七話 商館と噂の妖精と


 ロックアイス領のスラム街にあるシロッコたちの寝床。

 

 すっかり新しいシロッコ一家に馴染んできたシトラス。

 家族の心配は露知らず。親心子知らず。


 シトラスが屋敷を抜け出して、はや一週間。


 シトラスは早くも下町の生活に順応しつつあった。


 煎餅布団で目を覚まし、薄汚れた甕にたまった雨水で口をゆすぎ、顔を洗う。

 それから、ミュールと残飯や生活の役に立ちそうなものを得るために、街中を探し回る。


 収穫なしボウズの日もあれば、初日のパン屋や露天商の様に、思いがけず貰えることもある。

 際立って整った顔立ちという訳でもないが、どこか人の目を惹くシトラス。

 瞬く間にその存在は下町で噂となった。



 家出初日に出会ったパン屋や、露天商にも毎日顔を出しており、その都度、彼らの売り上げに貢献していた。

 また、それを見ていた目敏い者が、シトラス(と一緒にいるミュール)を食料や小銭で日雇いするなど、早くも縁起物ならぬ縁起者として、早くも人気を集めつつあった。

 

 だが、そんなシトラスにも悩みがあった。


「布団が固い」


 ペラペラの藁むしろの上で、夜は固まって一緒に寝る。


 掛け布団は食事の時に床に敷く襤褸布。

 藁むしろ同様にぺらぺらで固い。

 それは万年床であるため、湿気で水を含んだ地面の方がまだ弾力性があると錯覚するほど。

 

 最初こそ藁むしろで雑魚寝することにワクワク感を抱いていたが、三日もすれば飽く。

 ふかふかの布団が恋しくなっていた。


 でも、家にはまだ帰りたくない。

 この冒険を終わらせたくない。


 その時、シトラスはバレンシアを思い出した。

 正確にはシトラスを抱きしめながらバレンシアが紡いだ言葉を。



 『何か用があったら私に言ってね』



 シアに言えばなんとかなるよね、と思い立つシトラス。


 実は集金初日の裏にも、バレンシアの存在があったのである。


 物乞いを始めたが、さてお金が集まらない、とそこにバレンシアが通りかかったのである。


 シトラスを見ると驚いた様子のバレンシアだったが事情を説明すると、バレンシアはふんふんと頷くと両親には黙っておくことを約束してくれた。

 そればかりか、少し待つように言うと、バレンシアは一度シトラスの前から姿を消した。

 そして、再び戻ってきたバレンシアの手には小銀貨以下の貨幣が詰まった小袋持っており、それを広げると全てシトラスに手渡した。


 もちろん金貨以上の貨幣も持って来ることができた訳だが、あまり大金を渡すとシトラスの自称アニキ分が欲に目がくらみ、シトラスが禄でもないことに巻き込まれる可能性を考慮し、小銀貨までに抑えたのである。

 また、袋があると怪しまれるから、貨幣はポケットに入る分に留めるという徹底ぶりである。


 今回もバレンシアの力を借りようと考えたシトラスだった。


 しかし、一つ問題があった。


 それは彼女の居場所がわからないということだ。

 バレンシアが会長を務めるコメルシャンテ商館に行けば会えるだろうが、その商館の場所など当然のごとく覚えていない。

 家出をした日に荷馬車に隠れて商会を訪れていたものの、その後は窃盗犯として疑われ、そこから逃げる形で飛び出したので、商会への道を覚えてる余裕がその時はなかった。


 モートとミュールは残飯ごはん物盗りスリに出ており、部屋にはシトラスとシロッコの二人。


 空き巣を防ぐために、基本的に誰かひとりは留守番係である。

 空き巣は人の気配に敏感である。

 単なる空き巣の場合は室内に人の気配があるというだけで、かなりの予防になる。


 多くの場合、ミュールが留守番をすることが多いのだが、最近はシトラスの影響もあって張り切っているため、シロッコが代わりに留守番をしていた。

 シロッコが留守番のときは、シトラスはシロッコにこの界隈の情報や、ルールを教わることが多い。


 この日シトラスはシロッコに商会の場所を、尋ねてみることにした、

「ねぇ、シロッコ。コメルシャンテ商会って知っている?」

「ん? あぁ、それくらい誰でも知っているぜ。領地ここで一番でかい商会だ。本店は王都にあるらしいんだが、十数年前に領地ここに支店をおいて、それからここいらじゃ一番の商店だな。たしか大通りを北に上がっていった所だな」

