十四話 学園と輝石と


 入学式を終え、先導する先輩に連れられて、大講堂を後にするシトラス。

 入学式で知り合い、今ではすっかり打ち解けたレスタとエヴァ。

 大講堂の出入りは部屋の後ろの扉からであるため、長テーブルの最後列に座っていたシトラスたちは必然的に、寝室へ向かう最前列となった。

 

 先輩にあたる男子生徒が、目的の部屋まで先導する。

 先導する生徒は、歩きながら軽く体を後ろに傾け、後ろに続く新入生と言葉を交わす。


 学園に入学する生徒は成長期真っ盛り。

 一年と言えど明確な体格差が出始める頃。

 シトラスたちを先導する男子生徒の先輩の体格は、大柄なレスタと同じぐらいだが、体の肉付ききが一年生のそれと比べてしっかりとしている。

 比較的小柄なシトラスと比べる言わずもがなである。


「俺はベイコン。三年だ。おっと、そこのお前。珍しいのはわかるがそれは触っちゃだめだ」


 集団から少し離れ、廊下に埋められるように設置されている、

 精巧な鎧の像に手を伸ばしていた新入生の一人に声をかける。


 注意された少年は、手を止めてベイコンに反抗的な視線を向けるが、

「そいつら動くぞ」

 というベイコンの声に慌てて伸ばしていた手を引っ込める。

 少年が顔を上げ、たった今触ろうとしていた兜の中を伺った。

 何か光る球体が少年を無機質に、だが確かに見返すのがわかった。

 少年は慌てて列に戻り、それを近くで見ていた新入生たちは唾を飲んだ。


「城では基本的に常識が通じないと思った方がいい。ほら見ろ。雲だ」


 再び歩みを進める一行の進行方向から現れたのは、城内にも関わらず大きな雲・・・・

 面積自体は空に浮かんでいるものほど大きくない。

 それでも十人ほどであれば収まるくらいの大きさである。


 城内で自身の上を通過する雲に、新入生は興味津々で上を見上げる。


「なんで雲?」

「あれ、雨降ってきてない?」

「あ、ほんと」


 掌を上に向けるシトラスが呟く。


 ぽつり、ぽつりと雫が落ちる。


「やばい、雨雲か。ちょっと急ぐぞ」


 少し早足になるベイコン。


 どうしたんですか? と新入生の誰かが聞く前に後列から悲鳴が聞こえてくる。

 それが答えであった。


「うわっ、あ、雨!?」「ぶはぁッ! な、なんで室内で!?」

「雲の下だけだ!」「はやく出ろッ!」「こっちきたッ!」


 遠目にもはっきり見える局所的豪雨である。


「あー、間に合わなかったか」


 あちゃー、と額に手を当て苦笑いのベイコン。


「そういうことだ。この城では常識は通じない。まぁ、そのうち慣れてくる。それまでは知っている物以外は触らない。知っている道以外は通らないように。さぁ、先へ進むぞ」


 そうして、また集団はぞろぞろとその歩みを進める。

 一部の生徒がローブをぐっしょり濡らしていて凄く歩きづらそうであった。


 ちなみに、列の先頭だけではなく、最後尾にも引率として別の先輩がおり、集団に目を光らしている。


 集団は階段を上下し、斜めに傾いている廊下や、突然廊下が崩落したかのような幻覚魔法といったギミックを越える。

 その度に、集団からは悲鳴や叫声が発せられた。

 先導するベイコンたちは事態の収拾に時間を取られながらも、目的の部屋に辿り着く。


 目的の部屋は両開きの扉で閉じられていた。

 入口には取手も鍵穴も見当たらない。


 扉の前に立つとベイコンは振り返って説明する。


「ここだ。また後で説明するが、部屋には魔法により錠がされている。錠は合言葉で開くようになっている。毎月この合言葉は変わるから気をつけるように。合言葉は室内の掲示板に掛かれている。えっと、今は――」

 

