五話 家出と家入と


 シトラスは憤っていた。


 ロックアイス領の屋敷の自室。

 フィンランディア公爵のお茶会の後、話を聞いたキノットによりシトラスはすぐさま領地に呼び戻された。


 そして、自室での謹慎を言い渡されていた。


 そんなシトラスを侍従のバーバラは、おかわいそうに……、と部屋の隅から労わるように見つめる。

 それと、同時に内心では、まぁでもこれはこれで一日中二人きりになれるから役得ね! とか思ったりもしているのだが。


 振り返ってみれば、シトラスと揉めた相手であるメアリー・シュウとの事の発端は、当人以外から見ればひどく些細な事柄であった。


 メアリーは元来より短気で、三度の飯より剣、という生家もさじを投げるじゃじゃ馬娘である。

 幼少期より大人顔負けの身体強化の魔法を使い、齢九つの頃には、既に大の男と切り結べるほどの才能があったのもそれに拍車をかけた。


 ある日、その噂を耳にしたポトム王国東部を束ねるフィンランディア家当主が、自領に呼び寄せ、その力を目にすると、すぐさま孫娘の遊び相手兼護衛に抜擢した。

 それ以来、孫娘と年齢が近いこともあり、メアリーはフィンランディア家で家族同様に可愛がられている。


 メアリーは剣の才能と引き換えに、コミュ力というものを母親に胎に置き忘れてきたような娘。

 ただただ他人より上に。他人のより先に。子供は何かと他人に対して優位性を持ちたがる。周囲からすれば、なまじ才能と地位があるだけ厄介な存在である。


 そんな彼女は、お茶会では当然の如く暇を持て余し、近くを通る給仕や他の子女の足を引っかけて遊んでいた。

 メアリーの悪童ぶりは東部の貴族界隈では有名で、メアリーに足を引っかけられた者の中には、反射的にメアリーを睨む者もいた。

 しかし、その視線の先の相手がメアリーだと気づくと、みなあわてて目を逸らした。

 

 その遊びにも飽きると、給仕がいるにも関わらず、近くいた参加者である貴族の子女をパシリにして、飲み物やお茶請けを取らせに行かせることで時間を潰していた。もちろんフィンランディア嬢の護衛の自覚はない。


 いつもは幼馴染の暴挙を止める役割を担うフィンランディア嬢。

 しかし、この時ばかりはメアリーから少し離れたところで、挨拶にきた子女に囲まれていた。彼女たちが最近フィンランディア東部で流行りの恋占いの話に花を咲かしていたところの出来事であった。