「そっか、ありがとう。ちょっと出かけてくるね!」






「それでなんで、おれがおまえのごえーなんかに」


 昼前で賑わう街の中央通りを歩く二人の少年、シトラスとミュール。

 

 ぶつくさとぼやくのはミュール。

 シロッコに言いつけられて、物盗りから戻るや否やシトラスに張り付いていた。


 不満たらたらの様子で、頭の後ろで手を組んで唇を少し尖らせている。


「ミュールはこのへんくわしいの?」

「ふん、そんなことあたりまえ。あそこの店のおっさんのほくろのかずまでしっているよ」


 店先であくびをしている頭が少し寂しくなっている八百屋の店主をあごでしゃくる。

 ミュールが顎をしゃくった先では、顔に大きな黒子が複数ある中年のおやじが小指で鼻くそをほじっていた。

 おやじの鼻から誕生した団子が、指でぴんと弾かれて、店先のしなびた野菜に飛び込んだ。


 二人はお金があっても、このおやじの店では決して野菜は買うまいと心に誓った。


「……じゃあ、こんどこのへんでおもしろいところおしえてよ。ぼくがまだいったことないとこ」


 シトラスの言葉に、立ち止まって目をつぶり、得意げに胸を張るミュール。


「おまえなんかいったことないところだらけじゃないか。……まぁいいぜ。そのときはこのミュールがおしえてやるよ」


 ミュールが目をつぶって得意げに胸を張っている間に、ミュールを置いてすたすたと先に進むシトラス。

 ミュールが目を開いた時には、シトラスが少し先を歩いていたので、堪らずミュールは慌てて駆け出す。


「って、お、おい。まてよッ!」


「ははは、おいかけっだね?」


「ち、ちがッ! おまえがいなくなると兄貴たちにおこられるのおれなんだ! このッ! まてって!」


 こっちこっちー、と笑いながら駆けるシトラス、追うミュール。


 途中からシトラスの笑みにつられて、ミュールからも零れる笑顔。

 

 通りですれ違う形になった人々は、無邪気な二人の童の姿に微笑む。

 在りし日の自分たちの影を重ねて。


 純粋に友と駆けまわっていたあの日々を。



 街の心臓である領主の館に近づけば近づくほど、通りを歩く往来の人の数は増える。

 それはバレンシア商館が見える頃には、子供の二人では人波に流されてしまいそうになるほどだ。

 そのため、ミュールがシトラスの手首をしっかりと掴んで先導していた。


「もうすぐだ」

 

 言葉数少なく先導するミュール。

 人波に負けないようにと、むんずと足を進めるその額にはうっすらと雫が浮かんでいる。


 とうとう二人は目的の場所へとたどり着いた。

 

 門は馬車二台が優に通れるほど広い。

 シトラスを縦に四人並べるほど高い鉄格子の門は、この時間帯は開け放たれており、脇には守衛らしき人物が自身の身長ほどの棍棒を携えていた。

 