 ――開けゴマ、とベイコンが扉に向かって言い放つ。

 すると、扉からガチャガチャと音が聞こえたかと思うと、内開きに自動的に扉が開いた。


 先導していたベイコンは振り返って大袈裟に膝を折り、マントを広げる。


「ようこそ。新入生ニュービー


 新入生が中に足を踏み入れると、熱い歓声が集団を包む。


 部屋の中心部が円錐型の吹き抜け構造になっていた。

 足を踏み入れた先、頭上を見上げると三階まで見て取れる。

 ぎっしりと上級生と思しき生徒が詰めかけ歓迎していた。

 何の魔法なのか紙吹雪が延々と待っている。

 歓迎の声と共に部屋中から軽快な音楽が聞こえてくる。


 部屋の中心部は扇状の段構造に広がっていた。

 扇の中心部に行けば低く、外側に行くほど物理的な高さが高くなる。

 百人は優に座れる場所である。


 入室してきた新入生は、先輩方の祝福に囲まれながら、思い思いの場所に座っていく。


 三人は、正面の最前列にレスタを真ん中に腰かけた。

 後から入ってくる新入生に視線を向ける。


 ローブ姿であるが、その容姿は千差万別である。

 大きい者、小さい者、肌の色が白い者、黒い者、黄色い者、そして獣耳を持つ者など多種多様である。


 シトラスが、自分たちの後に部屋に入ってくる新入生に視線を飛ばしていると、見覚えのある顔が、文字通り飛び込んできた。


「シトッ!!」

「うわっ!」


 直前でその勢いを殺したようだが、それでも衝撃はあるわけで、うっ、とのけぞるシトラス。


 そんなシトラスの胸に顔を埋めてグリグリグリとするのは、赤毛の美少女。

 癖のある鮮やかな赤髪を健康骨あたりまで伸ばしている。

 手足が長く、小顔で顔のパーツが整っており、美人の多い貴人の中でも、美少女と言って差し支えない容姿である。


 美少女が急にシトラスの胸に飛び込んできたことに、ぎょっとしたレスタとエヴァであったが、その飛び込んできた少女の横顔が整っていることに気づくと、途端にレスタの顔が今度は羨ましそうな表情に変わる。

 その鼻の下が伸びた彼の顔を、隣に座るエヴァがジト目で見つめていることに彼は気がつかない。


 だらしない顔をしているレスタを差し置いて、シトラスと赤髪の少女に声をかけるエヴァ。

 シトラスの横に座るレスタも興味津々だ。


「シトその子は?」

「彼女はメアリー。ね、メアリーも挨拶しないと。彼女はさっき友達になったエヴァ。で、ぼくの隣にいるのがレスタ」


 胸にしがみついたまま「んー、よろしく」と顔だけエヴァとレスタに向けて、そっけなく挨拶するメアリーに苦笑いが零れる。

 しかし、レスタは美少女と話せて満足なのか、鼻の下が伸びっぱなしである。

 エヴァはそんなレスタの様子にその頬を膨らます。


 そんな二人は露知らず、メアリーはまた頭をグリグリグリと、まるでマーキングする動物かのように体をこすりつける。

 それを、仕方ないなぁ、と少し乱れた鮮やかな赤髪を手櫛で梳く。


 その一連の様子を見た階上の女性陣からは黄色い声があがった。

 隣に座るレスタも一層羨ましそうな顔を向けている。


「ほら、メアリー。早く座らないと席なくなっちゃうよ」


 同卓の新入生はすべて入ったようで、扉が閉められるところであった。


 室内は相変わらずの歓迎ムードが続いている。

 後から入ってきた生徒が、どうにか開いている席を探している状態である。 


 シトラスが開いている手で、まだ空いていたレスタと反対側の自分の隣をぽんぽんと叩く。

 メアリーはシトラスの上から、その隣の席へ座り直す。

 座るとすぐに肩にもたれてきたメアリーに、もー仕方ないなー、なんて言いながらも再度髪を梳くシトラス。


 周囲の新入生も、驚きと羨望の視線を飛ばす。

 階上を見渡すと先ほどより黄色い声が増した女性の先輩方。

 こちらも羨望の視線を飛ばす独り身の男性の先輩方。

 ちなみに、レスタからの血涙を流さんばかりの視線が一番強烈であった。


 シトラスは良くも悪くも視線を一手に集めていた。


 新入生が腰かけたのを確認するとベイコンが、部屋の中心に立って口を開く。


「よーし。これからカーヴェア学園で過ごす上で簡単なルールを教える。俺はベイコン・ガーバー。三年だ。まず、スタンレー教授が説明した七大規則は必ず守ること。次に――」

