ep.23 風の魔法使い

「じゃぁ、そこに座って~」


 マクリスに促され、パニーたちはカウンター席に身を落ち着けた。一人キッチンへ向かったマクリスは、慣れた手つきでザクロの皮を剥き、一粒一粒丁寧に実を取り出していく。それをハンドジューサーに移し搾ると、目映いばかりの紅が液体へと姿を変え、グラスに一つ、また一つと満ちていった。


「これが我が店自慢の逸品、ザクロの生絞りジュースでございます――どうぞ、存分にご堪能ください」


 芝居がかったマクリスの一言に、パニーたちは視線を交わし合い、自然と背筋が伸びていく。それぞれ差し出されたグラスをそっと手に取り、ゆっくりと回しながら、まずは豊潤な香りに鼻腔をくすぐらせ、次いで深紅の液体を舌の上で転がし味わいをじっくりと確かめた。


「おーいーしー!  甘ーい!」

「めっっっっちゃ、濃厚!こんっなに甘いんだ!ザクロって! 私たちも作ってるけど、全然違う! 酸味が少ない!不思議―!」

「ほんっとうにおいしい! 私、これ好き!」

「僕も! おいしい!」

「あっま! うめー!」


 パニーたちが次々と感想を述べる様子を見て、マクリスは満足げに口角を上げ、ゆっくりと自らも一口含んだ。


「効能は知ってるかい? ザクロは、むくみの解消や抗酸化作用とか、まぁいろいろ健康面でも人気のフルーツなんだよ」

「そこそこ知識はあると思うけど――そもそも外界と同じなのかな?」

「――あぁー、確かに。それはどうだろうね? 名称とか違うかもね~。俺もわからんなぁ~。まぁ――詳しいことはあとにするか。とりあえず今は商品説明続けるね~」


 棚に並べられた商品を次々と取り出していくマクリス。看板商品のほか、あまり売れ行きが芳しくない品まで、一つひとつ丁寧に説明を添える。その情熱がパニーたちを次第に引き込み、彼の言葉に心までを傾けるようになっていく。話が進むにつれ、マクリスの表情はますます生き生きとし、煌めいていった。


「――って、まぁ、さすがに一気に喋りすぎたかな~。いきなり全部覚えるのは難しいだろうから、その都度説明するよ。焦らずゆっくりで構わないから、ね。――何か質問は?」

「はーい!」

「はい、ウェナ」

「働く時間はどうなりますか?」

「あぁ、そうだった。言い忘れてたね~。カフェの営業時間は、九時から十七時。っても、昼食時以外は比較的閑散としているからね~。実際はそこまで忙しくないよ――できたらカフェの店番を常時一人、農作業の手伝いを一人――うん、毎日二人ずつ手伝ってくれると非常に助かる、かな~。お前たちも、やることあるんだろ? 日替わりでも時間制でも、交代方法も自由に決めてくれて構わないよ」

「毎日、二人?」

「――な~に? 難しい?」

「そうじゃなくて――正直もっと拘束時間長いと思ってました」

「そりゃぁ、自由な時間があるのは、かなりありがたいですけど」

「――あぁ、そっち? もっと手伝ってくれるっていうなら、そりゃぁ、もちろんありがたいけどね? まずは、できる範囲で。それで十分よ」


 率直に言えば、パニーたちはもっと過密なスケジュールになると予想していたため、この予想外の展開には少なからず拍子抜けした感があった。その後、マクリスは仕事があると言い残して果樹園へ向かい、パニーたちはその間にシフトの編成を進めることになった。


 農作業にはある程度の経験があるものの、カフェ業務は彼らにとって未知の領域だ。そこで、まずはパニーとエイディが一週間、カフェの運営を手伝うことになり、一方でウェナ、オーラ、ニウスが農作業をサポートするという役割分担が決定された。さらに、ニウスには、自身とリリーの家出に関する言い訳や、今後の方針を報告する手紙をまとめるという、別の作業も課せられることとなった。