 門の先には納屋や馬小屋が見える。

 その奥には三階建ての商館は、ロックアイス領で唯一のレンガ造りである。


 王国の建築物の一部を除き、その多くは木造建築である。

 それは魔法や魔具と呼ばれる魔力を動力源に機能する道具で、生活はなんとでもなるためだ。

 しかし、それゆえに延焼問題などが根強く残っていた。

 近年では都市部を中心にレンガ造りやコンクリート造りの建造物が増えてきてはいるのだが、ロックアイス領ではコメルシャンテ商館に留まっていた。


 商館の中は遠目から見ても活気に沸いていた。

 この商会の盛況が子供ながらに見てわかるほどだ。

 ミュールはごくりと唾を呑み込んだ。


「ここだ。おまえしりあいがいるのか?」


「うん。――そこのもの。シアとあいたいんだけどどこにいるの?」


 訝しむミュールにシトラスは笑顔で答えると、門の脇に立つ守衛に駆け寄った。


「は? なんだ坊主ども」

「ぼくはシト。シアをよんで」

「シ、シア? シアといわれてもなぁ……家族か? 困ったな」


 子供がこの商館に来ることは珍しい。

 お遣いであれば、商館から買い付けている商店や露天商の元へと行くからだ。

 この商館が品卸した荷の集積所の側面が強いのは周知の事実であった。


 バレンシア率いる商館が直接仕入れた品を街で売り捌かないのは、十年前に店を構えたころからの方針である。

 親子数代、先祖代々ロックアイス領で商いを続けてきた既存の個人商人たちの利権を潰さないためであり、この今日の盛況ぶりからコメルシャンテ商館の方針は的確であった。


 守衛の男はコメルシャンテ商館から雇われの身であった。


 現地の雇われの身であるため、一層少年の扱いに困った。


 なぜなら、シトラスが目的に人名を上げたためである。

 無頼の輩は手にした棒で追い返せばいい、盗人は叩きのめせばいい、迷子はあしらえばいい。

 ただ、商館で働く縁者かもしれない人間には粗相は働けない。


 守衛の男が、おいおい子守りは別料金だぜ、などと愚痴を吐いていると商館から近づいてくる野太い声。


「おーい、なんだ? どうかしたのか?」


 商館の商人の登場に内心で、助かった、っとホッと胸をなでおろす守衛の男。


「あっ、イガノフさん! いや、この坊主たちが人を探しているみたいなんですよ」

「人だぁ? で、だれだ?」


 守衛の言葉に眉を片方しかめて、視線を合わせるように腰を屈めるイガノフ。


「シア! シトが来たって言えばわかるから」

「んー、俺もロックアイスここの専属ってわけじゃないから、ここで全員の名前まではしらねぇんだよなぁ」


 俺は本来は王都が縄張りシマなんだ、とがしがしと後頭部を掻くイガノフ。

 

