルガモットとメアリーは既にこの部屋にはいなかった。


 シトラスは、完全にアウェーとなったブルーを助けてあげられないことから、歯嚙みする思いで、その光景を凝視する。

 不安そうなシトラスを、包み込むようにヴェレイラが再び優しく抱きしめるのであった。






 主審のアペルの合図と共に、試合が始まった。

 ブルーの対戦相手は、奇しくもシトラスたちの所属するイストの五年生の男子生徒。


 場内は所属俱楽部を問わず、早くもイストの五年生を応援する声に包まれた。

 彼が攻めたてると会場は盛り上がり、逆にブルーが攻めたてると会場はブーイングが起こる。


 中には会場の空気に触発され、ブルーに対して心無い野次を飛ばす者まで現れた。

 それを見てさらに盛り上がる会場。


 その光景を画面越しに見ていたシトラスが呟く。

「何が楽しいのかな……」


 いつも朗らかなシトラスだが、感情が抜け落ちたかのような無表情であった。

 画面内の闘技場の様子を凝視する。

 観客席からブルーに対する心無い野次の音声を魔法具が拾った際には、その顔を不快そうに歪めた。


 魔法の実力では自身より勝る対戦相手に対して、ブルーは身体能力でそれを補って、試合展開を互角にまで持ち込んでいた。

 しかし、最上級生の成績優秀者ともなると、その実力もさるもので、魔法の合わせ技を駆使して、着実にブルーを追い込んでいく。


 何度目かの攻防の際に、ついに有効打を喰らいステージ上で膝をつくブルー。


 控室では、一部の生徒が思わず喜色を露わに快哉を上げた。

 彼らは同じイストの俱楽部生であった。

 他にも選民思想の強い傾向にあるセントラルの出場選手も喜んでいた。

 

 シトラスがそれを不快そうに見ているのに気がついたヴェレイラは、

「ねぇ、あなたたち少し黙って」

 と真顔で彼らに声を掛けた。


 途端に冷や水を浴びせられたように静まり返る控室。

 騒いでいたイストの生徒たちは、所属する俱楽部の幹部の機嫌を損ねた事実に、顔色を悪くして口を閉ざした。


 重くなった控室の空気を破るように、控室内で一人の女生徒が口を開いた。

「――別にいいじゃないの。貴女たちのとこの部員じゃない。私はイストは嫌いだけど、獣の分際で、四大行事にしゃしゃり出てくるアレの方がもっと嫌いだわ」


 声の主とヴェレイラの間に立っていた生徒が、声に反応してその道を開けた。


 進み出たのは十代とは思えない妖艶な容姿の持ち主の美女。

 やや黄色がかった銀髪に碧眼。口元の黒子が艶めかしい。

 制服を大きくはだけさせ、シャツのボタンは中央一つしか留めておらず、下着とその豊満な谷間や、腹部のお臍まではっきりと見えている。


 随分と自由な見た目の彼女は、銀髪碧眼が表す通り、王都出身のセントラルの所属する生徒。

 歴史や伝統を重んじる保守的傾向の強いセントラルにあって、この自由さを貫く力が彼女にはあった。

 彼女の豊満な谷間に乗るように輝いているのは輝石。

 彼女はブローチをネックレスのように改造して身に着けていた。


 その色はヴェレイラと同じく学園に七人しか許されていない赤。


 ヴェレイラがシトラスを抱きしめたまま、顔だけ彼女の方に向けると、

「シャンゼ」

 と小さく彼女の名を零した。


 誰もが固唾を飲んで七席同士の会話を見守る中、ヴェレイラの漏らした呟きは、その名の持ち主にその声を届けるのには十分であった。


「あら、レイラ。私のことは家名じゃなくて、リゼ、って呼んでって何度も言ってるじゃない」

 妖艶に微笑むリゼ・シャンゼに対して、

「私はあなたに愛称で呼ばせるほど気を許したつもりはない、って何度も言っているつもりだけど」

 ヴェレイラは素っ気なく言葉を返した。


「連れないわねレイラ。それでどうして貴女はアレの肩を持つのかしら? ここにいる皆が不思議に思っているわよ? 貴女だって本当は思ってるんでしょ? ――家畜の分際で、人様の舞台に出しゃばるな、って」

 リゼは控室の、闘技場内の生徒の気持ちを代弁するかのように、ヴェレイラに話しかける。


「――……て」

 ヴェレイラがそれに対して、小声で何か言い返す。


 それを気にも留めずに言葉を続けるリゼ。

「――それにアレが貴女のとこの部員に勝ったら、ベルかレイラがアレに落とし前をつけるんでしょう? それなら――」

 朗々と大人びた美声を控室に響かせるリゼ。

「――…まって」

 

