少年期編

入学編

十三話 色と倶楽部と


 王都キーフ。

 ポトム王国の領土のほぼ中心地に位置する巨大都市。

 建国以来一度も遷都されていない由緒ある都である。


 地上の王都自体の規模は、随分と小さい。

 王国における四大貴族である四門の本領の方が何倍も大きい。


 王都とは呼ぶものの、キーフに存在するのは王の治める巨城と、隣り合ったほとんど大きさの変わらない巨城だけである。

 キーフという都市はこれで完結している。

 拡張を続けているフィンラディア家のポランドと違うのだ。


 対になる二つの城――双子城は、それぞれ王の居城とカーヴェア魔法学園。


 双子城の規模は、単体の城でもポトム王国一を誇る巨大要塞。

 加えて、城自体も強い魔法に守られていた。

 それは例え百万の兵に攻められてもびくともしないと言われるほどだ。


 王城はその地下にもその施設を拡張していた。

 王都に勤める者の生活はすべて王城内で賄われていることからも、その規模の大きさが伺える。


 双子城の名が表すとおり、元々は二つで一つの城であった。

 建国王から数えて三代目の王の治世に、一つを教育施設に改築して今に至る。

 そのため、二つの建築物は今も連絡橋で繋がっていた。


 どちらの巨城も荘厳な佇まいの建造物。

 それを見る者に歴史と王国の威信を感じさせた。






 季節は九月。暑さがまだ残る季節。

 十四歳になったシトラス。

 幼馴染のミュールと共に、自身の付き人であるバーバラが御する馬車に揺られていた。


 馬車の行き先は、王都キーフにあるカーヴェア魔法学園。


 シトラスは待ちに待った学園の入学式に胸を躍らせていた。


 バーバラの機能性を考え短めに整えられた白みがかった琥珀色の髪が、馬車の揺れに合わせて揺れている。

 彼女の頭部上部には白のメイドキャップ。


 馬車の中で座る二人は学園指定のローブ姿であった。

 その胸元には鈍く灰色に輝くブローチ。


 孤児であったミュールは本来、入学に足る家格を持たない。

 しかし、その才を見出したシトラスの両親の手により、準男爵位をもつロックアイスの執事長、セバス・チャンの養子という形で、その問題を解決していた。


 カーヴェア学園では、通年を通してローブの着用が義務付けられている。

 夏用と冬用でローブの生地は異なるので、見た目ほど暑くはない。

 さらに、貴族の馬車には基本装備として、冷暖房の魔法具が備え付けられているため、なおのこと平気である。


「うわあー、あれが王城と魔法学園のある双子城か、周りには何もないんだね!」

「おい、馬車から身を出すな。あぶないぞ」


 シトラスは馬車の小窓から身を乗り出していた。

 馬車が双子城が視認できる距離まで近づくと、その手を目の上に当てた。

 金橙色の髪と同色の瞳を細めるシトラス


 シトラスの向かいに座るミュール。

 シトラスを見守るミュールの琥珀色の瞳は、どこかハラハラしていた。


「大丈夫だって、ってうわっ!」


 馬車が小石を踏んだのか荷台が少し浮かんだ。

 シトラスの体が馬車の外に流れる。

  

「うおおおおッ……!!」


 ミュールは自身の金髪を振り乱して、すんでのところで、シトラスのズボンのベルト部分を掴んだ。

 精一杯の力を振り絞ってシトラスを馬車の中に引っ張り込む。


「はぁはぁ……ちょっと危なかった」

「はぁはぁ、はぁはぁ……たのむぜ、シト。ここでお前の身に何かあったら、俺はお前の姉貴に殺されちまう」


 肩で息をするミュール。

 笑顔のシトラス。


 出会ってから二人の関係性は、だいたいいつもこんな感じであった。


「ぼくはここから勇者になる!」


 絵本に感化され始まった幼い夢は、未だその輝きを失ってはいなかった。

 シトラスは魔法学園に再び視線を送り、カーヴェア学園に声高らかに宣言するのであった。

 


