十話 東の四門と武具屋と


 フィンランディア領中心都市ポランド。

 フィンランディア公爵の住まう街にして、東部最大の城塞都市。


 誰が言ったか、

『ポランドには東部のすべてがある』


 東部の若者は一旗上げに、働き盛りの者は職を求めて。

 成功を掴んだ者はよりよい環境を求めて。

 人生の経験を積み終えた者は平穏な生活を求めて。


 ポランドはポトム王国東部の中心に位置していた。

 交易都市の一面と、対チーブス王国への軍事都市の一面を併せ持つ。

 ポトム王国建国の功臣である初代領主がポランドに屋敷を構えてから、都市の拡張を続けており、それは今もなお続いている。


 ポランドは公爵の居る本城から下級臣民以上の者が住まう居住区画、城壁、平民の居住区画、城壁という構造になっていた。

 近年では本城より遠い城壁のさらに外にまで平民の居住区画が広がりつつあった。


 なだらかな丘陵に公爵家の本城が位置している。

 本城から平民以外の居住区画の間には、草原が二百メートルほど広がっており、馬や牛などの家畜動物が放牧されている。


 公爵家の縁者や公爵家に近しい者、王国臣民は本城に居を構えているが、その他の公爵家に勤める者は草原の先の居住区画に居を構えている。

 基本的には、本城に近しい家ほど立派な造りで、それには家主の身分も比例する。

 裏を返せば、本城から遠い家ほど、公爵家に対する影響力も小さい。

 そのため、本城川の城壁内は第一区画と呼ばれ、都市の羨望を集める区画でもある。


 ポランドには商人も利を求めてひっきりなしに訪れるため物流は盛んであり、軍事都市の一面を持つだけあって治安の良さも東部一。


 いつからか東部ではポランドに住むことが、一つのステータスとなっていた。


「わぁー、すげぇーひと、みろよシト」


 馬車の窓に張り付くように馬車の外に広がる世界を見るミュールは、街の活気に感嘆の声を漏らす。


 ポランドの外縁部の城壁を超えると、平民の居住区画である第二区画に入る。

 ポランドには城壁が二枚ある。もとは一枚目の城壁までがポランドであったが、都市拡張の結果、一枚目の城壁は籠城時の第二次防衛ラインとなった。

 第二区画が今ではポランドの最大区画。

 区画内には住居の他に鉄の鋳造、武器の加工、商業、飲食がどれも盛んに行われており、都市活動の中心はこの第二区画である。 


 シトラスがプチ家出からロックアイスの屋敷に戻ってから二週間。

 先週には北の領地へ帰るヴェレイラに姉と共に別れを告げ、今は父であるキノット、新しく家族になったミュールと共に、バーバラの操る馬車でポランドへ訪れていた。


 道中でポランドの説明をキノットから受けていたミュール。

 馬車に乗ることもそうだが、ロックアイスから出るのも初めての経験。

 当初は緊張でがちがちであったが、ポランドに着く頃にはその緊張もどうにか溶けた様子で、今は外の景色に興奮しっぱなしである。


 子どもたちは窓の外の景色に釘付けである。

 気になったものがあれば正面に座るキノットが解説する。

 ミュールもシトラスの横で共にキノットの説明に耳を澄ます。


「あれは【武具屋】だね。個人向けに武器や防具を扱うお店さ。ロックアイス領では個人で武具を手にする職がないけど、ポランドのような大都市では、冒険者、傭兵など個人の武力で生計を立てる者がたくさんいるから、そういった人々に向けたお店だね」


 二人は興味津々の様子である。


「へー」

「あとでいってもいい?」


 目を輝かせて正面に座るキノットに頼み込むシトラス。


「そうだね。滞在中は本城に宿泊させて頂くから、公爵から許しを得られれば、第一区画から近い武具屋に行ってみようか。小物も置いてあるから、そこで少し先にはなるけど、ベルの入園祝いを見繕うといいよ」

