幕間 ライラ


 カーヴェア学園の夏季休暇が始まって一週間。


 常日頃から顔を布地で覆い隠していることが特徴的な猫人族の少女、ライラは王城の地下都市にいた。

 先週行われた終業式で無事四年生を終え、新学期で学園の最上級生となる。


 学園の夏季休暇中は、所属する生徒に王城の地下都市は解放されている。


 猫人族のライラは、相変わらず露出の少ない恰好。

 大きな布地を巻いて首から顔を覆い隠し、わずかに目元だけが露出している。

 褐色の肌と銀色の瞳。わずかに光沢のある黒髪が露出している部分から垣間に見える。


 ライラが地下都市にいる理由は、所属する派閥の護衛であった。


 地下都市に広がる中心部に設置された、ポトム王国の国旗を掲げた見上げるほど高いポール。

 そのポールの先端に掲げられた国旗とは反対側に、両足と片手で器用にぶら下がって体で扇を描いて、都市を見下ろしている。人が豆粒のようだ。


 派閥の護衛とは言っても、地下都市は王国で最も安全な場所の一つ。

 そうそう滅多なことが起こることはない。


 ライラは見下ろした先に、市井に紛れた王国の衛兵が、そこかしこにいるのがわかった。

 彼らは地上の衛兵と完全に指揮系統が異なり、私服で通常の生活を送っているように見える。それは腕に覚えのあるものでなければ、気づくことは難しい。


 ライラは、護衛対象の派閥の者に先行して周囲を伺っていた。


「お出ましか……」

 

 彼女の視界の端では、護衛対象である学園生徒の集団が見えた。

 集団は大通りの中央を肩で風を切って歩いている。


 その誰もが銀髪碧眼。

 銀髪碧眼は、ポトム王国の中央貴族に最も多くみられる特徴であった。


 彼らは大通りを我が物顔で歩いており、誰にぶつかろうがおかまいなしだ。

 そればかりか、時に目の前の障害を力づくで排除していた。


 それを冷めたきった視線で見下ろすライラ。


 奇妙なことにその横暴な集団を前にして、地下都市の住民は誰もが笑顔であった。

 銀髪碧眼の集団、セントラル魔法俱楽部に暴力を振るわれた者も、店先の商品を破壊された者も誰もがニコニコとしている。そして、それを周囲で見ている者も。それはある種の異様な光景であった。


 集団もそれを当たり前の様子で、足を止めることない。


「クズどもが……」


 吐き捨てた言葉は地上に届くことなく、風に流され消えていく。


 護衛対象の集団が、地下都市一番の宿に入って行くのを見送ると、その建物の周囲を見渡す。


 すると、ある一点に視線が動いたところでそれまでけだるけだった彼女の目が開く。

 遠目に予期せぬ存在を見つけたようであった。


 その視線の先にはシトラスであった。そして、その横には猫人族のブルー。

 その後ろにはシトラスの友人たち、ミュール、メアリー、レスタ、エヴァの姿もある。


 彼らは楽しそうにキョロキョロと地下都市を見渡している。


 中でも地下世界に広がる空が珍しいようだ。

 シトラスがブルーの手を引いて、空を指さしてはしゃいでいる。


 おのぼりさん丸出しの彼らの様子に、ライラの口から思わず笑みが零れた。


 学園に入学してから続いている夏の退屈な派閥の御守りから、この年はマシな夏季休暇になりそうな気配をライラは感じていた。






 シトラスが地下都市に訪れて数日。

 ライラは、シトラスを見守っていた。


 ライラたちの仕事は、護衛対象の外敵や間諜に備えることであった。


 しかしながら、セントラルの生徒たちは毎年チェックインを済ませたあと、宿から出ることはほとんどない。食事、娯楽と言ったほぼ全てを館内で済ませるのだ。


 護衛の一部は館内に配置されているが、護衛対象によってライラのような獣人は、許可なく姿を見せることすら禁じられていた。

 そのため、去年までのライラは毎年夏季休暇のほとんどの時間を、護衛対象の宿を遠目から眺めることに費やしていた。

 

 だが今年は違った。


 護衛を抜け出してシトラスを、シトラスとブルーを尾行するライラ。

 