 カーヴェア魔法学園に辿り着くと、まずその大きさに圧倒される。

 

「大きいなぁ……」

「あ、あぁ……」


 学園城と王城は、四方を湖に囲まれた天然の要塞でもある。

 普段は湖の孤城としている魔法学園も、今は門が開かれていた。

 陸地とはとてつもなく長い橋でつながっていた。

 湖の外側には、森と山々といった大自然が続く。


 周囲を取り囲む湖には、様々な生命体が生息していた。

 今も二人の目の前で超巨大な魚類が水面から跳ね、着水するとその大きさに比例して、これまた巨大な飛沫を打ち上げた。


「な、なんだあの化け物、ほかにも何かウヨウヨしているぜ」

「わっ!」

「お、おい! 押すな押すな! 洒落になってねー! し、師匠せんせい! 見てないで助けてくれッ!」


 バーバラはシトラスをの家庭教師を務める傍らで、ミュールの家庭教師も務めていた。

 また、付き人としての振る舞いも教育していたため、ミュールからは師匠せんせいと呼ばれていた。


 恐る恐る車窓から下を覗き込むミュールを、背中からドンっと押すシトラス。


 本気ではないと言え、橋から水面までは数十メートル。

 しかも、水中には得体のしれない生物がウヨウヨしている。


 笑顔でどんどんと突っ張るシトラスに、たまらず御者のバーバラに助けを求めた。

 しかし、彼女はミュールの意見を黙殺したので、背筋の冷たくなる時間はもう少し続くのであった。






 ミュールを小突くのにも飽きて、再び水面を見つめるシトラス。


 橋は数百メートルと続く。

 橋の上にはシトラスたちのようにこれから学園に向かう馬車たち。

 反対に要人を送り届け終わって引き返す馬車もいる。

 絶える様子の無い無数の馬車の行列が橋の上には続いていた。


 橋の半分くらいに差し掛かろうというところで、ミュールは水面を見ることに飽き始めていた。

 シトラスは相変わらず窓から見える水中の生物に釘付けである。

 湖の透明度は数十メートル離れている橋の上からでも、ある程度の深さまで目視で十分に視認できるほどに高い。


 初めて見る生物に興味津々で体を寄せた。

 時折窓から身を乗り出す勢いで、湖の生態系を見て楽しんでいる。


「見て見てミュール! あれ! 人魚かな?」

「え? 人魚?」

「ほら、あそこ!」

「おっ! あれか! 顔が良く見えねぇ。あー、もっと近くで見てぇ!」


 一度は窓から身を離したミュールであったが、なんだかんだとシトラスに感化されて、二人であーだこーだ品評会をしていると、時間はあっという間に過ぎていく。


 橋を渡り学園の城に辿り着いた。

 御者として着いて来たバーバラとはお別れである。


 馬車を降りた二人にバーバラが歩み寄る。


 生活用品はすべて学園で用意されるため、生徒はその身一つで入学する。

 学園に入学する生徒たちは、使用人を連れて行くことは許されていなかった。


 ポツリとミュールが口を開いた。

 

師匠せんせいともここでお別れ、か」


「自主自立を謳う魔法学園では、個人の使用人の同伴を認めていないですからね。残念です。シト様の成長をこの目で見届けることができなくて……」


 バーバラはシトラスにじっとりとした視線を向ける。


 当の本人はあっけらかんとして、

「バーラはいつもおおげさだなあ」

 と白い歯を見せていた。


 白琥珀色の瞳を和らげて優しく微笑むバーバラは、ミュールには真面目な顔をして向き直る。


「ミュール。シト様を頼みましたよ」

「かしこまりましたッ!」


 場を弁えた返事に満足げに頷くバーバラは、再びシトラスに向き直ると、恭しく頭を下げる。

 瞳と同じ彼女の白琥珀色の髪が、その動きに合わせて揺れる。


「よろしい。では、シト様。私はこれで」

「うん、ありがとうバーラ。気をつけて!」


 小さくなるバーバラの操る馬車を、二人は手を振って見送るのであった。






「新入生はこちらでーーすッ! あ、新入生の方ですよね? では、あちらにお進み下さい」

 