 シトラスは声をかけたのは、ちょうどメアリーが体の線が細いおかっぱ頭の男の子を、パシリに行かせようとした時だった。


「ねぇ、そのオレンジのジュースならむこうのテーブルにあるよ。いまぼくのねえさんがとりにいっているんだ」

「そう。きいた? いって」


 ちらっ、横目でシトラスを見やった後、居丈高にメアリーはおかっぱの男の子に言い放つ。

 男の子が口をもごもご動かし、少し顔を上げてメアリーの顔を見て再び項垂れる。


 彼女の左手にはまだ中身のたっぷり入ったグラス。


 取りに行くついでではなく、あえてまだ取りに行かない男の子を選んだあたり、質の悪い嫌がらせである。


 同年代ぐらいの男の子の悲しそうな姿を見て、シトラスは再び口をはさんだ。


「じぶんでいけば?」


 堪らず項垂れていたおかっぱの男の子が、シトラスに向かって顔を上げた。

 グラスを持っていない手でシトラスの袖を引く。


 シトラスは知らないが、メアリーの短気はフィンランディア東部では有名な話である。


「あ?」

「だからほしいならじぶんでとりにいけば? むこうにあるよ」


 シトラスはメアリーに歩み寄ると、奥のテーブルで給仕からグラスを受け取っている姉の方角を指さす。


「ちっ……だれだかしらないけど、むかつくわね」


 メアリーの舌打ちを聞いて、おかっぱの男の子が今度は腕ごと引いてシトラスに囁く。


「や、やめたほうがいい。か、かのじょは、あ、あの・・メアリーだよ」

「しらない。のみたかったらじぶんでいくか、メイドさんにいえばいい」


 言葉の前半は袖を引く男の子に、後半はメアリーに向かってハッキリと言う。


「もういいわ。むかつくけど、こんかいはみのがしてあげるからどっかいって」


 しっしっ、と手を払いシトラスをいなす。

 もし幼馴染のフィンランディア嬢が見ていたら、うそ? 手が出ないの……? と驚く程のメアリー比では大人の対応。


 なんとなく、そうなんとなく目の前の少年に手を出すのが憚られた。

 フィンランディア家以外の者では久しぶりに真っすぐに目を合わせてくる意思の強さに押されたのか、メアリー本人も無自覚の選択であった。


「……かわいそうなひとだね」


 しかし、シトラスはメアリーのことなど露ほども知らない。

 そのため、シトラスは周りの反応からこう思った。


 ――周りから怖がられる独りぼっちな少女。


 加えると――あ、この子まちがったことしている! おしえてあげなくちゃ!――ぐらいの気持ちである。


 シトラスのバイブルである勇者の絵本が語るは、過ちを正し、人々を守る高潔な魔法騎士の物語。


 そんな魔法騎士に憧れる子供ながらの義侠心を止めることなど誰ができようか。


 シトラスから発せられた言葉を聞いた瞬間に、腕を引いていた少年は、あ、おわった、と血の気が引き、自然と脱力する。


 まだ中身の入ったグラスが、重力に従い床と衝突し、その形を失った。



 反抗心がにょきにょきと芽生えてきた。


 こんこんこん、と部屋をノック音のあとで扉が開く。

 室内に待機していたバーバラが来客に対応するのが見えた。


 薄く開いた扉から別の侍従との話しを終えたようだ。

 バーバラは静かにベッドに腰かけるシトラスに歩み寄る。


「どうかした?」

「先日の件の詳細を私の口からも聞きたいと御当主様が――」

「つーん」


 バーバラの話を遮り、顔をバーバラから背けるシトラス。

 その姿を見たバーバラの後ろ向きに尖った耳が、かわいいよぉかわいいよぉ、とばかりにひょこひょこと動く。


「おまかせください。微力ながら私からも口添えさせていただきます」

「しらない!」


 ごろん、とバーバラから身を背けるように、上半身をベッドに倒した。

 バーバラはそんなシトラスの歳相応の姿に人知れず身悶えた後、一礼をして部屋を去っていった。


 バーバラが去ってしばらくしても、胸の苛立ちは収まらない。

 父に取り成してくるとバーバラは言ったが、先日の件を思い返すと無性に腹が立った。


 一度感情が動き出すと子供というものは歯止めが利かない。

 自分は悪いことはしていないのにこんな所に閉じ込められている。シトラスは怒りを通り越して、悲しくなってきた。


 その日、シトラスは家出をした。



 ロックアイス家はポトム王国における男爵位持ちである。

 四代前の当主が、時のポトム王の国土拡張の為に行った遠征時に呼応し、男爵位を得た。以来、領地として街一つと周囲の村落を収めている。


 ロックアイス領はその多くが平地で、農作物がそれなりに盛んであった。

 すぐそばにマグナム川があり、水源にはことかかなかった事と、三代前の当主が生涯をかけて治水に力を入れたため、以降の代では川の氾濫の影響をほとんど受けなかった。


 そして、ここ数十年でバレンシア率いるコメルシャンテ商会のテコ入れもあり、物流が以前より栄え、人の往来も増えた。


 屋敷は街の中心部にあり、有事の際には拠点とすべく、堀と壁に二重で囲まれている。

 出入りには入口と裏口を使用する。

 どちらとも橋を使って堀を越えるのだが、そこにはもちろん見張りの衛兵が常駐している。


 そのため、家出を試みるシトラスにとっては、まずはばれずに突破することが関門。


 シトラスは、太陽が頭上に差し掛かり濃くなった屋敷の影から、衛兵を抜け出す方法を考える。

 どうしようかと頭を捻りながら、こそっと門の様子を伺っていると、敷地内に併設された屋敷横の納屋の方から人の声。


 声の方へ視線を向ける。


 そこには帳簿を持った痩躯の男が、屋敷から納屋に向かって出てきたところであった。

 納屋の前には二頭の馬に曳かれた幌馬車。

 その幌馬車から屋敷から出てきた男に向かって野太い男の声。


「おーい。出発するぞぉ!」


「まて、最後にリストを確認しよう」

 

