ep.6 これがエイディ

「ケイー?リアー?どうしたのー?」


 リンディたちのもとを後にしたケイとリアは、木製の板敷いたじきの道を一心に駆け抜けていた。斜めに差し込む陽光が、二人の影が背後から揺らめきながら追いかける。板が軽くきしむ音が、二人のはやる気持ちを一層煽あおり立てた。途中、誰かに呼ばれたような気もしたが、振り返ることなく、生返事なまへんじが海風に乗って遠くへ飛んでいった。周囲の景色がおぼろげに視界の端を過ぎていく中、ついに二人は目的地に辿り着いた。


 勢いそのままに扉を叩くと、鈍い音が室内に呑み込まれる。二人は息を整え、互いの視線を絡ませ、覚悟を胸に頷き合う。外界に行くためには、『エイディとパニーに直接相談すること』と、先ほどリンディから受けた助言を胸に刻みながら、ここまでたどり着いたのだ。やがて足音が止まり、扉が軋む音を立てて静かに開かれた。


「――よぉ、さっきぶり」


 室内に射し込む柔光じゅうこうに照らされ、扉の向こうから姿を現したのはエイディだった。先ほど軽んじた二人が再び訪ねてきたことで、彼は一瞬体を硬直させたようにも見えたが、すぐに口元に淡い笑みを浮かべ、普段と変わらぬ表情で二人に声を掛けた。


「エイディ、僕たちも行きたい!!」

「私も行きたいの――連れてって!!」


 開口かいこう一番に大声でそう宣言する二人に、エイディの目を白黒させる。口を閉じることも忘れたまま、エイディは状況を理解すると、慌てて二人の口をふさいだ。掌の中でもごもごと口を動かす二人を気にかける余裕はない。家の中では祖父のバランと祖母のウィノナがリビングでゆったりとお茶を楽しんでいるのだ。


「――エイディ? どうしたんだい?」

「ケイとリアよね?――何かあったの?」

「あ、いや――」


 背後から追いかけてくる声に、二人の口をふさいだまま、エイディは慌てふためき、言葉を捜し求めながら視線を彷徨わせた。もごもごと口を動かす二人の囁きが邪魔をして思考はまとまらぬまま、言葉が喉元で詰まってしまう。わらにも縋る思いで二人に視線を送るものの、三人とも意思の疎通そつうが叶わず、混乱が広がるばかりだった。


「あ、えーっと―――そう、今日さ、森に行く約束してたんだけど、すっかり忘れててさ――ほんとごめんなー? 二人とも。実は準備まだ終わってなくてよ。悪いけど、俺の部屋で待っててくれよ!」


 引きった笑みを浮かべ、エイディは即興の言い訳をどうにか紡ぎ、この場を切り抜けようと必死だった。祖父母の怪訝な視線を真正面から受け止め、ぎこちなく笑みを返す。余計な言葉を挟まずに口裏を合わせるよう、ケイとリアに向けて必死に目で訴えかけた。すがるような彼の視線を受け、二人はようやくその意図を察し、うなずいてみせた。


「え?――あー、うん。そう、そうなの! 森に行きたいのに!エイディが来ないから、迎えに来たの!」

「おや、そうなのかい?――それはエイディが悪かったね」

「まぁ、ごめんなさいね。ほら、上がって上がって――今、飲み物用意するわね」

「わーい! ありが――」

「すぐ行くから! 飲み物いらないよ!」


 ウィノナの好意を素直に享受きょうじゅしようとするリアを、エイディは慌てて押し止めた。再び二人に目くばせをし、ようやく家の中へと身を滑り込ませる。その後を二人も追いかけ、平静を装うエイディに倣いながら廊下を進んだ。



---



 本や調合器具、そして薬草が乱雑に置かれたエイディの部屋は、窓越しに見た時よりも幾分か整頓されていた。ケイとリアに見られたことで、急いで整理したのか、半開きのクローゼットからは窮屈そうな大きなリュックが姿をちらつかせていた。