 どうしようかと、イガノフと守衛が考えていると門の奥、商館の手前の納屋から出てきた見習い商人、ギルビーズが元気よく飛び出してきた。


 ギルビーズはイガノフを見つけると、すぐさま駆け寄ってきた。

 それと同時に、イガノフの影となっていたシトラスの存在に気づき、ドップラー効果を伴った叫び声をあげる。


「イガノフさん! つみにのじゅんびできましたぁぁぁあああって、あ、あ、あんときのコソどろっ!!」


 商人にとって聞き捨てならない単語に、一瞬でその表情が固くなるイガノフ。

 そんなイガノフに対して、びしっとシトラスを指さし説目するギルビーズ。


「……こそどろ? どういうことだギル?」

「こ、このまえおれがいってた、つみににかくれてどろぼうですっ!!」


「なにぃッ!?」


 イガノフの大声に守衛の視線が、家族に会いに来た少年から商館に商品に盗みにきたクソガキに変わる。


 険しくなる大人たちの顔色に比例して、ミュールの顔が蒼褪めていく。


「お、おい! シトっ!?」

「あはは――。にげろっ!」


 イガノフの気迫に腰が引けていたミュールと対照的に、シトラスは脱兎の如く商館に駆け出した。


「あ、おい!! こらっ!! まてクソガキっ!! おい、お前ら今そっちいたガキ捕まえろ!! イカ・・だっ」


 ザワッ――。


『イカ』


 それは商人たちにとっては聞き捨てのならない単語。大

 陸の商人たちの間で隠語スラングで『泥棒』を表す言葉である。


 フィンランディア王国の南に位置する"魔人の国"フロス公国の東、フィンランディア王国の南東に位置する"純人主義国家"ステラ皇国。

 王国と交易のある二国は海に面しており、漁業が盛んである。

 その二国で好んで食される生物"デッカイカ"。

 成長するとその全長は三メートルにも及び、史実ではガレオン船に匹敵するサイズのものを確認されている。


 デッカイカは墨を吐くことで有名であり、幼体の時は外敵に襲われると、粘膜性の高い墨を出し姿を擬態し身を隠す習性がある。

 そのことから転じて、商人たちの間では泥棒の意味で使われていた。


 イガノフの怒声に声の届いた商人が目の色を変える。

 納屋や馬小屋から飛びてくる大人大人、大人。


 そのすべてが商館に向かって駆け出したシトラスに殺到する。


「まてやこらぁ!」「そっちいったぞぉ!」

「エモノもってこいやぁ!」「こっちだこっち!」


 商いを営む者にとって、言うまでもなく泥棒は脅威である。

 盗まれた物的損失もそうだが、その補填に投じる費用、その商品を手に取ることで得る顧客との機会損失、管理の脇が甘いという汚点レッテル


 特に一度、汚点レッテルが貼られると、そこに盗みを行う者は後を絶たない。

 そのため、商人は必死にもなる。ましてやホームなら猶更である。


「お前も――ってあれ、もう一人のイカはどこいった!?」


 守衛が隣を見ると、既にそこにミュールの姿はなかった。

 シトラスが敷地内に駆け出して、周囲の目がシトラスを追うと同時に反対方向、大通りに姿を隠した。

 子供は大人の視線に敏感なのだ。裏を返せば、視線が切れた瞬間を察する能力も高い。


「とりあえず門を閉めるぞ! この商会にスミをつけさせるな!」


 追っ手の男二人をひらりと躱して商館に駆けこむシトラスを遠めに睨めつけ、指示を出し退路を断つイガノフ。

 指をぽきぽき鳴らしながら本人も商館に歩みを進める。


「商人相手に無料ただで出られるなんて思うなよ……」


 そんなイガノフを置き去りに、シトラスは館内に身を躍らせた。

 

 館外から館内へ肉声による伝言ゲームが始まり、館内もにわかに活気づいていた。


 シトラスは小さな体躯を活かし、するりするりと追手の丁稚を躱し、一階から二階への階段を駆け上る。


 すれ違いざまに捕まえようと伸ばされた手を、階段の段差と身長の高低差をうまく使って掻い潜る。

 二階の踊り場からシトラスを捕まえようと、下方に伸ばされた手をかがみながらすり抜けると、手の持ち主は体勢を崩し、階下からの追手を巻き込みながら一階まで落ちていく。


 その間にもそのまま二階から最上階に駆けあがり、角を曲がると――ボフッ、という音と共に柔らかい感触に包まれた。


 おもむろにシトラスが顔を上げると――。


「やぁシト」


 肩にかかる長さで透き通るような黄緑色の髪を持つ美女が、その髪と同じ色の硝子玉を細め、シトラスに優しく笑いかけた。


「シア!!」


 シトラスが喜色をあらわにすると同時に、階段から商会の追手がシトラスに追いついた。

 皆、肩で息をしている状態であったが、シトラスを抱きしめる美女、コメルシャンテ商会会長バレンシアに気づくや否や、荒れた息もそのままにできる限りその背筋を伸ばす。


「はぁはぁ、か、会長!! そ、そいつはイカです!! せ、先週イガノフ達の馬車に潜っていたガキです!!」


「イカ? 彼が? 違うよ、彼は私の大切な客人さ。なんだ、外の騒ぎはそれか……。外の皆にも伝えてくれる? 勘違いだったって」


 左腕でシトラスを抱きしめ、右腕でシトラスの髪を梳き、頬を撫でる。

 彼女のまるで最高級の宝物を扱う手つきに、追手と化していた商人も肩の力が抜ける。


「きゃ、客人?」


「そうさ。それに何か盗られたものがあったかい? あの日のプルーフの報告では損失はなかったはずさ」


「は、はぁ……いや、まぁ、会長がそう仰るのであれば……」


 バレンシアはそう言うと、シトラスを追いかけて最上階まで上がってきた商会の者を元の仕事に戻らせた。

 コメルシャンテ商会に在籍する者にとって、それはある種の命令に等しい。


 シトラスの存在を不思議に思いながらも、商会の者は言われた通り下がる。

 商会の者たちの階下へと足音が消えるのを待って、バレンシアが腕の中のシトラスにおどけて仰々しく話しかける。

 