「この街ってどうなってるの? なんでもタダでくれるんだけど」

「さあな。さすがに貴金属や武具は取扱ってないようだが、それでも十分だ」


 黒髪銀瞳に褐色の肌。長身で起伏のハッキリとした体型は、舞踏祭で彼女が体の線が出る服を着用した際に、メアリーがビッチと呼ぶくらいには蠱惑的な魅力にあふれている。

 ライラはいつも顔の大きな布地や外套を身に纏い、人目を惹く身なりをしていた。しかし、それを逆手に取って、変装では髪型や雰囲気を変えて、周囲に溶け込むことに長けていた。瞳の色を変える魔法具を使いこなし、喋り方も外見に合わせて変える。


 この日のライラは銀色の瞳を魔法具で黒色に変え、髪型をおさげに編み込んで、田舎の純朴な少女を演じていた。普段から素顔を滅多に人目に曝さない彼女にとって、素顔が変装でもあった。


 今まで一度も変装を見破れたことがないのが、彼女の密かな自慢であった――。


「ねぇ、ライラはどう思う?」


 ――シトラスに見破れられるこの時までは。


 いきなり振り返ってライラに話を振るシトラスに、変装を見破られた動揺から言葉を失うライラ。


 直前までシトラスと話していた二人の反応は、

「は? シト、お前何言ってんだ?」

 と訝しむミュールと、

「おい、ナンパかよシト。やるじゃねーか」

 囃し立てるレスタ。


 シトラスの視線がライラから再び二人に戻ったすきに、

「す、すみません……ッ!」


 ライラは往来の人混みに飛び込んで姿を消した。


「あ、逃げちゃった……。残念ね。でもメアリーちゃんがいるのにナンパだなんて、やっぱりシトも男の子なのねー」

「? みんないったい何を?」


 優しい肘うちで、レスタのノリに便乗するエヴァであった。

 笑うミュールとレスタだったが、シトラスだけが困惑した様子であった。

 





 また別の日。


 ライラはヘアネットで特徴的な黒髪を隠し、その上から金髪のウィッグを被り、瞳色を碧色に変える。この日の彼女の服装は、普段の彼女が絶対着ないような肌面積の広い服。それはまるで酒場で給仕する女性が着るようなフリルのついたガーリーな服。


 普段の変装の二倍近く時間をかける念の入れようだ。


「今日は可愛いね」


 それが街中で目が合って二秒でばれた。


 この日、シトラスはブルー、ミュール、メアリーと四人で地下都市の中心部を散策していた。


 シトラスの隣でブルーは、怪訝な顔を浮かべながらシトラスと、固まっているライラを何度も交互に見つめる。そして、彼女は体を震わしたかと思うと、制服の尻尾穴から生えた尻尾がブンブンと激しく動き始めた。よく見ると彼女の眉間と鼻には小皺が寄っていた。

 

 固まるライラの手を引くシトラス。


 この日はシトラスに手を引かれて、結局五人で地下都市を散策することになった。





 

 その翌日からムキになって、あの手この手の変装でシトラスの目を誤魔化そうと試みるライラ。


 その試みは一ヶ月にも及んだ。


 しかし、どんなに髪型を変えても、どんな色に髪色を染めても、どんなに瞳の色を誤魔化しても、どんなに肌の色を隠してみても、シトラスは一目でライラを見抜いた。

 

 一ヶ月も変装を見破られ続けると、自分の変装技術に疑問を持つライラであったが、彼の友人たちは毎回驚かせることに成功しているため、単純に変装技術という話ではないようだ。