 男は二人とも大陸では最も多い茶髪茶目、二人とも歳は中年に差し掛かろうという年つきで、彼らの背丈はあまり変わらない。

 帳簿を持つ痩躯の男の名はプルーフ、中肉中背で髭面の男がイガノフ。

 共にバレンシア率いるコメルシャンテ商会の商人で、ロックアイス家への仕入れ、出荷を担当していた。


「相変わらずの心配性だな」


「会長にどやされたくないからな」

「ちがいねぇ!」


 プルーフが少しくたびれた顔で軽口をたたくとイガノフは、がははと笑う。


 幌は吹き抜け構造で、荷台の後ろからプルーフが手に持つ帳簿に記載された品目とその数を確認する。


 少しして帳簿をなぞっていたプルーフの指が止まる。

 帳簿と荷台に積まれた物を三度ほど比較して、後頭部をポリポリと頭を掻いた。


「おい、麦がたりてないぞ」

「なに?それはギル坊の担当だろ。そういえばあいつは――」


 荷台にもたれてプルーフの確認作業を眺めていたイガノフが、不満そうな声を出す。

 彼は手伝いとして連れてきた丁稚の少年に、麦の荷積みを頼んでいた。

 あいつはどこだ、とイガノフが言い切る前に納屋の中から、こども特有の甲高い声。


「おーい、こっちをてつだってくだせぇー!」


 プルーフとイガノフは、まるで示し合わせたようにその顔を見合わせた。


「ったく、しゃーねーな。いこう」


 後頭部をガシガシ掻きながら、二人は納屋に入っていった。 






「ごくろうさまです」

「ごくろうさん。プルーフ、また土産頼むよ。娘がよろこぶ」


 御者を務めるギル坊ことギルビーズが声をかけると、門番も気のいい返事を返す。

 後半は門番に王都で流行っている人形をお土産として渡していたプルーフに。

 妻帯者ならではの気回しである。


「考えとくよ」とプルーフは後ろ手で門番に手を振って屋敷を後にした。


 門番の姿が拳くらいの大きさになった頃。

 ギルバートが隣に座るプルーフに、以前から気になって疑問も投げ掛けた。


「まえからおもっていたんすが、なんでうちみたいなおおきなみせのかいちょーが、こんなちほーまでくるんすか?」

「さぁ、なんでだと思う?」


 プルーフの問にギルビーズは少し考える。


「……なんかおかねになりそうなものでもあるんすか?」

「俺はこの街が好きだ。領民の多くが素朴ですれていないっていうのがいい。王都の狐や狸相手みたいにいちいち腹の探り合いをするような必要もない。税率も悪くない。領主のロックアイス様も温厚で話のわかるお方だ。が、そういったものは残念ながら……ない。ここで扱っているのは麦、果実、それだけだ。たぶん向こう十年変わらんだろうよ」