---




「じゃぁ、その、テウシィー。さっそくだけど――魔法使いについて教えてくれる?」

「いいよ! そうだなー、あれはね――」


 祖母からの手紙に記されていた、幻贖の民の痕跡に関する情報。パニーたちはその詳細をマクリスに問い質したが、実際にその痕跡を最初に発見したのはマクリスではなく、テウシィーであったことが判明した。パニーたちは、真相を解き明かすため、テウシィーの帰宅を心待ちにしていた。


 そして、待ち望んだ翌日、ついにテウシィーと対面を果たしたパニーたち。簡潔な自己紹介を済ませた後、そわそわとした様子を見たテウシィーは、何かを察したようだった。パニーたちが幻贖の民の痕跡について話を切り出すと、テウシィーは納得したようにうなずき、ゆっくりと語り始めたのである。




---




 それは約五年前のこと――当時のテウシィーは、友人たちと公園でサッカーに興じることが彼の日常の一部だった。


 ある日、いつものようにサッカーに熱中していたテウシィーの視界に、ふとベンチにぽつんと座る一人の見知らぬ女性の姿が映り込んだ。彼女は、時折サッカーに興じる子供たちに視線を向けていたが、公園には他にも遊ぶ人々がいたため、テウシィーたちは彼女を誰かの家族だろうと深く気に留めることはなかった。


 次第に、その女性の存在は公園の風景に溶け込み、意識の片隅に追いやられるようになった、そんなある日。サッカーボールが偶然にも彼女の座るベンチのすぐ前に転がるという出来事が起こる。テウシィーはボールを拾い上げようと駆け寄った際、不意に強い視線を感じ顔をあげると、その見知らぬ女性がじっとテウシィーを見つめ、黙って涙を流していたのだ。テウシィーがその女性の顔を初めてはっきりと認識したのは、その哀しみに満ちた泣き顔であった。


「――泣いて、いた? どうして?」

「うん、泣いてた。もちろん僕も、どうしたのかな?って思って聞いてみたんだ。そしたらね――」


 どこか怪我をしたのではないかと涙の理由を想像していたテウシィーにとって、彼女の話は思いも寄らぬ方向へと進んだ。彼女は、かつて息子がいたことを唐突に語り始めたのだ。しかし、その息子と再び会うことはもう二度と叶わないという。もし今も生きていれば、テウシィーと同じ年頃で、君たちのように遊んでいただろう、とつい目で追ってしまう自分に気づき、その感情が溢れ出し自然と涙に変わったのだ、と彼女は語った。


 その後、彼女はいつもじっと見つめていたことへの謝罪と、怖がらせてしまったかもしれないことへの配慮を、優しく気遣う言葉と共に伝えくれた。そして、もうこんなことはしないから、と言いかけたが、テウシィーは友人たちも彼女の存在を気にしていないことを告げ、サッカーを見ていても構わないと言うと、彼女は涙を拭いながら、感謝の言葉を述べ、先ほどよりもわずかに笑みを浮かべたように見えた。


「じゃぁ、その後もその女の人はきたの?」

「うん、毎回必ずいたわけじゃないけどね。時々見かけたんだ。それでね――」


 それからしばらく経った、また別の日のこと。サッカーをしている最中に雨が降り始め、友人たちは遊びを中断し、次々と帰路につくこととなった。テウシィーも急いで家に帰ろうとしていたが、なぜかあの女性のことがふと頭をよぎり、無意識に足が公園の方へ向かっていた。そして、ベンチに目をやると、彼女はまだ雨の中でひとり座っているのが見えた。


 雨脚が先ほどよりも強まっていたため、彼女にも早く帰るよう声を掛けようと近づいた時に、その光景が奇妙であることにテウシィーは気が付いた。彼女は傘も差さずに雨の中にいたが、雨粒は彼女の体を避けるように空中で不自然な弧を描き、決してその身に触れることなく、ただ散っていく。テウシィーはその不可思議な光景に自分がずぶ濡れになることも構わず、目を奪われたのだった。


「――雨が逃げる?」

「うん、雨がそこだけ避けてたんだ」

「それって――」

「――うん、そう。その人にね"私は魔法使いだから、傘はいらないの"って言われたんだ。それを鵜吞みにしてたけど――」

「その人が、幻贖の民だった――」

「そういうこと。僕に気づいて、僕にも雨が当たらないようにしてくれたんだ!髪も服も全部乾かしてくれてね!優しくて、かっこいい魔法使いだったよ! その人は、"魔法使いだってことは秘密にしてね"って言ったから、僕、本当はずっと秘密を守ってたんだ。父ちゃんにだって話さなかったんだよ? だけど――」