「ほんとになんでだ?」


 夏季休暇の終わる一週間前、そして新学期の一週間前。


 ライラはシトラスたちを見つけた日のように、地下都市中心部のポールの先端部に手と足をかけ、体が扇を描くようにポールの横にぶら下がっていた。


 彼女の脳裏から護衛、という文字が抜け落ちて久しく、中央の通りを歩くシトラスたちを見下ろしている。

 彼女の視線の先では、ブルーがシトラスの手を引いて歩いている。


「それにしても、まさか故郷では人嫌いで有名だったブルーがヒト耳に懐くなんてな。シトはいったいどんな手を使ったんだ? あの子の故郷の奴らが知ったらどう思うかな」


 手を引かれているシトラスは笑いながらメアリーの手を引いている。それを呆れた顔で見るミュールと、羨ましそうな顔を向けるレスタ。そして、それを呆れた顔で見るエヴァ。


 ライラの視線の先の五人は飽きもせずに、大通りの店々を散策して楽しんでいた。


 地下都市を照らす太陽が頭上にきたとき、事態が思わぬ方向に動き始める。


「おっ、おー……」


 都市一番の宿から大通りへとセントラルの集団が姿を見せた。


 それまで大通りを歩いていた地下都市の住民は、その存在に気がつくと蜘蛛の子を散らすように姿を隠す。

 大通りに面する店の従業員や店主は笑顔を保っているが、その笑顔は固く、特に初日の狼藉を目にした者たちその緊張を隠すことはできていなかった。


「毎年毎年なんでこうも連絡もなしに予定を変えて、勝手に帰るんだ。くそヒト耳どもが」


 憎々し気な視線の先、初日のように周囲へ当たり散らしながら歩を進める集団。


 そして、彼らのその先にはシトラスたちの姿があった。


「やめろやめろ。頼むミュール……! 何とかあいつらからシトたちを遠ざけてくれッ」


 ライラの願い空しく、セントラルの影がシトラスたちの影と重なった。


 視線の先で始まる口論。

 上級生もいる銀髪碧眼の集団に対して、エヴァが先頭に立って舌戦を繰り広げている。


 メアリーがさりげなくシトラスの前に体をスライドさせていた。

 シトラスは何か思うところがあるのか、何もせずに舌戦を繰り広げる二人の後ろで、集団を見渡している。ブルーは気配を殺して、そんなシトラスの後ろに隠れていた。



 ライラの優れた聴力を集中させて、彼らの会話に耳を傾ける。


「やめろお前たちッ。そいつに関わるなッ。下がれッ……そうだ。そうだ、いいぞ。よしよし、ミュール、それにレスタとか言ったな。上出来だ上出来だ……」


 傲慢な集団に対して、エヴァとレスタとが食い下がっていたが、ミュールが宥めた結果、二人は渋々引き下がる。

 

 しかし、道を譲ったシトラスたちに悪態をつきながら通り過ぎていく集団の一人が目敏く、シトラスの背後に隠れて気配を消しているブルーに気がついたようだ。


「おい、おいッ! 待てシトッ! 獣人の差別なんてこの国では珍しくない話だッ。それに加えて凝り固まった中央貴族のボンボンたち、極めつけだ」


 再び足を止めた集団が心無い言葉をブルーに投げかけると、先ほどまでと打って変わってシトラスが前に出て彼らと口論を繰り広げる。それを言われた本人より、シトラスの方が熱くなっている様子がよくわかる。


 シトラスは前に立つメアリーや北の二人を押しのけて、手を伸ばせば届く距離まで集団と距離を詰めて、セントラルに発言の撤回と謝罪を求めている。

 