「……じゃあ、そのむぎとかじつがとくべつなんすか?」


 もしかして! と目を輝かせるギルビーズ。

 そんなギルビーズに対して荷台に座るイガノフがプルーフに継いで答える。


「いんや、悪いが地方なら割とどこでも買えるフツーーの代物だ」

「…………わからないすね。あとは……んーと、ウワサできいた、かいちょーがほれてるおとこがいるから、なんて」


 あはは、と笑いながらチラッと横に目をやると、そこには遠い目をした先輩の姿が。


「……」

「……え、まじすか」


 急に黙り込んだ先輩の顔を見て、美人な会長に密かに懸想を抱いていた少年は、噂が真実であった事にあからさまに肩を落とす。

 そして、荷台に乗ったイガノフを振り返って尋ねる。嘘であって欲しいと。


「イガノフさんはしっていたんですか!?」

「ん? あぁ、知っているさ。……まぁ俺は見たことないけどな。プルーフがあるはずだ。だよな?」


 イガノフの言葉に、ギルビーズは自身の横に座るプルーフに再び視線を戻した。


 話を振られたプルーフはうろたえた様子のギルビーズに対して、手綱が乱れていないことは褒めてもいいな、と思いながら言葉を返す。


「あぁ。俺の記憶違いでなければギル坊、お前と同じくらいの歳だ」

「えぇ!? じゃあ十すか!? うそだあーー!!」


 ガーーン、という心の音がギルビーズから響く。


 歳の離れた男性ならいざ知らず、同世代の男子がその心を射止めたと聴いて、ギルビーズは放心状態となった。


 そんなギルビーズを差し置いて会話は続く。


「しっかし、わかんねぇもんだな。会長は長命種だから俺らの感性と違うんだな」

「若い異性が好きって点ではお前と共通しているがな」

「言ってくれるじゃねぇか。でも若いって言っても俺の場合は年の半分はあるわけだ。その坊ちゃんがギル坊の年頃なら、年齢の桁が違うじゃねーか! 桁が!」


 プルーフの皮肉に荷台で豪快に笑うイガノフだったが、年齢を揶揄するイガノフに釘をさすプルーフ。

 彼は種族を問わず女性の年齢を揶揄するのは、特大の地雷であることを知っていた。


「……間違っても会長の前で年齢の話はするなよ。俺にはお前と違って王都で家内と娘が待っているんだ。お前の巻き添えで今の生活を失いたくない」

「わーってるよ! ……おいギル坊いつまで落ち込んでいるんだ! 元気出せ! もう少し大人になったら俺がいーところに連れてってやるから!」


 王都に店を構えるコメルシャンテ商会を一代で作り上げたバレンシア。

 そんな彼女に特別な感情を抱く者は商会内に多い。

 女性からは羨望と憧憬。男性からは思慕と情欲。

 それはイガノフだけでなくプルーフも通ってきた道だ。

 上司であり母であり姉であり初恋の人。


 それがコメルシャンテ商会で働く者にとってのバレンシアであった。


 何人もの先人ばか突撃こくはくしては散ってきた。

 ある種の伝統でもある。

 散った者を先人が慰めるのも伝統の一部である。

 おかげで王都には、コメルシャンテ商会で働く男たち御用達の娼館があるのはご愛敬。


「フィンランディア領に向かうため、一度支店に戻って護衛を拾う。ギル坊いいな?」

「はい……」


 一人の丁稚の恋物語は、始まる前に終わりを告げられたのだった。



 ロックアイス家の屋敷を出て、橋を渡り市街の大通りをしばらく走らせると、屋敷から向かって左側にコメルシャンテ商会のロックアイス支店。


 バレンシア商会では最も小規模な部類である。

 それがロックアイス領では最も大きい商家であった。


 商会が位置するのは領内でも中心部で人の往来も多い。

 商会の幌馬車が門の前に差し掛かると、中から男が数人出てきて人の流れを堰き止め、幌馬車を敷地に迎え入れた。


 営業中は開かれている鉄製の門をくぐる。

 その先では数十人の商人が荷造りや荷解きを行っており、あちらこちらで商談が行われていた。


 太陽とは違った熱がそこにあった。


「ギル坊、麦の袋と果実の箱を半分下ろしておけ。一時間後にフィンランディア領に出る」

「は、はい!」


 会長の話で帰り道は気落ちしていたが、そこは仮にも商人見習い。

 両頬をぱちんぱちん、と叩き思考を仕事に切り替える。


 馬を商館の柱に繋ぎ、水と飼葉を持ってくる。

 たっぷりと水と飼葉を与えれば、半日は走り続けることができる。

 馬は移動の多い商人には大変重宝されており、時に人の命より高くつくほどだ。


 『馬を持って一人前』


 貴族の乗用馬、騎士の戦馬、商人の荷役馬、農民の農耕馬。

 決して安くない馬を所有できることがある種の社会的地位ステータス。そのため、大陸では職種に関わらず、「成功」の象徴として人気を誇る。


 かく言うこの二頭の馬も、それぞれプルーフとイガノフの愛馬である。


 商館に勤めるものは"馬持ち"を目指す。

 ギルビーズも例に漏れず、二人のように馬持ちになることがギルビーズの夢の一つであった。


 馬の手入れを済ませ、幌に回る。

 後ろから乗り込み、荷にかけてあった布を力一杯に引っ張る。


 バサァァァ、と子気味の音と共に覆われた布が取り払われた。


 荷台には麦の袋と果実の箱――そして一人の少年が残った。


「……え?」

   

 眼を見開くギルビーズ。

 荷台の少年ことシトラスは、いたずらっこな笑顔で声をかける。


「やあ」

「だ、だれだ!?」

 