「そうだねッ! きっとあねうえもよろこぶ、ありがとうちちうえ!」


 話している間にも二人を乗せた馬車は進む。

 平時は解放されている城壁の門を越える。


 簡単な検問を受けて、先へ進めばそこはもう第一区画。


 第二区画と違って喧騒はない。

 馬車の通る大通りに出店はなく、整然としている。


「ここはさっきよりもしずかだね」

「そうだね。第一区画は閣下に直接仕える者の住居区画だからね。ここに住む者たちも買い出しには第二区画を使うから余計にそう感じるのかもね」


 ふーん、と相槌を打つシトラス。


 ふと馬車の進行方向に人だかりができているのが目が留まる。


「あれはなんだろう? ひとがあつまっている」

「……なんだろうね。城下で武装した兵士たちが自領の屋敷を囲むとなると、穏やかではないけど」


 馬車の前方のある屋敷の前に、兵士が見張りのように立っているのが見える。

 その周囲には野次馬と思しき小さな人だかり。

 第二区画と違い、第一区画は人だかりが少ないのでそれが際立つ。


「バーラッ!」


 御者のバーバラにキノットが呼びかける。

 それだけで意図が伝わった様子で、車内から見えるバーバラの後頭部がコクリと頷くのが見えた。


 馬車が前を通過する際に、バーバラは耳を澄まし、"風"を拾う。


 事態を把握した彼女から車内に届ける風と声。

『……どうやら、公爵閣下に与する貴族が良からぬことを考えたみたいですね。そのため、屋敷を調査しているようです』


 これも戦争の煽りか、と小さく呟き顔をしかめるキノット。


 シトラスは流れていく人だかりと、その奥に見える屋敷を興味深そうに見つめていた。



 ポランド本城の数ある応接室の一室。

 シトラスは本城に着くとフィンランディア公爵の従者の指示された部屋に案内され、一息つくと別室へと案内された。

 

 ミュールは部屋でお留守番である。

 その際、部屋から出ないこと、誰も部屋に入れてはいけないことを念押しして。


 本城で公爵と面会する際は、謁見の間と呼ばれる城の中心部で重臣一同を伴って行われるものと、無数にある応接室の一部屋で行われるものがある。

 公的な案件や影響度が高い案件は謁見の間で、そうでない場合は応接室で行われることが多い。


 向かい合った席の下座に奥にキノット、その手前にシトラスの順に座り、その後ろにバーバラが控える。

 

 相対する席に人の姿はなく、シトラスは所在なさげに足をぶらつかせている。

 

 しばらくすると室内に響くドアをノックする音。

 それを合図に、キノットは座席から立ち上がり、ドアに向き直る。

 シトラスもそれに追従する。


 はい、とキノットが返事を返すと、ドアが開く。


 入ってきたのは三人。

 肩で風を切るように堂々と入ってきた金髪碧眼をオールバックにまとめた男。

 そして、彼に従う二人は燕尾服とメイド服の従者。


 メイド服の従者がお茶の乗ったサービスワゴンを押しており、燕尾服の従者が扉を支えてた。サービスワゴンが入るとそっとドアを閉める。


 先頭の男は、上座にどかっと座ると、シトラスの顔を視界に収める。


「またせたかな? まずは座ってくれ」


 促されるまま再度席に着く二人。

 メイドがティーセットを三人の前に並べ、お茶を注ぐ。


 あたりに茶葉のいい香りが漂う。


「はるばるよく来てくれたキノット男爵。まずは礼を。君のような実直な者が東にいてくれると、束ねる者としては大いに助かるよ。皆が君ほど東を思いやってくれればもう少し平和になるんだけどね。あぁ、今日は公式の謁見という訳ではないから、発言に私の許可は求めなくていい」