 遠くになる馬車を見送っている二人に耳に声が届く。

 在校生による新入生の案内のようだ。


「行こう!」


 声を張り上げている在校生の指示に従い、場内に歩を進める。

 何人かの案内人を中継して、最終的に辿り着いたのは、見上げるほど大きく荘厳な扉。


 扉の前まで歩を進めた。

 ローブに身を包んだ少しふくよかな中年の女性が、柔和な顔で二人を迎える。


「中は自由席となっています。空いている席にご自由にどうぞ」


 ローブの女性の案内に従い、二人は荘厳な扉をくぐる。


 ――と同時に感じる熱気。


「わぁ……!!」


 誰が呟いたか、思わず感嘆の声。


 それを見守るローブの女性から漏れる微笑み。


 二人の視線の先には人、人、人、人々――。


 部屋の前方に同年代の人間が所狭しと座っていた。

 若者特有のそこに居るだけで発する熱量というものが、カタチになって伝わってくる。

 騒ぐ者、黙る者、笑う者、はしゃぐ者、所在なさげな者、周囲を伺う者、寝ている者。色んな若者が一つの場に集まると、その熱量はかなりのものである。

  

 座席は長いテーブルで、会場の前から会場の後ろに等間隔で並んでいる。

 それが七列。

 各テーブルにはナイフとフォーク。

 机の真ん中には、等間隔に描かれた模様のような文字と、幾何学模様。

 

 部屋は驚くほど広く、既に百五十人ほどの生徒が座っていた。

 それでも部屋の半分も埋まってはいなかった。


 二人は真ん中のテーブルの列を選んだ。


「ミュールと並びが良かったけど微妙だね。ミュールはそこに座ってよ。ぼくはこっちに座るから」

「まぁ、しゃーないわな」


 二人は席の配列の都合上、最後列に背中合わせになるように座った。


 シトラスは座席に座るや否や、目の前に座る手持無沙汰にしていた短髪の緑髪の少年に声をかける。


「やあ、はじめまして! ぼくはシトラス! シトラス・ロックアイス。君は?」


 手を差し伸ばされた手を、緑髪の少年は一拍見つめた後に握り返す。


「おう、俺はレスタ・サンチェルマン。レスタでいいぜ。よろしくシトラス。ロックアイス? 聞いたことないな。どこの出だ? いや、まてまて当ててやる。……うーん、東じゃないかな? どう?」


 東を中心に近年名を広めているロックアイス。

 当主が有名という訳ではないため、東と王都・・以外ではまだ無名な家門であった。


 眼を軽く瞑り、頭に手を当てトントンとリズムを刻むレスタ。


 そのまま、数十秒黙り込んだかと思うと、自分の答えを口にした。


 当てられたことに驚くシトラス。


「すごいね! なんでわかったの?」

「髪と眼だよ」


 指で自分の短髪を指し、次いで自身の緑眼を指す。

 シトラスの視線が指をなぞるのを感じて、最後にウィンクを投げる。

 レスタはなかなか剽軽な少年であるようだ。


「髪と眼? あっ、そうか。髪と眼っていうのが、一番魔力の影響を受けやすいんだったよね」

「そう。シトラスは金髪金眼。東の金、西の赤、南の青、北の橙っていうのがシンボルカラーってよく言われるからそうかな、ってだけの話だよ。橙の色も入っているみたいだけど、北にしては橙が薄いから、だから消去法で東」


