十五話 教育課程と獣人と


 カーヴェア学園の新入生に割り当てられた一室。


 九月の狂騒と呼ばれることになる騒動の後、シトラス、レスタ、エヴァ、メアリーの四人は、当初ミュールが案内された部屋に移動することになった。


 この部屋が、これからの学生生活において、シトラスたちが寝泊まりをする寮となる。


 新入生が案内された各寮には、それぞれ名前が割り当てられており、現在五人がいる寮は"蝶"。

 ちなみに、騒乱の舞台となった寮は"花"という名前がある。寮は全部で四つに別れており、残る二部屋はそれぞれ"風"と"月"と言う。


 部屋は左右で男女に分かれている。

 女性の寝室には性別を認識し、女性なら開く扉が設置されており、異性の侵入を防ぐ役割を果たしていた。


 男女の寝室は当然分かれており、エヴァとメアリーは寝室を確保するため、いったんシトラスたち男子陣と別れる。男子の寝室へは基本的にフリーパスで、消灯時間前であれば、同じ寮生は誰でも自由に部屋に入ることができた。


 寮の中は談話室から、寝室への通路が何本かに分けて伸びていた。

 通路に面した寝室は他の寮生と共用で、部屋に貴賤による格差はない。通路と部屋の間にドアがないため、原則出入りは自由である。


 それぞれの部屋には、シングルベッドが四つ。そして、シャワーとクローゼット、トイレ。机と椅子は一つだけ部屋の隅に用意されている。


 寝室の割当はなく、自由である。そのため、部屋決めは早い者勝ち。出入り口に近い手前の部屋から順に埋まっており、出遅れたシトラスたち三人は、談話室からいささか離れた奥の部屋を選ぶしかなかった。