「さて、本日は我がコメルシャンテ商会にようこそ。なんなりとお申し付けください」



 その日からシロッコ一家の布団は、遠く雪国のスノウボアと呼ばれるモンスターの体毛から作られる布団となった。

 夜風が寒い日でもぬくぬくと体を温めて眠ることができる代物である。


 スノウボアの体毛を詰め込んだ布団は弾力性に富み暖かく、竜種や幻想種の体毛にこそ及ばないものの、そのコスト対費用効果コスパの良さから王国民から下級貴族まで広く流通している布団である。


 ミュールはというと、今でも自分の状況が信じられない気持ちであった。


 あの日、閉じられた商会の正門を大通りの物陰から、はらはらと見守っていた。


 そして、いくらか経って再び門が開いたと思ったら、シトラスがとことこと出てきた。ミュールの名を呼ぶものだから恐る恐る出てみると、そこにはぱんぱんに膨らんだ背嚢が二つ。

 背嚢の後ろに立つシトラスと、その隣に立つバレンシアはにこにこしていたが、その周りの商人たちの訝しむ視線や、値踏みするような視線に背嚢をひったくるような形で手に取り、シトラスの手を引いて商館を後にした。


 襤褸屋に帰って確認すると、背嚢には布団は二組入っていた。

 その日以来大人と子供で分かれて入ることとなった。


 事の顛末をミュールから聞いたシロッコは、シトラスがいよいよ訳アリ・・・であると確信を持ち、この日より一層シトラスに気を配るようになった。


『シト、今日は自由にしていいぞ。ただし、人目の付かない所には行くなよ。後、日没までには必ず帰ってこい』


 寝床と食事の質の向上により、ミュールの体調も快調。

 シロッコは上機嫌である。

 

 初日以来、毎日色んな所で物乞いに興じるシトラス。

 出自を知る者が見れば卒倒ものだが、本人は至ってこの生活を楽しんでいた。

 

 でこぼこの道、喧騒に包まれ雑多な道、襤褸家、新しい家族、錆びた硬貨、甘い果実――。

 すべてが新鮮ですべてに心ときめいた。


 生まれも相まって世間は彼に優しく、その眩しさは悪意させ彼に近づくことを許しえなかった。


 だが、光あるところに闇があるのが世の常。


 スラムの一角に差し込んだ光。

 その光は瞬く間に周囲を照らしたが、それはまた人知れず影も落とした。



「あいつはおとぎ話で出てくる"打出の小槌"だな」


 王国で広く語り継がれている童話のうちの一つ。打出の小槌。

 振れば万金を生み出したとも言われる鬼族の伝説の宝具。

 代々鬼族の高位の者に受け継がれているとも、悪用を恐れて人目の付かぬ所に封印されているとも語り継がれている。


「アニキ、シトラスにやらすのはなんで飯ばっかなんだ? 金を集めた方がいいんじゃないか?」


「いや、あんまりやりすぎると目を付けられちまう。そうなるとだめだ。セカマの野郎のような悪党に襲われたら俺たちじゃひとたまりもねぇ。気づいているか? ここ二、三日で知らない顔が増えてやがる。噂を聞きつけたのか卑しい蛆虫どもめ」


 妖精とも称されつつある不思議な少年がこの区画に出入りするという噂が立ち、少し前のシロッコ達と同じ境遇の者たちが、そのおこぼれに与ろうと近隣に住み着き始めたのだ。


「セカマ……あの質の悪い魔法士崩れ野郎。フィンランディアをねぐらにしていたのに、最近じゃあロックアイスにに流れてきたって噂はほんとなんだな」

「あぁ、だが、この調子ならそう遠くない内に俺たちはスラムから出られる。んでもって、ゆくゆくは名前も貰うのも夢じゃねぇ。そうすりゃあ、魔法士崩れ野郎なんて屁でもねえ」

