十一話 心と体と


 ポランド城内のパーティー会場。


「がはははは、楽しんどるか餓鬼んちょ共ッ!!」


 車椅子に身を預けた強面の初老男性の声が立食パーティーに響く。


 白髪と、同色の豊かな顔髭が特徴で、顔に刻まれた皴は並々ならない威圧感を周囲に与える。

 車椅子にこそ座ってはいるものの、その体格は武人のそれであり、男が碧眼で周囲を見渡すと、周囲はさっと目を伏せる。

 ただシトラスとミュールを除いて。


 立食パーティーは貴族の社交界。


 パーティーの中央で、当主や商人たちが情報交換や商談をしている中、彼らの子どもたちは自然と、料理に集まって舌鼓を打っていた。


「おじいさんだれ?」


 ――ざわっ。


 周囲の子供達が、シトラスの発言に慄く。


 ミュールはその横でむしゃむしゃと、ポランドの特産品である林檎をふんだんに使った甘酸っぱいアップルパイを頬張っている。


 子供とは怖いもの知らずである。

 恐怖を恐怖と認知させるのは理解と経験、そして教育である。


 無知は恐怖を育まない。


 車椅子の男も、この発言には面食らった様子で、

「おじいさん!? おじいさん、だと!! おもしろいなクソ餓鬼ッ! 儂を知らんとは儂はなあ――」

「御爺様ッ!!」

「――おー! アンリ、どうだ楽しんどるかッ!」


 車椅子の男とシトラスの間に、足早にその身を滑り込んだのは、愛らしい金髪碧眼の美少女。


 少したれ気味の大きな目に精一杯の力を込めて車椅子の男を睨めつけた後、サッとシトラスに向き直り、淑女の礼カーテシー


「初めまして。私はアンリエッタ。アンリエッタ・イスト・フィンランディアです。あなたはシトラス君、でいいのよね? もう一人の方は?」


 ピコーン、とシトラスの頭の電球が輝く。

 彼女が父上が言っていたアンリエッタ様だと。


 シトラスは精一杯アンリエッタに返礼する。

 しかし、彼の礼儀作法はお世辞にも上手とは言えず、たどたどしい。


「えっと、はい。シトラス・ロックアイスです。こいつはミュールです。よろしくおねがいします。アンリエッタさま」

「ミ、ミュールです」


 ミュールは話を振られたので、慌てて口の中のアップルパイを呑み込み、頭を下げる。


「よろしくお願いします。私はアンリでいいですよ。あなたのお姉さんとは、仲良くさせてもらっているわ。ベルは変わらず元気?」

「げんき、です。さいきんはおべんきょうでいそがしいみたい、です」

「もうすぐ入園ですものね。私も恥をかかないように勉強ばかりです。シトラス君は私たちの二年後でしたよね?」

「うん。たのしみ、です!」


 アンリエッタとシトラスの間に首を伸ばす車椅子の男。


「おーい、お爺ちゃんを無視するなー、おーい」

「あーー、もう、うるさいですわッ!!」

「アンリ、さま、このおじいさんは?」


 アンリエッタは渋々と、車椅子の男をシトラスに紹介する。


「……私の御爺様で、先代当主のビル御爺様です」

「えっと、せんだいってことは、えらかったひと……?」

「そうじゃそうじゃ儂は偉かったんじゃ。敬え餓鬼んちょッ!」

「うるさいですわ御爺様」


 孫にぞんざいな扱いをされて、ガーーンと落ち込むビル。

 