「ここにしよう」

「見ろ、布団フカフカだぜ」

「あっ、ほんとだ」


 部屋は清潔で、シングルベッドの上に綺麗にたたまれてある布団も見るからに弾力がある。


 思い思いにベッドに腰かける三人。ふぅ、と一息つくとレスタが切り出す。


「……あのメアリーとかいう女子、やばくねぇか?」

「おっ、そこに気づいてくれたかレスタ!」

「そう?」


 首を振って同意するミュールと、首をかしげるシトラス。


「こいつがこんな感じで苦労しているんだ」

「そりゃ大変だ……。あんな綺麗な子が上級生をぼっこぼこにするなんて、俺、トラウマになりそうだ……」


 げんなりとした様子のレスタ。

 メアリーはツンとしたクールな美少女と思いきや、蓋を開けたら狂戦士バーサーカー。荒事から女性を守るのが男の甲斐性、と教えられ育ってきたレスタには衝撃であった。


 うんうん、と腕を組んで何故か満足げなミュール。よき理解者ができたと言わんばかりだ。

 シトラスだけが二人の様子に苦笑いを零しながら、彼女を擁護する。


「メアリーはいい子だよ?」

「眼医者をレスタに紹介してもらえ」

「すまんミュール。彼は末期だ」


 軽口を叩いて笑っている二人は気づけなかった。丁度メアリーたち女性陣が、通路から部屋に入ってきたことに。


 先頭に立つメアリー。その目は笑っていない。


「あっ、メアリー!」


 鈍い音が複数回にわたり部屋に響いた。


 頭にこぶを作って、それぞれのベッドに倒れこむ二人。


 こぶの製作者はと言うと、シトラスと同じベッドに腰かけて、彼に体を預けるとご満悦な表情。

 メアリーとエヴァについてきていたオーロラは手を口元に当て、くすくすと笑いながらミュールのベッドに腰かけた。


「面白いことになっているわね」

「お、俺は悪くない……」


 室内で唯一立っているエヴァの顔には、驚きの表情。

 今もじゃれ合いとは言え、一見華奢なメアリーが、彼女より体格の大きい男子二人を、いとも簡単にのしてしまったことに。


「それにしても彼女って本当に強いのね」

「……痛っ、強さと引き換えに母親の腹に大事なもん忘れたみたいだけどな」


 余計な一言に、キッ、と視線が返ってくると、ミュールは慌てて近くにあった枕で頭を隠す。


 それを見て、もうッ、と言いながら枕の上からミュールを軽くぽんと叩くオーロラ。


 のろのろとベッドから起き上がったレスタが、新たな美少女オーロラに対して、露骨に頭を寄せるも無視スルー。代わりにそれを目にしたエヴァから拳骨を喰らう。


 涙目である。


「この馬鹿がッ、ごめん。私はエヴァ・グリーン。で、こっちの馬鹿がレスタ・サンチェルマン。よろしくね。あっ、メアリーって呼んでもいい?」

 エヴァが差し出した手を取るメアリー。

「うん。よろしくエヴァ」

「え、俺は?」


 指で自分を指さすレスタ。 


「私はオーロラ・ツァリーヌ。私もよろしくしてくれると嬉しいわエヴァ、メアリー」

「よろしくね。オーロラ」

「よろしく」

「え、俺は? ねえねえオーロラさーん? もしもーし?」


 レスタに冷たい視線を送っていたエヴァであったが、そうそう、と話題を切り出す。


「みんな希望課程はもう決めている?」

「「「希望課程?」」」


 声を揃えて首を傾げる男子三人組。


「なんであんたまで知らないのよ、馬鹿レスタ……そう。身内にいる卒業生に聞いた話で、一年生のときはあまり関係ないみたいけど、二年生からは希望する課程に応じた授業になるんだって。三年生からは最後の一年を除いて希望に応じた勉強、実技を積んでいくって話だわ」

「そうだっけか。最後の一年は?」

「レスタ、あなた私と一緒に教えてもらったでしょ? 最後の一年は自由って。……うーん。あまり詳しくは教えてくれなかったけど、学校から課題を与えられて、それを一年かけて取り組むとか何とか……後輩にはもっとちゃんと教えておいてよねッ」


 クラスについて説明するエヴァだが、シトラスたちと同じ新入生。

 上級生の教育課程まではわからないようであった。最後は教えてくれた人に、可愛らしく悪態をついていた。


「あっ、それならぼくは勇者課程に行くよ」

「えっ、あの……?」


 エヴァはシトラスの希望課程を聞いて、驚いた様子を見せた。


「なんだエヴァ、何か知っているのか?」

 あまりピンときた様子の無いレスタが尋ねると、 

「うん。ある意味で一番有名なコースだからね。……たしか正式には王国兵科課程独立勇士科。ほんの一握りの人しかなれない特別なコースと耳にしたことがあるわ。王国の南に位置するフロス公国の抑えだとも。なんでも公国の黒薔薇公への抑止力だとか。数ある課程の中でもすごく特殊で、すごく難しいみたいよ。ほとんどが落第するって……教えてくれた人もぎりぎりだった、って」