「言われてみれば確かに、うちも金髪の人ばっかりだ。ミュールも金髪だし、目の琥珀色もどっちかっていうと金っぽいもんね」

「確かにそうだな。あ。俺がそのミュール、こいつの身内みたいなもんだ」


 シトラスの脳裏には、家族然り、ロックアイス家然り、フィンラディア家然り、ロックアイスやフィンラディアで出会った人々も、金髪が多かったことが頭によぎる。


「よろしくミュール。まぁ、あくまで傾向だよ。じゃないと俺なんてどこの出だって話だろ?」


 自分の緑色の前髪を一房指先で掴んで、おどけてみせるレスタ。

 髪や瞳の色の話に、シトラスはこの部屋のどこかにいるであろう、もう一人の幼馴染の赤髪赤眼の少女を思い出していた。

 

 自身の名前に反応して少し会話に入ったミュールだが、挨拶を交わすと自分の卓の会話に戻った。


「確かに」

「まぁあとは……中央っていう線もあるが、中央にしてはおのぼりさんが過ぎるしな。中央の連中はそんなに辺りをキョロキョロしないさ」

「なるほど」

 などと、シトラスがレスタと話していると、レスタの前の席に座っていた少女が、会話に入ってくる。


「シトラス、って言ったっけ? あんた結構田舎から来たのね? あ、これは馬鹿にしているとかじゃないからッ!」

「うーん、そうなのかもしれない。だから困っていたら助けてね?」

「なにそれッ! あんたおもしろいわねッ! 私はエヴァ・グリーン。レスタと同じ北の出よ」


 シトラスの返しが気に入った様子のエヴァは、肩まで伸ばした彼女の髪はレスタと同じ緑髪。

 彼とは違う淡褐色の瞳には、シトラスに対する好奇心の色を浮かんでいる。

 

「あ、二人は友達?」

「まぁ、そんなところだ」

「残念ながらね」


 異性ゆえか、シトラスとミュールとはまた違った仲の良い距離感に、シトラスが頬を緩める。


 重く迫力のある声が室内に響き渡った。



「静粛に」



 声の発信元は会場の一番間にある壇上に立つ男性。

 壇上に用意されていた拡声する魔法具を用いて、男性のその声は部屋中に届けられた。

 そして、壇上の男が入り口の扉に向かって軽く手を振った。


 臓腑に響く重たい音を会場に響かせながら、荘厳な扉がゆっくりと閉じていく。

 それを合図に、室内は瞬く間に静まり返った。


 扉を閉めた黒髪黒眼の男が、壇上で一歩前に進み出る。

 

「まずは、カーヴェア魔法学園への入学おめでとう。私は魔法科を担当するスタンレーだ。魔法学園で教職に就く者は、家名を捨てるため家名はない。魔法位階は二位階だ」


 名前と魔法位階を告げたところで、会場内から感嘆の声とざわめきが生まれる。


 シトラスが周囲の反応にぽかんとしていると、それに気が付いたレスタがその緑色の瞳を見開いて興奮気味に語りかける。


「なんかよくわからない、って顔しているなシトラスッ。いいかッ、七階に分かれている魔法位階の中でも、三位階以上はほんとの天才達なんだぞッ。なかでも二位階は大陸七国で五十人もいないんだッ。さすが魔法学園ッ! 知ってはいたけど、改めてそんな人たちに教えてもらえるのかと思うとやっぱ興奮するッ!」


 隣のエヴァも興奮気味だ。周囲の生徒たちもざわめきたっている。



「静粛に」



 スタンレーの重く響く声に、再び室内は静寂を取り戻す。


「諸君には、これから五年間このカーヴェア魔法学園で魔法はもちろん、座学、教養、礼儀を学んでもらう。中には貴い身分の者もいるであろう。……だが、最初に断っておく。この学園では、諸君らの領地の法より、この学園の規則が優先されるということを肝に銘じておくように」