「おじいちゃんおじいちゃん」

「ほぅ、儂を先代と知った上でその口の利き方、か」

「え? だって、えらかった・・・・・んでしょ? いまはただのアンリさまのおじいちゃんなんじゃないの?」


 これにはビルも周囲の人間も目が点。


 子供の世界はいつだってシンプルだ。

 言葉に含みや裏などない。


「がはははははは、おもしろいな餓鬼んちょ。名を名乗れ」

「シトラス。シトラス・ロックアイス」

「シトラスか。ベルガモットといい、ロックアイスの次世代はおもしろいッ!!」


 ビルは高らかに笑いながら、膝を叩く。


 周囲はそんなビルの様子に、ホッと胸を撫でおろしていた。


「おじいちゃん、ぼくにけんをおしえてよッ!」

「あっ、ならおれもッ!」


 ざわっ――。


 シトラスの礼儀に掛けた物言いに、後ろに控えていたバーバラが、慌てて口を挟む。

「し、シトラス様ッ! それは――」

「よいよい。シトラス。なぜ儂なんじゃ?」

「え? だっておじいちゃんつよそう」


 ビルの問いに、さも当然のように答えるシトラス。


「がははははッ、子供でもわかるか。おうおう、儂は強いぞー。控えめに言っても、東部で五本の指に入る強者ツワモノじゃ。おもしろい、おもしろいのぉシトラス」

「御爺様は、数年前のチーブスとの紛争で、脚を怪我をして第一線から身を引かれるまでは、東部最強とも言われておりましたので実力"は"折り紙付きです」


 少し悪意のある補足。

 実力以外にさも問題があるようないいいぶりである。


 実際に、ビルの酒癖や女癖の悪さも、東部では評判であった。

 フィンランディア家が、ビルの巻き起こした騒動の火消しに動いたことは、一度や二度では済まない。


「ちょうど剣の面倒を見ていたメアリーがおらんくて暇しておったんじゃ。いいぞ、主の滞在中は面倒を見てやろう。ただし、儂は半端ないぞ?」

「うんッ! よろしくおじいちゃん」

「やるからにはシトにはまけねぇぞッ」


 ビルは車椅子で前のめりになって顎をさすり、試すような視線を送るが、それを笑顔で返すシトラスとそれに張り合うミュール。


 これには堪らず毒気を抜かれて、またも豪快に笑う。


「御爺様ッ! また勝手にそのような約束をしてッ! 御父様には――」

「儂は隠居の身じゃ。ウィルには儂から言っておけば問題ないッ! と思う……」

「もうッ!」

「がはははははッ!」


 ビルはひとしきり笑い、笑い涙を指で拭う。

 次にシトラスの背後に控えるドレス姿のバーバラに視線が行く。

 無遠慮に足の先から頭のてっぺんまで、その視線が這う。


「んッ? シトラスのお付きの者、お主どこかで? イタタタタタタタッ!!」

「御爺様は退場です。シトラス君のお稽古の事を、ご自分で、御父様に説明して来てくださいッ!」


 顎に手をやり、首を傾けているビルの耳をむんずっと引っ張り、車椅子の向きを変えると、ビルの車椅子を押す侍従に、ウィリアムの元に連れていくように指示を出すアンリエッタ。


 孫のぞんざいな扱いに、ビルはしょげながら話の輪から強制退場。


「バーラはおじいさんとしりあい?」

「どうでしょう。昔ポランドに来たことがあるので、その時にすれ違ったのかもしれませんね」


 バーバラはシトラスに微笑む。

 そして、シトラスの興味が自身から逸れるのを感じると、小さくなる車椅子をじっと見つめていた。



 城の裏庭で翌日からシトラスとミュールの二人は、ビルから稽古を受けていた。


 子供用の木刀を手渡されると、いきなり素振りをしろ、との指示。


 二人の子供は素直に素振りを繰り返す。

 振りかぶる度に重さでふらつき、振り下ろすと勢いで前につんのめる。

 まるで木刀に振り回されている。


 真剣な様子で素振りを十回ほど見届けると、ビルはおもむろに口を開く。


「おまえら……才能ないなッ! がははははは、あたっ! だ、誰だッ!? 儂に洗濯おけを投げたやつはッ!?」


 ビルの発言にガーーンと落ち込む様子を見せるシトラス。

 バーバラの講義では褒めに褒められてきたため、実は姉と同じく才能が、なんて心に抱いていた幻想が、たったいま武骨な男によって砕かれた。


 落ち込むシトラスの様子に高笑いをキメていると、どこからともなく洗濯おけが飛んできて、ビルの後頭部に勢いよく当たる。


 奇声を上げて車椅子上でつんのめるビル。


 後頭部をさすりながら後ろを振り返るが、そこには誰もいない。

 しばらく背後の虚空を睨めつけていたが、何の返事もないので、切り替えてシトラスに向き直る。


「まぁ、体もでき上がっていない子供に木刀は早かったかもな。次はこの竹刀を使って素振りをしてみろ。こいつは木刀より随分と軽い」

「あっ、ほんとだ」

「たしかにかるい」


「まずは十回。本気で十回連続で振りきることを目指せ。そのためには、まず一回。一回を本気で意識して振るんじゃ。ほら、腰を落とさんか。振り上げた時、振り下ろした時に体がブレないように」


