ep.21 告白

「――え?」

「いや~悪いな。唐突にこんなこと言って、気分悪いよね。そうだよね~ごめんね?」

「――」

「あれ~、反応できる? お~い、パニー、聞こえてる? もしも~し」

「――」

「あぁ~、もしかしてショートしちゃった感じ? もしも~し」


 マクリスの口から紡がれた言葉がパニーに与えた影響は、かつて遭遇した"あの日"とも、祖母との激しい言い争いをした時とも異なる、得体のしれない感情を呼び起こした。その感情の名を、パニーはまだ知らなかった。


 パニーはゆっくりと顔を上げ、視線をマクリスに向けた。その横顔から彼の思念や感情を読み取ろうと試みる。しかし、彼はわずかに表情を緩めただけで、ただ彼女の反応を見守るばかりであった。


「好かんって。どうして――え? マクリス――あなたも海の民、じゃないですか」

「――あ、戻ってきた?よかった、よかった。ん~そうだな。親父は、海の民だった。だけど、俺は海の民じゃない――ん~言いたいこと伝わるかな~?」

「海の民、じゃない?」

「例えば定義をね、海の民の血が流れているか否か、とするのであれば、俺は、海の民とのハーフだね。スコットリスと共生している者を海の民と定義するなら、俺はそれに当てはまらない、だろ? それに、お前たちのように海を自在に泳ぐこともできなければ、冷気を操る特殊な能力も持ち合わせていない。生まれも育ちも生粋の人間だ――そうだな、お前たちの言葉を借りるなら、俺は外界人ってことになる」

「生粋の人間――」

「あぁ。人間だ。ただの人間」

「そうなん、ですか」

「あ、勘違いしないでね? 海の民はいけ好かない連中だと思ってるけど――それはあくまで親父の世代に限った話だ。まだ会ったばかりのパニー、お前のことが嫌いだって話じゃない。海の民だからって一括りに嫌うなんて、そんな理不尽なことはしないさ」

「――そう、ですか」

「そう、そう、気分悪くなっちゃった? ごめんね~」


 相変わらず穏やかな表情を保ちながら、その表情に似つかわしくない辛辣な言葉を吐くマクリスは、わずかに肩をすくめる仕草を見せた。パニーは、内から湧き上がる複雑な感情をどう処理すべきか思案する。これからしばらくの間お世話になる身でありながら、彼が海の民を好んでいないという現実。これからどうすべきか――。


「――あの、理由を聞いても、いいですか」

「そ~ね、理由ねぇ。そうだな~。聞いてて楽しい話じゃないよ? それでも聞く?」

「――もう、今楽しくないので、このまま聞きたいです」

「そうだな、じゃぁ――親父のことは聞いてる?」

「はい、おじいちゃんから聞きました。リルファー、ですよね。海の民と外界とを繋ぐ架け橋をしていた方だったって」

「まぁ、端的に言えばそうだな」

「――」

「親父が、亡くなった話は、どう聞いてる?」

「亡くなった、とだけ」

「そっか、そうだろうな~」

「――?」


 マクリスはそう言い終えると、考え込むように顎髭に手をやった。そして、一度喉を潤し、ちらりとパニーに視線を投げかけた。


「俺はね、俺の親父は――海の民に殺された」

「――え?」

「――そう、思ってるのね」


 パニーは、思わず瞠目した。喉元で詰まった声は、音に変わることなく押し留められた。会話を続けたいと思うものの、真っ白に覆われた思考の中では適切な言葉を見つけ出すことが叶わない。短くも、ひどく重々しい沈黙が場を支配した。


「そ、そんな――どう、して、な、なんで――な、なにが――」

「あぁ~、またショートしちゃった感じ?ごめんね? 俺のいや~な気持ちが、こう溢れ出ちゃって」


 そうして、間を少し置いた後、ショートして言葉を失ったままのパニーをそのままに、マクリスは胸中に抱えていた経緯を淡々と語り始めた。


 海の民リルファーと外界人の母との間に生を受けたマクリス。彼は外界人として育ち、彼自身もまた外界人と結ばれ、息子――名はモンテウス――を授かった。


 数年前、不意に彼らを襲ったのは、過酷極まりない試練であった。当時、猛威を振るっていた病に侵され、生死の境を彷徨うことを強いられたのである。病は恐るべき速度で彼らの命を蝕み、苦悶の日々を強いた。唯一病魔の手を免れた、リルファー。彼は必死に看病を続けた。しかし、その病は新型ゆえに特効薬は未だ開発されておらず、医師たちが処方した薬も、痛みを多少和らげるに留まる程度の効果しか発揮しなかった。彼は何件もの病院に駆け込んだものの、結果は同じだった。


