四話 夢と邂逅と


 ある日の昼下がりのロックアイスのお屋敷。


 中庭に設けられたテラスの前で一人の少女が落ち着きなく立っていた。

 その少女は人を待っていた。


 そわそわ――。


 そわそわそわそわ――。


 彼女の名はベルガモット。


 肩に届く長さの癖のない綺麗な金髪が、彼女の自慢である。

 前髪が一房、くすんだ赤色であるのは母親からの遺伝。

 シトラスとお揃いでないことには不満だが、これはこれで密かにベルガモットの誇りでもあった。

 

 その横には、彼女が見上げるほどの長身をもつ少女、ヴェレイラ。


 二人とも揃って美少女と言って差し支えない容姿である。


 ヴェレイラがロックアイスに領地に来て、もうすぐ一年。

 今では三人は家族のように仲良しで、時間があればこうして三人で集まっていた。


 そんな彼女たちの下に駆け寄ってくる足音が聞えてくる。

 

 ベルガモットはその瞬間にピタッと動きを止めた。

 駆け寄って来る足音の方角を見る。


「あねうえ! レイラ!」


 小走りでやってきたのはベルガモットの最愛の弟、シトラス。

 ベルガモットとヴェレイラは、この日の夕方に弟と中庭のテラスでお茶をする約束をしていたのだ。


「シト、だいじないか」


 シトラスの二歳年上の姉ベルガモットは今年で十一歳。


 彼女たちは、三年後に控えたカーヴェア学園への入学に向けて、勉学に行儀作法にと忙しい日々を送っていた。


 ポトム王国は性別に対する優劣がない。

 家督は順当に直系の年長者が継ぐのが一般的である。

 ベルガモットも例に漏れず、このままいけばロックアイス家の家督を継承することが約束されていた。

 

 三人がテラスに座って間もなく、バーバラがお茶セットを乗せたワゴンの横で給仕を始める。


 ティーカップが一人でにシトラスとベルガモットの下に、ふわふわと宙を泳いでいった。

 それにまるで親鳥につづく雛鳥のようにティーポッドも、ふよふよとベルガモットの前に移動し、先に机に降り立ったカップに紅茶を注ぐ。


 ティーポッドがお茶を注ぐ。

 その間にワゴンからお菓子が飛び出すと、瞬く間にテーブルに並ぶ。


 ティーポッドはベルガモット、そして彼女の隣に座るヴェレイラのカップに注ぎ終わると、そのままテーブルを横切り、対面のシトラスのカップに紅茶を注ぐ。

 注ぎ終わるとは役目を終えたポッドはワゴンに戻った。 






 中庭のテラスに用意された席に座り、他愛ない会話に花を咲かせるロックアイス姉弟とヴェレイラ。

 三人でいるときはもっぱらシトラスが話し手、ベルガモットとヴェレイラが聞き手に回ることが多い。


 給仕を務めるはバーバラ。

 彼女は黙ってシトラスたちの背景と化していた。


 話は三年後に控える彼女たちの学園の話になった。

 一部の貴族を除き、学園が多くの者にとって不特定多数との初めての社交の場となる。


 ポトム王国において都市間の移動は、徒歩か馬が一般的であった。


 馬は高価である。

 馬を持たない多くの者は、その生涯を生まれた都市で終えることも珍しくない。


 交易馬車のように賃金を支払うことで、都市間の移動を可能にするサービスも存在するが、その移動は快適とは言い難いものである。


 貴族であっても、盗賊やならず者の襲撃の危険への対策や、都市間の移動には人手と費用がかかる。

 そのため、学園に入学するまでは、他家の貴族に会ったことのない貴族の子弟も多い。特に辺境なら猶更である。


「そうね。シトは何か知りたいことある?」


 ヴェレイラは少し首を傾けた後に尋ねた。


 先に入学が控えている二人より、シトラスの方が学園入学に対して熱があった。

 学園の話題に対してヴェレイラは時折不安げな様子。

 ベルガモットは終始淡々としていた。

 それがそれぞれの性格の一端を物語っていた。


「どのくらいだっけ? 四ねん?」

「いや、五年だ。十四歳から十八歳の五年間」


 王国貴族として自主自立の精神を養うため、という名目で学園では全寮制を採用していた。そこには貴族に対する人質の意味合いもあった。


 各貴族としても教育や生活に関する費用は王族の財源から賄われており、無償で王国最高の教育を享受できる点と、王国の伝統という保守的な点から全寮制の学園生活が代々受け継がれてきた。