「どうやったらヒト族のボンボンで、シトみたいな悪魔染みた優しさをもつことができるんだよ」


 セントラルの集団の奥から一人の男が出てくる。

 周囲が気を使っている様子から、彼がただ者ではないことがわかる。


 ライラはその姿に、強く見覚えがあった。


「ドージュ……カルバドス……ッ!!」

 中央派閥セントラルの実力者であるカルバドスの登場に、忌々し気な様子を見せるライラ。

 彼女の体を支えているポールを握る手に力が籠る。


 カルバドスはその傲慢さを隠しもせず、シトラスを馬鹿にして笑う。

 いきり立つシトラスの友人たち。


 話は決裂し、銀髪碧眼の集団がシトラスに襲い掛かった。

 それを瞬く間に制圧するメアリー。


 しかし、口角を持ち上げたカルバドスの一声。

 『おまえたちッ!! やれッ!!』


 彼らの護衛が一斉に彼の命令を叶えるために、シトラスたちに襲い掛かる。


 それはライラも例外ではない。


 感情に比例するように重い足取りで、最も早く事態を察しながら、最も遅く現場に姿を現したライ。


 ライラが現場に到着したときには、既に護衛を含む中央派閥とシトラスたちとの間で乱戦が始まっていた。


 数でも実力でも圧倒的に劣ると思われたシトラスだが、シトラスを除けば他は一年生の上澄み。予想以上に食い下がっている。


 中でもメアリーは八面六臂の大暴れである。

 無手にもかかわらず、中央派閥の護衛をほとんど一人で相手にする大立ち回りである。


 レスタとエヴァ、それにブルーの三人で、自分たちより数が多い中央派閥の下級生たちに互角以上の戦いを繰り広げていた。


 しかし、ライラは乱戦に散歩でもするかのように歩を進めると、あっという間にエヴァとレスタと距離を詰めた。

驚く二人の腕を取ったライラは、そのまま二人を青果店に投げ飛ばす。二人は盛大に果実をまき散らして木箱に埋もれた。


 レスタは木箱から何とか体を起こし、ライラに視線を向けると、

「"黒豹パンサー"……ッ!!」

 その歯を食いしばって音を鳴らした。


 シトラスとライラを遮るものは、何もない。


 戦いのさなかではあるが、不思議と静寂が二人を包んだ。


 驚いた顔のシトラスが、

「ライラ?」

 と呟いた声が、ライラの耳に届く。


 ライラは感情を押し殺した瞳で、目の前のシトラスを見つめると、

「……やぁ、シト。なんだ、いつもと違って今日は自信なさげじゃないか。あたしの変装もうまくなったものだな」 


 ははは、と乾いた声で笑うライラだが、それも長くは続かない。


 動揺から声が震えるシトラスは、

「なんで? なんでライラはあんなヒドイやつの味方をするのさ……?」


 シトラスの震える声に、顔を覆う布地の下で苦悶の表情を浮かべながらライラは、

「シト。あたしの所属クラブは中央貴族の集うセントラル。……それが全てだ。もし勇者になりたいなら覚えていてくれ。誰もが生まれを選べるわけじゃない。……あたしは家族のために、今からお前にひどいことをする。恨んでくれてかまわない」


 ライラの登場で、ほとんど一人で局面を支えていたメアリーの顔に、初めて焦りの感情が見える。


「私のシトに……ッ!! うッ」

 

 よそ見をしたメアリーに、初めて相手からの一撃が入る。

 すぐさま、カウンターを決めて自身に一撃を入れた護衛の意識を刈り取るが、流れは完全に中央派閥にあった。


 瞬く間に防戦一方となるメアリー。


 集団の中央であくどい笑みを浮かべて、シトラスを見つめるカルバドス、


 シトラスに向かってゆっくり歩きながら、腰に携えた短剣を流れるようなスムーズさで取り出すライラ。彼女は、シトラスを目の前にすると一度だけ瞳を強く閉じる。


 しかし、再びその瞳を開いたときには、ライラのその瞳は覚悟を決めていた。


 剣を振り上げるライラと、無抵抗にそれを見つめるシトラス。



「そのあたりにしておけ」



 彼女の刃を止めたのは、二つの重なった声。

 ライラとシトラスが見上げると、いつの間に現れたのか、青果店の屋上に立って、周囲を見下ろす二つの人影。


 それは褐色の肌をもつ対称的な二人の男。


 一人は右腕全体に刺青、右側頭部を極端に刈り上げた黒髪に、やや右寄りに結われたおさげ。

 身に纏った麻の一枚布で作られた衣服、キトンは左肩のみ留められており、その特徴的な青年の体の右側をいっそう強調していた。


 もう一人は左腕全体に刺青、左側頭部を極端に刈り上げた黒髪。やや左寄りに結われたおさげ。

 彼の身に纏ったキトンは右肩のみ留められており、その特徴的な青年の体の左側をいっそう強調していた。


 その姿を視認するや否や、ライラは膝を折って頭を下げた。


 しかし、それを見上げるセントラルの集団のうち、一人の男子生徒が代表するように声を荒げる。

 彼らは見下ろされていることに我慢ならないようだ。


「このッ!! エッタの民の分際で、我々に物を申すのかッ!!」

 ――と言い切った直後、啖呵を切ったその男子生徒は後方へと吹き飛んでいった。


 エッタとは王都キーフの地下に広がる都市の呼称。

 地上のキーフ、地下のエッタ。


「――つけあがるなよ小僧ども」

「誰を前にそのような生意気な口を開いているかわかっておるのか? ……カルバドスの小僧。これはお前の仕業が?」


 二人は軽快な足取りで青果店の屋上から、ひさしや店先に積まれた木箱を使って地面に降り立つ。


 二人の碧眼が見つめる先は、膝を折っているカルバドス。

 彼はセントラルの集団の中で、屋上から降り立った二人に対して膝を折っていた。彼の周囲のセントラルの生徒は膝をおる事態が理解できず、困惑している様子である。

 なお、ライラをはじめとするセントラルの護衛を務める者らは、ライラ同様に彼らの姿を一目見た時から、膝を折って頭を下げていた。


「……申し訳ございません。私の教育が行き届いていなかったみたい、でッ!?」


 地面に降り立った二人のうち、体の左側に特徴をもつ男が、その墨の入った左腕をカルバドスに伸ばすと、カルバドスはまるで見えない力に引っ張られるように、勢いよく伸ばしたその手に引き寄せられて、手のひらにその首が収まった。