「まだ、ばあちゃんたちに話してないんだ。だから絶対に大きい声は出さないでくれよ。聞かれると面倒なことになるからな――っていうか、なんで知ってんだよ」

「あ、そうなの? ごめん――」

「さっき、リンディから聞いてきたの」

「――はぁ? 兄貴から聞いたぁ?」

「そう、エイディにははぐらかされちゃったでしょ?」

「――で、兄貴に聞きに行ったって?」

「「うん!」」

「パニーと行くんだろ?」

「ったく。いったいどこまで話したんだよ――バカ兄貴」

「それだけだよ? 理由は本人から聞けって言われたもん」


 ベッドに腰を下ろし、腕を組んで不満げな表情を隠すことなく、エイディは二人を凝視した。彼の態度に少なからず気まずさを抱きつつも、二人はそのまま話を続けた。


「――で? ここまで来たと」

「「うん!」」

「――はぁ」

「どうして行くの? 私たちも行きたい!」

「とりあえず、まずは落ちつ――」


 その勢いに圧倒されながらもエイディが制止しようとした矢先、リアの視線がふと足元に落ちていた紙片しへんに移った。彼女はしゃがみ込み、端が擦り切れ、少し古びたその紙片を拾い上げた。目を凝らして覗き込むと、それは一枚の地図だった。古びた紙のざらついた質感が彼女の指先に伝わる。彼女はその指で地図の表面をゆっくりと辿り、見慣れない地名が並んでいることに気づいた瞬間、瞳を見開いた。


「――これ」

「へ? あ、やべっ」

「これ、外界の――」


 リアの手に渡った紙片の正体に気づいた瞬間、エイディの顔色は一気に蒼白そうはくに変わった。外界への計画はすでに二人に知られていたが、好奇心旺盛な二人が再び訪ねてきた理由を、一層明確にしてしまったことが彼を動揺させた。彼は己の過ちを嘆き、頭を抱え込んだ。この状況を収拾するのは難しいと悟りつつも、なんとかしようと悪足掻きのように思考を巡らせた。しかし、焦る彼に目もくれず、リアは地図に夢中だった。


「僕にも見ーせーてー」

「外界って行っちゃダメなんでしょ?それなのにいいの?――行ってみたい!」


 聞く耳を持たないリアは、次々と言葉を紡ぎ続けた。その隙を突いて、エイディは何とか地図を奪おうと手を伸ばしたが、リアは巧妙こうみょうにその動きをかわし、地図をケイへと渡した。


「だから少しは落ち――」

「ねーぇ、エイディ、私も行きたい! なんでパニーなの?」

「落ち――」

「あっー!わかった!デートなんだ?だから、二人なんでしょ?――そういうことねー」


 リアが突如、含み笑いを浮かべてエイディを挑発した。エイディは一瞬呆然とし、その意図を悟るや否や頬がたちまち紅潮していった。兄のリンディとは異なり、彼はまだ思春期らしく、そうした挑発に対して巧みに対応する術を持ち合わせていなかった。


「だー!おい!――リア、頼むから落ち着けって!」


 咄嗟に声を上げたエイディ、勢いよく立ち上がって二人の動きを制した。


「――エイディ? 大丈夫?」


 エイディの部屋から漏れ出る喧騒けんそうに気づいたウィノナの声が、室内に響いた。彼女が扉のすぐ向こうにいるのがわかる。エイディは動きを止め、二人に静かにするよう、指を唇に当てて合図した。


「なんでもない!」

「なんでもありませーん」

「うるさくしてごめんなさーい」

「本当に?――何かあったら言ってね」


 扉に耳を押し当て、エイディは廊下の向こうの様子を探った。足音が次第に遠ざかり、廊下が再び静まるのを確認し、ようやく緊張を解いた。



---



「で、どうなの? デートなんでしょー?――通りで、リンディがにごすわけだ」

「だーかーらー、デートじゃないし、隠してるわけじゃないって言ってるだろ!」

「えー?――ほんとにー?」

「ほんとだって。嘘ついてねーよ――ただ先にばあちゃん達に話して、それからみんなに伝えようと思ってただけだ」


 リアは依然として納得しかねる様子で、リンディにいぶかしげな目を向けた。期待に反する返答に唇を尖らせ、きょうがれたような顔をしている。


「――隠してないなら教えくれてもいいじゃんー」

「今はだめだ。ここだといつばあちゃんたちに聞こえるかもしれないだろ?さっきからずっとひやひやしてんだよ、こっちは――別の話しようぜ」

「――つまり、ここじゃなければいいと」

「まぁ、そうだけど――」

「じゃぁ、部屋移動しようよ。環境が整ったら問題ないよね?――あ、今はこれだけ教えて。いつからいつまで行くの?」

「ペオの誕生会が終わって一ヶ月後くらいで出て、帰ってくる時期は――わからない」

「「――え?!」」


 予想だにしない発言に、部屋の中で時計の針以外の動きが止まった。ケイは衝撃に耐えきれず、ベッドからずり落ちそうになり、リアは両手を勢いよく口元に当てて硬直していた。