 鷹揚に手を二人に向けるこの場の主人ホスト


「閣下におかれましてはますますのご健勝ぶり。フィンランディア家の発展と共に、そのご活躍は商人や他家の使者を通して我がロックアイス領にも届いております。閣下にお褒め頂くなど私、いや、私たちロックアイス家の励みになります」


「ベルガモット嬢は元気にしているかな? 彼女は私の知る限り、東一番、いや大陸有数の才ある者。そんな彼女がアンリを側で支えてくれていることは随分と心強いよ。母親同士は学園以来の友人、その娘たちもまた同じ道を歩むなんて、これには縁を感じずにはいられないよね」


「過分なお言葉ありがとうございます。閣下のお言葉は娘にしかと伝えさせていただきます。ダンシィは奥方様と今も文通をさせて頂いているほどの仲。愚女もアンリエッタ様とは文通させて頂いておりますので、学園を通してますます二人の絆は強くなることでしょう」


「期待しているよ、キノット男爵。……そして君ははじめまして、になるのかな? シトラス君。私はウィリアム・イスト・フィンランディア。フィンランディア家の現当主だ」


 ウィリアムは三十後半に差し掛かろうという歳だが、二十代のように若々しい。

 穏やかな目つきだが、その碧眼から放たれる眼光は力強く、意志の強さが滲み出ている。

 フィンランディア家直系の特徴である茶髪混じりの金髪を綺麗にオールバックに固めたその容姿からは、キノットからは感じられない迫力を感じる。


「はじめましてフィンランディア閣下」


 ぺこりとお辞儀をしたシトラスに鷹揚に頷くウィリアム。


「さて、早速本題に入ろう。なに、別に前回のお茶会の件で罰しようというわけではないよ? 口実に使わせてもらったけど、今回呼んだのはシトラス君。君だ。他でもない君に少し興味があって」


「ぼくに……ですか?」


「そう君さ。君のお姉さんがあんまり君を褒める者だから、私もつい話してみたくなって。知っているかもしれないが、君のお姉さんは私の娘の大切な友人なんだ。私もたまに君のお姉さんと話すことがあるんだが、いつも君の自慢をしているよ。自慢の弟だって、ね。あの子が褒める君に興味が沸いてね。だから、私と少しお話をしよう」