 左腕一本でカルバドスを持ち上げる男。


 それを傍目に、体の右側に特徴をもつ男がセントラルの残りの生徒たちに冷めた視線を送る。

 

「御託は良い。今すぐこの都市から出ていくがよい。それと、後ろの銀髪の小僧ども。今後お前たちの地下都市の出入りを禁じる」

「そ、それはなんでもッ!?」


 うろたえるセントラルの生徒たち。

 二人の登場に今やシトラスたちとセントラルの争いは止まっていた。二人とその腕の中のカルバドスに視線が集まっている。


 うろたえるセントラルの生徒に対しても、男は淡々とした声で、

「破ってくれてもかまわん。ただし、我々が次にお前たちの顔を地下都市で見かけたら、地下牢送りとする。そうなればお前たちがどこの家の出だろうが、二度と生きて地上に出られるとは思わないことだな」


 男が持ち上げたカルバドスの首から手を離す。

 開放されたカルバドスは激しく咳き込んだものの、その膝を折ることはしなかった。


 男たちはカルバドスを開放し、セントラルのセントラルに出禁を通告すると、次はシトラスたちに視線を移す。


「お前たちは? ……いや、いい。殺すか?」

「学園の生徒だ。……いや、いい。殺すか」


 体の右側に特徴をもつ男が、最も近くにいたミュールに向けて、その墨の入った右腕を持ち上げて手を翳すと、

「えっ……ッ!?」


 ミュールは、くの字に体を折り曲げて、勢いよく吹き飛んでいく。そして、そのまま青果店の向かいの精肉店のカウンターをぶち破り、店内に消えていった。


 これでシトラスたちの六人のうち、半分となる三人が大通りから姿を消した。

 この場を支配する二人の青年が次に標的として定めたのは、ミュールに次いで彼らに最も近い位置に立っていたシトラス。


 ミュールにそうしたように、体の右側に特徴をもつ男が、手を翳すが、

「まって、くだ、さい」


 震える声で、彼らの静止を試みるライラ。


 それを見ていたブルーが肩を震わせる。

 ライラと異なり、彼女は目の前の人物を正しく認識できてはいなかったが、その実力のほどは認識できていた。


 彼らが圧倒的な強者である、ということを。


 シトラスが狙われたことで、言葉が思わず口をついて出たライラ。

 彼女自身、目の前の男たちが王国で地位の低い獣人である彼女の言葉に耳を貸すとは思ってはいなかった。

 事態を見守っていたセントラルの生徒たちも、彼らがライラの発言を聞くとは思わなかった。集団の長であるカルバドスでさえ、邪険にされたのだ。ただの護衛の一人で、亜人であるライラの発言に耳を貸すとは思えなかった。


 しかし、周囲の予想に反して、ライラの言葉に物珍しそうに互いに顔を見合わせて逡巡する褐色肌の二人。


 それを見て、今度はブルーが勇気を振り絞って言葉を発する。

「お、おねがい、します」


 これが決め手になった。


 剣呑な空気を霧散させた二人は、

「ほぅ……。あの気まぐれな猫人族に懐かれる人族は久しぶりに見たな、殺すのはやめておくか?」

「あぁ、殺すのはやめておくか。だからお前もやめておけ」 


 セントラルの予想に反してあっさりと引き下がった二人。

 二人は視線をシトラスに向けたまま、いつの間にか背後まで忍び寄っていたメアリーに釘を刺した。


 シトラスはメアリーを押しとどめて、感謝と共に二人の素性を問う。

「メアリー、大丈夫。彼らは敵じゃない。……助けてくれてありがとう。君たちは?」


 別に助けたわけではないのだがな、と呟いた後で二人は、

「我々はライト兄弟」

「我々はこの地下都市の法の番人である」


 二人を知るライラは、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 これでシトラスは無事に地上に帰ることができると――。




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