「五ねんかぁ、いいなぁ」


 シトラスは学園の話をよく両親やバーバラに尋ねていた。

 キノット、ダンシィ、バーバラは学園出身である。

 そして、その誰もが学園の話を聞くと楽しそうに目を細めるのだ。


「だって国中からいっぱいひとがくるんでしょ? 楽しそう!」


 学園に入学するのは貴族だけではない。

 貴族といっても公爵から地方貴族の寄子の自称貴族までピンキリである。

 世襲貴族の入学は義務付けられているが、世襲貴族以外に入学の義務は存在しない。


 学園には貴族以外にも商人の子息も多く入学する。

 貴族とのコネを作るのに、これほど整った環境存在しないためだ。

 その他にも比較的裕福な市民も入学することが許されていた。


「……そうだね。でもシトがいないのがさみしいよ」


 学園は王国内の憧れであり、肩書きであり、義務である。

 しかし、ベルガモットは最愛の弟と離れ離れになることが不満で仕方なかった。


 学園では有事を除けば、地方貴族が自領に帰ることは原則許されていない。

 そのため、入学者のうち毎年ホームシックになる者が一定層いた。


 特に地方で甘やかされてきた貴族子女にその傾向は強い。

 三人は知らないがそれはある種の王国の風物詩でもあった。


「きっと、がくえんがはじまったら、ぼくのことなんてわすれちゃうかも」


 軽く首を傾けてシトラスが姉を茶化す。

 幼少にして既に凛とした佇まいのベルガモット。

 彼女が弱弱しくなる姿が、シトラスには想像がつかないのだ。


「そんなことは、ないッ!!」


 ガンッ、と強い音がテラスに響く。


 軽い気持ちで茶化したシトラスは姉の反応に目を丸くした。

 シトラスにとって姉が自身に対して声を荒げる姿など、これまでに見たことがなかった。


 姉の服にお茶を零した時も、姉から借りた本を破いてしまった時も、姉のおやつを盗み食いした時も、姉との約束の時間に寝坊した時も、どんな時でも姉は自分に微笑んでくれた。


 姉の反応に思わず固まるシトラス。


 ベルガモットの隣に座るヴェレイラが、

「ベル」

 彼女を名前は呼んで宥める。


「あ……ごめんねシト。驚かせてしまったな。でも、ほんとうにシトのことを忘れるとかありえないからな?」


シトラスの言葉に反射的に立ち上がったベルガモットであったが、友人からの言葉で、はっ、と我に立ち返った。居心地悪そうに座り直す。


「うん。だいじょうぶだよ、ありがとう姉上。そういえば、がくえんってどこにあるの?」


 気を取り直すようにシトラスが学園の話を振る。


 ベルガモットはそんな弟の配慮をくみ取って、それに答える。

「王都キーフ。王国の真ん中だよ。シトは学園に入ったら何かしたいことはある?」


 うーん、と首を傾けて考えるシトラス。

 そんなシトラスに密かに萌えているベルガモットとヴェレイラ、おまけにバーバラ。


「ゆうしゃになりたい!」


「勇者、か……。ならいっぱい勉強しないとね」

「うん!」


 にぱっと咲く笑顔。

 普段は怜悧なベルガモットの頬も釣られて緩む。


「シトはどうして勇者になりたいんだ?」


「なんで、ってなんで? だって、かっくいーじゃん」

 と言いつつ、左手の親指で鼻を弾くシトラス。


 シトラスに似つかわしくない仕草にベルガモットは、

「……父上の真似はよしなさい」

「確かにたまにキノット様って俗にまみれた仕草をみせるよね」


 ヴェレイラの発音にベルガモットも心当たりがあった。


「シトの教育にはあまりよくないから、父上にも控えて欲しいのだが……。今は父上のことはさておき、姉としてはシトにあまり危険なことはして欲しくないんだけれどね」


 真剣に心配するベルガモットに対して、呼応するように真面目な表情となったシトラスは、

「……びょーきでしんどかったときに、あのほんをまいにちよんで、すっごいげんきをもらったんだ。そのときおもったんだ、もしびょーきがなおったら、。こんどはぼくがだれかにとってのゆうしゃになるんだ」


「シトにとってはあの本自体が勇者、というわけか。シトは優しいな」


 シトラスの本音に目元を潤ませるベルガモット。

 シトラスの背景のバーバラにいたっては、ハンカチで目元を拭う仕草を繰り返していた。


「えっ、病気って……」

「……安心していいレイラ。シトの病気は過去の話だ。魔系衰弱と言ってな。つい最近まで死病と呼ばれた病気で、シトはレイラが来る数年前までは、ほとんど寝たきりだったんだ。しかし、今ではパイエオン教の医者のおかげで見ての通りすっかり元気になった。私にとってもあの時は毎日生きた心地がしなかった。……シト、お前くらいだぞ? 私の心をこんなにも動かす存在は」