「お恥ずかしい限りで……。彼女は親の贔屓目抜きにも優れた子ですが、どうにも弟のシトラスには甘いのです」

「いやいや、何も恥じることはないよ。姉弟仲が睦まじいのはいいことだ。ところで忌憚のない話を聞きたいので、男爵には少し席を外して頂いてもよろしいかな?」


「えぇと、それは……」

 チラッと父親の姿を伺うシトラス。


 周囲をあまり気にしない天真爛漫のシトラス。

 さすがに父親と目の前の男の上下関係に関しては、空気を読むことはできていた。


「礼儀作法などといったことで彼や男爵家を咎めたりはしないさ。こちらから依頼して来てもらっている身だ。安心してくれ」

「か、閣下。ぐ、愚息はまだ幼いが故に……」


 本人以上に天真爛漫さを理解しているキノットは、さりとて子供と言えど、いらぬ言質を取られては敵わないと、精一杯静止にかかるが、

「――それはそうと、ちょうどいま中央の連合商会と東の通商会、滞在している一部貴族が別室で交流会を行っているので参加しておくといい。私も後で参加する予定だ」

「そ、それは……!?」


 さらりと発せられたウィリアムの甘言に、目を見開くキノット。


「これを機にロックアイス家とは、より一層仲良くさせて頂きたいものだ。ロッテンマイアッ! 男爵を交流会にご案内して差し上げろ」

「かしこまりました。それでは男爵様」


 交流会という名目で商会や貴族が情報を持ち寄る会合というものは、景気、流行、世論、政治、軍事といった王国の最新の情報を入手できる絶好の機会である。

 そこで得られた情報は莫大な金を生む。


 そのため派閥に属するものは如何に認められて、交流会に参加させてもらうのかということに腐心する。


 大貴族主導の会は自派閥に所属するものへの援助の意味合いがあるが、信頼の証でもある。

 つまり、自家を支えるに足りうると認められた貴族のみが、そこへの参加を許されるのだ。


 驚きと喜びのあまり、蒸気顔でふらふらとしたキノットは、フィンランディア家の老執事に連れられて退席する。


 キノットの退席を見届けると、ウィリアムは穏やかに話しかける。


 それからの話は宣言通り、本当にシトラスに関する話をニコニコと掘り下げるウィリアム。

 家族のこと、シトラスの好物、得意なこと、苦手なこと、最近あった出来事。


「え? それじゃあ、シトラス君は市井に紛れて一月近く生活していたのかい?」

「はい。あ、これいっちゃダメなんでした……」


 話題が家出の話になると流石に唖然とするウィリアムに、はにかんで笑うシトラス。

 

「大丈夫。お父上には黙っておくよ」

 シトラスの笑みに、ウィリアムはウィンクを添えて返す。


「ありがとうございます」

「逆に私に聞きたいことはあるかな? 色々教えてもらったお礼に答えてあげよう」

「えーと、しつれいかもしれないんですが……」


 おずおずと切り出すシトラスに、かまわないよ、と続きを促すウィリアム。


「ウィリアムさまは、ぼくのちちうえとあんまりかわらないのに、どうしてそんなにおわかいのでしょうか」


「年齢のことかな。そうだね。魔力にはね、ただそれを持っているだけで、細胞組織を活性化させる力があるんだよ。そしてその力は魔力の強さに比例する。……つまりね、魔力が強い者は老いにくいんだ。概して魔人族が長命な理由がそれさ。私の魔力は東で髄一。つまりはそういうことさ」

「そっかー。じゃあちちうえよりウィリアムさまのがすごいんだ」

「魔力に関してはね。……でも君の姉はもっと凄いんだよ? 今は私の方が強いけど、君たちには成長期があるからね。君のお姉さんに関しては、まず間違いなく私を抜くだろう」

「せいちょーき?」


 小首を傾げるシトラスに優しく微笑むウィリアム。


「このあたりはまだ教わっていないかな? ……そう、成長期。十代半ばから後半にかけて体はね、ぐっと伸びるんだけど、魔力も体の成長に合わせてぐっと伸びるんだ。逆に二十歳からはどちらもなかなか伸びないんだよ」

「へ~、そうなんだ」

「そうなんだよ。だから若いうちはたくさん食べて、たくさん鍛えて、たくさん寝るんだ。もちろんたくさん勉強もするんだよ。私は魔法学の中でこういうことを扱う魔力身体学という学問を学生時代より専攻していてね。面白いよ? 魔力と身体の関係は切っても切り離せない関係で――」

「ウィリアム様。御歓談中大変申し訳ございません。お次の面会の時間が迫っておりますのでそろそろ」

「――おっと、もうそんな時間か。すまないねシトラス君。続きはまたの機会で。話は変わるが、今晩の立食パーティーがあるから、それに参加してくれたまえ。私の娘のアンリも参加するから顔を合わせておくといい」


 気が付けばキノットが席を発ち、一時間ほど経っていた。

 キノットを交流会まで送り届けて、部屋に戻っていたロッテンマイアと呼ばれた老執事が会話に切り込んだ。

 すると、腕時計をチラッと見たウィリアムは大仰に額に手を当て、この時間の終わりを告げると共に、シトラスを夜会へと誘った。


「バーラとミュールもいいですか?」

「バーラ? ミュール? 御付の者かな……パーティーには我が家の侍従が控えているけど。うん、まあ、いいだろう。君がバーラかな? ミュール?」


 ウィリアムがシトラスの背後に控えるバーバラに視線を向けると、彼女はカーテシーを行った後にシトラスの言葉を補足する。


「私はバーバラでございます。ミュールはシトラス様と同じ年頃の行儀見習いでございます。その者は礼儀作法を勉強中であるため、閣下へのお目通りは恐れ多く、現在はお借りしている部屋に待機させております」