 幼くして衰弱の進行が著しいモンテウスは、すでに一刻の猶予も許されぬ状況に追い詰められていた。その切迫した事態の中で、リルファーはある考えをマクリスに打ち明けた。マクリス自身も、もはや身体を動かす力はほとんど残されていなかったが、それでも妻や息子に比べれば、わずかながらも会話を交わす力だけは残っていた。


 リルファーはこう語ったという。自身が病に侵されず無事でいられるのは、ひょっとすると、自分が海の民であるがゆえではないかと。海の民、すなわち幻贖の力を宿す者たち。確かな根拠はないが、もしその仮説が正しいのならば、何らかの方法で外界人にも幻贖の力を宿すことができれば、回復への道が開けるのではないかと考えたのである。


 どのようにして外界人に幻贖の力を与えるかは、過去に例がなく定かではなかったが、海の民が怪我や病に見舞われた際に用いるように、幻贖の力を秘めた雫を摂取させれば効果があるかもしれないとリルファーは推測した。実際、海の民が怪我や病気に見舞われても、幻贖の雫を摂取すれば、一日も経たずに回復することができるのである。幻贖の雫が外界人にどのような影響を及ぼすかは未知の領域ではあったが、リルファーはマクリスに対して、これを試してみる価値があるのではないかと提案した。それはリルファーにとっても、マクリスにとっても、家族を救うための最後の一縷の望みであった。


 そして、リルファーは家族を救うべく、幻贖の雫を求めて故郷である海の民の元に助力を乞うことなった。しかし、彼を待ち受けていたのは無情な拒絶。幻贖の力を外界へ持ち出すことは海の民にとって、到底容認できるものではなかったのだ。このような切迫した状況においてさえ、海の民の掟がリルファーを一層苦しめることとなった。


 それでもリルファーは諦めることなく、幾度も幾度も懇願を繰り返した末、ようやく提示された妥協案。それは、彼が家族を引き連れて海の民の故郷に戻ることを条件とするものであった。外界人を故郷の地に受け入れること自体、海の民にとっては相当な譲歩であり、彼らにとっては信念に背く行為である。それでも、テリトリー内に限り、幻贖の雫を外界人である彼の家族に使用することが許可されたのである。しかしながら、家族全員が病に蝕まれている現状において、彼らを連れて故郷に戻ることは、事実上不可能であった。


「――それで、どう、なったんですか?」

「見ての通りさ。俺は生きてる」

「息子さんは――」

「息子も生きてるよ。今日は友達の家に遊びに行っててね。明日紹介するよ」

「そっか、よかった。じゃぁ、奥さんは――」

「妻は――死んだよ。でも、当時の病が原因じゃない」

「そう、ですか――じゃぁ、リルファーが――」

「――あぁ。――親父は俺たちを助けるために必死に看病してくれた。どうにか俺たち家族は助かったが――やっと動けるようになった時、既に親父は死んでいた」

「――」

「直接的に殺されたわけじゃない。けどな、親父は海の民として、故郷を想い生きていた――確かに、故郷を勝手に飛び出したのは親父だ。海の民にとっては、はた迷惑な奴だったのかもな。だけど親父の行動の根底には、いつだって海の民への想いがあった。だって、そうだろ? 実際に故郷の今の生活、よく思い出してみてくれ。親父の努力が、垣間見えるだろ?」

「幻贖の雫が、もし渡っていたら――リルファーは今も生きていたかもしれない、そういうことですか」

「――それもある。でも、何よりも故郷に見捨てられた時の親父は――あの時の親父の顔を思い出す度に、こう思うよ。親父はあの時既に死んでいた、ってな。身体より先に、心が死ぬことだってあるんだ」