 シトラスがかつては病弱だったことは、ヴェレイラにとって初耳であった。


 彼女にとってシトラスは、一緒にいて心がポカポカとする存在。

 心の内を打ち解けたあの日から彼にはいつも元気をもらっていた。


 ヴェレイラは話を聞いて何かを決意したかのように、机の下で拳をゆっくり固く握りしめる。


「えへへへ……あ。あと、ともだちいっぱいつくりたい!」

「それは素敵だな。父上から聞いたお話だけど、学園には私たちの領地と違って人族以外もたくさんいるみたいだ」


 大陸には様々な種族が共存している。


 ポトム王国は人族の王族が統治している。

 人族の統治下では、人族以外にも様々な種族が共存していた。


 王族を含め各地には混血ミックスもおり、その数は多くはないが、人族以外で政治の中枢に参画する者もいた。


「ほんと? たのしみだなぁ」

「そこでシトに問題だ。相手の種族を知るためにはどこを見ればいいと思う?」


 各種族ごとに体の一部に顕著な差があった。


「あ、それはこの前バーラにおそわった! 耳だ! 耳!」

「正解。よく勉強しているな。人種の違いは耳が一番目立つからわかりやすい。人種は三つ、人間と獣人と魔人だ。よく知恵の人間、力の獣人、魔法の魔人なんて言われているな。楽しみにしているといい」

「うん!」


 指を立て、これはわかるかな? と微笑むベルガモットの笑顔。

「もう一つ問題だ。人間と魔人の耳の違いはなんだっかな?」


 それを温かく見守るヴェレイラ。


「えっ!? えーっと、えーっと……」


 悩むシトラス。


 少しすると悩むシトラスの紅茶のおかわり注ぐために、バーバラが自ら動く。

 紅茶を注ぐ前に小さく咳ばらいをして、そっとシトラス側にある右側の髪を耳にかける。

 

「あッ! わかった! とがってる! 耳がぼくたちよりとがっている!」

「正解だ。魔人は私たちより少し尖った耳をしているんだ。偉いぞシトラス」


 シトラスの後ろに給仕として控えているバーバラは人族ではない。


 普段は髪に隠れて見えにくいが、確かに彼女の耳の縁側、耳輪がシトラスのそれより後ろに尖っているがわかる。


 バーバラは紅茶を入れ終わるとさっと小さく頭を振って髪を下ろし、再びシトラスの後ろに控えた。


 ベルガモットはこの侍従が答えを教えたことをすぐに察したが、素知らぬ顔でシトラスを褒めた。


「あと、まほうのおべんきょう! ぼくはえほんのゆうしゃみたいな、まほうをつかえるきしになりたい! 父上のようなまほうつかいで、母上のようなけんし!」


 いわゆる魔法騎士。

 魔法を実戦レベルで使いこなす騎士。


 ベルガモットの言った通り、一般的には人族は知恵、獣人は身体能力、魔人は魔法に優れているとされている。


 魔法使いといっても千差万別である。

 大陸では魔法の実力を測る一つの指標として【魔法位階】という共通的な考えが浸透している。

 それは、魔法使いのレベルを一二の区分に分けて、その実力を測るというものだ。

 七位階から始まり、位階の数字が若い程魔法使いとして優れていることを示す。


 魔法位階に基づくと、四位階以上は【魔法使い】を公称することが認められている。


 四位階以前はせいぜい魔法が使えるという認識である。

 一般的には、魔法を職業として食べていくには四位階以上の実力が必要とされている。

 位階の測り方は多少地域によって異なるが、【魔法協会】と呼ばれる大陸に跨る組織による検定を得て、公認されることが一般的であった。


「なれるといいね。ねえさんは全力で応援するよ」

「ベルだけじゃないよ。私も応援しているから」


 魔法は才能に大きく依存する。

 優れた才を持つものは幼少期からその片鱗を見せるというが、シトラスにその兆候は見られない。


 ベルガモットとヴェレイラもそのことは既に座学で学んでいた。

 実際に二人がシトラスの年齢の頃には、適性のある魔法をある程度は操ることができた。


 ベルガモットは、シトラス贔屓のバーバラが両親に告げる教育報告でも、シトラスの魔法に関しては言葉を濁していると聞いていた。


 しかし、ベルガモットはそんなことはおくびに出さず、笑顔で応援するのだった。


「ぼく、がんばるね!」


 子どもというのは眩しい。可能性と夢で満ち溢れているからだ。



 姉たちとのお茶会の後、シトラスはキノットに呼ばれて彼の書斎に向かっていた。


 書斎は屋敷の二階の奥にあった。

 そこでキノットは領内に関する政務の多くを書斎で裁いていた。


 キノットは一日の大半は書斎で過ごすことが多い。

 