 続けてスタンレーを告げる。


 曰く、

 一つ、学園外の序列を学園に持ち込んではいけない。


 二つ、魔法学園を出てはいけない。


 三つ、王城に渡ってはいけない。


 四つ、湖に入ってはいけない。


 五つ、許可なく魔法を使用してはいけない。


 六つ、許可された部屋以外に入ってはいけない。


 七つ、生徒以外の人物を招いてはいけない。


「これらの規則を破った者は、学園の権限で停学、退学させることもある。我々としても五年後、諸君らと再び顔合わせできることを願わずにはいられない」


 先ほどとは違ったざわめきが、新入生たちの間で生まれた。

 多くの者は特権階級の出身で特別扱いが当たり前。命じる側であっても、命じられることなく育ってきたものも少なくない。そのため、一部から不満の声が漏れだしていた。


「静粛に。……ここは諸君らの生家ではなく、我々は諸君らの召使ではない。このことを五年間ゆめゆめ忘れないように。それでは学園長」


 スタンレーが後ろに下がり、代わりに壇上に出てきたのは、その外見は少年と言って差し支えない男性。

 身長も小さく、新入生と大差ないどころかむしろ小さく、顔立ちも幼い。

 真っ白な髪と真っ白な瞳は、まるで子供の無垢を表しているかのようである。

 白髪は床に届こうかという長さで、その中性的な容姿と相まって少女と言っても違和感のない姿である。


 学園長と呼ばれて、前に出てきた男の容貌に、場内はこれまでで一番大きなどよめきが生まれる。


「僕がこの学園の学園長のネクタル。ネクちゃんって呼んでいいよ」


 見た目通りの幼い声が響く。

 どよめきがさらに大きくなる。


「嘘、あれがネクタル様? 容姿は謎に包まれているのは知っていたけど……」

「ちっさッ! え、まじか。ちょっと信じられない」


 戸惑うのはエヴァとレスタだけではない。

 壇上のネクタルに向けられる新入生の視線は、驚きと懐疑がほとんどであった。


 会場の空気は大きく二つに分かれた。

 疑う者。ただただ驚く者。


「毎年君たちのような反応が見られて僕は嬉しいよ。僕の個人情報を世間に伏せている甲斐があるね、うん」


 ちらっと横を見るとミュールも驚いた様子で目を見開いていた。


「うんうん。いい反応だ。でも僕もお腹が空いてきてね。手短に話を続けさせてもらうね」


 壇上で一通り会場の反応を楽しんだネクタルは右手を顔の前に掲げ、指を鳴らす。



 ――すべての音が止んだ。



 新入生の口がパクパクと動くものの、その口から音が発せられない。

 場内は口をパクパクさせた者で溢れかえった。

 それはまるで餌を求める魚のようであった。


 目の前のレスタとエヴァもお互いを指差す。

 口をパクパクさせていたが、やがて声が出ないことに気づくと、口を閉じて壇上を見つめる。


 シトラスが振り返る。

 隣のテーブルに座るミュールが、振り返ってシトラスに向かって必死に口をパクパクしていた。

 それが面白くて思わず吹き出すシトラス。

 しかし、その吹き出した声もでない。

 奇妙な光景であった。


「君たちはこれから五年間この学園城で過ごすことになる。僕から言えることは、よく遊びよく学びよく眠れ。そうすれば、五年後の君たちは今とは比べ物にならない力を手にして、故郷に錦を飾れるだろう。……若人よ、野望的であれ」


 予言のような発言。

 ただの少年には出せない言葉の重み。

 学園の頂にいる魔法使いの高みからの挑発的な発言を最後に、再び指が鳴らされると会場に音が戻る。



 爆発する歓声と共に。



 少年少女の歓声が会場に木霊する。


「今年も元気があっていいね。それじゃあご飯にしよう。僕もお腹ぺこぺこだよ。それじゃあ、お堅い話はこれぐらいにしておいて歓迎の宴を始めよう。机のスクロールの上には物を置いていたり、覆いかぶさらないことをお勧めするよ。……いいかい? それじゃあ行くよ? いち、にい、の、さんッ……!」