「おいおい! ガーバーって南の男爵の出じゃないか。そんな家柄に指図は受けない。俺の家は――ぶふぁッ!!」


 ベイコンの説明途中に、立ち上がった目つきの悪い銀髪碧眼の少年。

 家柄を笠にきたその少年は口上を言い切ることなく、後ろに座っていた少年を巻き込んで吹き飛ばされた。


 部屋が静寂に包まれる。


 いつの間にか茶髪の少年に手を翳しているベイコンは、何事もなかったかのように肩を竦める。


「スタンレー教授は七大規則でなんて言っていたかな?」

「お、おいっ! 横暴だ! 俺は子爵家の――ぶふぉっ!」


  目の前で振るわれた暴力に、保身の為に立ち上がる銀髪碧眼のキノコ頭の少年だが、今度は別の先輩に、水球で吹き飛ばされる。

 そこでも後ろの新入生たちが巻き込まれる。


 それらの一幕を見て階上から爆ぜる声。

 新入生が見上げた先では、階上では先ほどとは違った雰囲気でやんややんやの大騒ぎ。


 新入生たちは知らぬことであった。

 入学して間もない新入生が、上級生に折檻されることは毎年の風物詩のようなものであることを。

 そのため、学園側が手配した案内人も万が一を考えて、二年生ではなく三年生であった。


 環境と才能に恵まれた新入生は、入学時点で平均的な新二年生に匹敵、凌駕するものも少なくない。

 しかし、入学時に三年生に匹敵する実力を持つ新入生はほとんどいない。

 それほど一年間の教育には差があった。


「質問は彼のように挙手して行うように。で、どうした?」

「レスタ・サンチェルマンです。許可のない魔法の使用は禁止では……?」


 おそるおそる挙手したのはレスタ。


「いい質問だ。だが、俺達はスタンレー教授より、お前たちに学園の規則を説明するように指示を受けている。そして、それを妨げる者に対して適切な処置を行っただけだ」


 つまり、説明を邪魔する者は容赦しないということである。


「ほかに?」

「い、いえ」

「じゃあ、説明を続けるぞ。知っている者も多いと思うが、この学園では成績が極めて重要である。座学、実技の個人成績、行事、俱楽部における実績。これらの総合成績を競い合うというのが学園創設以来の伝統だ。総合成績優秀者は、年度末に開かれる王城の晩餐会に招かれるという大変栄えある競争だ。特筆する成果を残したものは、恐れ多くも国王陛下より直々にお言葉を賜れる機会でもある」


 王城の晩餐会、王様からの直々の言葉と聞いて色めき立つ新入生。


 新入生の様子に満足げに頷くベイコン。階上の上級性の中には、うんうんと過去の自分を投影し頷いている者もいる。


「俺から言えることは一つ、励め。ただそれだけだ。また、このブローチは輝石を特殊な魔法で加工して作られているもので、特殊な魔法が施されたこの輝石は、魔力が溜まれば溜まるほど、その色を変える。成績優秀者――主に座学、実技で好成績を収めると、その成績に応じて教師からブローチに魔力が与えられる。最終的に年度末にそのブローチに集まった魔力量を競うんだ」


 そう言って、自身の胸に輝くブローチを触るベイコン。

 その色は新入生の灰色とは違い、緑色に輝いていた。

 もう一人の上級生の胸には青色に輝くブローチ。


 輝石って何? と小声でレスタに尋ねる。

 魔力をため込む石で魔力を溜めると光る、と同じく小声で返ってくる。

 その答えに、へー、となるシトラス。


「倶楽部の入り方だが、ブローチに羽がついている人を探せ。ブローチに羽が付いている人は監督生と呼ばれる者で、倶楽部への加入の権限を持っている」


 反抗的な顔を見せていた者も、先輩に怯えていたものを今や食い入るようにベイコンのブローチに視線を送り、一言も聞き逃すまいと耳を澄ましている。


 制裁から気を取り戻した新入生も、打って変わって真剣な表情だ。


「最後に今すぐ倶楽部に入れなかったとしても諦めるなよ。縁故や実績のない者であれば、倶楽部に入れるのは三年ぐらいだと思ったらいい。四門の倶楽部はそれぞれ城の角にある塔を与えられている。そこを管理していて、そこで魔法の研究や実験をしたりする。俺も今年から東の倶楽部に入ったから、今年から放課後や休日はそっちで過ごすことになる。君たち後輩が早く来られることを待っているぜ。まぁ、間違ってもこいつらみたいにここの主になんかならないようにな」