 話を聞いている内に、徐々に渋い顔をつくったエヴァにレスタは、

「えっ、そうなのかよ。専門課程を落第するとどうなるんだ?」

「直接的にはどうもならないわ。ただ卒業後の軍役に影響するみたいだし、退役後の就職にも影響するみたい」

「うへぇー。それはキツイな」


 舌を出して苦い顔をするレスタに、室内には笑みが溢れた。


「じゃあ、改めてこれからよろしく」


 照れくさがったミュールを除いて、シトラスは室内の友人たちと、しっかり握手を交わした。



 シトラスの朝は早い。


 太陽が地平線に姿を見せるより早い時間。外はまだ薄暗い。


 シトラスはベッドからゆっくりと降りて、大きく伸びをする。


 ミュールもちょうど起きた様子だ。レスタは小さないびきをかいて寝入っている。


 ビルに師事してからというもの、早起きをして素振りをするのが日課であった。

 最初は一人で行っていたが、話を聞いて触発されたミュールがすぐに加わり、ロックアイス領では毎朝二人で素振りと組打ちするようになった。


 室内はまだ薄暗い。

 シトラスとミュールは小声で朝の挨拶を交わすと、寝間着から着替え、一緒に部屋の中心部、談話室に出る。既に談話室には一人の少女の姿、メアリーの姿があった。


 パッと顔をシトラスに向けるメアリー。


「おはよう、メアリー」


 口々に挨拶を交わす。


「メアリーも朝練?」


 メアリーも体調が完治してからというもの、剣の朝練は欠かしておらず、ロックアイス領に遊びに来た時は三人で一緒に鍛錬に励んでいた。


「シトが朝練するかな、って」

「そっか。じゃあ一緒にしよう。それはそうと、どこかで剣とか借りられないかな。こんなことなら昨日聞いておけばよかった」

「どうする?」

「とりあえず外に出てみよう。多少散策しても朝食まではまだ時間はたっぷりあるしさ」


 三人は部屋の外に出て、とりあえず屋外への道を探してみることにした。


 廊下には人の気配はなく、日陰と石造りの影響でひんやりとした空気を感じる。


 少し歩くと、廊下の窓を隔てて校庭が見えてきた。三人は校庭側の廊下の窓際をつたうと、ほどなく廊下が途切れて、中庭に出ることができた。


 歩を進める先が、なだらかな傾斜になっているため、その先が見えないが、人の気配を傾斜の向こうから感じる。風を切る音。何かがぶつかり合う音。鈍い音。


 少し傾斜になっている校庭を歩いて上る三人。

 

 傾斜の先には、何十人という人が思い思いに汗を流していた。

 剣を振るう者。模擬戦をする者。拳を鍛える者。多くの人間が体から湯気が出るほど追い込んでいる。誰もが真剣な表情。


 ぐるっ、と見渡していると、三人の一番近くにいた上半身裸で木刀を振るっていた生徒が、三人の気配に気がついた様子で近づいてきた。


「おーい、お前たち一年だろ? 朝っぱらからここで何しているんだ?」

 体から湯気を発して声をかけてきた生徒に対して、笑顔で対応するシトラスは、

「ぼくたちも朝練したくてッ!」

「おー、意気がいいな! 俺は三年のワード・エイトだ。よろしく!」

 挨拶を交わすワードに、

「よろしく! ぼくはシトラス。こっちがミュールで、こっちがメアリー」


 シトラスからの紹介を受けて、会釈とカーテシ―で返す二人。


 メアリーはロックアイス家との交流を経て、カーテシ―を覚えていた。


 フィンランディア領で初めてカーテシ―を披露した時は、フィンランディア家の誰もが驚いたものだ。

 先代当主であり、剣術の師匠でもあるビルは口をあんぐりと開けて固まり、現当主のウィリアムとその妻のカイナもビルほどの醜態を晒さなかったものの、驚きを隠しきれていなかった。彼らの娘であり、メアリーの幼馴染でもあるアンリエッタにいたっては病気を疑う始末。


 この件はフィンランディア家の中でロックアイス家の株を人知れず爆上げさせていた。


「シトラスとか言ったな。お前も隅に置けないな! 一年生のうちからこんな可愛い子を侍らせてッ!」


 少し癖のある輝く赤髪を肩甲骨にかかるくらいまで伸ばした(黙っていれば)クールな美少女。

 何も知らない人からすれば女として蕾が咲きかけている美少女そのものである。足先から頭の先まで視線を送ってしまうのも無理はない。


 女性はこういった男性の不躾の視線には敏感である。送った男性は気づかれていないと思っているが、それは気のせいである。自分が思うよりその視線はぎらついている場合が多い。