 すると、スクロールの上に出てくる料理の数々。

 宮廷のフルコースもかくやというほどに。


「入学おめでとう、かんぱ~い!!」


 ネクタルがいつの間にか手にしていたコップを掲げた事を合図に、あちこちでグラスを掲げ、乾杯の声が上がる。


 宴が始まった。


「うわっ、この肉うまッ!」

「この野菜シャキシャキしていて凄い新鮮ッ!」

「あっ、そのお野菜こっちにもくれる?」

「はーい」

「この水、美味しいね」

「たしかに、しかもほらッ! どんだけ飲んでもスクロールの上に置くと直ぐにコップから水が沸いてくる」

「これも魔法具か」

「ミュール、野菜もちゃんと食べている?」

「わ、わーってるよ」


 ひとしきり食べた後は歓談時間。


 会場の一部では食の猛者フードファイター達が凄まじい勢いで消化しているのが見える。


 シトラスはその口元を布巾で拭った。

 同じく食べ終わってお腹をさすっているレスタに、冒頭の挨拶で気になったことを尋ねることにした。


 魔法は貴人の証、とも言われる奇跡の力。

 その血が濃く、強いほど比例してその力も強くなる傾向にある。

 それだけ力が強いなら、名のある貴族なのかと思いきや、家名を捨てたと。

 家名を捨てるということは貴族としての特権を放棄することに等しい。


「スタンレー先生が家名を捨てているって言ってたのって、あれはどういう意味?」


「あぁ、あれは入学してきた身分が高い人に向けて『特別扱いしませんよ』ってアピールだよ。なんでも公平性を保つためらしい。まぁ確かに自分の家があれば、主家に頭上がらないもんな」


 言われてみればそれもそうかと、とうんうんと頷くシトラスに、ガッと肩を組むレスタ。


「な。それよりシトラスはさ、どこに入るんだ?」

「どこって?」

「どこって、それはもちろん魔法倶楽部だよ、く・ら・ぶ」


 耳元に口を近づけ、もったいぶるように囁くレスタ。


「倶楽部?」

「あぁ、学園では魔法倶楽部って言うのがあって、放課後や休日に魔法の研究や実験しているんだよ。なにせ学園を制したものが、名実ともにその世代のトップだからな。俺たちと同じ新入生に四門の直系が二人いるって話で、既に入学済みの二人を合わせれば、これで次代の四門が全員揃うんだ。これで何も起きないわけがないだろ?」


 組んだ肩を外して、わくわくした様子を見せるレスタに思いがけずシトラスが笑う。

 シトラスはこのあたりの情報を、事前のロックアイス領での勉強では知らされていなかった。


「レスタは楽しそうだね」

「当たり前だろ。倶楽部の格が上がれば、そこに属している生徒の格も上がる。何より卒業後の人生が薔薇色よッ! 俺は主家筋である北のアブーガヴェル家につく。シトラスは?」

「え、ぼく? うーん。そんなの気にしてなかったなぁ」

「まぁ、主家に近しい一族以外はそんなもんだよな。ならせっかくの縁だし北に来いよ。今年四年生になるサウザ・アブーガヴェル様は力のある凄い人だぜ」

「へー、そうなんだ。それはちょっと見て見たいなあ」

「倶楽部は基本的に招待制だ。よかったら俺から話を通しておいてやるよ。上には知り合いがいるんだ」

 

