第2話 なぜ「手を染める」のに「足を洗う」のか?

何かを始めることを「手を染める」といいますが、やめるときは「足を洗う」といいます。なぜ、始めるときは「手を染める」のに、やめるときは「足を洗う」のでしょうか?


どちらも悪事に限った慣用句ではありませんが、最近では悪いことに使われることが多いですね。


それぞれの語源について、まずは「手を染める」から解説します。


もともとの意味は、手が染まるのではなく、「手を初(そ)める」で、始めることを意味します。「書き初め(かきぞめ)」や「お食い初め(おくいぞめ)」のように、初めて行うことを「初(そ)める」といいます。


「染める」となったのは、藍染をする染物屋の紺屋(こうや・こんや)で働く職人たちの手についた染料が、なかなか落ちないことから、「始めると簡単には抜け出せない」という意味を込めて「手を染める」となったようです。


手を使った慣用句には、「手を付ける(取り掛かる)」や「手を下す(自分で物事を行うこと)」のように、始めることを意味するものがあります。


また、物事を始めることを「着手する」というように、物事を始めるのは「手」から、というイメージがあるようです。


次に「足を洗う」は、仏教が語源になっているようです。


僧侶が、修行のために寺の外を裸足で歩いて、寺に戻ると足の汚れを洗い流しました。このとき、俗世間で体についた煩悩や穢れも洗い清めたことから、「足を洗う」が「関係を断つ・物事をやめる」という意味の慣用句として使われるようになったようです。


したがって、なぜ、始めるときは「手を染める」のに、やめるときは「足を洗う」のかといえば、語源が違うので、対となる慣用句ではないからといえます。


ちなみに、「手を染める」の対義語と考えられるのは、次のようなものです。


・「手を引く」 続いていた関係を断ち切るなどして退く。

・「手を切る」 それまであった関係を断つ。縁を切る。


悪い癖や、良くない習慣とは、早めに手を切りましょう。

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