 その頭の先からつま先まで視線をやるウィリアムは、視線を上下に一往復させるとうんうんと頷く。


「なるほど、君にはドレスを手配するのでドレスで参加して貰えるね? ミュールにも後で会に相応しい服を手配しよう。ロッテンマイアッ! 聞いていたな?」


 呼びかけに答えて、ドア付近に控えていた老紳士の執事が一礼する。


「承知しました。直ちに手配いたします」

「あとそうだ。武具屋を見たいんだったかな? 城の者に案内させるから、ここでしばらく待っているといい」


 そう言うと、ウィリアムは執事を引き連れて出て行った。


 部屋には紅茶を注いだ侍従だけが、給仕として残った。


 ドアが閉まるのを待って、バーバラが口を開く。

「私もご一緒してよろしかったのですか?」

「バーラもひとりじゃさみしいかなって」

 座っている椅子から、振り返って答えるシトラスに、バーバラは口元に手をあてがうと、 

「……シト様は将来、女を泣かせる男になりますね」

「ぼくはおんなのひとにひどいことしないよ?」

「知っております。今のはいい男になるって事ですよ」


 小さく微笑むバーバラ。


「ぼくがいいおとこになるのはぼくもしっているッ!」

「あら、それはどうしてでしょう?」


 バーバラの方を振り返って自信たっぷりな発言をするシトラスに対して、悪戯な笑みを浮かべて尋ねるバーバラ。

 彼女はその理由を求められて狼狽えるシトラスの姿を想像していた。


「だってバーラがいるからね」


 無邪気に微笑むシトラス。


 彼女の顔に赤が差す。

 返す言葉が見つからず、バーバラはスカートのすそを皺ができるほど握りしめた。

 口を一文字に結び、表情筋の決壊を防ぐが、こらえきれないのか、その口元がぷるぷると歪んでいる。


 大昔にある紳士が残したとされ、その後も国や世界を越えて紳士淑女の標語として受け継がれてきた格言がある。


 『我々はイエス未就学児童にはロリータお触りしませんノータッチ


 変態と紳士淑女を隔てる一枚のモラルという名の壁。


 誰にとって幸いなことか、ここにはフィンランディアの侍従という他人の目もあった。


 興奮から体全体がぷるぷるしてきたバーバラだが、両手を力強く握りしめ、唇を噛み耐える。


 やがて、ドアを叩く音でハッと我に返る。


 ウィリアムが手配した案内人の声。

 シトラスは手にしていたお茶をクイッと飲み干し、ドアに向けた。


 バーバラは何事もなかったかのように楚々としてその後に続いた。



 シトラスとバーバラは案内人に連れられて、第一区画に訪れていた。

 ウィリアムの手配した二十代半ばの金髪碧眼の青年の先導したのは、ポランド一と言われる武具屋であった。

 

「こちらが第一区画に唯一ある武具屋でして、閣下を始めフィンランディア一族の御用達でもあります。つまり、東部一の武具屋でございます」


 壁一面に飾られた商品と、透明なショーケースに飾られた商品が、三人を迎え入れる。

 それらの商品は手軽で実用性が高い商品が多く、武具屋に足を運ぶとまず視界に飛び込んでくる。


 ショーケースに飾られている武具は意匠が凝らしてあり、金のプレートアーマー、ウーツ鋼のナイフ、純銀の杖、絹のマントなどなど騎士向けのアイテムが綺麗に陳列されている。

 