 はいッ、と返事は良いものの竹刀でも重心が安定せず、剣筋は楕円を描く。


「あー、違う違う。貸してみろ、こうッ! じゃ」


 凄まじい風圧が二人を襲う。

 思わず手で顔を覆うシトラスとミュール。


 再び目を開けた二人の目に飛び込んできたものは、ビルの手にはバラバラになった竹刀。


「あっ……」


「わっ! すごい……!」

「すげぇ……!」


 孫ほど離れる子供につい良い恰好しようとして竹刀をばらしてしまい、やっちまった顔であったビルだが、子供達のキラキラとした眼差しに、すぐに鼻を高くする。


「凄いじゃろ凄いじゃろ! 儂凄いじゃろッ! がははははッ! なーに竹刀はまだ一本ある」


 この日から鍛錬は始まった。



 鍛錬を始めて三日。


 それは裏庭でのシトラスからの質問から始まった。


 先代とはいえ元公爵。持ち込まれる陳情の始末や、一部公務をビルに取り仕切っている。

 そのため、つきっきりという訳ではなく、基本的にビルは素振りを何回か確認すると、鍛錬の内容を指示して仕事に戻る。

 ふらりと戻ってきたかと思うと、腕立て伏せやスクワットなどの自重トレーニングを、思い付きで指示してまた立ち去る。


 太陽が青空の頂点に差し掛かろうという時刻。

 お日柄もよく、車椅子でうとうとしていたビルは、シトラスからの質問を聞き返す。


「ふわああああ……ん? なんだって?」

「まえにだれかにおしえていたんだよね?」

「ん? あぁ、メアリーのことか? たしかに、ちっとばかし教えておったぞ」

「メアリー? ……どこかできいたことあるような、ないような?」


 その名にどこか聞き覚えのあったミュールは、頭を傾けながら思い出そうとしたが、早々に諦めた。


「あやつは剣の天才じゃからな。ロックアイス領にも噂は届いとったのかもしらんな。確かシトと同じくらいの年だったはずじゃ」

「ぼくとどっちがつよい?」

「そうじゃのう。体調が万全であったならシトが束になったとしても勝てんのう」

「えー、そんなに!? ぼくとおなじくらいのこなのに? すごいなあ! ぼくあってみたいッ!」

「うーーん。今ちょっと体調を崩しておってな……ま、ええか」


 この男、適当である。






 ビルの侍従が操る馬で、城下町に向かう三人。


 車椅子のビルと一緒になって、荷台で風を感じる。

 放牧地帯の土と草の匂いを過ぎると、石と人の生活の匂い。


 三人の乗る荷台を曳いた馬は、大通り沿いのとある屋敷の前まで来ると、ゆっくりとその足を止めた。


 そこはロックアイス領からフィンランディア家の本城へ登城した際に通った時、人だかりのできていた二階建ての屋敷。

 今も四方に武装した兵士が立っており、門の前にも二人の兵士の姿。


 侍従の者が馬を屋敷の前に寄せた。