「――これだよ」


 マクリスの手元には、いつの間にか小さな布切れが握られていた。


「――これって」

「"幻贖のランプ"の印、だろ? 親父が持っていたものとは少し違うけど――これを見つけて、その人が幻贖の民じゃないかって気が付いたのよ」

「――空の民だ。風使いの一族の印だ」

「これ!どうしたの?」

「もらったんだよ? その雨の日に、寒いからせめてこれを巻いて帰ってって。すっごく軽いのに不思議とあったかいんだよね」

「じゃぁ、それをつけて帰ってきたから、マクリスが気がついたのか」

「ううん。その時はちゃんと自分の部屋に隠してたんだけど、大掃除した時にうっかりしまい忘れてて――」

「――俺が、目ざとく見つけたんだよね~」


 それは、サイデンフィルたちの抜け落ちた羽が編み込まれた羽衣であり、風を操る力を初めて発現した者に、親から贈られる風使いの一族の大切な品だった。


「じゃぁ、その魔法使いは、空の民ってこと?」

「そして、つまり空の民は外界にもいて――」

「――つまり、あの日の生き残り?!」

「それか、他にもいた、とか?」

「その女の人はいまどこに?」

「わからない。それっきり会ってないんだ。サッカーも見に来なくなって」

「俺もね、これをくれた御礼したいから探したんだけどね――」

「会えなくなったから、五年間進展がないってことか」

「――その人の見た目は?覚えてる?」


 テウシィーは立ち上がり、壁に飾られた一枚の絵を指差した。


「――その人?」

「うん、髪の色は黄色で長くて、目の色は灰色だったよ。優しそうな人だった」

「長髪の黄色い髪色に、灰色の瞳か――他に特徴は覚えてる?」

「うーんと――、歳はね、父ちゃんと同じくらいだと思う!」

「当時は二十代後半で、今は三十歳前半くらいってことだね」

「やっぱ、風使いってことはニウスの家族か親族の可能性があるのか!」

「そうかもね!ねぇ、ニウス、心当たりない?! もっとよく見てみて!」

「もしかして――ニウスのお母さん、だったりするのかな」

「僕の――お母さん?」


 ニウスは軽く首を傾げながら答え、再び視線を絵に戻した。じっとその女性の姿を見つめ、思索の淵に沈んでいく。その絵は、テウシィーが幼少の頃に描いたものであり、幼い筆遣いのせいか、記憶の中にある母の姿とはなかなか結びつかなかった。そもそも、ニウスにとって母の顔は、かすかな記憶の中に残っているだけだ。"あの日"、彼はまだ幼かった。しかし、兄のエルの言葉によれば、自分と同じ髪と瞳の色は母から受け継いだものだという。ということは、ニウス自身も母に似ているのだろうと漠然と信じていた。とはいえ、ぼんやりとした父の記憶も、同じ色合いだったように思えるが――。


 ナットやラリス、そして彼らの祖父母も、髪や瞳の色にはわずかな濃淡の差異こそあれ、皆ほぼ同じ系統の色を帯びていた。そう考えると、空の民である風使いの一族は、代々黄色い髪と灰色の瞳を受け継いできたのだろう。


「――それはなくないか?」

「えー? なんでー?」

「――いや、だってよ、その女の人は、『息子にはもう会えない』って言ってたんだろ? ニウスは生きてんじゃん。会おうと思えば会えるだろ?」

「場所がわからなかったとか? ほら、今は海の民の故郷に皆移動しちゃってるし――」

「もしそうなら――私たちの家族は、場所がわからなくて会いに来れないだけ、ってこと?」


 もし、この絵に描かれた“風の魔法使い”がニウスの母親だとすれば――パニーはそんな考えが頭を巡った。仮にそうであったなら、彼らはただ私たちの居場所を知らず、会いたくても会えなかっただけなのかもしれない。だが、そうなると、海の民の故郷を知っているパニーの両親は――。

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