「――」


 幻贖の民は、共生する生物とその性格や特性が類似しているという言い伝えがある。スコットリスはその典型であり、優しく穏やかで、争いを避け、仲間を大切にする性質を持つ。このため、海の民もまた、個体差こそあれ、その本質においては同様の特質を備えているとされている。


 これまで共に時を過ごしてきた祖父母や姉妹、甥、従弟、そして記憶の片隅に残る父母、叔父叔母、彼女が知る限りの海の民は、皆一様に穏やかで、仲間を思いやる優しさに満ちていた。


 そんな海の民が、果たしてリルファーを見捨てることがあり得るだろうか。しかし、マクリスが嘘をついているとも到底思えず、パニーはどう言葉を紡ぐべきか全く分からなくなってしまった。


「――なんて言えばいいのか、わかりません」

「やっぱり、正直だな」

「聞いてもいいですか」

「なんだ?」

「――ほんとに、恨んでないんですか」

「結果的に、俺も息子も生きてるからな。妻もあの時は生きていた。死んでたら――どうだろうな、あの世で恨んでたかもしれないね」

「リルファーは――」

「死んじまったからな、一生わからない。でもね、理解は示していたよ。親父が特殊だっただけで、海の民は親父が生まれる前からずっと保守的だった。なにも意地悪で雫を渡さなかったわけじゃない。それは親父も理解してた。だからこうして俺は、今でも親父の意思を受け継いで、海の民との交流を続けてる。親父の夢だったしな、それは叶えてやりたいんだ――でもまぁ、嫌な気持ちが出ちまうんだなきっと、気を付けるよ」


 リルファーは果たして、海の民を憎んでいたのだろうか。外界と海の民を繋ぐため、反対を押し切り、自らの信念に従い続けた男。その彼がこの世を去り、彼の真意を探る術は閉ざされてしまった。


 パニーもまた、海の民として生を受けながらも、外界へと足を踏み出した者だ。起点は異なるものの、リルファーと同じ道を選んだことに、彼女は深い親近感を抱いていた。彼女がこの道を選び、進む覚悟を固めたのは、海の民を、そして故郷を心から愛していたからに他ならない。


 ゆえに、もし彼が海の民を、故郷を恨んで旅立ったのだとすれば――なんて悲しいことだろうか。


「――迷惑でしたか」

「ん?」

「私たちが、これからマクリスのお世話になること」

「言っただろ? 俺が疎ましく感じているのは、お前の祖父ヌプトスたち、彼らの世代の海の民だって。保守的で頑なな性質も正直気に入らないが――お前たちみたいに外界に関心を寄せ、親父の志に通じる者がいると知って、俺は嬉しいよ」

「そう、ですか――よかった」

「それに――今は幻贖の雫、持ってきてくれてるだろ? あ、頼んだやつ作ってきてくれた?」

「あ、そういえば! はい、持ってきました。手紙に書いてあったもの全部――あれ? でもどうして――」

「ルールをね、決めたんだ。俺が管理して絶対に流出はさせないってね。使用する際も、あくまで俺が、俺のために使うか、家族のために使うかのどちらか。他の外界人には使わないってね。それで、貰えるようになった、ってわけだ」


 既に雫状に精製されたものはもちろん、幾つかの原料も持参してきたため、その場で必要に応じて調製することも可能だと告げると、マクリスは細めた瞳でその言葉を受け止めた。


「テウシィー――あ、息子のことね。楽しみにしてるよ~。そうだ、テウシィーに会ったら、幻贖の力、見せてやってくれないかな。家の敷地は結構広いんだよ。隣の家とも距離があるしさ。ヌプトスから何か言われてる?」

「うーんと、そうですね――外界人の前ではむやみに使わずに、万が一の場合に使うように、といわれてます――けど、マクリスは既に知ってるし、テウシィーも知ってるなら――問題ない、かと」

「親父は俺が小さい頃、いろいろ遊んでくれたんだ。俺はかまくらが好きだったなー。秘密基地にしてたんだ。まぁ、親父に作ってもらったから秘密も何もないんだけどね~。そういうの作れる?」

「もちろんです!かまくら作れます! 海にも近いですか?私たちはスライダー作ったり――」

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