 シトラスとミュールは、侍従がビルを荷台から降ろすのを手伝う。


「ご苦労」


 先代当主は伊達ではなく、ビルが門の前に立つと(車椅子だが)サッと門が開く。


 庭は手入れされておらず、花はそのほとんどが枯れており、代わりに雑草が伸びて石畳を侵食している。

 小さな噴水はただのオブジェと化しており、水垢がこびりついている。


 侍従の押す車椅子を先頭に、屋敷に入る一同。

 そして、そのまま二階へ続く階段へ。

 階段を上がる際、侍従の者がビルの座る車椅子を押す姿勢のまま、なんてことはない様子で、彼女より巨体であるビルの座る車椅子を持ち上げた。


「わ、すごい」


 侍従はシトラスの素直な賛辞に、振り返って軽く微笑みを返した。


 階段を上った先の突き当りの部屋。そこにもまた人の姿。


 だが、こちらは家の前の兵士と異なり、ビルの車椅子を押す侍従と同じメイド服。

 部屋の主の身の回りの世話をするために、フィンランディア家から手配された家人であった。


 彼女はビルの姿を確認すると一礼する。


「ご苦労。様子はどうじゃ?」

「お手洗いやお食事はご自身でされておりますが、やはり衰弱が激しく、食事の回数が一段と減っております」

「そうか……」

「中に入られるのでしたら、お水を変えて頂いてもよろしいでしょうか。我々ではちょっと危険で……」


 病人のいる部屋が危険? と顔を見合わせる背後の二人をよそに、ビルは鷹揚に頷いた。


「かまわんぞ! まあ、その元気があればまだ大丈夫そうじゃな」

 

 手渡された水差しを受け取る。


 その会話を後ろで聞いていた二人の頭にははてなマーク。


「きけん……?」


 侍従がドアをノックするが、それに対する返事はない。


 ゆっくりとドアを開けて入ると、目に入ってきたのは汚部屋。

 汚部屋という激部屋。汚いというより激しい。


 額縁は真っ二つに切り裂かれた額縁。

 床にぶちまけられた花瓶。

 萎れた花。

 引き裂かれたカーテン。

 壁に刺さった武器の数々。

 部屋の主が飾り付ける趣味がないため、簡素で室内で素振りができるほどに広々とした部屋も、今や散乱物で荒れている。


 侍従が車椅子の通り道にある障害をせっせと取り除く。


「がははははッ! また派手に暴れておるのう」


 ベッドの上には鮮やかな赤髪の少女。

 少女は来訪者の存在にゆっくりと瞼を持ち上げる。


「……おじい……さま?」

「儂じゃ儂じゃ。見舞いに来たぞ。ほれ水じゃ、飲め飲め」


 水差しを強引に口元に持っていく。

 病人に対する看病とは思えない粗雑さで。


 本人の意思を無視して宛がわれた水差しに、赤髪の少女は当然むせる。


「ごほっげほっごほごほっ……!」


 水を飲んだのが、病人かシーツか半々なところである。

 