「――も、も、もしかして、ここに帰ってこないの?」

「え、うそでしょ? 帰ってくるよね?」

「もちろん帰ってくるつもりだけど、いつになるかなー。半年とか、一年とか、もしかしたらもっと――」

「――半年!?」

「――一年?!」

「そ、だからまず、みんなに認めてもらおうとしてんだ」

「――そ、そんな」

「ちょっとだけじゃ――ない?」


 エイディの言葉が耳から心に沁み通ると、止まっていた時が再び動き始めた。二人の身体にじわじわと寂寥せきりょうが広がっていった。


「――ねぇ、リンディは行かないの?」

「あぁ、兄貴はここに残るよ」

「じゃぁ、もし――もし、ついていったらリンディ達に会えなくなるの?」

「そんな! どっちも嫌だよ!」

「もう一度言うけど落ち着けって。なにも一生会えなくなるわけじゃないんだ――だから、そんな泣きそうな顔すんなよ」



---



「――よしっ、パニーにも話を聞こう」


 先ほどまでの態度がまるで嘘だったかのごとく、リアは気持ちを切り替え、扉に向かって歩き出した。再び騒動が大きくなる気配を察知したエイディは瞬時に反応し、咄嗟に一足飛びでドアの前に駆け寄り、両腕を大きく広げてリアの進路をさえぎった。


「騒ぐとばあちゃん達にばれるだろ」

「――あ、そっか」


 言葉を投げかけつつ、エイディは肩をすくめ、リアの額を軽く弾いた。リアはおでこを抑えつつ、納得したようにうなずいていたが、それでも嫌な予感が彼を襲っていた。数秒の思案の後、彼女はにやりと笑みを浮かべ、妙案みょうあんを思いついたとばかりに静かに窓の方へ歩み寄った。リアの手が窓枠に触れると、彼女は即座に窓を開け、足を掛けた。エイディが彼女の意図に気付いた時には既に遅く、彼女を止める術はなかった。


「――リア! 待てっ!」


 ケイが素早く背後に回り込み、力強くエイディを抱きしめて動きを抑えたため、伸ばしたエイディの手は虚しくも空を掴んだ。必死に体をねじりながらもがいたが、自分よりも小さな体のどこにそんな強靭きょうじんな力が秘められているのかと思うほど、抜け出すのは容易ではなかった。


「ケイ、放せ――」


 リアはその間にも窓枠に手をかけ、開け放った窓から流れ込む風が部屋を駆け抜けた。エイディの体はケイの堅牢けんろうな抱擁に縛られたまま、懸命にリアの動きを目で追いかけていた。全力で抗い、執拗しつように身をよじり、ついにその束縛から脱出することに成功したエイディは、遠ざかるリアの姿を追い、窓の外へと飛び出した。


「リアー! 戻ってこい!」

「パニー連れて戻ってくるからー!」

「今すぐ戻ってこーい!」


 エイディの虚しい叫び声は、海に呑まれるように消え去った。


「――まぁまぁ、あんまり騒ぐとみんな集まってきちゃうよ?」

「誰のせいだよ」

「誰って――エイディ? 家出するかと思って、これでも心配したんだよ」


 楽しげに言い返しながら、ケイは窓枠に腰掛け、足を軽やかに揺らしていた。彼の視線は、窓から少し離れた場所で立ち尽くすエイディに向けられている。どうやらエイディはリアを追うのを諦めたらしい。


「それは悪かったけど、でも――」

「――エイディ?さっきから何を騒いでるんだい?」


  エイディが弁解の言葉を紡ごうとした刹那、今度はバランの声が割り込んできた。ついに扉がノックされ、彼はその場で凍りつき、視線をゆっくりとドアへ向けた。何とか言葉を発しようとしたが、この窮地きゅうちをどう切り抜けるか、思案は尽き果て、知恵の輪が解けることはなかった。


「大丈夫だよー!なんでもないから!」

「なんでもないわけないだろう。あんなに大きな声を出して」

「開けるわよ?――いいわね?」


 代わりに口を開いたケイの言葉は説得力に欠け、状況は一向に改善しなかった。エイディは喉元で言葉が詰まり、視線は落ち着きなく彷徨っていた。彼は音を立てぬよう窓辺へ忍び寄り、手を伸ばして窓枠を掴み、部屋の中へと身体を滑り込ませた。扉が開く寸前に間一髪で体勢を整えたエイディは、不意に言葉が口をついて出た。


「ケイ達が、早く早くってうるさいんだ!」

「一番うるさいのは――エイディだろ!」

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