「名前? ってことは……か、【下級臣民】!? お、俺たちが!?」


 夢を語る兄貴分に興奮する弟分。


「あぁ……。下級臣民にさえなれれば兵役にも着けるから仕事には困らねぇし、湯船の風呂だって入れる。なんてたって王都にだってどこだって家を構えられる。こんな肥溜めじゃなくて本物の家だ!」


 四大王国では、すべての人民は生まれ落ちた瞬間から親の身分によって上級と下級に区分される。


 【上級臣民】はフィンランディア家やロックアイス家など特権階級の者が該当する。

 彼らは領地の保有を王の名の下で認められていた。

 独自に課税、徴兵の権利を有し、王国の中枢を担う存在である。


 下級臣民は上級臣民の下で形成される共同体で納税、兵役の義務を果たす存在である。

 その義務を果たすことで王国の民としての法の庇護を享受することができる。

 下級臣民以上の者は姓を名乗ることが許されていた。

 また城下、ないしは街の中枢に住居を構えることが法で認められている。

 

 下級とは名の着くものの、王国で正式に臣民として認められている者は、王国の実人口に対して多くはない。

 上級臣民でも下級臣民でもないものは【平民】として区分されたいた。

 上級臣民の統べる地に住まう平民は王の民というより、その地を統べる上級国民の所有物。


 スラムに住む者が誰もが一度は憧れる世界である。


 正しく人扱いされる世界。


 王国臣民であれば国内でまず適用される方は王国法であるのに対し、王国臣民でない者はその地を統べる統治者の統治法に従う。


 つまり、統治者が白を黒だと言った場合は、両臣民にとって白は白だが、平民にとっては白も黒になる。それは税然り、信仰然り。


 「そいつはいいな! そ、それにしても名前か……。あ、兄貴なんて名前にするんだよ? 今のうちに考えとかないと」


「そ、そうだな。かっこいいのがいいよな……。そうだ! "穢れなき聖獣"ユニコーンからとってコーンとかどうだ?」

「コーン、コーン、コーン……。うん、いいな。流石兄貴! いや、シロッコ・コーン!」

「ははっ! よせよ! モート・コーン」


 シロッコとモートは顔を見合わせて恥ずかしそうに笑った。

 その後も襤褸屋では皮算用の話に花が咲き、しばらくの間笑い声が続くのであった。



 シロッコ達が皮算用をしている頃。

 シトラスとミュールは街の大通りを歩いていた。


 人前に出ることのなかったシトラスは、こうして大手を振って街を歩いていても気づかれない。

 警邏の近くだけ物陰や人混みに隠れてやり過ごしていた。


 道の真ん中で羊皮紙を広げて見ている二人の警邏の者の横を、人混みに紛れて通り過ぎていく。


 シトラスは好奇心からすれ違った後で、二人の警邏が見ている羊皮紙を後ろからこっそりのぞき込むとそこにはシトラスの精巧な似顔絵が描かれていた。


「この顔の少年だな」

「あぁ、見つけ次第保護せよとのお達しだ」

「にしても、よく書けているよな、この似顔絵」

「ばか。それはキノット様の<念写>だ。魔法だよ」

「あ、魔法なのか。でもどっちにしてもすごいよな。俺も魔法が使えたらって今でも思う時があるんだ」

「たしかにな。これくらいなら王都の学園で学べば誰でも使えるようになるらしいって噂だぜ?」

「学園に通えるだけの銭があればな」

「違いない」


 そろーっとフェードアウトするシトラス。


 警邏には近づきたくない気持から、その様子を少し離れた位置から見ていたミュールが尋ねる。


「どうかしたのかシト?」

「ううん。なんでもない。いこミュール」


 足早に立ち去る二人。


 立ち去る二人の姿を物陰から見ている男の存在に気づくものは誰もいない。


 光に忍び寄る影はもうそこまで来ている。



 二人の衛兵が屋敷の裏で今日も壁にもたれこんで座り込んでいた。


 衛兵と言っても、争いの少ないロックアイス領で、さらに中心部ともなれば平時は閑職である。