 先輩とは言え、剣を振って高ぶっている思春期真っ只中の少年である。


 街の女性なら嫌悪感を露わにして立ち去るところだが、メアリーはそもそもワードを見ていない。

 シトラスの一歩左後ろ側に立ちワードを見ているようで、その後ろにいる生徒たちの力を測っていた。


 結果、お眼鏡に叶う人間はいなかったようで、途中からその視線は目の前のシトラスに向けられていた。


「ぼくたちも朝練したいんだけど、木刀ってどこで借りられるの?」

「おいおい、どこの家の出だか知らないが学園での先輩に対する口の利き方には――」


 ギンッ、と殺意の籠った視線。


「――個性がでるよなッ!」


 敬意のないシトラスの言葉遣いに、上下関係をわからせようと踏み出したワードの一歩は、前に進むことなく下ろされた。


 シトラスの後ろから発せられた、指向性を持った殺意に堪らず腰が引ける。

 先ほどまでとは違った汗が、ワードの肌に浮かぶ。整った顔立ちから感じさせられる恐怖。体の熱がスゥーと引いていく。彼はぶるりとその身体を振わせた。


 不自然な先輩の様子に訝しむシトラスの前で、ワードは気を取り直すかのように咳払いをすると、何事もなかったかのように話を続ける。


「……それでだ。木刀なんだが。これは他人から借りるものじゃないんだ」


 自分の木刀をしげしげと眺め呟くワードに、三人を代表してミュールが一歩前に進み出て、彼に疑問を問いかける。


「それはどういうことでしょうか?」

「学園での授業の一つに剣術の授業っていうのものあるんだが、その授業の初回で一人一人に配られるんだ。それが折れるまでその木刀で授業を受け、こうして自主練に励み、手に馴染ませていくんだ。剣技の先生に言えば貰えるとは思うんだが、学園の先生方は多忙だからな……どこで貰えるかまでは俺にはわからん」


 目の前の先輩も入学当初に貰った木刀を使って、これまで三年間を過ごしてきたと思うと、簡単に他人に貸せない気持ちもわかると頷くミュール。話を聞き終えると不躾なお願いをして申し訳ないとばかりに。ミュールはその視線を下げる。


「そうだったんですか……それなら――」

「――関係ないわ」


 はきはきとした声に遮られ、ギギギ、とミュールは首だけ振り返ると、後ろに立つメアリーを見る。


「メアリー?」

「お前の持っている剣をシトに貸しなさい。私はその辺の奴から取ってくるから」

「メ、メアリー?」


 え? お前マジ? という表情に変わるミュールの表情。

 言われたワードの顔は引き攣っている。え? これは引き下がる流れじゃなかった? と。


「え? お、俺の話を聞いていたか? だ、だから俺の手に馴染ませて――」

「――関係ないわ。シトが欲しいって言っているの。だからお前は黙って渡せばいいの」


 そう告げるや否やメアリーは一歩前に進み出て、ワードと面と向かって相対する。対するは先ほどの殺気を思い出して目が泳ぐワード。瞬く間に額には新しい汗の珠が浮かぶ。


「だめだよ、メアリー」


 それを後ろからそっと肩を掴んで押しとどめるシトラス。

 途端に霧消する殺気。


「……いいの?」

「うん。授業で貰えるんだったら待とうかな。もしかしたら今日貰えるかも知れないし」 

「そう。シトがいいならいいわ」


 ふんと鼻を鳴らすと、目の前の先輩から興味を失ったようでシトラスに向きなおる。


 ワードはと言うとメアリーの視線が自身から切られた安堵感から胸を撫で下ろしていた。


「今日は空いているところで組手でもしよっか。ミュールもそれでいい?」

「まぁ、しょうがねぇな」


 メアリーの気の変わりように、二人ってどういう関係なんだ、と冷汗を浮かべながら至極まっとうな疑問を浮かべていたワードだが、これ以上関わるべきでないという本能の警鐘に従い、無言を貫く。