「今日はメアリーの弟弟子を連れてきた! シトラスとミュールじゃ! ほらっ、挨拶せえ!」


 ずいっ、と二人を前に押し出すビル。


「ぼくはシトラス」

「ミュール、です」

「あ、あんた……!?」


 シトラスに視線を移すと、感情の高ぶりを見せるメアリーだが、気管に入った水の影響で咳き込み、言葉が続かない。


「ん? 主ら知り合いか?」

「ん? んーー? わかんない!」


 これには理由がある。


 メアリー・シュウは美少女である。

 日の光を受けて輝く赤髪。

 髪と同じく人の目を引く美しい大きな赤眼。

 顔は小さく、手足が長く。少女ながら既にスタイルもいい。


 しかし、見た目と裏腹に内面は猛禽類そのもの。

 いや猛禽類の方がまだ可愛い気がある。

 なぜなら、その可愛さが発揮されているのは睡眠時のみだからである。

 日中は男子顔負けの勝気さ。


 以前のお茶会でひと悶着あった際も、居丈高な態度で口や態度から覇気が伝わってきた。


 しかし、今は体調不良からその覇気はなりを潜めている。

 また、髪を下ろし、白のネグリジェに身を包まれると立派な令嬢である。


「な、なななな……」


 とはいえ、当人からすると忘れられていると誤認するのも無理はない。

 彼女はベッドの上で屈辱に身を震わす。


 空気の読めないビルは、そんな二人の様子を気にすることもく話を続ける。


「まぁ世の中にはそっくりさんは三人はおると言うしのぉ! がははははッ! メアリー、こいつはお前の弟弟子じゃ」

「……おとうとでし?」

「うむ。三日前から面倒をみとる。お前と違っててんで才能はないがのうぅ。がははははッ!」


 メアリーは唇を噛みしめ顔を伏せ、話の後半は耳に入らない。

 手に力が籠り布団に小さく皴ができる。


 自分の居場所を奪おうとする敵。

 体調が優れないとき、思考も釣られ後ろ向きに感じてしまうものだ。

 プライドが高い人間ならなおさらである。


 この部屋でビルの車椅子を押す侍従だけは、何となく勘違いの空気を察していたが、身分を弁えて、主人の発言を補う真似はしない。


 メアリーはシトラスをキッと睨めつけるが、咳き込んだ影響で涙目であり、覇気もない様子では、野良猫が気を張っているようにしか周囲は感じられない。


 シトラスがベッドに座り、メアリーの頭を撫でると、彼女はその手をすぐさま払う。


 シトラスはこれに驚いた様子を見せたが、また撫でる。

 すると、また払う。撫でる。払う。撫でる。払う。


「なんじゃお前ら。仲がええのぉ! そうだシト、ミュール。お前らは足腰が弱いから、毎日城から屋敷まで走ってメアリーを見舞いに来い。それから城まで走って戻って剣の素振りじゃ。あ~、儂頭いいのぉ!」


「ッ! おじいッ! ごほっごほっ」


「いいかシト。これが"つんでれ"ってやつじゃ。ちっとはやいが剣のついでじゃ。儂が女の扱いを教えてやる。がははははッ!」


 怒りのあまり咳き込みが止まらず、シトラスが背中をさすっても払う余裕がないほど。


 この日からビルの言いつけ通り、本城からメアリーの屋敷まで、毎日走ってお見舞いにくることとなった。


 こっそり強くなって家族を驚かせたいという本人の要望により、実家とバーバラにはフィンランディアでの鍛錬は秘密、ということになっている。

 もちろんフィンランディアとしてもバーバラとしてもそういう訳にはいかない。


 そこは大人たちが茶番を演じた。

 ウィリアムとビルはシトラスの両親に報告していないふりを。

 お付きのバーバラは鍛錬に気がついていないふりを演じた。


 バーバラはビルとの剣の鍛錬に励んでいることを陰ながら見守っていたが、城からメアリーの屋敷までの走り込みに、バレないで着いていくことは難しいため、そこは諦めて、城で他家の侍従との情報交換の時間に費やすことにした。

 極めて治安のいい第一区画内での走り込みということと、朝に出て昼前には帰ってくるという短時間の外出であったこと。

 なにより、シトラスの意向を汲んであげたかったのだ。


 しかし、このことが後で悲劇をもたらすことになるとは、誰も思いもしなかった。



 あれから毎日、毎日見舞いにくるシトラスとミュール。


 人の気配に敏感なメアリーは、彼らが階下にいるときから気配で目を覚ます。

 しかし、メアリーはガン無視。


 最初こそ寝たふりを決め込んでいたが、そうすると頭を撫でてくるのでメアリーは起きて、迎え入れる(というか断っても勝手に入ってくる)。


 部屋の前に待機する侍従には、事前にビルから話が入っており二人の小さな来訪者はスルー。


「ねぇねぇ――」


 せめても抵抗で、不機嫌そうに睨み付けて話はガン無視。

 これで居心地の悪さを感じて出て行かそうとする作戦。


 これはある意味功を奏した。


 シトラスは最初こそ会話を試みたが、メアリーが返事をせず無視を決め込み、会話が成立しないとなると会話を止めた。


 正しくは会話を試みるのを止めた。

 

 それからは見舞いに来たかと思えば、話したい事を話すだけ話して立ち去る。

 話したいことがなければ部屋に入って挨拶だけして帰る、という自由人スタイルになった。

 ミュールはシトラスほどメアリーに興味がないので、完全にシトラス任せである。


 魔法騎士になりたいという夢、フィンランディアで初めて食べた料理、ここに来るまでに見た者など。

 