 書斎の扉の前にはキノットの執事であり、執事統括のセバス・チャンが直立不動で控えていた。


 セバスは白髪の総髪でロックアイス家五代に渡って仕えている(五代目がキノット)、まさにロックアイス家の生き字引のような人物だ。

 年齢不詳、種族不明。キノット曰く、出会ってからずっとお爺ちゃん、とのこと。

 ちなみに、彼はそのロックアイス家を通じての王国への長年の功績が認められて、準男爵を持ち、ロックアイス家を除くとロックアイス領で唯一貴族位を持つ者でもあった


「お待ちしておりました。坊ちゃん」


 セバスが扉を開き、シトラスを招き入れる。


 室内では、丁度政務に一息ついたのか、紅茶を片手に来客用のテーブルソファに腰を落ち着けているキノットの姿があった。


「やっ、シト。座って座って」


 キノットに促されるままシトラスは、キノットの対面のソファに腰かけた。


 シトラスがソファに腰かけると、セバスから目の前に紅茶が差し出される。

 ありがとう、と小さくお礼を述べ一口飲む。


 シトラスがカップを置くのを目にして、キノットが口を開いた。


「今日シトを呼んだのはね。お前のお茶会デビューのお話なんだ」

「おちゃかいデビュー……?」


 小首を傾げる我が子に優しく微笑む父親。 


「そう。来月上旬にポトム王国の北方を束ねるフィンランディア公爵が、近隣の有力者を集めてパーティーを開くのは聞いているかい? まあ、聞いてなくてもあるんだよね、パーティーが。で、そのパーティーの前に、参加者の子息のお披露目を兼ねたお茶会が開かれるんだけどね。そこにベルと一緒に参加してきて、ってお話なんだ」


 ポトム王国では、十歳前後で社交界のデビューを行うことが一般的である。


 その年頃の大貴族の社交界デビューに合わせて、影響下の貴族の子息も社交界にデビューする。

 だが、その前に派閥の結束も兼ねて身内で顔合わせを済ませるのが通例である。


 姉のベルガモットも二年前に、フィンランディア侯爵嫡子のお茶会デビューに合わせて、既にお披露目は済ませていた。


「お茶会といっても、今回は近隣の有力者の子息のみでの立食パーティーだそうだ。お茶会の目的は東の貴族子女たちと、フィンランディア公爵の御嫡子様との顔つなぎが狙いだろう。御嫡子様は三年後には王都の学園にご入学されるからな。フィンランディア家の特徴である茶色混じりの金髪。碧眼の者がいたら彼女がそうだ。アンリエッタ・フィンランディア様。フィンランディア閣下の御嫡子様で、次期当主様だ。ベルもいるから大丈夫だと思うけど、揉めないように気を付けるんだよ?」