 階上の人間を親指でくいくい、と親指を差し揶揄すると、口調に階上からぶーぶーと茶化した野次が入る。

 それを笑って流すベイコン。

 階上の多くの人間とは顔見知りである。

 それゆえに、その野次もどこか温かいものであった。


「何か質問あるか?」

「はい!」


 もたれかかっていたメアリーを優しく押し戻し、立ち上がったのはシトラス。


「なんだい色男?」


 からかうように答えるベイコンを気にせず、この部屋の新入生が一番気になっているであろう質問を投げかける。


「その羽根つきブローチを持った監督生? っていうのはどうしたら会えるの?」

「そうだな。まず一番早いのがさっきも言ったが座学、実技で好成績を収めることだ。具体的には学園で年に一回行われる学園内の魔法試験で優秀な成績を収めるとかな。あとは他の学園行事で際立った成果を残すことだ」


 今や室内の新入生は、一言一句を聞き漏らすまいと無駄口をたたく者はいない。

 前のめりになって話を聞くものをいるほどである。


「学園行事?」

「そうだ。カーヴェア学園には四大行事と呼ばれる行事がある。

二人一組に別れて魔法によるコンビネーションを競う対抗魔戦。

何でもありの個人の実力を競う魔闘会。

あとはさっきも言った一年の座学の成績を決める魔法試験。

男女で華やかに踊る舞踊祭。

この辺りの説明を全部すると話が長くなるから、また後で仲良くなった先輩にでも聞いてくれ。舞踊祭は四大行事の中では唯一競い合う行事ではないから別として、他の三大行事でいい成績を収めて上級生の目に留まることだな。これでわかったか色男?」

「わかった! ありがとう」


 シトラスの物言いにピクリと眉が動く。


「……ほかに質問あるやつ?」


 その後、何人かの新入生からの質問に答えると追加で、部屋割、食事、講義時間の説明をしてその場はお開きとなった。


「最後に寝室について説明しておこう。一階はすべて一年生の寝室だ。部屋は好きに決めていいが、部屋が決まったら、各部屋に名前を書く用紙があるから、そこに名前を必ず書くように。以上だ」


 話を締めくくると、ベイコンは部屋を後にした。


 室内は左右で女性寮と男性寮で分かれている。

 部屋は先着順とのことなので足早に寝室に向かう者。

 その場に居座り、さきほどの話を周囲と話す者に分かれた。


 シトラスは、レスタとメアリーに、少し待っていて、と告げた。

 今しがた部屋を出て行ったベイコン達を追いかける。


「ちょっといい?」

「……色男か。なんだ、まだなんか聞きたいのか?」


 部屋の外で立ち止まって振り返るベイコン。


「ほかのテーブルの人たちってどこにいるの? 隣のテーブルにぼくの友達がいたんだ」

「えー、っと隣っていうと?」

「まだ呼ばれていなかった方!」

「んー。どうだったかな。マシュー? 覚えているか?」


 隣を歩くキノコ頭に水の魔法を行使した上級生――マシューに声をかける。


「ん、あぁ。隣はテリーとフォッシュだったと思う」

「あぁ、そう言えばそうだったな。色男、このフロアは無所属の寝室フロアだ。このフロアには四つの部屋がある。今お前が出てきた部屋の隣と、向かい側の二部屋だ。反対側の奥の部屋が後の新入生の部屋だ」

「ありがとう!」


 たったったっ、と目的の部屋まで小走りで走る。しかし、もちろん合言葉を知らないので、たったったったと小走りで戻ってくる。


「鍵知っている?」


 怖い者知らずなシトラスの様子に、ベイコンとマシューは顔を見合わせて笑う。


 シトラスにとって幸いだったのが、二人が温厚な性格であったことだ。

 ベイコンも口調に似合わず、言葉遣いで目くじら立てる人間ではなかった。


「たしかあの部屋は、七転び八起き、だった気がする」


 マシューが記憶から合言葉を捻りだす。


「ありがとう!」


 再びたったったっと小走りで部屋に走りよると「七転び八起き!」と合言葉を唱え、開錠された部屋に入っていく。


「なんか不思議な新入生だな」

「たしかに……」


 二人は部屋に入っていくシトラスを見送る。

 その姿が見えなくなると踵を返し、二人はこのフロアを後にした。


 