 店内も清潔で、利用層に配慮した上品な内装。

 店内には店主の他に、全身を鎧で覆い隠した物々しい恰好の男が一人いるだけ。


「おきゃくさん? じゃなさそうなひとがいるね」

「はい。部屋の隅にいる者は武具屋の用心棒です。武具屋は用心棒や呪いで盗品を防ぐのが一般的でございます」

「え、のろい?」

「はい。例えば、簡易なものですと無許可で商品を持ち出すと電流が走る呪いや、足が地面から離れなくなる呪いなどが有名ですね、魔法が得意な者やその伝手がある方は、用心棒を雇うよりそちらの方が安上がりですので」

「へー、そうなんだ」

「ただ抜け道もございますので、やはり高価な商品を扱う武具屋はこうして用心棒を雇うことが多いですね」


 案内人の青年の説明に頷いたシトラスは、興味深そうに店内の商品を見て回る。


 ひとしきり店内の商品を見た後に、一つのショーケースの前で彼の足は立ち止まった。


「これにしようかな」


 ショーケースに飾られたネックレスを指さす。


 シトラスが店内を回る間ずっとそばに控えていたバーバラは、

「それは素晴らしい考えでございます。あ、店主様、ではシト様が指定したものを頂けますか。お代はロックアイス家に請求してください。これが印です」


 どこからか手のひらサイズの一枚のカードを取り出して、それを店主に手渡すバーバラ。

 店主は恭しくそれを受け取ると、二人に一礼した後に店舗の裏側に姿を消した。


 バーバラと店主の一連のやり取りを見ていたシトラスは、

「なにわたしたの? おかねじゃないの?」

「これですか。これは【印章】でございます。シト様はご覧になるのは初めてでしたね。貴族は印章と呼ばれる魔力の宿った印で支払いを行うのです。この印をお代の書かれた特殊な木に押印しますと……このように木に印が浮かび上がりますで、これをある商会に届け出ると、そこで商会からお金が支払われます。そして、後ほど商会が印章の持ち主に支払って頂くという仕組みです」


 印章とは中央の有力商人たちが連盟を組んで導入した印章制度。

 貴族の購買は高価であることが多く、印章制度が導入されるまでは道中に強盗や盗難の被害が多かった。

 そのため、貴族は何か購入する際は大々的に護衛を動かす必要があり、富裕層の頭痛の種であった。

 これに目を付けたのが、一人の商人。


 社会的問題というのは、得てしてビジネスチャンスである。


 貴族の金銭輸送リスクを低減させる代わりに、指定の店での購買を促進させる。

 金銭を直接用いない支払い方法、貴族からの支払いを受け取った後に強襲されないような輸送手段、支払いの踏み倒しへの対策。

 数多の困難を伝手と知恵で乗り切った商人は当時のポトム王国の御用商人にその技術を売り込んだ。


 当時の彼女は田舎の名もなき一商人であったが、重い腰の御用商人に粘り強く話を持ち掛け、幾何な年月を経て、王国の一部地域で試験的に実施したところ、多大な反響があった。

 当初は胡散臭い目で見ていた保守的な他の有力商人たちもこれは手に平がちぎれる勢いで返した。

 それから正式に王国の認可を受け、時と共に印章制度は王国に根付いていった。

 

 そして、彼女は飛ぶ鳥を落とす勢いで王国内の商人として成り上がり、今では一大商会を率いていた。


「え? でももちぬしってどうやってわかるの?」


「印章を使われる場合は、事前に印章の登録を済ませておく必要がございます。印章は特殊な製法で作成されており、作成した印には契約者様の魔力が含まれています。魔力の波長は二つと同じ波長はありませんので複製はできません。そして、印章が使用できるお店ではそれを判別できる特殊な魔具を用意しているのです」