「――アレのためにも、ここで負けた方が幸せじゃない?」

 リゼは何の悪気もなく、それがまるで当然のように言葉を言い切った。


「――だまってッッ!!」


 怒声が控室に響き渡った。


 リゼは怒りの感情を露わにするヴェレイラに対して、

「あら……? 何か私は怒らせるようなこと言ったかしら?」

 キョトンとした顔を浮かべた。


 沈黙が二人の間に流れる。


 次に口を開いたのヴェレイラでも、ましてや彼女と視線を交わすリゼでもなかった。


「ねぇ、レイラ――」

 それはヴェレイラの足の上に座るシトラス。


「シト。どうしたの?」

「――うるさい」


 誰かが唾を飲み込む音が聞こえた気がした。

 

 シトラスの横、と同時にヴェレイラの横に座るミュールが、シトラスの言動にやっちまった、と額に手を当てがう。


 ヴェレイラはしおしおと項垂れ、自身の足の上に座るシトラスに謝る。

「ご、ごめんねシト」


「あら……? レイラで文字通り見えなかったわ。その子は?」

 しかし、ヴェレイラは答えない。


 無言で謝罪するかのように、ヴェレイラは腕の中のシトラスをゆっくりと優しく抱きしめると、そのうなじに顔を埋めた。

 シトラスはと言うと、画面に映るブルーの応援に忙しく、それを気に留める様子もない。


 ヴェレイラが答えないので、リゼは二人の座る椅子まで歩み寄り、ヴェレイラの足の上で画面を見つめるシトラスに話しかけた。

「貴方はだあれ?」


 しかし、シトラスは一瞥をくれることもなく、それを切って捨てる。

「――うるさい」


 リゼは目をしばたたかせる。


 おおむろに口に手をあてがうと、心底愉快そうにリゼは笑った。

「うふ、ふふ、うふふふふ……」


 ひとしきり笑うと、リゼはシトラスを再度見つめる。


 ヴェレイラの隣に座るミュールは、飛び出してシトラスの非礼を謝罪するべきかどうか思いを巡らせる。


 王族や四門、それに連なる上級貴族や七席に対して、面識のない人物が許可なく話しかけることは不躾なことであった。


「私にこんな口の利き方する子は、初めてかもしれないわ。面白いわね。……誰かこの子の名前知らない?」

 控室の参加者をぐるりと見渡してリゼがそう言うと、今までリゼとヴェレイラのやり取りを黙って見守っていた外野が思い思いに口を開く。


 もちろん。イストの生徒は全員知っているのだが、許可なく彼の名前を他派閥に教えたとなると、イストの実質的な部長である彼の姉の反応が怖いので、全員が口を噤む。


「あー、俺その子と先月の対抗魔戦で戦ったわ」

 対抗魔戦でシトラスと対戦したタンタが一歩前に出ると、その口を開いた。


「あら、そう? そう言う貴方は西の"猛き勇士ハッカペル"タンタ・カンタね。噂は聞いてるわ。力がすっごい強いんですって、ね」

 しなをつくって視線を送るリゼに、タンタはどぎまぎした様子で頭をかいて恥ずかしがる。


「それでこの子の名前は?」

「たしかシト――」

 思い出すようにゆっくり名前を告げるタンタに、被せるようにミュールが言う。

「――シトラスですッ!」


 転がり出るようにリゼの前に出てきたミュール。

「そ、そいつは俺の、私の友人のシトラスと申します。数々の非礼をすみません。後で私からもきつく言っておきますのでッ」


 意図的に名前だけをリゼに伝える。

 どうせ家名は後からばれることではあるが、少しでもシトラスの負担を和らげてあげようとの思いから出た言動であった。


 シトラスは相変わらずリゼを一切気にも留めずに、画面に釘付けである。


 リゼは舌なめずりしてシトラスを見つめる顔は捕食者のそれ。

「……ふーん、そう。シトラス、ね。ふふ」


 その当の本人はと言うと――


「やったぁぁぁあああーー!! 勝ったぁぁぁあああーー!!」


 ――突如立ち上がって快哉を上げた。


 ブルーが勝利を収めたようであった。


 自身の首に顔を埋めていたヴェレイラを払いのけて立ち上がったシトラスは、天に向かってガッツポーズ。

 彼は控室にいる他の参加者どころか、観客席にいる生徒の誰よりも、逆境を跳ね除け勝利を掴んだブルーの勝利を大きく喜んでいた。


 勇者科の女性陣の二人は、その役目を果たした。


 あとは男性陣の二人。勇者科の存続。

 その命運は、シトラスとミュールの双肩にかかっていた。



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