 シトラスがベイコンから聞いた部屋の中に入ったとき、上級生が説明を終えたところであった。

 上級生と思しき生徒が扉に向かってくる。


 彼らの横を通り抜けて部屋に入ったシトラス。


 部屋の作りはシトラスの案内された部屋と一緒である。

 部屋の中心に立って、部屋に残っている新入生を見渡した。

 終わったばかりとあって、大半の新入生がまだ残っていた。

 その中からミュールの姿を探す。


「あっ! シトッ!」


 ミュールの方が先にシトラスを見つけて、駆け寄ってくる。

「どうだった?」

「どうもなにも。まずお前と違う部屋ってだけでびっくりしたよ」

「彼ったらずっとキョロキョロしていたのよ。あなたがミュールの言っているシトかしら? 私はオーロラ・ツァリーヌ。フィンラディア所縁の者よ。よろしくね」

 

 くすくすと笑いながらミュールの横に現れた紺髪紺眼の少女――オーロラに、ばかっ、と突っ込むミュール。


 オーロラは腰に届くほどのさらりとした長い髪と相まって、どこかお嬢様然とした雰囲気を持つ美少女である。

 ミュールとオーロラ、彼らはこの短い時間で随分と打ち解けたようだ。


 オーロラの話を聞いてミュールを茶化すシトラス。


「よろしくオーロラ。ってことは、あれ? もしかしてさみしかった? もー、ごめんごめん」

「調子に乗るなッ。お前の姉貴にお前の面倒を頼まれているんだよッ。お前を早くあのイカレポンチ姉貴に届けてこの重圧プレッシャーから早く解放されたい……」 


 疲れた様子を見せるミュール。

 二人はそんなミュールの姿を冗談と捉えて笑い飛ばす。


「そう言えば、同室にメアリーがいたよ」

「げっ」


 ミュールは模擬戦でぼこぼこにされ、遊びでぼこぼこにされ、悪戯でぼこぼこにされ、いつもいつもぼこぼこにされていた。

 シトラスの額に傷がつくこととなったあの一件の後、二人はシトラス主導の下で仲直りはしたのだが、以来何かにつけてボコられていた。


 最近では、領内にメアリーが遊びに来るとわかると部屋に引き籠もる始末であったが、最終的にはおびき出され、結局はぼこぼこにされるのがお約束でもあった。


「あいつ一人にして大丈夫か?」


 主に導火線的な意味で。

 見た目は可憐な少女だが、中身は猛犬もびっくりな狂犬だ。

 過去のシトラスに対する凶行から、ベルガモットからもシトラスに近づけないように名指しで注意するように言われていた。

 本人が全く気にしていないのが皮肉な話だが。


「大丈夫だよ、たぶん」と屈託のない笑顔を見せるシトラス。


「ったく、で部屋はどうする?」

「そうだね。部屋って変えてもいいのかな?」

「それなら、さっきオーロラが質疑応答で上級生に聞いていたけど、問題ないみたいだぜ。各部屋の寝室に空きがあれば問題ないってさ」

「私も友達と部屋が別れちゃって……。ただ、私の方はこの部屋に知っている顔も多いから、その子も呼んであげようかな、って。いいでしょう?」

「いいね。じゃあ、ミュールはぼくの方に来てよ。レスタもエヴァもメアリーもいるし」

「いいぜ、じゃあオーロラ。俺たちは先に行くわ。またな」

「うん。またね」


 シトラスを先頭に二人は部屋を後にする。

 