 その中でも特に裏庭の監視、警邏は一番の閑職である。


 なぜなら門や屋敷を囲う壁は別の衛兵が監視しており、屋敷内にも巡回がいる。

 加えて、この裏には滅多なことでは屋敷の者も近づかない。

 月に一度、裏庭に生えている木の剪定の係りの者が手入れに来るばかりだからである。


 屋敷の監視、警邏は衛兵が持ち回りで行っているが、屋敷のこの代わり映えのしない景色を眺める作業に飽き飽きして、衛兵にとって裏庭警備担当の時間はいつからか体のいい休憩扱いとなっていた。


「この前お前が言っていた妖精の話なんだがよ……」

「ん? あぁ、噂の話か」

「そうそう。で、俺の嫁さんが見たらしいんだよ」

「見た? 見たって妖精族をか?」

「いや、それなんだがどうも妖精族じゃないんだとさ」

「妖精族じゃない? じゃあ噂と違うじゃねぇか」

「妖精のような少年、だそうだ」

「なんだそれ」

「わからん」


 屋敷のもたれながら座り込んでサボっている衛兵に音もなく横から差し込む影。


「――その話、詳しく聞かせてもらおうか」

 

 二人がぼんやりと顔を揃って右にやると、そこには金髪に一房の赤を携えた少女の姿。


「べ、ベルガモット様!」

「こ、これはそのッ!」


 立ち上がり慌てて居直す二人の衛兵。


 ベルガモットは現当主の嫡女で次期当主候補。

 下手をうって機嫌を損ねれば物理的に首が飛ぶ。

 ましてや二人は現行犯でサボっているのを目撃されているのだ。

 

 太陽が空の中心に昇り、夏が近づき外は随分と暖かくなってきたにも関わらず、二人の顔は雲一つない本日の空模様と同じ色。


 ベルガモットは、そんな二人を前にフッと口元を緩めると、要件を述べる。


「罰するつもりはない。ただ教えてくれ。その街に出る妖精の話を」

「あ、え? は、はい。お、俺――わ、わたしが妻から聞いた話ですと、なんでも幸せを運ぶ妖精が街に出る、って話です」


 しどろもどろになりながら答える衛兵の男に対して、それで、と目で話の続きを促すベルガモット。

 

「そ、そいつは一、二週間くらい前から街でひょっこり見かけるようになったんだとか。最初はパン屋、それから露天商、湯屋、芸人一座と、妖精と話した奴らが次々と幸せを掴んでいる、そ、そうで、誰が言いだしたか『幸せを運ぶ妖精』なんて呼ばれて、ています」


 話の発端を持ってきた責任感と良心から、相棒に助け船を出す。


「それが、いざ蓋を開けると妖精族でもなんでもなかったって言うしがない噂話です。な?」

「え、えぇ。そういうことです。ただの世間話で、うちの家内が言うには、実際は妖精族じゃなくて愛嬌のある人族の少年だったらしいです」

「……いや、いい話を聞いた。もう少し詳細を知りたい。奥方を紹介して貰ってもいいか。無論罰しようというのではない」


「え? し、しかし、ベルガモット様が気に掛けるほどのことでもありません。ただの噂話ですよ」


 衛兵の男の本音を言うと、ベルガモットに妻を引き合わせたくなかった。


 ベルガモットは年齢に反して理知的であると広く知られていた。

 しかし、何かの拍子に妻がベルガモットの機嫌を損ねることを恐れているのだ。


 平民の者が上級国民の機嫌を損ねるということは、王国では死を意味していた。

 

「これは罰ではない。命令でもない。お願いだ。ただ……そうだな。お願いを聞いてくれないとなると今しがた見た光景についえ口が滑ってしまいそうだ。衛兵長の前で」


 ベルガモットは白々しく、次の仕事がすぐ見つかるといいな、とどこかまだあどけなさの残る整った顔に微笑を浮かべる。

 その顔を見て対する衛兵は自身に退路は無いことを悟り、がっくりと肩を落とした。


 ――いまむかえにいくよ、私の愛しい妖精さん


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