 バーバラは説明しなかったが、印章を使った支払いの踏み倒しや、印章の盗難には凄まじいペナルティが存在する。

 また、貴族の格で上限や回数が設けていたりする。


 バーバラの説明を傍で聞いていた武具屋の店主は、

「はい。その通りでございます。そのため、事前の申請のなしでの印章の使用は、原則おできになりませんのでお気をつけ下さい」


 バーバラと店主の説明を聞いて、特殊で専用のアイテムということを理解したシトラスは、どうややら自分の印章が欲しくなった様子。

 特殊、専用というワードは幼年であっても男心をくすぐるのだ。


「ぼくもそのいんしょう? っていうのをつくれるの?」

「それは……難しいですね。印章は基本的に家に対して作られるものですので。もう少しシト様が大きくなればキノット様にロックアイス家の印章自体の使用許可は頂けるかと」


 キラキラした目でバーバラを見つめるシトラスに心苦しそうに答えるバーバラ。


「そうなんだ。じぶんたちでつくるの?」

「いえ、印章は先ほども申し上げました通り、特殊な製法で作られているのですが、その製法の詳細はある一族の秘伝とされていて不明ですので、特定の商会に届け出て、印章を作って頂く必要があります」


 シトラスがバーバラから視線を切って店主に目を向けるも、もちろん我々も知りません、と店主の苦笑いが返ってきた。


「付け加えさせて頂くなら、印章の無断複製は王国法に反しますので、仮にできても行動に移されないことを強くお勧めします。ちなみに、我々の店で扱っている印章を識別する魔具もその一族によって作られた魔具でございます」

「へ~、ぼくもはやくそんなすごいまほうをつかえるようになりたいなッ!」

「おや、魔法使いを目指されておられるのですか?」

「ぼくはゆうしゃになるんだッ!」


 シトラスの話を聞いて、声には出さないものの、あぁ、という優しい反応を見せる店主。


 シトラスが好む絵本は王国の歴史ある人気の絵本で、貴人のような上級臣民のみならず、下級臣民にも広く流布している。

 そのため、この年頃の男子で魔法剣士に憧れる者が、本の出版以降に後を絶たなかった。

 かくいう店主も昔は例に漏れずその口であったので、懐かしさと無邪気さに目元が緩む。


「では、未来の勇者様へのお近づきの印に。これはサービスです。願いを掛けながら、これをいずれかの四肢に巻いて頂きますと、切れた時に願いが叶うとされる装飾品でございます。繊維に魔法が駆けられておりますので、汚れませんし、手入れの心配もいりません。この結び目を強く押して頂くと、紐の長さも簡単に変えられますので、成長期の心配もいりません」


 店内に陳列されていた紐のような商品を、シトラスに手渡す店主。


「それは【願いの環ミサンガ】でしょうか?」

「はい。そうでございます。ご存知でしたか」

「はい。私も昔、身に着けておりましたので」


 店主が渡したのは願いの環と呼ばれる装飾品。

 西部のとある地域の伝統芸品。


 願いの環を受け取ったシトラスはバーラに笑顔を見せる。


「後で結びましょう。店主様、ありがとうございます」

「いえいえ、これからも当店をよろしくお願いいたします」


 店主の見送りを受けて、店を後にする。


 手にもつ願いの環を嬉しそうに眺めるシトラスの様子に、バーバラは右の手首をさする。


 バーバラの様子にシトラスは店内での店主とバーバラの会話を思い出し、バーバラの願いの結末を尋ねる。


「バーラのねがいはかなったの?」

「はい。叶いましたよ」

「いいなあ。ねぇねぇ、バーラはどんなねがいごとをしたの」

「それは――」


 バーバラは言葉を切り、口を閉じる。


「それは?」


 シトラスがそんなバーバラの口元に注目して、ワクワクとした視線。


「秘密です」


 しかし、バーバラは語らず、ただ悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 いじわる、と笑いながら不満を漏らすシトラスに、いじわるなんです、と笑って返すバーバラ。


 笑いあう二人。


 先頭を歩く案内人の青年は、二人のやりとりに激しく胸やけを感じ、後ろの二人に気づかれないようにこっそり胸元を右手でかきむしった。


 案内人の青年は独り身であった。


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