 二人が廊下を出る頃には、廊下は新入生でごった返していた。

 部屋変えを考える生徒、今のうちに多くの生徒を見ておこうという生徒、ナンパに精を出している男子生徒。


「人多いね」

「まぁ、毎年新入生は二百人前後いるらしいしな」


 人込みの間をぬって、シトラスが案内された部屋に向かう二人。


「へー、みんな貴族?」

「いや、バーラ師匠せんせい曰く、シトみたいな貴族が二割、俺みたいな貴族の所縁の者、下級臣民が七割、その他訳ありが一割だそうだ」

「訳あり?」

「他国からの留学生とか亡命者とか、毎年特殊な事情をもつ奴が一定層いるみたいだ」

「へー、ちょっと会ってみたいなぁ」

「――ってお前は言うだろうから、会うときは必ず俺が側にいるようにって師匠せんせいが言ってた」


 長年従者を務めていただけあってお見通しだね、とシトラスは笑う。

 ミュールはそれを見て、これ絶対しんどい思いするの俺だろ、とこれからの学園生活で引き受けるであろう心労を考えてげんなりした。


 目的の部屋はもう目と鼻の先。

 何故か二人が向かっている部屋から出てくる生徒の波に二人は気がついた。

 部屋から出てくる生徒の顔色がみんな悪く、逃げるように部屋から飛び出ていた。


 ミュールの顔が引き締まる。


「この部屋だよ――」


 開け放たれた扉を越えた。

 一歩踏み出したシトラスに向けて、室内から人が吹き飛んできた。


 ミュールは素早くシトラスの前に飛び出ると、吹き飛んできた少年をいなす。

 向かってきた力を逸らし、壁に叩きつける。

 飛ばされて来た少年は蛙のように壁に張り付けられて、直ぐに床に崩れ落ちた。


「あぁ~、ほっんと嫌な予感がする~」


 と言いながらシトラスを追い越し、駆け足で中に入っていくミュール。






 ミュールの目に飛び込んできたのは混乱カオス


 どこもかしこも大乱闘。


 室内は荒れていた。

 誰がどこから引っ張ってきたのか。

 机や椅子、参考書が空を飛び交っている。


 部屋の中心部で大立ち回りをしているのがやはりというか、癖のある輝く赤髪が目を惹く美少女――メアリー――だ。

 左右から掴みかかる男子生徒の力を逸らすと、バランスを崩した男子生徒らの顎に、キレのいい蹴り上げをお見舞いする。

 流れるような動きに、まるで舞踊でも見ている気持ちにさせられる。舞台がこのように荒れ狂っていなかったらの話だが。


 横から手を振りながら近づき、静止にかかるミュール。

「おいっ! あっぶ! お、おい! 俺だよ!」


 一直線にメアリーに近づいたミュールに対し、振り向きざまに強烈な回転蹴りがその顔に繰り出される。

 ミュールはすんでのところで上体を伏せて、これを回避し、蹴りだされた足が空振りに終わる。

 その足が、ミュールの顔のあった場所を通過したところで、ぴたりと止まった――かと思うと、上体を伏せたミュールの頭を狙って急速逆回転で戻ってきた。

 これには反応できず、ミュールが目を見開いて固まる。

 メアリーの踵は、ミュールの横顔に触れた状態でまたもやぴたりと静止する。


 そして、徐にゆっくりと足を引き戻したメアリーに、ミュールがほっと胸を撫でおろし、立ち上がったのも束の間。


 にっこり微笑んだメアリーはミュールの腹、胸、頭に高速連撃を叩きこむ。


 素晴らしい音を立てて吹き飛んでいくミュールは、周囲の生徒数人を巻き込んで倒れこんだ。






 シトラスは部屋の段差を盾に、部屋の隅で頭を押さえているレスタとエヴァを見つけた。


 乱戦を掻い潜り、二人の下に辿り着く。

「やあ、レスタ、エヴァ! おっと、危なッ。エヴァも危ないからもっとこっち来た方がいいかも。なんか大変なことになっているねッ!」

「大変もくそもあるかッ! お前の連れはどうなっているんだッ!?」


 二人とも巻き添えを食らわないように、段差に隠れる形で身をかがめている。


 彼らが話している間にも、人や物が頭上を飛び交っている。


「何があったの?」

「お前の連れのあの女の子だよッ! ……ところでお前の友達、ミュール、だっけ? 綺麗に吹き飛んでいたけど大丈夫か?」

「大丈夫だよ、メアリーも手加減していると思うし」

「あれでッ!?」


 うんうん、と心配した様子を見せないシトラスに、レスタは別の意味で頭を抱えた。

 だが、二人の視線に話を促されて事の経緯を説明する。


「お前がいなくなって、直ぐに彼女おナンパしてきた奴がいたんだけど、そん中にさっきまで上から見ていた上級生が混じっていて、お前の真似をしてメアリーの髪を手櫛で梳いたんだよ。そしたら、まーブチ切れて、上級生をぼっこぼこよ。そしたら、その上級生のお友達みたいなのが出てきて――」