 シトラスはワードにお礼を告げると、人の気配が少ない方角に歩を進める。


「じゃあ、メアリー向こうの方でやろう」

「いいわよ」


 この後、三人は起床を知らせる城の鐘が鳴るまで野外で過ごすのであった。



「――で、ミュールはぼろぼろだったのか」


 レスタの呆れた声にシトラスは相槌を返す。ミュールは横で苦い顔である。


 朝練を終えたシトラスとミュールは汗を拭き、レスタと共に大講堂での朝食を取っていた。

 昨日の入学式で使った大講堂は、上級生もいることから昨日よりさらに生徒で満ちていた。既に部屋の七割が埋まっている。


 席は自由席であり、少し離れた席でエヴァ、オーロラ、メアリーが食事を取っているのが見える。


 朝食のサラダは新鮮で、肉やスープは温かく、パンは焼き立てのようにホカホカである。どこもかしこも食卓には食欲を誘う蒸気が漂っていた。


「シト、ミュール、また後でな!」


 朝食を食べ終えると、レスタとは別れてシトラスたちは指定された教室に向かう。

 

 途中メアリーと合流しつつ、すれ違う学生に道を尋ねながら、一つの教室の前まで辿り着くと、教室の前で少し立ち止まる。扉は開け放たれており、室内からは人の気配。時々談笑する声も部屋の外に漏れていた。


「ここがこれからぼくたちが過ごす教室か、少しどきどきするね」

「まあな。授業によっては移動教室もあるけど、だいたいはこの部屋で過ごすことになるしな」


 教室は生徒の座席より高い位置にある教壇を中心に扇状に広がっており、三人が室内に入ると既に席の半分は埋まっていた。


 前の席は埋まっていたので後ろの席に座り、改めて周りの生徒を見渡す。


 しばらく教室を見渡していたシトラスの視線がある一点で目が留まった。


「ちょっとごめん」

「お、おい。もう授業始まるぞ」


 いきなり立ち上がって席を離れるシトラスに、困惑の声を上げるミュール。黙ってついていくメアリー。


 戸惑うミュールを置き去りにしたまま、教室の階段を降りて前方の席に向かうシトラス。


 シトラスの向かった先では、

「おい、なんか臭くないか?」

「あぁ、確かに!」

「獣みたいな臭いしないか?」

「わかる! なんかこのへん獣臭せぇよな」

「誰だよ! 教室にペット連れてきた奴!」

「ばっちぃな!」


 前の席では二人の男子生徒が、大声で彼らの前列の席に座る少女に、げらげらと悪態をついていた。彼らは先の談話室での先輩からの説明の際に、楯突いて早々に吹き飛ばされた二人であった。


 彼らの標的となっている理由は、少女の頭部には人間にはない特徴的な部位。


 猫耳である。


 無視を決め込んでいる少女に腹を立てたのか、耳をぴくぴくさせて、ますます声を大きくするに人の男子生徒たち。


 獣の身体的特徴を有する【獣人】。

 寿命は概ね人間と同じだが、その多くは身体的に人間を凌駕する。魔力操作も肉体強化に特化するものが多いのことも彼らの特徴である。


 獣人は人間ほど社会的な種族ではなく、その多くが閉鎖的で民族単位で生活していることもあって王国での地位は低い。

 カーヴェア学園での生徒間でのいざこざを少なくする為に、生贄スケープゴートの役割が期待される生徒が割り当てられるのだが、毎年その多くは獣人であることが多い。


 猫人族キャットピープルのブルー・ショットもその一人であった。 


 猫の獣人とは言っても、容姿においては猫耳があることと、尻尾があること以外は人間と大して差はない。


 琥珀色の髪に柑橘色の大きな瞳。

 獣人という偏見を除けば美少女といって差し支えない容姿である。事実、彼らが悪態をつき始めるまでは、ブルーとお近づきになれないかと様子を伺っていた男子生徒も少数ながらずいた。