 ギルビーズの問に答えることなく、シトラスは脱兎のごとく門に向かって駆け出した。

 シトラスにとって幸いなことに、門をくぐって直ぐ脇に馬車を停車させたため、商会の敷地からはすぐに飛び出ることが出来た。


 しかし、後ろから足音と一緒にギルビーズの声が追いかけてくる。

 目の前には人、人、人の人の波。


「ま、まて!だれか!?ぬすっとだ!!」


 盗人と聞いて周りの商人が色めき立つ。

 追いかける足音に重さが加わる。


 シトラスは躊躇うことなく、目の前の波に飛び込んだ。



「はぁはぁはぁ……。ここまでくればだいじょうぶかな」


 人の波に流され、時に波を変えシトラスは、街の喧騒から離れた路地裏にいた。


 人通りはなく、日の光も少ない。

 橙色の空は青に染まり始めており、もう数時間もしない内にこの道は闇に閉ざされるだろう。


 寂しげな路地裏は大人が三人通れるほどの幅で、道の舗装はところどころ剥げている。

 あるのは随分前から放置されているため傷んで変色している角材や、蜘蛛の巣の張られた穴だらけの木箱。


 シトラスは物珍し気にキョロキョロしていると、シトラスが入ってきた表通りから二人の男が現れた。

 ひょろっとした痘痕面の男に、同じく痘痕面の小男。


 彼らは少し前からシトラスの後ろをつけていた。

 こうしてシトラスが一目の付かない場所に来たので姿を現したのだ。


 シトラスは背後に現れた男たちには気にも留めず、路地裏の隅に張られていた蜘蛛の巣を触って遊んでいた。


「おい」と、ひょろっとした男が一歩踏み出し、その背後から声をかけた。


「なに?」

「い、痛い思いしたくなかったらも、持っているもんだしな」


 シトラスが振り返ると、今度は小男がひょろっとした男の後ろから脅しをかける。

 しかし、慣れていないのか、声はどもり覇気はない。

 ひょろっとした男の表情も余裕はなく、目にはためらいと不安の影がありありと浮かんでいた。


「ないよ」


 シトラスは、そんな二人の悲壮な雰囲気とは対照的に、朗らかに答えた。


「か、隠しても駄目だぜ?」

「いや、ほんとにないよ」


 ほら、と言ってポケットを裏返しにしてみせる。

 バーバラによって手入れ、保管されているシトラスの服のポケットからは埃一つ出てこない。


「な、ないんだ。えー、えー。じゃ、じゃあ、その着ている服をよこしな!」


 何も持っていない事を想定していなかった二人の男はあたふたとする。


「お、おい兄貴、服なんて取ってどうすんだ?」

「う、うるせー、売るんだよ! 俺は今まで色んな盗品を見てきたから物を見る目はある。あれは良い服だ。売りゃー金になる」


 ひょろっとした男の追剥発言に小男が小声で問いかける。

 兄貴と呼ばれた男が間髪いれず言葉を返した。

 二人とも余裕がないのか、その会話の話し声はシトラスに筒抜けであった。


「ここんとこ飯もまともに食えてねぇ。何よりミュールのためだよモート。金さえあれば弟に医者を呼んでやれるんだッ」

「そ、そうだな病気の弟のためだ。わかったぜシロッコのアニキ」


 弟のため、と口を一文字に締めるモートと呼ばれた小男に、やるしかねぇ、と自分に言い聞かせるように何度も呟くシロッコと呼ばれた痩躯の男。


「おとうとさんびょうきなの? それはたいへん!」


 覚悟を決めた二人とは裏腹に、筒抜けの会話を聞いたシトラスはびたーん、と服をひと思い脱ぎさる。

 そして、たった今脱ぎ捨てた服を拾い、二人の男に差し出した。


「よくわからないけど、おとうとがこれでたすかるといいね!」


 邪気のない笑顔に、二人の男は体をのけぞり手と腕で顔を隠す。

 罪悪感から、まるでシトラスから後光が差しているように感じる。

 

