異議あり!

遠部右喬

第1話

 中有。

 中有とは、彼岸と此岸の境目にあり、生を終えた魂が最初に行き着く場所である。

 とは言え、中有に居るのは何も死者とは限らない。そこここで神や悪魔、仏や鬼達が、常に忙しそうに行き交っている。彼等にとって中有とは、いわばオフィス街だ。立地的に彼岸へも此岸へもアクセスしやすく、当然、そこには様々な施設が集中することになる。中有総合カウンターの他に、極楽・地獄それぞれの出張区役所、あの世警備部、更には学校や図書館、ちょっとした娯楽施設等もある。そして、それらの施設の中の一つに裁判所も含まれている。

 場所柄、中有裁判所は一年中、二十四時間開廷している。昔も今も一番多い裁判は、死者の行き先を決めるものだ。ここで大まかな行き先を振り分け、後に極楽なり地獄なりで、最終的な行き先が決定する。

 だが、大人しく死を受け入れる者ばかりとは限らない。

 この日行われた裁判の内の一件は、あの世での行き先を決めるものではなかった。もっと正確に言えば、極楽行きか地獄行きかを決めるものでは無かった。

 それは、裁判として受理されること自体が珍しい、最も素早く判決が出る案件、「生き返り」を論じるものだったのである。


 さて、中有裁判所の一室。

 第五号法廷で被告人として着席している鶴元つるもと亀左衛門かめさえもんは、肩をすぼめ、緊張した面持ちで裁判官の登場を待っていた。

(ああ、何でこんなことになっちまったんだ)


  *


 亀左衛門は、つい先日まで子孫の守護霊をしていた。

 守護霊は誰でもなれるものではない。総合的な能力の高さが要求される、あの世のエリート職だ。亀左衛門も守護霊の資格を取るにあたり、先祖から推薦を貰ったり、訓練所の短期合宿に参加したりと、それなりに時間と経費をかけた。しかし、何よりも評価されたのは彼の生前の行い、というか、死因であった。

 遡る事百数十年、暑い夏の日。お江戸のとある町内で小火ぼやが起きた。偶々その場に居合わせた男は消火を試みつつ、大声で周囲に火事を知らせた。その日は風が穏やかで、前日の雨のお陰で火勢も弱く、男の迅速な呼びかけにより、犠牲者は一人だけで済んだ――最初に火に気付いた男が、煙の熱で肺をやられてしまったのだ。女子供の避難誘導と消火に尽力した男こと亀左衛門の煤まみれの死に顔は、満足気な微笑みが浮かんでいたのであった……とまあ、そう言った背景が考慮され、晴れて守護霊職に就くことが出来たのだ。

 彼の初仕事は、自分から七代後にあたる子孫の守護だった。彼女が産声を上げてからつい先日まで、亀左衛門は此岸の彼女の傍らで過ごした。結局、彼女は二十歳と言う若さで亡くなり、同時に、亀左衛門の初めての守護霊経験は二十年で終わりを告げることとなった。

 子孫の心臓が止まった瞬間、速攻で現れた霊魂送迎係に後を託し、あの世に戻った亀左衛門が諸々の手続きを済ませた翌日。

 極楽の片隅にある自宅に戻った亀左衛門は、久しぶりに掃除を終えた居間に大の字で転がっていた。開け放した窓から通り抜ける気持ちの良い風に微睡みかけたその時だ。

 トントントンと、扉を叩く音。

 軽く身支度を整え、玄関から首を覗かせると、郵便配達人が会釈し一通の封書を差し出した。速達、重要と書かれた封筒の差し出しは中有裁判所となっている。

 亀左衛門は首を傾げた。昨日の手続きに不備でもあっただろうか。

 着物の袷に手を突っ込み、ぽりぽりと腹を掻きながら居間に戻る。ちゃぶ台の前で片膝を立て、封筒から取り出した紙に落とした亀左衛門の目が、まん丸に見開かれた。

 それは、被告として己の名が記載された訴状だった。

 更に驚いたことに、原告として記載された名は「山本山やまもとやま純真蜜ピュアハニー」――つい先日までの守護対象者が、大至急出頭せよの文字と共に記されているではないか。

 亀左衛門は大慌てで身支度を整え、中有行きの高速船に飛び乗ると、改めて訴状を読み返した。どうやら純真蜜は二十歳で亡くなったことを不満に思い、自分の死因は守護霊の怠慢にある、と訴訟を起こしたらしい。

 船着き場に到着した高速船を転げるように降り、亀左衛門は急ぎ裁判所を目指した。

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