「おい、何とか言えよ、獣人!」


 無視されていることに気づき苛立ちを見せる二人が、腰を浮かしたその時、


「――ねぇねぇ、君のその耳に触ってもいい?」


 通路側に座っていたブルーの横で立ち止まったシトラスが声を掛けた。


「……誰?」


 視線だけを動かして横を見ると、そこには手をわきわきとさせるシトラス。胡乱げに言葉を返すブルー。


「ぼくはシトラス。よろしく!」

「え、あ、うん」


 続けて躊躇わず差し出された手を、ブルーは反射的に握り返した。

 くりくりとした目には困惑の感情が浮かぶ。害意なくあまりにも自然に手が差し出されたので握り返したけど、誰? と。


「え、ちょ、ちょっと待って! え? 待って!」


 すると握った手を何度もにぎにぎと握りなおすシトラス。困惑と歓喜が入り混じった声である。


「肉球! 掌に肉球がある! これ気持ちいいッ!」


 笑顔で繰り返し握りしめるシトラスに対し、よしパンチしよう、と空いている左手で拳を握りしめ、シトラスの顔に狙いを定めるブルー。


 そして、気がつく。


 シトラスの右後ろに立つ者の存在に。

 感情のない視線で、自信に向けてまるで路傍の石をみるような視線を送る彼女に。


 視線に気が付くと全身の毛が逆立ち、耳や尻尾はピンッと張る。


 そして、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


 スゥっと自身に向けられるその視線が細められるや否や耳はペタンと伏せられ、尻尾は座席に張り付くように丸くなる。これはもう本能であった。


 ブルーの脳裏には走馬灯のように猫人の風習である狩りでの苦い思い出が頭をよぎった。


 十歳を過ぎた頃、川の魚を捕まえようと追いかけている内に大きな池にたどり着き、そこで当時の自身の体長ほどあった池の主が出てきて危うく池に引き摺りこまれそうになったことがあった。だが、池の主が出てきた時もこんなに緊張はしなかったと。

 

 メアリーの視線に射すくめられて固まるブルー。


 ――と、そこで先ほどまで後ろで騒ぎ立てていた三人組のうちの一人が、シトラスの肩を掴もうと身を乗り出す。


「お前いきなり出てきてなんなん――ぶふぉ!」


 裏拳炸裂。メアリーの一撃に奇怪な声を上げて座席に倒れこむ銀髪碧眼の男子生徒。


「お、お前。俺たちに手を出してただで済むと思っているのか!?」

「お、俺たちが誰だかわかっているのか!? 俺は宮廷伯爵のアロー家に連なる者だぞ! 彼も西のフライ子爵に――」

 鼻を抑えながら狼狽えた視線でメアリーを見返す。

 キノコ頭もメアリーの所業に息をまく、が、

「――うるさいわね」


 ブルーがシトラスに手を出そうとした瞬間にいつでも制圧できるように、体をブルーに向けたままで、視線だけをギロリとブルーの後ろの席で喚く二人に向ける。


 ひっ、と情けない声を上げる男子と、気圧されて腰を抜かして座席に倒れこむキノコ頭の男子。

 温室育ちの少年たちにとっては初めて面と向かって受ける敵意。


「文句があるならかかってきなさい」


 その言葉は男子生徒のみならず教室中に言い聞かせているようであった。

 いつの間に教室中の注目を浴びていたが男子生徒の醜態を笑うものはいない。


 決して大きな声ではなかったが彼女から放たれた言葉は教室によく響いた。今この教室という空間はメアリーが完全に支配していた。


 そんな彼女の横ではニコニコとブルーの手をにぎにぎと握り続けるシトラス。


「皆さん揃っていますね。はい。では座って下さい。授業を始めますよ」


 教室が沈黙に包まれていたその時、教室に年配の女性が入ってきた。

 黒のローブをまとった痩躯。先の折れ曲がったトンガリ帽子の下には深く刻まれた皺のある顔。白みがかった金色の髪と瞳。一文字に引き締められた口元からは厳格さが伺える。


 教師の登場に、ブルーを押し込んでシトラスとメアリーは席に座った。


「そこの男子生徒。早く座りなさい」


 出遅れたミュールが座席から腰を上げかけて固まっていたが、それを教師に見咎められ、上げた腰をゆっくりと下ろす。恨めしそうにシトラスに視線を送って。


「それでは授業を始めます……とは言え初めての授業ですので、まずはオリエンテーションにしたいと思います。質問がある生徒は適宜質問の時間を設けますので、まずは私の説明を聞いて下さい。よろしいですね?」