 子供特有の脈絡のない会話の切り口。


『おはよう! きしってかっこいいよね! きのうよんだえほんでね――』

『おはよう! きのうのゆうしょくなにたべたとおもう、じつはね――』

『おはよう! さっきおもしろいものみつけたんだ。それはね――』

『おはよう! じゃまた!』


 頬を張った相手だというのに自分のことを意にもかけず、あまつさえ居場所を奪おうとする存在。


 人の感情はままならないもので。特に子供であればなおさら。


 無視するのはいいけど、されるは癪に障る。

 自分を無視して一方的に相手の都合で会話の主導権を握るというのは、勝気で闘争心の塊の少女の心にひどく障った。


 強者と聞けば誰彼かまわず喧嘩を挑み、ねじ伏せる。

 勝てなければ勝つまで立ち向かう小さな狂戦士。

 同年代に叶うものはおらず、自領の兵士や領主である父の近衛兵に挑む始末。

 やがてその噂を聞きつけたビルが、彼女をフィンランディアに招き寄せた。


 フィンランディアに身を寄せると、身を寄せていた貴族の子女をすぐさまねじ伏せる。


 次なる獲物として選んだのはフィンラディアに仕える近衛兵。


 彼らからしたら恐怖の象徴である。

 勝ったところで得るものなどなく、むしろ四六時中勝負を挑まれる。

 しかも、容赦なく急所を狙ってくるのだ。

 無意識に魔法を駆使して。下手に手加減するとやられかねない。


 フィンランディア家に仕える近衛兵からすると相手は他の家の子女。

 おいそれと傷をつけるわけにはいかない。

 しかし、負けると自身の名に傷を残す。


 近衛兵から度々陳情が来るもビルがすべて握りつぶす。

『弱卒はいらんッ! むしろ身が引き締まってよい』と笑顔でのたまう始末。


 弱り果てた近衛兵は、メアリーが来ると逃げるか武器を捨てる始末。


 子供から畏怖、大人からは恐怖の対象。それがメアリー。


 シトラスは図らずとも、長くないメアリーの導火線にあっという間に火をつけた。


「おはよう! きょうはね!」

「おまえはいつまでくるの?」

「いつまで? おみまいだからメアリーがげんきになるまで!」

「……おまえもけんをおじいからならっているのよね?」

「うん!」

「ちょっとてあわせしてみない?」

「てあわせ?」

「そう。どっちがつよいかためすの。おまえはきしになりたいんでしょう?」

「うん!」

「なら、わたしがみてあげる。わたしつよいよ?」

「え。ぼくはいいけど、メアリーのからだは?」

「……じつはさいきんちょうしがいいの」

「そうなんだ! ならいいよ!」

「じゃあつぎくるとき、ぼくとうをもってきて」

「わかった!」


 本城に戻った際に木刀を三本せびったところ、お前らにはまだ早い、とのことで代わりに竹刀を三本渡された。 

 ま、いっかの精神で木刀は早々に諦め、翌日、二本の竹刀をシトラスが、一本はミュールが持ってきた。


「おはよう! ちくとうもってきたよ!」

「……まぁいいわ。じゃあそこにたって」

「だいじょうぶ?」

「えぇ」

「さきにあいてのからだにふれたほうがかち? いいでしょ?」

「うん!」

「じゃあこのまくらをうえになげるから、おちたらはじめ」

「わかった!」

「それじゃあ――」


 枕が地面に落ちたのを律儀に目で追うシトラス。

 そして、その視線を上げた時には、メアリーの切っ先が彼の喉に触れていた。


 一瞬の出来事にシトラスの目が点になって固まる。


「よわッ」


 止めとばかりに、メアリーは言葉の刃を突き立てた。

 ジト目で吐き捨てるように。


 シトラスがぷるぷると小さく震えるのを視界の隅に収め、メアリーは内心ガッツポーズ。ざまぁ、と。やってやったぞ、と。


 しかし、その期待はすぐに裏切られることになる。


「……い……ごい……すごい! すごいよメアリー! ぼくみえなかった!」

「え、えぇ、それはいいけど」


 勝ったメアリーより、負かされたシトラスの方が笑顔である。


「もういっかいしよう! ね! ね!」

「ずりーぞシトッ! つぎはおれのばんだ!」

「え、えぇ?」

「ね!」「な!」


 キラキラした目で気持ちが高ぶっているシトラス。

 今までにない反応に戸惑うメアリー。


 これまでに相手を打ち負かしたときに、言葉の追い打ちをかけると意気消沈するのが常で、中には泣き出す者もいた。

 相手から感じるのは負の感情である。

 決して、このように新しい玩具を買ってもらった子供みたいな反応をするものはいなかった。


 遊んでいるのは私だ、その自負が彼女にはあった。この時までは。


 次いで、ミュールも瞬殺するメアリー。


「すごい、かてるきがしねぇッ! もいっかいだ!」

「な、なんかいやってもいっしょよ」


 すごい、という言葉を何度も何度も連呼する二人。

 そこに裏などなく純粋な賛辞であることは子供同士痛い程わかる。

 わかるが故に戸惑う。


 相手に意地悪をしたら、その相手から純粋な賛辞が返ってきた時に感じる居心地の悪さ。


 しかも、何故か意地悪をされた方がノリノリという予想外の反応にペースを乱され、いつの間にか主導権は少年たちに移っていた。

 