「うっ、ま、まぶしいぜ兄貴」

「な、なんか思っていた展開と違う!」


 その時、ぬぅっ、と大きな手が後ろから伸びて二人の頭を鷲掴んだ。


「よってたかって大の大人が坊主に何している?」


 いつの間にか二人の男の影に男が一人。


 赤みを帯びた黒目の鋭い眼光。

 細身だがよく見ると引き締まった無駄のない体。

 薄琥珀色の髪の間から覗く額の左側に見える角が特徴的な青年。

 着物と呼ばれる一部の地域の伝統服を羽織姿で身に纏い、一見するとスラっとしている体型も相まってどこか風流を感じさせるたたずまいである。


「お、鬼族!?」

「鬼族って大陸きっての戦闘民族のッ!? 性別を問わず民族のそのほとんどが戦争で生計を立てているっていうあのイカレ民族のッ?」


 鬼族は一人で人族百人分の働きをするとも言われる民族単位の戦闘狂バーサーカー。その力の強さから大陸では、鬼は強さの比喩に使われるほどである。


 背後に現れた鬼族に固まる二人に、スッと手が伸びそのまま二人の頭を鷲掴んだ。


「は、はなせ!」


 頭を掴まれた二人はもがくが、鬼族の膂力に叶うはずもない。

 そのまま通路の両脇に掴み飛ばされる。

 路地裏に積まれていた空の樽や木材を巻き込んで派手な音を立てた。

 もくもくと路地裏に立ち込める破壊の余波。


 投げ飛ばした鬼族の男は、投げ飛ばした先で蹲るアニキと呼ばれた男のもとに足を向ける。


 最初はその登場、展開に目が点となって呆けていたシトラス。

 しかし、鬼族の男が追い打ちとばかりに足を動かすのと同時に我に返った。

 上半身裸のまま、二人の前にバッと飛び出る。


「やめろ!」


 まさか助けに入った者に止められると思わず、鬼人族の男も驚き、足を止めた。


「……あー、いま俺は身包みを剥がれたお前を助けたと思うんだが?」

「とられたんじゃない! ぼくがあげたんだ!」

「……んー?」


 思わぬ展開に今度は鋭く尖っていた鬼族の眼が点となった。






 鬼族の男はミスティアと名乗った。


 ミスティアは懐からキセルを取り出し、吹かしながら思う。早まったかと。


 ミスティアはとりあえず自分の着ていた羽織をシトラスに着せた。

 今はシトラスと掴み飛ばした男たち――シロッコとモートから詳しい話を聞いていた。


「なるほどなるほど、つまり飯代のため、と」

「ぼ、坊ちゃんには悪いけど俺たちが、弟が生きるためなんだ! 俺たちはいい! でもせめてミュールだけは助けてやってくれッ!」

「そ、そうだ。も、もうこうするしか!」


 鬼族という生殺与奪剣を持つ相手を前に、必死の形相で乞う二人。


 対して、ミスティアは冷めた目をしてそれを見つめている。


 貧困と飢えはこの世界の常である。

 よくある話で、だからと言って略奪が肯定されるわけではない。

 ましてや、相手は子供である。


「――で、坊ちゃんはこの話を真に受けて服を上げた、と」

「そうだよ!」


 間髪入れずに肯定するシトラスに、目を見開いて驚くミスティア。


「……嘘だと思わなかったのか?」

「え? なんで?」


 いや、なんでもない、とミスティアは頭を振った。

 目の前の少年の肌つやと着ている服から裕福な家庭だとは察していたが、相当な箱入りだな、とひとりごちる。


「連れていけ」


 お前たちの弟のところに、ということだ。

 身包みを剥がれた本人が、お腹を空かせた弟のためなら……、と前向きなので、ミスティアはとりあえず事の真偽を確かめようと思った。


「な、なんで俺らがお前の命令に 「あ?」 な、なんでもないです」

 