 ちょっと前向きなシトラスであった。

 隣のテーブルでシトラスの背後に座っていたミュールが、慌てて振り返ってそれを静止する。

 シトラスと違ってこのあたりの情報はバーバラやキノット、ダンシィにそれはもうきつく言い含められていた。


 学園の魔法倶楽部というのは名であり、体である。

 学園に認可された魔法倶楽部は、城内の一部を私有化することが認められていた。

 四門と呼ばれる名家などが所属する魔法倶楽部は、私有化した施設を代々引き継ぎ、卒業後の結束を確固たるものにしていた。


「おい、シト。あんまり気軽に考えるなよ! 途中で倶楽部の鞍替えは簡単にはできないんだぞ。入って合わないから倶楽部を変える、なんて事は考えるなよ」

「え? そうなの」

「そうだよ。それにお前はロックアイスだろ。東だよ東」


 近年ベルガモットの影響で、王都と東では大いに名を高めつつあるロックアイス家の縁者であることを喧伝する。

 だが、ロックアイスは東と双子城以外・・ではまだあまり有名ではなかった。


 レスタは乱入者ミュールに、ちぇー、と笑って眉を顰めた。

 事実ミュールの言う通りで、当初は魔法倶楽部の質を担保するために導入された招待制度。

 しかし、現在では|招待制(それ)を逆手にとって新入生の青田刈りが盛んに行われていた。


「そうなんだ、ありがとうミュール」


 テーブルを挟んでレスタの対面に座るエヴァも身を乗り出す。


「なになに私も混ぜてよ! 私はエヴァ、よろしくね!」

「あぁ、俺はミュールよろしく!」


 闊達なエヴァの挨拶にミュールが挨拶を返す。

 料理の話や領地の話で会話が弾む。

 中でも、やはり魔法倶楽部の話が、一番盛り上がりを見せる。


「えっーー!! 二人とも東なの?」

「あぁ。逆にお前らは北なのか?」

「うん。私たちも確定よ。倶楽部に入ると二人まで推薦できる権利が貰えるんだけど、私の兄が北の派閥で、私とレスタは兄の推薦で入るの」


「そうなのか……。まぁ俺たちも似たようなもんなんだ」

「そっかー。じゃあ仕方ないね」

「残念だけどそれならな」


 残念そうに、それなら仕方ないと肩を竦める二人。

 血の繋がりは血統を重視する貴族社会では、おいそれと無視できないものがある。


「……というか二人しかない推薦を、もうここでぼくに使うつもりだったの?」


 一人二回しか使えない権利を、もう行使しようとしていたレスタにシトラスが笑う。

 まして、シトラスとレスタはすっかり打ち解けたとは言え、この日が初対面の仲である。


「ん? まぁ、そうなるなぁ」

「あんた馬鹿ぁ?」

「こういうのは直感だよ直感!」

「はぁ、あんたは昔から考えなしなんだから……」


 額に手をあて、はぁ~、とため息を吐くエヴァを笑い飛ばすレスタ。


 それを笑うシトラスと、エヴァに対してどこか親近感を覚えずにはいられないミュールであった。



「静粛に」



 再び重みのある声が会場を支配する。

 一部ではまだかちゃかちゃと音を立てながら食事をするものがいた。

 スタンレーは食事を続ける生徒を一瞥しただけで、その存在を無視して話を続ける。


「食事には満足して頂けたようだ。それではこれから諸君を寝室へと順に案内する。先導の者に従うように。先ほど私が述べた規則は最たるものだが全てでではない。その他の細かい規則は先達から聞くように。浮足立つのも無理はないが、まずは地に足を着け、この学園で生活する上での規則を学ぶことをお勧めする。この学園は少々特殊であるのでな。以上だ」


 スタンレーが再び会場の扉に向かって、軽く手を振る。

 腹の奥底まで響く音を会場に響かせながら、荘厳な扉がゆっくりと開く。


 それと同時に扉の外側からローブ姿の男女が複数人入ってきた。

 彼らはテーブルごとに分かれた新入生に近づく。


「はいはーい、じゃあこのテーブルの生徒は私に着いてきてー!」

「このテーブルは俺に着いてこいッ!!」


 学園の先輩方と思しきローブ姿の男女の先導の下で、端のテーブルから順に案内される。

 新入生はその案内に従い、ぞろぞろと会場を後にする。


「あ、まじか。これテーブル毎か、しくった……」


 しばらくすると、ミュールのテーブルより先に、シトラスたちの座っているテーブルの者が呼ばれる。


「おい、シト。じっとしとけよ! 俺が行くまでは!」


 ミュールが不安げな声を出した。

 シトラスはわかっているとばかり手をひらひらとさせる。

 それを見て、過保護な友人だな、とレスタは苦笑いを零した。


「じゃあ、行こう」


 人生で一度きりの学園生活が幕を開ける。


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