 その後も、何度も何度も竹刀を交える三人。

 所作に無駄のないメアリーは、無駄と隙だらけの二人の剣を最小限で捌く。

 開始位置からほとんど動かないメアリーに対して、いなされてどたばたするシトラスとミュール。


 やがて室内の騒ぎを聞きつけて家人が部屋に入ってくると、家人は三人の手にある竹刀に気づく。


「何の騒ぎですか? あっ! 何をされているのですか!」

「みててみてて!」

「えっ! あ、えっと、はい」

「いくよメアリー!」

「え、う、うん」


 家人が木刀について注意しようとするも、シトラスが遮るように家人にメアリーとの手合わせを見せる。

 メアリーが木刀を持っていることから、シトラスの心配をして止めようとした家人は肩透かしを食らう。


 そんな家人の前で勢いだけは良い感じに打ちかかるも、再び軽くあしらわれるシトラス。誰がどう見ても完全敗北である。


 だが、それがひどく嬉しそうな様子である。


「みたー!? ぜんぜーーんかてるきがしない! すっごいきれいじゃない!?」

「き、きれい? はぁ、まぁその素人目にも確かにメアリー様はシトラス様の剣を綺麗に? 捌いておられますね」

「かっこいいよね! なんかこうバッといってもスルッとなって、ガッといってもフワッてなるの! おもしろいね!」

「えっと、その……、ほどほどにして下さいね? メアリー様のお体に触りますので。メアリー様の実力は承知しておりますので、他家の子息に怪我を負わせる行為はお控えくださいね。それと部屋の三人とも備品はこれ以上壊さないように」


「「「はーい」」」


 片や元気な返事。片やけだるげな返事。


 重なった声に思わず笑みが零れる家人であった。



 その日から、少年少女の奇妙な関係が始まった。


 お見舞いに行く少年。見舞われる少女。

 剣を教えられる少年。教える少女。


 ビルの元で基礎を学び、体調が安定していればメアリーで実践する。

 家人がメアリーに体調の心配をするも実力差がありすぎて、負担にもならないと切り捨てる。


 剣の打ち合いはシトラスが飽きるまで続く。


 飽きると、メアリーの髪をシトラスが梳かす時間。

 

 ことの発端は、ミュールとメアリーの組み合わせの後。

 メアリーの髪が乱れていることをシトラスが気づき、指摘したことから始まった。

 それを指摘されるまで放置していたのは、本人は無頓着さに起因する。


 シュウ領では父の必死のお願いに、渋々従い髪を伸ばしていたが、フィンランディアに預けられてからというもの、首上くらいでバッサリ切ってしまっていた。

 あとは伸びるに任せて、鬱陶しくなったら切る。

 かなり癖のある鮮やかな赤髪は、病に伏している間に肩にかかる長さまで伸びていた。


「あぁ、これ? めんどうだからほうっているの。え? もったいない? ……うーん、じゃああんたがきれいにしなさいよ」


 本人は軽い冗談であった。

 自分の思い通りにならない相手に軽口のつもりで告げる。

 シトラスは素直にベッドに腰かけるメアリーの髪を手で梳かす。


「あ……」


 異性に髪を触られる経験。

 だが、不思議と悪い気はしなかった。


 それ以来、メアリーの髪を梳くことが日課となった。

 体調がいい日は手合わせの後に、体調がよくない日はベッドから身を起こし、黙って後頭部を向ける。

 最初はきょとんとしたシトラスであったが、笑顔でそれを受け入れ今に至る。


 陰から中の様子を窺った家人の報告を受けたビルを含め、誰もがこの関係はうまくいっていると思った。


 メアリーの凶刃により、シトラスが死の淵を彷徨うその時までは――。


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