 教室を見渡し、異論がないことを確認して話を続ける。


「私の名前はシェリル。魔法力学と七曜学の教師を務めております。以後お見知りおきを……。皆様には学園生活を通して立派な魔法使いになれることを期待しております」


 よろしいですね、と教室を見渡した。


「そのために、この一年間を通してまずは魔法と剣について基礎を身につけて頂きます。一年生の間は魔法力学、魔法史、魔法生物学、魔法薬学、魔法演習、七曜学、剣術の七つの授業を。二年生以降はこれらに加えて、選択授業を専攻してもらいます。各授業についての詳細は各授業の初回で案内がありますのでここでは割愛します。授業の時間割については後で時間割表を教材と一緒に配布しますので後で必ず確認するように。……ここまでで何か質問は?」


 再度教室を見渡し、異論がないことを確認すると一つ頷いて話を続ける。


「倶楽部の存在は先輩方から聞いていると耳にしております。各授業の成績は輝石の加点対象です。そのため、成績が優秀なものは倶楽部の監督生の目にも留まりやすくなるでしょう。成績については各授業の順位の他、全体成績が優れていた者も別枠で加点の対象です。また、一年生の間では難しいでしょうが、学園全体で優秀な成績を収めた上位十名は年度末に王城に招待され、国王陛下から直々にお言葉を賜る栄誉を授かることができます」


 王城への招待の下りで教室が静かにざわめく。引率の先輩の話でも聞いていたが、他ならぬ学園の教師が裏付けたことにより益々やる気を見せる生徒たち。


 カーヴェア魔法学園に通える時点で生徒の多くは裕福な家庭であることが多い。

 多かれ少なかれ入学前に事前に教育を受けている。そしてシトラスの姉であるベルガモットがそうであったように、家から学園での活躍を期待されるものがほとんどである。その具体的な結果として、国の長たる国王からの言葉は他家に誇示できる最大の名誉であることほとんどの者が理解していた。


「皆さま、いい顔つきに変わりましたね。私としても皆さまに優秀な生徒を収めて頂けると誇らしい気持ちになります。一つ耳寄りな情報です。一年生で表彰された方も過去にはいらっしゃいますので、皆様もそうなれるように励んでください。応援しています」


 生徒のやる気が高まったことを確認すると一文字にしめられた口元を緩めたシェリル。

 男女問わず生徒たちは我こそは、と燃えている様子が教壇からありありと見て取れる。


 シトラスも、やるぞぉー、と例にもれず燃えていた。メアリーは隣に座るシトラスの楽しそうな様子に目元を緩めている。


「今からこれからの授業に必要な教材、道具が詰まったトランクを召喚する移動式魔法陣スクロールを配ります」


 シェリルが懐から取り出した移動式魔法陣。

 魔力が籠められると淡い色を放つ。次の瞬間には紐でまとめられた移動式魔法陣が描かれた魔法陣から顔を覗かせ、教卓には移動式魔法陣の束で一山できた。


 でき上がった教卓上の束に向かって手をふると、それらは生徒たちの手元にゆるやかに飛んで行った。


「皆さんが手にしたの移動式魔法陣は【条件式】です。移動式魔法陣には魔力を付与すると発動する付与式と、特定の条件下で自動的に効力を発揮する条件式があります。その移動式魔法陣は紐の解除と開帳の条件を満たすと、自動的にトランクを召喚するようになっています」


 シェリルの説明を聞いて、生徒たちは、思い思いに移動式魔法陣を広げる。


 すると、広げられた移動式魔法陣は淡い光を放ったかと思うと、ゆっくりと皮製のトランクが魔法陣から顔を覗かせる。どこからともなく生徒たちの感嘆の声が聞こえる。


「皆さん教材は手にしましたね。それでは、授業を始めます。トランクから魔法力学の教科書を取り出して下さい。まずは私の担当する魔法力学から。魔法力学というものはですね――」


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