 気まぐれで人助けをしたが、なんだか変な事態に首を突っ込んでしまったなぁ、とキセルを吹かし、吐いた息とともに流れる煙をぼんやりと眺めた。


 煙はくゆりくゆりと風に吹かれ、その行く末は誰にもわからない。



 街の外れのあばら家。

 そこが彼らの住まいであった。

 家を形作る木々は変色している上に穴も開いており、風が吹くたびにギシギシ、と悲鳴が聞こえてくる。


 シトラスの体当たりでも、中に侵入できそうな頼りなさである。

 その点、ロックアイス領の治安は良い方で物盗りの被害は少なく、押し入りの心配があまりないのが幸いした。


 治安は貧富の差と都市部と人の流動性が大きく影響する。


 王都やフィンランディア公爵の支配都市は大きく栄えている反面、貴族と民だけではなく、民と民の間で大きな貧富の差が発生している。

 金を持つものにはより多くの金が、持たざる者は絞られるばかり。


 また、他の町や村落から出稼ぎや一旗揚げることを夢に見て、なけなしのお金をはたいて移住する若者が後を絶たない。

 しかし、その多くは定職につけず、かといって故郷に帰ることも出来ずにスラムに身をやつす。


 その点、ロックアイスは中堅規模の領地だが、辺境であることと、領地の特徴の薄さからバレンシア商会や、近隣の村落の者以外では人の往来は多くない。

 夢を見る者はフィンランディア領に流れるためだ。


「こ、ここです」


 帰ったぞ、とシロッコが声をかけると中から咳き込む声の後に、どたどたと音がする。ややあって、ギッギッと建て付けの悪いドアが中に開いた。


「ごほっごほっ、おかえり兄ちゃん!」


 シトラスと同じくらいの年頃だろうか。

 顔色の悪い少年がドアから顔を覗かせる。


 垢や埃などの汚れで輝きを失っている金髪と、病故か弱弱しい琥珀色の瞳。

 出迎えたのは、サイズの合っていない使い古された服を着た少年。

 最初に兄弟の顔を見て笑顔を浮かべたが、その後ろに角のある強面の男の存在に笑顔はしぼみ、怯えた表情を浮かべる。


「……うしろのひとは?」

「いや、その……」


 もごもごと言葉を濁すシロッコ。

 弟分の前で、カツアゲに失敗して逆に脅されて家まで連れてきました、とは口が裂けても言えない。


 入り口でもたつくシロッコとモートの脇をすり抜ける形で、室内にシトラスが飛び込む。


「うわー、なんかえほんででてくるひみつきちっぽいね!」


 続けて二人を押しのける形で入ったミスティアは家の襤褸さ、みすぼらしさに眉を顰める。

 

 木造建築と言えば聞こえはいいが、不揃いな木の板を寄せ集めて作った家は、ミスティアが知っている限り馬小屋にも劣るものであった。

 

 木は虫食いだらけで所々隙間風が入っており、部屋の隅には蜘蛛の巣。

 床は申し訳程度に藁むしろを敷いているが、穴だらけである。

 それはもう無いよりかはマシ、という次元である。


 そんなミスティアと対照的に、屋敷で生まれ育ったシトラスにとっては逆に新鮮であった。


「あっ、おい! なんだ、おまえ?」


 同じくらいの年の男の子の存在に、キッ、と睨み付ける。


「ぼくはシトラス。きみは?」


 にこやかに言葉を返すシトラス。


「おれはミュール」


 こほっこほっと咳をしながら、言葉を返すミュール。

 彼は目の前にいるシトラスから、スラムにいる歳の近い男の子と明らかに違う空気を感じ取った。

 それが何なのかは理解していない。

 ただ、男の本能に従い、舐められないように胸を張る。


「よろしくね」


 シトラスは気にせず手を差し伸べる。

 ミュールは鼻を鳴らすだけでその手を取ることはしなかった。


「よくしらないやつとはよろしくしない」


 顔まで背けられたため、苦笑いを零して手を下ろすシトラス。

 そんなシトラスの頭がすっぽりと大きな手に収まった。

 そのままワシワシと撫でられる。


「フられたな坊主。……で、話を戻すが、お前がミュールか?」

「う、うん……ごほっごほっ」


 度々咳き込むミュールに眉を顰めるミスティア。


 あまりよくない類の咳である。

 シロッコの言っていた通り、早く医者に診せた方がいい。

 威勢がいいので、すぐには気が付かなかったが、よくよく見ると頬はこけており、顔色も良いとは言い難い。


 咳き込むミュールを庇うように、シロッコが二人の間に入った。


「こ、これで満足しただろ。俺はこの服を通りの商店に売ってくる。モート、お前は留守番していてくれ」

「わ、わかった」


 シロッコは精一杯ミスティアを睨めつけると、モートにミュールの事を託して、服を売りに出ていいった。


 手持無沙汰になったミスティアは、キセルを吹かそうと思い懐に手を入れるが、密室で子供の前である。その手は懐で空を切った。


 そして、首を突っ込んでしまった以上、知ってしまった以上は事の顛末を見届けることを選んだものの、番犬の如くミスティアとシトラスを睨めつけるミュールの姿にそっと息を漏らした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る