「――メアリーが手を出したの?」

「違うのッ! それを見ていた他の新入生がかっこつけて上級生に殴り掛かって、そっからはもうあっという間に広がったのよ! もー、これだから男子はッ!」


 レスタの説明を引き継いだエヴァは憤慨した様子。


 殺傷力の高い魔法こそ飛んでないものの、室内では魔法も宙を飛び交っている。


 階上の手すりを飛び越え降りてくる上級生。

 当初は楽観ムードだった上級生だったが、一人二人と新入生にのされていくと、その面子を守るため、次々と参戦していった。


 これですぐさま鎮圧されると思いきや、メアリーが八面六臂の大暴れ。


 新入生の中でも義侠心に駆られる者、勝ち馬に乗っかる者、争いを好む者が他の部屋からも加わった。

 その中には既に簡易な魔法を使える者も含まれていたのも、争いが拮抗する一助となった。


 そうこうしている間に争いは伝播し、階上で上級生同士で争う始末。

 メアリーにのされたのが三年生ということもあって、これ幸いと二年生が三年生を口撃。

 これに腹を立てた三年生が、二年生に攻撃魔法を放ち、二年生が応酬する形で階上でも争いが始まった。


 階下でも新入生同士で争っている者もちらほら見受けられる。


 どこもかしこも乱闘騒ぎである。


 騒ぎの途中、まだ引き上げていなかった引率を務めた三年生の生徒が二人、この騒ぎを聞きつけ駆け付けたが、焼け石に水。駆け付けた引率の上級生の一人が事にあたり、一人が助けを呼びに部屋を後にした。


 騒ぎに対処した引率の生徒は奮闘したが、所詮は一人。

 多勢に無勢。頭に血が上った新入生と上級生を抑えることはできない。

 やがてどこからか飛来した攻撃魔法を受けて吹き飛ばされる。

 その体は壁まで吹き飛ばされると沈黙した。


「うーーん。このままだとそう遠くないうちに人が来て、メアリー怒られちゃうよね」

「どうすんだ」

「レスタはエヴァを連れて、先にこの部屋から出ておいて。あっ、ミュールは回収しといてね。ぼくはメアリーを連れて行く」

「お、おい!? 正気かッ!?」

「だいじょーぶだいじょーぶ」

「あっ、おいっ! あー、もう! エヴァ行こうッ!」


 レスタはエヴァの腕を引き、身をかがめていた場所から中腰になって出口に向かって飛び出す。


 そんな二人を見送り、シトラスは段差の陰を利用して四つん這いになって部屋の中心部に向かった。


 部屋の中心部まで来るとそろりと顔を出して、メアリーの位置を確認する。

 視線の先で彼女は今もまた、上級生と思われる生徒をワンパンで気絶させたところであった。


 タイミングよくメアリーを狙う者がいなくなった。

 物陰から転がるように飛び出たシトラスは、勢いそのままメアリーに近づき声をかける。


「メアリー!」

「あっ、シトッ!」


 シトラスが声をかけると、すぐさま笑顔を見せるメアリー。

 シトラスの方を見ながらも、足元で息を吹き返した様子の上級生の顔を蹴り飛ばし、再び意識を刈り取る。


「部屋から出るよ!」

「うん」


 メアリーの手を握り、部屋の出入口に向かるシトラス。


 二人が部屋の扉を潜って出ると入れ違いになるタイミングで、物々しい雰囲気を漂わせる生徒たちが部屋に入って来た。

 その男子生徒たちの顔つきは、少年というより青年という方が近い。

 女子生徒も垢ぬけた大人の女性然とした者が多い。

 語らずとも三年生以上の上級生ということがわかる。


 先頭を歩く大柄な男子生徒が一瞥を寄越したが、呼び止められることもなくシトラスとメアリーは部屋を後にする。


 この後、駆り出された上級生たちによって瞬く間に争いは沈静化された。

 最終的に怪我人数十名と多大な備品の損壊を招いた騒乱はここに幕を閉じた。


 前代未聞の入学日に当日に巻き起こされたこの大騒動は、"九月の狂騒"として学園関係者の記憶に深く刻み込まれるのであった。

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