 キノットが肩をすくめながら、冗談めかして念を押す。


 早くも貴族として教育を受けていると言えど、まだ子供。


 その場には、大人がいない方が仲が深めやすいだろう、というフィンランディア家の方針により、代々会場の室内には大人は警護の者や給仕しかいない。


 従者は従者で、同時刻に隣室で開かれているフィンランディア家主催の従者交流会に参加する予定であった。


 これまでこのお茶会で、子供同士が揉め事にまで発展したことはない。

 ただ今年は折り紙つきの問題児も参加すると聞いており、キノットは少し心配だった。


「はい、ちちうえ。でもぼくがそんなことするとおもうの?」


 後半はいかにも、心外です、という顔を作ってシトラスも冗談めかして抗議の体をとった。


「いいや、まさか! 念のためだよ」


 キノットは両手を挙げて、大げさに答えた。

 そして、心配が杞憂であると、冗談であると自分に言い聞かせるのだった。



 フィンランディア公爵主催のパーティー会場。


 ――静寂。ついで、誰かが床にぶちまけたグラスのけたたましい音。


「……いま、なんていったの?」


 輝く赤髪の少女は髪と同色の眼を見開き、頬を引き攣らせていた。


 年のころは十代前後、二次成長を迎えていない可愛らしい少女だ。

 ただし、枕詞に、黙っていれば、とつけなけらばならない。


 子供ばかりということで、最初こそまごついていたが、子供特有の少し言葉を交わせばぼくたち友達! スタイルで和気あいあいとしてきた最中の出来事である。


 二次性徴を迎えるまでは、性別による体格差などないに等しい。


 代わりに年齢による体格差が存在する。

 そして、癖のある金髪の少女は、シトラスより頭一つ分抜き出ていた。


 そんな彼女が一歩踏み出す。

 大人から見れば子供らしさを全面に残しつつ、しかし、子供からみれば十分な勢いで、シトラスに凄んできた。


 「かわいそうなひとだね」


 そんな彼女に心底憐れむ目を向けているのはシトラス。


 憐れむという言葉も、その感情も理解していない。

 それでもこの時シトラスは目の前の少女に、確かに憐憫の念を抱き、その言葉を再び投げつけた。


 「いまなんていった!? このいなかもの!!」

 

 それは十歳そこいらの良家の子女がしていい目ではなかった。


 具体的には、少し目がっていた。

 彼女の立場を言うと、このお茶会に出席してる者の中で上から数えた方が早いほど高かったが、そのプライドも参加者の中で群を抜いて高かった。


 「なんかいだっていってあげるよ。かわいそうなひと」


 フィンランディア嬢を始め、有力者の子息らは彼女の烈火の怒りに完全に固まっていた。

 お茶会が始まってから壁と同化していた衛兵にいたっては、彼らのその目が驚きのあまり点となっていた。


 外敵に対しては勇敢な兵士足りうるが、良家の子女同士の争いではその勇敢さが発揮されることはない。


「この……! ちょっとかおがいいからってちょーしにのるなよ!」


 甲高い怒声に続き、肌が肌を叩く乾いた破裂音。


 二人以外が固まっている部屋でその余韻が響きわたる。

 遅れてシトラスの左頬に紅い手形が浮かぶ。


「ふん!」


 彼女は小気味よさげに鼻を鳴らす。


「シトッ!!」


 少し離れた所で、二つのグラスを持った彼の姉の悲鳴を皮切りに、周囲の時間が戻る。

 彼女が両手に持ったコルクテ北部の特産品である柑橘を絞った果汁がグラスの中で揺れている。


 続けて、もう一度乾いた音が部屋に響いた。

 しかし、こちらは先ほど鳴った頬に対峙する頬からだ。


 これには今度こそすべて時間が固まった。


 頬を張られた少女も、この返しには思わず目が点となり固まる。


 沈黙が部屋を支配した。


「シ、シト……?」


 両手を塞いでいたグラスを近くの卓に置いたベルガモットは、恐る恐る声を上げる。


「ちょうしに、なんか、のってない」


 シトラスの目は涙目である。

 蝶よ花よと育てられたシトラスは、痛みに慣れていない。


 痛みは熱を生み。熱は涙腺を刺激する。


 だがこのとき、痛みに泣きたくなるシトラスを動かしたのは、身に降りかかった不条理に対する熱であった。


「こ、ころす……」


 頬を張られた彼女も、遅れて涙を顔に浮かべる。

 ただしシトラスと異なり、その目は一段と吊り上がっている。


「だ、だれかメアリーとロックアイス家のものを引き離して!」


 膠着からいち早く立ち直ったアンリエッタ・フィンランディアが、腰の辺りで揃えられた綺麗な金色の髪を振り、透き通る声を張り上げた。


 アンリエッタの声で時間が再び動き出す。

 シトラスが頬を張られたタイミングで近くまで駆け寄っていた衛兵が飛び出した。

 素早く二人に駆け寄り引きはがす。


 シトラスは大人しく衛兵に連れられて後ろに下がった。

 対して、フィンランディア嬢にメアリーと呼ばれた令嬢の暴れっぷりは貴族令嬢とは思えないものであった。

 最終的に三人の衛兵に連れられて、彼女は部屋から強制的に連れ出された。



 ちなみ、余談だが、フィンランディア公爵の計らいにより隣の部屋で給仕同士で交流会を開いていた有力者子女の従者たち。

 隣室が騒がしくなったので、フィンランディア家の家令の許可を得て、各々主人の許に戻っていったた。


 その中で中性的な容姿で左目に眼帯を付けたとある従者は、隣室に仕えるべき主人の姿が見当たらず、きょろきょろと辺りを窺う。


 その頭上にはピンと張った獣人の特徴である犬の耳。


 しかし、主人の姿がどうにも見当たらない。

 犬耳の従者は居残っていた衛兵に声をかける。

 

 そして、衛兵からお茶会で起きた事の顛末を聞くなり、額に手を当て空を仰いだ。


 曰く「悪い癖が秒で出た」


 持ち主の感情を表すかのように、頭の犬耳が力なく項垂れるのであった。

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