15.見れない

「詩季は、ここで待ってな」


 静ばぁと健じぃが、玄関に出迎えに行った。



「何しに来たんや。お前が入る敷居は無いわ」

「お父さん、お願い。詩季に合わせて」

「ふざけるな、お前が詩季に合わせる顔が――」

「じぃさん、近所迷惑になるのであまり大きな声は――」



 玄関方向では、健じぃが、母親に向かって怒りを通り越して怒鳴っていた。


 健じぃのあんな声は、初めて聞いた。


 普段、ニコニコ笑顔の優しいおじいちゃんだ。それが、あんなにも声を荒げているなんて想像出来ない。


「子どもより、仕事を取った言い訳でも言いに来たんか?」

「――ぐすん。お願いします。詩季に、合わせてください」


 母親は、泣いているのだろう。所々で、言葉を詰まらせていた。だが、僕は、何も感じない。


「私からもお願いします。詩季にぃさんに、合わせてください」


 羽衣も来ているみたいだ。


 羽衣に関しては、会って話をしたいと思っている。


「詩季、どうする」


 リビングに、静ばぁがやって来た。


 再度、どうするかを聞きに来たのだ。両親と妹と今会うのか。それとも、時間を置いて会うのか。


「会うと決めたので、会います」

「わかった」


 静ばぁは、玄関に戻っていった。


 一度決めた事を覆すのは、止めた。


 静ばぁは、許してくれるだろうが、それは、ただ、逃げただけに過ぎない。


「入りな」


 幼少期に、祖父母宅にお邪魔した時の声では無かった。


 幼少期のように、「よく来たねぇ」ではなく「仕方なく入れてやる」の意味合いが強そうに聞こえる。


(羽衣大丈夫かな)


 羽衣の事は、心配だった。


 健じぃにあんな怒りの籠った声を浴びせられたり、静ばぁのこの態度。流れ弾に当たったと言う表現では出来ない程のダメージを受けているだろう。僕がそっち側なら、震えが止まらなず、逃げ出す自信がある。


 コン。コン。コン。


「詩季、そこに居るの?入っていい?」


 母親が、弱々しい声で入室の許可を求めて来た。ノックの音にも恐れを感じているように聞こえた。


「詩季にぃさん。羽衣だよ。入っていい?」


 羽衣も僕に対して、母親と同じ感情を持っているのだろうか。


 2人とも、僕に拒絶される事を恐れている様に感じる。


 羽衣は、僕と両親の親子喧嘩に巻き込んで申し訳無いと思う。


「良いですよ」


 僕からの返答を聞くと部屋に、母親と羽衣が入ってきた。


 父親と幼馴染達は居ないようだ。


「お父さんと琴葉ちゃん達は、帰らしたよ。お父さんは、冷静じゃなかったから。今、会うべきじゃないと思ったの」

「そうですか」

「ねぇ、詩季。ずっと、おばぁちゃん家に居た――」

「しずかこそ、何やってたんだい」


 母親の言う事を、静ばぁが遮った。


 この言葉は、父親が、僕に言ってきた事を母親に言い返している。


 つまりは、何があったか全て把握しているから隠し事は、無理だと警告しているのだ。


 母親は、何も言い返せないようだ。


「自分の子どもが、交通事故にあって入院して右脚の自由を失ったというのに何してたんだい?」


 静ばぁは、更に追い討ちを掛けている。母親のHPは、ゼロに近いだろう。


「――」

「黙らずに答えなさい。これは、変えようがない現実です」

「――イギリスで――仕事を――していました」


 パァァン!


 リビング中に、甲高い人肌を叩いた音が響いた。


 母親は、頬を抑えていた。母親の頬は、真っ赤に腫れあがっていて静ばぁがかなりの力を込めて、叩いたことが伺える。


「痛いか?詩季は、それ以上の痛みを身体的にも精神的にも味わったんやで。子どもを日本に残して海外で仕事するなら、何かあった時には、直ぐに帰って来る覚悟を持っていると思ったけど、そうじゃなかったんだね」

「覚悟は持って――」

「黙りなさい。子どもより仕事を取った人間なのですよ、しずかは。その事実は変えられません」

「はい」

「はいで、済んだら、詩季はこんなに苦しまなくて済んだんだよ!」

「ごめんなさい」

「何で、私に謝るんだい。本当に謝るべき人間は、わたし――」

「静ばぁ、落ち着いてください。これ以上は体調面に不安をきたします」


 静ばぁも、僕が、事故に遭ってから僕の両親――特に、自分の娘である母親に、かなりの怒りを覚えていたのだろう。そして、今日、面と向かったら感情を抑えきれなくなったみたいだ。


「あぁ、詩季。喋り方も変わって。私たちには、昔みたいに無邪気に話してくれてもいいんやで」


 僕の頬を静ばぁの両手が包み込む。本当に心配してくれているのだろう。


「考えなさい。詩季は、どう思ったかを。中学2年にあんたらが、イギリスに行く事になって、最初は、付いて行こうとした。けど、あんたらの方針で日本に1人残された。どれだけ寂しかった事か」


 両親と羽衣がイギリスに引っ越して最初の1カ月間は、寂しさが心の中を占めていたので、祖父母宅にお邪魔して精神を安定させていた。


「――本当に、ごめんなさい。謝って許してもらえる事では無い事はわかってるけど、ごめんなさい」


 母親は、僕の顔を見て頭を下げた。


 特段、母親に対して感情を抱かなかった。


 もう、僕の中で、この人は母親という認識では無く、ただ、僕を産み落とした存在という認識になっているのだろう。


「何で、一緒にイギリスに連れて行って貰えなかったんですか。何で、僕だけ日本に残されたんですか。助けを求めた時に、傍に居てくれなかったのですか?僕は、要らない子なんですか」

「――ち、ちが――」


 母親に対して――いや、両親たちに対して心の中で思っていた事を淡々と話し始めている自分が居た。

 これまでの1年以上耐えていた物が爆発しているのだろうが、精神的には冷静で居られていると思う。


「何で、来て欲しい時に、来てくれなかったんですか。もう、あなたを母親かぞくとして見る事ができません。父親に関しても同じくです」

「――っ、ごめんなさい。本当にごめんなさいぃぃぃぃぃ」


 母親は、声にならないように泣き出した。羽衣が母親の背中を摩っている。


 母親からは、強い後悔の感情が、現れている。


 自分の誤った行いで子どもに拒絶された事がショックなのだろう。これだけを見るなら母親は、僕の事を愛してくれていたのだろう。


 だけど、僕は、母親に対して家族だという認識を持つ事ができない。


「しずか」


 静ばぁの呼び掛けに、母親は顔を見上げていた。


「今のあんたらは、詩季と距離を取りなさい。少しずつ、詩季とコミュニケーションをとって、心を開いて行くしかないんですよ。今後、どうするのか、旦那とよく話しなさい。詩季との家族関係を維持したいなら――どうするべきか。よく考えなさい」


 そして、A4サイズが入る封筒1枚を母親に渡した。


「それは、詩季の高校入学に掛かった費用の領収書です。今は、私たちが立て替えました。詩季の親だというなら、詩季の学費は払いなさい。親でないと言うなら、詩季の学費は私たちで払います。その代わり、今後、一切の詩季への接触は禁じます。」


 母親は、封筒を大事にカバンの中に閉まった。


「詩季、本当にごめんね。また、母親として見て貰えるように頑張るから」


 母親は、羽衣を連れて祖父母宅を後にしようとする。


「羽衣――少し、話をしませんか?」


 僕は、羽衣とお話をしたかったので妹の羽衣を呼んだ。

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